か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

外交敗北  拉致被害者は帰らない

2014年10月28日 | 国際・政治


外交交渉の中身は予備交渉で課長あたりがすべてつけてしまっている。北は、何らかの国内向けポーズが必要な日本の下心を見抜いた。

今回は条約ではないが日朝合意書、出来れば協定、協約、確認、確約・・・なんでもいいが、つまるところ国交回復に対する足がかりがほしいのが北の事情だ。

日本の事情はやや複雑だ。被害者家族の北朝鮮に対する不信感は強い。北を追い込んで選択の余地をなくし拉致被害者を帰国させようというスタンスは、情にかなったものだ。

その切なる肉親の情の利用価値に日本政府は気がついた。藁をもすがる被害家族が政府に言いくるめられた。つまり、拉致被害者家族が下駄を日本政府に預けた時点で拉致被害者の帰国はなくなった。政府は拉致カードをなるべく有効に使うため解決を引き延ばし反共宣伝に利用する。

被害者は帰らない。



朝鮮人にとってプライドとは命の何倍も大切だ。頭を下げてくるから話し合いをしている。あなた方日本は拉致というが、共和国(北朝鮮)を望んで訪朝した者がほとんどだ。とのスタンスを寸分とも曲げるはずはない。

いかなる国家も自らに利益がないことはしない。

被害者の会は、政府にも警察にも相手にされず助ける人もいなかった時代から駅前でビラを配ってきた人達だ。態度を硬化されるのは十分理解しなければならないし、被害者の会がおっしゃるようにこれが最後のチャンスだ。

むごい言いかただが、しかしながら今はどちらが正しいかの話をしているのではない。しかも正義という概念が歴史をリードしたことはない。正義はあとからついてくる。

卑怯なのは日本政府だ。利用価値がないときは無視し、あるときは北朝鮮に協力した反国家勢力だといった。そのうち反共宣伝に利用できると踏むと突然態度を翻し、人さらい国家に拉致されたかわいそうな人達を900人近くでっち上げた。


井原局長はカラのかばんを抱えて北に乗り込んだといってよい。北の事情は上述したが、日本は国交回復を緊急の課題に置いてない。北の悪印象を強調するためにこの事件を利用できればそれでよい。そんな井原に、「はい、拉致された人はこのひとです、一緒に日本に帰ってね」、というほど北は馬鹿ではない。

僕は思う。今北に行く理由はまったくない。北もお土産としては何も持ってない。せいぜい日本人妻の遺骨か1945当時の日本人の遺骨だ。拉致被害者が帰る可能性はまったくない。

 

アメリカの言いなりになり、ある時は対話より圧力と言って敵対視し、いまさらのように無条件で対話といっても北が乗るはずない。アメリカの言いなり小僧、安部とわざわざ交渉する必要はない。


可能性がまったくないことをしてはいけない。井原局長には気の毒だが、飛んで火にいる夏の虫、だった。

長くなったので簡単に、

北に交渉団を派遣しないと調査ができなくなる・・・ と安倍は言う。ちがう。派遣してもできない。北は日本の外務省を始め10人の官僚どもが来ることで、どこまでも尻尾を振る日本人を見下すことができる。どこまで引きずりまわしてもすがりつく日本の保守どもの哀れな姿を見物できる。労働新聞が喜ぶ。

北の思う壺だ。



国交回復は日本が持つ数少ないエサだ。拉致被害者の帰国は北が持つ幻のエサだ。山谷大臣のような低脳ヒステリーには一理もない。日本にとっての実とは何か考えろ。本来的には日本は不利な交渉ではなかった。

そこで僕から北朝鮮に提案だ。

佐賀県を走ると横道からぐっと飛び出したり、意味もなく道の真ん中に停車して電話をかけはじめたりするのがいる。そこで佐賀県人5人対拉致被害者一人でいいから交換してもらえないだろうか。

 

 

 

 

 


七千五百万円のブーケ

2014年10月23日 | 思想

プラチナも細い糸にして織ると、本物の有機質の葉のように滑らかに揺れる。葉の根元からは何十というダイヤが咲いている。高さ30cmのブーケの中には宇宙があった。

ダイヤといえばすぐ何キャラットだとか、真珠といえば8ミリを自慢するニワカ成金もいたが、本物もいた。本物は、静かで、笑顔で、聞き上手だ。貧乏人は、銭を持っても下品だ。騒がしく、いつも何かに怒り、われ先に話そうとする。

ブーケから、結婚式の主役はブス新婦ではなく私(ブーケ)だという声が聞こえた。

色を見ろ。ダイヤは、田舎に行って満天の星を眺めるようだ。澄んだ空気に所狭しと星は輝く。目が充血している貧乏人は、純白無垢の真珠の価値が分からんだろう。真珠の白は、Wedding derssの白に負けてはいけない。

職人数人がかりで数年かかった。あと20年したらもう作れなくなってしまう。人がいなくなる。

生まれて以来、気違いは、本物に感動したことがないので、「なんにするんだ。誰が買うものか。資源の無駄だ。格差社会を象徴する富の自慢ごっこだ。」とひがむ。

ドイツでは、無能は犯罪だった。

この技術は買う人がいてこそ継承されていくものである。百均の中華指輪にしろ7500万のブーケにしろ、それが売れた時点で、それぞれそれなりの再生産を約束している。

僕らは、「モノの価値を見分ける力」を大事にする文化の中に生きてきた。どうせ偉そうにとか、分かったふりしてとか、お前買ったのかとか、本質でないところでひがむのだろう。僕のことはどうでもいい。

「モノの価値を見分ける力」をつけようとしない低脳な人は日本のゴミだ。

あまり行かないので知らないが、100円Shopは低質台所用品、哀しいパーティ用品(ケバイ、ぼろい)、花が枯れる園芸用土、つめを切ると刃のほうが飛ぶ爪きり・・・。先日工具を盗られたので一部買いに行った。良かったのはこれだけだ。

一般に良いものは、気絶する価格ではあるにせよ、社会文化歴史に貢献し、われわれの心を豊かにしている。見る目を持つ人は少ない。だからこそ分かる人は責務を負う。

何億年も石に埋もれたプラチナを、海底に潜んでいた真珠を、暗黒の岩石の中のダイヤを、人間はこうも昇華した。職人さん、僕らはこんなプレゼントをもらっていいのですか、と思った。

申し訳ないが、昨日のピザの箱を流し(シンク)に投げ込みっぱなしの家庭の人に分かろうはずがない。流しは狭く、ピザの空き箱は斜めにしか入らない、ケチャップがそこらじゅうに付着している。たまった洗い物。怠惰と貧乏の悪循環だ。

そんな人に日本文化の伝承ができるか。文化より金だろ。子弟の教育より酒だろ。

素養のない人がいたるところで怒号と罵声を振りまき日本文化を破壊し、マナーの悪い買い物をしておきながら、日の丸を振り日本文化を絶叫し半島をばかにする。

見よ。それら一切の瑣末な不愉快から断絶して孤高の光を放つBouquetを。

貧乏の恐ろしさは、そういうアホ人間から努力と英知の結晶を遠ざけてしまうこと、さらにはアホが原始人に戻っていく自分を自覚できないことだ。アフリカの土人とともにエボラで死ね。

ブーケは、ロトに当たった貧乏人が買うかもしれない。しかし、貧乏人は、すぐ飽きてフェラーリを買う。3台来るぞ。そうして日本文化は死ぬ。彫金細工は、本来わが国のお家芸だ。よその国は、まねできない。

会場の係りの人に聞いた。「売れますか?」 自信たっぷりに、「まあ年末をめどにお客様方と相談させていただきます。」 わかるか。Offerはすでに複数あるのだ。

Bouquet Tossはさすがにないだろうが、花嫁の喜びはいかほどであろうか。

女は、書類を持って会社を右往左往するな。自分の部屋の7500万のプラチナブーケを眺め博多座に観劇に行こう。

(写真は許可を得ている)









 

山崎金属工業株式会社

2014年10月15日 | 技術

ナイフ・フォークを中心にCutlery(カトラリー、食卓用の金物類)を作ってきた会社だ。伊勢神宮式年遷宮を奉祝して奉納された「瑞音」というカトラリーは世界最高だと思う。

ノーベル賞の授賞式がまもなくある。小学生の作文を書く村上春樹が選ばれなくて、胸をなでおろしている。

授賞式のあとは会食だ。むしゃむしゃ、ガチャガチャの汚い音はまったくしない。佐賀県のファミレスは、席ががら空きでも造船工場の中にいるようだ。

受賞者たちが使うカトラリーは、本場ヨーロッパのものではなくこの山崎金属工業株式会社製のカトラリーだ。日本の田舎、新潟県のさらに田舎の燕市のはずれに、この会社はある。赤坂離宮の食事にもここの製品を使うことがある。

銀を磨くだけ磨いて輝きを出したようだ。18-8もここまで美しくなるのか。絶妙なカーブをカットできる人がまだ日本にはいたのか。スプーンの中にもうひとつの世界があるようだ。

100年近く前、この山崎が見よう見まねでカトラリーセットを造った。製品のレベルは欧米にとおく及ばないが一生懸命作った。

人口のほとんどが農民であった頃、その農民たちは木を彫って器にし竹を削って箸にした。山崎が食事用ナイフを作ったのはそのときだ。

このごろは、中華ナイフが100円Shopで売られている。スパーンと打ち抜いただけの非人間的給餌補助具。バリ(型抜きをしたときの材料の尖り)を取ってない、重心がこれでもかというほど悪い、全体に軽い、小さい、押さえる人差し指が痛い、押さえると曲がる、柄がほそい。

どんなに100年前で、国民がナイフフォークを知らない時代であろうとも、山崎には信念があった。

「いまにみていろ」

中華ナイフは今から100年たっても100円Shopにそのままあるだろう。バリで人のくちびるをチクッとさせ続ける。

考え抜かれたデザインと実用性。僕は山崎に惚れ込んでいる。刃にギザギザをつけ、スジばかりの安売り輸入肉を切りやすくした類のものではない。機能美は手抜きした中華のものには宿らない。

山崎は、あと100年たとうと僕の家にあるだろう。

写真、握り手の模様に注目してほしい。どう見てもモスクにある細密画の一片だ。

ここまで読む人はかなり教養のある人だ。たいていひがんで止めている。カトラリーには、アラベスク、もう少し言うと細密画(ミニアチュール)の雰囲気を感じることができる。

実はポイントはここからにある。15世紀までヨーロッパは、手掴みで食事をしていた。食事は冷えていることが多く、感染症(とくにペスト、黒死病)が蔓延し人口は下降線をたどった。風呂に入らないから香水が発達したのだ。パリにすら下水はなく汚物は窓から捨てた。

戦と疫病で絶滅の危機にあったヨーロッパは、死中活を求める気持ちでバグダッドの先進衛生知識、医療技術、を求めた。

何とそのころまでヨーロッパには麻酔がなかったのだ。消毒の概念も。つまり、兵士の治療とは切断のみだった。せいぜいあったのは病人を囲んで祈ること。それがまた感染を広めた。

こうして、世界の半分、バグダッドに留学したヨーロッパの医者が持ち帰った手術道具、食事道具が広まり、人々は、つかみ食い、犬食いの必要がなくなった。カトラリー。アラビアがヨーロッパにナイフフォークをもたらして、感染症は激減した。それからまだ500年も経っていないのだ。

よくみると、「メス」や「セッシ」、「鉗子(カンシ)」はアラビアンカーブをしている。

今日、遅れたアラブが石油の金で盗賊集団を作ったと考えるのは低脳だ。

関連情報URL : http://yamacoltd.jp/
 
 
 
 
 
 

「ぜんぶかみさまにいいつけてやるんだから……」

2014年10月13日 | 国際・政治

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シリア内戦で傷付き、その後死亡した3歳の少年が最後に残したとされる言葉が、現在インターネット上を駆け巡り、世界中に大きな反響を呼んでいることをご存知だろうか。

TOCANA > 海外 > シリア内戦の犠牲となった少年の最後の言葉! 2014.02.02.

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物事を深く考えず、その場その場の出来事を何の思想性もなく面白おかしく生きていけばそれでいい能天気な日本人よ。

分かりやすいことだけに反応する能天気よ。盲人用点字ブロックが歪んでいると何千人も、ひどい話だとうなずきあう。

身障者用駐車スペースに健常者が止めていると、怒り心頭のご様子だ。

いい加減、バカを辞めてもらいたいのだが、そうは行かんのか。今現在起こっている香港の市民学生の抵抗運動の真の原因は何か。香港に行けば、どの一人に聞いてもきちんとした返事をするぞ。マスコミの悪意のフィルターは入っていない。

なぜ断定できるか。僕は仕事で10回遊びで50回、香港に行った。自立した人達と会うのは実に気持ちいい。

おまいらがテレビのバラエティーを見てのど詰まらせて咽び笑う間に香港の学生は国の将来を真剣に議論していた。

からけん父子はよそ者だが、マンダリンに年末年始の2週間を過ごし天安門事件や光州事件を議論した。午後3時のスウィーツは絶品で労働者の一週間分の給料に匹敵した。Royal Hong Kong Yacht Culb には世界のセレブが集い粋な会話を交わしていた。

が、彼らは洗練されたテーブルマナーを披露しつつも、Politicalな話題には情熱を持って挑んできた。

つまり年がら年中、LEDつけたの温泉行った、バーベキューした、そば食った・・・だけに終始するバカではないのだ。

シリアも同様だ。バカは分かりやすいことだけ繰り返し同意する。「戦争はいけない」 これほど弱者に残酷な言葉はない。

戦争はいけないが、それは喧嘩がいけないのと一緒で何も主張したことにならない。

要するに、どちらかが悪いのであり、「戦争」の犠牲者という考え方は悪に味方する言葉になるかもしれないのだ。戦争が悪いとしてしまうことで、利権や名誉欲に狂ったゴロツキが思いつきで始めた殺し合いを戦争のせいにして片付けてしまう。

フセインはなぜクルドに毒ガスを使ったか。なぜそれは世界の非難を浴びたか。じゃあ、アサドは自国民に毒ガス攻撃をして責められないのか。オバマから口止めされたヨイコの安倍は思考停止をしている。まるでおまいらのようだ。

戦争会社を始めようとする一人の日本人の命が大事か。傭兵はカネと命を交換したんだろ。

銭儲けや石油利権や大国の勢力拡大のはざまには、正義が入り込む余地はなかった。

バカは共犯だ。坊や、神様に大声で言ってくれ。僕の人生をたった3年で終わらしたのは、アサドでありオバマでありプーチンであり、それを日本のバカが後押しをした。

写真は、World Obserber December 29, 2013 11:36 am

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

身障者用駐車スペースか

2014年10月11日 | クルマ

健常者がそこに止めるのは、よくないぐらいわかっている。だが、人のあら捜しをして、やっと人の不正を見つけると、ヒステリーを起こして正義の味方になったつもりで責め立てる人がいる。

物事はエスカレートする。「私は身障者用駐車スペースに駐車しません」というステッカーを貼る人もいるそうだ。善人ステッカーだな。

僕も、「私は万引きはしません」というステッカーを貼ろう。これだけに終わらない。一旦停止はきちんと止まるべきだ。赤信号も停車すべきだ。人が迷惑するかも知れぬからだ、否、場合によっては事故につながる。

さあ、「私は一旦停止で止まります」、「赤信号で止まります」・・・車は必ずステッカーで埋まる。

僕は、この欺瞞的な上から目線が大嫌いだ。そしたら一人で嫌っとけば、と、アホがまともな反論もできないで悔しがる声が聞こえる。

本論
そもそも狭い駐車場に多くの買い物客を詰め込もうと、一台あたりの駐車スペースを狭くしたのが問題だ。みんな身障者用スペースぐらいあれば何の問題もなく、欺瞞的、偽善的カッコつけ野郎の登場する余地はない。

そうなることは偽善野郎自身、いやだろう。自分たちが駐車できないかもしれないからだ。だが僕は測った。そのスペースは一般と長さ(奥行き)は変わらず幅が1.5倍弱だ。

つまり、すべての駐車スペースを身障者用並にしても一般の駐車スペース数が2/3になるだけだ。3000台の駐車場が2000台の駐車場になったとしても大勢に影響はない。概算すると最大で20メートル余計に歩くだけだ。平均15メートル。

それでも、偽善者は自分が買い物をするとき、不便になるのがいやだろう。そこまでして身障者を優遇しようというほどの善意は、たいていない。自分が損をしない限りの善意だから欺瞞だというのだ。

あるいは、身障者は2台分占拠して白線をクルマの真ん中にしても許されることにすればよい。ドアを開けるスペースが必要なだけだ。入り口の横にある必要はない。駐車場の地形を考えて合理的な位置に作ればよい。そうすれば一般の駐車スペースに影響ない。

日本はどうせ商売人の商魂を合法化するため駐車に関する面積の規定があるはずだ。その規定を論拠に、違法ではございません、というのはくも膜下に出血の始まった人だ。

いつそんな話をしたか。もっと物事を多角的多面的歴史的本源的(Sollen)に捉えよ。

貧しい労働者がたまの休みに、ホークス優勝だあ、イオンは2割引だあ、とモールに殺到し家の玄関のように狭い駐車場にカメラつきで曲芸駐車をする。

アメリカのコストコなら一台分の駐車スペースに、日本の軽は縦でも横でも3台は駐車できる。アメリカは広いから?じゃあ香港は。

ミラーこすったとか当て逃げされたとか、貧困にトラブルはつき物だ。

僕も貧しいからその手のトラブルはよーくある。ラーメン屋で踏み殺そう。

と、なる前に偽善者たちは真の原因について頭を使え。








 

ファンを減らすいけない日々の告白   6

2014年10月08日 | 日常

子供が入るくらいの大きな段ボール箱。その蓋の部分を切り取ると、大きい筒のようなダンボールが残る。それを地面に寝せると茶筒を倒した格好になる。筒の中に入り四つんばいになると、キャタピラーの中に入っているようで、小学生の僕らは速さを競った。

子供戦車の競争だ。

ここで終われば、せいぜいダンボール箱泥棒ぐらいですむのだが、子供の遊びは、かならずエスカレートする。創意工夫だ。脳が新しい子供という生き物は、遊び自体より創意工夫が面白かった。

活動停止前の脳たちは、その子供たちを見て目を細める。「子供は遊びの天才ね」

違う。くも幕下に出血が始まっているから、そんな見かたをする。子供は残酷で見境がない。いつもスケベなことを考え、女子のスカートを下ろせたらもう思い残すことはないと思っている。

一方で男の子同士のちびっ子ギャングと遊ぶのもまた楽しい。みんなスケベだったくせに口ではそろってスケベを軽蔑した。女子なんて、眺めるだけの存在だったから悔しかったのだろう。

先ほどのダンボール戦車。これで、お寺の床下に入ると埃やくもの巣で汚れることもない。もとより、暗い床下の奥に見える長櫃(ながびつ)の中には何が入っているのか疑問だった。

この戦車、欠点があった。

① 走るうちにダンボールが壊れてきた。  ② 前が見えなかった。 ③ 方向転換が出来ない

こうして、運が悪いと、しこたま頭を寺の柱にぶつけた。怪我もしながらたどり着いた。僕の最初のカーライフだ。

まず、鉄扇があった。家に持ち帰ると、鉄扇について散々話を聞かされた挙句、「返してきなさい」。 はい、と言って僕は、こっそりそこらのどぶに捨てた。殿様からこれで「たわけ」とされたら死ぬな、と思いつつ。

つぎに、銅鏡が出てきた。実際は銅製のものはない。Cu+Sn かなり貴重なものもあったようだが。僕らの手裏剣遊びには、大きさといい重さといい絶好だった。

運動場で散々遊ぶと、後日、証拠隠滅のためこれもどぶに捨てた。

数十年後、そのどぶで発掘作業をしていた。なんせ、どぶからザクザク古い鏡が出てきたから学問的に貴重な発見らしい。

バカだな。僕らが投げ込んだのに。

            

             写真は、内行花紋鏡 46.5cm、卑弥呼の頃、国宝レプリカ、これには手も触れていません、日本最大、渡来品、糸島市平原遺跡(福岡県)出土、実物は国立博物館所蔵






 


ここで足どりが消えた。

2014年10月07日 | 事件事故

今日、写真の芥屋の大門(けやのおおと)までコペンで走った(福岡県西部、現、糸島市)。40年も前になるが、あるアベック(今で言うカップル)が消えた。写真はその場所だ。状況を示す記事があるので紹介する。

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1974年1月12日、三浦和彦さん(1952年生、当時21歳)、波多野幸子さん(1955年生、当時18歳)は、勤務先の福岡市博多区美野島の九州松下電器本社工場を出た後、消息を絶った。その後警察によって糸島市志摩町芥屋海岸で和彦の車が発見された。車内には、和彦の免許証、コートが置いたままになっていた。近くには両人の靴が片一方だけ落ちていた。警察は、警察犬、ダイバーも使って捜索したが、両名の消息はまったくつかめなかった。家出や心中を疑わせるものはなかった。

家出であれば、車が放置されるということがそもそも不自然であり、冬の1月に入水自殺、しかも靴を片一方だけ履いてなど全く考えにくい。

         
           引用元  博多ブルーリボンの会 福岡県の特定失踪者について   2012.8.16

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親にとっては子供はいつになっても子供である。小さいころの思い出がまつわりついて、なかなか、結婚して別の家庭を築いたんだ、と、分かっていても現実を受け入れるのは、いやなもんだ。

ましてや、忽然といなくなれば、残された親の人生は一挙に奈落の底だ。

だがしかし、感情に引きずられて判断を誤ることは避けねばならぬ。

現場は瀬(暗礁)が多い。急に深くなりアンカーが打てない。ほとんど常に波が荒れている。夜に二人も拉致すれば近所が気がつくほど人家が近い。海岸に降りるには高い段差がある。冬の夜中に生きた人間を、崖をおろし2メートルの波を越え母船まで運ぶには、相当予行演習を重ねる必要がある。ふつうに無理だ。

決定打はこれだ。東に1キロ行けば砂浜があり、恋人たちが愛を語らう場所が何キロもつづく。背後に松林があり人家はない。やるならここだろ。

こんなふうに北朝鮮に拉致された人が800人いるという。どうだろうか。警察の威信をかけない失踪事件は山とあり、その中から拉致の疑いのある失踪者を選ぶのは簡単なことではないと思うが、現に、北朝鮮とは関係ありませんでした、日本側の間違いでしたという例がいくつも出ている。

そもそも800人も何に必要か。北の工作員も失敗したらたいていその場で死ぬ覚悟だ。申し訳ないが、役に立たんのを拉致するのに命はかけんぞ。

今回の交渉において、あのプライドの国北朝鮮が、かならず留保条件を残した言い方をしている。今までなら即座に席をけったであろう蒸し返しの原則論を言われても、彼らは交渉に留まっている。金正恩の回し者ではない。

かたや日本。安部に気に入られた齋木昭隆は外務事務次官になった。良すぎる。何もしない。したとすれば失言だけだ。山谷拉致問題担当大臣はさらに配慮がない。

彼女によると、これは外交交渉ではない、と言い切っている。対話と圧力というが、圧力をかけられた国が対話をするか。ナイフを突きつけての対話は成立しない。原則論を出せば会議は吹っ飛ぶ。今も残るとされる拉致被害者が人さらいの国で死んでいいか。山谷よ、これこそが外交交渉だ。

井原は苦労しているはずだ。齋木昭隆とはほぼ同期で外務省に入ったのに、京都大なので損な役回りをしている。(外務省の伊原純一アジア大洋州局長) 

好運にも山谷拉致問題担当大臣は、大臣ではあるが伊原の直属ではない。経験に乏しく、民主党崩れの、定見のない、能力のない、含み、のりしろ、落としどころといった外交センスのない人である。

日本はあいまいな失踪者まで、拉致を大げさにするために利用してはいけない。

一人も帰らなくても北の非道を責めれば、安部のいい宣伝になる。それをいい事に、今までほったらかしにしておいた責任から逃れようとするのは見苦しい。拉致された人は北朝鮮のために働いたので反逆者だ、というスタンスもとった政府だ。

僕は日本政府の本気度が心配だ。拉致が解決しなくてもいいのは、北ではなく日本だ。どっちに転んでもいい反共材料だ。

宋日昊(ソンイルホ)朝日国交正常化交渉担当大使は完璧な日本語を話す。危うい綱渡りのような国内状況の下、かろうじて権力の信頼を得てきた人だ。北朝鮮で日朝友好を言うことの危険性を、僕はよくわかる。

僕はお上の機嫌を損ねても、飛ばされ、閑職に追われ、辞めればすんだが、彼は間違えたら死ぬ。

勘違いをする無能たちよ。日本に主導権はない。北は、「おまいら、ええかげんな失踪者をわしらのせいにしているな」、という発言をいつ机の上に載せてもいいのだ。

しかし北は今回、それを決してしない。北が悪いのは当たり前だ。だが日本は被害者を帰そうと思ったら、北を責めてはならぬ。北のシグナルを読み取れ。

北が悪いと言ってしまったら、北はこう言う。「そんな悪人と話し合いなんかするなよ。」その瞬間、希望のかすかな光が消える。

日本のアホ外交は威勢のいいことを言っているが、それが拉致被害者を殺すことだと分からないならバカだ。









インチとミリのハイブリッド  2

2014年10月06日 | クルマ

SYLPHYに試乗した。かくれた名車といわれるだけあって、日産らしく商売下手なクルマだった。

なんといいクルマだろう。しかも、200万から300万ぐらいで来る。吸気よりもきれいな排気を出す。オカマハイブリッドではなく、エンジンで勝負する。

FFだのCVTは嫌いだがそれは僕の好みであり、客観的に言って安く良い車になった。そこで、僕は思う。誰もがクルマに乗ることはいいことか。

田舎では必需品だとかよく言われるが、そういう限界集落をあちこちに作り日本の95%が過疎に悩むようになったのは、偶然とか、いつの間にか、とかいう問題ではない。農村が元気だった頃から若者は都市に流れ続けた。そしたらいつか村は空(カラ)になるだろう。

つまり偶然ではなくて当然の帰結だ。自民党の無作為は田舎を犠牲にした。経済と握手をしたこの政党は日本に過疎と過密の両極端を残した。

だから、クルマが田舎で必需品になったのは、別に原因があることだから、頭ごなしに(アプリオリに)クルマに乗る理由に田舎を持ち出してはいけない。

同様に、都会は地下鉄やバスがあり駐車場もなくクルマは不要だ、と決め付けるのも頭がよくない人のすることだ。ある人にとって面白いものを他人がとやかく言うのは犯罪だ。

つまり、どこに住んでいても、産業用のクルマは別にして乗用車に限れば(SUVもVANもあるぞとか屁理屈を言うなよ、アホ)、なければ即死するほどのものではない。

通勤。買い物。そんなもんバイクで行け。60キロ/リットルだ。おまいらの好きなエコだろ。

僕は覚えている。親父が決死の思いで家より高価なブルーバードを買ったころ、スカイラインのGTXですら198万円もした。田舎では家が3軒買えたが、それは117の最低のグレードの価格だった。

ピニンファリーナを自慢しジウジアローにあこがれた。カネをケチり出たばかりのカップヌードルをすすり、自販機コーナーで地元のおつむの弱いチンピラとけんかしたり仲良くなったり、一緒にガソリン泥棒をしたり・・・

悪いか。悪くない。今はバイク泥棒も見逃され、人によっては自動車学校はタダじゃないか。

言いたいのは、車を家族ドライブだ、通勤だ、コンサートに行くんだ、と、実用のみに貶(おとし)めてはならないということだ。

キャブの構造を知り、変速機を勉強し、デフの絶妙なギアの配置に技術者を尊敬する生き方をなくしてはならない。どうしてこんなことを思いついたのだろう、どうしてこんなところまで配慮しているのだろう、と。

機械音痴を自慢する乗りっぱなしのアホ。人生を怠惰に生きる自分の低脳を、声高に叫んではいけない。

こともあろうに、その大切にしていたエンジン用のインチのスパナを工具箱ごと盗られた。僕の車庫は狭く、縦に車やバイクが並んでいる。整備をしていたが、工具箱を入り口の門において昼飯を食いに家に入り、出てくるとなかった。

僕は最初に車をもらったときうれしくて工具箱を木で作った。その木製工具箱ごと消えた。インチにも特殊工具にも傷をつけたくなかったから木製にした。買えばわずかな金額だが、45年の苦労が詰まったものだ。

何もあえて僕から盗ることはないのに。どうか返さないで。顔を見たら僕は何をするだろう。







 

インチとミリのハイブリッド

2014年10月05日 | 東洋歴史

1930年代後半以降、中国の空は隼の空だった。

いつもこれに「だがしかし」という条件がついてとても残念だ。ゼロと同じく極限以上の軽量化は多くの不必要な補修のための労力と時間と習熟飛行を要した。

昭和30年代、中学生の僕はじいちゃんに連れられゼロ21の引き上げに立ち会った。発動機は隼と同じ。博多湾岸に水没していた。

なぜ右翼は、こんなボロエンジンとボロ機体をほめるんだろう。航空工学を修め、モノになる奴はアメリカかドイツに留学していたはずだ。

したがって、アメリカだろうと日本だろうとドイツだろうと理論においてはまったく差がない。

問題は工業力か。それも平均50倍の違いなのですぐ負けるほどの差ではない。問題は知力と資源と生産手段の取捨選択にある。貧乏人が余裕もないのにバカなものまでだらだら作り、あげくに負けた。負けたそのドイツでさえ驚くべき風洞実験装置を持っていた。日本の風洞は家庭用扇風機程度だ。これだから最後までフラッターに泣く。



こんな国が敗戦後20年も経って、まだまともな自動車一台作れないでいた。世はスカイラインだ、2000GTだと浮かれたが、これらのクルマは空中に投げ上げられたこんにゃくのように震え、たわみ、ねじれて走った。

バカはメーカーのキャッチコピーを喜んで鵜呑みにした。その神話を喜んだ。しかも、貧乏人には絶対の夢であったにもかかわらず、わがことのように夢中になった。

落としたら割れるスパナーで何を締めろというのか。アメリカの高校生は昭和の始めからHigh Schoolには車で通った。

27000ccをわずか星型直径1m20センチに抑えたのは評価するが、まにあわせだ。トタン屋根のように薄い排気管、外板はなんと0.3ミリ、オイルクーラーの配管の素人くささ、電装の甘さ。アメリカのコピーを無理に軽量化したダサい、失敗作だ。

戦後20年、昭和40年。その旧敵国からのKnock downでオースチンのエンジン技術を輸入した。今の日産マーチのエンジンの源流になっている。鮎川は戦前戦中から政府の絶大な庇護を受け小型トラック、後のダットサン、を作っていたが乗用車には使えないまがい物だった。

ボディーはそこらの町工場の技術を盗み、張り紙細工の車を作り、Bluebirdと称した。

ここにエンジンはインチ(英国インチ)、ボデーはミリのハイブリッド車が誕生した。プラスアース、ラダーフレームまがいのモノコック。無理なハーネス、64馬力。室内に草が生える防水性。

だが、あまりにも細かいことを、どうしたこうした言う気はない。その細かい事実をバカにして終わりにするのは最高に悪趣味だ。

ポイントは、戦後20年もたって車ひとつまともに作れなかった国が、その時からさらに20年も前に突然ひらめいて永遠のゼロ(エンジンは隼と同一)を造れるか、ということだ。

飛行機がまともになることは永遠に可能性がゼロなのであり、クルマがまともになることはさらに20年たって(昭和60年)からであった。

そのKnock down欠陥クルマは64万円でほぼ東京郊外の一軒家の価格だ。ほとんどの労働者は高卒で2万/月がいいとこだった。

先日、このインチのスパナを盗られた。返さなくていい。バカや泥棒が触ったものは不潔だ。だがいきさつを書いて用心を訴える、次回。

とは言うものの、寄せ集めのローテククルマだったが、僕は今の最高級車より好きだ。どんなに故障しても上品だ。



 

 


命捨つるほどの「仕事」はありや。

2014年10月03日 | 事件事故

以前、バカとツーリングに行った。このバカがしきりにせがむので仕方なく行った。バカはいろんな人間とツーリングに行って、バイクを交換して乗り、タダでいろんなバイクを楽しむのが目的だった。

しかも僕のはゼファーだ。

由布院から阿蘇を回りまた由布院に帰る予定だった。が、僕が由布院に戻ることは、二度となかった。

バカの望みどおりバイクを交換して乗ったが、気違いのように飛ばしバカは道を間違えた。僕は正しい道を探していたのでバカたちに遅れた。急いで、間違った道を行くバカを探した。なんと、

見通せないカーブのすぐ向こう側に道に広がりバカたちが停車していた。僕は、100キロは出していたので、衝突を避けるためコケた。

大怪我をし救急車で運ばれたが、どこの病院も居留守を使って診察しようとしない。日本の救急車は輸血をしない。医者が職域を守るためだ。さらに、原則、医者は面倒なので救急車に乗らない。

かたや救急隊は、誠心誠意僕を助けようとしてくれた。「これぐらいの出血では死にません。」この一言にどれほど救われたか。

大津(熊本県)というところまで1時間以上かかって着いた。

ところがその時、何秒かの差で別の救急車も着いた。僕が若干早かった。ストレッチャー(移送担架)が2台、手術室の前に並んだ。僕のほうもそんなに軽症ではない。裂傷4箇所、脱臼2箇所、骨折1。だが、僕は、搬送される途中でも絶対死なないぞと思っていた。

もう一方のストレッチャーは、自殺だった。並んだストレッチャーからまだ頭が動いているのが見えた。僕は、カッコつけて医者に僕を後回しにするよう頼んだ。

僕は町医者ごときは、普段より軽蔑している。金儲けはいいが不勉強が嫌いだ。しかし、インターンのように若いその医者は、医者としての哲学を持っていた。習いたてではあるにせよ、切った貼った、薬価がどうのより、お前は今何をしているのか、何ゆえそこにいて施術しているのか、の認識を持っていた。

僕の申し出を断った若い医者はこう言った。

病院は人を助けるところです。相当の理由があるときは、順番を入れ替えることはあります。今回は、自ら命はいらないと思った方です。相当の理由には当たりません。

2時間ぐらいして警察官が来た。車椅子に移っていた僕にライターを貸してくれといった。線香の火だ。死んだのだ。家族が泣いていた。警察官に原因を尋ねると、仕事関係らしいですといった。

命捨つるほどの「仕事」はありや。






 


友人の子供が家出した。

2014年10月01日 | 事件事故

人生の折り返しを過ぎてみると、いままで実にいろいろあったなあと思う。暴力団に脅されたことも何回かある。

僕はヘナチョコだから一週間ぐらいは凹む。この程度の黒服だったら、ナントカいけそうだとか思ったらひどい目にあう。喧嘩は格闘技でもスポーツでもない。だからヤクザに勝てるのはヤクザだけだ。しかもこの手のお兄さんは、言質を取られぬよう迫力で迫り、ビビらせる。すでに、ここで勝負はついている。

彼らはプロであり仕事なのだ。そういつもいつも全力は出さない。緩急自在のボクサーだ。

俺は刀を畳に立てただけだ。俺がお前を斬ったか。警察に行くとか言うから俺の心は傷ついたぞ。さあ、誠意を見せてもらおうか。

と、なかなか弁舌も立つ。

しかし、僕は彼らが好きだ。ウソをつかない。約束を守る。気配りがすごく人の顔と話を良く覚えている。ただしウソや言い逃れにはまったく血も涙もない。

警察が家出人捜索願を出したからといって何かするか。ここで優しいお兄さんの登場だ。

が、僕は利用しない。警察は何もしないが、だからといってお兄さんに頼んだら社会秩序の破壊である。僕は彼らの強さを良く知っているから心はぐらつくが、やっとのところで、いけないと思うことにしている。

福岡県の警官の1/3、3500人の警官を動員し組事務所を取り囲み、たった二人の逮捕もできぬ警察が何をしてくれよう。(9年前の事件で被疑者一人は逃走。工藤会。)

友人は障害者であり奥方は病気だった。

頼まれた暴力団はメニューを提示した。今日中に連れ戻すならいくらです、一週間以内だったらいくらです。

親ばか友人がどのメニューを選択したか知らないが、鶏をぶら下げるように首をつかまれ子供は帰った。その後、その子は家出どころか、家の前に出るのも怯えていた。お兄さんたちは、黙ってアフターケアーもしてくれていたようだ。粋だ。

家出少年がどこに行ったかまったく情報のない中、ドスの効いた大声とは裏腹に、彼らは緻密な計画を立てていた。下記の①、②、③を締め上げる。ヤクザは令状の要らない熱心な私警察だ。

①  同じ中学の不良たち。(このチンピラ予備軍はひよこ家出少年をほしがっている。パシリや万引き実行犯に最適だ。こいつらを締め上げて聞き出す。)

②  同じ学区の父兄。(一般人がしらばっくれる事は出来ない。うそがばれると指が飛ぶ。玄関の靴と家族構成に矛盾はないか。)

③  有力者。選挙の地盤を持つ議員。(選挙ネットワークは情報の宝庫だ。)

家出に限らず、窃盗、強盗の類。家にSECOMつけられる人はいいよ。警察じゃ当てにならんということじゃないか。僕の家にも何回か泥棒が入った。

あるときはまだ犯人が家の中にいて、家の塀を乗り越えることができず逃亡できないでいた。

110番するとなんと自転車(白チャリ)の警官が二人来た。それのみ。

仏壇の線香代、500円、盗られた。