か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する 60

2019年10月21日 | 韓国

<前回のつづき>

[報道資料] 歴史を歪曲しているのは、はたして韓国なのか日本なのか。

            キムワンソプ  「新 親日派のための弁明」 

日本が歴史を歪曲しているということを当然だと考えている韓国人たちには、事実は逆もありうるという認識を持つこと自体がとても難しいことだ。この本は著者に加えられた韓国政府による全面的な弾圧で多くの人が知るところとなった。2002年夏には著者は出国禁止措置を受け、検察による外患誘致扇動罪での起訴方針が明らかになり著者が日本大使館に亡命を申請した。このニュースが報じられると本格的な救命運動が起こった。

 

ーーーー伊藤博文に謹呈された本

この本がいかに革命的な認識の転換を狙っているのかという点は本を開くや否や現れる。この本は朝鮮の革命家である金玉均と伊藤博文に捧げられていて、著者は巻頭において金玉均と伊藤博文を殺害した集団を「仇」(かたき)と規定している。すなはち、金玉均を殺害した閔妃と伊藤博文を殺害した安重根を民族の仇だと規定しつつ強い贖罪感を表している。このような認識の背景全体にわたって一貫して維持されている。

 

ーーーー日本によって始まった朝鮮の文明開化、日帝時代はわれらにとって何なのか?

この本の切り口は「文明開化」である。」未開で野蛮な社会を文明開化させたことはそのどんな価値よりもまずもって考えられなければならないものだ。最優先課題であり民族主義とか独立至上主義のようなイデオロギーなどは全く重要視しないという認識なのである。すなはち、当時全世界で最も未開であった朝鮮社会を文明開化させることができるならそのどんな悪徳すら善でありうるのであり、このような課題を完璧に遂行した朝鮮総督府はわが民族の恩人であり日本は朝鮮の父親である資格がある国家であるのだ。

 

ーーーー独立運動批判

この本は、我々の社会で当然なものとしてまかり通っている「独立運動は立派なことだった」という認識にも根本的な疑問を提起している。すなはち、独立運動は非常に間違ったことだというのだ。旧韓末の国際情勢をみるとき、朝鮮が独立国として残っていたら現在のわが国は世界中の国の中で最も未開な国になっていただろう。したがって、当時においては日本と手を取り文明開化を推進した親日派がまっとうなものであり独立運動家たちは時代の変化に適応できなかった日和見主義集団だったというのである。

 

<この本の重要内容>

ーーーー1. 韓国と中国は日本を批判する資格があるのか。

過去日本が起こした大東亜戦争はヒットラーの侵略戦争とは異なりまっとうな名分を持つアジア解放戦争であったのであり、したがって戦後処理もドイツとは異なったものでなければならない。韓国と中国で主張されている日本の戦争犯罪は大部分がでっち上げであるか誇張されたものだ。ぎゃくに過去の歴史をよく見ると韓国や中国には日本を非難する資格がない国家なのだ。韓国は昔ベトナムなどで多くの良民を虐殺した醜悪な過去を持っている。中国はいまでも多くのこの民族の土地を強制占領している侵略国である。

 

ーーーー2. 日帝時代は我々への祝福であった。

朝鮮時代末期、朝鮮人たちにとっては生き地獄のような日々であった。日本の統治によって近代国家への歩みを始めたといってよい。日本の統治によって朝鮮は多くの発展を成し遂げた。30年を超える期間、1000万人に満たなかった人口は2500万人に増え寿命は25歳から45歳に伸び、未開な農業社会であった朝鮮は短期間で近代的な資本主義社会に変貌した。本土からは優秀な教師たちが赴任して朝鮮人たちを教育したし毎年日本政府からは膨大な規模の資金が流入し優れた社会基盤施設がつくられた。このような変化は朝鮮が独立国家であったならば想像すらできないことだ1920年代には日本に対するコメ輸出で朝鮮には豪農が続出した。それを土台としていわゆる「民族資本」というものが誕生したのである。

1920年代の朝鮮の文芸復興は日本と正確にその時期を同じくして始まっている。今日、イグァンスとチェナムソンにはじまりキムドンイン、イヒョーシク、キムヨンラン、尹 東柱、湖南派、など我々の記憶にある多くの作家と芸術家たちは大部分この時期に登場した人物だ。

 

ーーーー3. 韓日合邦はわれらが選択した。解放以降、朝鮮の革命勢力が悩みながらも合邦を推進するようになる理由は何か。

甲申事変以来、数次にわたって試みられた市民革命は高宗と閔妃、外勢によってたびたび挫折していてその結果、東学と独立協会など朝鮮の革命勢力は日進会として一つにまとまった。これらは日露戦争の過程で日本と連合軍を作り参戦した。日露戦争に勝利したのち、本格的に日本の力を得て朝鮮の文明開化をなす路線を進む。日韓合邦はこのような朝鮮の革命勢力の意図が貫徹した自主的な選択であった選択と解さねばとならない。

 

 

<次回用メモ> `친일파를 위한 변명`의 저자 김완섭 인터뷰 から

 

 

 


One morning I awoke to find I should reset my life.

2019年10月18日 | 思想

散髪にしろ、食事にしろ、旅にしろ、一度気に入るとなぜかそこに通ってしまう。

それはそれで楽しいから、それでよい目にあうのだから、何もあえて見知らぬ床屋で気に入らない刈り方をされる危険を冒すことはない。見知らぬ食堂であえてまずい飯を食うこともない。紅葉がきれいで年中行事のように出かけた山に登るのをやめて、あえて見知らぬ山に登ることもないわけだ。

 

ただそれでは、結果の見えた楽しみしかえられない。

 

年齢に関係なく、わざわざ海外旅行をしてもおなじ場所に行って安心したり懐かしがってる。

ぼくは若いころから、わざとにでも同じことを避ける生き方を良しとしてきた。失敗することが多くてもたまに得難いものに出会うワクワク感に期待していたのだ。

たしかに少し無理をしていた感もある。だが、何年もボロボロになった講義ノートを口述筆記させて飯を食ってるぼんくら教授にだけはなりたくなかったから、納得したうえでの覚悟の「無理」だった。

 

こういった冒険をしない人間の習性は、長年のあいだにDNAに刻まれ続けてきたのだろう。そういいつつもよく考えると、ふと、ぼく自身が軽蔑してきた人間に収まりかえっているではないか。

そんなぐうたら人生観に納まっては、人類は🐵に戻ってしまう。・・・なんて悲壮な義務感ほどはないにしても、この頃ぼくの人生にはたしかにスパイスが足りない。

ウエストと銭だけは着実に増えるが、死なない程度のリセットをしてみることにした。

 

独りぼっちがなんともない人もいれば、さみしがり屋の人もいる。友達を亡くすことを殉死せんばかりに悲しむ人もいる。あるいは、だれでも朋が遠方より来れば、そりゃあ孔子じゃなくてもうれしい。

そこで臆病な話だが、できることからリセットすることにした。住所録をリセットすることから始めた。年賀状、暑中見舞いはもとより出さない。手紙の返事は習慣としてその日のうちに書くが、虚礼は廃止することにしていた。

 

今回は住所録を抹消することにした。どこからでもよかったが、ぼくは知人の半数が韓国人だから、まず韓国関係の人脈を切った。電話からもパソコンからもノートからも。すべて。韓国でコネクションを切ることは本当に死を意味する。

「消去しますか」と、ぼくの迷いを見透かしたようにパソコンが聞いてくる。「はい」をポチッとするときさすがに指に電気ショックがあった。

 

その日はなんかとモヤモヤしていたが、数日後にさわやかな気分がしてきた。

決して終活ではない。終活の逆だ。いわば始活、生活。

長い人生経験によって得られるものは得難いものが多い。多い一方で、消したくてもしつこく思い出す邪魔なものもある。連絡できなくするとはその関係を殺すことである。それを死ぬ準備と考える意気地なしはそもそも生きる価値がない人だ。

賭けに出たのだ。パソコンというスイッチの集合体ですらメモリーに余裕がなくなると動作が遅くなる。「ディスクのクリーンアップ」だ。

 

なんだか脳がパキパキ動き出しそうで楽しい。いろんな残骸で無駄にメモリーを使っていた。

不思議なもんだ。新たな出会いとはあり得ないことだとか、あってもしょうがないことだと考えていたが、それは出会いの問題ではなく出会う僕の脳の活性度の問題だった。

 

さて、次は何を捨てようか。人生の精選をするのだ。終活はぐうたらがする。生活だ。

 

旅行編

その名もThe Beach Hotel. 海雲台(ヘウンデ)のど真ん中で一泊7万円もあれば3千円もある。ただ、部屋は同じ。日本人は「イイね」じゃなくて「言い値」で泊まる。バカにされてるよ。

着いたその日に何人もの人と友達になり、The Beachにとまり、S席で演劇を見た。ほんの数時間前まで福岡の自宅で旅行に行くか行くまいか悩んでいたが、今、知り合ったばかりの人と最前列で劇を見ている。タダで。夢かもと思った。

ちょっと探しにくいがぼくはどこでしょう?

 

眠らない海雲台 町は人生を楽しむ人であふれていた。大事なことは、人と仲良くできる能力だな。

 

相変わらず荒っぽい工事。 塩ビが折れるのは間もなくだ。「ベテランだから安全か?」と横断幕にある。やっつけ仕事の塩ビ管からはすでに下水が漏れはじめていた。

 

この初任給を見ろ、景気はいいぞ

上から目線で同情する日本のリベラルよ、おまいらのほうが貧しいから。

 


PUS⇔FUK 往復3000円

2019年10月07日 | 韓国

今まで騙されていたようだな。エアトリを見ると、福岡釜山の往復が3000円。ソウルは遠いのになんと往復2500円。

日韓関係の悪化に伴い旅行客が減少したので、客をつなぎとめようと航空券のたたき売りをしている、のか。はたしてそうか。

違う。今までが高すぎたのだ。ハワイに行くのになぜ逆方向のソウルにいったん行った方が激安なのか。JALが高すぎるだけだ。

日本は何でも高い。高速道路を通るとカネをとられる。世界一の電気代、スマホ代、水道代、車検費用、(これなんか韓国は日本の1/20以下)・・・

 

ま、まともに空港まで行く交通費のほうが飛行機代より高いのだ。ぼくは自転車で行くけど。職員駐車場に止めたらよい。おススメ。

 

今回残念なことに台風が直撃しそうになり、這う這うの体で帰国した。3000円だからまたすぐ行く。

福岡釜山は1時間となってるが、実際の飛行時間は40分だ。

 

とりわけ免税品が安いということもないが、記念にORIENT.  いや、10%の免税に10%以上の値引きだ。とりわけ安いか。collectionの automatic. 気に入った。金海空港のほうがもっと安かった。金持ちだから悔しくないっ。何ともないぞ。福岡で買いたかったんだーっ。

翼にHLとあるのが韓国の✈。

食堂のメニュー版に子供がいたずら書きをしていた。

店の女主人に言うと「うちの子が書いたのよ」。ぼくが、「かわいいですね、おいくつですか」と聞くと、「27歳」 

いまだにわからんことに出くわす。奥が深い国だ。

両替は空港でしてはいけない。率が悪いのだ。慣れた人は町中の銀行で。もっと慣れた人は闇の両替のおばちゃんが良い。この国はまだ汚れたウオンや円が洗濯を待っている。

ぼくはよい子だから銀行に行った。が、受付の態度が横着だったので今回に限り闇に行った。

 

 

 


ソウル発緊急電  「法不阿貴」 (법불아귀)

2019年10月05日 | 韓国

法不阿貴とは韓国ではどんなバカでも知っている四字熟語だ。「掟」(おきて)というものは銭の誘惑に負けてはならないという意味。

しかし、ここでは最末端の警察官ですら銭次第でどうにでもなる。

 韓国は今、チョグク支持デモがあふれている。朴槿恵の二の舞ではない。

 

クルマを例に、

韓国では、チカッとパッシングをするとそれは、俺が先に行くからお前は動くなという意味で、日本のどうぞお先にという意味とは反対だ。

だから勝つか負けるかの運転をしているので一旦停止の標識などだれも意に介することはない。

当然ぼくも一旦停止などしたことがない。クルマはすべて狼だ。クルマだけを見て運転しないとこの社会では存在できない。

 

そんな中、

日本人ドライバーはいいカモだ。クルマを見れば日本人と分かる。高級車できれいだ。一旦停止の標識の影にKの警官が。

切符を切られても外国だからなかなかシステムが分からない。面倒は嫌だ。

捕まったら仕方がない。免許と同時に5万ウォン札を出す。すぐ免許は返る。切符は切られず警官は笑顔だ。ソウルの常識だ。(今はすこし少なくなった)

 

賄賂はこの社会では潤滑油なのだ。ただし、そんな潤滑油が必要な社会はけっして先進国ではない。

 

ひるがえって日本、

関電のわいろ還流事件は日本を道徳後進国に貶めた。どこの原発もやってるとかいうな。どこでもやったら正当なことになるか。ばか。

ただ、Kの国はJの国と違いそれがすべてなのだ。みんな何らかのコネ(この国ではBACK という)を頼りに生きているから、政権が変わるということは自分の利権のすべてを失うことだ。

 

賢明な方はお分かりのように、新たに政権に復権する側にまつろう者たちは、BACKの復活だ。だから100万200万のデモは当たり前だ。日本では生活が懸かっていない人がデモするが、ここでは生活それ自体なのだ。

 

与野党という双子がお母さんの手にあるお菓子を争っている。だからどうなろうと対日政策に変化はない。

 

ただし、何の特権も持ちえない3流大学の学生をのぞいて、むしろ今後の人生を約束されたソウル大、延世大、梨花女子大の学生が不正に怒るのはなぜか。これは低能で利己的な日本の飼いならされたポン助には永久にわからないだろう。ポン助は私利私欲しか考えることがない。

 

まともな国からしたら、

正義がない国、道徳も良心もない国だ。だからすごいことじゃないか。立ち上がる学生たちの義憤に対し、分かった顔して偉そうにグダグダ理由をつけて海の向こうから韓国を知った気になるな。

 

その絶望社会の中で、そんな国の中で芽生えた「不正に怒る」学生にぼくは敬意を表する。

日本人はどうなるかにだけしか関心がない。問題はどうすべきかなのだ。

 

今回台風が来たので、予定を早めて日本に来た。次回から韓国の様子を伝えます。POLITICALな緊急電は終わります。