か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する 83

2021年09月21日 | 韓国
<前回のつづき>

柳寛順を読んで(1999.8)

柳寛順おばあさん、こんにちは。母や父はおさないころおばあさんを柳寛順お姉さんと呼んだんですよ。しかし、私はおばあさんの一生が書かれた本を読んでおばあさんが1904年に1904年の生まれたことを知りました。ですから今年で95歳で称だからっ私はおばあさんと呼ぶことにしたのです。

昔、日帝時代(日韓合邦期)人々は起こったすべての蛮行は話や本、記事などを通じてたくさん知っています。1919年、おばあさんが故郷に帰省し独立万歳運動を繰り広げたとき16歳だったそうで私はとても驚きました。私は16歳になった時果たして何をしていたのか考えてみました。

ほかの平凡な少女たちのようにきれいな服を着て面白い本も読み勉強がきついと駄々をこねていたかもしれません。日本軍につかまってあらゆる拷問を受けお亡くなりになったおばあさんを思うとその苦痛をどのように耐え忍ばれたのか私は体が震えるほどです。

今独立記念館に行けば日本軍人たちがわが国の人々を拷問していた様子を人形で再現している場面があるっそうです。その場面は見ただけでも鳥肌が立つほどだそうです。そんな苦痛の中でも何がおばあさんに国を愛する気持ちをしっかりと持たせてくれたのかと思いました。

おばあさん、実際私は少し恥ずかしいです。おばあさんをはじめほかの方々の価値ある犠牲によって私がこのように穏やかに生きていることができているという気がしなかったのです。私は今その当時とは異なる状況下でどうすることが国を愛することかを考えています。

勉強を熱心にすることですか?お父さんお母さんの言うことをちゃんと聞くことですか?きまりをちゃんと守ることですか?……なんだかバカらしくなってきます。しかし、両親は言いました。つまらなく見えてもこういうことが集まってこそ大人になった時、国のために大きなことができるようになる力がつくのです。それなら勉強頑張りましょう。

国を愛する心を教えてくださったおばあさん、ありがとうございます。天国でも健康で幸福にお過ごしください。私は私に任された仕事に頑張ります。おろそかに医師内でしっかりやりぬく子供になるよう努力します。
                     さようなら。


このように毎年3.1節(万歳独立運動事件)が回ってくると教科書で悪辣な日本軍憲兵(警察をあえて韓国の教科書では憲兵と表記している。)が柳寛順を傷めつけたのか、彼女が日本警察の残酷な拷問に耐えられずどんな死に方をしたのかを詳しく聞かせる。逮捕され両親を殺され兄も逮捕され、家も焼かれて亡くなったと習う。そのあと柳寛順お姉さんに手紙を書き、柳寛順の歌を歌ったりもする。通常教師がふつうに教えていたら、大方このような子供たちはたいてい子供たちはこの歌を歌いながらむせび泣くだろう。私もおさないころ毎年柳寛順の歌を歌いながら泣いた記憶がある。

これは昔韓国で共産党をけだものにたとえて描いて反響イデオロギーとするとき学生たちに植え付け洗脳するとき、学生は絵を描くたびに共産党の顔をオオカミに、皮膚は赤く描いたのと同質のことだ。その時の共産党の立場に日本が立たされているということだ。独立記念館や柳寛順記念館、あるいは3.1運動の発生地であるパゴダ公園などにある彫刻とか絵画には例外なく日本軍が万歳を叫ぶ朝鮮人たちを刀で刺し殺す場面が刻まれている。このような遺跡のみならず一般の教科書とか新聞などにも同様の事柄を通j過去の暦所を教えている。このように慰さない時から学校や家庭、あるいはTV、本を通じて日本を卑下する洗脳教育を受けて育つのが韓国人であるために彼らがその後日本に対しい友好的な感情を持つということはほとんど不可能になる。


<次回用メモ>  [2-3.해이그 밀사 사건](ハーグ密使事件)[1-3]半日の狂気 P52 から

佐賀県 大町町 水害 

2021年09月17日 | 社会・経済
毎日新聞 2021/8/16 20:33(最終更新 8/16 20:34)

 1級河川の六角川が氾濫し、2年前に続いて広範囲に浸水した佐賀県武雄市や隣の大町町では16日、時折強い雨が降る中、住民らが泥につかった家財道具の片付けなどに追われた。
<引用終わり>


半年分の雨が一度に降ったので洪水になった。2年前の被害と同規模で、被害額は300億円以上に上った。

これは2年前の画像。
佐賀鉄工からのオイル流出は被害を大きくした。が、実際はノリ養殖への被害を恐れた国交省が排水門を開けなかったから堤防の内側に大量の油がとどまったのだ。

住民が水攻め油攻めにあうことより、国交省の関心はノリ被害にあった。

国交省は威張る前によく考えろ。油は水より軽い。排水は川底から行う。排水口をあけても問題ないという現場の声は無視された。


僕は水害の原因を特定することはできないが、「雨が降ったから」というバカ丸出しの理解にはあきれてしまう。思考力がないとこういう理解なんだなと思った。



農業用水の地下水利用が始まる前にもこの程度の雨は降っている。しかし洪水は起きても規模は小さかった。

最近の気候変動により降水量が増えたのが原因の一部であること。それは、ある程度了解できる。しかし、それが主たる原因であるということは言えない。

気候変動は大町町だけに起こっているのではないからである。


国交省のお粗末対応が被害を拡大させたといえる。しかし、それも主たる原因ではない。


主因は、地盤沈下である。

←川が氾濫したのではない。川が氾濫を食い止めている。洪水域の水位は川の水位より低いのだ。つまり地面が下がったのだ。


隣接する佐賀市と白石(しろいし)町は深刻な地盤沈下に対応するため、地下水利用を制限した。すると地下水利用量の減少と比例して地盤沈下はやんだ。

白石町の玉ねぎは地下水を吸って成長していたのだ。

何百年のタイムラグを伴って脊振山系の降った雨が佐賀市周辺の筑紫平野の地下に蓄えられていた。それを数十年で吸い上げてしまったのだ。

最大沈下は調査開始から現在までに6メートル。2.5メートルというところは広くある。国交省、環境省、佐賀県・・・縦割りどもの調査にすら明示されている。




タコが自分の足を食っていたのだ。

この地方に行くと川にかかる橋がせりあがっているところをよく見る。その段差は鋭くとがっているので補修を何度も繰り返した後がよくわかる。それでもクルマは跳ね上げられる。

橋がせりあがったのではない。道路が沈下したのだ。民家や商店と道路には段差が生じてない。一緒に沈んだから。橋も沈下してはいるのだが、頑丈な地下杭のおかげで沈下度が低い。

ほかにも原因がある。無秩序に掘り進めた炭鉱の坑道。この実態は誰にもわからない。大町町やその周辺には中小の炭鉱がひしめいていた。炭鉱跡で地盤沈下が起きていないところがあるだろうか。このことは断言できないが、行政は考える材料の提供をためらってはいけない。
中小の炭鉱は坑道を埋め戻していない。このボタ山の数倍の石炭が掘り出されたのである。地下に巨大空間があるのは必然だろ。



少なくとも有力団体の意向を忖度して水門を開けない国交省の姿勢は間違っている。

地盤沈下を放置した結果、残ったのは毎年の水害だ。

「だからダムを作りました。地下水は利用してません」という低能なへ理屈は見苦しい。

水をくみ上げなかったら地面が元の高さに戻るのだな。