か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

(Vn) (Vla) (Cb) ”Ensemble Wien”

2016年03月29日 | 音楽

 

チェロVcの代わりにコントラバスCbが入った珍しいバンドだ。

 

Cbは、弦の仲間だが少し生い立ちが違う。Vcをそのまま大きくしたように見えるが、異なるものである。子猫がVnなら中猫がVla、大猫はVcだろうが、Cbはトラの子供だ。

4000年前のエジプトの壁画にある楽器は、現在楽器の主流ではない。2500年前のギリシアの彫刻にある楽器もそうだ。

さらに2000年たってヨーロッパの中世においても、現在の中核をなす楽器群とは異なる。ほんの500年前のことだが、楽器は、試行錯誤の状態だった。

いろんな不合理な生き物が地上を埋め尽くした時期がある。カンブリア期だ。Cbはいわばカンブリア期を細長く生き残ってきたといえる。

(Cb,コントラバス)

風船みたいに膨らんだVn、裏板が波打っているもの、魂柱が2本あるもの。百花繚乱に自由勝手な楽器が在った。が、このカンブリア期に淘汰される。

クラッシックとは古典だが古典的ではない。音楽はすべてロマン派であり楽器自体を考えても保守的であったことはない。

symphonyならともかくensembleで猫バンドを作るとき、大猫を飛ばしてトラの子供を入れたわけだ。このCbは音階が広くやはり低音すぎるのでharmonyになりにくい。音色が違う。デシベルは大きくとも人が感じる大きさとは異なる。早い音の変化にはついていけない。体力的に大曲を弾くには伴奏が限度だ。

などとハンディーはあるが、そんなら3/4とか1/2のCbがあればいいしこれで演奏する人もいる。そうなるとCbのよさも分かってきてCbは確固たる市民権を得た。

5本弦のときもあり4本弦のときもある。はじいても弾いてもよし。Vcの弓を使うのもよし。それどころか統一的な調弦の約束もない。

(Vc,チェロ)

 

つまり遅れてきたこのバイオリンの怪物はいまだカンブリア期にすみ自分のあり方を模索している。

大好きだ。大きい図体で弦の数からも自由に生き、調弦も作曲家にその身をゆだねている。

500年前に完成したバイオリンVn、ビオラVla。プラスCb。アンバランスな組み合わせだ。が好きに弾いていけない決まりはない。物事をひとつに決め付けないWienの風が心地よかった。

聴衆のレベルも高く、柳川市民会館のようにパシャパシャ手遊びをする気違いはいない。

文科省は学習せよ。音楽ではそろえないところにこそ芸術性がある。勝手に弾いていいのだ。下手ほどそろえたがる。

Vn,Vla,Cb. この奏者たちは世界最高の奏者たちだ。シュトラウスⅡの曲をなかなか弾き始めないのでどうしたのかと思ったら、楽譜(譜面)を忘れたそうだ。

本当はいやというほど頭に刻み込んでコンサートに望む。だから楽譜(譜面)のしわの位置まで覚えている。つまり譜面なんか要らない。彼らがためらったのは観客に失礼になるからだった。

 

 

 

 

 


学校には、問題が山積。

2016年03月26日 | 教育

僕がはっきりと確認した問題、もしくは一次資料に関してのみ書く。

 

時とともに証拠は散逸し当事者は死ぬ。みずからの汚点を後世に残そうとする人はいない。あの世まで沈黙を保ち汚点を隠すことで真相は闇に向かう。

わずかでも自分の不利益になろうものなら、どんな悪事すら隠そうとする。それがおおよそ多数の人間の行動だ。ただ、許されることではない。

だが、いくら僕でもすべてを克明に細大漏らさず記録しているわけではない。記憶も薄れ、証拠を出せという声に対して反論しにくい場合も出てきた。

しかし、同僚が、研究の内容を県教委から咎められ自殺したとか、パワハラに会い辞めていったことなどは忘れられない。

文科省は、牧枝日教組の時代に手ひどい仕打ちを受けていた。たとえば、校長人事権、新採人事権、校内人事権はすべて組合の管轄化にあった。だから馬鹿でも組合員の息子は高校に落ちることはなく、その息子が教員志望ならかならず合格した。

なんと福岡県には定年すらなく、有名高校で定年を迎えると2倍の退職金をもらった。(第二退職金)

教師の授業は一週間で14時間が平均だが、組合にコネが効くと一週間の授業持ち時間数は2時間になった。予算措置を伴っていたのでどこにもしわ寄せが行かず誰も文句は言わなかった。持ち時間数0の人もいた。

高校の数が少なく偏差値60以下の公立高校はなかった。組合は表面的には、「全員入学を目指し子供の学習権を守ろう」とか言うのだ。しかし、バカが来るのを嫌ったのは組合員だ。馬鹿は私立に押し付けいわゆる「出来る」子を集めわが世の春を謳歌した。

その他有名進学高校校は予備校を経営していて、先生たちは勤務中に予備校に出向き授業もした。そこからの給料は本給を凌ぎなんと非課税だった。これは今もある。


 

こんなことをしていては、かならず揺り戻しが来る。皆がそれに気づいていた。つまり福岡県の教員は沈みゆくタイタニックに乗り豪華なディナーを楽しんでいたというわけだ。やがて、組合員はいなくなり泥舟は水に溶け出した。

ろうそくは明るいほど早く消える。20年ぐらい前から、週の授業時数は増え、研修が強要され、教員免許は期限付きになった。文科省は、先生方を何回もふるいにかけよい子=都合のよい先生だけにしようとする。

外に目を転じると、医者こそ研修が必要だし外科医等に定年制や資格試験がないのはおかしいことは一目瞭然だ。収入は、教員の収入とは二桁違う。教員は頭で教員になるが医者はカネで医者になる。

不条理に沈黙するのは共犯だ。

今、学校の先生たちは、天文学的競争率を潜り抜け教壇に立つ。かと思うと研修研修で採点業務は自宅に持ち帰り、いつも日が変わってからしか寝たことがない。

文科省も大人気ない。教職は専門職で、職人の世界だ。なのに文科省は、組合員の先生を管理しないと、いつまた組合の亡霊が・・・ とおもっているが、その組合独裁のデタラメの世界を知る人は少ない。


本来業務をきちんとこなせば楽しい学校でゆったりとときの流れる午後に、図書館の片隅で転寝をしてもいいではないか、と、僕は思う。

文部官僚の低能は知れ渡っている。戦いは済んでいるのだ。ヒステリーを押さえ矛を置け。

教える技術に公式はなく、下手はいつまでも下手だ。教科の違いを無視した研修なんかより、各先生が、学問的に高まる努力をすることが必要だ。

学校で見る夢はこんな夢が多かった。↓

 



Premium ensemble concert 原田哲男(Vc) 大山佳織(Vn) 井上真里(pf)

2016年03月21日 | 音楽

前二者は九響(九州交響楽団)の首席奏者だ。井上さんは大牟田で演奏活動をしている人だ。

大牟田とはなんてすごいところだ。昨日のコンサートは、ちょっと長い名前だが、第13回ありあけジュニアピアノコンクール上位入賞者特典コンサート、という名前だった。実はプロよりこのジュニアたちの腕前に感服した。

楽器も学問も、どんどん上達するものもいれば、いつまでも伸びずにやめていくもの、なんかのきっかけで急上昇するもの、あるとき打ち止めになるもの、様々だ。

残酷なことだ。小学校の勉強のように、まじめにやったものが最後は勝つとかいったウソを振りまく世界ではない。

どんなに頑張っても下手は下手だ。ぐんぐん伸びるやつは不真面目にやっても伸びていく。

ここからが大事なところだ。どうもこのブログの読者は最後まで読まない人が多い。みんカラは、とばして読むのか意味を取り違える人が多かった。

上手下手の話に戻る。実際は、伸びる人に不熱心、不真面目な人はいない。伸びる人は、そこまでピアノ漬けにならなくてもと思えるほどよく努力し、自分で自分の努力のコントロールができる。指の関節を悪くしたらあっという間に周回遅れのピアノ弾きになる。

ナイフエッジを歩くような修練を積んでいるのに、素人がよく言う「どうしたらうまくなるんですか。」という失礼な質問にも真剣に考える。

岡村 響(pf)さん。まだ高校生だが、音が光って流れているようだった。しかも、アンサンブルのとき、相手と息を合わせる音感は天性の才能といえる。異なる楽器が集まったアンサンブルというのは、本当はあまりやりたくない。どうしても相手が気になる。

弦と弾いているのにまるで連弾の様にアンサンブルに溶け込んで弾いた。しかもリハは2回しかしてない。

この人は大物になる。桐朋に行って各賞を総なめする。おうちの方は家土地をなくすことになるが人類のためだ。

来世紀になれば軍事費に8兆円も捨てる国は滅んでいる。本当の戦争抑止力は文化の力だ。Wienを守るため集団安保が大事だという人はいない。

Wienを守るためには楽友会館、Wien国立歌劇場があり続けなければならない。

 

 

 

 

 


旅をするなら (香港編予告)

2016年03月18日 | 旅行

 

ぼくは香港、とくに返還前、が好きだ。あるとき、まだ九龍城があってアバディーンに日本人が少なく、落馬州(ロウマチョウ)にはまったく日本人がいなかった頃、仕事(出張)で立ち寄った香港が気に入ってしまった。

こんな自由な都市があったのか。驚きだった。

自由と安全は無関係だ。ふつうの人々の中にすら泥棒がいてチンピラもいる。若かった僕は、カンフーに勝つはずはないが、気合で圧倒するんだいう根拠のない空威張りをして香港に乗り込んだ。

それを100回繰り返した。

からけんといえば韓国だと誤解する人がいる。僕の気持ちは韓国なんかにはない。ずっと、Hong Kong Yacht Culbやアバディーンの海岸にある。

パククネクネやアカヒやマスゴミやらであたまがいっぱいになってる人達は同じことをいつまでも言う。だが馬鹿のしつこさはとりえかも知れない。ま、坩堝の中でうごめくがいい。井底の蛙だな。馬鹿の一つ覚えか。ぼくは食傷した。

じつは、僕の関心事が韓国であったことはない。

関心事は常に香港に在った。香港大学の学生の鋭い頭脳、なんでもないことで人を刺す香港マフィアのよく分からない獰猛さ・・・ 乞うご期待。

 

いまは体の動きが悪くなったので危険だ。もう行けなくなった。楽しめるときに楽しまないとチャンスは二度と来ない。この僕ですらもっと遊べばよかったと思う。

満員電車の中ですり減らしているのは、体力ではない。人生だ。

貧乏人には分からないがひがみばかりではいつまでも貧乏だ。

じつは、宝くじよりはるかに高い確率で、貧乏から抜け出す手段がある。教養を積め。マンダリンの午後の紅茶をきちんといすに座って飲む。子供は静かに尋ねる。

「パパ、ケーキもらっていい?」

僕の子供の上品さを見よ。

おまいらの子供は大声を出し、親の許可なしに回転寿司の皿をレーンからかき集めるだろ。そこに貧乏から抜け出す可能性はまったくない。 下品だ。

 

 

 

 

 


石原岳保塁(ほるい)

2016年03月13日 | 国内政治

佐世保要塞の中のひとつで、歴代陸軍中将が配属された。中将といえば神様よりも偉かったかもしれない。700万陸軍のなかで中将の階級に登るものは、陸軍の歴史70年をトータルして500人だ。

つまり任意の年の帝国陸軍には50人、在職は10年程度なので、毎年5人程度が中将になった。

ぼんやり読んではいけない。700万人中の5人という数がお分かりか。まさに神だろ。その神を佐世保要塞に配置するのだから、軍はいかに西方に突き出したこの半島を重視していたのかがわかる。

完成1900年(明治中期)、西南戦争からまだ20年もたってないとき、帝国は大陸を見てニヤニヤしていたのだ。

佐世保港を取り囲むように、執拗なほど要塞がある。

石原岳要塞に行くには西海橋を通る。すぐ横には針尾の電波塔(送信所)がある。ニイタカヤマノボレを打電したといわれている。

この送信所は海軍のもので、防空施設が完璧だったためさすがの米軍も破壊できなかった。

ウソウソ。昭和19年になると中・長波の送信所は、この針生送信所を除いてすべて破壊されていた。米軍は日本軍の情報をつかむため一箇所になったこの送信所をあえて破壊しなかったのだ。

その証拠に日本は、ここで一体何機の米戦闘機グラマンを落としたか。 0

石原岳要塞も、どんな頭をしているとこんなバカなものを造るのか不思議だ。中将とか言っても耄碌していたのだろう。

小銃用の銃眼があった。軍艦に小銃で何をするのか。すでに、航空機の時代になってもこの要塞は火薬庫のすぐ上に砲をすえて戦争するつもりでいた。米軍のガンカメラフィルムを見るがいい。

グラマン(F6F)は遊覧飛行をし、ときどき退屈しのぎに住民を殺した。

ここも破壊する価値もないところだったが、小日本の陸軍は判断が遅かった。廃止したのは1930年だ。昭和になってやっとやめることにした。

この要塞が完成し4年して日露戦争が起こる。数千名の日本兵が毎日死んでいった。しかも陸軍は半年もそれを繰り返した。

石原岳の要塞はそこそこ大きいほうであるが、ロシアには数万人が、厚いコンクリートの下でレールに乗って快適に生活し移動する要塞があった。そのことは「中将」ですら想像できなかった。

旅順要塞。

 

 

 

 


ウソはしきりと絶叫する   16

2016年03月10日 | 韓国

水崎林太郎氏は韓国の農民たちのことを考え、灌漑施設を備えた寿城貯水池を作った人だ。われわれは、きわだった日本人の業績を韓日友好の象徴として後世にまで伝えなければならない。

大邱市の名所、寿城貯水池。昔の人には、ここで舟遊びをしたことが思い出されるところであり、現代の人にとっては、レクレーションあるいはスポーツその他の遊びを提供する、また違った意味でのありがたい場所だ。

寿城貯水池の向かい側に低い山への入り口がある。そこに大邱の人々ですらあまりよく知らない場所がある。ある日本人の墓である。

昔は、寿城貯水池を回り込んで見ることが出来たのだが、今は建物の一部にさえぎられて全体を見ることはできない。墓の主人公は、日本人の水崎林太郎。まさにこの人がこの池を作ったのだ。寿城貯水池と彼の墓は韓日友好の象徴でもある。

 

1914年、彼は日照りと洪水により荒廃した寿城の荒野を沃土にするために自身の私財と総督府からの支援により合わせて12000円(現在10億円相当)を寿城貯水池築造に投入した。水崎林太郎氏は、10余年の工事を経て現代的灌漑施設を具備した寿城貯水池を築造して大邱の農民達を大いに助けた。

工事の最中に池の築造に反対する人が投げた石が足にあたり、非常に苦しんだことも在ったという話が後日談のように伝えられている。そんな寿城貯水池は灌漑施設としての機能を果たしたのはもちろん、現在までも大邱の人々たちには思い出とロマンを伝えている。

 

水崎林太郎氏は1939年、この世を去った。生前、彼の遺言にしたがって寿城貯水池を見下ろす現在の場所に埋葬された。彼の墓は農民達が見守っていてくれたが、年月とともに墓は流され墓碑のみが残る状態であった。忘れてしまわれそうになったということだ。

このような事実を知ったソチャンギョ(徐彰·78)韓日親善交流会会長がかれの墓地を探し当て修理を始めた。また、顕彰碑も設立し現在の姿になったのである。その後、韓日親善交流会が水崎氏の墓を管理し毎年彼が没した日にあわせ、追悼式も行っている。この追悼式は日本にまで知れることとなり、多くはないが日本人たちも来たりしている。今年は水崎氏が没後70周年を迎える年だ。

韓日親善交流会では彼の忌日である4月13日、墓地で70周期追悼式を行った。この碑行事には日本側からタミスチシュウイチ(ママ)釜山駐在総領事、サガヤマユウジ(ママ)故 水崎林太郎顕彰会会長など日本人25名をはじめ韓日親善交流会会員、韓日多文化研究会会員等60余名が参加して水崎林太郎氏の功績をたたえた。韓日親善交流会側は今後近隣寿成韓江ホテルから墓に続く直線コースを作り、墓の周辺に植えられているイタリアポプラの変わりにサクラを植えるなど、墓を美しく整地することにも力を注ぐ計画だ。

ソチャンギョ(徐彰·78)韓日親善交流会会長は、「水崎林太郎氏は、心から韓国の農民達のためを思い灌漑施設を備えた寿城貯水池を築造した人だった。」といい「われわれは、思い出される日本人の業績を韓日友好の象徴として後世まで伝えなければならない。」と述べた。ソ会長は自身と夫人が死んだら火葬して遺骨を水崎氏のとなりに撒いてくれと遺言を残すほどだ。こういう人が何人もいたという。

                             ソウル新聞2011-01-31面                (からけん 訳)

 

 

次回用メモ  11ページから

 


太宰府汚れた 中国死ね

2016年03月08日 | 国内政治

 

クルーズ船という失礼な名前の難民船は、毎日の様に福岡に押し寄せ中国人を吐く。

そこまでなら悪くない。カネに飢えた日本の商売人が千載一遇の好機と皮算用をしている。商人の代弁者たる議会と目立ちたがるだけの市長は、波止場の増設を決めた。さて誰のカネだ。

どんなやつが来て、いくら爆買いをするかな。

昨日、内縁の娘と太宰府に行った。アクセサリーだのぬいぐるみに、キャーかわいい!、と突進するのを見て障害を持つ娘だとわかった。

この画像はよその立派な娘さん。向井理のような彼氏を連れていた。気が利く控えめな人だ。僕の娘と変わってくれ。

そこの商売人が言っていた。「中国人は思ったほどカネを落としませんよ」 あたり前だろ日本人、賢くなれよ。まるで支那人並みの頭だ。

爆買いが太宰府でも起こり梅が枝餅(天満宮名物)が200個/一人も300個/一人も売れるはずなかろう。おみくじを10回も引く中国人がいるか。

それを、あたかも免税店の象印や資生堂の暴利を招来できると錯覚している。太宰府は時間調整か息抜きにきている。

言いたいのは、目に見えない支那人狂想曲の経費だ。

誰が公衆便所を掃除している。引き抜かれた草花は金額に現れないが、許されることか。わがもの顔の大声は、経費にならないからいいことか。バス路線を中国人用に空港経由に変更したら目に見えないところで日本人が迷惑している。・・・

こういう公共物が落書きやキズで見苦しくなる。これらすべてが支那人が来る経費だ。誰も考えない。

9割が支那人の世界だ。1割の韓国人がおとなしく見えた。日本人は統計上無視できる。

 

すっきりしたかったので寿司を食った。参道から20メートルのところにあるが、中国人は来ないそうだ。

誰かが福岡に上陸する前にパンフレットを配るべきだといった。僕が馬鹿か、と言っても納得しなかった。脳に深刻な障害がある。

 

 

 


「国際市場で会いましょう」(韓国映画)

2016年03月06日 | 韓国

日本の白菜は努力する。こんな色して、そのまま食えた。十年一日、同じことに吠え続けるのはるのは白菜より馬鹿だ。

映画。

日本映画とは、力の入れ方が違う。韓国に旅行した人は、ほんの30年前まで韓国の町並みを見て、「こりゃ日本の40年前だな。」と誰しもが思った。

しかし、韓国には「なにくそ負けるもんか」という火種がくすぶっていたのをのを、見逃してはいけない。

縦長の狭い画面に、つぎはぎだらけの白黒フィルム。だが海の向こうの島で、暴力映画か冗長な時代劇。若い建さんに日本人が夢を見ている頃、半島ではいつも雨降りのスクリーンで、今に見ていろと映画を作った。経費、役者、ロケ地、セット、・・・すべてが不足する中でメガホンを握り締めていた。

1feetも無駄に出来ない極貧映画におろそかな脚本を用意できようか。

所詮、映画は、夢を見ることなのだろう。出来れば尾を引く夢を見たいものだ。この娘が出る映画についてはまたの機会に。

話を戻して、

波はあった。

安部のじいちゃんが反共産主義の一点で韓国と野合し、軍人大統領と日韓議員連盟を作った。この頃、低能社会党、落ちこぼれ民社党は青筋を立てて韓国との交流を非難した。

朴正熙は、一体、何人殺す気だったのか。「磁石は北を指す」と言ったら反共法に引っかかった。そんな中で命がけで自己主張をしようという国の映画と、面白半分のガキ相手金儲めあての国の映画とは異なる。その彼も射殺された。当たり前だ。軍人は弾で死ぬ。

人々は現実から逃げるため「ダンスホール」に通った。しかし、それが可能だったのは大多数の人々が血の涙を流して働いていたからだ。

パククネの時代になると、映画関係者は、映画人にとって天国が来ると思った。ところが、スポンサーという強力な介入者が出現し、映画人も自主規制という名の権利放棄をしてしまう。

「採算が取れない」ということは、「投獄される」より強力な足かせだった。

すなはち、一部の日本映画のようなカネばかりかけた、ガキが喜ぶ映画が巷にあふれ出した。ある監督と話したとき、「それは政治弾圧よりこたえた」と語った。

もちろん、三谷さんの作る上質な笑いの世界は、まだ韓国には無理だ。それどころか単純に駄作も多い。

ところで、韓国を悪く言うと喜ぶ人生の落ちこぼれどもは、「お前はどっちの味方か」という視点しか持たない。 

去れ。事実ではなくその事柄の意味の話をしている。

 

5年ぐらい韓国映画は不作だった。その間、TVドラマが全盛で、下品で、内容のない、コネで主役についた、アホブスが演じる、ぐちゃぐちゃメロドラマが、韓国でも人気があった。

スポンサーの顔色ばかりうかがって政治色のない「好いた惚れた」の愛憎劇に終始する。それをババアが見て「もしもあの時・・・」と、自分のありもしない青春と重ねる。

そこで今回の映画。まだ新しいので日本のレンタル店には「新作」で出ていると思う。

韓国では最高の観客動員数だ。この映画はそのまま韓国の戦後史だ。

最後の言葉が耳についてはなれない。「お父さん、約束は守ったよ。だけど僕にはつらすぎたよ。」

彼は60年間、国際市場で北に残された父を待ち続けた。そんな片隅の人間がじっと家族を待っていただけなのに、彼は時代に翻弄され続けた。

 

 

 


ひがみを克服するには

2016年03月03日 | 思想

オウム真理教の浅川教祖が、あるとき、ふとわれに帰った顔をしてこう言った。オウムが波野村にいた頃。

浅原の語り

「悟り」あるいは「解脱」、どういおうとも純粋な自己の発見の最大の障害になるのは、本人の劣等感である。私の場合は東大に通らなかったという事実が障害になった。1%も邪心がないのかと自問自答したとき、すなはち、天地神明にちかって「解脱したのだ」といえるには、東大に落ちたという事実を心に引っかかったままにしておけなかった。

                                              ここまで

 

すでに十分な権威を獲得していながら彼がこう語るとき、彼は、うつむいて照れたような姿を見せた。

僕はむしろ、そのときこそ彼の心の昇華の過程が、見えるのではないかと期待した。少なくとも個人としての浅原が正直に弱さをさらす面には共感した。

「人を騙して喜捨と称する泥棒をはたらいている」「解脱を助けるためと称して人殺しをしている」・・・などの声にかき消され、浅原もすぐに教祖の顔に戻った。

僕も唯一の親友が出家信者として帰ってこなくなった、が、帰せ帰せばかりでなく信仰のカラクリを知りたかった。

 

<引用開始>

佐賀広域消防局は19日、マンションや駐車場などの賃貸収入で年間約7千万円を得ていた北部消防署警防1課富士出張所の男性消防副士長(43)に対し、兼業を禁止する地方公務員法に違反したとして減給10分の1(3カ月)の懲戒処分にした。            佐賀新聞 1月19日(火)

                                         <引用終わり>

 

佐賀らしい、じつに佐賀らしい。それを言うならお寺の坊主が定時制の教師をしているのはいくらでもいる。もっと明白なことでは、全日普通科の教師で日曜百姓をしているものはさらにいくらでもいる。

なぜ処分しない。年収7千万を悔しがることは地方公務員法に違反する。つまり、全体の奉仕者が特定のものの収入だけを問題にすることは許されない。ひがみ根性ここに極まれり。

憲法。教育基本法。および教育関連諸法が最も留意しているところだ。実は佐賀県教委は、パンドラの箱を開けたのだが佐賀では問題にならないところが佐賀だ。

日曜百姓と言っても7千万程度の者のはいくらでもいるぞ。教員の収入なんてお寺の収入に比すればアルバイト以下だ。

なのに7千万かせいだからといって本務の収入を減給するとはひがみだけの行動だ。佐賀に将来はない。

法の下の平等だ。事務職でありつつ自民党の運動員をしたらいけない。官僚の選挙運動をしたらいけない。百姓と二股かけるな。坊主と二股かけるな。

それらが是正されるなら、アパート経営なんて辞めてやる、あるいは火消しなんて辞めてやる。

 

人権どもが発狂する言葉を言ってやろうか。  片手落ち