か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

自分で考えてないな 安倍

2015年03月31日 | 国際・政治

昨日、目達原(めたばる)基地で「桜祭り」があった。戦時中特攻隊員が出撃前にピアノを弾いてから死にたいと、近所の田代小学校に出かけたところだ。

国民学校(小学校)の少国民(児童)は、特攻隊員にむかって言った。「僕も操縦士になって特攻隊員になります。」

隊員は哀しい笑顔で諭した。「戦争の時代はもうすぐ終わる。今はしっかり学校の勉強をしなさい。」

凄まじい競争を勝ち抜いて飛行兵になった隊員たちは、その優れた判断力で冷静に情勢を見ていた。僕らは、浮かれてのぼせ上がり、判断力を失い、酒に酔ったように「聖戦完遂を叫び散らす戦争屋」に引きずられてはならない。

目達原補給基地はお粗末にも最高の教材になることを無視している。その代わり展示しているのは爆弾三勇士の像だ。このウソで固めた爆弾三勇士の像は、戦時中真っ先に金属供出で取り除かれ、代わりに石膏で像ができたものである。

このこと自体、いかにまにあわせの展望のない戦争をしたかがよく現れている。ウソ勇士の銅像の金属すら不足しているのに軍はまだ戦争に勝つ気でいた。

韓国軍の視察に行ったことがある。防衛大にも韓国軍からの留学生がいるのでご存知の方も多いだろう。勉強のできなかったネトウヨは韓国を敵視しバカにすることで何か自分のバカが改善されると思っているのか。

相互に留学しているので一流同士はほとんど差がない。差があるとすれば国内の有能と低脳の差だ。

その韓国軍。僕は日本人と並ぶと見劣りはしないが、韓国のとくに海兵は頭も体も数段上だ。

しかし、災害派遣しか役に立たない目達原の兵隊さんは好きだ。カネをもらって免許を取って、体を鍛え、退屈に耐え、除隊後の再就職は熱心にやってもらう。

何が悪い。なあ、安倍。軍と聞いただけでヒステリーを起こすのが案の定いたが、それはひとまず。基地の中身はジムに通いつつ職業訓練をするところだ。

ホルムズ海峡にこだわる安倍。本物の軍を持つ米英仏も機雷掃海はできないでいるぞ。掃海能力の問題ではない。朝鮮戦争の時代のつもりで木造船がホルムズに行ってみろ。15分でイランの駆逐艦にやられる。アメリカですらできないイランの領海侵犯をやろうと言うわけだ。

いやいや、戦闘行為が完全に停止してからです。とかなんとか誰に言わされているんだ。頼まれもしないのにきっと喜ばれるだろうと思い込み余計なことをして迷惑をかけるアメリカのポチ。戦闘が終わってても他国の領海に入れば安倍の「わが軍」はひとたまりもない。

ちょっと前は在外邦人をアメリカの輸送船で避難させるとき、海上自衛隊が護衛するといった。あふぉ。いくらアメリカでも戦闘中にそんなゆとりはない。ケリーは不快感を示した。了解も得ずにたとえ話を作るな。

僕は在職中は避難順位がまあまあのほうだった。しかし飛行機に乗るメンバーには入っていない。また、戦闘地域にJALが飛来するか。

 

 

 

 


誠実な側面 政治家 安倍 麻生

2015年03月27日 | 国際・政治

テレビで、オウムの浅原が悟りにいたるまでの苦しい過程を吐露する場面があった。彼はどうでもいいことに引っかかっていたそうだ。男とはめんどくさい生き物である。

目が見えないで東大に入った子はいくらでもいる。そうすると、「お前偉そうなこと言う前に、東大通ってみろよ。」と言われることは彼にとって恐怖だった。東大も合格できんで宗教の頂点にはたてんだろう。

この言葉は彼を苦しめ、長く暗いトンネルの中にいるような思いをしていた。本当は東大は簡単だ。本人以外の条件、すなはち環境によるところが大きく、受験生は訓練をつめば誰でも合格できる。5000人/60万人。これは秀才とは言わない。

それすら入れなかった浅原は、かえって少し上のステージに立てることになった。人の話をよく聞き、決して知識をひけらかさない、相手の発言をじっと待つ浅原になった。(途中のいきさつは略します)

弱みをさらすことはなかなかできることではない。「いやあ、僕は頭が悪くて」、と言う人は多いが、そうではないと思っているから言える言葉である。そのとおりバカだ、と言うと一生うらまれる。

そこで学歴だの出身だの家柄だの財産だのを隠して生きる。

この最たるものが政治家だ。政治家はスーパーマンであろうとする。経歴や家柄や顔や家族、家庭や学歴に一点の曇りもあってはならない。頂点に立つとはこう言うことじゃないか。スペアはいくらでもいる。

ところが安倍はフランクだ。安倍の家系なら、どの大学にもいけたはずでありその学歴は将来の武器になるものだ。東大と聞いただけでひれ伏すアホが多い中、安倍は堂々と自分の3流大学を隠そうとしない。

そんなこと問題にしない、という心の収まりがついているのだ。浅原のように。

もうひとつ。酒蔵を見学したとき安倍はお土産に新酒をもらった。「僕はあまりお酒が飲めませんが、妻が好きですからお土産にしましょう。」これもなかなか言えない。まだまだ田舎日本では、酒の飲み方を知らずに政治家になろうというのかという不思議な屁理屈で、よく飲んだら良い政治家だという迷信が日本に蔓延している。

僕が役所にいたとき5時を1秒でも過ぎたら宴会が始まった。ばかな国民は、窓の明かりを見て遅くまで大変だなと思ってみている。そのまま銀座に繰り出した。僕の給料で飲めるはずないじゃないか。 

そんな土俗社会日本で、政治家自身が酒は好きではないと宣言するのは著しく不利だ。が、安倍は超越している。浅原でいうところの解脱をしている。

  (糸島 二見が浦)

麻生さんの近い親戚が糸島半島にある学校に通ったとき、僕は彼(甥)に倫理学を教えた。配慮、ひかえる、返答を待つ、相手の感情を優先し自分の意見を後にする、相手に気分を害しない反論をする。・・・これらのことを最初っから体得していた。なぜ家柄が重要か。環境だからだ。

先日、新興住宅地を見た。大きな車庫だなあと思って見たら一戸建ての家だった。ここでは品位は育たない。

先日お会いしたとき、なんと彼は古いフェンダーミラーのセルシオに乗ってきた。SPたちのクルマがよっぽど立派だ。僕の車のさらに10年前のクルマだ。僕は恥ずかしかった。

同じ銃砲店で弾を買いクレーをしたがもちろん彼は僕を知るはずない。麻生ゴルフ場でプレーをした。読者の皆さん。お家にゴルフバックはあってもゴルフ場がありますか。

中央とのパイプを強調する田舎議員、カビの生えた理屈がまかり通る九州。パイプとは地方創生を否定する言葉だぞ。クズ議員。財源も示さず保育園、福祉施設を叫ぶ共産党と同じだ。

時々間違いはあったがそれは誰にでもある。壇上に上がって何千という顔がこちらを向くと誰でも緊張する。だが麻生はやさしく話しかけた。大衆のアホさ加減を知った説得力のある演説だった。

そこのおばちゃん。株があがったって私にゃ関係ないと思ってるでしょ。ところが年金の掛け金は株に投資しているから年金の原資が増え、年金が確かなものになったんですよ。

 

 

 

 

 

 


強制わいせつ致死罪が5年か

2015年03月23日 | 裁判

 

あなたの娘が強姦され殺され死体が川に浮かぶ。元気に家をでたかと思うと数時間後には川面に犬の死体のように浮いている。

池上彰は、凶悪犯は減っているし少年犯罪の凶悪化の証拠はないといった。ホームラン級の馬鹿とはこのことだ。

減っているということと、あっていいということは異なる。「ある」ということと「あっていい」ことを区別できないのはジャーナリストではない。こう言うと、僕の意見に怯えて返す言葉を持たなかった。

池上のような「解釈」はもうたくさんだ。強姦被害者が一人だろうが1万人だろうが関係ない。ポイントは、14歳で人生を消され川に浮いていることだ。

検事は通常こう言う耳目を集めない事件は、若手が担当する。練習の場だ。5年も経てば検事をやめ、依頼の多い検事経験の弁護士先生として稼ぎまくる。裁判官は世間を知らない。セキュリティ上夜中にドライブすることはない。

つまり、彼ら裁判官は暴走族を知らないのだ。単純な知的障害スレスレのマヌケたちがいかに凶悪であるか知らないので、担当する事件のみが突発的に起こったと判決を書く日まで信じている。

今回の判決で特徴的なのは「共感性の欠如」がキーワードとして論理が展開されていることだ。

共感性がないので被害者の悔しさ、無念さ、自己の残虐性に気がつかなかったそうだ。あふぉ。ホームラン級のあふぉ。ムショに5年いれば共感性が身についてよい子になると判断したのは誰だ。裁判所。お前だろ。

被害者の人権はどうなるんだ。死んだら人権も消えるのか。

確かに裁判所は今日の社会構造を守るところであり、被害者を救ったり加害者を懲らしめたりするところではない。だが、それではあまりにも「やったもん勝ち」の世の中を作る。いや、もうすでにそうなってしまっている。

政治家なら選挙がある。裁判官は可視化すら拒絶し身分保障の中からでてこない。だからこんな的外れな判決を出すのだ。

引用はじめ

三重県朝日町の空き地で2013年、中学3年の女子生徒=当時(15)=の遺体が見つかった事件で、強制わいせつ致死罪などに問われた少年(19)の裁判員裁判の判決が24日、津地裁であった。増田啓祐裁判長は「犯行は悪質で強い非難を免れない」と述べ、懲役5年以上9年以下の不定期刑(求刑懲役5~10年)を言い渡した。                                                    

時事通信 3月24日(火)

引用ここまで

「犯行は悪質で強い非難を免れない」ならなんで強姦人殺しを5年にした。

 もう僕は部屋から出たくない。

 

 

 

 

 

 

 

 


ラーメン屋では人を踏み殺してよい

2015年03月21日 | 事件事故

 

 昨年9月に、都内のラーメン店で座席を巡ってトラブルになった男性客(当時49歳)の腹部を踏みつけるなどして死亡させたとして傷害致死罪に問われた東京都足立区の元会社員・今西伸一郎被告(38)の裁判員裁判公判が19日行われ、東京地裁(園原敏彦裁判長)は、懲役7年を言い渡した。    

                                           スポーツ報知 2015.3.19 引用ここまで

 

 僕は、この判決には重大な疑義をはさむ余地があると思っている。

 ① 相手(被害者、新聞配達員)の襟首を後ろからつかみそのまま引き倒している。人は前には倒れにくいが後ろにはすぐ倒れる。ケンカの常道だ。人の手は前頭部を守るように出来ているが後頭部は手が回りにくく倒れながら頭を保護することは出来ない。

つまり、暴力行為の常習性が十分に疑われる。死刑になるほど余罪があるはずだ。ちゃんと調べろ。

 ② 両者がラーメンを食べようとした際、間の空席に被害者は荷物を置こうとする。イスをずらされたので犯人は激昂した。このとき被害者から犯人の足が見えたのか。判決には、被害者が気にもとめずイスをひっぱったように書いてある。

 判決にはないが、このことは被害者の正当性が犯人の正当性と相殺された点であり重要である。つまり、このデブが怒るのももっともな話だ、という心証が判事には潜んでないか。

 ③ 殺人罪の未成立について。殺人罪を構成する重要な要件は、殺意である。これは殺す側の内情に起因するものだから、推定が可能な場合であっても第一義的には被疑者側(検察)が殺意の存在を証明しなければならない。(挙証責任) 

検察が「殺意はなかった」と言い切れるほどの詳しい現場検証はなかった。警察調書を踏襲している。殺人事件は200にひとつだ。裁判所は多忙だろうが人が殺されたなら現場に足を運べ。書類審査だけで人殺しを野放しにしてはならない。

 ④ 今回、動かない瀕死の被害者を横に、ラーメンを食べきっている。裁判所はこのことをさし、「眉をひそめること」程度で済まし量刑を左右するほどのことではないとした。これこそ殺意を構成するポイントである。

 ⑤ 動かぬ被害者を執拗に踏みつけるのはただのケンカでさえしない。これが殺意でなくてなんだ。

以上の理由により、新聞配達員殺しは殺人罪が成立する典型例である。裁判所は傷害致死で裁いたが、今後は他の刑事裁判に関しても、殺人罪の成立を困難にしてしまった。根拠のない判例変更は法治国家の根幹を揺るがす。

「情状酌量の余地はない」というのなら、なぜ求刑からしてはるかに軽い判決を出したか。

 

懲役7年はデブが反省する期間としては短い。見ていろ、かならずお礼参りする。

 


やさしいふりはやめろ

2015年03月17日 | 思想

 

 

 Boxerが講演すると聞き、面白そうだったので行ってみた。

体力が衰えた者でも勝てる秘けつを聞けるのかと期待したが、内容は児童養護施設の子供たちのさみしい現実と、それを打ち消そうと無理をした子供の笑顔の話だった。

それと勝負に対する心構えの話。カンフル剤を打たれたというかエンジンで言えばフラッシングをしたように目が覚めた。機会があれば話す。とくに若造はケンカが強くなりたいと思うやつは多い。チャンピオンからケンカ必勝法を聞き出したいと思うやつは多いはずだ。

そんなものないということがよーく分かった。1に才能、2に努力。champ坂本は、悔しいがそれが現実だと吐き捨てるように言った。

勉強も同様で、努力では越えられない壁がある。ところが才能では軽々と越える壁もある。しかし、それは最先端の話だ。

たいていは努力なのだ。「勉強しなさい」と口うるさくいう親の子はほとんど低脳である。グダグダいわれては勉強しようとする気も失せる。

エビセンを食べながらソファーがつぶれるほどいきおいよく寝そべるカバゴンは、「あんた勉強すんだとね」のほかに言葉はない。

ちょっとほかのブログを見て絶望した。バカはみんカラだけかと思ったが、日本人の低脳加減は度を越している。

なんだ、ペットがどうした、ダーリンがどうした、部屋のお掃除しました、クルマを洗った、雨が降りました。これじゃあ韓国はおろか中国にも抜かれるはずだ。

どこに人間性があるか、どこに教養があるか、どこに品があるか。これは本人の勝手ではない。日本を貶(おとし)めるのみならずこの手のバカは人類を貶める。

 

講演を聞いているとき、手話通訳が横で目障りだった。というのはさらにその横のスクリーンには、講演内容は即座に表示されているのだ。2つもいらない。親切ぶって欺瞞的、偽善的ボランティアはいい加減にしないか。字幕つきのDVDを見ればいいじゃないか。99.9%の聴衆と講演者に我慢を強いてはならない。

点字誘導ブロックがわずかにずれていると言って、核爆発が起きたように大騒ぎをする自称良い人達がいる。盲人は自分の行動範囲は頭の中に立体的地図を作っている。わずかな点字ブロックのズレ等どうでも良い。

とにかく講演は話をする人が中心の世界だ。絶対みんな話しにくいはずだ。唖の人がほかに絶対聞く方法がないならともかく、目障りなことをボランティアと称しあたかも良い人のように振舞うその思い上がった救世主面(づら)がいやだ。

 

 

 

 

 

 

 


まがい物にあふれる平成

2015年03月15日 | 日用家庭用品修理

(クマノミ くるくる回るのは生殖行動だそうだ 僕はしない 近所の水族館で)

本論

 

1980年11月12日に電子レンジを買った。今まで、ベルトがキイキイいったのでシリコングリスを塗ったこと、室内灯の電球を交換したこと以外問題ない。

オーブン機能は温まるのに時間がかかるが、必要なことだ。土鍋だ石釜だと意味のないことを宣伝し、消費者をだまそうとメーカーはご焦心だが、つられるバカも悪い。

リサイクルショップには早くも新型が飽きられて並ぶ。中学の理科の時点で学習を放棄していたに違いない。

エレックさんありがとう。解説は100pages、All coloured。現在のメーカーは、売ったが最後、それ以上カネをかけたら損だという姿勢だ。分かるはずない不親切で手抜きで小さく薄い紙の取説。その分買う前のカタログはやたら親切。

このレンジで僕の子供たちは何十回Cakeにありついたことだろう。今はミルクをあっためるだけだが、後50年は働いてくれる。低脳たちは、35年前のレンジなんて省エネじゃないと言う。ほう。今のレンジは電源以外のところから熱が発生するわけだな。アッホ。

動く限りはとことん使え。それが最高の省エネだ。

チンがいい。その音が家中に響き渡る。貧乏を象徴する音を知っているか。電子音だ。ピーピープープー。これに貧しさを感じないのは本人が貧しいからだ。

35年前の電子レンジ、エレックさんには直径10センチのチンが入っている。お寺の木魚の横にある鈴(りん)の大きさだ。高く澄んだ音で5秒間は響く。

時計もそうだ。時報を告げるとき、気色(きしょく)の悪い粗雑なつくりの鳩まがいの鶏が電子音にあわせてかすれた声を出す家庭がある。貧乏人が買いたがる鳩時計と称するブロイラー時計。8時だ、と家族総出でゲームをやめてバラエティーを見る。脳がイカれないはずない。

僕の家は一ヶ月巻きの柱時計がある。実際は一度巻くと2ヶ月動く。これの時報がまたいい。50年間問題ない。

僕は人が指示する仕事というものが嫌いで積極的に働いたことはない。だがモノを使うときは全知全能を傾けて工夫しモノを大事に使う。それが最高にうれしい。

昭和。

塗装にしろ、歯車のひとつにしろ、ゆとりあるモーターにしろ、銭儲けのみを考えたあくどい素人だましの手抜き製品ではない。

 

 

 

 


どうやって子供を生めというのか

2015年03月11日 | 社会・経済

 

 

男女同権なんだから、同じ給与をもらうためには女も同じだけ働け、という意見がここ九州では根強い。

こんなアホな意見はすぐ論破される。じゃあそこの男、子供を生んでみろ。人間は女からしか生まれない。

一方で子供を生めと言いつつ、育休産休は取るな、男と同じように働け、と二律背反の要求をし、女だけにその矛盾を押しつける。

そうしときながら種付け馬は、5,6年もすると若い牝馬のもとに去る。残された老いた牝馬は髪を振り乱しこの子のためにとパートで奮闘するが、仕事漬けの日々の中、子供の世話までできるはずがない。放任された子供はチンピラの餌食になる。

離婚という負い目をもつ親は、過保護な甘やかしのしつけしかしない。よくて学童保育。

男だったら女の2、3人は幸せにしてみろ。ところが最近は、たった一人も幸せにできない情けないのが増えた。学童保育を覗(のぞ)くとあたりまえのように片親の子がいる。そして例外なく何か物ほしそうな、訴えかけるような目をしている。心が痛い。

昔のように7人も8人も生んで御国のために戦死させろとは言はない。ただそこらをうろつく犬のように、くっついたり離れたりでは親の異なる兄弟ばかりになる。当然に兄弟の数は少ない。

シングルマザーとは何だ。仕事に追われて生活費を稼ぐ欠損家庭じゃないか。子供は一人で終わる。その子を公立保育園に入れるということは駱駝が針の穴を通ることだ。

出来ないじゃないか、子育てなんて。

いかに多くの旦那が子を捨ててキャバ嬢や女子大生に夢中になるか。女は子を押し付けられて当たり前だ、女のくせに子も育てないのか、という非難は旦那には向かない。そして男のカネが底をつき、男の回りの女たちは去っていく。

傷心の40近い一文無しの男がいつまでも養育費を払うもんか。

安部は気安く子供を生めとか言うな。

地方創生と同じ。裁判所、検察庁、役場、法務局、税務署、学校・・・を廃止。 ことごとく地方を抜け殻にしたのは誰だ。そしてぬけぬけと地方の時代という。

子育ても同じだ。社会では労働中毒が慢性化し気違いのように働く人は良い人だとされ、育休であれ、産休であれ、何休であれ、休むのは悪いことだとされるのがこの哀しい日本だ。

子を産む条件を一つでも改善してから産めといえ。

普通の労働者の誰が育休が取れるか。産休を取るといったらずっと来なくていいよ、と言われる。知り合いが5年幼稚園に勤めうちの親戚と結婚した。退職金は50万円だった。

さあ、子供を生んで育ててもらおう。

 

 

 

 


本物はやさしい、いばらない、弁解しない、自分に厳しい。

2015年03月09日 | 音楽

徳永二男(つぎお)のコンサートを聴いた。まずは略歴から。

1958年、小学校6年生の時、第12回全日本学生音楽コンクール全国大会で第1位を受賞。桐朋学園大学音楽科に進み、斎藤秀雄に師事。1965年、第34回日本音楽コンクールで第3位を受賞した。

1966年、当時日本楽壇史上最年少のコンサートマスターとして東京交響楽団に入団。1968年、文化庁在外派遣研修生としてベルリンへ留学、ミシェル・シュヴァルベに師事した。1974年、チャイコフスキー国際コンクールに出場し、ディプロマ賞を受賞した。

1976年、NHK交響楽団のコンサートマスターに就任。その後、首席コンサートマスターを経て、ソロコンサートマスターに就任した。1994年、退団。

現、桐朋学園大学特任教授、洗足学園大学客員教授。                   by  Wiki

 

微動だにせず3時間半のコンサートに聴き入る小学生がいるかと思えば、しばらくたつと飽きてきて自宅のリビングでテレビを見ている気分になりしゃべりだすババア。

誕生したときは差がなくとも、生きているうちにバカとまともの差は広がる一方だ。金銭の格差より知能の格差を心配せよ。

演奏は「シャコンヌ」、「ツイガーヌ」という超絶技巧の曲。やはり才能か、と思うとガックリもした。

弾けるというだけなら若ければ何とかなる。だが何とかなってもその曲数に限りがある。あれもこれも一ヶ月ぐらいで仕上げて人の前で弾けるようになることは、絶望的に困難だ。

通常凝った曲を仕上げるには1年かかる。そうすると人生が500年必要になる。でも、もし500年生きてバイオリンの修練に励んだとしよう。

それでも無理なことがある。それは安心感。2重音、3重音、ときに4重音。あたかも3、4丁のバイオリンで弾いているような錯覚をする。それは、弓をはねさせて短い音を出すときと、上げ弓と下げ弓を激しく繰り返し短い音を出すとき実感する。

たとえ間違えなくても下手は下手なのだ。いつ間違えるか心配で見ちゃあいられない。どうしても何回に一回は雑音が入る。左手がおろそかになり音が不安定化する。

徳永にはまったく不安がない。まったくないと言い切れるまでにはいかほどの努力があったろう。

「僕のバイオリンは汗と涙でできています。」

1968年。日本人が海外にいけるようになってほどない頃、文化庁在外派遣研修生になるとはいかほどのことか分かるか、八女のくそババア。

最近NHK本体は、野にして粗であり卑であるのが来て非常に下品な雰囲気だ。ところがNHK交響楽団は世界レベルだ。50年昔から。そこのコンサートマスターを20年近く勤めるとはなんと言う才能だろう。

その才能をもってしても、思いどおりに動いてくれない指と格闘した、ずっと格闘し今も格闘している。

僕は30分弾けばへとへとだ。70歳を越えた彼は3時間以上引き続けた。

彼の力強い音を聞いてほしい。日本の誇りとか言うみみっちい考えでは恥をかく。ヨーロッパで道を訪ねるときのように、徳永を知っていますか、というとかならず、Ja、と答える。世界の徳永なのだ。

高嶋ちさ子の先生。ドラゴンクエストもコンサートマスターとして弾いた。

八女ババアは冥土で反省しろ。

 

 

 

 


最高裁は、死ぬのをまっている。 大崎事件

2015年03月06日 | 裁判

1979年10月、大崎町井俣で農業中村邦夫さん=当時(42)=が自宅牛小屋のたい肥の中から遺体で見つかった。邦夫さんの義姉原口(当時は中村)アヤ子さんと兄2人(1人はアヤ子さんの夫)が殺人と死体遺棄容疑で、おいの中村善則さんが死体遺棄容疑で逮捕、起訴された。善則さんら3人は懲役刑が確定。原口さんは一貫して無罪を主張したが最高裁で懲役10年が確定し、服役後の95年4月に再審請求。鹿児島地裁は02年3月、原口さんの再審請求を認めた。                                  南日本新聞 2015年2月4日

(引用終了)


ところが、鹿児島地裁は、一旦認めた再審の開始を宮崎高裁によって取り消され、2月2日、最高裁も再審請求を棄却した。殺害されたとされる中村邦夫さんにくわえアヤ子さんの兄2人、計3人とも知的障害がある。兄2人に甥を加えた3人とアヤ子さんの共犯であるとされた。

懲役刑を受けた甥は自殺した。犯行を否定しつつ死んだ。

絞殺の判断をした鑑定人自身が、自分の鑑定をのちに否定した。物証となるべきタオルがない。つまり知的障害者を中心とする証言や自白のみで推定有罪の判決を出した。

アヤ子さん10年、兄たちに8年7年、甥に1年の懲役。

判決に対する反論はいくつでもあるが、前回のブログとも関連する自白の任意性に絞る。歴史的に、自白のみによって検事が描いた犯罪は虚偽であることが多い。任意性があっても自白の証拠能力は低いのである。

僕はある犯罪に関連し主犯として取調べを受けたことがある。その当時僕は、何故か起訴猶予(無罪)になった。

だがその直前まで続いた取調べと調書の作成は熾烈を極めた。「やっとらんなら自白せんとよかろうもん(やってないなら自白しないといいじゃないか)。」 世の中そんなに甘くない。人間は密室で追求され続けると自分が犯人かどうか分からなくなってくる。

自分を責める警察官に何故か媚を売ろうとする心理すら生じる。ラーメンをおごってもらうと、もうなんでも言いますという気になる。

違うという人は取調べを受けたことがない。警察は、バイク泥棒は野放しだが暴力沙汰には甘くない。

キャリアのくせに、俺はどんな自白でも引き出して見せると豪語する奴がいた。現場のノンキャリア組の中では常識だ。

だから自白に頼ってははならないという教訓を学んできた。そのはずだった。

警察は被疑者がバカだから簡単に落とせると思ったな。否。原口アヤ子さんは、抜きんでた芯の強さを持つ鹿児島の最高の女だ。

徳島ラジオ商事件、名張毒ぶどう酒事件、足利事件、飯塚事件、袴田事件。体面や組織のしがらみのせいで人が死んでいく。

 

 

 

 

 


時は戻らない

2015年03月04日 | 裁判
 
強姦(ごうかん)罪などで服役中に大阪地検が無罪の可能性が高いとして釈放した男性の再審請求審で、大阪地裁(登石郁朗裁判長)は27日、再審開始を認める決定をした。被害を受けたとした少女らの虚偽証言に加え、被害がないことを示す診療記録が判明した。

検察側は昨年11月、「再審開始を決定するべきだ」との意見書を提出しており、再審で無罪が言い渡される見通し。

決定は、「被害は虚偽だった」とする少女と目撃者の新証言について「大部分は整合し、信用できる」と判断。2人は昨年夏、弁護人を訪ねて新証言をしており、「無罪を言い渡すべき明らかな証拠が新たに発見された」とした。

                                                                        2015 年 2 月 27 日 19:54 JST  Wall Street Journal

(引用以上)


男性はすでに3年半の服役をしている。地裁の判決どおりに確定し懲役12年の刑に服しているところだった。強姦の痕跡はないとする医療機関の診断書も、最初検察は存在しないと主張した。

ということは、検察自体、証言のみに基づいて架空の犯罪をでっち上げたのだ。国家権力がその当事者となるとき、すなはちひとたび権力が異端を排除しようと決心すると、いくらでも冤罪が可能な世界を作る。

戦後憲法はこの愚を繰り返さないために、自白の証拠能力を徹底的に低くした。証言についても同様である。

組織というものは一度走り出すと後戻りができない。日本的風土のせいにするのは低脳である。どこの人間でも性向として仲間はずれを恐れ、事なかれを好み、 invisible man(目立たぬ傍観者) であろうとする。

組織は本質として制動がきかないものだ。

検察が証拠を紛失するはずはない。しかも狙ったように被告人に不利な証拠のみが消える。ありえない。この点では検察も14歳のうそつき少女と同じだ。

男性はよく戦った。この不条理の監獄の中で一番つらいことは、時が返らないことだ。勾留と服役をあわせ、男性はすでに6年拘束されている。さらに6年の服役が待っているはずだった。

弁護側の地道な調査により診断書が発見され、ウソ被害少女や仲間のウソがばれた。

これは、すみませんではすまない。少なくとも男性と同じ期間は刑務所に行ってほしい。そうしないとJC(女子中学生)はいつでも誰でも刑務所に送る権利を持つ。

いま普通に思えば、どうしてこんな矛盾した証言が採用されたのか、ありえない話だ。被告人をのぞく全法廷が狂った正義感に酔っていた。

最高裁ですら一旦は上告を棄却している。だからこそ自白証言中心主義は厳に戒めなければならない。

事なかれ、成果至上主義の検察。面白半分のJC。このままいい気にさせてはならぬ。

時を返せ。