か ら け ん


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それは公権と私権の戦いだった。室原知幸(むろはらともゆき)

2013年01月30日 | 社会・経済

1953年6月福岡県筑後地方を豪雨が襲う。160名あまりの死者を出した。この豪雨により、一気にダム建設の機運は盛り上がった。

ほどなく55年に日向神(ひゅうがみ)ダムは建設に着工した。水系は異なるが下筌(しもうけ)ダムのそばにあるダムである。今日はそこまでドライブに行って来た。落下式のみならず導水式の水力発電をする。ただ、合わせて6000kwだから今となっては、ままごとだ。1963年に完成する。

隣の下筌(しもうけ)ダムは規模が大きい。15000キロワットの発電をし洪水調整も目的にしている。筑後川水系だ。

ところがこの下筌ダムは水害から14年たっても着工できずにいた。今は完成したダム湖を渡ると室原という地名の村に出る。そこから行けども行けども針葉樹の美林が続く。その村には室原姓が多い。

建設省は住民を舐めたまねをした。どんな山奥に住んでいようと、きちんとした教養を積んだ紳士はいるのだということを、下品にも理解できずにいた。札束でほっぺたを叩けば低能住民は「はい」というものだと確信していた。もちろんわかりの悪いバカもいるだろう。そいつらに対しては土地収用法で脅せばいい。変に反対運動をしていたら二束三文でお前の土地は収容(用)するぞ、と。

反対する住民の根本的心情は「不安」にある。この不安を解くために建設省は十分な努力をしたとはいえない。逆の立場からも動員された人たちがいる。この住民の[不安」を利用しようと、折からの安保反対闘争をしていた労組員が動員されてきた。現場の建設作業員の代表では決定権がない。巷のなりあがり似非右翼は、お国の方針にたてつく奴らは「アカ」だ、と罵った。

かくしてダム反対闘争はこじれにこじれていく。

ひと雨降れば杉の木が直径何ミクロンか大きくなる。ところが彼の所有するその杉の木は500haある。つまりひと雨100万だ。彼は十分な資産家の家に生まれた。早稲田を出た彼は法律の知識を生かし命がけで抵抗する。彼をそこまで駆り立てたものは何か。

そもそも、彼が公権力に勝とうはずはない。知識も能力もある彼にそれが分からぬはずも、またない。それでも彼を突き動かす信念はこうだ。

「公共事業は理に叶い、法に叶い、情に叶わなければならない。」

建設省は理と情を無視した。つまり、室原はこれが許せなかったポイントである。私権と公権の戦いであることを最初っから認識していた。所有権に対する国家権力の優位は、20世紀においてたしかに寛容になってきた。そうでなければ社会権的基本権の存立の余地はない。

しかし、乱用が許されたことはない。その乱用は理と情の蹂躙という形をとる、というのが室原の主張であった。

公共の福祉(全体の利益)の下には基本権(人権)は制限されることが多い。しかし、お上がひとたび公共の福祉を振りかざせば私権は無制限に制限されるといった考えは許されない。

端的に言うと、公共目的の遂行のため、公共の福祉というファシズムにつながる概念を乱用することは許されないのである。

室原はやみくもにダム反対をしたわけではなかった。彼のプランとしては室原(地名)一帯の総合環境改善プランがあった。動員されたロボット労組員たちの、ハトが豆鉄砲食らった顔が目に浮かぶ。政府側も決定権のない下級役人を出してきて、話し合いをしようというのは欺瞞的だ。室原が望んだのは実効性ある話合いであり「蜂の巣」ではない。当時、環境とか公害反対といえば即座に「赤」呼ばわりされた。それが20世紀の島国の現状だった。室原の先見性に気づいた人は支援者の中にも多くはない

そこのけそこのけお馬が通る、と建設省が通るとき、彼は確実にファシズムの足音を聞いていた。67年、ダムはできる。しかし、彼の死後、伝家の宝刀、土地収用法は改正され公権力の恣意的乱用はできなくなった。

室原のこの戦いがなかったら土地収用法の改正はなかっただろう。権力がこの土地収用法の発動に慎重になったのは、下筌ダム反対闘争があったからだ。そうでなかったら山は今以上に不要なコンクリートで覆われていたはずだ。

ネトウヨにしろそこらの右翼にしろ、およそ右翼たるものは彼の主張に同意するはずだ。なぜなら室原は所有権(私権)の国家権力(公権)に対する優位性を示す先兵たろうとした。

あらゆる権力が国家に集中する制度を民主集中社会主義という。つまり社会主義という国家だ。なぜか労組員が動員されてきて所有権の優位を叫ぶという倒錯した構図になった。

一方、右翼も自虐性を持つ。守るべき資産もないくせに日の丸を振って「アカ」を批判し、チンピラ資本家の仲間入りができたような錯覚はするな。

あの世で彼は満足だったに違いない。日の丸は、窮鼠が猫を咬むと怖いことを学習した。

有象無象のヒステリーには国も室原も迷惑した。

 
 
 
 
 
 

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