か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

「給付型」奨学金?  貧乏人まで大学に行くとか?

2017年03月31日 | 受験・学校

<引用> 

○家計基準
・家計支持者(父母、父母がいない場合は代わって家計を支えている人)が住民税(所得割)非課税であること
・児童養護施設退所者等社会的養護が必要な人は18歳時点で施設等に入所等していた(いる)こと。

○学力・資質基準
具体的な基準は、機構から提示するガイドラインを踏まえて各高等学校等が定めます。

                                      by  独立行政法人日本学生支援機構


まず家計基準について。

税金を払ってないものについてはひどく貧乏しているので進学が困難であろう。だから天下り隠れ蓑機構が罪滅ぼしに雀の涙をやろうという、まことしやかなごまかしのはした金バラマキ法を作り、それがきょう国会を通過した。

この手のものは人の表面的な同情心に訴えるものだから一度できるとなかなか消えない。そればかりか、文科省、厚労省、その他の外郭が競って作りだすから、制度の乱立を招き、まとめる役所がなく、混乱して、わずかの金を貧乏学生がもらいまわる事態になる。

それでも、優れた学生がカネがないから学業を断念する事態を減らせるのなら多少の存在意義はある。それは低脳が勝手にそうであろうとか、そうに違いないとか根拠なく、実態を知らず、状況を正視せず偽善的な同情心でもってよい子ぶって思っているだけだ。

貧困が単に神の気まぐれでアトランダムに起こるものなら、カネのバラマキで救いようもある。否。貧困には理由がある、それも動かしがたい理由で貧困は起こっている。しかもそれは再生産されている。ばか、ひんこん、ばか、ひんこん・・・

問題はカネがないことではない。優れた家庭教師をつけるから安い金で東大に行き良い地位につく。そしてよい収入は、都市部での生活を可能にし教育環境を整わせる。

富裕の好循環が出来上がっている。いいか。東大生がカネがなくて学業をあきらめたか。

問題はカネではないのだ。

地方のもともと学習意欲も能力もなかった学生が、貧困を理由に退学している。あるいはポン大学への進学をあきらめている。それは表向きだ。

ポン大学を出ても一生三流の人生が待っている。だが、大学側はやめられては困る。そんな大学はもともと学問をするところではなく金儲けのために存在している。

だから大学に代わって官僚の天下りが文部予算をもぎ取ってばらまいたのだ。もともと文部官僚とは最も頭が悪い。天下り先の少ない文科省に行くしかなかった落ちこぼれ官僚達は良心がマヒするのが早い。

じゃあどうすれば?だって。それは文科省が考えろ。独立何とかに下請けさせず官僚が考えろ。官僚は勝手に好きな仕事をしている。本気で奨学金、ひいては学問の貧困について考えろ。

もう一杯になったので、学力資質基準については明日。

 

 

 


犯罪者の掃きだまり 福岡県 

2017年03月27日 | 事件事故

犯罪とは、被害者に対する人権侵害の面が強調されるが、政治権力を担うものとしては、つまり国家権力は、主たる関心をそんなことに持つはずない。

いわば、千人、二千人、殺されようと、カネをだまし取られようと、刺されようと、今日の生産関係に影響はない。権力というものは自らが安泰である限り本気にならない。

だが、人殺しを完全野放しにはしない。それは権力にとっては邪魔な民主主義とか憲法の人権規定とかが、一応政治権力を監視しているからだ。

つまり、人殺しがいけないことだから警察があるのでは断じてない。警察は、世の中の総体としての国家という生産システムを維持するために存在する。人殺しがいけないならなぜ死刑はあるか。人殺しがいけないならなぜ裁判もせず、人殺し拉致犯シンガンスを韓国経由で北に帰すか。

社会的影響を見ながら気まぐれに判断を下すのが裁判所だ。

死刑になるはずのない人が死刑になる。飯塚事件。または、貧乏人が金持ちに対して犯した犯罪を、国民は正義の味方になった気分でその悪行を非難する。誘拐、放火。

ところが、金持ちが従業員を殺すと懲役だが、逆は死刑になる。とくに福岡県では。つまり、刑罰は罪の大きさより犯人の社会的地位で決まってきた。

 

そこでダニの発生に適した環境では、きわめて解せないことがまかり通る。生活保護の不正受給、正当であっても極度に高いその給付水準。違法な給付。自動車学校はタダ。わずかな事故でも何年もむち打ちだと言い張り温泉治療で遊んで暮らす。子供も見習い暴走族かDQNになる。そしてやくざになる。

さあ、この日本の寄生虫は福岡のどこでうごめくのか。

その寄生虫集合所から遠く離れたこの町の事件に一定の判決が出た。孤独な寄生虫が凄惨な事件を起こした。日本は人を魚の粉砕機にいれて殺し川に流しても死刑にならない国だ。

引用  産経

  福岡県筑後市で平成16~18年、リサイクル店従業員ら3人を殺害したなどとして殺人と傷害致死などの罪に問われた経営者夫婦のうち、妻の中尾知佐被告(47)の裁判員裁判で、福岡地裁(平塚浩司裁判長)は24日、懲役30年の判決を言い渡した。求刑は無期懲役だった。

  検察側は伸也被告の証言などから「知佐被告が夫らに指示し、継続的な暴行で従業員らを死なせた」と指摘。論告では「夫に責任を押し付けており、反省の情は皆無だ」と批判した。

  起訴状によると、知佐被告は伸也被告と共謀して16年6月に従業員、日高崇さん=当時(22)=を自宅アパートに閉じ込め暴行して殺害。18年10月には従業員だった義弟、冷水一也さん=同(34)=と、その長男大斗ちゃん=同(4)=を暴行して死なせた、としている。      一部略

 

警察は十分な状況証拠をつかみながら、3回もの捜索願、少なくとも失踪の事実、に対し10年間動こうとしなかった。死体遺棄についての時効成立を待っていたのだ。犯人夫婦は、従業員同士に殺し合いのけんかを命じ完全なマインドコントロール下に置いた。従業員の家族は老人で犯人夫婦に反抗できない。可能性があるのは子供だ。成長すると困るから子供も殺せ。焼却し庭に埋め魚の粉砕機で粉砕し川に流すのが得策だ。

不明になったのは6人いる。初動で的確な捜査があったらもっと証拠を固めることができた。

地縁血縁宗教縁が田舎の道徳のすべてである。犯人経営者と警察署員は顔見知りどころか同じ宗教団体で情報は筒抜けだった。文明国では適切な人事異動が行われるのだが。ここは土人国だ。

とにかく、筑後地方では従業員を暴行死させ庭で焼いて魚の粉砕機にかけ川に流してよいことになった。子供も。

高橋まつりさんもそうだが、同級生は敵を討とうと思わないのか。僕は他人だが必ず彼女を追い込んだやつを許さんぞ。

自力回復(しかえし)は法治国家の嫌悪するところだが、国家権力による被害者のための全力の原状回復があることが前提だ。それができない、しない警察、裁判所なら、国民が自力回復してどこが悪い。

平成は終わる、オリンピックはある、恩赦が出ないはずはない。仮釈放もありうる。つまりあと10年で4人殺しは釈放されあなたの家の前を歩く。

有害獣は駆除すべきだ。

従業員が経営者を魚の粉砕機にかけたら必ず死刑になる。不条理だ。

 

 

 


ウソはしきりと絶叫する   27

2017年03月24日 | 韓国

我が国(韓国)自体としては、日本という外国から民族的恥をかかされたたわけだが当に百姓(庶民)たちの立場としては、自分たちがより豊かな暮らしができるようになったのですこしづつ日本の支配になれていくようになる。

朝鮮とか大韓帝国とかから権力を奪った旧既得権層がリードした事件が若干は起こったが、35年の間、「民衆」による集団組織的大規模抗議は3.1独立運動のみだ。(日本が来る前の)朝鮮末期には、このような抗議が継続して起こった。朝鮮が外国外国軍隊を引き入れ百姓を鎮圧したことと日帝(大日本帝国)が警察力を動員して鎮圧したことにおいて、どちらがましであったかにわかには即断できない。

収奪の証拠だというコメの増産も多くの統計と記録が、収奪ではない正規の輸出であることを証明している。農民たちはカネ稼ぎの一環として日本に輸出したことまで収奪であると教科書に記載するのも、見かたによってはわい曲だ。

気違いに経を読んでやりあるいは桃の枝でたたいたら治療になると信じ込むとか、肺病には頭蓋骨を食べるといいと信じ盗掘が横行するとか、とんでもない迷信による弊害を防ぐため、強制力を持つ法を執行し、あまりにも高い価格を要求する占い師の横行を防ぐために、手術料の上限を制限した法ができたことを、むやみに民族文化抹殺だと教育することも(歴史の)歪曲なのである。

(上記の記事は20世紀の初めの新聞記事にも記録が残っている)

      転載記事  原文「反日反共教育 マスコミの誤報 国民の無関心」

 

次回用メモ  16の中下段、이런 사실들을  から

 

 

 


役に立たない外食情報  Ver.4 箸休め

2017年03月20日 | 食・レシピ

箸休めとは大体さっぱりしたのとか、せいぜい茶わん蒸し程度であり、食事の途中で和菓子なんてありえない。

だが僕の好みでこのシリーズもギトギト、ドギドギ、ギラギラの料理が続くので、話題の箸休めとして和菓子の紹介。

家族の人数が多かったころ、プリンは鍋で作るのが恒例であった。母は全く家庭を顧みなかったのでいつも祖母が作ってくれた。プリンにナイフを入れるときは列強の植民地分割のように争いが起こった。

今日の朝日歌壇、

回転ずしの川を下ってやってくる鰆鱚鯛鰹鱧プリン               九螺 ささら

あがりの周囲にびっしりと魚編の漢字が書いてあって、必ずそれを聞きもしないのに読んで見せるバカがいた。うまくない寿司屋には必ずあるでかい湯飲み。子供は常に好奇心旺盛でその上記憶力が旺盛だ。周囲の大人に聞いていろいろ覚えた。さわら、きす、たい、… だが最後に来たのが一番いいようだ。

食い物とは実に罪がない。生き物をいただこうものなら、とくにそれが人間だと僕は突然色魔にされる。たとえプリンの海でおぼれようと僕は善人のまま死ねる。

 

今日、僕はバイクでうろついていたので、たった2個しか買えなかった。サイドバッグはその程度のスペースしかない。巨大バイクで軽より燃費の悪いバカターレーを除くと収納性のあるバイクはない。たったその2個のために保冷剤を入れてくれた。

それでも30分以内に食べてくださいと言われた。概して、賞味期限が短いほどそのお菓子は美味しい。日本に初めてセーラー服を導入した高校のそばだ。JKたちは和菓子には興味ないらしい。

桜とか🍓とかくり饅頭とか、とにかくまんまのネーミングだ。僕が高校の時からある。店を大きくするでもなく支店を出すでもなく新製品をひけらかすわけもなく、店は1坪、工場は10坪。

その間、多くの店が雨後の筍のように林立しすべてほろんだ。40年前自転車に乗りこの店を通り🍓大福を一個買う学生がいた。学生は家と学校の隙間の穏やかな午後を楽しんだ。

 

 


役に立たない外食情報  Ver. 3 そこにいたのは謎のインド人

2017年03月17日 | 食・レシピ

 

インドに行ってきた人に印象を尋ねると、両極端だ。

僕らが失ってしまった優しさや思いやりという深い情の世界があった。サイババは天の使いであり、彼が手を当てると失明した人の目が開いた、車いすの人が立ち上がった、手から出る白い粉末は私の心を解きほぐし、ここが私のいる場所だと実感した…、だそうな。

一方で。不潔、絶望、病気、極貧、差別、犯罪・・・ありとあらゆる人類の負の遺産がそこにあった。村の全員が犯罪集団であり旅行者と見るとみんなで石を投げつけてきた。荷物を取られることより石についた得体のしれぬ病原菌が怖かった。案の定化膿したが、薬を買うと大きな紫色のカプセルだった。背に腹は代えられず服用するとみるみる傷は治癒したが、妙に精神が高揚してきた。二度と行かない、…、だそうな。

 

僕の印象は後者だ。トランジットでしばし立ち寄っただけなので断定はしないが、無秩序、混乱、貧困のるつぼだったことは確かだ。コルカタ空港にも浮浪者がいた。そこを住処にしていた。

日本は優しい国だ。インド人はみなパール判事だと思ってないかい。ナンが焼けてカレーが作れるとコックという技術者だそうで移民が格段にしやすくなる。一人来れば一族郎党を呼び寄せる。妻だ、夫だ兄弟だと言って。ほんと日本人はいい人ばかりだ。いや、いい人ではなくお人よしというのが正確だ。

インドにまともな住民票があるはずない。人口の誤差が億単位だ。

つまり誰でも日本に来られる。日本でカレー店を出せばよい。ウソ身分がばれそうになると店をたたみ別のところで開業する。デカン高原から降りてきたばっかりのドラビダ族だなと確信した。まったく英語が通じない。

幸いその肝心のカレーはうまい。ナンの食い放題とか、僕にはありがたいことだ。

何でもありの寄せ集めヒンズー教には教義がない。本気で信じているのだろうか。お湯のない温泉じゃないか。

幸いその肝心のカレーはうまい。カレーは見飽きた人も多いだろうから、ラッシー。

チャイ。田舎に行くとなんでも甘くなるが、インドは地球の田舎だろう。大英帝国は何のしつけもしなかったようだ。ザミンダールにご執心だったのか。

どうして神々の顔は象なのかな。

ナンは大きなツボの内側に張り付けて焼く。福岡市内。インド人の、インド人による、インド人のためのカレー屋さん。

 

 

 

 


役に立たない外食情報  Ver. 2 亀の絵のある食堂

2017年03月16日 | 食・レシピ

九州の東西の物流と南北の物流は鳥栖市で交わる。高速のインターは完全クローバー型で日本最大だ。月面探査船が地球の人工物を探した時、見えたのは万里の長城とこのインターチェンジだった。

九州という島には1300万人が住み、そのうちの40%は福岡県民だ。きわめて福岡寄りに位置する鳥栖市は、物流の中心になるべくしてなった。

地球の物流は船であるが日本の物流はトラックである。ドライバーは昼夜を分かたずトラックを転がす。

道路情報を得たり、睡魔と戦うアイテムは、ラジオと無線だった。が、今はカーナビと携帯にとってかわった。ほんの10年前までCB無線を聞くとドスのきいた声が行き交っていた。

トラックのアンテナは、夜になると強力な不法電波で灼熱し、まさに火矢のように飛んだ。だからトラッカーたちはもれなく情報通であり、つけっぱなしのラジオから多くの教養を得ている。

全日本トラック協会は、精緻な理論武装をしていて、半端な政党の建前論など一蹴する。トラッカーは博学なのだ。

 

トラックは小回りが利かない、駐車スペースに困ることが多い、時速100キロで走っても自分を守るのは薄い鉄板一枚だ。鳥栖には彼らのオアシスがある。オアシスに群がるラクダは30センチ間隔で駐車している。

なかなか乗用車では行きにくいが、問題ない。

ご飯のお替り自由。すべてにボリュームがある。料理も人間も。町では出会わない男たちがいる。モテるのがよくわかる。

 

 

 


役に立たない外食情報  Ver. 1 高専ダゴ

2017年03月15日 | 食・レシピ

以前栄えてところに住む人は、今は廃墟となっていてもそこにいた人が覚えた味覚、仕立てたシャツの心地よさ、をよくご存じである。

切羽の炭鉱夫はその町の市長以上の収入があり、全国から集まった風来坊は一晩でその給料を使った。電気、ガス、水道、風呂…すべてただなので炭鉱住宅の母ちゃんたちは旦那が50万を一晩で使ってきても心情は微動だにしなかった。

戦後すぐの時代に国鉄と炭鉱の職制の住宅にはクーラーが入った。僕はクーラー自体の存在をあり得ないものと思っていた。

だがその金を目指してこれまた全国から寄生虫が集まり、町はロバート=オーエンの夢のコミュニティが成立していたのだ。

今は生活保護の不正と、弱者を脅して得たでっち上げの交通事故示談金で食っていても、体は絹のシャツのすばらしさを忘れていない。

バブルは、僕は多いに評価している。ただ体が覚えこむには短すぎた。弾けるとともに貧乏人はすぐ元の貧乏に戻った。

明治から続いた炭鉱は、いっぽうで花と龍の刃傷沙汰の世界を残しつつ、また一方で本物を感じる貴重な触角を落ちぶれて居残る住民に残した。

ただ歩いていても因縁をつけられ、この時代にクルマのあたり屋がいて、脅せばいくらでも金を出す行政がいた。

だがその一切がどうでもいいことだ。生命力のない人間は亡びる。元炭鉱では少ないパイを食い合っているので生存競争が激しいのだ。しかも教育の機会に恵まれず親も教育を受けてなかったので教育に関心がなかった。ずるく良心のかけた住民同士がいがみ合って生きることとなった。

だから何だ。

非能率企業が競争から落後するように非能率人間が消滅する社会のどこが悪い。非能率チンピラを生活保護などで温存する政策は、いけないDNAを温存繁殖させることになる。

 

だがケーキ、まんじゅう、すし、ステーキ。かつての繁栄を感じるものは多い。

今日は高専ダゴ。高専の生徒さん用にボリュームのあるお好み焼きが誕生した。以前書いたが、今回は本店に行った。

テキパキさばけるおばちゃんがいて、その人一人で切り盛りしていた。ほかの人は話しかけたら手が必ず止まった。

ワイルドなテーブル。一部そと。物は言いようだ。Open terraceにしとこう。一瞬韓国かと思った。

超ド級の四角いお好み焼き。3人分、二人で半分も食べきれないが2000円はるか以下だ。持ち帰ってチンしたら同じ味がする。

忽那汐里主演の開局80周年記念ドラマ「見知らぬわが町」。この店で撮影された。

このダゴのうまさは以前書いたので、今回はその大きさ。右下にFIATのキーを置いた。超弩級だ。

豪快で、悪質で、カネのためには何でもするここの男たちは、大好きだ。みんな優しい。

 

 


易姓革命(えきせいかくめい)

2017年03月11日 | 東洋歴史

中国古来の政治思想。姓をか (易) え,命をあらた (革) めるという意味。天子は天命によってその地位を与えられて天下を治めるが,もし天命にそむくならば,天はその地位を奪い,他姓の有徳者を天子とするという思想。  (ブリタニカ百科より)

文在寅 大統領候補 日本に強い敵愾心を持つ だが、だから嫌いだという女子供の対応はいけない 努力と信念の人 間違っているが   

右は彼が出た慶煕大学校 僕の部屋から大聖堂が見えた(工事中)

 

人民が為政者を選ぼうと独裁が続こうと、権力を握ったものがどんな行動をするかは、じつのところ分からない。それが兄殺しかお仲間政治か、予想もつかないところに歴史は流れる。

だが昔の中国人は偉かった。どんな選ばれ方をしようと、天命に背くとその王朝は倒れると。金正恩やクネはまさに天命に背いたのだ。

韓国人ならだれでも思っていた。この政権は最後まで(5年間)もたない、と。無味無臭だがわずかの隙間からしみだしてくる毒ガスのように、青瓦台は嫌なガスを放っていた。

それは守衛や運転手や調理員を通じて漏れてくるのだ。人は人の表情を実に敏感に嗅ぎ取る。

会社組織に例えると、TOSHIBAに異変が起きた時、従業員たちの顔によどんだ黒い闇が見えた。それは10万分の1の末端職員からも読み取れた。三菱が悪事を働くとき、そこらのセールスの表情からそれが分かる。人殺し電通に覇気のある社員はもういない。いたら人殺しの仲間だ。

と考えると、日本人にはわからないが、半島に住む人ならだれでも青瓦台からしみだすサリンに気づかなかった人はいない。

信じてもらえないが僕の留学時代とクネの議員時代は重なり、一度会ったことがある。政治家としての必須の能力は、直感である。理詰めの精緻な分析や総合力のスピードは官僚の仕事だ。「勘」がない人だった。

だから自らが放つよどんだ黒いガスに気づかない。朴正煕の手塩にかけた一粒種が、才女の誉れ高く登場し晩節を汚し去った。

 

韓国には革新とか保守とかいう概念はない。いきさつ上便宜的に区分するだけだ。革新なら北と融和政策をとるか。ムン(文)=チェンバレンが兄殺しと手を組んだら易姓革命がおこる。

 

 

 


そこは芳香に満ちていた

2017年03月10日 | ニュース

 

 

子供のころ、5センチぐらいのおもちゃの船を作ってもらい、風呂でよく遊んだ。誰が作ってくれたのか、もう忘れた。

 

船尾に樟脳を付けると樟脳が溶け出す勢いで船は進んだ。表面張力のなせる技とはつゆ知らず。推力がなぜ生じるか、樟脳がなくなるまで考えに考えた。

 

親たちは僕の研究には関心がなく、ほったらかしにした。それがかえって良かった。僕は十分考えることができた。

 

 

 

その頃、福岡県の筑後地方には1500件の樟脳工場があり、着物の虫除け剤を作っていた。虫か来る、とか、虫がつくという言葉は死語になった。下品な染色、肌触りが好まれ、石油や石炭で作った貧乏な化繊が好まれ樟脳工場は今1件だけになった。

 

先日散歩すると楠の街路樹が消えていた。切り口の新しい楠の切り株は芳香を放ち断末魔にあえいでいた。樟脳は楠からつくる。

 

 

交通の支障になるとか、障害者のためにバス停を広げるとか、取って付けた理由で街路樹をなくす。土建屋の仕事づくりのために障害者を利用するな。

 

欧州の道はなぜ気持ちのいい道が多いか。日光や風を遮る木々は車なんかより大事にされなければならない。

 

素敵な街並みを作ろうと国家百年の計に基づき都市計画をしても、徒労か。無能で下品でカネ儲けのためには何でもする人は中国に移住したらどうか。

 


 

韓国、大学路は僕が住んだ街だ。100年前、日本人がアカシアの木を植えた。それまで韓国には街路樹がなく、人々は道路に木を植える日本人をいぶかしがった。それが今では巨木に育ち、夏、急激に気温が上がるソウルで数少ない涼しい空間を提供していた。

 

アカシアは消えた。日本人が植えたという理由で。

 

 

 

地方のお粗末市長は、とことん土建屋に奉仕する。

 

太宰府市役所を訪ねる機会があったら、バス停を見てほしい。バス停には天を覆う楠の一群があったのに。

 

 

 


友泉亭  泉を友と結ぶ庵は

2017年03月01日 | 日常

ほとんど気まぐれに友泉亭公園に行った。

筑前国藩主、黒田の別邸として宝暦4年(1754)に完成した。如水は茶室の横に織部式灯篭を置いている。ほとんど目立たないので探してみるのも楽しいと思う。この織部灯篭は隠れキリシタンのささやかな抵抗のよりどころでもあった。灯篭の土台が良く見ると十字架やアルファベットになったいるものもある。

僕は意味もなくそんな危険は冒さない。ばれたら死罪だろう。遠藤周作さんの「沈黙」の世界だ。

当時の1/10の規模だそうだ。福岡市は個人の所有となっていたものを買い戻して公園として整備した。盗られた仏像をカネを払って買い戻すようなもんだ。周囲は高いマンションが囲み泉の水量も少なくなっている。行政は昔から歴史遺構の保存には全く無能だ。

だが福岡市およびその他の大都市に住む65歳以上の人は無料だし、広間や如水庵は落ち着く。

さすが武士が住んだ建物だ。虚飾を排し書を読む小部屋がいくつもあった。だが見えないところにこっそり彫刻を残している。

内縁の娘にそれを説明していたら、「でもプラスチックじゃん。」と言いやがった。250年ももつプラがあったら革命だ。

今やロストテクノロジーとなった漆塗りであり、床の間は顔が映るほどの塗と磨きだ。1/10でも残ったのを喜んでおこう。

 

池の鯉と遊んでいたら韓国語が聞こえた。韓国語は音量が大きい。日本に来たら学習すべきだ。ただそこらの馬鹿女たちとは違う、気が利いた顔をしていた。これは話が通じるぞと思い政治的な話を振ると意外とノリがいい。

梨花女子大、さすがだ。僕が出た学校の隣なので懐かしく、いつの間にか僕も音量が大きくなっていた。だが、打てば響く人間と話すのは本当に気持ちがいい。西南大は遊びの馬鹿話にしか乗らないし、福大は話の意味を理解しないし、それ以下は日本語が通じない。

こんなマイナーな公園に来るんだからそれなりの教養があり学力も高いはずだ。もちろん、だからと言って僕の韓国に対する絶望的認識は微動だにしないが、日本人もバカの部類になると優れたものも理解できないのが多い。

ま、よくも悪しくも自業自得だ。

「この手すりは何の意味があるのだろう。」「どうして茶室は別棟なのか。」「大名はどれくらいの頻度で来たのか。」「いや、住んでいたはずだ。」…恐ろしくポイントをついた会話をしつつ梨花女子大は去っていった。

うちの娘は小さな板を指でこすっていた。