か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

大日本猟友会と日本野鳥の会

2012年11月17日 | 日常

これはよく単純に鳥を打ち殺す会と守る会というように認識されている。

ペットの犬で考えてほしい。かわいいかわいいとガキや低能がペットショップの前にへばりついているが餓死寸前まで成長不良にして小型犬だと言い張り奇形にして売る商売のあくどさを考えたことがあるか。それでもペットショップの店頭はバカなガキと親で引きも切らない。これは動物残酷物語だ。

僕のベレッタで多くの動物が死んだがここまで残酷なことは僕はできない。

低能犬には低能飼い主がきちんとペアになっている。逆に優れた猟犬には優れた飼い主がいる。

すぐれた猟犬は無駄吠えしない。バカ犬がちょっかい出してもよほどのことがないかぎり反応しない。しかし、何度か鼻であしらっているうちに我慢も限界に来ると喉に噛みついて即死させる。リードのない犬が僕の家に入ってきて犠牲になった。

鴨の位置を射手に正確に知らせる犬がいる。POINTERとはそこから来た。そして鴨の向こう側に回り僕が撃ちやすいように鴨を飛び立たせる。僕が撃ちそんじると、POINTERは一日機嫌が悪い。対等だ。いいか。これを家族の一員という。

似非ヒューマニストの野鳥の会よ。鳥の数でも数えて自然保護に貢献したつもりか。欺瞞に満ちた生き方をやめろ。

そんなことをするより地図を広げて日本を見たことがあるか。まるで悪魔の爪でひっかいたような傷跡だらけだ。広葉樹林帯は日本の誇りだったのに今豊かな水と野鳥と小動物のすみかである広葉樹林帯が消えて猫と杓子が狂うゴルフ場に化している。

緑のダムが消えている。針葉樹林は死の森だ。目先の経済価値に踊らされて針葉樹を狂ったように植え山から動物が消えた。

猟師は山が死んでいくのが分かっている。仲間の山だから口をつぐんでいる。ただ黙って山の動物に黙とうをささげている。

能天気に双眼鏡で鳥の数を数えているバカよりははるかに心を痛めているぞ。

Posted at 2012/02/14
 
 
 
 
 

Paloma ありがとう

2012年11月17日 | 技術

40年ほど前、どういう根拠か分からないが町内でガス釜の方がおいしいと噂がたち、家もガス釜にした。たしかに当時の電気釜よりはガス釜の方がおいしくたけていたと思う。

以来パロマのガス釜は休むことなくご飯を炊き続けた。家族は多い時は10人を超した。今は僕一人だ。どんな状況になろうとも黙々とご飯を炊き続けた。

30年前一度だけ故障したことがある。炊飯器のふたのヒンジがモーメントに耐えきれずひびわれてきた。僕はなんとかしようと鉄板を加工して支えを作った。しかし熱で劣化したプラスチックの加工は素人の手に負えるものではなかった。

博多駅の近くのパロマの会社に持ち込んでみた。会社の一角に工作大好きのからけんがうずうずしそうな部屋があった。じつはぼくの予想ではアッセンでそっくり換え、日産部品みたいに法外な部品代を要求すると思っていた。

修理のおじさんからしたら僕の修理なんてなんとぶざまな修理であったろうかと思う。ところがおじさんは僕の修理をほめ、難しかったところを言い当て次の修理のコツを指導して、最低限の部品を交換すると僕にこう言った。

「これでもうわしと会うことはないな。パロマを長年使ってくれてありがとう。」

おじさんは料金をとらなかった。大丈夫だったろうか。バーナーを磨いてエアをかけて、まるで新品になった。かってにただにしておじさん無理したんだ。今も同じところにパロマのビルはある。薄汚れたビルは30年前と同じだ。だけどおおらかな「気」が流れている。

おじさんはもういないだろう。だけどパロマさん。ありがと。日産部品みたいなぼったくりのチンピラ会社からはもう何も買わない。パロマの炊飯器PR200Nの寿命が尽きたとき僕の家のガス製品はすべてパロマになる。キッチンも給湯機も炊飯器もすべてパロマに変えるんだ。

日産車の寿命が尽きたとき二度と日産車を買うことはない。

Posted at 2012/02/13

官民格差

2012年11月17日 | 社会・経済

民主党政権を誕生させたのは国民の怒りだった。とくに国民は格差に怒った。

ところが、人口は国力だと言いながら子供を産める環境はむしろ遠のいてしまった。産休を、育休をとれるのは公務員や大企業の従業員だ。保育料はどう工面すればいい。扶養手当で賄えるか。そもそも保育園がどこにある。

格差の根本たる給料はもう何年も上がっていない。非正規雇用のおばちゃんは定期昇給もない。「いやならやめてくれ」という無言の脅しのもとサービス残業は義務と化した。

こう言うと面白い反論が起きる。増税に反対していると錯覚したおつむの弱いのが自分こそたいした金も持たないくせに一様に経営者づらして反論してくる。不愉快なバカがいる。聞きたくない。大金持ちでもなく小金持ちでもないただの錯覚した貧乏人のくせに。金属音をあげて泣き叫ぶ。うるさい。

ニーチェはこれをルサンチマンと呼んだ。人気はなかろうがルサンチマンはぜひ理解してほしい概念だ。後日書く。バカと言われて気分のいい人はいない。敵と思う人以外をバカと呼んだりしない。じゃあ貧乏人といわれたらどうだ。人は当たっていることを言われると怒る。しかし心の中のイライラを我慢して客観的な判断ができるのが人間だ。バカ、貧乏、低学歴、そんなことに出くわすたび思考停止をしていてはならない。

素直になろう。僕たちは怒ったのだ。そしてまさにその格差を解消しますと言って登場したのが民主党だった。無駄を解消したら増税は必要ないといった。高速道路はただになるといった。公務員は削減するといった。国の出先機関はゼロにするといった。

今朝の朝日新聞の福岡版トップに公務員官舎の値上げはしないと出ていた。つまり破格に安い家賃を据え置くというわけだ。民主党。法整備が間に合わんとかグダグダぬかすな。公約と違おうが!

博多駅から9分のところだったら民間だと10万円/月はする。そこを公務員だというだけで3万で入れる。ここにすでに7万円の給料格差があるじゃないか。

まさにそれをなくすと言って多くの票を集めておきながらほとぼりがさめると自治労(公務員労組)の言いなり小僧になる。自治労はいいな。選挙がちかづくと何でも言い分が通って都心の新築マンションに3万円で住める。集票活動で脅すもんね。

国民は自民党を見ている。自民党と社会党との2大政党とのときに延延続いた妥協政治が再現されるなら国民はもう政治に何も期待しない。フラッシングした自民党頑張れ。

ファシズムが手ぐすねをひいて待っている。理念のない政策だけの政治は破たんする。橋下が国会で踊るようなことは防ぐべきだ。

Posted at 2012/02/11

宮崎高女の学徒の魂を抱いて掩体壕は立つ

2012年11月17日 | 東洋歴史

子供が遊んでいた。掩体壕(飛行機のための防空壕)は頭だけを出して埋められていた。地上に出た部分は公園の遊具の一部になっていた。

正確な場所に行きつくのにかなり苦労した。だれもその場所を知らないのだ。これではいけない。ここ大村は陸のミッドウェイだったのだ。米軍の合言葉は「ロッキードより大きい大村を潰せ」だった。

一つの工場としては世界最大であり6万人近くが働いていた。しかも勤労動員と称し九州一円から動員をかけられた女子挺身隊は交代制で昼夜を分かたず働いた。

大村湾から掘り出した砂利をコンクリートで固め飛行機が入れるほどの掩蓋を作った。16,17,18歳の女学生が来る日も来る日も従事した。掩体壕の工事が終わると女学生たちは飛行機の部品作りに川西の工場で働き、あるいは看護助手になりあるいは滑走路の草取りをした。

日本が勝つと信じて。彼女らは終戦と聞いて抱き合って喜んだ。負けるということはあり得ないことだったから終わったということは勝ったことと同義だった。

米軍は終戦を知りつつ意地になって大村をたたいた。空襲は終戦の数日前まで続いた。なんせ東洋の猿が「ロッキードより大きい」飛行機工場を持つことは白人の沽券にかかわることじゃないか。

日本が組織的反攻力をなくした昭和19年10月。動員されてきていた宮崎高等女学校の学徒は米軍の艦載機によって、また爆撃機によって面白半分に殺された。爆撃機は防空壕の入口を絶妙に狙い瞬時に300人を吹き飛ばし、艦載機は低空飛行で一度女生徒に手を振ってから殺した。

当時女性が女学校にいくということは男子がそこらの旧制中学に行くよりはるかに難しい。くやしいな。彼女らは宮崎から死にに来た。優秀な生徒さんたちだったろうに。

軍人たちは防衛ということを全く考えない、戦争の素人の集まりだった。日頃は威張りまくる軍人は大村が一日で壊滅したにもかかわらず情況が飲み込めずにいた。彼ら得意の演説がより狂った絶叫型になりはしたが。

艦載機が来た時戦争は負けていたのだ。なぜもっと頑丈な防空壕を作らなかった。敵の航空母艦が目と鼻の先に来ているのに労働者や学徒をなぜ避難させなかった。周辺に高射砲が足りない。機銃に老兵を使うな。

紫電改を作るのに目がくらんで非戦闘員が死ぬのを考えなかった戦争の素人たちよ。戦争の素人たる帝国の軍人たちよ。僕は真面目で有能な帝国軍人に数多く出会った。しかし彼らは例外である。お粗末な防空体制で生産第一をつらぬいた結果、死ななくていい多くの犠牲者を生んだ。

宮崎高女の生徒さん達の血と汗と涙と魂が結晶した掩体壕をもっと大事にしろ。彼女たちは自分たちが入る防空壕よりも遥かに頑丈な防空壕をたった一機の飛行機のためにつくり、自分たちはまにあわせの防空壕で死んだのだ。

Posted at 2012/02/10
 
 
 
 
 

外交かくあるべし 佐藤尚武

2012年11月17日 | 東洋歴史

佐賀県はその人口に比しすさまじい数の偉人を出している。僕が最も尊敬する外交官に佐藤尚武がいる。佐藤は生まれは大阪だが佐賀市内の勧興小学校に通っている。大学は現一橋大学の出身だ。

松岡洋右は日本の国際連盟脱退、日独伊三国同盟の締結、日ソ中立条約の締結など第二次世界大戦前夜の日本外交の重要な局面に代表的な外交官ないしは外務大臣として関与した。佐藤は一時彼のもとで書記官として働いている。

有名な国際連盟脱退の場面ではニュース映画に佐藤の姿も映っている。この脱退で帝国は東洋の孤島となったのだが国民は「堂々の退場」という字句に狂喜乱舞した。この後の歴史に判断とか選択というもののはいりこむ余地はない。ただ狂った石が坂道を転がり落ちたのだ。

松岡の気が狂った大陸拡張政策は軍部や国民の支持をうけたが佐藤は一外交官として戦争回避に全力を尽くした。関東軍は満州分離ひいては傀儡満州独立を企図していたので、佐藤の平和外交と対立した。

軍、右翼、狂気国民はさかんに満州は日本の生命線であると喧伝した。「バスに乗り遅れるな」、北進してソ連をたたけ。威勢のいい言葉が蔓延していたが降伏するときはそのソ連に仲介を頼もうとした。哀れさがあふれる大本営の無定見だ。

道は一本道ではなかったのだ。巷の右翼が絶叫していたがそう事は単純ではなかった。帝国はいくらでも選択肢を持っていた。低能達にはその道が見えようもなかった。

日華貿易協会経済使節団の一員として佐藤は蒋介石とも会談している。なんとか軍部との衝突を避けるための実績を積もうとしたのだが一枚岩でない日本の態度に支那は不信をつのらせる。このとき、話のまとめ方、運ぶべき方向、力点、譲歩すべき点、新たなイシューの位置づけなどに佐藤の評価は高い。

日本は軍国主義者ばかりではなかったのだ。ただ皇国臣民は軍国の臣民であり全員が死ぬ気でいたしそれが美徳だった。つまりそれが多数だった。つまりそれが民主主義だった。一部の優れた理性の持ち主以外は帝国がただのがれきになるまで狂い続けた。

大本営は敗戦が確実となると佐藤をソビエト大使にする。終戦工作を頼んだのだ。じゃあ今までなぜ非国民扱いをしたのか。都合のいい時だけ利用して、と僕なら思うのだが数段頭のいい人間は振る舞いもスマートだ。

佐藤はソビエトが参戦の意思を固めていることをいくつかの彼の情報網から判断しソビエトに和平の仲介を頼むことはいかに馬鹿げているか何度も外務省に緊急電を打つ。本省からの返電には和平交渉を進めよと繰り返されるばかりであった。

松岡は開戦二日後に「欣喜雀躍」したと本人が書きのこしている。アメリカ生活の長い彼でもそうだったのだ。700対1の生産力でどうやって勝つのか。国民はどうでもだまされる、どんな熱狂でもする。その時正しい冷や水をさせるのがより多く理性を磨いた人間の務めだ。

国際連盟時代、佐藤は少数民族問題で着実に実績をあげていた。日本は常任理事国だ。連盟内での彼の評価は高かったが上司の松岡が脱退だというとハイというほかなくさっと荷物をまとめ帰国した。

可能性のないソビエトとの和平交渉もやれと言われれば全力でモロトフ外相と交渉した。ただ全く可能性がないということを東郷重徳外相に対して諭すように機密電を送っている。

「すでに抗戦力を失ひたる将兵および我が国民が全部戦死を遂げたりとも、ために社稷(国家)は救はるべくもあらず。七千万民草枯れて上(天皇)御一人安泰たるを得べきや。(中略)過去の惰性にて抵抗を続けおる現状を速やかに終止し、以て国家滅亡の一歩手前にてこれをくい止め、七千万同胞の塗炭の苦しみを救い、民族の生存を保持せんことをのみ念願す。」

戦時中にしかも外交官がこういうことを言うことは場合によっては致命的な発言になることを意味した。

Posted at 2012/01/26

ハリマオ、ハリマオ、僕らのハリマオ。

2012年11月17日 | 東洋歴史

昭和の時代、日本人は家にテレビがなかったころ、近所のテレビがある家にテレビを見に行っていたそうだ。テレビが家に来ると今度はみんなが見に来るようになったようだ。

子供はみんな正義の味方が好きだ。白昼夢のように夢と希望で現実を作ってしまう。それがなんで悪いんだ。ハリマオのおじさんはいつも僕たちの味方をしてくれる人だった。ハリマオはブラウン管を飛び出して僕らの仲間になっていた。

僕は驚いた。すぐ近くの出身じゃないか。近くの実在の理髪店一家じゃないか。こんなところに正義の味方がいるのか。

マレーに移住したハリマオ一家を悲劇が襲う。支那人ゲリラが満州事変の復讐にこの日本人を襲う。ハリマオ自身は日本の徴兵検査に不合格となっていた。マレー語の方が日本語より堪能なほど努力してマレー語の習得に努め、本人もマレー人として生きていこうとする矢先だった。だが中国人には日本からの侵略者に映ったのだ。

支那人はハリマオの妹の首を切り持ち去ったのだ。さらにハリマオを失望させたのはどこに訴えても相手にしてもらえなかったことだ。英国はむしろ妹の悲劇を訴えるハリマオを投獄した。

それならおれが仇をとってやる。こう考えるのは当然の流れではないだろうか。もともと親分肌で部下の面倒見がいい彼の周りにはたちまち多くの反中国反英国の感情を持った不満分子が集まった。

千人近くの部下を従え華僑や英国人の邸宅を襲った。列車爆破まで行うようになった彼はもうマレー全土を手中にしていた。部下は3000人となり一つの街を形成した。谷豊という日本名を捨て完全にハリマオとして通した。

庶民のものには手をかけないいわゆる義賊として彼の噂は広がった。

はたしてそうであったのかは分からない。確実なのは日本陸軍が彼を利用することを思いついたことだ。帝国の策略は巧妙だ。ハリマオこと谷は日本の徴兵検査に身長が足りなくて不合格になったことを心の底で気にしていた。俺は帝国軍人にはなれないのか。

そのかれのこころのすきまにきりこんできたのが藤原岩市のF機関である。藤原は戦後陸将にまで上り詰める。彼は言葉巧みにマレー作戦に先鋒としてハリマオを利用する。ハリマオの組織は粉骨砕身日本軍に協力し道案内から共産党の討伐まで活躍する。

マレー作戦は思いのほか順調に推移するが、ハリマオは重篤なマラリアにかかってしまう。ハリマオは没する。

ハリマオの影響を受けた労働者は、ハリマオの呼びかけの呼応して大英帝国に対する大規模なストライキを行う。日本軍の進撃が速かったのは十分にその影響があったと考えられる。ところが占領をすました日本軍とタイミングを合わせるかのようにハリマオは病死する。利用価値がなくなった者は消される。どんなに貢献しても。

僕らの英雄はいなかった。

Posted at 2012/01/24

学校行ってた頃バカだったでしょ

2012年11月17日 | 学問

そしていまごろ考えることといえば旦那がどうしたお子様がどうした。パチンコで勝った負けた。日本人はバカになったな。無競争は大量のバカを生き残らせた。

支那人の商品が紹介してあったので僕も支那人に協力しようと思う。考えない日本人にぴったりだ。支那人儲けてくださいね。

ここは業者の説明です。「プラズマイオンとは、マイナスイオンとプラスイオンがくっつき合ってる状態のイオン」とあった。ここで感激して商品を買うのがいるんだな。ホームラン級のバカだな。大丈夫ですか。イオンとはどっかのショッピングセンターと勘違いしてない?

イオンとは、原子の主として最外殻の電子が1ないし2個、その原子の束縛を離れていわゆる自由電子となっている状態のことを言う。電気的に反対のイオンがくっつきあうと電気的には即座に中和され自由電子は本来の最外殻電子に戻る。

だからただの水かなんかにもどるわけなの。それでも微細な水の分子はゴミと結合するとかいう往生際の悪いことを言う。それなら最初からオシボリおいとけばいいじゃん。

「殺菌、消臭能力に優れています。」と続きますが、優れているというのはなんと比較して言えるのか、H2Oに殺菌作用がああるのか、僕はむしろ菌の増殖作用があると思っていた。じめじめした所には菌はいないんだな。

僕はこの業者がなるべく安価に画期的な商品を提供しようとしたことは分かる。支那人は似たような商品を10倍の価格で売っていた。ただプロならもっと勉強しなければならない。買う方も頭がクルクルパーのままカネを払っては支那人が喜ぶだけだ。

支那人に対しては言うことはない。日本のバカだました何悪い。頭悪いは犯罪あるヨ。私の犯罪小さいネ。

さあ、何人の日本人が言い返せるか。

おまけに、1立方cmあたり100万個、水分子らしきものが出るという。単位時間が書いてないけどそれってはるかに少なくね?で、その水分子だがどう見ても供給するところがない。支那人は空気中の水分を集めるのだろうか。あれ、1時間では5mgと言ってるぞ。数の合わんことを言うな。

消費者もおれのバカにかまうなといいたかろうが、ただ一人、LEDだなんだと電気が光って喜ぶだけなら僕は知らない。非科学的思考は伝染するじゃないか。いつの間にかマイナスイオンが存在するようになってしまった。世の中には陽イオンと陰イオンしかない。

人がプラズマを維持しようとどれほど血のにじむ努力をしてきたと思っているんだ。挫折していった大勢の研究者をしっている。それでもそいつが街に出れば天才だぞ。一流高校の教員なんていつでもできるぞ。簡単に存在しもしないプラズマイオンやら口にするな。登録商標と科学用語を混同するな。

50年。同じことを追求できるか。ゲームや漫画やカラオケや酒やラーメンやオフ会にうつつを抜かす間に命がけで研究している人に敬意を払え。

Posted at 2012/01/22

江藤新平 何をそんなに急いだのか

2012年11月17日 | 東洋歴史

明治6年の政変で大物政治家が下野する。西郷、後藤、板垣、副島。板垣、後藤らは江藤の下野を慰留する。それを聞かず江藤は下野してしまう。

不思議だ。なんと言うことをしたんだ。僕は彼以上の天才を知らない。わずか明治6年。この間に彼は民選議院設立建白書に同意している。行政訴訟の概念を導入している。その当時、だれが分かったもんか。しかし彼は近代を作ったのだ。

現在ですら重罪人は顔をさらせとか、殺人犯はさっさと死刑にしろとか、およそ生存権どころか自由権の学習も足りてないのが国民の実態だ。なのに廃刀令すら出ていない時に、議会を開けとか言って理解した者はいなかったろう。

彼はそれをやってのけ政府の不正を暴き三権分立を主張する。江戸幕府が崩壊して6年目に三権分立の主張だ。お上のやることに逆らうなんて、いけないことだと信じているものが現在でも大多数だ。

死刑囚は早く殺してしまえの大合唱だが、権利そのものの成立過程からの体系的学習ができていない。江藤はいつ学んだのだろう。團藤さんも我妻さんもいなかったのに。これに反論を感じる人は3流大学ではない「大学」の刑訴を学んでほしい。飯塚事件を足利事件を免田事件を徳島ラジオ商事件を白鳥事件を吉田岩窟王事件を学んでほしい。

戦前のような再審制度の確立していない時には誤判による死刑が多かった。沼津3人殺し事件(死刑後真犯人があらわれた)、加藤老事件(62年後無罪が判明)、金森事件(26年後真犯人が分かった)、えの井村事件(47年後無罪確定)

彼は民衆にあおられた権力の専横の恐ろしさを見抜いていた。彼ははるか地平の司法制度を描いていたのだ。生きていれば必ず司法制度は改良されたのに。

西郷は佐賀の乱に協力しない。賢明だ。負ける戦はしてはならぬ。しかも不平士族と江藤のような開明派は共闘できようはずがない。

征韓論も早すぎた。ロシアと清の進出はそこ数年を争うスピードではなかった。外輪船のついた軍艦が中心の海軍でどうやって清と戦うか。貧困と病気の半島は、国論が二分しうごめく烏合の衆がいたにすぎない。まだ時間があった。下野して国政が江藤を失うと佐賀は大久保から敵視される。優れた頭脳が反抗したのだ。大久保は恐怖した。

江藤は中央で警察を作り裁判所を作ったが、民衆はさぞ驚いたことだろう。しかし、何よりも彼の業績ですごいのは民法を作ったことだ。1000条を超す条文を遺漏なく重複なく体系化した。現在でもちゃんと通用している。

ナポレオンは自分の最大の功績はナポレオン法典だといったが、江藤の場合は帝国の民法だった。

Posted at 2012/01/20

大尉殿、員数(人数)が足りません

2012年11月17日 | 東洋歴史

何人だ。
5名であります。
階級を言え。
兵長1名。兵4名であります。

大尉は気が立っていた。自殺攻撃が効果のないことは将校ならだれでも知っていた。着艦もできない17,8歳の少年が死んだ。誇りある帝国の落日は近かった。

大尉は自分が家畜になったような気がしつづけている。志願したのだというのは、なんと巧妙な偽装であるか。10代の子供をだますのはやさしい。誤報を押し付けおだて故郷や父母の名誉を持ち出し、しまいには2階級特進をえさにした。大尉は大西が始めた体当たり攻撃を命ずる大きな流れの中にいた。

俺が言わなくてもだれかが言った。自分をなだめようとしても、あの笑顔の少年たちをだまして殺したという事実は日に日に重くのしかかった。

レイテの戦果は惨憺たるものだった。米軍の言うBAKA ATTACKは全く戦況に影響を与えていない。帝国海軍はMagic Fuseの存在すら知らなかった。すさまじい弾幕の中にヨタヨタ鴨が死にに行った。日本機2500機のうち80機程度が戦場にたどり着いた。米軍は小型の油槽艦が数隻沈んだが、わが方は確実に2500人が死んだ。

兵からすれば、死ぬかもしれないところに行けと言われて行けないのは、それは軍人の恥だ。だが100%死ぬところに行かせるのは指令官として失格だ。そういいつつも、戦場ではときとして死ねという命令も出る。それは十分な戦果を期待してのことで、単に部下を犬死させたことを、兵の愛国心にすり替えて美化してはならない。

栗田が怖気づいて引き返したためなおさら特攻は犬死になった。その栗田はその後海軍兵学校の校長になるからお笑いだ。

ほうほうの体で佐世保に引き返した生き残りの敗残艦隊にはもうまったく戦意はなかった。今度やったらおしまいだ。俺は逃げるぞ。この5名以外にもこう思ったやつは多い。

兵たちは1月というのに敗戦を確信していた。佐世保の知人宅、古い防空壕、松浦の山の中、有田の炭焼き小屋。ついに兵たちは分散して逃亡した。

大尉は捜索隊長に任命された。脱走5名という人数の多さから捜索には200名の兵が動員された。大尉は考えた。俺はまた人を殺そうとしている。このまま捜索をやめて終戦になっても何の影響があろう。俺は帝国海軍にはいって味方を殺すことばかりしてきた。鉄道が止められ過酷な臨検が行われた。

兵2名は発見され軍法会議ののち銃殺になった。遺族の貧窮を考え戦死扱いにされ死体は海に捨てられた。戦死となれば軍人恩給が出るからだ。

残りの3名は終戦まで隠れ通した。ある村人が懸命にかくまった。息子を海軍に出している村人には、息子と脱走兵が重なって見えた。

大尉は今施設で死の床にある。僕もあわゆくはからけん海軍大尉になっていた。おじさん、海軍大尉なんて60年前にやめたことだよ。おだやかにすごしてね。

Posted at 2012/01/18

リニアコライダーを佐賀県に

2012年11月17日 | 技術

石にひもをつけてぐるぐる回す。ある程度以上速く回そうとすると石の遠心力に邪魔されてひもを持った手には相当の負担がかってくる。

ひもをうまい具合にひねって回転中の石をはずすと石はその回転円の接線方向に飛んでいく。この方式で鳥をとっていた土人がいたが相当の技術だ。

科学者は粒子(最初は原子核)をこうやって加速して他の粒子とぶつけたりした。サイクロトロンだ。これでずいぶん多くのことが分かってきた。しかし、クウォークとかレプトンとかの性質までは何とかこぎつけたが、それ自体の中身がよく分からず、そうするうちに次々に新しいクウォークやレプトンが発見され混乱してきた。

上に書いたことはモノの話で、力は力で4種類以下に統合することはできないできた。先日ヒッグス粒子について書いたがまだまだ推定の域を出ないものを、あったように書いていた記事には賛同できない。

日常的常識で言うと時間と空間は別物である。いつどこで、と人は約束をする。クウォークたちは別世界にいる。力とものは連続した一つのモノでないとおかしいことがたくさん出てきた。そうすると力に種類があるのがおかしいし、モノの種類も多すぎる。ビッグバンの時点でアプリオリにこれほど多くのモノと力がありようがない。

そこでクウォークの一種であまり中身が分かっていない電子を破壊して中身を調べようということになった。今科学者たちは上記した4つの力をまとめようと努力中だ。ひいてはモノとの統合を図ろうと考えている。

そのためには粒子を壊して調べるしかない。ところがサイクロトロンでは壊すためぶつけるエネルギーと正確さが足りない。円をどんなに大きくしようとも遠心力という余分な加速度のために、必要な直線方向の加速度がそがれてしまう。それならいっそ直線にして加速しようという発想がある。これをリニアコライダーという。

原子は10のマイナス8乗センチ、クウォークは10のマイナス16乗センチだ。これを30kmの間にほぼ光速まで加速して正確に相手方の粒子に当てなければならない。

一兆円ほどのプロジェクトだ。多くが日本の技術だ。大田区のおっちゃんありがとう。

僕は夢見ている。僕の窓から背振山(せぶりさん)が見える。その山脈にそって10のマイナス16乗センチの精密さでトンネルが走る。世界中が一兆円という金額にしり込みしたリニアコライダーが走る。

Posted at 2012/01/18

西郷先生ば暗殺しようちゃあ政府は卑怯じゃごわはんか

2012年11月15日 | 東洋歴史

征韓論を主張した西郷は明治6年の政変によって下野した。とされるのが一般的だがことはそう簡単ではない。むしろ礼儀の国朝鮮に対してはこちらも礼を尽くすべきだと主張している。西郷を排除した政府はこの時とばかり江華島を砲撃し砲艦外交のまねごとを始める。

貧困と疫病の国、近代から最も遠い国朝鮮は国論が二分しておよそ国家の体をなしていなかった。虎視眈々と半島を狙う狼たちに抜きんでて征韓論を実行したのはむしろ西郷を排除した政府側だった。

薩摩では西郷人気に乗じ武器庫が西郷の私学生たちにおそわれるなど政府との間に不穏な関係がエスカレートしていた。

政府が送り込んだ密偵が捕まってしまう。西郷先生ば暗殺しようちゃあ政府は卑怯じゃごわはんか。西郷の生徒たちは口々に叫んだ。とうの西郷は根占(ねじめ)でのんびり狩りをしていた。しもた!(しまった)といったらしいがもう遅い。

政策論争は内戦に発展した。ここで西郷は最初の過ちを犯すと僕は考える。密偵はともかくも武器庫を襲う者は近代国家においては処分されるべきである。私学校の長としては犯人を警察に差し出すべきである。でないならば下野してはならぬ。でないならば私学校を開いてはならぬ。

生徒たちがリードする形で日本最大の内戦は開始した。ここに西郷の2番目の誤りがある。戦略もなく敵も知らず己も知らず必ず敗北する戦いにつき進んだ。そして田原坂で両軍は激突した。

梅雨の候、雨は仮借なく沛然と降った。その雨よりも多く銃弾は行き交った。火薬は湿り苦労している弾込めの兵の首を抜刀隊がはねた。

わずか長さ30メートル、高低差5メートル、幅2メートル。ここしか大砲が通るところはなかったのだ。日本にはこんな道でも一番広い道で大砲が通る道だったのだ。坂というよりは点といっていい。切って切り返され、撃って撃ち返される一週間が過ぎた。この点をとりあって100万発が行き交った。

多い日は1日30万発が撃たれた。両方から来た弾がちょうど中央でぶつかって合体したいわゆる行き合いダマが博物館に飾ってある。なんと多くの弾が行き交ったことを示しているか。

庭より狭いところに100万発。死体は山となった。その死体の隙間から打とうとすると敵は目を狙ってきた。

西郷の「しもた」(しまった)の代償はあまりにも大きかった。

この近くに僕が毎月いく温泉がある。個室でうどんを食う。本を読んで昼寝をして帰ってくる。こんな贅沢はない。温泉 200円  うどん 350円(素うどんで十分)  個室(展望よく田原坂方面が見える)  1000円  ふとん  タダ

案内ボランティアのおじいさん方が毎年少なくなっていく。

Posted at 2012/01/17

第9回 高校生科学技術チャレンジで 福田さん、添田君、花王賞を受賞

2012年11月15日 | 学問

福岡県の自由ヶ丘高校3年生の福田奈緒さんと添田晃斉さんがまとめた力作、「2種トビムシの総生産量推定について」だ。
朝日本紙の記事から。
 土壌中に生息する節足動物トビムシ。それが摂取し、消費するエネルギー量はどれほどのものなのか。2種、50~60匹のトビムシで、脱皮量や産卵数を計測し、呼吸量なども算出して推定を試みた。
相手は体長1~2ミリの生物だ。わずかな呼吸量を計測するために、長さ約10センチ、内径4ミリのガラス管を加熱し引き延ばした細管を用いる。手作業でまっすぐ延ばすには「熟練」の技が必要だ。1メートルのガラス管を200本以上使うほど練習を繰り返したという。
福田奈緒さんは「1年生から3年生まで、毎日、放課後、トビムシと向き合った。授業のない土曜日は一日中、実験していた」。
実験の結果、呼吸によるエネルギー消費は摂取エネルギーの57~62%を占め、極めて大きいことがわかった。

研究とは才能と根気のせめぎ合いだ。思いつきが悪いと無駄な根気だったりする。福田さんも無駄なことをしているのではないかと途方に暮れることもあったという。しかしよくやった。これといった代償があるわけでもないのに自分の立てた科学的仮説の立証のため、来る日も来る日も遊びたい盛りの少女がよくぞやり遂げた。

不思議なもので超人的な努力を重ねていると意外と運命は冷たいことはしないものだ。目標がダメでも横道に宝石のような真理が転がっていたりする。頑張る人を見ている神様が、ちゃんといるんじゃないかな。

僕は生物は不得意で物理の例しか浮かばない。1926年にマイケルソンという人が光の速度をはかろうとした。発想は一瞬で浮かぶ。八角柱の回転する鏡に光線をあてその八角柱を回転させる。ま、でっかいミラーボール。数十キロ先にも鏡をおいて戻ってきた光のずれから速度を割り出した。

ここまではまだ彼の発想の範囲内だ。ところがやってみると問題が続出した。ミラーボールは垂直か、反射板は正確か、回転むらはないか、余分な光は入ってないか。彼の計算用紙は小屋いっぱいになった。彼の努力がはじまった。

ここでも彼の努力は彼を裏切らなかった。しかも、彼の努力の横道には宝石が転がっていた。

ミラーボールと数十キロ先の鏡を90度ずつずらしても結果に変化はなかった。立派な相対性理論の実証だ。マイケルソンは当時最も精度の高い光の速度を求めるのに成功する。

はるかに重要な宝は横道の、光はいかなる慣性系でも同一の結果を示す、ということの発見にあった。努力する人には神様は必ずプレゼントを用意する。

福田さん、添田君、今の気持ちをわすれないでいてください。

Posted at 2012/01/17

冶金(やきん)

2012年11月15日 | 技術

ナチスドイツはさほど原理原則に興味はなかった。目の前の戦に勝つには実用速用の武器が重宝された。これは大学にも微妙な影を落とし、たとえば工学部なら機械科が一番であり最高の頭脳の集まるところとなった。冶金は肩身の狭い世界で落ちこぼれの目で見られた。とくに製造冶金の分野においては質も量もイギリスにはるかに劣った。これにアメリカが参戦したのだから戦の趨勢はだれの目にも明らかだった。

そのアメリカである。今でもその研究の伝統は脈々と生きている。自らの思うところを研究する。出来上がるまではとやかく言わない。すると突然人の発想を根底からひっくり返す革命的兵器や戦略ができる。

日本とまるで逆だ。アメリカ製はどうでもいいところなんて実にいい加減にできている。日本製はよせばいいのに関係ないところまで工芸品を作っている。ただでさえ人手と材料と時間が足りないのに。

じっちゃんが研究所で使っていた物理天秤はアメリカから明治時代に輸入したものだ。大正に入って日本がコピーしたが明治の輸入品の方が精度が高かったという。

先週木曜日頃、ゼロ戦32型を見に行った。20年ぐらい前博多湾から引き上げた時立ち会ったがまだ何とかすれば動きそうだった。もう駄目だ。飛行機として死んでいるのを展示するのはかわいそうだ。

金属の悪さよ。いまでもWWⅡの米軍機はいくらでも飛んでいるが日本機はほとんどない。超超ジュラルミンがどうしたというのか。日本機はケタだけではなく表面にも強度を持たせているあわれな構造だ。何年も耐久性のある構造ではない。さらにいえば20ミリを積む必要は全くなかった。こんな張りぼてを落とすのに米軍機ですら12.7ミリだ。

グラマンの武装をはずした練習機を見たことがある。金属そのものがいいから桁は広い間隔で入っている。コクピットの居住性は最高だ。グラマンを運搬するときは空母に乗せてカバーもかけずに運んだ。

日本機がそんなことをすればほとんど動かなくなる。電装が悪かったというがハイテンションを一本にまとめた設計の方がわるいのだ。ディスの防水性。アルミフィンのおそまつさ。排気粘性を考えない幼稚な排気管。このやっと浮かんでいる日本機と同時代の米軍機を見てから批評した方がいい。まさに冶金工業力の違いが分かる。

ナイフで穴が開く飛行機のどこが超超ジュラルミンだ。襖か障子程度の防御力に米軍の12.7ミリはそんなもの木っ端みじんにする破壊力を見せた。

冶金こそ戦争のカギを握る工業力だ。一朝一夕に向上しないからこそ金をそそいで研究すべきだった。

Posted at 2012/01

舐めやがってセンター試験韓国語

2012年11月15日 | 受験・学校

例年著しく韓国語の平均が高いのに多分今年もそのままだ。今テレビを見ながら解いたが満点だった。当たり前だ。10カ月ぐらい勉強したらだれでも満点が取れる。

英語はそうはいかない。少なくともテレビを見ながらは解けない。英語で言うと韓国語は中学一年修了程度と言えばちょっと笑いが出るはずだ。じゃあ自分の息子は英語英語と何のため苦労したんだと言いたかろう。

これじゃあ真面目に英語に取り組んでいる人間があほらしい気持ちにならないか。しかも通常の高校で英語に割かれる時間は膨大なものだ。

低能な高校によってはこう考える。文系にいくにしろ理系にいくにしろ英語はついてくる。したがって英語さえやっていれば万能だ。こう考えたバカ高校は教員の数の半数を英語の教員にした。どうしてここまで馬鹿になったか分からないが、そこの生徒たちの結末を書くと文系に行っても国語の点が足りない、理系に行っても数学の点が足りない再生不良人間になってしまった。つまるところどうしようもない人間が大量生産された。福岡県の三流公立の話だ。たいして英語ができない奴まで教員採用して英語狂想曲が起こっている。英語への狂い方はこれほど尋常ではないレベルだと言いたい。

ここでどうしても疑念がわくのが朝鮮高校だ。僕は個個の生徒には何ら特別の感情を抱くものではない。然し目の前に朝鮮語と英語の問題用紙があったらあの切羽詰まった状況では、僕は朝鮮語の方を解く。なおさら18歳の少年には当然のことではないか。

ただあまりにもその英語韓国語の差が極端だ。朝鮮高校では英語を勉強しなくてよいということになる。

在日朝鮮人の若者には申し訳ないが書かざるを得ない。君たちはセンター試験をうけようとする時点で既に50~60点をもらっていることになる。

大学入試センターの組織全体の能力不足も感じる。普通の日本人学生に不利益をこうむらせるのもいい加減にしろ。今まで継続して朝鮮人優遇政策がとられてきたことに何か不穏な意図を感じる。

どの大学にも実力以上に評価され我が国の税金を蚕食する人間が紛れ込んでいるはずだ。

その分日本人はわりを食ってるじゃないか。合格したはずの人間が落ちたじゃないか。

大学入試センター、朝鮮人優遇をやめろ。

Posted at 2012/01/15

Токамак( トカマク型)

2012年11月15日 | 技術

センター試験が終わった。いつも苦々しく思うのは、たかが大学入学センター試験であるのに人間資格試験のようにマスコミ総動員で大騒動することだ。東大クラスの5000人ぐらいを除きほとんどは役に立たない馬鹿だ。

という理屈でいけばここ九州大学なぞはなくてもいいところだ。現に戦後しばらくの間は行く人がいなくて3次募集までしていた。

ところが時がたてば変わるもんだ。核融合の研究では九大は世界の最先端を行っている。日本原子力研究開発機構(Japan Atomic Energy Research Institute,JAEA)(略称:原研,げんけん)の研究に参加しているが、他の大学の追随を許していない。

東大の頭脳と予算と施設と指導陣をもってしてもできない多くの世界記録を持っている。

水素を磁気でとじ込めようという発想だ。水素原子は一個の電子を持っている。このペアの関係を強い磁気でバラバラにしようというのだ。すると原子核同士がぶつかりやすくなる。電子はマイナスに帯電しているからその電子が退くことにより原子核は融合する、ということを目標にしている。

1+1=1.01ということが起こる。1個の水素原子核と1個の水素原子核が融合すると余分な0.01が生まれる。この0.01を利用して連続的な反応をめざそうとしている。(0.01は例えばの話)

E=MC2からMのわずかな減少分がE(ここで言う0.01)を生むと考えます。

どうやって閉じ込めようかと苦労した結果、トカマク型に落ち着いた。ソ連の学者さんはえらいな。1960年にこれをやるんだから。

このパンドラの箱には何も入っていないかもしれない。しかし核分裂型の発電には悪魔が入っていることは最初から分かっていた。ウランは石油ほど地球にはない。放射能は必然的に出る。廃炉を処分する技術は確立していない。廃棄物の保管技術は夢物語だ。「もんじゅ」や「むつ」は2兆円以上を海に捨てた。頑張って何かが生み出される話ではない。核融合とは根本的に異なる。

核融合の箱には希望がもう見えている。九大は30分近くプラズマ水素を閉じ込めた。最初は100万分の1秒のレベルから始まった。原料は海水で無限だ。放射能は出ない。廃炉を処分する必要はない。核廃棄物はそもそもない。フランスが追い越したぞ。

頑張れ九大。

Posted at 2012/01/15