チェロVcの代わりにコントラバスCbが入った珍しいバンドだ。
Cbは、弦の仲間だが少し生い立ちが違う。Vcをそのまま大きくしたように見えるが、異なるものである。子猫がVnなら中猫がVla、大猫はVcだろうが、Cbはトラの子供だ。
4000年前のエジプトの壁画にある楽器は、現在楽器の主流ではない。2500年前のギリシアの彫刻にある楽器もそうだ。
さらに2000年たってヨーロッパの中世においても、現在の中核をなす楽器群とは異なる。ほんの500年前のことだが、楽器は、試行錯誤の状態だった。
いろんな不合理な生き物が地上を埋め尽くした時期がある。カンブリア期だ。Cbはいわばカンブリア期を細長く生き残ってきたといえる。
(Cb,コントラバス)
風船みたいに膨らんだVn、裏板が波打っているもの、魂柱が2本あるもの。百花繚乱に自由勝手な楽器が在った。が、このカンブリア期に淘汰される。
クラッシックとは古典だが古典的ではない。音楽はすべてロマン派であり楽器自体を考えても保守的であったことはない。
symphonyならともかくensembleで猫バンドを作るとき、大猫を飛ばしてトラの子供を入れたわけだ。このCbは音階が広くやはり低音すぎるのでharmonyになりにくい。音色が違う。デシベルは大きくとも人が感じる大きさとは異なる。早い音の変化にはついていけない。体力的に大曲を弾くには伴奏が限度だ。
などとハンディーはあるが、そんなら3/4とか1/2のCbがあればいいしこれで演奏する人もいる。そうなるとCbのよさも分かってきてCbは確固たる市民権を得た。
5本弦のときもあり4本弦のときもある。はじいても弾いてもよし。Vcの弓を使うのもよし。それどころか統一的な調弦の約束もない。
(Vc,チェロ)
つまり遅れてきたこのバイオリンの怪物はいまだカンブリア期にすみ自分のあり方を模索している。
大好きだ。大きい図体で弦の数からも自由に生き、調弦も作曲家にその身をゆだねている。
500年前に完成したバイオリンVn、ビオラVla。プラスCb。アンバランスな組み合わせだ。が好きに弾いていけない決まりはない。物事をひとつに決め付けないWienの風が心地よかった。
聴衆のレベルも高く、柳川市民会館のようにパシャパシャ手遊びをする気違いはいない。
文科省は学習せよ。音楽ではそろえないところにこそ芸術性がある。勝手に弾いていいのだ。下手ほどそろえたがる。
Vn,Vla,Cb. この奏者たちは世界最高の奏者たちだ。シュトラウスⅡの曲をなかなか弾き始めないのでどうしたのかと思ったら、楽譜(譜面)を忘れたそうだ。
本当はいやというほど頭に刻み込んでコンサートに望む。だから楽譜(譜面)のしわの位置まで覚えている。つまり譜面なんか要らない。彼らがためらったのは観客に失礼になるからだった。