か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

目達原基地の軍神

2013年01月30日 | 東洋歴史

今から60年前、佐賀県目達原(めたばる)基地(駐屯地)の前を走る国道34号線がコンクリート舗装になった。朝鮮戦争当時、博多港や板付飛行場についた米兵の死体を佐世保に運ぶため、進駐軍は何よりも優先してこの道路を舗装することを命じた。腰ぬけ日本の行政は狂ったように全国から資材を集め突貫工事で舗装した。

今、コンクリートは一部を残して姿を消した。僕はそこから道をそれてフラフラと好きなところを走った。ふと出たところが吉野ヶ里だ。三田川(みたがわ)饅頭を買って鳥栖方面に行った。僕には最近ポッと出現した吉野ヶ里饅頭より、僕の生まれる前からあった饅頭が思い出も詰まっていてよろしい。

目達原基地は三田川饅頭より古い。正門が少し移動して入りやすくなったので、勇気を出して番兵さんにお願いした。年をとってアポなしで行くというのは苦しい。年取って常識がないのは本当のバカだからだ。

司令はいなかったが内心ほっとした。構内の売店で買い物はできますかと言ったら怪訝な顔をして「どうぞ」と言ってくれた。シャツやバッグ、懐中電灯、ノート、手袋やズボン。買いまくった。米軍のようにカッコイイ迷彩じゃないが、そこがなかなかいい。ミリタリーおたく達に高値で売ろう。

ここのクリスマスコンサートが中止になった。選挙の日とぶつかったみたいだ。素晴らしい軍楽隊だ。戦前の戸山陸軍軍楽隊を彷彿とさせる。

春の桜は見ているだけで涙が出てくる。

ところで、藤井貞文駐屯地司令には申し訳ないが、僕はこの基地にはいい思いだけを持っているわけではない。

まず、ヘリコプターからものを落とすな。危ないじゃないか。演習を見学したことがあるがさすが日本の軍人さんだと感心したことがある。地上戦の推移に対応して秒単位でヘリで強襲する。僕はテントがはがれてどこかに飛ばされるかと思った。ま、きわどいことより基本です。

ひき逃げもいかんぞ。89歳のおばあちゃん。轢いた人が逃げちゃったらおばあちゃんは心細かったと思うぞ。

火を出しちゃあいかんな。560㎡焼失。ちょっと広すぎると思う。

それよりも何よりも軍人としての基本が全然できてない。事故はどの事業所にもあり従業員が増えれば必然的に起こる。しかし、頭痛がするからと言って頭を切り離すことはできない。火事の一つや二つで自衛隊を廃止することはできない。

ポイントは、上官に対する欠礼を厳しく指導しろ。それで辞める奴がいたらドンドン辞めさせろ。どうせがれきの片付けにしか役に立たん奴だ。

笑われない行進をさせろ。僕は出かけて行ってひき倒そうかと思った。隣の奴と話す奴、駆け足の時も歩く奴。

いいか。ここから何百という特攻機が飛んだんだぞ。よい日本ができることを信じて死んだんだぞ。なんだこのザマは。税金を返してもらおう。ただ免許をとりに自衛隊に来るな。

将校がゴロゴロいる。旧軍は兵が将校にあうことはあまりない。しかし、一糸の乱れもなかったぞ。

思わず目達原シリーズを続けます。

Posted at 2012/11/27

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