か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

女子学生と数学 5

2013年01月30日 | 受験・学校

あまり人気のないシリーズだが現在進行のドキュメントだから書きとめておこうと思う。

先々週、中学の教科書を持って来いと言ったら、フグのようなふくれっ面をした。消え入るような声で「はい」と答えた。こりゃかわいいもんだ。どうも彼女のプライドが傷ついたようだ。根拠のないプライドはどんどん傷ついてもらおう。

彼女は機嫌も直して僕の前に教科書とノートをさしだした。ここが低脳とできる娘との違いだ。バカはいいわけ上手だ。これに比してできる子は言い訳しない。

「頭悪かったから。」ならばそれを凌駕する努力をせよ。脳に組織的異常がないかぎりだれでも偏差値70はいく。単にずぼらででたらめな性格だっただけで低質な誘惑に負けた生活をしていただけだ。バカの家に行けば必ずある大型テレビ、ゲーム器、散乱した韓流スター雑誌、片付かない台所。

理学部の彼女はしつけがよい。なぜか。親がガミガミ言ったか。違う。親が行動で示したので彼女はそれを見ていたにすぎない。

「子供は親の言うことはしないがすることはする。」けだし名言だ。

中学の時のノートまできちんと揃えて持っている。素晴らしいことだ。中学はおろか小学校の教科書が必要なDQNたちは自分の通う高校の教科書さえそろっていない。

「貧益貧、富益富。」という言葉が朝鮮にはある。日本にはこの言葉をさしあげる。「痴益痴、賢益賢。」

後は、彼女を怒らした数のお遊び。

円周率が3以上であることを証明せよ。これは半径nの円に内接する正6角形を描き、一辺nと一辺を両端とする弧に注目し、6角形の辺の長さの合計は6nだから弧は弦より長いことにより円周は6nより大きいことを見つける。∴円周率は3より大きい

これは練習問題で、次になるとそう簡単ではない。円周率が3.1以上であることを証明せよ。僕が中学の教科書を持って来いと言った理由はここにある。問題というものは解けさえすればいいというアホがいる。そんなことを言う人は、その人の能力がかろうじてその問題だけに注がれるだけで精一杯となり、本質的に力量が不足している人だ。そもそも、ものごとは難しく考えてはいけない。なるべく簡単に考えることに力を注ぐことが、おろそかにされてきた。それこそが本当に難しい。

この問題は小学生の算数大好き少年でも解く。ちなみにこれ東大の入試。

煙草に火をつけるのに火炎放射機を使ってはいけないのだ。

取って付けて引きまわしてほがして塗って、エンジンルームは貧乏人のおもちゃ箱だ。汚い問題の解き方をされると悪寒がする。

Posted at 2012/11/07

事故後、少年は警察に言った、「趣味?趣味はドライブ。」(亀岡事故)

2013年01月30日 | クルマ

光市母子殺人事件では今回の亀岡事故より若い犯人が死刑を待っている。だったら3人殺したのだから相当の情状がないかぎり死刑になるはずだ。

ところが誰一人死刑はおろか懲役に行くとは思ってない。いくら裁判官が心証において死刑相当と思っても、同年の少年が、方や二人殺して死刑、かたや三人殺して少年院という条理に反する事実をどうもできない。日本は罪刑法定主義をとる。

また、裁判官はよほどのことがないかぎり判例変更をすることはない。名前だけ聞いてよさそうな時、低能な国民は中身も知らず悪法に同意する。人権擁護法、障害者自立支援法、・・・そして少年法。

そのろくに考えもしないで投じられた一票が今まで悪法を作り、改正を阻み廃止を妨害してきた。

犯人は反省してないじゃないか。弁護士がきたら一言一言を管理するから「大変なことをしてしまった」と言ったことになるだろう。

3人殺してその直後、「趣味はドライブ」と言われたとき僕が親だったら殺すと思う。懲役も死刑も平気だ。それぐらいの決心を持って子育てをしている。

僕が不条理だと言っているのは、たんにこの事件に目を奪われてのことではない。

警察が被告人の住所を漏らしたのは他の事件に比して法の下の平等に反する。同時に少年法にも違反する。法治国家なら守ってしかるべきルールだ。

しかし、些末なことだ。いま、DQNアホガキが殺人を犯してどうして少年院のゆりかごの中に入れるのか。一度、GHQの指示によりガキを甘やかす法律ができるとなかなか改正は困難だ。子供を傷めつけろという法律を選挙で主張することは不可能だ。

しかも少年法は強行規定だ。いかに道路交通法が、あるいは刑法(自動車運転過失致死罪)が最大の刑を課そうとしても少年は保護すべきであるということになってしまう。つまり、道交法ができることはせいぜい無免許運転であり、刑法たるや自動車運転過失致死罪しか適用できず5年以下だ。

加害者を保護し遺族の心を踏みにじる倒錯した価値観を子孫に残してはならない。

亀岡事故については、6月17日、9月10日のブログにも書いています。

Posted at 2012/11/05

増える冤罪、笑う真犯人。マイナリさんよかったね。

2013年01月30日 | 裁判

そのまえに考えを整理しておかなければならないことがある。冤罪(誤認による逮捕起訴裁判刑の執行)で一人や二人死刑になろうとも、真犯人が捕まる事件が増えるなら世の中は安定し、ひいては日本のためだと考える学のないのが増えてきた。

酷いのになると日本の戦後民主主義は言うに及ばず、あの明治憲法ですら認めていた令状主義を否定し悪い奴はさっさとつかまえて殺せという小学校5年程度のおつむの人間も増えてきた。

国権は、三権(立法、司法、行政)とも戦前の自白中心主義、戦後も残った検察の権威主義、成果主義による誤判を防ごうと網の目の様な法や組織や手続きを確立しているのに一度にぶち壊す不勉強はよしてほしい。

たとえば分かりきっているなら、なぜ3回も裁判をするのかという疑問を抱く人はいないか。判決はもちろんのこと決定や命令に対しても日本国民は上訴できる。場合によっては再審の道もある。このまどろっこしい手続きと異常な細かさこそが他のいろんな三権の民主主義を支えている。

検察の取り調べ調書作成においてはビデオ記録などによる可視化により強要がなかったことを世間に明らかにするようになった。

これでは犯人が自白するはずがないと考える方は江戸時代に戻り大岡裁きでも受けるがいい。密室での取り調べは必ず拷問を生む。ひとは追いつめられたらなんでも白状する。なりすましてパソコンに侵入しハッキングを意図した真犯人に対し、被害者たる侵入されたパソコンの持ち主はありもしない犯行を自供したばかりじゃないか。

当たり前だが東電の売春婦の体は精子まみれだった。なぜマイナリ被告を犯人と特定するのかという至極もっともな弁護団の意見についぞ検察が耳を貸すことはなかった。「特定」なしに加罰できないのが日本の刑訴だ。たとえば売春婦の体内に残る5人の精子の中にマイナリさんの精子があったとしても「特定」はできない。

つまり、重加罰による犯罪防止を主張する勢力は自分や家族が殺られる恐怖におびえている。ばか。それで犯罪が減ったためしがあるか。それは別の思いつきでやってほしい。少年院を慰問したら。刑務所に花を送ったら。

刑法は犯罪防止のためにあるのでは断じてない。飯塚の久間三千年が刑死した。(飯塚事件)彼は無罪だった。一人が冤罪で死刑になろうとも100人の犯人を死刑にできたらそれでいいのか。

その社会をなんというか。ファシズムという。大逆事件はでっち上げで大勢が死刑になった。甘粕事件は裁判すらなく犯人は満州国のナンバー2になった。

このとき、今以上にそこらの人殺しは拷問により刑台の露と消えていった。なんせ自白したんだから。(自白は証拠の王様)

だからよかったわけか。だから日本は安全だったわけか。(飯塚事件については2月26日、3月12日のブログに書いています)

Posted at 2012/11/04

猫も杓子も大学に来るな。真紀子ちゃんよくやった!

2013年01月30日 | 受験・学校

大学は大勢受験して定員いっぱい来てくれれば、間違いなしに儲かる。そこで運送会社や自動車学校や宗教団体が色気を出して大学経営に乗り出してきたのが、三流四流大学のスタートだ。

およそSCIENCEとは無関係な人がやるものだから不祥事もすさまじい。しかし、象牙の塔はあまりにも頑丈でその実態が外に漏れることはまれである。いきおい、内部でごまかす、もみ消す、お茶を濁す、脅す、札束を口にねじ込んで黙らせる、のが日常となる。

三流大学で批判的なスタンスをとろうものなら、まずはガタイのいい先生あるいは先生まがいが脅してくる。それでもダメとなるとそこらのチンピラがわけも分からず学校帰りに因縁をつける。職員はそれでビビりあがってしまい経営者としては一罰百戒のつもりだろう。

そうして言いなり小僧を集めた大学管理職なる者は、職員を徹底管理して、研究室をとりあげ、ゼミに干渉し、高校みたいに全職員を集めた職員室を作り常時監視の体制をつくって安心する。論叢や外部に出した論文まで、ご丁寧にない頭で調べ上げ因縁をつける。

脅し文句はいつもこうだ。「来年は席がないかもしれませんよ。」

学生たちは僕をとどめようと頑張ってくれるがそれも有難迷惑だ。僕は糞大学に食わせてもらっているんじゃない。僕は道端の草を食えば生きていける。あたかも生殺与奪の権を握っているような態度をとるな。お前たちの様な貧乏人の尺度で僕を図るな。と、強がりを言って数人が辞めたがまさに蟷螂の斧だった。

それから僕は韓国の大学からお誘いが来てサカリのついた犬のようにしっぽを振ってそこに行った。韓国は日本以上に大学が多いので学生の質の低下は目を覆うものがあった。全国6位の私大ということだったが正しく韓国語が書ける子が少なかった。

ただ管理職を気にすることはなかったので、ゼミでは一定の成果をあげた。学問の自由独立とは権力からの独立なくしてはなく、権力はただカネを出すことを考えていればいい、ということを管理職はよく理解していた。「権力はただカネを出すことだけ考える。」都合のいい話のようだが学問をしたことのある人は分かるはずだ。研究には気絶するほどのカネがかかる。

それをいいことに金を流用着服する奴が出て来はしないか。もっともな心配だ。韓国の、あるいは日本でも3,4流の大学の研究者ならさもありなん。しかし、現実にはほとんどない。なぜか。興味関心がカネにないのだ。日常生活でも真面目に研究している人ほどカネに無頓着だ。

目を皿のようにしてカネとおまけに地位を求める似非経営者は、さらなる大学増設を求めていた。必要性もなく、研究する気もなく、あってもその設備もなく、学生の学費を山分けする算段しかできない悪の巣窟をこれ以上増やしてはならぬ。

秋田公立美術大、札幌保健医療大、岡崎女子大。大学という名をつけて公金を食いまくってはならない。たった人口30万の秋田市は10校も大学のある市になりたかったようだ。気違いも限度を持て。下品な野望のために市民の税金を使うな。札幌保健医療大。専門学校のままでよい。門外漢が遊びに来るところではない。岡崎女子大。もともと勉強しに行ってる学生がいたか。ならば短大で十分だ。

至極妥当な不認可だ。

経営者は職員を絞りあげ経営資金をねん出してはならない。ゴマを絞ってもそういつまでもゴマ油は出ない。

ぎゃくだ。研究者に自由を与えよ。SCIENCEのしもべとして働くのであり、臭い宗教あがりの偉そうぶったニセ経営者に忠誠を誓ったわけではない。

それができない経営者はやめなさい。認可取り消しの判断を唐突だとか批判があるようだがそれは些末な理由であり本質ではない。ましてやこれを民主党への攻撃材料にしようとする蛆虫は僕のブログに発言するな。

Posted at 2012/11/03

John Dower 'Embracing Defeat'(「敗北を抱きしめて」)

2013年01月27日 | 東洋歴史

あの碩学(せきがく)も、日中、日韓の高まる緊張に胸を痛めていた。東アジアの領土問題はなぜ、戦後70年近くも解決しないのか。日本の戦争責任はなぜ、こうも繰り返し問題となるのか。
2012年10月30日朝日新聞

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「歴史」という事実は「記憶」という曖昧でねつ造可能なモノによって、押し潰されて行くのではないか。ダワーは危惧していた。

他にも優れた日本文化研究家がいた。ライシャワー、ベネディクト、ドナルドキーン、・・・その中でも彼は、特に吉田以降の政治体制に注目し、サンフランシスコ以降のアメリカによってやさしく抱きしめられた日本として、今日の政治体制まで分析している。

朝日新聞が「オピニオン」欄で彼を特集していた。

アメリカに抱きしめられてなんかいないぞ、と強がりを言いたい青二才ネトウヨがいるだろう。根拠のないことをほざくのはただの痙攣だ。

サンフランシスコの時にすでに領土問題はあったのだ。しかしアメリカは周囲の戦勝国と名乗る諸外国から、やさしく日本を抱き締めて味方に引きずり込み領土問題をなあなあにした。これ幸いに自民党はアメリカの庇護を得てさっと旗を持ち変えた。

彼の著作の中にはパターン化した日本軍による残虐行為、従軍慰安婦問題など僕にはどうも納得できないこともある。だからと言って南京大虐殺と聞いた途端、痙攣をおこして彼の思想を全否定してはならぬ。

とにかく、日本の領土問題は冷戦構造が始まると、少しでも地歩を広げようとするアメリカお預かりの問題になった。それが今、絶妙の均衡を保っていた係争地のバランスは壊されたのだ。東西の対立はない。もうアメリカは日本を抱き締める必要はない。

彼は、日本が米軍の前方展開の拠点であり続けることの危険性を指摘した。その展開を常に正義と言い切れるのかと問う。言いなり小僧日本はどこまでもアメリカの戦争についていくことになる。サンフランシスコで縛られてその代わり繁栄を盗ったのが日本だった。

さあ、その繁栄とやら、いつまで盗れるかな。

彼は言う。「歴史は過去の研究のように見えるが、常に現在の人間が利用し、多くの場合は誤用する。」

朝鮮戦争でもベトナム戦争でも結局は勝者の歴史になっていく。ひどい歴史のねじ曲げだ。

Posted at 2012/10/31

酒酔い運転をして時速100キロ出しておばさんを殺そう

2013年01月27日 | クルマ

宮崎県延岡市で昨年2月、飲酒運転で死亡事故を起こしたとして、危険運転致死罪に問われた当時大学生の無職田中輔被告(23)の裁判員裁判で宮崎地裁は29日、懲役8年(求刑懲役12年)の判決を言い渡した。判決理由で中田幹人裁判長は「制御困難な高速度で運転したとは言えないが、飲酒の影響で正常な運転が困難な状態で走行し、被害者を死亡させた」と述べた。
                                 KYODONEWS 10月 29日

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8年の刑だが、通常未決拘留の期間は刑期に算入される。昨年2月に現行犯逮捕されているはずだから残るはあと6年だ。初犯だろうから仮釈放も期待できる。とすると、まああと5年と見ておけばよい。

弁護団は単純な自動車運転過失致死罪の適用を主張していた。これは必ずしも被告人の利益にはならない。救護義務違反や、下手をすると未必の故意による傷害致死罪の適用が併合罪としてありうる。それらが併合されると8年ではすまない。そう考えると危険運転致死罪が適用されても8年は弁護団としては上出来だ。

危険運転致死罪が酒酔い運転防止の決定打になるような風潮がある。それは間違いだ。致傷の場合15年以下の懲役、致死の場合1年以上の有期懲役なので、致死の場合も事実上15年止まりだ。

あくまでも未必の故意による犯罪であるとの理解から、他の交通事故との罪の軽重における平衡性を保たねばならぬので、危険運転致死傷罪は、もうこれ以上の厳罰化に無理がある。たとえば、これ以上罪を重たくすると事故をおこした後ひき逃げをして現場を立ち去り酔いを醒ました方が罪が軽くなってしまう。

未必の故意とは過失の言い換えにすぎない。だからといって故意だとすれば殺人罪が適用されねばならない。そこで道路交通法上の故意犯ということにして他の犯罪とのバランスを保とうとしている。

しかし一般の過失傷害や過失致死あるいは傷害、殺人の加罰性と比べると、まだ明らかに刑が軽い。厳罰化に躊躇している。ところが話はそう単純ではない。

危険運転致死罪の厳罰化は他の刑罰との整合性にも矛盾をきたす。たとえば酔っぱらって包丁を持ち出して隣人をさし殺した殺人より、酔っぱらい運転をして人を轢き殺したのを重い罪にすることはできない。

つまり、そんな小手先の道交法の法改正では問題は解決しないところまで来ている。

どこからどう考えても現行法上は極めて妥当な判決だ。みんなの心の底にはこんな考えがありはしないか。5000人も死んでいる社会だ。まあそんなこともあるさ。0にするのは不可能だ。ただ自分じゃなくてよかったよかった、と。

僕はその異常性に覚醒すべきだと思う。コンクリート詰めにして5,6人殺せば日本中が大騒ぎだ。いっぽう、クルマによって殺される5000人の一人として、九州保健福祉大学の学生が一人の主婦を殺した。

日本の人殺しがときとして死刑、ときとして5年というのは条理に反する。殺人の構成要件としては、実行行為(速度超過、酒酔い)、結果の発生(人の死亡)、因果関係(行為と結果の間の因果関係)が必要だ。

殺人罪の適用になにが不足しているとほざくのか。なにを酌量して犯人を5年そこそこでシャバに出すか。母を奪われた家庭は悲しみを墓場まで持っていくぞ。犯人は30歳、40歳となるにつれ記憶は遠のいていく。被害者遺族の悲しみは膨らんで行く。自分がお母さんの年齢に近づいていくからだ。

Posted at 2012/10/30

POSCO、浦項製鉄所(ポハン、ほこう、??)。矜持を忘れた売国日本人。

2013年01月27日 | 韓国

朴正煕について書いたとき、POSCO建設のいきさつについては書いたので省略する。弱気な大平正芳をなだめすかし威圧し、ついに金鐘泌は韓国内に地下鉄と高速道路と製鉄所を日本から引き出す。

その浦項製鉄所がのちのPOSCOである。評価すべき点もある。浦項工科大学を併設し学生は全て無料で通わせた。いきおい難易度は上がりソウル大、KAIST、延世大と並んでいる。

余談だが、「少女時代」のメンバーになる予定だったチャンハジンさんが通うのはKAISTである。下着を着てカメラにつくり笑いしかできないAKBのメンバーが東大に通るようなもんだ。

そのPOSCOと浦項工科大学に行ったことがある。

全ての朝鮮人がああだこうだと屁理屈をたれるわけではない。学習モードに入ったときの彼らの目の鋭さは日本人の比ではない。せっかく授業するんだから鉄の結晶を例に引いて授業した。僕もよく分からないところがあったのでスムーズな授業ではなく、ぶざまさをさらしてしまった。

ところがこんなとき、日本の不潔な四流大学の学生は鬼の首を盗ったように喜ぶ。「ああ、先生が問題解けないんだああ。」 韓国ではこんな不愉快は一度もなかった。悪戦苦闘して問題を解こうとしている人間に対しては『控える』という学問のマナーを身につけていた。

気に入らない学生にはよく出ていけと言ったが逆らった奴は一人もいない。自分の態度を反省して出ていく。日本の能天気学生さんも叱られるとすぐ出ていくが僕を殴ろうとしたりして出ていく。大学自体からでていってどこかの闇に消える。僕は事務室からしかられる。という不毛が待っている。

その浦項工科大学に比してPOSCOの研究所はお粗末だ。研究なんてやる気がない。小学校の理科室程度の設備にパラパラと人がいる。不良品返品は本当に山のように積んである。

どうしてこれで、方向性電磁鋼板、無方向性電磁鋼板を作れるとかウソをほざくのか。

「貧乏人はパンのためには何でもする。」けだし名言だ。たかが数千万円の餌に食いつく日本のダボハゼはそのダボハゼ用につくられたユートピアに住んだ。浦項の町の郊外に夢のマンション群がある。日本のマンションはスズメバチの巣のようだ。重なってひしめいてお隣の音にいら立ち爪に火をともして生きる。

ここは遠く木立の間から隣のマンションが少し見える。大体2階建てでスズメバチの巣のような生活はない。コンサートホールや気のきいたスーパーがあり浦項の町とは隔絶している。

僕はわずかの期間だったが不思議の国にいるアリスの気持ちだった。POSCOへは専用引き込み線がある。夜、街に繰り出すと最高の美女にモテまくりだった。昼の街は知らない。行ったことがないから。

ただ一つダボハゼ売国奴とは異なる点がある。僕は自分で獲得したことを教育という形で販売した。当然に対価をもらう。新日鉄の売国奴は、従業員大勢で血のにじむ思いをして開発した電磁鋼板の製造技法を盗んで販売した。

電磁鋼板の技術は一朝一夕にはできない。POSCOにひそかに技術を売り渡した反逆者。お前は同僚の時間も奪ったのだ。

お前が数千万円もらって喜んでいる間に会社は1000億円の損失を被り株主、ひいては日本国民も朝鮮ごときに利益を吸い取られてしまった。

Posted at 2012/10/29

Faraday's law of induction

2013年01月27日 | 技術

高校の時の、あの忌まわしい物理の時間の再来はもうたくさんですね。最小限にとどめますから読みながら思い出してみてください。クルマに関係ないって?じゃあどうやって車のモーターの制御をするつもり?

新日鉄は渋い会社だ。いくら株を持っていてもカレンダーしかくれない。住金と合併しても株主優待のケチくささは同じだ。

ところでファラデーの電磁誘導の法則。磁石の強さは目に見えないから、かりに見えたとして線で描けると考えた。これを磁束線と言って、この数の変化によりコイルに誘導起電力(電気が流れようとする)が発生するという法則。

日本は江戸時代、寛政の改革のころ。近世、江戸時代まで、日本の科学は数学を除いてほとんど発達しなかった。やっぱりヨーロッパはすごい。Scienceという概念も知らず、電気の曲芸や数のお遊びに終始した東洋の小島と欧州の格差は認めざるを得ない。

ファラデーの電磁誘導の法則を利用して電圧の変圧を試みる必要性が出てきた。産業革命だ。何事も原理原則に近い機械ほど製造は困難だ。まわる、走る、止まる。こんな簡単なことはない。だが、だからこそ、その改良、効率化は死にもの狂いの努力の結晶となる。電圧の変圧をする機械をトランスという。100年前からその姿は変わっていないように見える。違う。最近のクルマのように意味もないところを変更して低脳に売りつける必要がないからだ。

このトランスのコアという部分にケイ素鋼板を使用することにより鉄損(変圧に際し熱エネルギーとして損失となる分)を大きく減らすことができることが分かった。僕はこのコアの一種、EIコアをバラしてよくラジオを作った。色の違うコアが5枚に一枚ぐらいありこれがケイ素鋼板だと習った記憶がある。今はケイ素を使わないので単に電磁鋼板という。

これが簡単にはいかないのだ。鋼塊を熱延冷延焼鈍にかけ微妙に繰り返し表面処理をする。気絶するほどのカット&トライだ。

ケチな新日鉄もこれにはカネを惜しまなかった。研究所は鉄に関しては最高だ。ということは世界最高なのだ。

日本は、POSCOという製鉄所を韓国に寄付した。日韓基本条約だ。当時の八幡製鉄(新日鉄住金)は全力でそれを支援した。

今回、POSCOは新日鉄から技術者を盗み出し、飲ませ食わせ抱かせして方向性電磁鋼板の技術を泥棒した。

親の財布からカネを盗む朝鮮人は、その泥棒行為を恥も外聞もなく正しいと言い張り今も繰り返している。

Posted at 2012/10/26

くまモンを水素・燃料電池自動車に詰め込んで

2013年01月27日 | 技術

「九州燃料電池自動車セミナー」にお招きいただき喜んで熊本グランメッセまで出かけた。

平日だったので多くないと思ったが、会場にはざっと200人ぐらいいた。本物の技術者と話すのは実に楽しい。彼らは自分の専門以外の知識理解が深く、かりに知らないことでも柔軟に吸収する能力にたけている。

ということは、今度は自分が相手に説明するときでも相手に合わせるということを知っている。

聞き手の興味関心学力能力知識を十分勘案しユーモアを忘れず話してくれる。それは、一定の事柄を説明するための、たとえの引き方によくあらわれる。相手の反応を窺いつつ話のレベルをいくらでも高くしまたいくらでも低俗にする。

経済産業省の出先の九州経済産業局とか本省の新エネルギー対策課から人が来ていたが案の定バカだった。僕もずっといたらこんなバカになったんだなあと思った。民主党は国の出先機関をなくすと言ったがだましたな。

何十か所もバカなところがあったが言いきれないので、一つだけ。

「水素社会が到来するととても便利なことがあります。既存のガソリンスタンドがそのまま貯蔵タンクとして利用できるのです。」

アホはこんなことを言ってまわって高い給料と出張旅費をとっている。900気圧の水素圧にペラペラのガソリンタンクが耐えるかどうか分からんのか。水素は気体だ。違うというならそこらの中学生に聞け。水素を詰めたガソリンスタンドでたばこを吸ってもらおうか。

Hondaの上席研究員の話はとても有意義に聞けた。木っ端役人が、今後はすべて水素で動く社会が来るとぶち上げたが、それはまだ早計だ。研究者の発言は冷静で保守的だった。そして内容は革命的だ。

僕が一番感心したのはV Flow FC Stackだ。電気を取り出す心臓だ。今日や明日のことさえ分かればいい人には退屈な話だろうが、そうして退屈するから未来に盲目になる。

水素と空気(酸素)を互いにジグザグに流し、それらと直交する方向に冷媒を通し冷却を図るシステムだ。なにもここで初めて披露された技術ではないが開発の苦労話が聞けて楽しかった。エネルギー変換は熱との戦いだ。水素を曲げて通してあえて空気の経路との間に隙間を作りそこに冷媒を流す。20%ぐらい能率が上がったようだ。

低級役人は日本の恥だが企業人は日本の誇りだ。

くまモンが来てデモカーに乗せようということになった。Hondaのクルマは小さい。くまモンは無理やり押し込められると手をバタバタしていた。パフォーマンスかあがいているのか分からない。僕は虐待と思った。

Posted at 2012/10/25

イタリアの焚書坑儒

2013年01月27日 | 学問

イタリア中部ラクイラで2009年に起きた地震で、予知に失敗して過失致死罪に問われた学者ら7人について、ラクイラ地裁は2012年10月22日、禁錮6年の実刑判決をそれぞれに言い渡した。
                J=CAST 2012/10/23

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焚書坑儒はこのイタリアに限らず、昔の話ではない。中国における批林批孔の運動は文化大革命とともに狂気の絶頂を迎えた。

日本でもそうだ。社会党の低脳を批判すると職場では村八分にあった。解放同盟の横暴を批判すると身の危険を感じた。

「なぜ民はただで運転免許が取れるのか。」と、至極まっとうな疑問を呈したところ、友人たちは心から僕を心配してそんな発言はするなと言った。殺られるぞ、と。

その反動で低流大学は低能右翼の巣となった。

70年代は冷戦のあおりを受け両翼が無駄に対立した時代だった。それは研究に政治や暴力が介入したからである。そうすると必ず出てくるのが曲学阿世の徒である。福岡大学に勤めていた国会議員の大田誠一は「ソ連は日本を核攻撃する」という本を絶賛した。だがその後一カ月してソ連は消滅した。

権力に迎合すると甘い水が飲めるのは当然だ。

ただ、肝心なことを忘れてはいけない。世に阿るいかなる論文も単なる紙の無駄であるということ。中央官庁にはそういうゴマすりから、認めて欲しい一心の論文まがいがごまんと届く。ほとんど読まない。バカが伝染するからだ。泣き落としにひっかかるほどキャリアはバカではない。

ところが地方となると上級職以外はとんでもない低能だ。たとえば、

福岡県教育委員会は小中はともかく高校の先生まで1年目3年目5年目10年目に長い研修を義務付けた。夏休みはつぶれ補習の障害となっている。それにつづく膨大な書類という紙の山を強制する。高校の先生はこの上授業評価というシステムでがんじがらめになっていく。

いい人材は逃げる。

こういう前近代的な愚行を末端県教委は面白がっている。だからこそ僕は小日本の狂宴に比して科学の王道をイタリアに見ていた。ルネサンスは偶然北イタリアにはじまったのではない。絶望的な田舎のフランスやドイツや、影もないイギリスに比べ彼らの錬金術は100年は先を走っていた。

王の庇護のもとでの研究は王の歓心を買おうとして科学をゆがめてしまうのではないか。いや違う、多くの王は小賢しいインチキ錬金術には興味を示さなかった。「金」を作った錬金術師はいない。できるはずもない。王はそのできないことを認めていたのだ。結論を急がない権力者のゆとりは金こそできなかったが多くの化学の発展をもたらした。化学は「金」を求めて必要な回り道をした。

そうしてその錬金術時代からの膨大な業績の蓄積が近代科学を生む。その近代科学が金属工業の経験工学として揺るがぬ蓄積となる。

デトマソはわずか50人でつくっている。フェラーリにトヨタが勝つ日が来るか。カネに任せて不恰好なクルマを作る日本勢をしり目にランチャは孤高をたもっている。日本は30年のっても楽しいクルマを作れるか。

全てできない。心ある、実力ある科学者はイタリアの錬金術時代から連綿と続く科学の蓄積におののいていた。

イタリア。焚書坑儒はやめろ。東洋の小島にも貴国の盲動を残念がる科学者は多い。

Posted at 2012/10/24

予備校さん、うちの問題作ってね。

2013年01月27日 | 受験・学校

という大学が増えた。どうせインチキ入学ばかりだから、どんな問題で選考しようとさして違いはあるまい。福岡大学などは合格者の60%しか入学しない。近隣の国立に合格したか、そもそも大学というものに入学前から愛想を尽かす者たちがいるためだ。

大学としては、法外な受験料をどぶに捨ててくれるわけだ。金は払うわ学校には来ないわ、まるで天使のような学生さんだ。

九州大学は合格者の97%が入学する。そして遊びも勉強も能率的にする。一応九州の最高峰の帝大だから女の子にもてる。ティッシュみたいに使い捨てにされても一縷の望みを託してアホ女子大生が群がる。

私大の入試問題は、予備校に問題作成を頼む以前は僕らが作成していた。大学は受験料を稼ぐために、受験機会の均等化などという屁理屈を盾に、5種類も6種類も入試問題作成を要求した。学部別学科別地方試験別となると種類はその積となる。

入試問題を予備校に頼んだ時には実際ホッとした。多くの同僚が疲労で倒れた。A3,10.5ポイントで5枚の問題を去年とダブらぬよう出題範囲に偏りのないよう考えていたら、普段やるべき授業どころではない。ところが本来は今は一番授業が充実する時だ。私大はカネもうけでやっているので授業なんてどうでもいいんだろう。

大学としては、学費さえきちんと納めてくれれば医学部に横流しできるのでその他は関心事ではない。

思い出すだけでもおぞましい。それをまたみんな狂ったように一言一句間違いのないようにヒステリーになって作る。どうせバカしか来ないのに。

自分はいい大学を出ておきながら、学歴なんて関係ないよ、とか平然と言う奴がいる。最高に失礼な言葉だ。じゃあお前は学歴を利用するなよ。

学歴は幸せのほとんどだ。昨日高校について書いたが大学も同様だ。でたらめな選抜により高いカネを払いでたらめな授業をうけでたらめな友人と共にでたらめな職に就く、でなければ一生アルバイトだ。これでも学歴が関係ないというのか。

しかし、針の穴のような範囲の中から昨年と異なる偏りのない入試問題を作るということは、殺されそうな苦痛だった。

今はほとんど入試問題は外注している。僕がここでなにを言おうとノホホーンとしている学生ばかりだもんな。

ライオンに兎の世話を頼んで、ライオンが兎を食ったら責任はライオンにあると主張して逃げるやり方は卑怯もののすることだ。

このように厚顔無恥の言い草を臆面もなく言い放ち、試験問題の外注は似非私大の逃げ口上にすらなった。

私学に人員を増やして充実した教育体制を整えよ。そしたら必ず応募者は増える。ゆとりあるスタッフが手分けして問題作成をすればいいだけの話だ。西南大学を見よ。

学生が怒らなければならない。

                               (写真は僕の彼女が通った梨花女子大です)

Posted at 2012/10/23

周波数割り当て問題なんかでノーベル賞をとるな。

2013年01月27日 | 学問

とは言っても自分さえよければいい人たちは大いに反論するだろう。テレビの映りがよくなったもん。チャンネルが増えたもん。

ノーベル賞がハリウッド芸人達のアカデミー賞程度の意味しかないならそれも結構だ。その程度のことに夢中な無能はきっと芝生の穴に球を入れるのにも熱心なはずだ。竹島や尖閣がどうなろうと到底思慮の及ぶところではない。

日本人はそんなにバカじゃなかったのになあ。

1970年ごろ、ノーベル経済学賞をとり一世を風靡した理論があった。大学の講義科目にも取り入れられて、ちょうどいまのマイケルサンデルのようだった。この理論をもとにして1995年まで多くの経済学者がノーベル賞を獲得した。

「囚人のジレンマ」「ケーキカット問題」、など多くの未解決の問題を残していた。

数学は上記の問題については得意としないがどうしてもとあれば解くのはさして難しくない。人格、生い立ち、性格、事情、一切を無視してロボットを二人立たせ彼らの行動を予測した。パンを食いに行くかジュースを飲みに行くか相手がパンを食うのを妨害するか。これは方程式の引数に代入するだけでよい。

こんな馬鹿げた話があるか。人間を舐めるな。僕は以前のブログで「人はパンのため何でもする。」と書いた。それは低脳で無学で利己的で、親や子すら眼中になくパチンコをする極悪人に言ったつもりだ。僕の尊敬するコルベ神父を調べてみろ。低能達には想像すらできんことだろう。

世の中は、数字に置き換えることのできるバカばかりじゃないんだ。そんなバカは愛する人とまさに腸がちぎれる思いで別れたことなんてないだろう。

まともな人間が数値化されてたまるか。

今回のノーベル賞もゲームの理論の焼き直しだ。「マーケット・デザイン」論は、伝統的な経済学では困難だった制度設計を可能とし、電波周波数帯を割り当てるオークションや公立学校の選択制度、臓器移植プログラムなど現実の経済問題に対して具体的な解決法を示すことに成功。

と言うがそれは数学という。どこが経済学だ。どうもなりふり構わず市場の失敗を立て直したいらしい。ソビエトや東欧が自壊するとき資本主義社会は何か錯覚をして何かに勝ったつもりになっていた。

相手が勝手にダウンしたのだが自分(資本主義)もダウン寸前の機能不全に陥っている。ならば、こんなび縫策で市場の失敗が糊塗されるとするのは大きな誤りだ。

周波数を割り当てて経済学とかいうな。

Posted at 2012/10/21

強姦しない軍隊は腰ぬけだ。文句あるなら在日米軍に反対してみろ。

2013年01月27日 | 国際・政治

沖縄県警沖縄署は16日、女性に乱暴してけがをさせたとして、米海軍の上等水兵クリストファー・ブローニング(23)、3等兵曹スカイラー・ドジャーウオーカー(23)の両容疑者を集団強姦致傷容疑で逮捕した。米軍の新型輸送機MV22オスプレイの配備問題で高まった反基地感情がさらに強まるのは必至だ。

 発表によると、両容疑者は16日午前3時35分~4時20分頃、沖縄本島中部で、歩いて帰宅していた日本人の成人女性に性的暴行を加え、首に軽いけがを負わせた疑い。    2012年10月17日 読売新聞

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相手を殺すには極限まで神経をといでおかねばならない。お互いのナイフのエッジ(刃先)の切れ味で命のやり取りをするのが戦場だ。

米軍は自国の軍隊がナマクラのおもちゃの兵隊にならぬよう世界各地で因縁をつけ戦をしかけている。どこにいる兵隊も明日はアフガンのタリバンの狙撃をうける可能性がある。

せいぜいPKOか瓦礫のかたづけをしてほめられる自衛隊とは違うのだ。二人の米兵は日米地位協定の隙間をつき強姦致傷強盗をはたらいた。米軍がグアムに送ってもみ消しを図る前に検挙した沖縄県警の殊勲である。

少なくとも一人の米兵は容疑を認めているので米軍の介入なしに捜査と送検と起訴、公判が行われてほしい。

だがしかし、夜中の3時半に一人歩きをする女性とはいったい何だ。住民は考えろ。沖縄なら兵隊の怖さを知れ。嘘八百の平和学習で学んだ「よい」米兵などどこにもいなかっただろう。じいちゃんばあちゃんに聞け。ヤンキーはどれほど面白半分に帝国軍人と住民を殺したか。

僕は異はとなえない。帝国軍人はヤンキーとケンカをしに行ったのだから、弱い方はなぶり殺しにされるのは戦場の常識だ。今回の米兵たちはその延長上にいる。彼らはアフガンの直前にいるのだ。僕だったら少々おしかりを受けようと、何でもありだという行動をとる。不良でも敵を殺す兵隊はよい兵隊で、まじめでも突撃できない奴は射殺される。近代戦とはそういうものだ。

初歩的な教育しか受けてない米兵たちはあっけにとられていることだろう。なぜアフガンの少女を姦っても見逃されるのに沖縄はダメなのか。前線に道徳がないことを、この米兵たちは理解するだろうか。

沖縄が騒いでいる。いつも沖縄が犠牲になると。甘ったれるんじゃない。じゃあなぜ米軍の進駐に反対しなかった。むしろ競って基地労働者になりたがっているぶざまさだ。その上自衛隊まで呼び入れた。それは沖縄の多数の意思だった。

ならば、こう考えることはできないか。基地周辺では性犯罪は必ず起こる。中国の防波堤になっているんだという能天気なカビの生えたたわごとが最近再び頭を持ち上げた。

ほう。防波堤になっているのなら10人や20人の強姦被害は仕方ないじゃないか。

Posted at 2012/10/18

あはれ私立校、社会矛盾の吹きだまり。

2013年01月27日 | 受験・学校

数日前、朝日の記事によると私立高校は36%が非正規教員だとあった。詰め込めるだけ詰め込んだ満員の映画館のような教室に高い校納金を払って生徒はひしめく。授業は安上がりの非常勤講師が受け持つ。

県立の退職した低脳校長を天下り校長として受け入れるとその学校は補助金で「イロ」をつけてもらった。なにも知らず払われる県民の税金は公立と私立の慣れ合いによって山分けされていたのだ。
独立採算の私立高校はない。県民がまく餌に群がる二匹の鯉にすぎない。

バカでも通る小学校中学校の教員採用試験と違い公立高校は数十倍から数百倍の競争率がある。コネ採用が皆無だとは言わない。しかし、がごり押しして教員としてインチキ採用させる以外、右翼が自民党の県議とグルになって無理やり低脳を押し込むぐらいでほぼ職員は健全だ。ああ、もう一つあった。校長の子供は必ず先生になる。例外なくバカだ。

それどころか入学試験の点数が足りないのに出身だから合格させろと横車を押してきたことがあった。それが通れば有名進学校がダメになる。さすがに無茶だと思ったのか社会党がおさえた。

しかし、足が速い、速く泳げる、ボール蹴りがお上手、なんて特技があると無試験だ。全国の私学は青森山田になっていく。

私学は非常勤講師をショックアブソーバーと考えている。生徒数の増減によっていつでも切って捨てられるマルクスの言う労働力プールだ。

自校の宣伝はなかなかお上手だが、なにせ放課後となると蜂の巣をつついたようの流れだすアホづら。その間抜け面がすべてを物語る。

職員の待遇も雲泥の差だ。悲しいのは貧しければ貧しいほど私学へ通っている現実があることだ。所得の高い県は話が別だ。

県立修猷館の生徒たちの凛とした顔立ちを見よ。将校だ。

悲しい右翼は青筋立てて日教組だ共産党だと悲鳴をあげるが、偏差値73がいかほどのものかご存じ?組合活動のゆとりはない。大学よりはるかに厳しい学問の競争にさらされている。

いいですか。中学の成績が3年間オール5ないしは一つ4がある程度じゃないとこの高校には合格しない。こいつらに向かって日々悪戦苦闘している先生を軽々に批判するでない。東大の教養部程度の数学は高2で解いてしまっているのがぞろぞろいる。

そういう500人のうちの5%しか東大には行けないのだ。

悲しい私立の兵隊たち。救いは天が二物を与えなかったことだ。冷凍室の中のような修猷に比して彼らはとにかく明るかった。

言いたいのはこうだ。実際に教壇に立たないと分からないことが多い。僕の教える受け持ちの授業時数は大学の時も高校の時も週に12時間だった。一日2時間。僕はこれに一番象徴されると思う。知らない人は天国じゃないかという。ところが、年齢別人口の優れた上位0.5%の生徒たちと真剣なやり取りをすることは命をすり減らす作業だった。

組合運動のために教員をしている本末転倒のバカも確かにいる。それは今や日教組の牙城という福岡県ですら10分の2だ。日教組とは小中学校の先生たちの労働組合でわれら高校では高教組と言った。組合員はほとんどいない。僕らとは関係ない人たちだ。

公立の修猷にしろ私立の九大附設にしろ、予習に予習をかさね命がけで授業に取り組み修猷、附設から東大に毎年30人輩出している苦労をもっと認めてほしい。

Posted at 2012/10/16

一兆円ください

2013年01月27日 | 東洋歴史

孫文は梅屋庄吉に頼み込んだ。

梅屋は、頭山満、犬養毅、山田純三郎、宮崎滔天らアジア主義者と交友が深い。このアジア主義も最初は共同あるいは合邦を中心に据えた比較的穏やかなものだった。しかし、隣国との戦争を経て拡大主義により各地に日の丸を立てていくことにすりかわり、詰まるところ大東亜共栄圏の思想となり即座に瓦解する。

そのアジア主義が、いまだ周辺諸国への蔑視や優越感に支えられていないころ、太陽の帝国はきわめて懐の深い国家であることを喧伝した。

孫文はやがて敵になる。妻、宗慶齢は絶世の美人だ。中華人民共和国の副主席になる。首席はもちろん毛沢東。

敵の敵は味方か。清朝打倒の試みは何度も行われ、裏切り、罠、暗殺が続き孫文は日本に亡命する。

その亡命を受け入れたのを指して懐の深さと思うのだ。大アジア主義は必ず各地の民族主義と衝突する。たとえば孫文を助ければ中国の代表になる可能性が強かった。実際そうなった。彼は急死するがその地位をかすめ取った蒋介石は太陽の帝国と戦うことになる。孫文は中国共産党におよばずソビエトにも資金や軍の訓練を頼んでいる。孫文にとっては助けになるものは何でもよかっただけだ。

帝国は夢中になって敵の頭目を育てた。

孫文にとっては、日本は都合のよい庇護者の一人にすぎない。帝国は火中の栗を庇護してしまう。

次第に先鋭化する大アジア主義は極右勢力として認知されて行く。跳ね上りがいつ孫文の身を狙うかもしれない。

このとき梅屋と協力して彼の身をかばうのは、なんと最右翼の玄洋社の頭山満だった。彼はよく分からない男で、韓国の金玉均、中国の蒋介石、インドのラス・ビハリ・ボース、ベトナムのファン・ボイ・チャウなどを助けている。

頭山の仲間に進藤喜平太がいる。進藤の息子は戦後、福岡市長をした。ゴロツキを雇って住民を脅すやり方をして当選した。

宮崎 滔天(みやざき とうてん)も頭山と親交が深い。その宮崎も頭山のカリスマに酔った一人だ。熊本県荒尾市(当時荒尾村)の自宅に孫文をかくまったことがある。

孫文は『博愛行仁』という書を残している。孫文は宮崎と筆談で長いこと話しあったという。二人は東京に行き中国同盟会を結成する。

梅屋庄吉はカネを出し、玄洋社、宮崎 滔天は身をかくまってやった。孫文は帰国し中国の初代大統領になる。

外資法違反だなんだとめんどくさいこと言わぬのがいい。

梅屋庄吉と孫文の最後の会話だ。庄吉は言った、「お前いくら欲しいのか、ほう、一兆円。そら持って行け。」(現在の貨幣価値です)

                                       写真は私と宮崎 滔天の自宅です

Posted at 2012/10/15