<前回のつづき>
[純血思想と慰安婦]
1930年代日本が満州に進出した後、日本政府は満蒙開拓団を組織して多くの日本人たちを満州に移住させた。敗戦後満州にソ連軍が進駐し、いたるところで日本人を虐殺したので、彼らは危険にさらされた。
「1945年9月下旬、ある開拓団の副団長は数えの14歳から21歳までの女子を開拓団本部の裏庭に呼び低い声で『女子挺身隊としてソ連軍宿舎へ行ってほしい』といった。少女たちの中で挺身隊の意味を問うものが出た。50代の副団長は「国を救うために挺身しろ」と命令した。そこにいた20名程度の女子はこれに従った。(鈴木裕子、近代日本と植民地、岩波書店、1992,p242)」
挺身の辞書的な意味は「率先して前に立つ」なのだが戦中日本では戦争遂行のためのボランティア(奉仕団、訳者注)をこう呼んだ。社会各界で自発的な志願を求める雰囲気が醸成され徴兵や徴用の対象ではない多くの人々が勤労挺身隊、農村挺身隊などが組織され総力戦の遂行を助けたのだ。そんな中戦争末期の朝鮮では慰安婦を募集しつつも「女子勤労挺身隊」に行けば大金を稼げるとだまして慰安婦を募集した事例があっただろうと考えられるが、このせいで最近になっても韓国では従軍慰安婦と挺身隊を同じ意味で使っていた。1990年代になって初めて従軍慰安婦もしくは日本軍性奴隷などのように区分して言うようになった。
上記に引用した事例を見ると当時純血思想が相対的に(多分世界的にも最も)弱かった日本の社会的特性が従軍慰安婦制度の基盤になったことがわかる。すなはち上記の開拓団がもしも朝鮮人だったら少女本人とか家族が「私たち全員が死ぬのならまだしもだが、そんなことはできない」と抵抗したのは確実だ。残虐で殺気みなぎるソ連軍に対し少女たちを供え物としてささげることにより集団の安全の助けにしようとする考え方は卑怯に思えるかもしれないが事実は極めて実用的であり合理的だった。反面少女たちの貞操を保護するため男子が喜んで命をささげる朝鮮とか西欧社会の文化は、日本よりイデオロギー志向的である。とにかくこの満蒙開拓団の場合には日本的考え方の長所が際立って見える事例である。なぜなら彼らが少女たちをささげなかったらすでにヨーロッパ戦線で勝手放題に強姦することで際立ったソ連軍に無理強いされたことは明白だからだ。
このように従軍慰安婦問題はその制度を施行する場所とか後世の評価するところとか純血思想と密接に関連している。韓国の女性団体がとくに従軍慰安婦問題に対し積極的に問題提起するのも韓国社会がアジアで最も強固な純血思想を持った国であるからだ。韓国社会で従軍慰安婦問題に熱意を見せる団体は大方純血思想に盲従した偽女性運動家、すなはち女性運動家の仮面をかぶってはいるが実際は家父長制度を守る運動をしている集団である。
女子は結婚する前は純血でなければならないという未開な思想、女性は命がけで貞操を守らなければならないというような古い考えを除いて考えると従軍慰安婦問題は被害者の数や事案の重大性にかんがみてもはるかに後回しにされている。すなはちこれは相対的に軽い思想でありしたがって一般的な戦時の人権蹂躙という範疇で処理すればよいことだ。従軍慰安婦の中で絶対多数を占める日本女性の中で今までただ一人従軍慰安婦であったときの人権蹂躙に対し補償を要求することがないのに対して、日本女性の半数以下である朝鮮出身慰安婦は今まで33名もカミングアウト(comming out、正体を明らかにすること)したという事実にてらし我らは(韓国人、訳者注)この問題が人権問題だというよりはイデオロギー扇動であることがわかる。
<つづく>