<前回のつづき>
柳寛順を読んで(1999.8)
柳寛順おばあさん、こんにちは。母や父はおさないころおばあさんを柳寛順お姉さんと呼んだんですよ。しかし、私はおばあさんの一生が書かれた本を読んでおばあさんが1904年に1904年の生まれたことを知りました。ですから今年で95歳で称だからっ私はおばあさんと呼ぶことにしたのです。
昔、日帝時代(日韓合邦期)人々は起こったすべての蛮行は話や本、記事などを通じてたくさん知っています。1919年、おばあさんが故郷に帰省し独立万歳運動を繰り広げたとき16歳だったそうで私はとても驚きました。私は16歳になった時果たして何をしていたのか考えてみました。
ほかの平凡な少女たちのようにきれいな服を着て面白い本も読み勉強がきついと駄々をこねていたかもしれません。日本軍につかまってあらゆる拷問を受けお亡くなりになったおばあさんを思うとその苦痛をどのように耐え忍ばれたのか私は体が震えるほどです。
今独立記念館に行けば日本軍人たちがわが国の人々を拷問していた様子を人形で再現している場面があるっそうです。その場面は見ただけでも鳥肌が立つほどだそうです。そんな苦痛の中でも何がおばあさんに国を愛する気持ちをしっかりと持たせてくれたのかと思いました。
おばあさん、実際私は少し恥ずかしいです。おばあさんをはじめほかの方々の価値ある犠牲によって私がこのように穏やかに生きていることができているという気がしなかったのです。私は今その当時とは異なる状況下でどうすることが国を愛することかを考えています。
勉強を熱心にすることですか?お父さんお母さんの言うことをちゃんと聞くことですか?きまりをちゃんと守ることですか?……なんだかバカらしくなってきます。しかし、両親は言いました。つまらなく見えてもこういうことが集まってこそ大人になった時、国のために大きなことができるようになる力がつくのです。それなら勉強頑張りましょう。
国を愛する心を教えてくださったおばあさん、ありがとうございます。天国でも健康で幸福にお過ごしください。私は私に任された仕事に頑張ります。おろそかに医師内でしっかりやりぬく子供になるよう努力します。
さようなら。
このように毎年3.1節(万歳独立運動事件)が回ってくると教科書で悪辣な日本軍憲兵(警察をあえて韓国の教科書では憲兵と表記している。)が柳寛順を傷めつけたのか、彼女が日本警察の残酷な拷問に耐えられずどんな死に方をしたのかを詳しく聞かせる。逮捕され両親を殺され兄も逮捕され、家も焼かれて亡くなったと習う。そのあと柳寛順お姉さんに手紙を書き、柳寛順の歌を歌ったりもする。通常教師がふつうに教えていたら、大方このような子供たちはたいてい子供たちはこの歌を歌いながらむせび泣くだろう。私もおさないころ毎年柳寛順の歌を歌いながら泣いた記憶がある。
これは昔韓国で共産党をけだものにたとえて描いて反響イデオロギーとするとき学生たちに植え付け洗脳するとき、学生は絵を描くたびに共産党の顔をオオカミに、皮膚は赤く描いたのと同質のことだ。その時の共産党の立場に日本が立たされているということだ。独立記念館や柳寛順記念館、あるいは3.1運動の発生地であるパゴダ公園などにある彫刻とか絵画には例外なく日本軍が万歳を叫ぶ朝鮮人たちを刀で刺し殺す場面が刻まれている。このような遺跡のみならず一般の教科書とか新聞などにも同様の事柄を通j過去の暦所を教えている。このように慰さない時から学校や家庭、あるいはTV、本を通じて日本を卑下する洗脳教育を受けて育つのが韓国人であるために彼らがその後日本に対しい友好的な感情を持つということはほとんど不可能になる。
<次回用メモ> [2-3.해이그 밀사 사건](ハーグ密使事件)[1-3]半日の狂気 P52 から