まず自治体の話から。平成の大合併は、ほとんど支障なく進行した。町や村は隣の大きな市に吸収されていった。自治省(旧)は学習したのだ。国のお役人は地方議員を意のままにした。
福岡で言うと、春日市や大野城市こそ存在理由は無い。福岡市への合併機運が高まったときがある。両市民はこぞって賛成したが、議員報酬にしがみつく議会と自動的に失職する市長のみが反対し、実現しなかった。
消防、警察、学校、・・・100万福岡の横に5万の春日市がわざわざ存在する理由は無い。多くの公務員が無駄な2重行政をして高給を取り笑いが止まらないでいる。
国は、そのような煩雑で不合理な地方行政を能率化、合理化しようとしたという。ウソつけ。自治体が握っていた利権や天下りを、国が独り占めしようとして大合併は進んだ。x
エサが無いことにはどんなに高尚な理念も無力だ。自治省は、正当性のみで合併を押すことのむなしさを知る。ことは簡単だった。1ヶ月に10日しか出庁しない田舎の眠った議員達にはカネをつかませればいいのだ。その上次の選挙までは議員の地位を保証した。
このやり方で合併を推し進めると計画以上に合併が進み日本の1/3の地方公共団体が消えた。
春日、大野城という盲腸市=生活保護公務員をかかえる市は合併せずに残ったが。
(古後中の近く)
何が起こっているか考えてほしいのだ。地方公共団体が消えるということは「民主主義の学校」(Jブライス)が消えるのだ。住民は、近くに議会があり議員がいるから、自身の生活と地方政治が直結し、ひいては国政にも関心が向くようになる。
その自治の主体を消滅させておきながら、何が地方創生だ。あー?安倍。
(安倍は日の本を汚している)
教育も同じだ。今日、250キロ程度ツーリングに行った。古後中学校という小さな中学校を見つけた。生徒は20名。いいじゃないか。
あまりにも田舎だから、スクールバスを通わすことも出来ないのか、幸いなことだ、と一瞬思った。違った。消える前のろうそくだった。
あるいは玖珠中学校。昭和22年に開校している。最初は生徒の数が多いのは当たり前だ。外地からおおぜいの日本兵が復員したからである。
当時は都市でこそ食っていけなかった。農村にいけば死ぬことは無かったのである。人々は開墾しようと日本の奥地を目指した。当然家族に中学生もいたわけだ。さらにベビーブーム。
玖珠中は昭和22年に314名の生徒がいる。ところが今も242名いるのだ。(H11)
文科省の子分である、田舎の、学のない、教育委員会は、生徒数が2/3になりましたとか言う。ばか。それは廃校にするほどのことか。
経費がかさむなら校長の僻地手当てをなくせ。年金退職金にも跳ね返る30%という数字の恐ろしさを知れ。不要な管理職を置くな。そもそも授業の無い先生こそ無駄の象徴だ。遊びの出張をなくせ。給料より高い旅費を無駄にもらっている。
なんと大分県は玉突き統廃合をする。まず森高校を統廃合して校舎を空ける。そこになんと7校(中学)を集約しようというのである。
現在何の問題があるというのか。子供はおおぜいの中で学んだほうがいいとでもいうのか。ばか。古後中も、玖珠中も全国統一テストの平均を上回っている。第一250名は少数ではない。
コミニュケーション能力が・・・、とか言い出すのもいるだろう。大勢の中で過ごしてきたおまえ自身コミニュケーションができているか。生徒数の大小は一長一短であり一方の意見の論拠とはならない。
僕の心をとらえて離さないのは、古後中の生徒会のスローガンである。生徒会だから生徒が中心で先生は補助である。少人数だからこそこんなすばらしいスローガンを考えることができる。
こんな素敵な中学を出たら一生の思い出の宝に出来る。古後中学が消えてはならない。
生徒会活動のテーマ
すまいる~まあるい心になって~
設定理由
まあるい心とは、やさしく太陽のような心のことです。ま
あるい心になるとみんなが笑顔になると思います。そうする
と古後中にみんなが集まり、和める場所になると思ったので
このテーマにしました。