夜明け食堂(正しくは「夜明食堂」)の北側にお雛様やさげもんを公開している家があると聞いた。夜明け食堂の陽気な店員さんが教えてくれた。
市営の駐車場があるが300円取られる。
日本の常識だろうが、異常だ。この国は高速道路を通るとカネを取り、今度は車を止めただけなのにカネをとる。
もちろんぼくの土地に勝手に車を止めたら射殺するが、市有地は公共の土地なのだ。ぜひカネをとるというなら税金を取るな。国家権力は都合によって私人ぶる。
日本程度のGDPがある国で有料の高速道路がある国なんてない。free wayとは、タダだからfreeなんだろ。たった人口4万の町に有料駐車場か。世界最高の自動車税を取って、100兆円の予算を組める国が、車を止めたらカネを取る。セコい国だな。
夜明け食堂の近所に「清柳」というカレー屋さんがあるが、そこでは、「なあに2時間でも3時間でも止めて街を見物してください」といってくれた。夜明け食堂も、「どぞどぞ」。
カレーは1時間以上並んだが、その価値はあったので後日紹介。夜明け食堂から100m。
さげもんは、一つの糸に7個、それが7本で49個。49は「始終苦しむ」とゴロが悪いので真ん中い一個で50個だそうだ。
↓実物大うつ伏せの赤ちゃんの人形。さげもんに下げる飾り50個の一つとして、5センチぐらいの赤ちゃん人形がいる。説明してくれたおばあちゃんが、flying babyといった。
さりげなく上等のランプシェード。
帰りに入り口にあったでっかい柳川まり。
さげもんの50個の下がりものの中にもこのまりがある。正確な幾何学模様の刺繍は、触って遊んだらいけない。見て考えるもの。球の等分線の性質、体積と表面積の関係、内接する多面体を考えたのはからけん少年だけではない。下品な家庭では物事をゆっくり考える癖が育たない。
すべての前提として、時がゆっくり流れていないと世の中は慌てる乞食ばかりになる。
市役所の南側に隠れた名店、「とらや」がある。
とらやオリジナルは、桐の花。
とらやの和菓子については次回。
柳川はその昔、柳河と書いていて小学校の名前にもこの「河」の字が残っている。柳河小学校。
このあたり、広く言えば柳川だが沖の端(おきのはた)と柳河に分かれる。
柳河
高度経済成長のころ、柳河はひじょうに栄えその時沖の端はただの寒村にすぎなかった。もしも太っ腹の賢い有力者が柳河にいたら今日ほど寂れることはなかった。5件の映画館、都市銀行の支店、500mのmain streetには400軒の商店が並びすべてそろった。人があふれまっすぐ歩くことは困難なほどだった。
やがて、他の町とおなじく自営業者たちは、地域ボスの意向に逆らうことなく思考停止し目先の利益にしがみつきだんだん地盤沈下し商店街は消えた。衰退の原因は、中央資本のポチ=自民党が能率だけを論拠に地方文化破壊をしたからだ。
ところが、一番の被害者=商店主たちは、己を鞭打つご主人様をあがめやがて食いっぱぐれる。定番の自業自得。
沖の端
一方で、沖の端は元気だ。今や柳川の中心といってよい。新しい発想で町おこしをし、有史以来の活況を呈している。
自民党による地方切り捨て政策のなか、地方が息を吹き返すことは極めて難しい。
そんな中、創意工夫と伝統という背反するような命題に果敢にチャレンジし成功してきた食堂がある。創業明治22年。まだ西南の役のほとぼりが冷めぬころ夜明け茶屋は産声を上げた。
人は本能的に食っているところを他人から見られるのは嫌だ。小学校の先生は楽しい給食と簡単に言うが、人間の顎関節は話しながら食うようにはできていない。のどに詰まる。
ちょっと、ひそかに、路地の奥にある定食屋。何の変哲もないテーブルとイス。静かに演歌が流れる。何事かうまくいかなかった男がうらぶれて刺身をつまむ。顔見知りの女給がそっとビールを注いでくれる。…そのイメージ通りの店内。
このちょっと入り込んだ感満載の食堂内。
まずは一日目、夜明け定食
舌平目は靴底に似ている。この地方では「くっぞこ」と発音する。江戸時代以来人の移動が少なく閉鎖的な社会であったこの地方には、文字では表せない発音の単語が多く残る。[n]と[ng]音の違いとか、文法でいえば劣等比較、「おろよか」less good など。言語学の人。ちゃんとした体系的な研究論文はまだないので学位論文が書けるよ。
くっぞこという高級魚を家庭の味付けでいただける。コリコリした分厚い刺身。毒舌のからけんが自信を持って薦める。食は美にあらず、素材と味付けにある。当たり前だ。
料理の名前は店がつけたものではなく一般の家庭料理での呼称である。
この地方の用言の活用
下二段活用が普段の会話にあふれる。時が止まっている。300年ほど。
ね+ん(寝ぬの音便)=寝ない ね=寝ます ぬ=寝る ぬっ(ぬるの音便)+とき=寝る+とき ぬれ+ど=寝ても ね=寝ろ
ね、ね、ぬ、ぬる、ぬれ、ねよ、の下二段 いやな古文の時間を思い出すようなことはここまで。体言についても多くの古語がここの方言には残っている。
次の日は海鮮丼。丼が深く腹いっぱいになった。なかなか豪華だ。定食も海鮮丼も1200円ぐらい。ぼくが行くところだから値段は心配ない。ぼくがいままで食った海鮮丼の中で最も新鮮な海鮮丼。
お店の中にも「さげもん」があった」。
お店の裏に回ると北島家がある。一般開放されている。無料。そこのおひなさまはすごい。1000体ぐらいある。昔のほうが豊かだったようだ。お武家様でも豪商でもない。普通の庶民のうちだが、そこの子供は幸せだったろう。ここも穏やかな空気だ。
絶対、わが子を殺すなんてこと、あり得ない。聞いただけでも心が砂漠になる。今の時代が子供は不幸だ。
入り口
これはさげもんに登場する、Flying Baby。
説明は明日。お雛様が好きな人、乞うご期待。
狙い通りに街は静かだった。外人が消えた。外人を敬遠して日本人はもともと消えている。
柳川とその周辺は、ぼくが日本で一番自信をもって人に勧められる旅行スポットだ。
お堀の向こうが若松屋。定番川下りの終点。川下りは2時間かかるから子供は途中で飽きてくる。
水の汚さでも情緒でも蘇州には負ける。でも日本語が通じるのはいいことだ。
めったに旅行しない人ならいざ知らず、しょっちゅう旅に出る人はそうそう旅にお金をかけているわけにもいかない。湯水のようにお金を使える人ならいいけど、旅だからといって興奮して散財する姿は見苦しくもある。
なるべくコスパのいい旅を心掛けているがケチすぎて皆さんの参考にならないかも。
こんな旅の仕方もあると思っていただけたらいいと思う。
柳川といえばうなぎのせいろ蒸しだ。本吉屋、若松屋、六騎(ろっきゅ)、菊菱(きくびし)、お花、・・・うなぎ飯を食わせる店は多い。だけど僕には高すぎる。うなぎが獲れなくなったのだ。せいろにうなぎが数切れ乗って5000円はなんかいやな気がする。
羽犬塚(はいぬづか、この地方の発音では「はいんつか」)から久留米に向かって数キロ走ると上原原(かんばらばら)という交差点に出る。左側にうどん屋がある。アナゴのせいろ蒸しとうどんで700円ぐらい。
これ ↓
ぼくは大飯ぐらいだが腹いっぱいになる。アナゴのせいろはうなぎほどの自己主張がなく上品だ。それぐらいの差しかない。なんか負け惜しみのような気分だが僕は700円が良い。食事の後は外れなしのくじを引ける。ぼくは午後ティーが当たった。
柳川観光の中心、お花の南側に無料の駐車場と足湯がある。車を止めたぐらいでカネをとるのはおかしい。かんぽの湯の東側。お花は定番なので省略。ローカルな水族館。300円なので僕はパス。有明海独特の魚が見られる。
有明海は固有種だけで20種類の魚類がいる。この海の周辺の人間は太古からほとんど進化してないが、三角貝に至っては三億年進化してない。いずれの生物も進化の必要がなかったから進化してない。幸せすぎることだ。
ヤツメウナギがいるかと思えば目が退化したワラスボというエイリアンのモデルになった魚もいる。鼻と口だけの魚はまさにエイリアン。地元の人はそれを干して食う。(後日詳しく紹介)
なぜコロナウイルスが蔓延するか。それは人が吐いた息を吸うからだ。(濃厚接触)中韓人が去ったこの町は人と人との距離が離れている。まばらだ。人が吐いた息を吸うこともない。
ぼくは、筑後のプロバンスで心を休める。
そして菜の花を摘み、
トートバッグいっぱいにして、ゆがいて酢味噌。タダ。
日本の固有種がこの町では元気だ。水辺を好むかやつり草。
<つづく>
<前回の続き> 毎月20日発行
戦後韓半島(朝鮮半島)が二つの国に分断されてしまったが日本は運よく分断を避けてきたと我々は思っていた。統一を語るときも南北の統一を語るのみであり日本とか台湾との統一を言う人はいなかった。しかし敗戦後日本帝国が5個の地域に分割占領されたのであり朝鮮半島がそうなったのではない。戦勝国にとって朝鮮半島は日本の領土の中の一つだったということだけの話で、彼らは日本帝国を北朝鮮と韓国、台湾、サハリン、日本列島の5個の地域に分離してそれぞれ占領したのだ。この中でサハリンだけは今もロシアの領土になっていて残りの4地域は独立国になった。日本帝国が明治維新以降獲得した領土を分離するというのは戦勝国の論理であって我々が選んだものではないし、もちろん日本が選んだものでもないのでこれは強制分断だといえよう。
日本は朝鮮との分断を決して望んではいなかった。日本は戦後の独立過程でサハリンと台湾はたとえ放棄したとしても少なくとも朝鮮半島とだけは統一国家を維持するため八方努力したが力のない敗戦国の主張は聞き入れられなかった。分断は固定されてしまったのだ。米ソはそれぞれ韓国、北朝鮮を分割占領したのち自分たちの操り人形を代理統治人に据え衛星国家にした。そういうわけで朝鮮半島分断の元凶はまっとうな国を敗戦を理由に無理やり引き裂いたアメリカ、ソ連であり、日本は分断を防ごうと頑張ったのである。
私は、「トラトラトラ」をとても興味深く見た記憶がある。具体的には細かく記憶してないが同じ映画を数回は見たようだ。その映画の中で日本はハワイで平和に暮らすアメリカ人たちを奇襲攻撃したいけない国だと描かれており、私は日本軍人たちを呪いながら第二弾が登場するのを待った。しかしアメリカがかっこよく日本軍をやっつけるはずだった「トラトラトラ」第二弾は何年も指折り数えて待ったが出てこなかった。
ところで年月が流れ最近「真珠湾」という映画を見ながら私は日本軍を応援しつつ見ている自分に気づいた。すでに60年前にすさまじい規模の空母戦団を率い地球の反対側まで出征し米国艦隊を叩きのめした日本という国の偉大さに私は感動と戦慄を覚えた。その当時は我々も日本であり我らの祖先も日本人として戦争に参加し応援したのが明らかなのであるが今日の韓国人たちは日米間の戦争においてアメリカを応援したというのか。このような現実は日本帝国の領土だった韓国と日本が今日までアメリカに占領されているために強制された頸木(くびき)である。明らかにこの現実を望ましいとか当然だとは考えることはできないことだ。
今日韓国政府によって行われている体系的な反日教育とその結果生まれた反日感情は韓国社会において最も重要な政治イデオロギーとして作用している。分断以降韓国を掌握した政治集団は体制維持のため北朝鮮と日本という2個の憎悪集団を創作した。北朝鮮に対する憎悪がある程度収縮した今日は日本に対するイデオロギー操作と半日策動作業にこれを利用しようとする勢力の立場からその必要性が大きくなっている。しかし結局反日策動は韓国という国家にとって百害あって一利なしのものにすぎないしわが国が国際社会の正当な一員としての位置を確保するためには必ず振り払わなければならない旧時代の遺産であることに違いない。
たぶん韓国は全世界ひっくるめて反日感情が存在する唯一の国だろう。実際日本と戦争をした当のアメリカが日本をアジアでの最も友好的な国家であり経済パートナーと考えているし、政治経済文化的に日本の影響力のもとにいる東南アジア国家も日本に対しとても好意的だ。また、過去51年間も日本の支配を経験した台湾でも反日感情みたいなものは存在しない。時たま韓国と声を一にする中国の場合公式的な態度は共産党の立場であるのみで韓国に来た中国人が反日感情を出すことはない。実際、多くの中国人たちは日本という国が存在することすら知らず、韓国とか日本を一つの島程度に考えていることは確かだ。
<次回用メモ> [1-1] 쇼비니즘의 광풍을 뚫고 p27 몇해전 동아일보와 아사히 신문은 합동 여론조사から © からけん
日商簿記1級に合格した佐世保商業高の磯本さん
試験は商業簿記、会計学、工業簿記、原価計算の4分野(各25点)があり、合格ラインは総合で70点以上。ただし1分野でも10点以下があると不合格となる厳しい内容で、8286人が受験し、487人が合格した。
一昨年に続き、2度目の受験となった磯本さんは「簿記電卓部」の60人の部員をまとめる部長だ。入学するとすぐに入部し、本格的に簿記を学び始めた。1日の勉強時間は、平日が3時間、週末は5時間に及ぶ。中学時代にバスケットボール部で培った体力で、試験直前の1日10時間の猛勉強も乗り切り、狭き門を突破。磯本さんは「まさかと思った。本当にうれしかった」と喜んだ。
現役の教師のころ、家庭訪問をしたことがある。
貧乏人の家ほどモノにあふれている。
台所が片付いていない。カネにルーズ、テレビの音が大きい、ゲームだけは最新だ・・・貧乏に共通する特徴はいくらでもあるが、とにかくいらないものがあふれている。それはなぜかについて考えた。
そんな人たちもときどき思いついて断捨離をしようと思う。できたためしはない。先生が来るから少しは片付けようとした形跡もあるが、モノは一時移動しただけ。一週間もすればまっすぐ歩けない部屋に戻る。
恥知らずにも、散らかって不潔な部屋をそこにあるモノのせいにする。
冗談じゃない。よく考えもせず物を買いたがるその思想性に原因があるのだ。該当する貧乏は反論する。
私の勝手だ。好んで貧乏やってるわけではない。大きなお世話だ。・・・そのたぐいの声が聞こえてくる。
ぼくが思うに、原因は関係性を断つ勇気がないからではないか。現代の貧乏人は本当に物がなくて困った人はもはや少数だ。つまり、なくなって困った時のことを考えて・・・などとは、腐れた弁明だ。幻想にすがる。
ただ、捨てた後で必要になったらどうしようという・・・気持ちと、こんな部屋に人が来たら恥ずかしいという気持ちがいつも堂々巡りをして出口のない迷路をぐるぐる回る。
わかったようなものの言い方で記事を書いているので嫌な気持ちになる人がいるはずだ。ご心配なく。ぼくもそんな貧乏人の典型だ。
ただし、先日、” One morning I awoke to find I should reset my life "というブログ記事を書いた時の気持ちを義理チョコをいただいて思い出した。義理チョコは失礼だ。
部屋に散乱するガラクタの類と変わりない。断ち切れないのは自分が弱いから。
これは参考にしていただいたらいいかなと思うことがあるので書く。
ぼくの心は人一倍弱い。それでも僕は無理をした。無理は嫌だが、正しいことに努力するのはいいことだと無理して思った。
捨てるのが心配なときは、かりにそれを捨ててもまた同様のモノを買う。人はこのときモノを心配しているが、そういう心配をする心を捨てたらどうだろう。
偉そうに言うが、僕は思い切って捨てた経験からかなり自信をもって言うことができる。
ぼくは、いらないモノを捨てるのではなくいらない関係、の連続に連綿とする心を捨てた。
タイトルに例示したおよそ無駄と思う関係性を捨てた。その後、その関係性に関連するものを捨てた。
無駄な挨拶をする虚礼という関係。こんな関係はいらないと確信した後住所録を捨て年賀状もやめた。お歳暮もお中元もチョコレートのやり取りも、忘年会も新年会も町内会も回覧板もすべていらない。
人間関係がまずくなるからと言って人は断ち切れずにいる。そんならぼやくな。見苦しい。
もちろん来るモノは拒まない。年賀状も封筒セットが当たった。お歳暮もチョコレートももらう。だがもはや返すことはない。
関係を捨てると決心してからしばらく(3日)は、なんだかもやもやした。そうしてやがて、心は快晴になった。
本当か。本当に快晴か。一点の曇りもないかと自問する。絶対僕にはホワイトデーはないのか、と。どんなにかわいい子からもらっても心は微動だにしないか、と。
ああ、そうだ。しない。
その後、僕の関心は新しい関係の構築に注がれるようになった。その後の人生はまだ半年だが確実に以前より楽しい。
先日、10年以上取引のない預金は銀行が巻き上げると聞いたので慌てて預金を調べた。
普通預金とはいつでも返すからねといって人からかき集めたカネのことだ。なのに、貧乏人の小銭は巻き上げてよいことになった。
休眠預金が出ることは預金を受け付けた時点で予想できたことで、必然的に生じるものであったにもかかわらず、今頃になって収益性が低いことを理由に銀行がネコババしてよいということになった。
ひどい話だ。「有銭無罪、無銭有罪」 あらがったところで貧乏人に勝ち目はない。
労働金庫(ろうきん)に忘れていた預金があったのを発見した。取り上げられるぐらいなら解約する。
手続きを待っている間に労金のロビーで、
とってもいいことだ。ろうきんは本を集めて施設に送っていた。
そして、ぼくはちゃんと本を読もうとする子供がいることに驚くと同時に安心もした。
本を読むことにはエネルギーがいる。ボーっとしていても「you tube」を眺めていれば刺激的な表現であきることなく情報を注入される。簡単に物知りになれる。
電子デバイスは簡単に真人間ぶることができる便利なツールだ。
ただ、人間の発明したものは何であれ、そう簡単に以前のモノを全否定するようなものはまず出てこない。
とくに本の特性は、効果音もなく彩りもない代わりに、物事を細かく正確に感じることができる力をつけてくれることにある。
双方向が我が物顔で闊歩する時代に、なんと地味なメソッドだろうか。読書とは、一見一方向の根気のいる作業に見える。
不幸にも、読み聞かせをされてない子供は乱暴な子供が多い。なぜか。物事をゆっくり多方面から解釈する力がないからだ。
ネトウヨのような学校の成績が悪い子は、「俺は頭が悪いから」と他人事のように言い、バカは遺伝のせいで自分本人は関係ないという顔をしている。いやなアホ顔。
物事を、「よい」と「悪い」とか、「好き」と「嫌い」とか、二分しかできない子供は本を読まない。音付き映像付きを間抜け顔で眺めるだけ。これでもかと押し付けられた感動に感動し、考えたつもりになっている。
みじめな話だ。
最初はお母さんか誰かが読んで聞かせなければ本の楽しさは知りようがない。しかし、一度知ったらそこに広がる世界には音も光もあることを知る。読書はくそ真面目がする退屈な作業だと決めつける人は真に不幸な人だ。
今、労金から本の寄贈を受けた施設の子は、まさにその喜びを知る波打ち際に立っている。
ぼくが書くよりお礼の手紙は雄弁だ。
久留米市城島町のインガットホールで酒井さんのコンサートがあった。城島町は、ぼくが勝手に福岡のプロバンスと名付けている。美しい田園の中にある。
菜の花をたくさん摘んだ。
ぼくはピアノにとくに専門的な知識があるのではない。ピアノコンサート自体が初めてだった。
全般に日本はコンサート料金自体が非常に高い。しかし、だからといって教養のある金持ちが行くとは限らず、場所によってはマナーが諸外国に比べてすこぶる悪く、飽きてソワソワするガキ、それを注意しない精神薄弱の親、屁と老人臭を振りまく枯れ葉族。
茶の間で夫婦でテレビを見ている感覚だ。荒尾市では酩酊してくる者、嬉野では演奏中に普通の音量で話し出す夫婦。城島では演奏中に座席の上で飛び跳ねる子供。
ぼくには精神的な拷問だったが、だんだん僕は酒井さんの演奏に引き込まれた。プロとアマは断絶している。区別するのは天才性があるのか、十分な資力に恵まれたか、プロへの強い意志があったか、・・・などかと思う。
酒井さんは全部そろっていたのだろう。一番の条件としてとして大事なことは天才性。
次回の九州公演は響ホール。料金は今回が1000円、響ホールは500円。なんかこだわりがあるんだろうか。ふつう10倍。
実物と顔が全く違う。
いつも彼女は難曲を簡単そうに弾く。コンサートの後半は超絶技巧の曲が目立った。
ラベルの曲を常に仕込みの状態に保つということは大変なことだ。が、本人はそんなこと一向に意に介さず、おっとりとしていて、皆さんに感動とか満足を与えることに集中していた。ゆっくりと正確に話す姿に好印象を受けた。本人は「久留米ラーメン」と「ウナギめし」に感動していた。
10本の指がバラバラに動き、右手で3拍子、左で4拍子というところがあった。これをこなせる人は少ない。16分音符は何分も続いた。
曲芸を見に来たわけではないが、このすごさは驚く。しかも聞き手は安心して聞いていた。ここがプロだ。
曲に気持ちが乗ってくると大抵の人は演奏が速くなる。常に一定。そのこも聞き手の安心感に寄与した。ここもプロだ。
これはピアノに限らずいえることと思うが、一日でも弾かない日があると取り返すのに一週間かかる。天才はそんなことないんだろうか。コンサート前日4日間は、小学校を8校巡り音楽について語った。
パンフには自分の経歴など一切書かず、初CDを出しました、と謙虚だった。https://www.arisasakai.com/news
断言する。この人は今後爆発する人だ。
穏やかな身のこなしで楽観的な考え方だ。ぼくにぴったりなので、交際を申し込まれたらOKするつもりだ。
マルセイユ郊外、・・・いや、久留米市城島町。
市場でペタンコになった姿しか知らないが、実物は真ん丸に太っているようだ。
どうも従来の進化論からだけでは説明がつかない。アンコウの頭の上にあるひらひらはいったい誰が思いついたのだろう。ひらひらにつられて寄ってきた小魚を一網打尽にする。
自分の体の一部がルアーに変化しときに発光し小魚をおびき寄せ捕食する。
ところでこの姿をしているのは全部メスだそうだ。生まれたアンコウの子供が性転換をして一部がメスになるのか、最初っから一部の個体がメスなのかはわかっていない。しかもオスはメスの数百分の一の大きさだ。
真っ暗な深海でどうやって出会うのか。
その千載一遇の好機を逃さないため、オスはすさまじい行動に出る。メスに食いついて離れないのだ。若い頃のぼくを見るようで哀れでもある。
ほんとうにすごいのはここからだ。
食いついていたオスの血管は、やがてメスの血管と一体化する。こうなるとオスの心臓は不要だ。退化し機能を停止する。よく考えると脳もいらない。必要なのは精子製造機能だけ。
完全無欠、究極のひもだ。これもいいなとふと思ったりする。餌の心配はなく心臓も脳も退化。
アンコウの表皮がいやに凸凹してると思ったらそれはオスの究極の姿だった。
しかもメスは何匹でもオスを囲う。
オスとしては食いぱっぐれる心配もなくやりっぱなしの状態で永遠の生を生きる。心臓もやがて鼓動を停止し脳も退化して意識はヤルことに集中する。人間のオスにもいるが、悪い話ではないかな。
アンコウを食う時、ここはメスの部分かオスの部分か、意識して食おう。