か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

朱に交われば赤くなる。 馬鹿に交われば馬鹿になる。

2016年04月29日 | 思想

国家秘密保護法が可決されそうだった去年。僕は無いコネを手繰り寄せ在職中よりも努力して人脈をたどり各人士の意見を聞いた。

正面からの、その人の意見は、すでに人口に膾炙しているので、会わないと分からないその人と思想に集中して書いた。「ソウル発緊急電」シリーズ。

辞職してから時がたつと、だんだん有名人には会えなくなる。逆にそこらの雑魚がチヤホヤしやがる。僕に対する罪滅ぼしのつもりだ。

晩節にいたっても下賎な奴らだ。

 

(中国人にかかってはひとたまりも無い。バスの中でパンフを配ったらこの花が助かるとか言うたわごとは、狂わずには言えない。何のことかとお思いでしょう。読んでいくとわかります。) 

僕の中国人嫌いを知ってか知らでか、あるゴマすりだけで昇進した低能が、「バスの中で行儀よく観光するよう紙(注意書き)を配りましょう。」と言い出した。気は確かか。中国人は、二行読んだらバスの床に捨てる。

僕が分かりやすいように、「奴ら動物ですよ。」というと他のバカが、「わしらも皆動物だ、動物だ。(中国人との間に、マナーも人間性も、異なることは無い)」といった。これが教育不毛県福岡とはいえ、幹部であった人間の言うことか。

まさかここで黙るからけんではない。「あんた動物だろ。動物園に行けや。」

 

(山中に在った湧き水のタンク。深さ2メートル。)

翌日再びツーリングに行った。家に着く100m前の所で震度7が来た。パンクかと思ってバイクを押した。

過去の幻の栄光にすがるアホ天下りたち。痴呆は現職時代から引き継いでいる。ゴマすり、、カラ威張り、、はあの世でしろ。

僕は本物に会いたいのでこのごろは少し努力している。なかなか困難だ。

げに先達はあらまほしきものなり。

 

 

 

 

 


美味におぼれて考えなくなる。 馬鹿への一歩。

2016年04月25日 | 食・レシピ

 

 今日は馬との馬が合わなかった。早めに切り上げ志賀島に来た。

玄海島、机島、柱島。ここで死ぬなと思ったことが2,3回ある。凪いだら天国、時化たら地獄。内縁の娘のようだ。

 

 

ということで、陸路、海に来た。今日は丘から海を見る。船に乗り海から丘を見るのもいいが、憧れとひがみだけの無能な貧乏な雑魚の群れが僕の船の周りに集まっていた頃を思い出す。

何をいい気になりやがって、といやな気になってこれを読む人がいるだろう。そのおまいらのいやな気の100倍もいやな気がしたのだ。

貧乏人のひがみは、恩を仇にして突き返す。

掃除もしない。ワッチ(他船、海流、漂流物、天気予報すなはち雲、暗礁を見ていること)それをしない、食事の準備もしない。熊本地震の避難場所にあったのはマリントイレのようだ。そのマリントイレの掃除はおろか、自分が汚した後も始末しない。利用するだけ儲けだと、顔に書いてある奴ばかりだ。

 

限界とはあるとき突然来る。航海の準備中、馬鹿を載せるより一人のほうが安全だと思い以後一切誰も乗せてない。

あ、内縁の娘は別だ。深い教養とけだるいしゃべり方はすべての慰めになる。ただ、妹は二度と乗らないそうだ。

上記に書きかけた貧乏人に共通した行動パターンはきっと日本を弱体化させるだろう。

何も考えずただ目の前のエサに飛びつく。僕がガソリン代50万を請求すると急に他人になる。卑怯者。やたら舵輪を持ちたがり、急に動かせといってもそれをせず、大きく曲がって大型船にテロ攻撃をする。

今年も多くのバカがいたので「クルーザー、まだまだ暑くて気違いが出る」シリーズを復活するか。

 

そのバカ、丘(陸地)にいるバカのペットも同様のようだ。あ、いやいやそういったらペットに失礼だ。バカ家族も同様だ。

本来常識として子供は寝ている時間に、ブロイラー式エサ回転寿司に来てペットの毛を舞い上げながらお持ち帰りの寿司を車中で食う。

失策だった。何たる失策。一人当たり5000ℓのガソリン代を踏み倒し、僕は彼らの小便を拭く。

 

本当はそれでもいいと思うのだ。初めて船に乗れば何が危険か分からない。どれほどカネがかかるか忘れることもある。揺れる船で小便すればあちこち飛び散る。

そんなことを言っているのか、僕は。違うだろ。分からん人は、そのまま貧乏馬鹿として生き、僕にかかわらずに死になさい。

馬鹿とまともの分岐点は正直さと向上心。 The truth is simple.

 

いやなことを思い出したので、口直しに日田にステーキを食いに行った。入り口にはバラを浮かべた鉢。どこのステーキハウスも気絶するぐらい値段が高く、卒倒くらい素敵だ。

 

 食事を待つ間につわぶきが出た。韓国語では、「トルモイ」といって「毛生え蕗」(毛生えふき)みたいな感じだ。日本は福島県以南。

 

Mainは、食いきれなく出るのがいい。こそこそインコのエサ程度に出たのを、テレビの食い物番組は褒める。気は確かか。

だけど今日は、牛は止める。貧乏が染み付いた僕はそう思った。分厚い豚。

 

そういう僕も最近はパワーが足りない。馬は言うことを聞かない。海岸で女子大生を乗せるはずだった。志賀島から日田まで行くとコペンでは背中が痛くなる。ステーキハウスにあった100円おみくじと灰皿に、妙な昭和の郷愁を抱いた。上品な薄味。多くの手間がかかったソース類。ほとんど個室。和室の個室、洋室の個室。とにかく個室。

 

 

 

 

 

 


去香港旅遊吧 ! The Balcony Peninshula,Star ferry

2016年04月23日 | 旅行

 

Peninshula(ペニンシュラ)は半島という意味だ。その名のごとく九龍半島の突端に位置し道路一本を挟んで海だ。

一階は二階までの吹き抜けであり、長い回廊が囲み二階の位置を示している。玄関入って右の奥の角にBalconyが在り窮屈そうにpf,Vc,Vnがほとんど常時演奏している。今年に限っては改装中。

あまり上手ではないが、二階から音が降りてくるというのは気分がいい。フロントが近くにあって舞い上がった日本人が嬌声を上げていることがよくある。たいていブスで、家出してきたような荷物をゴロゴロ引いている。旅行は手ぶらでないとできないのに。

チンピラが来たらけんかに勝っても家出荷物は取られる。気が合う人と友達になったときも、じつにこのゴロゴロ家出荷物は邪魔くさい。ホテルに預けたら5分で中身をあらされる。掃除婦もグルだ。

ペニンシュラではこんなことは無い。そのための宿泊費だ。が、2,3流ではコソ泥従業員ばかりだ。

僕は二階に上がりそのバルコニーに行き、ちょっと交代してくれないか頼んだことがある。バイオリンの人は張り切っていたのでチェロと代われといった。出来るはずない。チェロは小型弦楽器に較べ弾くのに疲れる。だから休みたかったのだろう。

結局、Vnを弾くことになった。まあだいたい弾けたが、1階の客は誰も聞いてなかった。ペニンシュラバンドは意外にもレベルが高く基本をしっかり叩き込まれた王道を行く演奏だった。ホテルのバルコニーで弾かせて終わるには惜しいかなと思った。

とにかく客は聞いてない。かわいそうだった。僕がバイオリンを戻すとき香港人は微笑んだ。微笑みの意味をしばらく考えたが、こう思っている。「あまり意味もなく笑ったのだな。」

Afternoon Tea Silverware    

 The price is 10 times of Starbucks, but there is value more than 10 times.(銀食器での午後の紅茶。スタバの10倍の価格だ。が、10倍以上の価値がある。)

Sweet roomを見せてもらった。PhotoはNG. 80万ぐらいだがこれにはカラクリがあり、長期逗留者には様々の割引があるのであまり高くない。良い価格だ。80万/dayと宣言することで雑民を排除したいのだ。連泊する豊かな客には値引きをすることで、ホントはがめつい富裕層も満足だ。

常連は1/10に値切る。なかなかのつわものだ。すると福岡の郊外のくされたモーテルに行くよりいいだろ。ただしアホヅラは追い出される。インド人の図体の大きなGuardが追い出す。理由は特に無い。貧相な風体と貧乏臭いその人相がペニンシュラを汚すのだ。低能が克服すべき最大の課題だ。

タイタニックが沈むとき1等船客が優先して救命ボートに乗り、半数程度乗っただけで本船を離れた。3等4等客は、沈む船室の外から鍵をかけられた。

当たり前だ。一等は当時のカネで500ドル、一方雑民は4ドル。当然、船会社は一航海で2500万円(現在に換算)払った客を優先する。

雑民が、周囲のいかにまともな神経を蝕むかは、日本の100キンにいけば分かる。

 

長くなったのでStar Ferryは、次回。

 

 

 

 

 


ウソはしきりと絶叫する   17

2016年04月20日 | 韓国

「日本は韓国の文明化に貢献したのであり韓国を発展させたのである」 ハンスンジョ 高麗大名誉教授                                       (転載記事)

 

大韓帝国の滅亡と韓日合邦(日韓合併)が韓国民にとって不幸なことだったとしても、このことを単純に偏狭な民族感情でもって認識し対応しようとするのは、国家と民族のためにけっしてのぞましいことではない。われわれは、大韓帝国がなぜ日本により合併されてしまうという侮辱と悲運に遭遇したのか、その当時大韓帝国はどのような状況におかれていたのか、また国家指導者達にどのような選択の余地が残されていたのか、われわれは当時の歴史的真実を正確に知ることなしには、まともな判断はできないだろう。

韓国が国権を喪失するほかなかったその当時の状況下では、韓国が日本とロシアのどちらかに合併されるしかない状況だった。このような歴史的事実からして、朝鮮半島がロシアによって占拠されるのではなく日本に合併されたということは、なんとよかったことか?かえって近代化が促進されることによって、失くしたものにおとらず得たものが多かったことも認めなければならないようだ。

韓国の民族文化が日帝(日本帝国主義)統治の期間を通していっそう成長、発展、強化されたから良かったのであり、消失するとか弱体化したものは無かった。韓国の歴史とか語文学(国文学)など韓国学研究の基礎を確立してくれたのはかえって日本人学者達ではなかったのか?このようなことを言うとまたすぐ興奮する人たちもいるだろうが、事実は事実として認める客観性を重視することが学問をするにあたって正しいあり方だ。

日本の植民地支配が韓国人たちの成長発展の意欲を大いに刺激して韓国人の文明化を大きく支えていたのであって、客観的に(戦後の)韓国という国家のすばやい成長と発展を進める刺激剤の役割をしたことを認めなければならない。

日本の韓国に対する植民地支配は、かえってこの上なくありがたいものであった。恨めしく思うよりそれどころか福であったし日本人達に感謝することでありはしても、日政(日本統治時代)の間、日本人に抵抗しないで親日行為をしたことを理由に責められ、糾弾を受け、罪人扱いされる理由はないだろう。

転載:親日行為がそのまま反民族行為か? ー韓日関係の認識転換のためにー 

                            訳 からけん  ( )内はからけんが加えました

 

 

                                                   

 

 


小、中学校は消えてはいけない。

2016年04月15日 | 教育

 

まず自治体の話から。平成の大合併は、ほとんど支障なく進行した。町や村は隣の大きな市に吸収されていった。自治省(旧)は学習したのだ。国のお役人は地方議員を意のままにした。

福岡で言うと、春日市や大野城市こそ存在理由は無い。福岡市への合併機運が高まったときがある。両市民はこぞって賛成したが、議員報酬にしがみつく議会と自動的に失職する市長のみが反対し、実現しなかった。

消防、警察、学校、・・・100万福岡の横に5万の春日市がわざわざ存在する理由は無い。多くの公務員が無駄な2重行政をして高給を取り笑いが止まらないでいる。

国は、そのような煩雑で不合理な地方行政を能率化、合理化しようとしたという。ウソつけ。自治体が握っていた利権や天下りを、国が独り占めしようとして大合併は進んだ。x

エサが無いことにはどんなに高尚な理念も無力だ。自治省は、正当性のみで合併を押すことのむなしさを知る。ことは簡単だった。1ヶ月に10日しか出庁しない田舎の眠った議員達にはカネをつかませればいいのだ。その上次の選挙までは議員の地位を保証した。

このやり方で合併を推し進めると計画以上に合併が進み日本の1/3の地方公共団体が消えた。

春日、大野城という盲腸市=生活保護公務員をかかえる市は合併せずに残ったが。

(古後中の近く)

 

何が起こっているか考えてほしいのだ。地方公共団体が消えるということは「民主主義の学校」(Jブライス)が消えるのだ。住民は、近くに議会があり議員がいるから、自身の生活と地方政治が直結し、ひいては国政にも関心が向くようになる。

その自治の主体を消滅させておきながら、何が地方創生だ。あー?安倍。

(安倍は日の本を汚している)

教育も同じだ。今日、250キロ程度ツーリングに行った。古後中学校という小さな中学校を見つけた。生徒は20名。いいじゃないか。

あまりにも田舎だから、スクールバスを通わすことも出来ないのか、幸いなことだ、と一瞬思った。違った。消える前のろうそくだった。

あるいは玖珠中学校。昭和22年に開校している。最初は生徒の数が多いのは当たり前だ。外地からおおぜいの日本兵が復員したからである。

当時は都市でこそ食っていけなかった。農村にいけば死ぬことは無かったのである。人々は開墾しようと日本の奥地を目指した。当然家族に中学生もいたわけだ。さらにベビーブーム。

玖珠中は昭和22年に314名の生徒がいる。ところが今も242名いるのだ。(H11)

文科省の子分である、田舎の、学のない、教育委員会は、生徒数が2/3になりましたとか言う。ばか。それは廃校にするほどのことか。

経費がかさむなら校長の僻地手当てをなくせ。年金退職金にも跳ね返る30%という数字の恐ろしさを知れ。不要な管理職を置くな。そもそも授業の無い先生こそ無駄の象徴だ。遊びの出張をなくせ。給料より高い旅費を無駄にもらっている。

なんと大分県は玉突き統廃合をする。まず森高校を統廃合して校舎を空ける。そこになんと7校(中学)を集約しようというのである。

現在何の問題があるというのか。子供はおおぜいの中で学んだほうがいいとでもいうのか。ばか。古後中も、玖珠中も全国統一テストの平均を上回っている。第一250名は少数ではない。

コミニュケーション能力が・・・、とか言い出すのもいるだろう。大勢の中で過ごしてきたおまえ自身コミニュケーションができているか。生徒数の大小は一長一短であり一方の意見の論拠とはならない。

僕の心をとらえて離さないのは、古後中の生徒会のスローガンである。生徒会だから生徒が中心で先生は補助である。少人数だからこそこんなすばらしいスローガンを考えることができる。

こんな素敵な中学を出たら一生の思い出の宝に出来る。古後中学が消えてはならない。

 

生徒会活動のテーマ

すまいる~まあるい心になって~

設定理由

まあるい心とは、やさしく太陽のような心のことです。ま
あるい心になるとみんなが笑顔になると思います。そうする
と古後中にみんなが集まり、和める場所になると思ったので
このテーマにしました。

 

 

 

 

 


去香港旅遊吧 ! The Peninsula Hong Kong

2016年04月12日 | 旅行

The Peninsula Hotels日本からの女性客が多い。日本人も中国人も、旅はお土産を買うためのオマケであり、旅行中は酒に酔った様に嬌声をあげつづける。

ペニンシュラは、イギリス統治時代からずっと、入り口の車寄せにうごめく東洋のサル達を睥睨してきた。一時は島に住む山猿が勢いに任せここを東洋ホテルと改名し内装も下品にしてしまった。

45年の8月からは元の上品な姿に戻り、日本のブスメスザルが来たときを除いては、平穏な日々が続く。

 

the peninsura.港の富の象徴だ。香港人は大人だ。これはイギリス人が良くしつけたからに違いない。ボーイが話しかけることは無いが、こちらが話すと最低限の話を返し、ポイントになるジョークをよく理解する。ウインクや親指を使い静寂を破らないような方法で返す。

地下がまた最高だ。階段を降りた角にご存知、CHOCOLATE SHOP がある。免税店で買ってはいけない。熱で溶け出した朝鮮飴をチョコレートと錯覚している人が多い。ビールと同じくCHOCOLATEはキンキンに冷えているものだ。

日本は最近、どこもリサイクルショップの様に商品を山積するところが増えた。よい店はあらかじめ売れないものは排除している。OUT LETにいくと、よく言って客層が広い、ふつうに言って着るものの無い雑民が田舎から大挙して押し寄せる。まるで中国人だ。

理念の無い中国人どもの爆買い盲流と同じだ。商売人にも理念はなく儲かれば何でもして店はリサイクルショップのCaosになる。

それが日本である。

セーターの店にはせいぜい20着。

それがペニンシュラである。チョコレートの3軒となりはセーター屋だ。なんでもそろうAEONも、たしかにいいだろう。一方で、そろわない贅沢が分かるには年齢と教養がいる。

ホテルの裏は公園になっている。九州には本が読める公園はない。読んでる人もいるだろうが、表面をなでる様に読むから読んだ気になるだけだ。

ただ音がしないのと、気を使って静かにしているときの静けさとは違う。本にあきたらFirst Floorに戻り紅茶を飲もう。

日本では排気ガスにまみれてわざわざ外で紙コップのコーヒーまがいを飲むのがはやるそうだが、かわいそうだ。

2時30分にホテルに戻ろう。3時、ウエイトレスがショートケーキのワゴンを押して来る。ボーイがA4の大きさの黒板を掲げカランカランとりんを鳴らしテーブルをめぐり電話があったことを知らせる。スマホだって?ばか。そりゃ時間の無い商売人のためのものだ。あるいは、Lineで繋がってないと不安な無教養貧乏のためにある。

上流階級は急がない。戦争が起きても、「私の話を最後まで聞きなさい。逃げるのはその後だ。」という。

実際香港は、阿鼻叫喚の坩堝のところもある。しかし、ペニンシュラは僕のためにある。低俗な紅白歌合戦が毎日あっているような日本を離れ、上品さと教養で強いバリアを張ったペニンシュラは僕の宝物である。

弾丸ツアーの人をペニンシュラは嫌う。1 Week以上泊まると80%程度の割引があるので福岡のホテルと変わらない。ただし靴に泥をつけたある県の人が紛れ込むと本人は気づかぬが恥をかく。

short cake 400円 

 

 

 

 

 

 


勝っても負けても努力の分だけ強くなる

2016年04月10日 | 思想

引用開始 

競泳平泳ぎで五輪2大会連続2冠を達成した北島康介(33)(日本コカ・コーラ)は、10日に東京辰巳国際水泳場で臨んだ引退記者会見で、すがすがしい表情で心境を語った。

                                         読売新聞 4月10日(日)

 

北島は勝ち続けてきた男だ。負けても明るい表情が素直に出てくるのは、限界までがんばった人の特徴だ。

本当は、勝つことはさほど困難なことではない。何回もぶつかっていけば、下手な鉄砲みたいに、いずれ当たるかもしれない。

困難なのは勝ち続けることだ。邪念が入る。

ここらで止めておいたが有終の美といってもらえそうだとか、次に勝つとは限らないしとか、指導者の席も空いたことだしとか、散々な負け方をして酷評されれば、聴衆は自分をすぐ過去の人にしてしまう。ピークは今に違いない、来年もやって水泳に執着し、無様な負け方をし、コーチの職を逃し、泳ぎしか知らなかった男になるのは怖いことだ。

この邪念は、じつは誰にでもやって来る悪魔のささやきだ。

しかし悪魔は限界まで努力している人にはささやかない。僕は、個人としての、というか男としての努力とか勝負とかに関しては、あまい考えは持たない。

僕が常々、「むやみに頑張るな」というのは、社会全体が個人を奴隷化しようとする日本の風潮に関してわざわざ火の中に飛び込むことはするなといっているだけだ。

勝負に際し最後の血の一滴まで搾り出して勝利に捧げたとき、思いどおりにいかなくとも悔しさはない。

低能どもが得意の弁明をする。ああすればよかった、こうすればよかった。

聞きたくない。努力が足りないから負けたり落ちたりする。悔しさが消えず劣等感となって定着する。

 

精一杯、「人事をつくして天命を待て」。そうすれば、合格であれ不合格であれ、採用であれ不採用であれ、後に尾を引くことは絶対にない。いいわけを考えるのはよせ。負けたときの予防線を張るな、そしたらどんな結果でも悔しくない。努力が不足した分だけ悔しさがくすぶる。

僕は落ちた試験はたくさんあるが、これ以上1分でも勉強したら死ぬと思うまで頑張ったので落ちた試験に対してはまったく悔しくない。

合格した試験に関しては、ずっと僕の人生を支える自信になってきた。

その結果、どういう地位につこうが、どういう資格を持とうが関係ない。

若者よ、君達にはもはや無鉄砲である自由は無くなった。いつも何かにおびえへつらい、自己を矮小化する「自己責任」というクソみたいな言葉に惑わされている。怖い物だらけで生きているはずだ。

とくに、この社会ではそうだ。努力は報われず、正直者は馬鹿を見る。

しかし、だからなんだ。男が勝負をかけたとき、留保条件付の戦いはするな。競争相手に失礼だ。

人間はそうであってはいけない。

 

 

 

 


倶楽部とは本来排他的なところだ。

2016年04月08日 | あそび

cruiserでもgolfでも乗馬でもそれ自体、十分楽しい。今回は珍しく乗馬について書こうと思う。

乗馬のもうひとつの楽しみはclubhouseでの語らいだ。僕の行ってるところは大体日本語が通じる。英語、日本語、韓国語、その他あるにはあるが。

僕はそこで話す内容にとりわけ神経を使う。僕の普段の生活は、貧乏の坩堝の中にいるから、clubでは交わされている会話の中で、周囲に配慮のある返答や相手を気遣った発言に感心する。

ああ、なるほど、その時はそういう発言をすべきだったなあとか、反芻する。豊かな生活の中で湧き上がるように出てくる、ゆっくりした金持ちらしいしぐさ。

舞い上がったチンピラ企業の代表程度がclubhouseで気炎をあげることもある。僕は、そういうコガネモチは気に入らないので皮肉と罵倒でおとなしくさせる。必ずさせる。この腐敗企業の代表は例外なくスケベだ。

何を血迷ったのか、僕以上にモテる気でいる。勘違いとは恐ろしい、なあ、無教養。

しつけの良い上品で、学校の成績がよく、歯の矯正をしていて、肌がきれいな娘は、絶対に教養があり、名前は必ず架純であり、且つそれをひけらかさない。こんな娘が馬場に撒くおがくずのようにあふれているのがclubだ。

ブスならともかく、culbの架純ちゃんたちを口説くのは犯罪だ。

culbが排他的であるゆえんである。巷のクラブは誰でも受け入れ金儲けをする。

 

エロハゲは、よりにもよってこんな僕の次期内縁の娘候補につばがかかるほど近寄っている。こういうハゲスケベを無期懲役にしろ。

 

 

共産党。おまいらも間違っている。大企業の圧力に呻吟する中小企業というウソの思い込みをいい加減止めろよ。

ヨットも、ゴルフも、乗馬も、のさばって困るのは、皆かならずスケベな中小企業のおじさんだ。古賀ゴルフ場の会員権が1億以上するわけが分かるか。爪楊枝をくわえたままプレーするスケベを来させないためだ。

カネを持っているとしても、にわか金持ちがどうあがいても持てないものが二つある。一つは上述した教養。もうひとつは時間だ。

馬は生き物だ。5歳児程度の頭がある。チンピラ企業の社長程度だ。とにかく毎日通って世話をすべきだ。ほぼ乗る時間と同じ時間を、馬装準備や装具解除、掃除・・・に要する。ブラシ、テッピ、プロテクター、糞尿の世話、わら・おがくずの敷き替え・・・

つまり厩舎員に任せてもいいが、できるだけ馬と接しなければ馬を買った意味がない。時間だ。

 

今までもったこともないカネというものを急に手にして、カッコつけに馬でも持とうかという「お間違いさん」を排除するのが倶楽部だ。分かりやすく言うと、最低週に3日来て飯でも食いながら馬場を眺め、レベルの高い、且つ途切れない会話が出来るかだ。

一方で、貧乏で無教養な人類最悪の種族はよくひがんで別荘や馬や車やゴルフや船を敵視しculbを前世紀の金持ちたちのサロンの様に思い込んでいる。

断じて違う。カネなどどうでもよい。ないなら俺が出してやろうという人はいくらでもいる。時間だ。人の言いなりにならないことで生じる時間だ。それと努力の結晶たる教養だ。カネは要らない。

問題は、その貧乏人がculbに耐えるだけの教養を持っているかだ。

 

 

 

 


障害児を褒め殺す養護学校

2016年04月04日 | 教育

 

たとえば、字が上手にかけないという一つの障害を持っていた子供がいたとする。もちろん原因は様々であろう。指に奇形がある場合、欠損がある場合。脳性まひによるもの、脳機能障害による場合・・・。

したがって話を分かりやすくするため一応、字を書くということを一応の指導目的とした場合、まづ、診断が必要だ。

いかなる理由で書けないでいるのか。時間をかけた専門医による検討が必要だ。当たり前のようだが、じつは養護学校でこのような分析がなされることはない。

入学前診断によって医者がチラッと診断したものが学校生活におけるバイブルになる。教師は医者ではないから診断は許されないのだ。教師は教師で自分の不当な高給を隠すため、大仰にかつ忙しそうに、且つ的外れに意味のないことをして疲れる。

教師は相当馬鹿だが、少なくとも5~100倍の競争を勝ち抜いてきている。医者はカネでなってくる。

(画像の病院は本文の病院とは関係ありません)

入学後も障害は刻々変化する。改善したり悪化したり。毎月病院に連れて行き、症状を説明する。しかし教師は診断してはいけない。しようものなら医者の逆鱗に触れることになる。離れたところから5分程度眺める医者に、装具(肢体を補助するためにつける装置)の改善や、痙攣止めの薬がいかに子供の脳を蝕んでいるか等、言いたくてもいえない。

学校に預けっぱなしにしている親の目的はカネだ。愛情はない人が多い。だんだん会いに来なくなり、会わないと愛情は消滅する。

そこで教師もごく一部の神のような献身的なひとを除いて、仕事をしているフリをする。

(画像の学校は本文の学校と関係ありません)

子供が何をしていても褒め殺す。厳しく叱る人はよい教師とはされない。チヤホヤゴッコにもっとも熱心だった先生はどんどん校長になる。本当に改善を考える先生は面倒だから普通高に飛ばす。

残った馬鹿教師は狂乱の褒め殺しの坩堝を作る。

子供のわずかに残った可能性は褒め殺されていく。

問題は、機能訓練で何とか改善がみいだされていても、強力な痙攣止めにより寝ているような状態に誘う。そのほうがあつかいやすい。医者が責任逃れをしたように教師もそれを真似する。

子供の意識が混濁しているのは、見るに耐えない惨状だ。子供の人権を叫ぶ奴ら。おまいらこそ子供をバカにして、利用して、めしのタネにしているじゃないか。

そうやって、可能性があった小さな頭脳が、本当の馬鹿にされるところが養護学校(特別支援学校)だ。

子供のヤク中は、朦朧とした意識の中で、ひとつの鋏に先生の指と無機能化した自分の指を強引に差し込まれ、言われた言葉が、

 

じょうずですねー、切り絵が上手になりましたねー。

 

 

 

 

 


去香港旅遊吧 ! Royal Hong Kong Yacht Culb

2016年04月01日 | 旅行

一年前、近所のおばあちゃんが来て、僕に尋ねた。「韓国語の勉強を始めようと思うけど、どうしたらいいかい。」、と。「あんた、教えてくれんかい。」。

というので僕は、止めましょう、僕は韓流狂いの貧乏人からカネを巻き上げているだけですよ。ラジオの「まいにち韓国語」、これがすばらしいです、と答えた。

かつて勤めた学校で、英語の先生が「基礎英語」で勉強していたのでバカにする人がいた。大体、バカにする人こそ馬鹿であることが多く、その手の馬鹿はやたらややこしい英文をこれ見よがしに読んでいる。人類には適さない人だ。

そのおばあちゃんはときどき質問に来ていたが、質問のレベルが上がっていくのを見ると学習が向上していることが分かった。

今、おばあちゃんはペラペラになった。女学校の教育を受けられた人だからもともと脳の出来はよかった人だ。僕の言いつけを守り、学ぶ者としての礼節をきちんと守ったから出来たことだ。下心はさすがになかったが、ギャラなしでときどき教えた。

勉強は民主主義ではない。無条件にしろと言われたことをして、するなと言われたことをしない。これに徹するべきだ。何の役にも立たないただ酸素を消費するだけのアホは、自分の存在が資源の浪費であることに気づかないでいる。

広東語も同じだ。

(ヨット競技のスポンサーになる)

イギリスは大人の国だ。1215年、ジョン王に対し王権の制限を約束させた。憲法の原初形態が、このとき成立している。源頼朝のころだ。今その葦原の国が憲法をねじまげ集団安保を可能にした。田舎の4流大の偽物教授を除いては、狂っても安部を支持する人はいない。そもそも、人のケンカを買うために世界中に進出するのは憲法違反だ。これを、憲法違反ではないと自民党は強弁している。

南シナ海に突き出たちいさな半島が、イギリスの出張所であった時代がある。

Since 1849, the Royal Hong Kong Yacht Club has evolved into one of the most recognised and respected yacht clubs in the world. It has one of the largest active memberships of any yacht club in the world and is recognised as “one of the top-10 yacht clubs in the world.”   Offering a comprehensive calendar of events across multiple classes of sailing and paddle sports, the Club has been awarded ‘Best Asian Yacht Club’ and ‘Best Asian Regatta of the Year' multiple times.

evolve  進化する recognise  認める  of any yacht culb・・・ どんなヨット倶楽部のなかでも  comprehensive  すべての  award  たたえる  

僕はイギリスの豪快なジョンブル魂と、繊細な情の機微をとらえたD.H.Lawrenceの融合はこのRoyal Hong Kong Yacht Culbに象徴されている、と思う。

船に乗り、嵐のとき一人ひとりの意見を聞いて多数決で・・・なんてやってたら船は沈む。だが適切な弁舌も必要だ。Culbの人は皆分かっていた。気絶するほど金持ちで、もうカネには飽きた人たちだから「みんカラ」のようにすぐひがみ出す人もいない。

地球上にこれほどの教養とゆとりの世界はなかった。日本のどこに行っても誰と会ってもやや緊張はするが、自分の教養のネタがいつ切れるか、相手は退屈してないか、話の流れを間違ってないかと、心配だったことはない。その後せっせと通った。

教養があまり深くない人だなと分かると、日本では歓迎されることもあるがここでは即座に永遠に相手にされなくなる。

香港の競馬場も同様。それは後日。賭け事が心から嫌いな僕だが競馬場やゴルフ場でも幸せのオーラに包まれた。

Culbで話すのが楽しくもあるのだ。きつかったのは、「何でオマエ、船で来なかったのだ」と言われたときだ。片道、2500万。Culbのネクタイ。日本ではいつもこれを締めていた。↓

 

まだそれほどデジカメのない時代だったので、Clubの様子をアップできない。