か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

人を殺すなら神奈川県におびき出せ

2017年12月27日 | 事件事故

前回書いた事件とは別の事件であることをあえて述べてまずは引用から、

川崎市の多摩川河川敷で中学1年上村遼太さん=当時(13)=が殺害された事件で、殺人罪などに問われたリーダー格の少年(19)を懲役9~13年の不定期刑とした横浜地裁判決が25日、確定した。

出典:懲役9~13年が確定=リーダー格の少年―川崎中1殺害 時事通信 2月25日

朝鮮、中国には「衡平」という言葉がある。「こうへい」と読み「公平」のようなことだが、とくに二者のそれぞれに行われた褒賞や罰が、誰の目にももっともであることを言う。電気に詳しい方は平衡フィーダーとしてこの漢字に出会われたことと思う。つりあい。

そこで上記の事件の判決と下に引用する事件の判決がはたして「衡平」性があるのかということを問う。一昨日の刑事判決についてである。

引用

12/26(火) 17:46配信

毎日新聞

 神奈川県平塚市の認可外保育所で生後4カ月の男児が死亡した事件に絡み、保育所にいた別の女児らにわいせつ行為をしたなどとして強制わいせつと児童ポルノ禁止法違反(製造)の罪に問われた元保育士の角田悠輔被告(36)に対し、横浜地裁は26日、懲役15年(求刑・懲役18年)の判決を言い渡した。  引用ここまで

単なる変態保育士による殺人事件のようだが、男児死亡事件と女児わいせつ事件は同一の角田被告の犯行であることが極めて濃厚であるにも関わらず、判事、検事、弁護士は公判前整理手続において分離審理に同意した。(別の裁判にした。)

この同一犯による、ほぼ同時進行された事件を裁判の迅速化だけのために分離審理した。このことが他の事件と大きく公平性を欠く判決に行きつく

公判前整理手続き(こうはんまえせいりてつづき)とは裁判が始まる前にこの3者が裁判の進め方や証拠を任意に出し合い能率的に公判の迅速化を図ろうというもの。

で、被告には前科累犯がある。服役もした。神奈川県はそれでも保育士の免許は取り上げてない。プラス嬰児(生後4か月)殺しプラス当該保育園女児に50回のわいせつ行為。客観的に見て被告が死刑にならなかったら日本は死刑を廃止したことになる。

ここで言いたいのは全体の罪の軽重ではない。罪刑法定主義。罪の軽重の大枠を決めるのは立法府の役目だ。今回は論点ではない。

とにかく裁判のスピードアップのために嬰児殺しと50回におよぶ女児に対するわいせつ行為は分離して裁判することになった。そして一方の事件、50回におよぶ女児に対するわいせつ行為について15年の判決が下りたのだ。

わいせつ事件として懲役15年なら、殺しは25年だろう。だんだん英米法の世界になってきた。罪状の積み上げ方式。足し算をすると懲役40年だ。

それぐらい食らって当たり前だ、この変態野郎、人殺し。この国は人殺しが死刑にならない国か、…という声が聞こえる。

おまいら、みそもくそも一緒にするな。

死刑にしようにもできないのは分離審理を決めたからだ。合わせ技一本で罰は決まるべきだ。ところが一部の犯行に対し判決が出た以上、二度とそのことをほかの起訴内容に加重してはならない。(二重処罰の禁止)

元保育士の角田悠輔被告(36)は、15年食らったわいせつ事件はどうでもよく、殺しがどう裁かれるかが関心事だろう。

裁判所は、変態雑魚はさっさと始末したいのだ。分離してそれぞれさっさと結審する。どっちみち死ぬまで娑婆には出てこない。こうして分離できない、あるいはしてはいけないものまで細切れに判断する。これでは大枠としてのバランスが狂ってくる。一つの事件はそれでよかろうが他の事件との「衡平」性(=つりあい)が狂う。

一事不再理は何のための原則か。公判前整理手続きには異常に熱心で能率ばかりを優先する。裁判に素人を混ぜ裁判員制度を強行したの負の側面だ。

公判の迅速化は結構なことだ。だが、してはならぬことをしてまで行うほど裁判員制度は伝家の宝刀ではない。

結論

それぞれ上村君事件も嬰児殺しも、似た状況の下での事件だ。抵抗できないものをうっぷん晴らしのために殺す。とくに嬰児ごろしの角田被告は残忍だ。だがそこらの人殺し不良が懲役10年なのに、わいせつ写真を50回とって懲役15年は「衡平」性を著しく欠く。

 

 

 


人を溺れ死にさせても見逃す国が、どうして国民をミサイルから守れるか

2017年12月23日 | 事件事故

<引用  毎日新聞2017年12月19日 18時30分

川崎市多摩区の多摩川で昨年12月、横浜市瀬谷区の少年(当時18歳)が死亡しているのが見つかった事件で、横浜地検は19日、殺人容疑で逮捕された東京都調布市の無職の男(22)▽同世田谷区の指定暴力団・住吉会系組員の男(21)▽同区の無職の男(22)▽埼玉県三郷市の無職の男(21)--の計4人を不起訴とした。

 

またまた痛ましい事件だ。犯人のうちだれか一人が主犯であるのか、あるいは、共同正犯であるのか、これを特定しなければ日本の裁判では公判が維持できない。

したがって、だれかがやったことには間違いないが、誰がやったかわからないときには検察は事件をなかったことにする。検察の主たる仕事は治安維持だから。

給料も安い。うまく昇進しても年1500万程度だ。試験の困難さからすると見合った額ではない。

僕らみたいな小さなゴミみたいなバイク泥棒に関しても、警察の関心事は事実確認だけで説諭を受けたことはない。

警察は少年からけんにこう言った。誰が言い出したか、誰が最初にバイクに触ったか、一番積極的だったのは誰か…もし捕まると事実を厳しく追及される。だが起訴はない。

人間は学習する生き物だ。起訴がなかったら罰もない。罰がなかったらまたやる。今回の人殺しも同じだ。

福岡県ではバイクは盗られた人が悪い。しかし家の中に置いている現金150万円を泥棒するのと同じことをしている。中学生に蔓延するバイク泥棒はしていいものだという道徳は警察が作った。神奈川のように人殺しをしていい県ではないが、泥棒はしていい。正される日は来るか。

ま、無理だな。治安維持とは関係ない事件だ。全員がバイク泥棒になって騒乱状態になりそうなときはバイク泥棒を捕まえる。

今回の事件もそうだ。街のチンピラの勢力争い、金銭問題なんかに検察がやってられるかという気持ちがある。違うと言い切るならこの住吉会系が犯人でなくとも真犯人を探す努力を続けろ。

 

流石に冬裸にして川に蹴落とすという残虐な殺しとなると世間の目もあるので捜査をしたが、検察は不起訴にしやがった。住吉会からは感謝状がいくべきだ。

現場の警官の悔しさを察するとまさに怒髪天を突く心情だろう。何のために口の堅い証言者から苦労して証言を得たんだ。非番の日も働いた人もいるではないか。証言者も何のために勇気を振り絞ったんだ。チクリの復讐は死だ。

人間の怒りとして当然だ。よくわからないバカな人は冬の川で全裸で泳ぎなさいよ。あがってきたら僕が沈めるから。悔しかったろう、寒かったろう、無念は晴らすぞという警察の思いに検察は答えていない。

不起訴とは、次のような場合だ。人違いでした、まったく犯人と関係ありません、勝手に18歳の少年は全裸で寒中水泳をしてました、この少年こそわいせつ物陳列で逮捕すべきでした。そばにいて止めたけど聞き入れてもらえませんでした。こういうときが不起訴なのだ。あ、よく考えると30年前の事件でしたとかいうときも(時効)。

ほかに嫌疑不十分で公判の維持が確実でないときは、せめて起訴猶予という手もある。検察自身が捜査する権能がある。こうするのが順当だ。警察は証拠と熟慮の果てに送検するから、今度は検察の番だ。黙って合理的な理由も示さず不起訴にするのは反逆だ。

本当に人違いだったとしよう。そしたら警察を指揮し、情報を共有し、捜査を継続するのが当然だ。

自己保身のためあるいは自己の虚栄心のためならどんなにむごいことをする。それが検察か。事件処理において人権を中心におく検察のすることか。無罪判決が出たらカッコ悪いもん。ぐらいの事だろ。

80年代の正義感に燃えた侍はどこに行った。

事件発生は、ちょうど今頃だろ。神奈川県では人を殺してもいいのだ。じゃあ俺が殺すから警察と検察は川で泳げよ。

約束だ。


ウソはしきりと絶叫する   36

2017年12月20日 | 韓国

栄誉の志願兵応募 79600名  東亜日報 1940.2.23 夕刊2面

 

咸南が最も多く19000名、中等学校卒業者200名。来る4月各洞でで選考

名誉の志願兵として国民としての忠誠を果たそうと兵門に集まってきた者が、第三次朝鮮人陸軍特別志願者募集に去る10日締め切りの日までに合計79602名を突破した。その中から適格者が36770名で3000名募集定員に適格者だけでも10倍を越え、血書を書いて志願したもの110名、中等学校卒業したものが192名現職巡査が1名の状況で、再び各道別にみると志願者総数は咸南の10901名が最も多くそれぞれの人数は全羅南道の4638名がそれに次ぐ。

この志願者はつぎに各道で選考試験を受けた後、5月には軍部で徴兵制に基づく身体検査を実施し合格者を発表する。そうしたのちに7月に第一回目の1000名を志願者訓練所に入所させ4か月間訓練をするようになった。のころの2000名も次々に4か月ごと訓練を受けたのちに入営することになるはずであり第一回12000名に対し79000名に一躍26倍に増加したということは、成績が良かったからであるというよりは朝鮮人青少年間にいかほど志願兵熱が燃え上がっていたかを知ることができる。

出処  ネイバーデジタルニュースアーカイブ

 

われら朝鮮人は軍に志願して命がけでアメリカ軍とたたかった。日本人とともに

(映像は©の設定がなされていますので割愛します)

 

50余名の処女を誘拐。養女にするからといって白紙委任状を取り犯罪敢行 (東亜日報 1939年 3月 28日 第二面)

              

北支(北支那)、満州で大部隊を率い買いあさった。第二の河允明事件 拡大

少し前、府内(ソウル市内)西大門署で誘拐魔夫婦、河允明事件、異常で奇怪で大規模な誘拐魔團の一団5名を一網打尽にしたが捜査は継続中であるともれてきた。その後同署での取り調べが続けられた結果、はたしていちみの千順童(35),千億萬(24)の兄弟がすでに包囲網を脱出したという意外な事実が判明し、26日同署では金、閔、石部刑事たちは千家兄弟たちが脱走潜伏したという仁川の某旅館を襲い成功裏に逮捕して厳重取り調べをした結果次のような、人も神すら怒り出す無盡罪狀が続々と判明し取り調べ警官は驚愕したという。

すなはち、千順童は今から4年前彼のいとこや甥など親戚兄弟をソウル各地に送り貧しさに泣き、あるいは浮かれて舞い上がった田舎者の処女の父兄を訪ね、養女になってくれはいい服を着ていい食事ができしかも勉強までできるし、適齢期になればソウルの金持ちの妻ということにしてやるなどなど、あるいはよいところに就職させてやるという様々な甘い言葉を並べあたかも本当であるかのようにだまし、養女になるという白紙委任状と、または戸籍抄本印鑑証明などを受け取ると女給あるいは酌婦などに売り、若すぎると下女として虐待し成長するとやはり賣笑婦、人肉市場に渡していたというのである。以上のような巧妙な手段を使う兄弟の毒手の犠牲になった少女あるいは主婦は、現在同署に救出されたという裴錦順(19)、李玉姬(16)など15名に至る。これ以外にも北支満州あるいはソウル市内で売春婦として働かされていたものは分かっただけでも35名になる。今後いくらに増えるかわからないという。

 

<次回用メモ>  21中段  団長は千家兄弟の残党を掃討している

 


受験生 ・・・そして君らは途方に暮れる

2017年12月18日 | 受験・学校

僕は、ブログ「みんカラ」で、センター試験の心構え、なぜ君らは模試の点が伸びないのかについて、ご丁寧にも科目ごとに書き始めた。誰も読まないので途中で止めた。

今は追い込みの時期か。暗記だけで通る4流大学しか行くところのない人はそうだ。勉強したことないから今頃でも追い込める。伸びしろが無限だろ。

まともなところに行き勉強をしようと思う人にとっては、合格発表のメールを見て当たり前だと落ちついている自分が見えているはずだ。追い込みは高校2年の後半にすんだ。今、軽く流していても順位は変わらない。

そもそもぎりぎりで通ってなんになる。

スカイラインの群れに間違えて来たコペンが喘いでついていくようなもんだ。

 

センター試験の問題をあまり褒める人はいない。本当に試験形式で解いてみた人の誠実な所感と比べると巷の講評は的外れである。

センターは実によくできている。文科省が三流学生は暗記力だけで選考しろという圧力をかけている。三流の人間は考えたらいかんのだ。大学入試センターは、それに精いっぱい抗っている。

90点はバカでも家庭環境が整っていれば取れる。解いてみるがいい。だが、100点は取れないはずだ。

 

すべての問題は、精緻なからくり寄せ木細工だ。確実に、用心深く、ミスをしないが発想もない、言われたことは金科玉条、ルートを外れることは悪いことと信じる者を三流大学は量産する。

個性は、ない。あるはずない。統一した試験問題でどうして大学の個性がでよう。

 しかしだ。それにすら届かず、大部分の底辺おそ松大学に行くともっと大きい悲劇が待っている。

いままで高校では東大に行くものもいるがどこにも行かないものも混在している。ピンキリの生徒で構成される高校の教室という世界で、優れた者がいかにすさまじく優れているかを毎日見ることができた。

 

4流私大というところは、センター試験で選ばれた言いなり小僧たち以上に、それにすら届かない知的障害者の集会所だ。一様なバカのシグマだ。できるやつはそれなりのところに行ってしまってそこにはいない。

なんとうれしくない入学式だろう。静かな講堂には絶望感が漂う。貧血を起こした時のように。

 

それほどバカな私大ではなかったが、僕が授業をしていると後ろでタバコを吸うものがいた。たまに出席を取るからいるだけだ。バカだ。出席表なんて帰りのバスの中に捨てるのに。

バカに囲まれると発想力が死ぬ。ああこの子も久大(九州大学、帝国大学系列だがここは人が集まらず3次募集までしていた。今やエリートのいくところになった)に通る力があるのにバカのるつぼに溶けていくんだなあと思う学生が何人もいた。実験室の機材は中学以下だった。水の電気分解しかできない。因数分解ができない学生。理系が。

 

完全に平等(公平)にフェア(公正)に選抜することは不可能だ。だが選ぶ側は、できるだけフェアを目指すべきだ。環境も、とくに家庭環境。公正を例にとると、親の教養がないと勉学を継続することはできない。ぐうたら親は子殺しをしている。

僕は日本の大学は1年でやめた。若干、韓国のほうがセンター試験は工夫がなくやさしかったが、学生一人一人にノブレスオブリージュの自覚があった。教えて楽しい。

 

日本。この次のセンター廃止後の統一試験の工夫は素晴らしい。100万人に対し記述式などあり得ない。だがいかに思考力を見るかに相当の知恵を絞ってある。

少し光を見た。

官僚の発想ではない。学校を回って現場を知る課長クラス、大学の若手のチームが精魂を込めている。

 

今年は過去問を使いまわしする。過去問を解け。見たことのある過去問と同じ選択肢を発見したら読まずに次の選択肢に進め。それが正解であるはずはない。時間を節約しろ。たまに外れることもあるが全体としてはこの方が点が伸びる。手も足も出なかったら3にチェック。


うちの年末

2017年12月17日 | 日常

クリスマスリースを自作した。

山からつたを取ってきてぐるぐる巻いた。毎年のことだが少しは進歩があるし出来上がりがはやくなった。はやくなったのは去年のを流用した部分が多いせいもある。

松ぼっくりはプラカラーで緑や金銀にスプレーする。今思うと金が良い。松ぼっくりの先に紙粘土で雪がついているようにする。だが、紙粘土は乾燥すると割れるので何回も盛り付ける必要があり飾る時間がなくなりそうで辞めた。

金のスプレーにをした松ぼっくりに白い紙粘土の雪はとても上品だ。

工夫の余地があると来年に向けての創作意欲がわく。完成と思ってしまったら墓場にいることと同じだ。成長もなく意欲もなくなる。

ベルはワインのおまけ、花びらとテープは紙で作った、枯れた柊は白スプレーでごまかし

糖分をとると脳が冴える。はっきり自覚できる。ところが当然血糖値が上がる。病院の医者が「死にます」と言った。3か月かかってやっと正常値になった。最初は測定不能値。これはたしかに怖かったので保険外の治療を仕方なく受けたが毎回2万もとりやがった。きっとネコババしている。僕は、意地張らずに医者になっとけばよかった。

腹が減ったので糖分の代わりに炭水化物で我慢した。医者はそれもいかんと言った。そしたら食うもんがない。

二人分ではない ダブル特製うどんと普通のうどんを一人で食う ラーメンなら替え玉5回 この替え玉とは全国にあると思っていたが九州だけだそうだ 食欲に限らず煩悩の消える日はまだ遠い

リースも夜撮るとなかなか良い。素敵な家に住んでいるようだ。

クリスマスにはバイオリンを弾いてケーキを作る。僕がケーキ職人をしていた時は一番苦しい時だった。父親は妾を作って行方不明、母親は家のカネを使い切る。仕方なくケーキ職人の見習いになった。死んでたまるかと思い最高の試験を目指した時だ。

試験には合格したが何にもいいことはなく、今、子や孫にケーキを作ってやるのに役立っている。それでよし。  Es ist gut.

 Frohe Weihnachten

 

 

 

 


Rudolphs Sammlung

2017年12月14日 | 西洋歴史

卓上時計

 

ルドルフ2世は、父がプロテスタントに理解を示したため、その影響を嫌うハプスブルグ家はカトリックの牙城スペインに彼を送った。やがてそこでカトリックを信仰した。また、弟との不仲は弟の勝利に終わり神聖ローマ皇帝の帝位をはく奪される。

帝位にいたときプロテスタント弾圧は過酷を極め、ドイツ30年戦争の遠因を作った。

こんな自画像を描かせていた

人間は厳格な人もいれば寛容な人もいる。一人の人間でありながら厳格冷酷と寛容温和をうまく使い分けるのが支配者の必須の条件だ。この使い分けが全くできていなかった人がルドルフ2世だ。

しまいにはうまくいかない世の中が面白くなかったとみえ、現実逃避、空想の世界に浸る。城から出ることもなく、宗教対立、迫りくるトルコ帝国の脅威、没落するハプスブルク家…まさに内憂外患だった。

彼のコレクションは狂気を帯びている。王であったころ庇護した科学者のような、占星術師のような、錬金術師のような、わけのわからないものの中からすさまじい人物が出た。わけわからない人物を自由に活動させる度量だけはあった。

彼が権力を失うと同時に、研究成果、絵画、工芸、その他収集品は散逸、盗難、破壊される。

泥棒達には何の魅力もなかったケプラーの著作は、良く残っていた。「ケプラーの法則」自体を述べた本はなかったが、その他の本でも十分力作であることが分かった。

ルドルフはケプラーをことのほか庇護した。

このころは、あのコペルニクスでさえ天体は円運動をしていると信じていた。望遠鏡というものがなかったこの時代、天体観測は肉眼で行われた。弱視の彼は助手を置くが、計算は一人でするしかない。

ぼんやり読んではいかんぞ。空を肉眼で見ているだけで惑星の軌道が楕円であると分かるか。しかもほとんど円に近い楕円。ケプラーはそれをやり遂げた。

惑星や一部のすい星は2個の焦点を持つ楕円軌道を進む。2個の焦点からの距離の和が一定になるように進むのである。そのころわが国は関ケ原の合戦をしていた。

どうせラテン語で書かれてはいるが大体似ている単語もあるのでケプラー予測のところを見たかったがケースの中に入っていたので残念だった。1998年に解決されたとされたが、僕は反論がある。

2008年にも計算をやり直して真実性を高めているが、そんなことをしても数学ではない。ただの計算だ。法則は証明を求めている。

本物に接するということがいかに大事なことであるか。これがバカには一生分からない。それをわからせるのが学校教育の務めだ。暗記ごっこでお茶を濁すバカの集会所になった日本の高校に将来はない。

別の機会だったが、「プリンピキア」に素手で触らせていただいたとき体が震えた。理論のすごさを通じて先達の努力や誠実さを学ぶ。そして、最終的にはScienceに対する畏敬の念を抱く。それが自分の人生に誠実に向き合うことになる。学校はそのためにある。

理解しないバカほど頭(ず)が高い。


鍋島直正記念シンポジウム   2

2017年12月13日 | 学問

引用

1852年(嘉永5)わが国で初めて反射炉の建設を成功させ、大量の銃砲を購入し、西洋艦船の製造・購入に努めた。また蘭学(らんがく)を奨励し、種痘(しゅとう)を施行し、幕末に薩長土肥と通称される雄藩の実力を養った。藩政改革の成功の反面、幕末の幕府・朝廷をめぐる政争への介入には一貫して慎重であり、直正は1860年(万延1)の幕府の召命を固辞し、翌1861年(文久1)隠退して二男直大(なおひろ)に家督を譲った。その後も招きによって再三上京したが政争への参加には慎重であった。戊辰(ぼしん)戦争では、強力な軍事力によって官軍に重きをなし、大隈重信(おおくましげのぶ)、江藤新平(えとうしんぺい)ら藩の実力者を新政府に送り込んだ。

出処 日本大百科全書(ニッポニカ)

ということで、佐賀藩は薩長土肥のなんと雄藩に列せられた。実情はかなり違って、物は言いようだといういい例だ。

佐賀城内堀

会場のニューオータニの結婚式場

会場

上記の引用は嘘ではない。佐賀藩は日本一の武器、アームストロング砲を持っていた。他藩は先込め式でライフルリングのない関ヶ原以来のお粗末なものだった。上野の戦いはこの佐賀藩のアームストロング砲が決した。

つまり明治維新はこの砲の先から飛び出した。

他にも、好生館(日本最初の総合病院)、種痘、蒸気機関車(これも日本初)、反射炉による製鉄…。

磯田さんは遠慮してはっきり言わなかったが、問題は、直正が討幕か佐幕(幕府を助ける)か態度をはっきりさせなかったことだ。じっと状況を見てほぼほぼ勝敗が付いたところで勝ち馬に乗る。義(正しきこと)に生きる武士からすると、今までの生き方と正反対の行動だ。

僕はだから素晴らしいと思う。

どの社会、団体、会社、集団…。慣習を変えるとなると相当の覚悟がいる。その変化の時期が来るまではのらりくらり、批判を一身に浴びじっと耐える。

葉隠れとは、この苦しさを述べている。「武士道とは死ぬことと見つけたり」は一面真実であり受けもよい。だが死ぬこととは死ぬほどの苦しみということだ。

とくに佐賀の農村部では話しかけても必ず2秒おいて返事をする。北九州、マイナス0.5秒。人の話にかぶせずには話さない。福岡、0.5秒。宮崎、3秒。

直正は、ぼーっとした風体で印象のどこにも革新性はない。それがやるときはやる。勝ち馬に上手に乗ったとはいえ間違えたら死ぬ究極の判断だ。

その後も人材の輩出はとどまることを知らない。僕の好きな江藤新平、日本最大最古のODAつまり日本赤十字社を作った佐野常民、嫌いな大隈。

大隈記念館

大隈の生家(再建)

唯一その気風をよく受け継いでいるのが佐賀西高校だ。5回ぐらい出張したが、生徒を見ると、本当にお前は佐賀人かと思うほど理知的な顔立ち、控える態度、しつけの良さがわかる言葉遣い、肝心の偏差値。

佐賀西高のそばで銀杏を掃くおじさん

教室に行くと若い江藤新平がいる。直正、大隈もいるが佐藤尚武大使がいる。

ミサイル火星号は、佐賀に落ちてほしいがスーパーモリナガと佐賀西高に落ちてはいけない。

ケプラーについては明日。今日は流星をみる。

 

 

 


鍋島直正記念シンポジウム   1

2017年12月10日 | 学問

佐賀県庁

どの県も県庁付近は他県からの来庁者も多いので、とりわけきれいにしている。福岡県は無理に東区に建てたので環境がよくない。今のアクロス付近にあった時は交通の便もよく瀟洒な造りは印象が良かった。

今や中身も外見も下品になった。チャウシェスクが自分の名前を模したアパート群を立てたが、同様に当時の知事は自分の名前を模した県庁の作りにした。言い逃れは用意していて、黒川紀章がやったことにした。汚い公務員のアホ知恵だ。

佐賀もここまでひどくないが、鍋島公のお膝下に県庁を置くなど公務員は殿様気取りだ。逆に、わざとでも封建支配者の居城を避けたところに、民主県庁は位置するべきだが望むべくもない。

 

今回、シンポジウムの前に県庁付近を散歩した。その時の写真を並べる。

今回熊本からここに出張していたころを思い出した。会議は中身がないので一回も出たことはない。出席しない人が多かった。予算を残さず捨てればいいのだ。会議をしたという事実が必要なだけで、人がどこにいようと関係ないのだ。

ただホテル宿泊費は実費ではなく、職位によって差が付けられていて、若い僕の旅費は少なかった。先輩とニューオータニに泊まると足が出るので変だなと思っていた。先輩は逆におつりが出る。

ああ、僕も十分な出張旅費がもらえるまで公務員をするだろうか、と思うとなぜか実感がなかった。

闇給与全盛の時代であったから賃金格差もひどく、何より昇進すると給与表自体が違い、この出張旅費が給与に匹敵する額だった。今でもそうだ。だからカラ出張は続く。

なにも見せるものがない佐賀県だから、子供が笛を吹いたり原子力の煙を見たり、挙句の果てには本当に何もない干拓地を案内された。こんな空き地は困る。サボりようがない。予算消化、予算消化。

熊本県も同じ状況を抱えるから、出張旅費には気を遣う。佐賀県のバカ役人を受け入れないといけないから。

べつにこの2県に限ったことではない。九州全体をネットワークにして、互いに税金という蜜をなめあっている。部長は日本を、その上の知事は世界を、遊び出張カラ研修で飛び回る。

その悪の巣窟にも例外はいた。福岡県にはいない。文科省には絶対いない。このことを否定できるものならしてみろ。外部から言ったら承知しない。

その例外。僕より10年ぐらい上だったからもう退職したかもしれない。役職は忘れた。知事部局から内部出向して委員会に来ていた。

僕だけが雰囲気が違っていたのだろう。「先生は高校からですね。」という最初の言葉を覚えている。僕は否定したと思うが、あとは庁舎の後ろの庭や図書館あたりを散歩して大いに盛り上がった。

外から見るといいところばかりみえる。公務員は比較的楽な仕事だが天国ではない。少なくとも良心が残っている人にとっては。

人間は無駄と分かっていることをいくら金を貰うからと言って意欲的にやることはできない。良心が残っている人は。

人間はいけないことと分かっていることをいくら金を貰うからと言って意欲的にやることはできない。良心が残っている人は。

したがって、良心的な人は悩んでいる。まじめな公務員は悩んでいる。福岡県と文科省以外にはどこにもいる。

…みたいなことを話した。

 

ごく一部であっても彼らが管理職になった時、改革の核になる人だ。すべてを簡単にヒガミ根性丸出しに公務員を批判してはいけない。

 


二人の帝国海軍中将

2017年12月08日 | 故人

戦艦武蔵

偶然にも僕の家はお二人の家に近い。お隣りと言ってもいいほどだ。僕の子供はよくそのうちの一人に遊んでもらった。

もちろんお二人とも鬼籍に入っておられるが、悩みぬいた軍隊時代であったことには変わりない。

山城の船体の位置があきらかになったが、こんな練習船など、はやめに解体すべきであった。それを軍令部は「死に場所を与えてやる」と告げ、艦長はありがたく拝聴した。

山城(改装後)

どんなにカッコつけても、改装して30㌩(50㌔/h)どころか25㌩しか出ない。そんな遊覧船程度の船で第二次世界大戦を乗り切ろうとしたのがわが小日本だ。

数年も前から夜戦の勝ち目はアメリカにあった。わざわざ鉄と命を捨てにフィリッピンに突入する。突っ込んだ山城は集中砲火で沈んだ。もし突っ込まなくてもやがて沈んだ。米軍に比べ1/100の弾数だ。どうしろというのか。

戦力の差が5倍以下までなら精神力や練度で勝敗が決まることもある。しかし精密な観測、100倍の物量、十分な休養と食事をした兵。それに挑むことは勝ち目のないただのバカテロだ。

 

伊藤中将は戦艦大和の最後の艦長だ。伝習館高校から兵学校に進んだ、まさに文武の天才だった。

往々に、バカは理解力がなく、2度3度くりかえし言ったことに対し思い出したように反論する。こんな時、伊藤さんは言い合いを避け黙って聞いていたという。

平時ならそれでよい。戦時は、即決射殺しなければならない。だが武蔵にはそんなのろまは3000人中一人もいない。どの一人も生きていれば日本の中枢になった人たちだ。

バカが多数になり日本は道を誤った。声の大きい奴は責任を取らず、こともあろうに寡黙な人間に貧乏くじを引かせた。

水中の落ち葉 兵やあはれ

 

貞金中将は、修猷館から兵学校に進んだ非の打ちどころのないエリートだ。昔の人にしては大柄で大きな戦艦武蔵の模型を部屋に飾っていた。街中にポツンと豪邸がある。自分の生きざまを背中で教えた人だ。ご子息すべて優秀だ。

彼は戦艦陸奥の砲術長から戦艦武蔵の副艦長に進んだ。詳しい方はご存知だ、砲術長という任務がいかに高等数学を要するものか。僕は本人からよく数学を習った。問題の背景にある広い世界を教えてくれたので数学の世界を広めることができた。バカには無理なことだ。

貞金さんは副艦長として戦闘詳報を大本営に持ち帰る仕事があり3000人の船員を見殺しにしても持ち帰った。それは当然の仕事だ。

一方、栗田はその際間違った戦闘指揮により終戦を半年はやめ、原爆を落とすチャンスをもアメリカに与え、降伏する能力さえ日本から奪った。25万人の兵がルソンで餓死することはなかったのに。アメリカはダウンした日本を蹴り続けた。しかしセコンドはタオルを入れなかった。

現場で勇猛果敢に戦った人は捕虜虐殺などで戦犯として銃殺になり、牟田口や栗田、南雲、富田、青木…の無能たちはなぜ戦後をのうのうと生き抜いたか。

平和をほしがるなら戦争を考えろ。

平和を言うな。人殺しをして平和に生きた人間を殺せ。


いい後輩

2017年12月05日 | 思想

今頃アザミが咲いた

 

僕にはいい後輩がいる。ぼくは、さんざん権力に逆らってきた。だから当然に、先輩や同僚は僕の敵だらけだ。

こうして権力に逆らうのは、彼らが、人倫に悖る行動をとり、「上」にごまをすり、自分個人の利益を増やそうとするせこい奴らだからだ。

決まって能力がなく、上に寄り添いあたかも自分の考えが上の考えであるかのように、上の言うことには深くうなづく。バカだからなーんにもわかってないくせ。

怒りの一年が過ぎる、また始まる

残念なのは、上の人が見え透いた点数稼ぎと、地道な努力をする人を、区別できないことだ。そうしてバカな競争で昇進したまさにその本人が査定をするので、いきおい会社はゴマすり競争になる。

バカの悪循環である。バカ度がひどいと昇進がはやい。そんなごますりやろうは、もともと仕事能力がないので思い付きで邪魔にしかならないことを偉そうに言う。

部下から信頼の厚い人は昇進しないというのは永遠の真理かもしれない。

それでもいい。まともな仕事をしているとどこかで日の目を見るのだ、と一番のごますりが言うから良識的な人間たちの中では笑い種になった。

アカタデ(アカマンマ)中野重治は「赤まんまをうたうな」という詩を書いている…

 

福岡県は、とくに高校は、組合の力をそぐためにあらかじめめぼしい人物に目をつけて反共性が強いことを条件に点数をゴマ化して合格させている。

そこで県内の進学校では能力不足のアホが教壇に立ち深刻な事態になっている。バカは治らない。博多高校でなくとも蹴りたくもなる。

 

昔糸を通して遊んだ

何を間違ったのか死をも恐れぬ下品なごますりがいた。僕に狙いをつけてこまごまとした嫌がらせをして僕の評判を下げたかったようだ。

だから僕は殺人企業電通にいたまつりさんの気持ちがわかるのだ。辛かったら辞めればいいじゃないかって?自分ができんことを言うな。

まつりさんの板挟みは相当なものだったろう。だから僕は人殺し電通を許さない。必ず人殺しを追い詰める。

いいか。僕は175センチ75キロだ。悪いが先に手を出せば絶対負けない。必ず先に手を出す。ところが組織の中にいると、全体の動きの迷惑になることなんてとてもできないものなんだ。数少ないが尊敬する先輩もいる。

半年後、、DENTSUの前に片付けることが生じた。やっとのことで決心がつき該当者を血祭りにあげた。そして僕は辞職した。けじめだ。ただ悔やまれるのはとどめを刺さなかったことだ。武士の情けと思った。おかしいな。僕は武士じゃないのに。

後輩が家に遊びに来て楽しい時を過ごした。「からけんさんが嫌っている人は障害者になりましたよ。」

彼の深い配慮を読み取らなければ年をとった意味がない。もうやめましょう、という伏線がある。

とはいうものの、自分が偉くなるために人の失敗をねつ造し大げさに人前で、そういうこっちゃあこまります、と言った、こともあろうにこの僕に。

障害者になるのは当然だ。こらえるのが正解か。ねつ造されたことがらで侮辱され、へらへら同意するのが正解か。

食えないやつはどこにでも転がっている

ともあれ、僕は後輩の言う意味がよく分かった。僕の性格からして必ず相手をもう一度やる。そこで彼は、もう矛を降ろしてくださいと言いに来たのだ。やさしい奴だ。

なんとありがたい奴だ。

徳は孤ならず、必ず隣あり。孔子 

絶望の壁は意外ともろい。壁を叩き脱出口を開けろ。人生は限られているのだ。チンピラインチキ野郎をのさばらせてはいけない。