か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する 115

2024年05月20日 | 韓国
<前回のつづき> 

この歌では「ファミレミミ」という音程で急に変化する「追って追いまくる」という部分があるのだが、そこが一番難しかった。いつも間違って歌うクラスの子供がいたので何時間も繰り返し練習した記憶が今でも生々しい。このようにおさない時期に私たちの世代は北傀(北朝鮮の蔑称)共産党を赤いオオカミにたとえ不倶戴天の敵と考えてきた。今は時代が変わり6月になっても誰もこの歌を歌わない。我々はもはや北朝鮮の傀儡の頭目さえ冗談をよく言う人だとわかったし韓国のテレビを楽しんでいるという事実も知った。


このように反共イデオロギーはいつの話かというほどに消えてしまったが反日イデオロギーはいまだ相変わらずである。このごろは政府の策動により日ごとひどくなっているようだ。書店でいくら探しても日帝時代(日韓併合時代)の韓国社会を地道に客観的に記述している本を見つけることは困難であるし、そのかわり独立運動史、反日抗争史、親日派研究、反民特委研究、挺身隊研究というタイトルをつけた本があふれている。仮に日本が大変な間違いを起こしたとしてもこの状態はとんでもなく深刻な知識の偏向に他ならない。



韓国に住んでいた一介の国民からすると、日本は朝鮮王朝を継承した新しい統治者であるのみなのだ。人間以下の生活条件のもと一日一日をいかに生きながらえるかという状況(人民)にとって朝鮮王朝は消えてなくならなければならない存在だったのだが権力を維持しようとする既得権勢力は存在だったのだが権力を維持しようとする既得権勢力は変化に対し必死になって抵抗した。これに対し朝鮮の愛国者たちは日本と協力し朝鮮王朝を倒し近代化を成し遂げようという道を選択したのであった。


19世紀中盤まででも朝鮮と同様に鎖国政策をとり通商を拒否していた日本は米国の強圧により門戸を開いた。そののち奇跡のように発展し19世紀末になるといつしか列強の一員に上りつめた。当時日本は朝鮮半島と満州の覇権を握り日清、日露の戦いにつづけて勝利することで世界を驚かした。



ロシア英国フランスに代わって隣国の日本が朝鮮の支配者になることは我々の立場からして幸いなことであった。英国フランスはアジアを侵略しインドとインドシナ地域を長い間支配したのであるが彼らが去った後はインド東南アジア地域に残ったものはあいかわらずの貧しい植民地農業経済のみであった。一般的に言って植民母国(宗主国)において植民地とは原料供給基地と工業製品の販売市場としての意味しかなさないものだ。これは永遠の搾取を意味する。



一方、日本にとって朝鮮は単純な植民地ではなかった。朝鮮は日本が大陸に進出するため占領しようとした戦略的地域だった。日本にとってはロシアの侵略を防ぐ前進防御基地であったし、大陸に進出するための前哨基地でもあった。そして紆余曲折の果てに多くの犠牲を払い朝鮮を合邦した日本は、あとになり時も流れ朝鮮が独立するなどとは考えなかったため、朝鮮を植民地ではなく新たに拡大した日本の一部であると考えたので莫大な投資を惜しみなくした。

<つづく>


最新の画像もっと見る