か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

mad Korea 2

2016年10月31日 | 韓国

金=ジョンピル氏  韓国を生きた本物の教養人

韓国。上のものに対しては、這いつくらんばかりにへりくだる。ところがそこに例外がいて、どこどこの上の人を知っているとなると、今度はそのおこぼれに与(あずか)らんとしてもみ手すり手でゴマをする。

80年代までは偉い人と握手している写真を持っていると何でも出来た。

国家情報院が韓国中央情報局といっていた頃、見学させられた。まさか、ボンドカーがあり、美女がハニートラップを掛け、イケメンでテコンドーの達人が、北の情報を握りスパイの摘発をするところだとか、あり得ない。

逆に、スーツのお兄さん達が忙しそうに事務をとる、国土交通省となんら変わりは無かった。都合が悪いもの、まづ、僕に見せるはずは無い。

 

北がわざわざスパイを南に送り込むことは少ない。休戦協定が成立した時点でも金日成信奉者が南に残っていたのだ。28000人

彼らを組織化し、網を編むように情報の取得伝達機構に仕上げるには、北のエキスパートが必要だ。そのわずかなsuper eliteは北から来る。

つまり、スパイとは寒い国から来るのではなく、地元の行商のおばちゃんであり、小学校の先生達だ。

南の庶民スパイたちは、ある時は情報を、あるときは小型武器を何本もの接線から集めヒットマンに渡す。したがって一生指示の来ない人もいる、ほとんどの人は待ち続けて終わる。sleeper

 

この情報網の欠点は何か。殺すことは出来ても抱き込むことは困難だ。(包摂=抱きこむという)

包摂する価値のある高度な接線は、北側による建設と南による破壊を繰り返し、安定的な使用に耐えない。

宗教を隠れ蓑にしたチェスンシルは軍事情報も得ていたという。身内に朝鮮戦争の犠牲者がいない人はいない。チェは許されない。クネも許されない。終わりだ。

 

利用価値がなくなり逮捕情報を北側が流したのか、本当に韓国が情報をつかんで逮捕(事情聴取)に至ったのかはわからない。

 

 

 

 

 


mad Korea

2016年10月28日 | 韓国

ソウル時事抜粋 2016年10月26日 22時43分

テレビ局JTBCは24日、崔氏(チェスンシル)が以前持っていたパソコンのファイルを分析した結果、朴大統領の演説草稿など機密情報を崔氏が事前に入手していたことが分かったと報じた。パソコンは崔氏側が事務所の管理人に処分を依頼。管理人の了解を得て、JTBCの記者が入手したという。大統領は25日、崔氏に資料を渡してアドバイスを受けていた事実を認め、謝罪した。

 JTBCによれば、崔氏は演説草稿だけでなく、対日関係のメモや南北軍事当局者の秘密接触に関する情報、大統領府の警護担当者の候補者リストといった機密情報を入手。

引用ここまで

 

朝鮮は分断国家であり、数少ない国民皆兵の国である。いまだ休戦状態にあり、日本のような平和主義の国ではない。

韓国にいると、平和主義が所与の命題である日本と違い戦争をしている国だなと実感する。

ここで本質を忘れた頭の悪いのが飛びつく話をすれば、韓国では男は兵役にいってこそ男になるという見方が常識だ。

兵役検査において、「甲種合格」というのが日本の昔に在ったが、韓国は言葉を「第一国民」と置き換えたに過ぎない。第二、第三国民と結婚する女性はいない。兵役検査で振り分けられるわけだから、第二第三は欠陥のある人だ。誰が結婚するものか。

たしかにすごい体格になって兵役から返ってくるが、頭脳の空白は埋めることが出来ない。兵役前の頭の冴えは二度と死ぬまで戻らない。

 

国民は死ぬ目にあって、あるいは、バカになってまで兵役に行っているのに、大統領がお友達に軍事機密をもらしたら、その憎しみはハンパではない。

北鮮の魚雷で20人以上の若者が死んだ。砲撃でも死んだ。ここ数年のことだ。日本人は自分だけ助かろうとして、韓国への焼き物あさりや買春旅行を控えようとする。

もっと本質的解決は何なのかを考えろ。

日本のニュースではTOPニュースではなかったが、韓国では連日特番が組まれている。

軍事機密が北に渡っていないはずは無い。韓国には北の熱狂的シンパが25000人いるのだ。

今回、情報価値としては低いが、北は情報を入手するパイプを構築していた。今後どんな重要情報が流れたかもしれない。(韓国語では「接線」という、情報網がONの状態になったこと)

もちろん南朝鮮、すなはち韓国も座視していたのではなく、軽症のうちに遮断したのが今回の事件だ。

 

今回の事件はパククネが延命するとかしないとかをはるかに凌ぐ大事件だ。

北は、提報というが、今回使った情報網を消さなければ手の内がバレる。それは2個師団の生死に相当するといわれる。

かならず不慮の死、不審死が増える。交通事故とか、階段から落ちるとか、この時期に海水浴とか、がけから落ちるとか。

何十年間も北に情報提供をしてきた優れた諜報員も仲間の諜報員がためらいなく殺す。しかたない。「接線」を維持するため。

両者平和主義は取れないのだ。休戦中だ。

 

 

 

 

 


そろそろクルマと遊んでやろう

2016年10月23日 | クルマ

ただ乗るだけなら毎日乗ってるが、

音に注意して、エンジン、デフ、サス、ボディー、耳を澄まして乗ることはあまりしてなかった。20年も乗ってると、ありえないような故障が、何故か波のように周期的に襲ってくる。工具はあまり持たない主義だが「馬」だけは命の保険だ。

無いときは数年何もないが、あるときは立て続けだ。とくに日本は車検制度がある。質の低い整備士がいじると返って、気違いにようにねじを締めたり、或いは自分の頭のようにねじを締めなかったり、本当に迷惑な制度だ。

外国もあるんですよとご丁寧に教えてくれる人がいるが、それが何だ。今何の話だ。

事故が困るなら自賠責を十分高くして無保険車を一掃すべきだ。車を売るため安いカネでクルマを買える制度にしながら整備士の失業を防ぐため愚にもつかぬ車検制度は維持する。頭が悪いな。

無保険車に備えた保険なんておかしいだろ。車両価格程度の保険料を義務的に先払いして不良チンピラは車に乗せてはならない。

政策は、産業と事故死のバランスをとっているだけで事故を0にする気はもともと無い。

 

そこで車検などという人の失対事業にカネを払うのは気に食わないので業者には出さない。私は神ではないので保険はたっぷり入っている。いけない薬を吸って幼稚園に突っ込んでも大丈夫だ。

ただ、クルマの異常には度を過ぎるほど気を使う。

最初に書いたように耳を澄ますには夜走るしかない。コペンのような貧乏人のクルマは言いがかりをつけてもカネにならないのでかえって安全だ。ところが、中型の窓を開け、一人をアピールして流すと勘違い悪(ワル)が向かってくる。

人間は捕まらないならなんでもする。それが福岡県だ。

走行中、カチンと音がして室内が臭くなった。前左がとくに臭い。

サブシリンダーのピストンが少し折れていた。経年劣化と考えよう。20年。いくらクルマがジジイになってもそこらのレクサスとぶつかったとしても完全に踏み越えていく。何があっても死なないクルマだけが持つ安心感を大衆が知る日は来るか。

欠けたというほど少しだったので削って整えそのまま使うことにした。パッドとの間に破片が詰まって凄まじい摩擦熱を上げていた。下図はかけた部分。

とてもねじが硬かった。熱カジリだろう。チンピラよけに鉄パイプを積んでいたのが役立った。

 

 

 


田部井さん   言葉一つで人を元気にする人

2016年10月23日 | 故人

 

若いころ、僕はすべてを犠牲にして山に打ち込んだ

 

田部井淳子さん

この人が周囲にいると、なんて自分が小さいことに引っかかっていたのだろうと反省する。不思議な力だ。ヤマの歩みは正確で、機械のようだ。ペースが変化しない。

しかも疲労なんてありえない人だ。僕は脳の回路が故障して疲労を感じなくなったのだろうと思った。

ただし、日常のことはたいてい「許す」ことを基本においている。無理をいう人に怒るのではなくきっと事情が在ったんだよ、と。

許すばかりではなく、相談を受けたときは、周りへの気配りが鋭く、その上で合理的で解決策をどんどん示す。たいてい行き詰っていた人はバカらしくなって田部井ワールドの楽天的な考えを。知らない間に体得するようになる。

基本に、そういう考えで一貫していたから人の悪口でも遠慮なく言ったが、憎まれることは無かった。

 

女だけでエベレストに登ると言う事は、先頭に行く人も女性だということだ。ヤマは特に冬の岩山とは、20才の彼女が40になったときを思えばよい。リカチャン人形が錯乱ババアに変身する。夏と冬でそれほど違うのだ。

 

ある女医が、カッコつけてシェルパをあごで使い、夫婦喧嘩まではじじめ、カネだけで統率し、ちらかしぱなしで頂上に立ち、成功したといって帰国した。

カネさえあれば誰でもエベレストに登れる。ただし、汚く登る。あとあじが悪く日本人の評判も悪くなる。

 

山はトップに立って先頭で登るか否かが、一流の登山家かどうかの分水嶺である。3人パーティのとき、ミドル(真ん中)は、かりに落ちてもザイル(ロープ)のたわみのぶんしか落ちない。ミドルは初心者の体験コースでありそれをして3大北壁を踏破したとは大嘘つきだ。

トップは落ちると最後のハーケンの位置の2倍落ちる。(理由省略)

今井はサロンパスのように人の体にくっついて、時には本当におんぶされて3大北壁を制覇した。

Topでこの一の倉沢をAttackしてから大きな口を利いてみろ。その前に今井通子は死ぬ。絶対アイガーより困難だ。

 

僕はこんなインチキ野郎がマスコミでチヤホヤされるのはいやだ。だが田部井さんはもう一段階上だ。意に介していない。僕がイライラするころ、田部井さんは次の山と会話をしている。

ヤマなんか習わなくて良かった。僕は人生の心の持ち方を学んだ。

 

人に嫌がらせをして自殺に追い込む電通社員がいるかと思えば、田部井さんのような人もいる。僕は人殺し電通は絶対に許さないし犯人を突き止める。管理職に教え子や同級生は多い。しかし、周りをおだやかにして皆に好かれ、かつ自分の意見ははっきり言うそんな田部井さんに僕は、到底追いつけない。

 

 

 

 

 


suffocating Japan 2

2016年10月19日 | 思想

 

息の詰まる日本。

3兆円もかけて平和の祭典をするのか。中東およびアフリカの飢餓は、そのカネで即座に解決する。

アメリカは世界の警察官を辞めたといったが、その警察官はどの紛争を解決したのか。

朝鮮か、ベトナムか、イラクか、アフガニスタンか。このアメリカ警察官は、介入こそしたが、解決どころかことをいっそう複雑にして、手におえなくなるとさっさと引き揚げた。その繰り返しだけをした。

火に油を注いで逃げること以外したことが無い。

このアメリカにどこまでもついていくポチ安倍が。よい日本を作ろうはずが無い。違うというなら三ツ矢サイダーで株価を上げてみろよ。

 

民主党時代には株価8000円だったという言い分けをぬけぬけとする。殺されなかったから強姦されてもいいというわけか。

安倍は、上が豊かになって下に広がるといった。上は豊かになったが富を私物化し、帳簿をいじくる。税務署は内部留保、その他の経費、研究開発費のごまかしを見逃している。

下の心配はしないが、株主にはまったく降りてない。これは言葉でごまかせない。安倍になって僕の収入は増えてない。

 

DENTSU

殺人企業

 

身の回りを見ても息が詰まることは多い。何一つするにも会議会議、書類書類。無限に時間がかかり執行委員の異動でリセットされ、また会議と書類は増えていく。決まらない。

現役の頃、僕の休暇願いには30個の判が押してあった。責任の所在を不明確にしあいまいな世界を作り上げていた。たかが休暇(年休)なのに。僕固有の権利行使に対し、受理されるのだから判はいらないはず。低級アホ公務員は、それほど責任にはアレルギーを持つ。

他に能力が無いからだ。失業したら、普段自分らがバカにしている自営の者たちの仕事すら出来ない。それがよくわかっているバカなのだ。

、、

庭の花、やや美しい

 

組織は大きくなると、非情になり、多様性を失い、無能になり、鈍重になる。

3兆円のコンパクトなオリンピック。

それはまるで一日で破られる「絶対国防圏」と同じだ。何から、何を、何を用いて守るのか。まともな船も飛行機も無いくせにほざいたのが日本だ。このころになると日米の国力は2000対1に開いていた。できるものならアジアの解放とやらをやってもらおうじゃないか。

国防圏が存在しなかったように、コンパクトがどこにあるか。

3兆円あれば子供の貧困は解決する。民間FUNDなら5000億円でやる。

2020に国民一人残らずどぶに3万円捨てる。30個の金メダルを取るとして一個1000億円のメダルだ。

バカにはスポーツがよく似合う。スーツよりジャージがよく似合うお兄さんは、日の丸が好きだろ。

いろいろ手を加えて泥水の上でボート漕ぎしなくても、なーんにも無いのが一番いいんだ

 

 

 

 

 

 


cruel Japan

2016年10月16日 | 事件事故

 

虐待で子供が死ぬ。5分に一人の子供が、親の暴力で死ぬ。

実数はもっと多い。

行政は事故死扱いにする。そのほうが仕事が減るからだ。でないと気絶するほどの書類を要求される。役所は責任逃れをすればそれですべてが終わる。

だから、厚生労働、文部科学、総務、警察、福祉事務所、県と市のそれぞれの担当福祉行政役所、・・・書類狂いの無責任体制が「指導」する。面倒だ。事故死はすっきり簡単だ。

つまり氷山の一角ですら、172人/年のこどもが死んだ。ほとんど犯人は親だ。こんな親は、はやめに殺処分すべきだ。

鬼畜を生かしてはならない。

 

朝日新聞デジタルから抜粋引用(2016.10.16)

「ばあちゃん、ばあちゃん」。なっちゃんと呼ばれていた当時4歳の女の子が照れるように玄関に立っているのを見て、祖母(63)は驚いた。兵庫県三田市の自宅から祖母の家まで7キロの道を一人で歩いてきた。2009年春のことだ。

なっちゃんは継母から「どこでも好きなところに行け」と言われたという。祖母は「小さな子を一人で出してどういうことだ」と思い、虐待の疑いがあるとして、市に相談した。

親族や自治体への取材、裁判記録、県の検証報告書などによると、なっちゃんは何度も虐待の「サイン」を発していた。

 

 

むごいな。誰も助けなかった。

家を追い出された4歳の子供は7キロの道を歩き祖母にたどり着くが、結局死んだ。

4歳の子供を追い出せば当然に死が予見される。未必の故意という奴だ。こんな母は、閉経まで収監すべきだ。今後も子殺しを続ける。

日本は人殺しを野放しにする国だが、無駄なことをして飯を食う公務員という種族も人殺しに手を貸している。

有効な組織に改編すべきだが、子供が死ぬことより仕事が増えることを恐れる。あるいは仕事が減って減員になることをもっと恐れる。

クビにはならぬが、コネ採用を恩に着せ選挙のときに応援させることが出来なくなる。採用枠が減るから。地方はこんなもんだ。

だから地方分権には反対だがそれは別の機会に。

 

僕達は、もっと隣の不幸なことに眼を向けねばならない。それには、会社に泊り込んでまで仕事をしていてはだめだ。

北欧ではどの国も日本に比べGDPはわずかだ。だが、子供のほうに親を勘当する権利を認め、その子は国が厳選した金持ち夫婦に引き取られる。

これで解決とはいかないが、年に一人が虐待で死ぬと国をあげての大事件になる国と、5分に一人、虐待で死ぬ国とは格段の差がある。

 

僕は人生を振り返ると、子育て以外に楽しいことは無かった。だがそれで十分だ。

 

 

 

 

 

 


suffocating Japan

2016年10月14日 | 事件事故

トランプ候補が、日に日に窮地に追い込まれている。トランプ氏は、

ドナルド・ジョン・トランプDonald John Trump1946年6月14日 - )は、アメリカの著名な実業家である。2016年アメリカ合衆国大統領共和党予備選挙の候補者であり、共和党大統領候補。                          WIKIから抜粋

である。

 

 The Washington Postは、保守系新聞であるが読売サンケイ等の低俗単純新聞ではない。New York Timesのような鋭さは無いが、ファナティック(fanatic)とは反対で、きちんとした英語力が無いと読めない、落ち着きのある新聞だ。

最近はややサンケイ化したが、1年や2年、面白半分に留学した程度では到底読めるものではない。コンサーバティブ(conservative )なアメリカ中心主義でありながら、平易な単語しか知らない一般のアホアメリカ人に迎合することは無い。

僕は辞書があってもよくわからないことが多い。最近のアメリカ事情に通じてないと読みこなせない。

ワシントンポストとサンケイは、グラマンとゼロ戦だ。早い話が格が違う。

韓国から叱られるとコロッと変節して、今度は反韓国のキャンペーンを張る、行き当たりばったり安倍迎合新聞サンケイとは異なる。

 

ところがそのワシントンポストが、トランプをこき下ろした。日本では考えられない。朝日もおとなしくなって、分けわからない、主張のない社説しか書かなくなったが、

(引用)

社説はトランプ氏を「偏見に満ち、無知で、嘘つきで、自己中心的」などと非難。大統領に不適任であると強調した。                産経新聞 10月14日(金)

他の中小の新聞も、旗色鮮明に主張している。本紙ははトランプを支持しない、と。

日本社会には、マスコミは中立であるべきだというバカの一つ覚えが充満している。

それどころか中立自体に価値を置いている。中道は正道か。

 

何年も前のプライベート空間での会話を盗聴し、この日のために備えるしつこさは人間技ではないと思う。

しかし、ここでの論点は、それではない。形式的な、低レベルな、「社会の公器マスコミ」論におぼれて、何も考えないことを薦めるゴロツキ新聞しかない日本に比べ、アメリカのまともさを見た。

新聞という知的集団は、political である責務があると思う。non Politikは犯罪である。

ドイツには無能罪があった。フランスでは、共産党の教科書も教師の判断で採用されている。

中立はボンクラの言い逃れである。なあ、変節公明党。

 

 

 

 

 


曲学阿世は科学の敵だ   2

2016年10月12日 | 事件事故

ドイツでは週休3日の企業が増え、一部には4日の企業も出現した。

年間の労働時間は1500時間をきる。年間50週として、週30時間の労働だ。しかもその労働時間中、ゆっくり和気あいあいとして決して急がない。

日本では自嘲気味に「社蓄」と自称するが、そんな人間はドイツではあらゆる立場の人から軽蔑される。最もドイツをだめにする人種だ。おそらく難民より嫌われる。

ナチスは労働者が休暇をとり世界旅行をしたり保養ムラに長期滞在をすることを公約し実現した。

長時間労働と過酷な労働条件により自国の労働者が弱体化していることに気づいたイギリスは日本に先立つこと300年、社会保障制度をはじめた。

労働者はすなはち兵であるから宿敵独仏に勝てなくなる、それが真の理由であったにせよ、8時間労働が徹底したとき日本は江戸時代だった。

一週間は何曜日から始まるか。ご存知のように日曜日である。これは重要な意味をもつ。電通と長谷川以外に。

まず休んで遊んで好きなことをし、しかたなくカネも尽きるし働くことにするか、というのが月曜日だ。

けっして労働の疲れをいやすのが日曜なのではない。日曜に休むのであれば、慢性労働状態になる。

 

こんなことばかり言っていると僕を誤解する低能がすぐ出てくる。いまだ世界で10位以内の国、日本が、犬のように働き丸太のように寝ているのはおかしいと、僕は主張しているのだ。

けっして、個人が自己目標を立て、合格や、入社や、採用に向け努力するのをとやかく言わない。だが、ここが重要な点で馬鹿には分からない点だが、人に強制するな、ということだ。人を言葉の鞭で追い立てて労働させたのは、殺人企業電通である。

企業は、大河の流れのような存在である。大きな流れに大学出立ての笹舟が、きちんとした指導や助言協力なしに流れに乗ろうとしたら、渦に巻かれて沈むのは必定だ。それを電通は、むしろ笹舟が沈むように追い込んだ。

なぜ世間はもっと怒らない。なぜ沈黙する。電通は3人目の人殺しをするぞ。労災認定されようと死んだ人間は返らない。人殺しが死なない限り人殺しは続く。

 

ところで、武蔵野大学とはなんと詰まらん大学なのか。長谷川は気が狂った論を展開し、言い訳も支離滅裂だ。それでも自分の信念を吐露している以上、トカゲの尻尾きりにあうのはいけない事だ。

すぐに持論を引っ込める根性なしだが、職を奪い言論を封じたのは大学の存在理由を知らない大学だ。免職にしてないとか、辞職してもSNSは出来るとかへ理屈を言いそうな、そんな程度の大学のようだ。とにかく似非教員長谷川を消滅させた。あほ。もっと議論するところが大学ではないか。

自分の言論によって自らが社会的制裁を受けるのは公序良俗に反した場合を除いては、あってほしくない。

 

 

 

 

 


曲学阿世は科学の敵だ

2016年10月10日 | 事件事故

引用

最長月130時間の残業などで元電通社員の高橋まつりさん=当時(24)=が自殺し、三田労働基準監督署(東京)が過労死として認定していたことを7日、遺族側弁護士が会見で明らかにした。

弁護士によると、高橋さんは平成27年3月、東京大文学部を卒業後、同年4月に電通に入社。インターネットの広告部門を担当し、同年10月から証券会社の広告業務も入った。弁護士側が入退館記録を基に集計した残業は、10月が130時間、11月が99時間となっていた。休日や深夜の勤務も連続し、12月25日に、住んでいた寮から投身自殺した。

高橋さんが友人や母親に送信したツイッターなどでは、1日2時間睡眠が続いたことなどを訴えた上で、「これが続くなら死にたいな」「死んだほうがよっぽど幸福」と記していた。    newsまとめもりーから

 

長谷川は、残業が100時間を越えたぐらいで・・・とのべた。この発言を生み出す思想とは、こうだ。

もっとハードルが高くても飛び越える人間でなければいけない。仕事を、きちんと、立派に、命じられた以上、行ってこそ一人前だ、というまるで50年前の高度成長期の労働狂想曲に酔っていた頃の日本でチンピラ経営者がゴルフをしながら言う発言だ。

アプリオリに企業は存在したのか。これは大人同士の議論にはならない。学生の前期考査の問題だ。

答えは簡単だ。アダムとイブの前に企業は存在していたか。長谷川にわかりやすくいうと、企業とはわれわれが豊かで幸せな人生を送るための手段である。その企業に滅私奉公をしろというのは、人殺し電通の共犯である。

こんなのをかかえる武蔵野大学とはどんなチンピラが人事をするのか。

「自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという意識」があれば無制限に残業すべきだという。長谷川はこの文章を書くとき自分とダブらせて、なりあがろうと必死だった半生が浮かんだようだ。

今、池には鯉がいる。エサにありつこうと必死にもがきあう鯉の一匹に、特にあさましいのがいる。僕は、今後そいつを長谷川と呼ぶ。

鯉長谷川は、のし上がり、よいエサを、よいエサをとまさぐる人生だったので、労働条件とは、賃金労働契約に基づく労働力商品の対価としての労賃、労働時間、労働強度、であることをわからないでいる。

どんなに優れた研究者が核融合に成功しようと、残業狂いで頑張った結果なら、それを褒め称える社会はまともではない。

企業では、日々の競争よりも定年までの長いスパンでいろんなことを経験しながら人は育ちつづける。人の失敗や不十分さを断片として切り取って評価するのは気違いのすることだ。

電通をはじめ日本には、この気違い企業が多い。

 

鯉長谷川の文章はなかなかイラッとさせる文だ。取り下げたようだが、黙って取り下げるのは卑怯だ。

人が死んだのを嘲笑した罰は受けてもらわねばならない。みんカラというブログでも、韓国のフェリーが沈んで300人死んだ事件を心から喜ぶ奴がいて、気持ちが悪くあまり近寄らないようにしている。気違いは何をするか分からない。

鯉長谷川、自殺者が悪いというなら労災のカネはもらうなといえ。取り消したぐらいでは済まんのだ。

かかって来い。

 

 

 

 

 

 


犯人こそ死ね  殺人企業 電通

2016年10月09日 | 事件事故

 

10日:

毎日次の日が来るのが怖くて寝られない

12日:

頑張れると思っていたのに予想外に早く

潰れてしまって自己嫌悪だなぁ

18日:

毎朝起きたくない?

12月9日:

働きたくない・・・

1日の睡眠時間2時間はレベルが高すぎる

17日:

死ぬ前に送る遺書メールのCCに

誰を入れるのがベストなのかなぁ・・・

20日:

男性上司から女子力がないと言うわれるの、

笑いを取るためのいじりだとしても我慢の限界である

鬱だ・・・

25日:

自殺

 

勝手な公開に気が引ける。いじめ殺人に合った高橋祭りさんのSNS ,Twitterの一部だ。人殺し企業はもう何人も殺している。

Twitter公開にどうか理解を!Because,I am on your side.

こんなところで告発したところで、猫とガキとダーリンとクルマの話にしか興味の無いポンスケたちには遠い世界のことだろ。視野の狭いバカたちのために書いても無駄だ。だが、1/1000or、1/10000の人たちが新たに興味を持ってくれたらうれしい。

今回、話は単純だ。

組織はシステムである。責任逃れのため、過労死だということにされた。さらにむごいことに過労死に認定されたことが彼女の死より大きいニュースになる。

システムに責任があるのなら世の中から殺人犯はいなくなる。システムのせいにして過労死認定をして一件落着といくか。アホ、犯人がいるから死んだんじゃないか。

残業はまつりさんを追い詰めたが、どこかに陰で笑う人殺しがいるのだ。人を追い込んで自殺しか道がないようにするのは殺人だ。殺人電通。人殺し上司。

死んだのは本人の選択だというアホな思想に流されるのは、バカだけにしてくれ。

 

電通は昔、僕の親の友人が社長をしていた。その頃はよく儲かり、皆が縛られるものもなく自由にものづくりをしていた。子供だった僕は会社の原風景としてまぶたに刻んだ。

その社長が新入社員だったころは戦後すぐだ。刷毛とバケツの糊と宣伝チラシを持ってすずめのように電柱から電柱を渡っていた。

変節の原因はなんだろう。悪人が採用され悪同士が増殖したのか。

いつから人殺し企業になったのか、なぜなったのか、立ち直る気はないようだが、殺される側をなめるなよ。

 

取り消したようだが、武蔵野大の長谷川とは論争をしようと思う。取り消してもすまない問題がある。死者に鞭打つ下賎な人格には天誅を加えてやる。

電通は人殺しを養っているに過ぎない。自殺ではない。職場でバカにし続けられ、無理難題を吹っかけておいて出来ないとなじる。これは殺人行為だ。

長谷川は、電通の悪事を一般化し正当化した。

 

 

 

 

 


月華祭

2016年10月08日 | 教育

ある近大の文化祭に行った。

ニュートンのプリンキピアがあり僕は実物を見るのは初めてだったので感激しだた。デカルトのものもいくつかあり、手に取りたいと申し出たところ、不愉快そうに許可してくれた。

お前も馬鹿と一緒だろ。表の屋台に行ってたこ焼き食ってろや、という表情を読み取れたが、実物の力はオーラのように僕を魅了する。フランス語はわからないが、「方法序説」を手にした喜びはたしかなものだ。「座標」がこの本から誕生した。

理系の本は簡単だ。「よって」「ゆえに」したがって」「なぜなら」・・・接続詞と数式なんだが、今やその数式は中学生が説く解く。だから誰でも読める。

問題は序文にある。プリンキピアも同様である。筆者は最後に序文を書く。そのとき、世にとう覚悟と自信とその論文の正当性の要約を序文に書く。静力学から動力学へ。量子力学が登場するまでニュートンは物理の世界の王者であった。400年以上。

 

大学の文化祭をたこ焼きとミスコンと芸人の発表会のようにいう人がいる。たしかにアッホ大はそうだ。

だが僕は原典に接した。このことをバカな大学生に話しても意味がつかめないでいる。が、偏差値60以上の高校生は「先生良かったですねえ」と一緒になって感激する。

 

今日、国際医療福祉大の大学祭に行った。世界各地に留学したようでそのときの様子を紹介してくれた。どの学生も楽しそうで、競争のみの青春だった僕はとてもうらやましかった。

男女とも、特に男子は誠実でこちらまでまじめな気持ちにされた。けっして打てば響くスピードは、無かったが、はっきりとした目標を持ち、ここまでしてくれた親に報いるんだという発言を、あちこちの学生から聞いた。

いい学生さんたちだ。初めて僕は自分からここで仕事したいと思った。

 

 

ところが、人が美女JDと話しているのに目の前5センチをすまして通り過ぎるもうろく教員がいた。トラブルになった。(内容省略)

こんなバカがいるところはごめんだ。誰が行くもんか。

 

木工祭もあっていた。痛ましかった。

 

 

 

 

 


Chrysler LLC

2016年10月07日 | クルマ

いいクルマだ。たしかに最近の電動自転車は性能がいい。静かで燃費もいい。

ただひとつに絞っていうと、2000ccのクラウンが電動で走る場合と、6000ccのクライスラーがターボだの電動アシストだの小細工なしに走るとき、両者には隔絶し、交流しない人生同士が乗っている。

4気筒のクラウンなんて歴史を50年さかのぼらせる反動的行為だ。貧乏人は触覚に関しても無神経だ。dealerは振動は6気筒のときよりないといったが、無神経な人がその日常の延長として乗るから感じないだけで、ブルブルした感じがわからないならバカだ。

映画のはじめに昔はライオンが吠えていた。その咆哮がある。Good Old Days に満足して何が悪い。

 

ところが、クライスラーも今は往年の輝きは無い。イタリアの芥子粒のような会社に吸収され消えた。クライスラーが全盛の頃、アメリカにある他の自動車会社と結託して、市内電車の会社のほとんどを買収した。

市内電車に客を盗られるのを嫌ったBigメーカー達は買収が終わるや否や市電を廃止した。所有権の或るものを売ろうと捨てようと買おうと勝手である。

こうして庶民は義務的に車を買うしかなくなった。

これには反論があるが、少なくとも市内電車に乗るという需要のある低所得者層にとっては、移動の自由が奪われたのは事実だ。(反論については、WIKI参照)

 

あこぎな商売だが、資本主義は弱者の泣き言を一顧だにしないことで成り立っている。それはもろにクライスラーにも降りかかった。

市内電車も、でっかいアメ車も僕は残念だ。

 

日本の若者はそれどころではない。三本の矢はまだか。何の変わりも無いぞ。


クルーザー、まだまだ暑くて気違いが出る   12

2016年10月04日 | 趣味

船の操縦操舵席はなぜ船の上についているか。それは地球が丸いからである。丸いから上に上がったほうが遠くまで見渡せる。

クルーザーというのは見た目ほど快適ではない。潮の飛まつはすべてをベタベタにする。10月の太陽は殺人光線だ。12月でもまだ暑い。クルマがエンストすればJAFを呼べばよい。海上でエンジンが止まると、波を避ける方向転換が出来なくなり転覆する。

体温が低下し5時間で死ぬ。海上保安庁が5時間でこられる距離は限られる。ヘリに発見される可能性はさらに低い。

不潔と苦痛と危険の中になぜ身をおくのか。

お膳立てされた楽しい幼稚園でつつましく遊ぶのはいやだからだ。

 

 

だがやっかむ人が多い。理解力の無い人たちだ。そういう人は何回乗っても風と波と推力の関係を理解しない頭の悪い人たちだ。泣きべそをかく資格は無い。

遊びというのは命がけで真剣にやっているのだ。自然は保護してはいけない。知力と体力の限りをつくして自然と戦うから面白いのだ。

クルーザーは2度うれしいという。買ったときがその2度のうちのひとつ。これは当たり前。もう一度は売ったとき。つまりもてあましていたのだ。十分な時間と気合がある人は中古艇を買えばタダみたいに安く手に入れることができる。

2度うれしかった人は本来持つべきではなかった人だ。

でも一度も持たなかった人より遥かにましだ。

 

乗る前は気持ちが高ぶり大声になる人がいる。異常にふざける人がいる。

それを面白く思わない、やっかみのために生きる人がいた。僕の友人だった人の船が放火された。船は風にさらされ乾燥しているしガソリンもある。船火事は陸上の火災より消えにくい。犯人はある程度知識のある人だったかもしれない。

バカとひねくれ。甲乙つけがたくうっとおしい。

 

 

 

 

 

 


너무 멀리왔어

2016年10月02日 | 思想

タイトルは「戻れないほど遠くに来たね。」という意味だ。日本人は、あまり使わない言葉で、その概念も少し違う。言葉は内面を表現する手段であるだけでなく、その人の内面を言葉という道具で線引きして概念を決定する。

そこで、自由に考えているようでも、その人の言葉がどういう姿をしているかによって、考えの結論すら左右される。

僕らは自由に考えているつもりの日本語に、知らず知らず縛られている。だから外国語は重要なのだ。日本語という鈍い包丁でスイカを切ろうとしていたわけだ。他の言語にしたらスパスパ切れたりする。つまり、考えの結論がたやすく出る。

これは、日本語という包丁だけを持つ人には、わからない。

だから、遊びたいのを我慢して学習したことの無い人には、人生とは、ただ合法だろうが不法だろうが自分にいかに利益を掻きこむかだけの手段になる。

ま、せいぜいダボハゼのように無節操にがぶついて儲かってくださいな。

 

タイトルは、『あまりにも遠くに来てしまった。引き返した方がよさそうだけどいまさら自分の生き方を変えられない。崖に向かうしかないが俺はもはやこう生きるのが美学なのだ。』と、友達が戻ろうというのにカッコつけて拒否するパターンだ。韓国人が好む男の美学だ。

子供もよく使うが、それはたんに縄張りを越え、隣町に足を踏み入れたときの言葉だ。『さあ皆で帰ろう。』という意味は、大人が使うほどの究極の判断ではない。

大人たちがする苦渋の決断は大人であってもダボハゼには理解は無理だ。ペットと車と酒と仕事のためだけに生き教養をつけようとはしない。ただの霊長類だ。正確に言うとメクラチビクロゴミ虫だ。

いつ悩んだ。いつ選択の岐路にたった。ああ、あるな。AのペットかBのペットか悩んだな。軽のグレードで悩んだろう。

ほんと、犬の写真を並べて自分の能天気をさらし単語を並べた日本語で、どうして満足か。日本では痴呆は老人だけのものではない。