か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

融通が効かない、無駄に細かい、言われたことは意地でも通す。

2014年09月29日 | 思想

さらに、バカにされてはいないかとびくびくしている。かわいい女子社員には異常に意地悪だ。ところが、ああだこうだの弁舌は意外と立つ。休まない、遅れない、だが仕事の能力はゼロだ。

何かをやろうとすると、足を引っ張ることは実に良く見つける。そんならどうしたいんだと聞くと、創造力はないし、責任も取りたくないから、だんまりを決め込む。沈黙は金か。しゃべるときは、結局、従来どおりにしろという。前例主義の公務員には向いてるか。

例外なくブスだ。色が黒く腐った顔をしている。中身もないくせプライドが高く、ご自分はその中身があると信じている。

就業規則にやたら詳しく、それを持ち出せば男は黙ると信じている。独身だ。当たり前だ。

わずかな皮肉も見逃さず「差別だあ」と絶叫する。人のミスを見つけること、自分すなはち女性が勝利したのであるから、私は女性差別に打ち勝つ良い人だ、と思い込む。そう信じて、決して部下を、かばうとか、見逃すとか、かぶるとか絶対に絶対にしない。

この部下からの人望ゼロのごみ女が課長席にいる。

安倍は、政官財が一体となって数字まで上げ、女性管理職を増やせと言い出した。会社をばかにするな。管理職を男の既得権だと思う会社は、とうにつぶれている。

女もはたらけ、給料は安いぞ、保育園はないぞ、残業も男女同権だ。・・・これじゃあメンスも上がったひがみ婆が管理職になることはあっても、20代30代には結婚するな、子供生むなということか。

合コンに行っても、疲れきったすれっからししかいない。僕は「片桐はいり」と結婚はいやだ。

つまり末端女職員は疲れきり、下級管理職はブス顔の評価を跳ね返そうと異常に燃えて仕事する。ミスなくミスなくそつなくペコペコ。

僕の9月4日のブログ「ペットは家族ですから」は、ペットのいる人には心中(しんちゅう)なかなか穏やかではなかったろう。しかしながら、客観的な立場に立てない人は科学的思考とは無縁だ。そういうアホは、たいてい差別差別と発狂する。

もちろん僕の書いたものに反論は歓迎だ。むしろ批判のほうが面白い。こう書くとバカはいい気になって、ねたみ、ひがみ、発狂、そねみ、嘔吐までする。これは不潔だ。

さあ、差別だといきまいてもらおうか。いろいろは、話ができないから、女性管理職について書いている。

安倍は見え透いた手を使う。国会議員とは常に選挙前だ。選挙が控えていないときはない。最初に秘密保護法とか消費税とかを既定の路線に乗せ、選挙が近づく今頃からソフトな政策を打ち出している。地方の再生。女性の登用。・・・

国民はそこまでバカかな。上に弱く下に強いという女の本質を、安倍は分かってない。主婦を日陰者のように言った。女性の社会進出だと。何をぬかすか。安価な労働力を引き出して働かせ、製品価格を下げようという魂胆だ。バカ。コストで争ったら日本はアジアのどの国にも負ける。コストで勝ってきたのは、みんなが中卒だった昭和30年代までだ。

男女に限らず社会に出る出ないは自分で決める。日本にいるいないも自分で決める。自分の女房こそ主婦じゃないか、なあ、安倍。

共稼ぎで、子供は保育園の他人が育てる。髪を振り乱して土日に安売り店に行く。殺人的混雑。一週間分買い込む。早く寝ないと明日は早番なのに子供が泣く。授業参観も夫と交代。面談で子供の様子を先生から聞かれても、学童保育に預けっぱなしでよく知らない。夕立にも怯える崖のそばに建てたマイホーム。そのマイホームと見栄で買ったクルマのローンがのしかかる。

土石流で死ぬ人よりローンにつぶされる人が多い。この貧困の悪循環に突進する生き方は賢くない。

そもそも女を働かせるような甲斐性なしは男を辞めろ。



写真  福岡中央区 薬院 浄水 カカオロマンスの隣 スウィーツのあとのFree Drink

 

 

 

 

 

 

 

 


猫缶

2014年09月28日 | 国際・政治

宇宙は膨張している。遠い星ほど観測できる光の波長は、長くなっている(ドップラー効果)。ピーポーピーポーのサイレンが遠ざかるときは低い音になるのと同じ理屈だ。

ということは、地球を中心にあらゆる天体は遠ざかっているのか。一面正しいが正確ではない。

少し膨らました風船に碁盤の目を書き、その線がクロスした点にどんな順番でもいいからアルファベットをつけていこう。A点、B点、C点、D点、・・・

風船をさらに膨らませると、このA、B、C、D・・・はどの点から見てもお互いに離れていっている。つまりどこにも中心はないのである。

100億年以上前、Big Bangが起こったので、そこを中心に宇宙が広がっていると考えると、不都合が多い。隣にいる人と自分も離れているのであり、仲秋の名月も地球から離れつつあるのだ。

時速30キロで離れている人がこちらに向けて時速40キロでボールを投げると、観察する人にはボールは40-30=10キロで近づくように見える。B29の尾部銃座がほとんど威力がなかったこともこの原理だ。

ところが光の速さは絶対的だ。光というボールをもつ人が何キロで走ろうと、前に投げようと(光を出そうと)、後ろに投げようと、投げられた光の速度は30万キロ /secで一定なのだ。変化するのは波長だけだ。速度に変化はない。100億光年以上の遠くにある星雲はみんな赤い。(赤方偏移)

もうひとつ絶対的なものがある。それは素粒子の構造だ。すべてが膨張するからといって、電子が時間とともに陽子から離れることはない。

これら絶対的なものにもっと正確に頼ることが出来たら、われわれはもっと多くのことを知ることができる。

水深の分からない池にボートで漕ぎ出したら不安だ。もし棒切れがあって絶対的な深さを知ることができたら、船上の自分たちは安心するはずだ。

当面その基準は揺るがないと思う。が、もっと多くの尺度を得ようとするのが素粒子の研究目的だ。

世の中が見たままなら天動説は真理だろう。自分が宇宙の中心であれば安心するだろう。

それはあまりよろしくない。自分の低能を棚に上げて学問の邪魔にしかならない奴が、大和民族が特段に優れていると絶叫する。名月が笑っている。

同様に中国という名前自体が、思い上がったようで、田舎者の好みだ。地球という球体の表面には中心になるところはない。

かわいい猫の顔が印刷された猫缶があった。おいしそうだね、と中国人たちが話していた。

彼女たちは大きな誤解をしている。それは猫のえさの缶詰であり、猫の缶詰ではない。

「おいしそうだね。」とか、聞きたくなかった。誰だ、こんなのの入国を許可したのは。

安倍だ。




 

 


ペットは家族ですから。

2014年09月24日 | 日常

僕は銃を止めたのを悔いた。オートマチックは銃身が一本なので軽い。僕はこのほうがよい。上下二連は重たく2発しか出ない。

日本では、わざと改造して装弾数を減らすことが義務付けられている。アメリカのオートマチックは5発だ。もちろん「ダイハード」や「マトリックス」のように無限に弾の出る銃はない。オートマチックであれなんであれ、どんなに撃ちまくる時も残弾数が最大の関心事であり、それを間違えたら死ぬ。

その時は残弾どころが銃がなかった。38式歩兵銃でもいいから、ほしかった。次のことが起こったからだ。

山に山草を採りに行くと野犬がいた。30匹の群れ。明らかにもとペットだ。銃がないと中型犬も怖い。ドーベルマンは野生に戻り、ただ殺しまくる海兵隊員になっている。

何匹か殺せば去るだろうと思って、石を投げた。当たらない。今度は木を振り回した。かつ、奴らよりも大きな声で吼えた。こんな人間は初めてだったんだろう。

犬どもは、気違いにかかわるのはよそうという理性的な目をして去った。腹が立つ。今度会ったら食ってやる。

彼らはもとペットだ。一部、廃業犬屋が捨てるとこもある。だが、

きっと、ご近所からの苦情に耐え切れず、犬はどんどん大きくなるし、困ったあげく山に捨てたんだな。うちに捨てるな。僕にも妨害排除権がある。平和的生存権があるのだ。

子供なら確実に食いちぎられる。弁償するか、否、そんなはずはない。ペットを山に捨てる奴に常識はない。逃げるだろう。嘘だというなら、お前の子を連れて来い。僕は助けない。

警察に言っても仕方ない。民事不介入です。物証がありません。捕獲は管轄が違います。保健所にどうぞ。・・・グダグダ言って要するに動かない。

無駄吠えさせる非常識な近所に、苦情を言える押しの強い人はいい。一般の方はノイローゼになりながら、たかが犬のために人生をつぶし心を病む。このとき、即座に、安く、確実に解決してくれる天使がいる。

犬の騒音は市役所じゃだめだ。うるさいそうですがどうですか、と何回かバカ飼い主に電話して終わりだ。イギリスでは「ワン」と一回鳴いてもその家族は引越しを強制される。吠えないという約束だから。大人の国は契約に厳しい。ほとんどの町でこの契約がある。

移民の町を除きアングロサクソンたるイギリス人の町で動物の声がしたか。ペットとはどんなに鳴いても聞こえないほど広い邸宅に住む、教養と常識とマナーを知る人のためのものだ。

お互い様だという考えがあるが、それは飼いたい者同士の関係であり、嫌という者が一人でもいたら、平穏な生活を望む嫌がる人の言い分のほうが選択されるべきだ。

本来ペットとは貧乏人が、犬小屋みたいな自宅の中にさらに犬小屋を造って自己満足の動物虐待をして飼うものではない。

でたらめ日本では解決策は限られる。変態的に溺愛する飼い主にはペットの鳴き声は心地よい。だがいやだという人が、その不愉快をこらえる必要はない。すべてが当てにならない日本では、その解決を天使に頼る。

天使は夜中に消音空気銃(おもちゃの戦争ごっこガス銃ではない、人も殺せる、不法所持だから検査もない)で殺し皮をはぎ玄関にぶら下げる。室内犬は、だれもいないときにこれをやるからもっと簡単だ。

飼い主よ、天使に依頼した人に仕返ししたら、今度はお前が皮をはがれ玄関にぶら下がることになるぞ。このことを分からせるために、犬はバカ飼い主の犠牲になった。

行政が機能しないとき日本は、南スーダンかソマリアかナイジェリアになる。英国は遠い。

早く、安く、確実に処理するやくざという天使の出番だ。

①  僕の山に犬を捨てるな

②  だらだら犬を鳴かせるな

これが守れないなら今流行の怖い自己責任がまっている。






 

二つの Caliper(キャリパー)

2014年09月23日 | クルマ

通常は、はさみ測定工具をさす。対象物の外径をそっと両側から挟みこみ測定する。ノギスは一種の機械式計算機で、最初に考えた人には感服する。

機械は単純なほど完成しているんだ。バカは複雑にして完成していくと思っている。ソユーズはもちろんアポロにも日本のクルマ一台分のCPU能力はない。月の周回軌道に入る予定がないなら、今のクルマにある電子機器は必要ない。

メーカーは卑怯にも安全性という錦の御旗を掲げ、あったほうがいいか、そうではないか、と迫ることでクルマの価格を吊り上げた。

一方で、車体はまるでダンボールだ。一度ひしゃげ始めるとせんべいになる。外力に対する抗力は強いが、一度降伏するとぺしゃんこになる。最後まで粘りつづけるクルマはもうない。

うちの近くで、電子機器満載のクルマが、行楽帰りに居眠りをしてベンツと正面衝突した。軽とベンツじゃあしょうがなかろう、で済ませてはバカだ。衝突回避だ、LEDの視認性だ。はたまたホイールだブレーキだ。僕は、そんなことグダグダ言っても何の役にもたたぬだろうが、といっている。

さらにバカはつづける。そんならベンツに乗れよ、と。貧乏人は死ねよ、と。

これは暴論だ。歩行者に対し、クルマに跳ねられたくなかったら、お前もクルマに乗れよというのとおんなじだ。

どんなブレーキも踏まなければ正面衝突を回避できない。ブレーキは部分である。クルマは全体である。メーカーの甘言はケーキの上の小さなビスケットが増えたことを強調する。ダボハゼはそれに目を奪われる。メーカーは大笑いをする。

Caliper 、ブレーキのキャリパーについて。

同じく挟み込むものには変わりはないが、キャリパーの片側だけにピストンをつけた片押し式と、両側からディスクを挟む両押し式がある。これはあたかも片側だけから押すより両側から押したほうがブレーキがよく効くような気がする。否。

二人でそれぞれ紐の両端を持って引っ張っても、紐の片方を壁に固定して一人が引っ張っても紐の張り具合はおんなじだ。片押し式の場合はキャリパー自体がフロート(移動式)になっていて、ピストンが押すとキャリパーも反作用として反対側から押す。モノとしては片押し式が賢くて高級だ。逆ではない。機械は単純なほど完成している。

こう書くとせっかく大枚をはたき6ポッド、両押し、メッシュホースを購入した人は、お怒りのことだろう。あ、キャリパーカバーもあった。

両押しもいいことがある。何でもはさめるオネーチャンのものは、片押しでは、なんか変則的だ。腕がきついからと片手で押すのはいかん。やはり両押しの中にうずもれたい。






ウソはしきりと絶叫する   11

2014年09月20日 | 韓国

 

併合前の現状 凄まじいインフレを起こした葉銭(ヨプチョン、朝鮮に流通した貨幣)の山

 

 

僕はシナジン、チョンの悪口や、低脳ぶりや、失敗や、お粗末粗相の類を書いて、自分のコンプレックスをしばし忘れようとか、他人の低脳を喜び自分を見失うまねはしない。

さらに僕は、任意に思いつきで気に入らない人のブログや画像を消す行為を理性ある人間の行為とは思わない。120年前の人物やグラフ、表は歴史資料であり人類が共有するものだ。聖徳太子の顔に肖像権があるか。奈良の大仏はブログにアップできないか。

よく分からないなら一生懸命勉強しろ。なあ、みんカラ。

本論
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中国、西太后(せいたいごう)は、自分の庭園、頤和園(いわえん、290ヘクタール)を改修した。その費用の捻出には国家予算を流用した。日本との戦費捻出に官僚たちが苦心していたにもかかわらず、気まぐれに庭の改修を決めた。

わが日本にとってはありがたい人だ。おかげで日本は戦争に勝った。

それは有り余る国家資産のある国だから出来ることであり、東方の半島がそれを真似ると国家自体が滅びることとなる。王朝が政争と麻薬漬けに明け暮れる頃、優れた官僚は暗殺されパージされた。

世の中でもっとも悲惨なことは、バカが多いことではなく、バカが権力を握ることだ。昇進したバカを見ると僕はいつもそうだと思ってきた。

以下、「帝国のたそがれ。1ドルを交換するのに葉銭(ヨプチョン、朝鮮に流通した貨幣)がひとかかえになる。」から一部引用。必ず次の年代を頭において読んでほしい。

1894 日清戦争 / 1904 日露戦争 / 1910   日韓併合

(引用開始)
日露戦争を取材しに来ていたColler's(コリアス)の特派員、ロバート=ドンが凄まじい葉銭の山を前に意気揚々とした表情で記念撮影に写っている。このお金は北に進撃する日本軍の取材をするためのドン記者の取材経費だった。ドンは韓国貨幣の価値がどの程度下落していたのか知らなかったのだ。

ソウルを発つ準備をしていた朝、日本人通訳クリタに150ドルを両替してくるように指示した。やっと夕方になって労務者たちに背負われた葉銭の山を見た。驚きのあまり、すっころぶところだった。

「韓国での両替」という題目の記事自体は、米価1セント(1ドルの1/100)である。(ところが)種類にもよるが葉銭15~30個に匹敵した。

普通1ドルを両替しようとすると葉銭が、力持ちの男が抱えていくほどであると説明している。(ここまでCollier's Weekly, 1904.6.4)

また、政府の無策により、(葉銭、ヨプチョンの)貨幣価値が低くなったどころかさらに下がりつつある。(韓国政府は)国の将来を考えず、このようなことがまかり通ると思っていた。(独立新聞、1899,2,3)

貨幣制度がでたらめであるために、韓国の貨幣は外国の貨幣の補助手段に転落した。

どんな国であれ上には政府があり下には百姓(ひゃくせい、庶民)がいる。両者間に財政(政策)はあるのであり、その財政は円滑にかつ、一貫した政策が採られるべきである。そうしてこそ物価も安定し、それのみならず政府と百姓の間の信頼関係が出来るというものである。であるのに自分の国の貨幣を使えなくし、他国から借用するとしたせいで今日この有様となった。

政府は自分の百姓をして隣国の貨幣を使うようにさせた。結果、このザマだ。(ここまで独立新聞、1899,9,22)

貨幣は国家の血脈であり人民の糧食であるのが、今日(1909年ごろ)の韓国では、もともと貨幣の制度が発達していなかったところに、十余年内に、金融機関がまったく外国人の手に移り葉銭、銀銭、銅銭、および外国貨幣等を、たとえば今年、同時に通用させたと思ったら、来年には禁止し・・・(大韓毎日新報、1909,4,7)

1905年7月5日から(朝鮮の)宅地部は貨幣の整理作業に着手した。1908年1月、宅地部布令によるとその年の12月末までに旧白銅貨の使用を禁じ、新貨幣の流通を進めた。しかし貨幣主権の喪失により財界は日本に従属し(日本の通貨を信用し)、鐘路商人たちの間には錢荒が生じた。(錢荒:貨幣価値が乱高下し多くのトラブルが発生する)店舗を閉めて逃げるもの、劇薬をあおり自殺するもの等がいた。

国家が財政運営に失敗し経済が破綻すると国民は塗炭の苦しみをなめるという教訓だ。(出所「帝国(大韓帝国)のたそがれに、われらは」)
               
               (からけん訳、カッコはからけんが付け足したものです。以上、引用終わり)

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この絶望的インフレを止めたのは誰だと思っているんだ。

留意すべきは、日清、日露戦争とは朝鮮を舞台に戦われた戦争であること。朝鮮政府はまったく政府の体をなしてなく、どの外国にすがるかをめぐり内戦状態にあった。

朝鮮王は、自国の貨幣価値をなくせば、外国人が価値のないもの(葉銭)と交換にわが国にものを売るのでわが国は儲かる、という奇説を信じたまま死んだ。まともな金融政策なんてありえない。

とにかく、自国の貨幣制度に対する知識も、やる気も、実力も、なかった。上記のことでバカでも分かることだが、国と国が主権を争い片方が敗北したなら侵略されるのが常識だった時代だ。隣の血走ったサルが頂かないはずない。

だがしかし、日本が朝鮮に行ったのは、半島に覇権を求めたのではない。未開の原野を開拓したに過ぎず、そこにいた野犬は多大なる恩恵をこうむった。

恩恵、すなはち近代化という恩恵だ。敵は半島の向こうに去り、半島は帝国の草刈場となった。

 

 

 

 

 

 


テスターのない電機屋

2014年09月18日 | 技術

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家電量販トップ、ヤマダ電機の新任フロア長だったAさん(仮名、当時23歳)が2007年9月、昇進から約1カ月後に過労自殺した問題をめぐり昨年末、損害賠償などの支払いを求める遺族が会社を訴え、前橋地裁高崎支部で係属〔争?〕中だ(8月10日付当サイト記事『ヤマダ電機、過労自殺社員の遺族が提訴 週間残業47時間、精神障害を発症か』)。責任を認めないヤマダ電機は全面的に争う姿勢。
           (Business Journal 8月25日(月)6時0分配信 一部略、〔 〕内はからけん記す)

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会社には開発、生産、流通、販売を問わず匂いというものがある。で、その匂いが悪かった場合、ほどなくその会社は滅びる。NHKはせっせと飲み屋チェーン会社の社長を持ち上げて理想の経営者とたたえた。だが理性的な嗅覚を持っていたら、最初っからその異様な匂いに気がついたはずだ。

ヤマダも週47時間の残業をさせたことは認めつつ過労死は否定している。

葬式で従業員たちが号泣したことに良く現れている。従業員は、明日はわが身であることを感じ取っていたのだ。それは従業員、出入り業者、客の態度、表情を通じていわゆる会社の匂いを作る。

マクドナルドの引きつった、追い込まれた、作り笑顔から出る大声はごめんだ。が、世の中はバカをはした金で使うセコい所ばかりではない。会社に入ったとたん、従業員の笑顔や数人で駆け寄ってくれ、あったかい雰囲気で迎えてくれるところがありそこは、必ず栄える。

科学的根拠はないが、不思議と、どこかにトラブルを抱える会社には、運が向かない。

近所のヤマダに行った。どこかのおっさんが怒っていた。電球がほしいのだが、家の電球が切れているかどうか分からないので持ってきていた。

すまんがテスターで測ってくれ、とおじさん。テスターとは何ですか、と店員。さらに重ねて、当店にはテスターとかありません、とぬかした。

まあ、ここでキレなかったら神だな。

これもその電気屋の匂いのひとつだ。



 


先生、1000円ちょうだい。あたしなんでもするから。

2014年09月16日 | 受験・学校

とか、自宅に押しかけたりする発情ブス子豚はそこらじゅうにいる。

用心すべきことがある。変に拒絶すると今度はからけん先生からわいせつされたと教育委員会に泣きつく。中坊とはいえ、若い男がどんなにやりたがっている人間かは、経験豊富でよくご存知だ。

そのテクニックは女房はもちろんJKもJDをも凌ぐ。

トラブルが起これば、すべていたいけない中学生をたぶらかした大人が悪い、となる。

ラサールから東大、文部官僚となったやつらが命の大切さについて指示を出し課長あたりに書かせる。つまり、荒れた学校を一度も見たことも聞いたこともない、もちろんそこで授業したこともないボンボンがえらそうに講演する。

でまかしで内容のない講演録を基に県教委の低脳が冊子を作る。

自分らは困らないから、官僚も役人も、教育委員会も適当にお茶を濁す。

では、誰が困るのか。二人いる。

① 中三DQNが廊下をバイクで走り回っても「止めないか」というしかできない勇気のない教師たちだ。本当はけり倒して息ができなくしてやりたい。が、それを殺ると首だ。女房、子供が路頭に迷う。ここは不愉快を我慢しよう。という「切れない」無能たち。

② バカDQNたち以外の普通の子達。彼らは迷惑をしている。学力は低くなる。まともな生徒は私立に逃げる。貧乏で私立にいけないか、そもそも私立には通らないバカDQN予備軍の巣になる。

日本をこんな不良の巣にした原因は複合的だ。一般の教員たちに絞って述べる。

普段えらそうに男女平等を説くブスは生徒のケンカを止めに行くのに体を張ることはない。傷がついて困る顔でもないのに、「からけん先生どうしたんですか、早くとめてください。」という。

担任とか教科担任という偶然の少数に責任を押し付けて、大多数の教員は他人事を決め込む。特にそういう生徒指導に何十年も苦労した人は利用価値があるからいつまでも昇進させない。

アホがコネですぐ校長になる。いったん校長になるとその学校には平均2年程度しかいない、授業もない。じつは校長は死者が出ない限り勤務する学校が荒れようとどうなろうと関係ない。

つまり、学校はDQNのパラダイスだ。なあ、佐賀県の一部の中学。

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授業の直前の休み時間に数字遊びをしていた男児らに「先生にゲームで勝てなかったら、飛び降りてもらおうかな、冗談だけど」と発言した。当時教室には保護者らも含め10名ほどが教室にいて、保護者らの抗議をうけて教論は授業後に謝罪した。 - See more at: http://www.xanthous.jp/2014/08/12/sasebo-teacher-mado/#sthash.tinJCA2Z.dpuf
                     日刊時事ニュース2014年8月12日17時57分

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これくらいはありうる。子供は大人が思う以上に大人だ。人の首を切り落としても保護してくれる国はイスラム国と日本ぐらいだ。飛び降りろ、を本気にする子はいない。いたらその子が異常だ。

教室は閉鎖空間だ。多くの話の脈絡(流れ、やり取り)や生徒のメンバー(顔ぶれ)を勘案して教師は言葉を選んでいる。「これが分からんなら窓から飛べ」と僕は何度言ったことだろう。突然、専門性もないくせに、言葉尻を捕らえて発狂されては迷惑だ。その証拠に高校になると、勉強内容がカバゴンには理解できないから急におとなしくなる。

失言ばかりに気をつけ官僚の話のように面白くない授業をする人は、文句が来ないいい先生としてすぐ校長になった。だが彼は肝心なものを持っていない。

生徒からの尊敬、信頼だ。







 

当店では出入り口は一箇所になっております

2014年09月14日 | 韓国

そのドラッグストアーは、前後を道路に挟まれている。だいぶ前に建ったので店舗に比して駐車場が狭い。店の左右に申し訳程度にある。

裏口があった頃は、そこを出ると古い商店街に通じていて博多風情を満喫することができた。商店街の人達はいろんなネットワークを持っていて、特殊な工具、規格外のねじ、塗料の調合・・・が必要なときは、言っておくといつの間にか調達していてくれる。

馬鹿でかいホームセンターで右往左往するより、ネット通販でトラブるよりはるかにいい。ただ難点は駐車場だ。バイクで持てる場合はいいが大きいものは車で行くしかない。

そこで僕はドラッグストアーに駐車して店内をすり抜け旧来の商店街に出ていた。何も買わないと申し訳ないので少し食料品を買うことが多かった。

ストアーと商店街は共存共栄していた。重複する商品が少なく、クルマのとおりのない商店街は地元の人が安心して自転車に乗ることができた。

が、そこに闖入者が現れた。同じく自転車に乗っていても、年は若く、アイロンでのばしたストレートな髪をして、大声をだして店内をうろつきなかなか買わない。

こう書くと、低脳がすぐ反論するのでとても面倒だ。

いや、まじめな人もいる。賢い人も多い。日本人も海外進出してるじゃないか。・・・

だからなんだ。僕は中国人がバカだといつ言ったか。目の前のことしか考えることができない、しつけの悪い、まるで日本にいる中国人のような商売人たちは中国のクルーズ船がつくと狂喜する。約一億落ちる。そうして、バカ日本人が両手に中国元をつかんだとき、わが国土は荒廃し人心も荒れる。

安倍。ホントは、ここでおまいらの好きな国家主義の出番だ。

研修生の名目でコストを下げようとして中国人の大量流入を求める、研究心の欠落した中小零細のチンピラ経営者。コストで争えば中国に勝つはずない。

自社のコストに目を奪われてはいけない。自己革新力のない非能率産業は、早めに首をつれ。安価だが低質労働力が日本を目指し大移動を始めている。社会的コストの増大を考えたことがあるか。

日本人はいろんな矛盾を平和的に解決してきた。それがわれらの特性である。

ドラッグストアーと商店街は対立の時期を乗り越え、知恵を出し合い、祭りを共催し、共通商品券を出し・・・と工夫して平和的共存を勝ち得た。

そこに闖入者が来てストアーの会計がぜんぜん合わなくなったら、店の怒りはいかほどかと思う。せっかく営々として築いてきた商店街との通行を遮断しなければならなくなった。万引きに裏口は最高だ。

日本を低質多民族国家にしてはならない。





学校の先生はつらいよ

2014年09月12日 | 教育

およそ日本国は、戦前戦後を通じて義務教育には期待していない。いや、津々浦々に学校を建てた、と反論した気になる人がいる。学校はほとんどの田舎では村民の拠出金で建った。

だが、先生たちの経費までは出ない。先生たちは、たかが一升の米も買えない給料で献身的に列強に伍する日本を夢見てはたらいた。

残念ながら、末端教育者がまじめであったのと、制度が機能していたのとは違う。700万陸軍が世界最強を自負したとき、村の小学校の先生は無給が多かった。わずか駆逐艦一隻、2500万円(当時)を教育にまわしたらすべての問題は解決したのに。

帝国は貧乏なくせに慢性戦争状態を続け、膨大な戦死者とその遺族を生んだ。兵は招集され2年近く経たないと戦死しても遺族に年金は出なかった。2年以上生き残ったもののみ利用価値があるのであり、すぐ死ぬものに年金はもったいない。

女は学問せんでよか(しなくていい)、という考えは、田舎では今も根強い。女性自身が納得しているから改善のしようがない。

女性がまともに小6まで進級することはまれで、級友が学校に行くのを眺めながら田の草取りをするのが通常だった。いわんや女学校なんて、男子が中学に行くよりまれだった。

夫が戦死した軍国の妻が、まれに女学校を出ているときは、臨時免許を与えたりして代用教員として近くの小学校に勤めさせた。

国は少国民(軍国少年)の育成に役立つと考え、村人は寡婦のがんばりを表面では尊敬した。敗戦とともに軍人が復員すると、その代用教員は陰に陽に圧力を加えられ復員兵のために職場を譲らねばならず、本人は田の草取りに戻った。

ある程度優遇するが、根本では安上がり過重労働をさせる。この義務教育軽視傾向は、現代の教員の待遇にもよく現れる。戦前戦後を通じて、その低賃金ですら得がたいものだった。著しい貧困により、賃金水準は飢餓線上をさまよった。

教育学部生に対する返済免除バラ撒き奨学金は、平成10年まで続いた。社会保障の一環として、行き所のない貧乏人の子弟をかき集める。貧乏人にあぶく銭を与えてはいけないことを、近代の知識が不足する日本は、知らなかった。

低脳どもが、志もなく小さな地位と薄給のため遊びに行く大学というところを、わざわざ無償で提供した。

そうすると、いきおい学園はセックスの花園となる。ほとんど女だ。ほとんど低脳だ。そして、すべて貧乏だ。何もしなくともタダで先生になれる。周りは何の根拠もなく戦前からの惰性で尊敬する。

ここでつらいのは男だ。周りにブスしかいないとそこそこのブスが美人に見えてくる。性欲に任せてやっちまうと、ブスの深情けはダイオウイカの触手のように男の局部をつかんで離さない。終わりだ。

卒業し先生になっても、バカが改善するはずはない。ことの本質が分からないために末子末葉にこだわり、やたら会議をしたがる。

会社にもいるだろ。何ちゃって上司。お前が決めろよ、と思うのに、あ、それなら会議にかけよう、といって責任逃れをする。不要な会議という時間が生じ必要な時間が削られる。

本質を抑えたらあとは部下を信用しろ。

学校でいうと、「命の教育」だ。まさに平和教育だ。人殺し小学生や自殺者が出ると、教育委員会は言い逃れのために「命の教育」ごっこをしてお茶を濁す。

教育委員会とは教員上がりの低脳の巣である。当たりくじのないくじを引くようだ。ハズレ小学校から集めた委員会は、何回メンバーが変わろうとハズレだ。

「命の教育」の内容批判は、またいつか必ず行う。

平和の象徴が鳩だから、鳩をかわいがって平和になろう、と本気で教えているから、脳細胞が異常になっているようだ。




ポチは飼い主のいうとおりにしろ。

2014年09月05日 | 国際・政治

ブランデーを開けるときよく見ると、栓のところに紐がついて蝋(今はプラスチック)で固めて誰も空けていませんよということを証明してある。

封蝋だ。

外交文書にこれをするときは官僚の出番でちょっと緊張する。実は蝋は配合されておらず金属酸化物や植物性樹脂で出来ている。交換公文の封帯の上にこれをたらし、すぐさまはんこを押す。あっという間に硬化する。

ゴジバのチョコレートの包装とまったく同じだ。

1936年、帝国がナチスドイツと防共協定を結んだとき、ナチスの田舎軍人は誰も外交経験がなくこの封蝋の仕方を知らなかった。帝国の随行官僚がそっと教えてあげた。要するに、その程度の、まにあわせの、外交文書として瑕疵の多い、へたくそ協定を小日本は後生大事にした。

封蝋は両国とも同一の内容に同意しましたよという確認外交公文の交換のときは必ず行う。形式ではあるが終わるとほっとする。条約であれ協定であれ覚書であれ協約であれ、この封蝋を割るときはブランデーを飲むときではなく戦争になるときだ。

自国の行動が条約どおりであることを証明する最後の手段だというわけだ。そうしなければ条約の中身は見られない。敵国も同意同席していたのだから、それを理由に自国の開戦理由を合理化できる。

封蝋は戦争に合法性を与えるためにする。

アメリカのケリーは日本で言う外務大臣、国務長官レベルであるにもかかわらず、安倍の北朝鮮政策を批判した。

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共同通信と東京新聞はこの日、複数の日米政府関係者の言葉を引用し、「ケリー米国務長官が7日、岸田文雄外相との電話会談で、日本政府の拉致問題への対応に関し懸念を表した」と報じた。

安倍首相が北朝鮮を訪問すれば、韓日米の連携が乱れかねない。

事前に相談してほしい。

追加制裁の解除には慎重な立場をとるのがよい。(上記3点について日本政府に指示した。)

岸田外相は米国側の懸念を払拭するため、来週中に米国を緊急訪問する予定。

                   2014年07月17日08時35分
                   [? 中央日報、一部略、レイアウト変更、カッコ内はからけん付記]

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一国の外相が他国の首相に向かってその行動に指示を出すとは傲慢もはなはだしい。腰抜け安倍は、せっかく外務官僚が、総合的にあらゆる情報を勘案し、安倍のためにもなる日朝国交回復に向けたお膳立てを無にした。

岸田外相は弁明するためにケリー詣でをした。国辱だ。一時が万事、今後は加速して日本をなめてくる。

蹴られてもなつくポチに誰がえさをやるか。ばか。

この行為は、サンフランシスコ講和条約に違反する。確かに安保はたびたび改定された。それは武人どものための軍事力調整であり、戦争の小間使いに日本を利用しようとするものだ。

そこにも問題はあるがいろいろ話せない。長くなると誰も読まない。ので、平時の国際法に照らし、話をする。なるべく短くするのでもう少し我慢してほしい。

日米安保において国内に米軍の駐留を認めたことはご存知だ。そんな国が独立国たることは出来ないが、アメリカはポチにアメをやろうと主権侵害し軍を駐留させる交換に、独立を認めた。

しかし、すくなくとも独立を認めた以上、対等だ。日本はアメリカのひとつの州ではない。米国は、思いどおりにならないと、宣戦布告もなしに他国を空爆する。

結果、何千何万という自国の若者も死に、国内世論に押されて撤退する。無様な国際戦略で世界各地に紛争を残し、いやになるとあとはかまわず撤退する。米国の戦後史はこの繰り返しだ。

夫婦喧嘩の調停を勝手に名乗り出て失敗し喧嘩はいっそうひどくなる。そして知らん振りだ。

ことの問題の中心は、アメリカこそが世界のすべてだと思って、歴史も礼儀も道徳も無視し軍事力ですべてを解決しようとするその傲慢さにある。

日本は封蝋を切ってもいいのだ。安倍ポチに出来はしないが。日朝の雪解けを阻害したのが弱虫ポチ安倍と傲慢ケリーだ。

気の毒だが拉致は解決しない。日本人妻が何人かと遺骨が何柱か帰れば御の字だ。

他の女にぞっこんのくせ言い寄ってこられても、プライドが許さない。北鮮にすれば、アメリカの言いなり小僧と何の約束ができよう。

断言する。日本が持参するエサに目がくらみ、しつこい水虫のようにまといつくが、北鮮が自分のカードを切ることはない。権限を持たないやつとの間に外交は成立しない。









 

自力救済の禁止 それが加害者を被害者面させる

2014年09月02日 | 法律

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2014/08/05(火) 23:39:36.01 ID:???0.netからの引用。

漫画専門の古書店を運営する人気店「まんだらけ」が、店の商品25万円相当の玩具を盗んだ犯人
をネット上に公開していることが話題となっている。

ホームページによると「8月4日17時頃 まんだらけ中野店4F変やで 25万円の野村トーイ製 鉄人28号

No.3 ゼンマイ歩行 を盗んだ犯人へ」などという通告がでており、モザイクありの顔写真を公開している。

さらにまんだらけは、1週間以内に商品を返却しなければ顔写真のモザイクを外し公開するのだと言う。

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典型的な自力救済(じりききゅうさい)にあたり違法な行為だ。自力救済とは、今回の事例のように、刑事事件を公権力の介入なしに当事者が解決を図ること。

窃盗犯(泥棒、万引き)にはこれくらいしていいのだ。とか、はたして、おもちゃ泥棒に警察が何かしてくれるか、という意見も強かろうと思う。盗られ損じゃないか。これじゃあ金を払うのが馬鹿らしくなり、中国人や、つかまらないところに住む人達は丸儲けになる。

それこそ法秩序の破壊じゃないか。なぜ犯人をかばうのか。こんなことなら俺も「まんだらけ」に行って、黙って鉄人28号を持ち出すぞ。

僕はこういうヒステリーの声でネットは爆発するかと思った。ところがさすが日本だ。法治主義や法の支配の考えが良く国民に浸透している。

ただ、僕は理論は良く分かる。分かるがいつまでも警察が何かしてくれると信じる馬鹿ではない。法治国家とは人の支配ではなく法の支配が貫徹している状態を言う。

警察にコネ採用の馬鹿がいなく、初動の遅い、判断力を欠くのろまがいなく、サボり癖のついた頭の悪いのが多数を占めていないなら、僕は警察に任せる。

実際問題として考えろ。鉄人28号のおもちゃが盗られましたと被害届を出しても、5枚も6枚も書類を書かされ調書を取られ犯人が出ないときには従業員に冤罪を着せるのが今までの例だった。警察が指先一つ動かすはずはない。キャリアはそんな庶民のトラブルなんて知りもしない。

自力救済禁止の原則が実効性を挙げるのは、市民が直接原状回復のために危険を冒さなくとも、公権力が有効な法の支配を強制できることが、前提なのだ。

僕はまんだらけの、「顔をさらしますよ」という自力救済は、警察が何もしない以上、市民としての当然の権利行使だと思う。