か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する   41

2018年04月20日 | 韓国

<前回からの続き>  ソウル大学教授の見解::イヨンフン教授ソウル大教授

1904年のことだ。スウェーデンのアーソンクラブストという新聞記者がソウルを訪問して数か月とどまった。ある日彼は朝鮮の刑罰制度がどうなっているのか気になって国税庁のある鐘路1街にあるにある典獄署に行ってみた。

彼を迎えた典獄署の責任者は、クラブストの体に角が生えていないのをにひどく不思議がってとても長時間身体検査を詳しく行った。(キムサンヨル訳 「コレアコレア」未完 1986 224-225ページ)

当時の典獄署の責任者というのは今日のソウル刑務所の署長に該当するのであるから中央部署の局長級だ。そんな高位官僚が、1904年のその時まで西洋人の体には角が生えていると思っていたのだ。この例は当時まで、朝鮮王朝の知識階級が世界の実情をいかに知らなかったかを端的に物語っている。

 

朝鮮の王と支配階級が閉鎖的で観念的な世界観により対外関係を見誤っていたかという批判は、実はあまりにもしょっちゅうなされてきたために、いまさら言いだすのが恥ずかしいほどだ。そこで具体的な各論に入りどの対外関係をどのように誤っていたのかを明らかにしていく。このとき研究者たちの意見は大きく分かれる。例えば1884年、金玉均らは日本の支援を期待して政変を起こしたという理由からは、彼は否定的に評価されている。反面主として外交関係学会の研究者たちは、当時朝鮮が中国に隷属していたために金玉均朝鮮がら起こしたことは不可避だったとよい方に評価している。私は後者の考えが正しいと思う。

 

1876年以前、朝鮮王朝は朝貢と冊封に象徴される中華帝国の中の諸侯として存続していた。中国の執権者たちはそのような諸侯国であっても広い意味で中国であるとみなしていた。このような伝統的国際秩序に明治維新以後の日本が挑戦をし始めたのだ。1876年、朝鮮と日本の間に通商条約が締結されたのであるが、その1条には「朝鮮は自主的な国であり日本国と平等な権利を保有する」とある。この条文には朝鮮はこれ以上中国の諸侯国ではないという日本の立場とそのような日本の要求を自由意思で受容した朝鮮の意志がすべて込められている。朝鮮が日本の要求を受容したことは以前から日本との関係に基づき自主的に対等な外交をしてきたからだ。

 

ところでこの条約以後にも朝鮮は中国との事大関係を清算しなかった。朝鮮は日本との外交文書において中国を指すときは上国という言い方をしきりとした。朝鮮の執権者たちは一方では自主的な国であるといいまた一方では諸候だという二重の国際意識を何の違和感もなくそのまま持ち続けた。これに対し日本は強力に抗議した。朝鮮国内においても中国との外交を対等な関係に変えなければならぬという開化派の主張が起こり何かしらの望ましい方向朝鮮への変化が動き始めた時代であった。

 

<次回用メモ>  Ⅱ. 도덕적 세계관, 잘못된 일본관  “청년들이여, 낡은 역사관을 버려라”   그렇지만 1882년에 우연히 발생한 임오군란から【 서울대 교수들의 견해 】 (35

© からけん


北朝鮮が攻めてくる 戦争に勝てる国になろう

2018年04月06日 | 国内政治

狭い国土にあふれる人口。嘘を繰り返すとバカが真っ先に喜んで狂いだす。

その次はこういった。王道楽土、無限の沃野。これは出かけない手はない。早い者勝ちだということをあおり、バスに乗り遅れるな、満州は帝国の生命線だ。内地は人が多すぎる。

そこを占拠する傲慢不遜な軍閥。これは膺懲(懲らしめ)しなければならぬ。その後はわが皇軍に守られた優れた大和民族が八紘一宇のもと未開の愚民を領導するのだ。なあ大和の臣民たち。

 

その結果の地獄の引き揚げ。関東軍は飛行機で2時間で内地へ。庶民は死ぬか2年がかりで博多湾についた。

講演で、空襲の場面は岡山空襲をベースにしているという

 

現代に話題を向けると、仮に北のミサイルがまともだとしても、迎撃は数学的に不可能である。しかも北はそんな金のかかることはしない。日本に向かう旅行者に病原菌を注射する。潜伏期のうちに散々歩き回って死ぬ。伝染は絶望的拡散をする。在日はこっそり予防注射を打っておく。

どこかの臣民は天皇のために死ぬのを当たり前だと考えていた。同様に金正恩のために死ねないはずない。

どこの戦闘機がどうしたと騒々しいが、近代戦において空中戦が起こることはない。飛行場を離れたとき勝負はついている。軍事雑誌は安倍のポチだから都合が悪いことは言わなくなった。

バカは写真を見てカッコイイと楽しんどけ。

 

とにかくアメリカからの石油で国が動いていたのに、その石油を止められ国内に残ったアメリカの石油でアメリカと戦争をした。石油の生産力。最初。 700対1  やがて。2000対1

 

高畑勲さんが死んだ。神奈川新聞の正月の記事に彼の言葉が乗っていた。僕はバカを完膚なきまでに罵倒することを使命だと考えるが、彼は穏やかな中に重厚な言葉で反戦を訴えていた。

<引用> 

 原爆をテーマにした「はだしのゲン」もそうですが、日本では平和教育にアニメが用いられた。もちろん大きな意義があったが、こうした作品が反戦につながり得るかというと、私は懐疑的です。攻め込まれてひどい目に遭った経験をいくら伝えても、これからの戦争を止める力にはなりにくいのではないか。

 


 なぜか。為政者が次なる戦争を始める時は「そういう目に遭わないために戦争をするのだ」と言うに決まっているからです。自衛のための戦争だ、と。惨禍を繰り返したくないという切実な思いを利用し、感情に訴えかけてくる。


 「戦争をしたとしても、あのような失敗はしない。われわれはもっと賢くやる。70年前とは時代が違う」とも言うでしょう。

 本当でしょうか。私たちは戦争中の人と比べて進歩したでしょうか。3・11で安全神話が崩れた後の原発をめぐる為政者の対応をみても、そうは思えません。成り行きでずるずるいくだけで、人々が仕方がないと諦めるところへいつの間にかもっていく。あの戦争の負け方と同じです。 


 再び戦争をしないためには、あの戦争がどのように進んでいったかを学ばなければならないと思うのです。


 私が戦争中のことをどれだけ知っているかと聞かれれば、大したことはない。でも、安倍晋三首相よりは知っています。