第二次世界大戦中、米英は日本軍の暗号を解読して戦局を有利に展開した。とよく言われるが、日本も暗号解読においては敵と遜色なかった。
しかし、どんなに敵の動きを解読しようと弾がなければ戦争は負ける。2000対1の石油では負ける。毎週空母を建造する国と戦えば負ける。
日本が負けた後、意気揚々と進駐した米軍の暗号将校が日本の暗号関係者を茶化してこう言った。「この問題(暗号)を明日までに解いて来い。」
日米間には勝ち負けの違いはあるが、同じ軍人としてこれほど屈辱なことはない。
しかも、それは大学の数学科で解く程度の問題であり、軍のエキスパートたちに対して解けというのは失礼この上ない。
敗戦の悲哀を嚙みしめて、その場でサラサラ解いて見せた。
そのときを境に米軍の態度は一変した。
帝国陸軍の暗号将校達は、豹変した米軍将校達を見ても決して愉快ではない。「それしき、あたりまえだ。おまいらは戦争に勝っただけであり、日本のすべてを凌駕したのではない。」
だが、われらが溜飲を下げてくれるこの種の事件に対して、低能たちは狂喜ししばしコンプレックスを忘れる。そしてそこどまりで向上心がない。お粗末なことだ。
日本の数学のレベルが世界レベルであったこと、チューリングのような天才はいなかったが彼に準ずる学者の層が厚かったので解読研究者が十分いたこと、米軍は暗号の秘匿に労力を割いたが暗号自体は優れていなかったこと、などにより解読は可能となった。
だが忘れてはいけないことがある。目立たずに、ひたむきに、気が狂うほどしつこく、研究をした日本の研究者がいたから出来たことだ。
学問は派手ではない。むしろ地味だ。目立ちたがり屋が耳目を引くきらきらブログでいい気になっても、別にかまわないが、偉そうにしたら許さない。
よれよれの服を着て一年中機械のように研究所と家を往復し24時間数式と格闘する人がいるから日本の学問のレベルが保たれている。
僕は韓国で怒ったことがある。学生たちのレポートのレベルがきわめて高いのだ。自分で考えてないからだ。図書館が満員なのは他人の研究成果をいかに盗むかに苦労しているからだ。
これでは韓国はやがて地に落ちる。知ったことではないが、僕のレポートに対しそんなまねをしたら、かならず落とす。と、事前に何回も言っておいてもやめない。
(暗号自体については「みんカラ」でシリーズ化します ここは人文科学 みんカラは自然科学社会科学)