か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

こしぬけAFC

2017年04月28日 | 思想

私はサッカーが嫌いだ。全般に集団でやる競技は嫌いだ。理由は反論を防ぐため別の機会に言う。

ほかの例でいうと、ブスを見ると虫唾が走る。そこに理由など問わないのが「粋」というものだ。

今回、門外漢でありながら書かずにはおれなかったことがある。サッカーの競技自体には関係ない。

スポーツ報知 4/28(金) 6:05配信 抜粋

川崎が無観客試合のピンチに陥った。25日に敵地で行われた水原三星戦の試合前に、川崎サポーターの男性2人組が旭日旗を掲げた行為をAFCが問題視。AFCの「規律倫理規則」内にある第58条第3項の「差別行為」に抵触すると公式サイトで発表。5月上旬に開催予定の規律委員会で規定通りの処分が下されれば、最低でもホームでのAFC主催2試合の無観客試合と1万5000ドル(約167万円)以上の罰金が科せられる。 以上

 

韓国が旭日旗を嫌い始めたのは最近のことである。帝国の侵略の象徴を、韓国を苦しめた象徴と置き換え、教育で洗脳された嫌日感という幻の感情を根拠に、批判力のない低脳が球をけりながらありもしないねつ造事件を根拠に旭日旗を侮辱した。

あるときは、サッカー場に旭日旗がなかったにもかかわらず、その存在しない旭日旗をどういうわけか根拠にして反日嫌日感は半島を覆った。

その嫌日反日感の気持ちの持って行き所をまとめるため思い出したように旭日旗を持ち出した。つまりうそをついた。

ありもしなかった韓国という国が日本帝国の犠牲になったと馬鹿でもわかるデマが韓国では常識だ。韓国という国は1948年にやっと成立している。帝国はその3年前に滅んでいる。

 

旭日旗はのちに海軍旗として使用された。韓国全土に、はためいていたのは日章旗であり海軍旗ではない。現に海軍は戦争の最終段階まで朝鮮人を兵役につかせなかった。朝鮮人の手を借りてまで戦争を勝とうとは思わなかったのだ。

日本国内においては若干の朝鮮人差別はあった。だが半島においてはいかに日本人が権勢をふるおうと人口の1%にも満たない少数者だ。体の大きい鮮人に対してはいつも恐怖感を抱いていた。内鮮一体のスローガンは朝鮮においてこそ実現していた。問題となる差別はない。(ウソはしきりと絶叫する、を参照ください)

 

恩知らずにもちょっと金回りがよくなると反抗してきやがる。なぜこのような半島の犬にAFC(Asian Football Confederation )はビクビクするのか。韓国ロビ活動が効いたな。

じゃあなぜ、猿真似をして日本人を馬鹿にしたのは不問に付すのか。選手を鼓舞するため旗を振るのは悪くない。百歩譲って問題のある旗だったとしよう。その旗に関し、きわめて強力な違法性が広く常識となってない以上、AFCは、個個に旗の妥当性を事前に公表しておくべきだ。怠慢無作為の中において該当の観客だけにペナルティを課して逃げるのは卑怯だ。

と、吠えてみたが女子大はその言葉の響きだけでもいい。韓国number2の女子大。馬鹿と話すより会話が100倍速い。そのらのアホと混同するとやけどするぞ。

 

 

 


役に立たない外食情報  Ver.5 北朝鮮の冷麺

2017年04月26日 | 食・レシピ

人は脱北しても同情を得やすい。

例年この時期になると「韓国語を教えてください」という人が必ず何人かはいた。僕は最初にきついことを言う。言葉の習得というものは、あなたが思っている先入観を捨てることから始まりますとか、僕の指示は厳しいことはありませんが言われたことは必ず守ってください、とか。一方で、記憶力と言葉の学習は関係ありません、単語は200個覚えたらペラペラになります、・・・などというけれどなかなか信用されない。

美人は脱北しなくても同情を得やすい。

実際、僕の言うことを守り指示に従う人は楽しく楽に1年半でマスターする。が、自分の思い込みに固執する人や質問しない人、声の小さい人、自分は頭が悪いと確信する人、単語を書いて覚えようとする人は、上達しない。英語教育の弊害は大きい。英語が不得意、若しくは習ってない人は、韓国語の上達が早い。

素直に指示に従う人、恥をかくことを恐れない人、質問の多い人は、面白くなると一人で勉強できる。理解の浅い人は質問のしようもない。

僕は思うのだ。どんなに時給が良い仕事があっても、やはり頭を使う仕事、つまり字幕、翻訳、通訳、領事館勤務・・・は桁が違う給料だ。

下駄屋の店員、肉屋の店員、服屋の店員、ラーメン屋の店員、4流大の学生が、僕の言いつけを守り一流の翻訳、通訳、一流ホテルの外語フロント、字幕屋になり、いきいきと働く姿は何よりも楽しい。わざわざ低い時給で働くと精神を病む。

今後も続けるつもりだ。おかねはいらないが怪しまれるので少し頂く。なれたら貰わない。お金はたくさんあるから。

この人は北のエリート放送員。日本と違って顔と頭と性格がそろっていい。貧相なバカスケベ男の出る幕ではない。

 

さ、そうして韓国語をマスターしたら韓国に行ってみよう。不勉強な誇大妄想狂が戦争の準備をしようとして危機をあおるので学習者が減った。今韓国に行かない人はバカだな。福岡からソウル、往復6000円から十分ある(✈)。そして美人に会え。整形だと?調べてから言え。韓国で整形するのは日本人がはるかに多い。ブスは周りの精神を悪くする。

そして行くのが冷麺屋だ。ちょっとみかけが悪い。水に浮かんだゴムひものような平壌冷麺。僕はこれが好きだ。これだけのために北朝鮮に行っていい。役に立たない中学生とか拉致するな。ここに希望者がいるから何とかしろ。

裁断機がザクッと紙を切るとき快感がある。自分の歯がその裁断機になったようだ。まあまあ辛い。冬には氷が張っていることもある。その氷と辛さの格闘が口の中で起こるのだ。↓

も一つ冷麺がある。咸興冷麺(ハムン)↓。これはスープがない。これはさすがの僕も食えなかった、辛くて。脱北者のきれいなお姉ちゃんが持ってきてくれる。こういうお姉ちゃんは最高の語学の先生だ。

彼女らはきちんとした国語(朝鮮語)教育を受けている。僕はいつも冷麺なんてどうでもよくなる。

日本人にあわせるように明洞あたりでは嫌な味をした韓国料理が出る。すると日本のバカ女は、美味しい、ジューシー、まろやか、辛くない、安い、…と喜ぶ。

本物はそんなんじゃないよ。

 

 

 


やってみると難しい ふたたび悟る

2017年04月26日 | 日用家庭用品修理

 

雨といの水の出口が短くてブロックの上を伝って車庫の中に入ってきた。そこで少し継ぎ足せば雨水はぽたぽた下に落ち問題解決。

と思ったが、何事もそうだがこんな単純なことでさえ、やってみると思いもしないことが立ちはだかる。

↑の写真は出来上がりである。ところが、お前は帝国陸軍かということが起こった。およそ雨といとは、きわめて特殊な場合をのぞき普通の家の物は大きさが決まっていると安心していた。

たしかにMISAWAの家の雨といは、断面が四角であるが円と四角形ぐらい区別がつくし円形は一種類しか売ってなかった。雨といを継ぎ足すためのアタッチメント(160円)を買ってきてエクステンション代わりにしようと思った。小屋は後付けで増築したので円形雨とい。

何と径が違った。今時こんなことがあるのか。数ミリ違いのガパガパのアタッチメントを作って売るとは何事だ。いやいや既存の雨といのほうが規格外かもしれない。にしても規格外の雨といを作る意味はない。貧弱だったので得意の中国製のコストカットか。ばか。

緑のテープを巻いてごまかしたがなんとも気持ち悪い。手でつかんだほうをはめようとすると今度はちょうど同じ大きさでバカも極まったなと思った。↓

アメリカ軍のジープは車体に対してタイヤが大きい。ウイリスに発注されたものは良心的な作りで今は天文学的価格だ。フォードももちろんいい。車載工具にグリスガンが入っていた。

それが半端なく精巧にできていて、大きな日本製より良く入る。カツンとニップルをかんだ時、グーッとグリスが移動する時の快感を若い人が知るときはもう来ない。先に生まれてよかった。やがてグリスアップは死語になる。ニップルの大きさは世界共通だ

そのジープのタイヤだがトラックと共通にしたから大きくなったのだ。6穴だったと思うがその位置まで共通なのでいつでも付け替えられた。戦場でパンク修理はできんだろう。

4WDもどうでもいいことを宣伝するが肝心なのは全浮動式か、あるいはセンターデフかが問題だ。(だからJIMMNYの中古は高いのだ)

いかんいかん。今回は規格の統一がいかに重要かについて述べなくっちゃ。VHSとβに分かれたのは戦前の反省がないからだ。頭が悪いと両者の仕組みの違いについて言いたがるが、とにかく2種類あることの弊害が決定的だ。バカはBluerayで繰り返した。

仕方なく接着剤を塗って出来上がり。例によって素人独特のカッコ悪さがある。いやだ。↓

 

 

 

 


ウソはしきりと絶叫する   28

2017年04月19日 | 韓国

このような事実が信じられないというのなら図書館などで直接当時の資料を探されて、それが面倒ならただ当時を生きたおじいさんに聞いてみてください。教科書を見ると、老人たちにとって日帝時代は地獄であり日本は悪魔でなければならない。しかしながら老人の集まるところでボランティア活動をしながら訪ねてみると意外に日帝時代に対し悪感情がなかったことなどに驚かれることだろう。強制徴用も誤解が多い。実際強制徴用は今の我が国の徴兵制度と何ら変わるところはないものであり、兵士の待遇は10万ウォンにもみたない給与で人を犬のようにこき使う現在の韓国軍より相対的にましだということもできる程度のものだった。慰安婦を集めたのも主に「朝鮮人」女郎屋の主たちでした。とはいえ最初に慰安婦を集めた日本の行為をよくやったというわけではないが、なぜ「朝鮮人」女郎屋の主に対する責任を問わずして日本にだけ責任をかぶせようとするのだろうか。もちろん日帝時代の終わりのころ(44年~45年)になると日本がいろんな面で収奪を行ったのは事実だ。ただわが国に対してだけ行ったのではなく台湾を含めすべての植民地、日本本土内まで戦争遂行のため総動員をかけたのでしょう。

1904年 ピョンヤン(George Rose撮影)

 

実際このような面から見ると教科書歪曲はわが国も半端なくすさまじい。歴史的事実に価値観を介入させ「意義」などと言って自分に有利なように解釈することも厳密に言って歪曲だろう。若いころの記憶は一生を決める。幼いころに受け入れた情報は、脳内に強烈に刻まれてその人の人となりどころか感性までも影響を受ける。そういった側面から洗脳教育という表現が極端な話ではあるが適切な用語選択であると思う。さらに、その洗脳がいかにたやすいものであるか、一度かかった洗脳を解くことがいかに困難であるか本気で明らかにしなければならない問題だ。私もその「洗脳」が解けたとき受けた後遺症と衝撃で何日かはよく眠れなかったほどですから。たぶん今までの私の趣旨に同感していただけたら、私が受けたのとおなじ様な衝撃を受けられることでしょう。

   原文:反日反共教育、マスコミの誤った報道、国民の無関心

 

次回用メモ  17から

 

 


諫早大洪水  締め切り堤防 3

2017年04月19日 | 事件事故

画像の左が湾の奥、右が有明海側。

僕の家はこの位置から70キロほど離れた有明海の一番奥にあった。海岸からは10キロぐらい離れていた。気候風土は日本的ではない。中国江南の雰囲気だ。非常によろしい。

そんな田舎には気が遠くなるほどの金持ちがいる。都会の金持ちなんていくら稼ごうと自転車に上手に乗れただけだ。止まれば倒れる。

100年前は名字(みょうじ)もなかった人が名前を奪われたと朝鮮では騒いでいるが、日本のいなかの庶民という貧乏人も同様だ。

そんな中にいる金持ちはすさまじい。家の庭の池を有明海に形にし、干満の潮の動きに同調して池の水位が変化し干潟の位置が分かるようにしていた。ある藩の家老の庭であるが、彼はDNAに刻まれているのだろう。いわゆる家老顔をしていて、どんな時もおっとりとその場を丸く収めた。すぐけんか腰になる貧乏人ができることではない。

今風に言うと総合商社の水産担当重役と言ったところか。本人から聞いたかどうかは忘れてしまった。というのは柳川の人はみんな言ってる。海は死んだ。死んだ者は生き返らない。

有明海はゆりかごを失った。極めて遠浅の諫早湾は魚の大きさに応じて近づける岸からの位置が決まった。つまり大型魚は小型魚が産卵するところまではいけなかった。魚はその種類と大きさに応じて干潟を利用して自分たちの安全圏を得ていたのだ。

生まれた稚魚はその大きさに応じてゆっくり沖に出て、やがては有明海の懐に抱かれていく。その諫早の大事なゆりかごを壊したのが農水省である。タイラギ(二枚貝、貝柱を食する)は絶滅した。

僕が小さいころ、親はご飯を節約するためタイラギ飯を作った。実際にはタイラギに少しご飯粒があるだけのもので、それほど大量にとれたということだ。

今後どんなに環境が改善してもこんなに豊かな海は戻らない。タイラギはもういないのだから。

ノリはかえって豊作だというバカがいる。お前はノリを魚と思っているな。

 

世紀の愚行であるということは、建設前からの常識であった。周辺住民は目の前の補償金に飛びつき生活を失った。

今入植農民と漁民が対立している。実に痛ましい。犯人は霞が関で笑っているぞ。

言いたいことのうちわずかしか書けませんでした。飛躍した文章があり読みにくかったと思います。しかし僕の真意は伝わったと思います。先日船で沖に出るときれいな砂が見えました。僕は震えが来ました。砂。砂。有機質の中で蠢(うごめ)く微細な生物の集まる潟ではなく、砂。農水省さえなかったら豊饒(ほうじょう)の海は残ったのに。

 

 


諫早大洪水  締め切り堤防 2

2017年04月18日 | 事件事故

有明海の河口。肥沃な沖積平野が広がる。水田耕作には、完全な平面だとかえって適さない。水が排水できないからだ。水田というくらいだから大量の水もまた必要であり、両者のバランスから1/200の傾斜が適当であるとされる。

人間の目には水平に感じられるが、このわずかな傾斜が農業の先進地域を作り、10俵/ヘクタールを下らない。14俵作る人もいる。平均2ヘクタールだが5ヘクタール以上の農家数は毎年増加している。

この平野は、ほとんどが人工の平野である。1000年以上を要して少しづつ干拓を進め現在の地形になった。干潟こそがその1/200を提供してくれた。

有名な吉野ケ里遺跡は海岸から40キロも離れるが、付近には「潟」とか「浜」のつく地名が多い。

つまり少しづつ干拓していったことの何よりの証拠だ。

これは重要なことで、数十年スパンで、わずかに数十メートル。この規模で海岸線を伸ばすと、干潟は堤防の向こう側に年月をかけ形成される。1000年干拓を繰り返しても干潟が無くなることはない。

では、なぜ干潟が重要か。この有機質の宝庫は、カニ、貝、ムツゴロウ、鳥たちの食物連鎖を形成しているのだ。この海に住む固有種は20種類に達する。三角貝はカンブリア紀からこの海にいる生きた示準化石だ。

アサリは一搔きすると5~6個採れた。鳥は海と陸地を往来し共生の橋渡しをしてきた。浅い海は温暖な気候をもたらし植物(稲)の生育を助けた。

桜の開花、梅の開花、霜日数、様々なグラフが有明海沿岸部がいかに干潟の恩恵を受けているか示している。

その千年にわたる共生しながらの農耕地拡大と、数秒で海を遮断したことを同列に論じてはならない。有明海の一部であった諫早湾は有明海のゆりかごと呼ばれてきた。(この理由は次回)

その締め切り堤防の外側に、もはや干潟が再生されることはない。黒潮の分流によって有明海には常に右巻きの海流が流れる。だがその流れは諫早湾に流れ込むことなく速度を上げ有明海を回る。諫早湾に蛇行することが無くなったから。

なぜなら、もはや諫早湾はないのだ。遠浅の諫早湾が締め切り堤防で消滅すると当然に有明海は豊饒の海から酸欠の海に代わる。植物プランクトンを遮断しておいて、どこで酸素ができるか。 レイチェル=カーソンの"Silent Spring"は見たくない。

つづく

 

 

 


諫早大洪水  締め切り堤防

2017年04月17日 | 事件事故

国営諫早湾干拓事業(諫干、長崎県)の干拓地の営農者らが国に潮受け堤防の開門差し止めを求めた訴訟で、長崎地裁は17日、差し止めを命じる判決を言い渡した。諫干を巡る訴訟で開門差し止めを認める判決は初めて。

2010年に国に5年間の開門調査を命じた福岡高裁判決が確定しており、確定判決とは逆の請求を認める判決は極めて異例。     毎日新聞から引用

 

 

 

 

僕が社会問題についてくどく言うのは、本質の追求に際し詳細であることにこだわる人が多いのを批判するためだ。

つまるところ物事を判断するときの時間軸の必要性についてだ。

より広くとか、偏らないでとか、相手の立場を理解してというようなことは日本人が好きな言葉だ。が、本質的なことではない。

とくに偏らないということに異常に神経を使うのがこの民族だ。すると自動的に最善の道とは中立であることになる。何も考えなくてよい。思考停止のアホにも一定の立場が与えられる。あの人は偏らない意見を持っている、と。

あるいは、事実であるかどうか。これもさして重要な問題ではない。むしろ、本質ではない事実が都合の良いものであるとき人はこれにしがみつく。そして誤る。

このように事実でうそをつくことは簡単だ。とくに昨今、文字を仲介としない合成映像が哀れな国民をだましていた例は多い。

 

 

冒頭の引用のように、諫早の堤防を閉門したままにせよという判決が今日くだった。もちろん福岡高裁の判決はすでに降りているので抗告は棄却されるので実効性はないが、農水省の意地の堤防建設は地元に不要で根深い対立を残した。

 

断言する。必ず事件が起こる。人はパンのためなら何でもするのだ。堤防の内側の新規就農者VS漁獲が0になった漁業者。

訴状は、積み重ねると1メートル以上になる。堤防の是非については後回しにする。

 

 

まさにその時間軸に沿ってさかのぼる。

将来をを嘱望された神童、からけん少年が冷めた心で小学校に通っていたころ水害が起こった。何十体という死体が膨れて近所の漁港に漂着した。

一日に1000ミリ以上という降水量はいまだに日本の最高記録である。約1000人の人が亡くなった。土石流による圧死だ。

ここに目を付けたのが当時の農林省だ。いつも建設省に土木工事の美味しいところをさらわれ天下り先に不自由していた彼らには、まさに天祐の洪水であった。

締め切り堤防という在ってはいけないものも人命救助、災害調整を理由にすれば素人は騙されると踏んだ。

なぜ在ってはいけないか。造る理由が嘘だからだ。水害が起こりそうな町より上流に洪水調整池があるのは当たり前で、土石流で死んだ人のはるか下流のしかも海に洪水調整池があっても役に立たない。

その証拠に堤防完成後にわずかの雨で諫早市は洪水に見舞われている。

農林省もさすがにこのいいわけには無理があると考えて次の屁理屈をこねた。あ、そうだコメ農家を増やそう。これも間もなく始まる減反政策でウソがばれる。それがだめなら野菜にしよう。これも極度の人口流出長崎県は地方破壊政策で立ち直れなくなっていた。そこで過剰に良い条件で全国から農家を集めた。

つまり何でもよかったのだ。しまいには長崎県はこういった。長崎県には平野が少ない。締め切り堤防で平野を増やすんだ。ばか。じゃあ滋賀県も平野が少ないぞ、長崎どころじゃない。琵琶湖を埋めようじゃないか。

堤防自体より、国民をだます目的でウソをつき、ばれそうになるとまた別のウソをつく。そういう不真面目な姿勢の農林省は農水省と看板を変えても同じ過ちを繰り返していく。

 

長くなりましたのでシリーズ化します。


茶房は ☕

2017年04月16日 | 食・レシピ

長い名前のメニューが増えた。店側は、小手先で変化をつけて、さもたくさんのメニューをそろえているように錯覚させている。

カネを取るならうまいコーヒーを入れろ。それだけでよい。婦女子が合成甘味料や増量剤という酢酸ビニルをほしがる。

ま、無理もない。「苦み」というのは知能がないと非常に嫌悪される。人類の味覚の中で最後に発達するこの感覚は習得しないまま死ぬ人も多い。

この苦みというやつがあるから人生は面白くなるのだ。人生の苦み。一見不要で不可欠。甘いビールを想像できるか。

 

costをかけてもかけなくてもどうせ同じ味を出せるなら、経営者は安上がりにする。

いちばん手抜きができないのは、ミルクも砂糖もないただの「珈琲」。

バカ高いのに大きな道路沿いで埃を浴びながら不潔なコーヒーを飲むのがはやりのようだ。

僕は週2回必ず午前中の「コメダ」に行く。人がいないし高い壁で隣と遮断されている。午後はいけない。貧乏な大声が子供を連れて大挙してくる。世の中、これ以上の不運な組み合わせがあるだろうか。

 


気は確かか 北朝鮮

2017年04月11日 | 国際・政治

血のにじむ思いをしてチンピラ会社を立ち上げても、たいてい二代目でかたむく。

そうして、三代目がつぶす。

なあ北朝鮮。じいちゃん金日成が泣いているぞ。

その戦略は、日本の拉致問題解決に向けた戦略と同じくお粗末だ。

日本の場合、対話と圧力を対北朝鮮戦略の基軸とした。これは相当バカなことで、それに協力した拉致被害の家族会は自ら希望の灯を断ったと言える。なぜなら世界中のどの国も圧力、すなはち脅しをかけられて対話をする国はない。簡単なことだ。対話と圧力は絶対に両立しない。誰が殴られて握手するものか。

家族会は、巧妙な外務省の脅しに負けた。拉致された者をどのような位置づけにするかは、国家権力のさじ加減一つだったのだ。拉致被害者家族会の出方しだいによっては、被害者家族を対北朝鮮協力者ということにするのも可能だった。現に大韓航空機を墜落させた金賢姫は拉致された日本人の指導を受けた。

自民党は最初は、残された家族を対北協力者と見る人もいたが、頭のいいのが利用価値があることに気が付いた。怖い北朝鮮、人さらい国家の北朝鮮、かわいそうな拉致被害者。このことを喧伝すれば、自民党にとっての格好の材料だ。

拉致被害者は、安部ひいては自民党にとってこそ必要なのだ。敵が悪辣なほど味方は団結する。

 

北朝鮮の戦略と同じというのはこういう理由からだ。

核武装を強化するとアメリカも恐れをなし対等なテーブルに出てくる。そこで平和条約、講和条約の締結が可能だ、と。バカじゃないの。

ミサイルもまともに飛ばせない国が、その上核弾頭の小型化もできずにどうしてアメリカと対等になれるか。今飛ばせば核は国内に落ちるぞ。福島の再来だ。

金正恩が敵にするアメリカ帝国主義は想像を絶して強大だ。地上の核だけでも北が失敗している数十キロトンの核の百から千倍の威力の核弾頭を5000発実戦配備している。5,6発の核が仮にできたとして何になるか。しかもそのために国力を疲弊させている。

そのための燃料、電力に北は貴重な外貨を浪費している。

朝鮮のことわざにあるじゃないか。「吠える犬は噛まない」一人強がってもおまいらのやることは茶番だ。みんな分かっている。もうばれているんだ。南朝鮮との差は歴然としている。

残された時間はない。朝鮮人は兄殺しを許さない。間に合うから矛を収めろ。

 


弱者、敗者、貧者、・・・ 大切にされない人たち

2017年04月08日 | 故人

生活保護をゴマ化し、老人をだまし障害者を食い物にする卑怯者がいる一方で、制度のはざまで泣く人は多い。

むしろ公的扶助を受ける正当な権利を有する人こそ、その生存権すら実現できずにいる。

インチキ野郎の存在は、必死で働く人にとって忌まわしい存在だ。

読者はこの文を読みながらも、抽象化された表現に関心を示すことは少ない。僕は徒労感も大きい。しかし、必ず共鳴していただける確かな層がいて下さるので僕のエネルギーとなっている。

 

今回ばかりは事実のインパクトが大きすぎた。

日本とはなんという国だろう。勝者の勝者による勝者のための国だ。僕には偶然が重なった悲劇には思えないのだ。みんな敗者なんだ。二人でじゃんけんをして二人とも勝つことはできない。10人でも100人でも競争という勝負がある限り勝者は一人だ。

だから勝者には社会的責任が生じることを、この国は軽視している。負ける人がいなかったら誰も勝つことはできないのだぞ。

 

引用を短くしようと努力したが、これ以上はできなかった。デイリー新潮さんには申し訳ないが僕は伝える責務を感じます。

(以下引用 抜粋)

「京都・伏見認知症母殺害心中未遂事件」デイリー新潮編集部 4月8日

1995年、父親が病死後、母親が認知症を発症。症状は徐々に進み、10年後には週の3~4日は夜間に寝付かなくなり、徘徊して警察に保護されるようにもなった。長男はどうにか続けていた仕事も休職して介護にあたり、収入が無くなったことから生活保護を申請したが、「休職」を理由に認められなかった。

母親の症状がさらに進み、止む無く退職。再度の生活保護の相談も失業保険を理由に受け入れられなかった。

2006年真冬のその日、手元のわずかな小銭を使ってコンビニでいつものパンとジュースを購入。母親との最後の食事を済ませ、思い出のある場所を見せておこうと母親の車椅子を押しながら河原町界隈を歩く。

「もう生きられへんのやで。ここで終わりや」という息子の力ない声に、母親は「そうか、あかんのか」とつぶやく。

長男は、母親の首を絞めるなどで殺害。自分も包丁で自らを切りつけて、さらに近くの木で首を吊ろうと、巻きつけたロープがほどけてしまったところで意識を失った。通行人が2人を発見し、長男だけが命を取り留めた。


裁判では検察官が、長男が献身的な介護を続けながら、金銭的に追い詰められていった過程を述べた。殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介すると、目を赤くした裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。

京都地裁は2006年7月、長男に懲役2年6月、執行猶予3年(求刑は懲役3年)を言い渡した。


それから約10年後の2015年。

(毎日新聞の記者が)数少ない親族を探し出して訪ねると、彼はすでに亡き人になっていた。

自殺だった。琵琶湖大橋から身を投げたという。所持金は数百円。「一緒に焼いて欲しい」というメモを添えた母親と自分のへその緒が、身につけていた小さなポーチから見つかった。

 

 


「給付型」奨学金?  貧乏人まで大学に行くとか  2

2017年04月01日 | 受験・学校

昨日からの続き

○学力・資質基準
具体的な基準は、機構から提示するガイドラインを踏まえて各高等学校等が定めます。

                      by  独立行政法人日本学生支援機構

 

どこにあるかわからないから落とし穴なのであり、罠が目立っては意味がない。上記の文意は陥穽がある。

高校がすべて公立で同一の人口の学区(通学区)ごとに一校ずつ高校が存在するなら、学校間の格差はなくなる。しかしそこでは競争が消滅しsportsとsexがあふれるなんちゃって高校ばかりになる。

日本で最後までそのでたらめ高校を目指していたのが、当の高校の先生たちだ。(福岡県)しかし今や高校の偏差値は75から35まで開いた。日本人は姑息にも偏差値という指数を考え出した。偏差値が1違うと確実に通る高校に確実に落ちるほどの差がある。

30違うと微分方程式が解けるか掛け算の九九を覚えているかの違いなのだ。

そういう違いを無視して校内席次で受給資格を決定するなら、最初っからアポン高校に行っとけばよかったと生徒は思うだろう。

バカがカネもらって遊んで暮らし、まじめな奴が損する。そんな世の中を先取りしているのだとでもいうのか。

しかも、アポン高校ならまだしも、まともでない悪性高校も多く成績によらず恣意的に人選が行われる危険がある。非行、深夜徘徊、たばこ…これらは本人のプライバシーであり前科扱いされては憲法違反だ。が、奨学金の必要な生徒はよい子にするほかない。

高校には共通した基準が存在し得ない。気絶する格差が存在する以上、不条理な基準でごまかしてはならぬ。

うちの隣の梨花女子大 乳と頭の偏差値は人類最高

 

以前もまた、返済不要の奨学金はあった。教員になれば返済は不要とされていた。そのことによりなりたくもない教員を目指す学生が増え、教育大とは実力のない大学を意味した。sexだけは上手な、貧乏の口減らしのために、理想のない学生が集まった。

アホはどこにもいる。それには興味はない。問題は、政策という国家意思の決定がいかになされるかである。それは無誤謬が当たり前であり、ほんの30年前失敗したことを繰り返すとは相当バカだ。

うちの大学 ブスが多くて気が滅入る

はるか昔に着ていたな

 

学生諸君。制度が不合理で不条理なのは日本が国家の体をなしてから一貫している。ともすると不満を言うことで自分の怠け心を正当化しようとする。2,3万のカネを貰うため目標を変えたり落としたりしてはならぬ。わずか2,3回バイトすれば済むカネのため自分の人生をゆがめてはならぬ。

石にかじりついても行きたい大学に行け。どうでもいい大学に2万の奨学金を貰って200万を捨てるか。まさかと思うところに希望を建てろ。高くない希望は破たんし、低いところにも落ちることになる。

誤魔化しやっつけ仕事、まやかしの奨学金に頼るな。奨学金所管の学生機構の理事長は100万の月収だ。(情報公開PDF)