か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

歌会始め 2018

2018年01月19日 | 和歌

日本がまだ貧しかったころ、昭和20年代。バブル時代をはるかにしのぐ好景気があったのを学んだ人は少数であり覚えている人はもっと少数だ。

日本の資本はこのとき蓄積された。中学を卒業するや否や、まさに卒業式のさなかに引きずり出し、工員帽をかぶせ軍手をさせ子供は親の借金のために働いた。役所もそれに手を貸し「金の卵」ともてはやした。

あれよあれよという間に集団就職の列車は上野駅に着く。金の卵は、会社にとっての「カネの卵」だった。

アメリカの解放奴隷よりアイルランドの日雇いより低賃金で働く彼らの製品はすさまじい国際競争力を持った。

親の借金を返し自らもわずかな蓄えができたころ、トランジスタを注視した目は視力をなくし、ありとあらゆる労災は中卒乙女に降りかかる。

だが希望があった。会社は言う。スペアはいくらでもいるんだ。

だが希望があった。労災補償や労基法は別世界の話で、誰が個人の権利など教えよう。

ところが世の中は確実に変化している。パンドラの箱からは悪魔や妖怪ばかりが出てくるのではない。と、信じないと生きていけないじゃないか。

そうは言うものの、現実は絶望ばかりじゃないか。その通り。川が死に公害がひどくなり星も見えない東京では、その公害自体が都市の躍動であり、伸びる東京タワーとともに少女は夢を見た。

きっと何とかなるんだ。一つもよいことなかったけれど。

 

そんな中だ。粉ひき屋の娘がテニスをして皇太子と結婚した。こんな世界があったのか。

僕は思う。天皇制を批判する人は多い。批判の根拠には事欠かない。教養がなくて批判する人を責めてはいけない。議論ができないからだ。犬にウイーンフィルの話をしてはいけない。

雑民がぐうたらな人生を送る間にもお二人は誠実な人生を歩んできた。

今年は天皇より出来が良かった皇后の歌。皇族の歌も素晴らしいが省略。若いのは熱意のない歌が多い。

 

あるおばあちゃんは、心穏やかに年をとり朝早く起きて町内の落ち葉を掃く。

こんな落ち着いた世界は必要だ。僕らはそんなに賢くない。車で追い越されたぐらいでノミで刺す宮城県の人のようなことはしないけど。だが常に天皇は笑顔でいる、これは容易ではない。

天皇が走ったところを見たことがあるか。天皇は絶対に走らない。これだけでもできないことだ。

 

皇后陛下

 語るなく重きを負(お)ひし君が肩に早春の日差し静かにそそぐ

 

集団就職をさせられ労働の搾取にあえいだ少女は、いま、町内のいいおばあちゃんになった。昨日金木犀の剪定をしていたら、つえをついて通りかかられた。

必死に時代を生き抜いて来られたに違いない。あたりに漂う満足した穏やかな空気は僕を気分良くさせた。天皇皇后が持つものと同一の空気。


朝日に救いがあるなら

2017年06月23日 | 和歌

 

賢くて意図をもって読者を誘導しようと謀る朝日の伝統は、いまだ代わるところはない。これは低能新聞にはできないことで、騒げそうな話題を騒いで読者を増やそうとするサンケイ新聞は、文化欄にまで品位がない。

百人斬り競争は、日中戦争のさなか、二人の日本人将校がちゃんころの首切り競争をしたというものだ。この中の一人、向井少尉は新聞記事に自分の写真が出ると、恥ずかしかった、と言った。

現実にはできもしない創作架空の記事を書いておきながらいまだ朝日は謝っていない。二人の将校は、戦時中は英雄となり戦後は処刑された。

このような世論が書いてほしい記事を創作する天才が朝日新聞である。対馬イタイイタイ病、サンゴ棄損事件、教科書検定問題、吉田虚偽証言の正当化、取材記事の恣意的な削除追加ねつ造。長くなるので一つ一つは機会があるときに。

 

僕は朝日にあこがれていた。それは入社試験のレベルが高かったからである。日本のどの試験よりレベルが高く、東大からも不真面目な奴はどんどん落ちた。

およそ僕が届きもしない優秀な人たちの集まりだ。簡単に批判する人がいるがおまいらほど馬鹿じゃないぞ、朝日は。評論の水準の高さと読後の清涼感を示せる新聞は朝日を置いてない。

今は相当バカでも合格・入社できる。自業自得だ。でたらめな経営をすれば読者及び入社希望は離れる。僕が言いたいのはここからだ。

 

それでもなお朝日の読者でいるのはなぜだろう。うちは戦前から朝日の読者だったので散々誤報虚報ねつ造に毒されてきただろう。

 

それでもなお、と固執するのは、文化欄があるからだ。世界一の読者数を誇りつつ小学生の読書感想文程度の評論でいい気になっている新聞は、その読者数ゆえむしろかわいそうだ。バカをより大勢に撒いている。節を含まない文章がはたして日本語の日本語たる表現をなしえているのか。なあネトウヨ。日本語は日本文化の神髄だ。村上春樹みたいな文章が並んでいたら日本語の冒涜だろ。

 

 

読解力に期待して、朝日歌壇より。ほかの新聞も全部読んでいるが臭くてキーボードが腐る歌ばかりだ。

 

歯ブラシが洗面台のポケットに収まりきれぬ時代があった。     小島敦

結婚したときは歯ブラシは原則2本だ。子どもに乳歯が生えてくると小さい歯ブラシを買う。弟ができ4本、5本と増えていく。増えるときには何ともないが、やがて子供も所帯を持ちおいていった歯ブラシはいつか捨てる。・・・そしていつかまた最初の2本に帰る。1本になるかもしれない。

洗面台を掃除するときなどふとした時、ああここまで歯ブラシがあったのに、と思うと当たり前ではあるがやっぱりさみしい。みんなこれを繰り返していると分かっている。だが確実にさみしいのだ。

作者がじっと洗面台を見つめている姿が目に浮かぶ。

 

今度は皮肉が効いた一首。作者の皮肉はいつも強烈だ。

過ちは繰り返します反省も平気です日本人です        馬目弘平

 

 

 

 


村上鬼城

2016年08月19日 | 和歌

走馬灯 消えてしばらく廻りけり

もう祭りは終わったのに、受け入れ切れない自分がいます。「わかる」と「受け入れる」ははっきり異なりますね。

もちろん祭りなんて軽いものならいいけど、本当は、身内の死であり、退職であり、去ってしまった友人達だ。

他に救いを求めてはいけない。どうせ理解者はいないから。

ひそかに止まるしかない走馬灯。


14日、 歌会始の儀

2016年01月17日 | 和歌

今年のお題は「人」。毎年絶妙なお題が選ばれる。その中でも天皇の姿勢は一貫している。

すばらしいことだ。なかなか違ったお題で、同じテーマについて歌うことは困難だ。

 

(イオンはまだクリスマスかな。)

天皇陛下

戦いにあまたの人の失せしとふ島緑にて海に横たふ

(戦いがあって多くの人が命をなくしたと言う、島は緑色をして海に横たわっている)

右翼たちは自分では歌の解釈もできぬくせに僕が解釈をつけるとヒキツケを起こすのだろう。恐れ多くも御製の歌に対して解説を加えるとは不敬罪だと。

天皇は行事のときはともかく、プライベートではじつにフランクな人だそうだ。もう少し行事を減らさないとかわいそうだと思う。もはや神ではない。老人には負担が多すぎると思うがどうかな、宮内庁。おまいらが平成を早く終わらせたら承知しないやつらが多いと思うぞ。

僕らは白黒の世界で実写フィルムを見ているが、南洋に行けばまずその世界のどぎつい色に驚く。そして、この色こそ当時の若者が最後に見た世界だ。

まかり間違えばこのどぎつい世界で若者が死ぬ、と天皇の歌は警告しているように見た。

天皇はいつも静かに警告している。

 

 

皇后さま

夕茜に入りゆく一機、若き日の吾がごとく行く旅人やある

(夕焼け空の中に飛行機が一機若い頃の私のように旅立つ人がいるのだろうか、いいや)

皇族のほとんどが「人」と言うお題を他人事のように捕らえている。皇后様は「人」を自分ととらえ詠んでいるので、とても迫力のある歌になった。彼女は天皇との結婚に決心がつかず一人ヨーロッパへ旅立った。夕焼け空の飛行機にそのときを思い出した。

後の皇族は幼稚な歌だ。小学生の遠足の感想文か。

もう後がない人間は、日常のほんのちょっとした出来事も自分の昔と重ねるものだ。そうして似たような想い出を重ねる者同士、共感を共有する。

それが歌の広がりだ。

 

 新潟県 内山遼太さん

日焼けした背中の色がさめる頃友達四人の距離変化する

 

全部書ききれないので若者の歌をひとつ紹介した。国民も深い情の世界は負けていない。日本人だ。

(ドラゴンフルーツはうまい)

 

 

 

 

 


鈍感なクジラ

2015年09月12日 | 和歌

 

中学生の恋愛は矛盾する気持ちに満ちている。

嫌われたくない。なのにどうでもいいことに怒ってすねて見せたり。

梨子は思った。ひとの話を聞いてるの?何回もそれとなく遠まわしに言ってるのに、鈍感なんだから。『帰ろうか?』なんてどうしていえるの。私のドキドキしている気持ちがどうして分からないの。

でも彼のほうも恋愛はほとんど始めてだ。ホントは鈍感ではない。お互いの服が触れただけで緊張してしまう。敏感な夕日は刻々と色を変える。

二人だけの放課後の教室、と僕は想像した。鈍感と敏感が交錯する。

 

   鈍感なクジラのようで敏感な夕日のような君といる夏      松田梨子

 

松田梨子ちゃんが朝日歌壇に投稿していた。選に選ばれるとは大変なことだ。妹のわこちゃんと、さらにお母さんとともにこの朝日歌壇の常連だ。

あいつは鈍いんだから、と不満そうにしながらも相手の緊張もしっかり理解してあげている。歌の中に漢字がだんだん増え、内容も成長していくのが楽しみだ。

 

わこちゃんは最初、全部ひらがなの歌だった。

それぞれ年齢なりの歌であり僕は期待している。

 

一流の選者を選び全国にいる歌人に共感を与える作業は半端な能力ではない。

 

それに較べて政治社会面の堕落ぶりは際限がない。対馬のイタイイタイ病は、日本の4大公害として学校で習ったはずだ。それは朝日の捏造だった。吉田清治の強制連行大嘘(おおうそ)虚報事件もそうだ。謝るというより意地を張って正当性を強弁したに過ぎない。

ところが、全体の良心性や質から見て、サンケイや読売は足元にも及ばない。とくに、日本文化の真髄を朝日歌壇、俳壇は示してくれる。

社会面にも優れた記事はある。ゴミが混じるのは仕方ない。人だから間違いは起こす。そんなことは問題じゃない。読者をだましたことに対しなぜ、申し訳ありませんでした、といえないんだ。

 

 

 

 

 

 


「静」を詠む歌会始 天皇陛下、水俣の海に思い

2014年02月03日 | 和歌

新年恒例の「歌会始の儀」が15日午前、皇居・宮殿「松の間」で開かれた。今年の題は「静」。天皇、皇后両陛下や皇族方のほか、入選者10人、選者らの歌が厳かな空気の中で披露された。
2014年1月15日13時27分 朝日
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もっと早く書けばよかったが、書こう書こうと思いつつ事件が多くて後回しになっていた記事を書く。


〈天皇陛下〉

 慰霊碑の先に広がる水俣の海青くして静かなりけり

「ぶり」という言葉がある。「ぶり」(らしさ)が役割を果たす時代は過ぎた。とうの昔に過ぎたことだ。だが、うけ継がれたDNAは刻々と書きかえられている。母を殴る父親からは乱暴な遺伝子と母の恐怖におののく不幸な遺伝子がその場で作られていく。証明されている。

だから、家老ぶり。大名ぶり。貴族ぶり。これらはそう一朝一夕にはできない。「広がる」「静か」とは終了を意味しない。殺人企業の罪状は、司法だけが決着すれば終わるものではない。しかし静かなのだ。それは悲しいから静かなのだ。人生の悲哀を味わってこなければ、なかなか言えるものではない。深い理解を表に出さない、心を打つ天皇ぶりだ。

皇族は宮内庁の添削が入るからよくできると思うものがいる。それは天皇に失礼だ。宮内庁は歌の内容には全く関与しない。皇族は教養が仕事なのだ。

以下僕がよかったなと思うもの。

〈永田和宏さん〉

 歳月はその輪郭をあはくする静かに人は笑みてゐるとも

〈群馬県 山口啓子さん(60)〉

 ひとり住む母の暮しの静かなり父のセーター今日も着てをり

〈東京都 中島梨那さん(20)〉

 二人分焼いてしまつた食パンと静かな朝の濃いコロンビア

 
 
 
 
 
 
 

わこちゃん、みんな楽しみにしてるよ。

2013年03月07日 | 和歌

富山県在住の松田わこ梨子姉妹。ピアノも習っているらしくその話も出て来る。この小学生中学生姉妹は昨年末から朝日歌壇をにぎわせている。大物が消えていく中、若い子供が感じたままを文字にするとき言葉というものはこんなに弾けたりやさしく包んでくれたりするものなのか、僕は驚いた。

ぼくは、なんと多くの無駄な言葉を使っていたんだろう。なんと多くの優しさを見逃していたんだろう。今日の朝日歌壇で、馬場あき子が選んでいる。

わた雪が私のほっぺでとけてゆく私にちょっと甘えたあとで

きょうはTシャツ一枚でオープンにしてドライブしたが、富山はまだまだ寒いようだ。雪がくっついて流れだす時間差は、雪が甘えているんだ。わこちゃんすごいな。まだ習った漢字も多くないから平仮名が多い文だがそれがまたいいな。

ふわふわの羽根に包まれ目を閉じるああママの巣のヒナでよかった

お母さんがよく育てられていることがしみいるように伝わってくる。あったかいお母さんに抱かれてわこちゃんは眠くなったのかもしれない。よかったよかったと思いつつ眠られるなんて子供に必要な最高の幸せだと思う。梨子ちゃんはこんなふうに歌う。

合唱部5人でたっぷりわけあった第二音楽室の夕焼け

夕焼けも分け合っただろうが合唱も全員で一生懸命歌ったようだ。ふと気がついた強烈な夕焼けの光はその年齢だから感動できるものだ。

日常のほんの小さなこと。でもそれは精緻な観察力がないと見過ごしてしまう。姉妹はよく見ているんだ。大人にはあたりまえのことでも。そしてすべてにみなぎるやさしさと素直さと向上心。

誰もが思うはずだ。こんな家庭に育ちたかった。また、こんなふうに育てたかった。

毎月曜日の朝日歌壇が楽しみだ。わこちゃん。

土曜日は初めてに挑戦する日今日は初めてヤリイカをおろす日

Posted at 2013/02/25