平成は令和になるという。とくに今回の改元では、mede in japan であることが強調される。
万葉集学者の中西進が今回の年号選定にあたったとされる。彼はその実力や業績などから選定に加わるべき人間であることに異論のある人はいない。
彼の万葉集解説はわかりやすく気取らずしかも本質を大局からおさえるもので、僕なんかはただただ彼の造詣の深さや正確さにひれ伏すばかりである。
3流、4流大学になるとインチキ野郎が多く、わかりもしないくせ難しいことをさらに難しく解説し妙にいきがるのが多い。これはあらゆる学問について言えることだ。東大の王道を行く研究姿勢は学問の垣根を超えて共通した資質だ。
相手をねじ伏せるために、あるいは自分の低能がばれないように意気込んで論証する偽学者は、たいてい3流で本人の理解がでたらめの異端である。
中西の名は以前からささやかれていたが、安部はよくぞ選んだと思う。中西先生は安倍内閣にかならずしもべったりのポチではない。
そんな中西先生の発言が朝日に載っていた。今までの彼の論がそうであったような鋭い論の展開はみじんもなく、ひたすら令和の素晴らしさを強調していた。(令は善なり、素晴らしい字 「令和」考案者? 中西市民講座 4/13土曜 朝日新聞 朝刊 )
牽強付会
「文選」」(もんぜん)「帰田賦」(きでんのふ)を見れば誰でも万葉集、梅歌の序文に影響を与えていると思うはずだ。早い話がパクリだ。(ダサソーという名の百均を開店しダイソーの真似ではないといいはる韓国人じゃあるまいし)
冷静に考えるところだ。文字自体がmade in china だろ。漢字というのは漢の字。音も漢音呉音あってもとにかく中国の発音。万葉集は万葉仮名で書かれているが肝心の単語は漢字で書かれている。
つまり漢字をくずして表音化したものだけではなく、意味を持つ表意文字もまぜて書かれている。小学校で習うことだ。
牽強付会
今までの年号は、ほとんどその2文字間に因果関係があるとか少なくとも「and」でくくられるほどの意味上近距離にあるものであった。
ご覧になられた方も多いし長くなるので引用しないで結論だけ。「令」と「和」には関連がない。ただ近くにあった単語をpick upしただけである。
元号自体がmade in chinaだ。いまや中国様の発明品を後生大事に用いているのは日本だけになった。とうの中国はとっくにやめたというのに律儀だ。
牽強付会
普通に感じろよ。「令」といわれてご令嬢の令とか巧言令色の令を思い浮かべる人はいない。命令の令だ。
律令(りつりょう)政治」、令外官(りょうげのかん)もしかり。この時代、「令」は「りょう」であって「れい」と読むことはない。"r"eiwa であるか"l"eiwaであるかも問題だ。いずれにしろ日本人が不得意とする発音の単語が語頭にある。問題の多い字だ。
ぼくは令和を見たとき、不愉快だった。命令に和して同ぜよとはなにごとか。いずれ慣れるにしろ慣れたらいい話ではない。令は命令と考えるのがまともな文字感覚だ。これには国語力を要しない。小学校4年生に令の意味を聞いてみるがいい。
中西進先生は、「令」に負けた。
子供のころ、5センチぐらいのおもちゃの船を作ってもらい、風呂でよく遊んだ。誰が作ってくれたのか、もう忘れた。
船尾に樟脳を付けると樟脳が溶け出す勢いで船は進んだ。表面張力のなせる技とはつゆ知らず。推力がなぜ生じるか、樟脳がなくなるまで考えに考えた。
親たちは僕の研究には関心がなく、ほったらかしにした。それがかえって良かった。僕は十分考えることができた。
その頃、福岡県の筑後地方には1500件の樟脳工場があり、着物の虫除け剤を作っていた。虫か来る、とか、虫がつくという言葉は死語になった。下品な染色、肌触りが好まれ、石油や石炭で作った貧乏な化繊が好まれ樟脳工場は今1件だけになった。
先日散歩すると楠の街路樹が消えていた。切り口の新しい楠の切り株は芳香を放ち断末魔にあえいでいた。樟脳は楠からつくる。
交通の支障になるとか、障害者のためにバス停を広げるとか、取って付けた理由で街路樹をなくす。土建屋の仕事づくりのために障害者を利用するな。
欧州の道はなぜ気持ちのいい道が多いか。日光や風を遮る木々は車なんかより大事にされなければならない。
素敵な街並みを作ろうと国家百年の計に基づき都市計画をしても、徒労か。無能で下品でカネ儲けのためには何でもする人は中国に移住したらどうか。
韓国、大学路は僕が住んだ街だ。100年前、日本人がアカシアの木を植えた。それまで韓国には街路樹がなく、人々は道路に木を植える日本人をいぶかしがった。それが今では巨木に育ち、夏、急激に気温が上がるソウルで数少ない涼しい空間を提供していた。
アカシアは消えた。日本人が植えたという理由で。
地方のお粗末市長は、とことん土建屋に奉仕する。
太宰府市役所を訪ねる機会があったら、バス停を見てほしい。バス停には天を覆う楠の一群があったのに。
僕らが学生のころ、朝日新聞には最高に優秀な学生が就職して行った。大学入試より少し難しい入社試験だったが、たっぷり4年間遊んで錆びついた頭にはいい刺激剤だった。
僕は役人になったが、その試験より難しかったようだ。ところが、今年は受験する大学生に異変が起きている。出身大学の傾向がまったく変わっている。これじゃあフリーペーパーかタウン誌の記事でも書いてりゃいいな。アメリカにNY Timesがあるように日本には朝日があったのに。
日本語がよく読めない、または、節を含む文章は分からない。こういうゴロツキはゴロツキ新聞の漢字の少ない文章なら読めるだろう。それはそれでよし。
ところが朝日の産経化あるいは、読売化が起きている。
SとVだけの誰がどうしたこうしたの記事を、なぜ吐き気なしに読めるのだろう。
僕は、この国の新聞では朝日と日経の文化欄にかろうじて清涼感を感じている。それは申し訳ないが読者の教養に支えられている。感動には能力が要る。そういわれて、ふてくされて易につく人には永劫に無縁なものだが、日本には世界に冠たる日本文化というものがある。
ここがポイントだ。やたら日本日本とか言う奴に限ってポン介で議論も出来ないばかりか、下手に騒ぎ外交交渉を困難にする。
朝日よ。功をあせって珊瑚毀損事件を起こしたとか対馬イタイイタイ事件をでっち上げたとかいうのは現場のせいにしてしまえる。問題は、社として取り組んだ事件が捏造だった場合、どんなに弁明の余地があろうとも弁明してはならない、ということだ。ひたすら謝れ。
吉田清治の虚言によってどれほど多くの不毛な対立が生じたか。吉田の虚言をいいことに慰安婦問題を捏造した。一人でもいいから日本軍に強制連行されたという売春婦の存在を証明してみろ。
取材の王道に徹すればもっと早く訂正できたはずだ。裏を取る、という記者としての基本の手順を踏んでいればそもそも問題すら生じていない。
2014年8月4日5日(昨日と今日)、朝日は言い訳がましくではあったが誤りを認めた。他のマスコミは朝日コンプレックスを晴らすように勝ち誇っている。朝日は、間違えたうえにウソをつき覆い隠そうとしたのだからそこらのゴロツキ新聞にも及ばない。
謝罪の言葉が一言もなかった。言い訳はタラタラ続く。女々しい。悪いことをしたら謝れ。
スピード違反で捕まったら、潔く切符を切られろ。急いでました、女房が産気づいて、子供が死にそうなんです。そんなことで見逃す警官はいない。
今国民は、警官になって朝日を見ている。
佐世保の人殺し高校生は、あと6年はシャバに出てこない。22で特別少年刑務所を出るとして、ただで高卒の資格を取って出所するだろう。
佐世保北は中程度の高校だから、犯人はそれなりの基礎力があると見るべきである。刑務所では簡単な勉強まで無料で提供され、よい暇つぶしができたことになる。名前も変え戸籍も操作してもらいまったくの別人として大学に通うのもよし、専門学校に行くのもいい考えだ。畜生。
僕が許せないのは、被害者の顔があらゆるマスコミにさらし者にされているのに、なぜ人殺しは顔を隠してもらえるのか。
また殺る。必ず殺る。
少年院の収容者たちが書いた作文がいかに涙なしには読めないものか知っているか。毎日反省文ばかり書いていればどんな悪性の人間でもウソが上手になる。
僕はそこで話をしたことがある。後になって少年院から感想文が送ってきた。実に心に響く内容で、僕の話よりもはるかに感動的だった。僕はそれを読んで泣いた。完全にだまされたのだ。考えてみると当たり前のことだ。どんなワルでも少年院では良い子にしているに決まっている。そして出所して倍返しをするのだ。
人は人生の途中で、自分のなかに善人悪人を入れ替えたりしない。悪は悪として生まれ悪として生き悪として死んでいく。
家の近くで20年ぐらい前、小3の女子をバットで殴り不具者にした小学生がいた。きっといっぱい反省文を書いて上手になっただろう。その小学生が中3になったとき小1の男子をバットで殴り殺した。
その人殺し中学生がつかまって言った言葉に愕然とした。
「誰でも良かった。ただ人を殺したかった。」 まるで佐世保とおんなじだ。
僕はこの人殺しの顔を知っている。みんな知るべきだ。そうでないとあなたの子供が誘拐されバットで殴り殺される。あるいは首を切り落とされ新聞に顔がさらされる。
あなたの家の前を狂犬がうろつきあなたの子供を狙っている。
安倍。日本が世界に誇る法治国家なら、加害者よりも被害者の人権を大事にしろ。少年法は改正すべきだ。
アホは「それは事実か」ということに異常にこだわる。アホの中では、事実が推理され複合し新たな原理へと向かったことがないからだ。
いわば、事実はどうだっていいんだ。
おとなしく控えめにしていないアホは、論破されたのに気づかずグジグジ同じことを何度も言う。僕は仕事をしていた頃、この手のバカに手を焼いた。3流大出身と言うコンプレックスの裏返しは実にしつこい。
等号が抜けている、不等号が逆だ、Logの底がない、計算違いがある・・・ 確かに事実には違いない。だからなんだ。 だからおまいらはアホなの。大勢の流れの本質を読め。下らん事実に拘泥したらひらめきが消える。だから検算なんてやってられない。それが僕の能力の限界でもある。が、本質は見落とさないようにしている。
ローレンツが予測を立てるとき小屋いっぱいになるほど計算用紙を使った。つまりほとんどまともな計算はなかった。だが彼の受けたノーベル賞を当然でないという人はいない。ローレンツは、ライデン大学の誇りであると同時にオランダの誇りだ。
オランダに行けば張りぼて風車なんか見ないで、ライデン大のモースコレクションを見よ。無料。日本文化の粋(すい)がある。
この本物たちに比すれば、大宰府にはきわめて俗物、正しく言うと飢餓にあえぐ低脳がいる。
大宰府の、中心に近いある地点で工事をしていたら水脈にぶつかり水が出た。追加工事費についてちょっとした争いになった。つまり噴出した地下水を関係者同士、押し付けあった。
ところがよく調べるとその水が温かかった。温泉だ。
するとこんどはその地下水(温泉)の取り合いになったのだ。そのときの根拠が面白い。あれほど根拠らしきものを並べて業者と地主と施工主と市がが、相互に相手に押し付けようと争っていたのに。活動的な馬鹿は節操がない。取り合いが始まった。
俺が見つけた。というかと思うと別の人間は、俺の土地だ、と繰り返し、奪い合いは法廷闘争になった。
神は馬鹿をからかった。その温泉らしきもの、だんだん冷えてもとの水になった。
水では一儲けできない。のどから血を吐くほど自己主張していた当事者は、すぐに黙った。
水も止まった。
自分の発言をよく理解しない痴呆は、ほんと始末に悪い。国家の邪魔だ。右翼たち及びその亜流のままごと右翼たちは、日本をスパイ天国と言った。問題はここだ。スパイ天国なので国家の秘密が漏れないよう秘密防止法が必要だと言った。
秘密防止法が成立するとさっと踵を返し、スパイとは関係ないと言いだした。論点を国民と国家秘密との関係にすり替えた。
それは、ぼくがもとより争点として述べていたことだ。無節操に人の意見を切り貼りして自分の意見のように言うのを何と言うか。泥棒という。
国家秘密防止法は、官僚どもが秘密を漏らすと懲役10年を課す。主として公務員に対して、その職責の重大さの自覚と、応分の緊張感を課したように思える。
否。
官僚自身には、下賤の民が持てるはずもない特権があるのだという思い上がりがある。所詮公務員のくせに。じゃあなぜ自分の首を絞めるこの秘密法に反対しなかったのか。バカなことを思っちゃあいかん。特定秘密保全法とは官僚秘密保全法であり、官僚としては待ってました、あるいは、願ったりかなったりの法律だ。
飴を取り上げられて喜ぶ子供はいない。飴を与えられて悲しむ子供はいない。
秘密法で自分の周りを一層高く国民からガードし、それをスパイ防止のためだとする。能天気に納得するオマエらに明るい未来はない。
さあ、スパイ天国だと絶叫していたエセ右翼。これでどんどんスパイが捕まるもんな。そうだろ。あほ。アメリカの法律の劣化コピーで本来の実効性はない
パーティーと言えば高校の文化祭の打ち上げぐらいかしらないド田舎者が、相手の足を踏みながら性的興奮を抑えきれずぐるぐる回るのをダンスと思う低級官僚の利権を、保護する必要はない。早く天下りしろ。そのために生きているだろ。
8割に及ぶ政府提出の法案はすべて課長クラスが作る。一度官僚世界を見ろ。
この法律は今後どんどん改正されていく。第三者機関は矛盾を抱える。国民が知っていいか、いけないかを個別に審議すると言うが、そのとき第三者機関は知っているではないか。
まやかしだ。問題は、密告の奨励、さらには密告をしなかったことへの処罰に向かってエスカレートすることだ。中韓を見ろ。
国歌国旗法ができたとき国は何と言ったか。決して強制はしません、強制は良心の自由を犯します、強制は憲法に抵触する可能性があります。
何のことはなかった。法よりもこの国は指示や通達が具体的で効果的なのだ。不利益処分を受けた者たちは、追い打ちをかけるように裁判でも敗訴している。
(写真 ご存じ、スノーデン氏 我々はこのリークによって得たものが多かったか、失ったものが多かったか アメリカでは、大統領の個人的メールもすべて公開される)
韓国には北のスパイが多い。当たり前だ。朝鮮戦争開戦時も、停戦時も無理に引かれた「線」によって民族は分断された。何だか日本に責任があるそうだが、僕は犬を食う原始人と寄生虫の国には興味ない。
POINTは、その線を境として北側にも南にも多くの反体制シンパ(同調者)が残されたということだ。北に残ったものは悲劇だが、社会主義としては通常の殺りく行為だった。一人でも南に通じるものがいたら、一族郎党を処刑するなんて甘いことはしない。その村を抹殺した。
現在でも北には収容所があり、悲惨な生活をおくる反体制のものがいるとか言うが、どうもおかしい。スズメバチは幼虫のうちに殺すはずだ。
南はどうか。韓国軍が米軍に協力し金日成を追いこんで行ったかのようなウソに、このごろは酔っ払ってしまっている。李承晩も朴正煕もただの頭の悪い傀儡でありヤンキーの邪魔にしかなってない。停戦後は国内の赤狩りをしたが、無実の人を殺したのは数千のレベルで北に遠く及ばない。
つまり、北には南のスパイは残っていないし残っていたとしてももう年をとっている。ところが南には社会主義の信奉者が数万単位でいる。北はよくこの信奉者を網の目のように組織化して、どんな司令も可能なロボットにしている。南は血眼になって証拠をあげようと、あるいはでっち上げようと努力した。
時々ソウル大学の先生や財閥の御曹司が反共法違反で捕まっている。自白はするさ。この時代どんな薬品もビデオのねつ造も可能だ。
北の司令はいつ来るかわからない。それは、A→B→C→、と受け継がれ、受けつがれなかった場合の補償回路も二重三重にある。殺す。
金正日は脱北者のある特定の個人を南で射殺させた。実行犯はもちろんわからない。警察は動かない。こんな一人や二人のことで南北のバランスを壊してはいけない。
さて日本。大変だ。赤の手先がいるぞ。思想の違いによって人を逮捕できるようにしなくちゃ。報道はすべて、政府の報道班員がすべきだ。NHKは国営放送に変えろ。民放はやめろ。ネトウヨが闊歩するネットの世界のみ流せ。公務員が職務上知り得た秘密を漏らしたらすべて懲役10年だ。
これに、いちように小学校の教員が怯えるのが面白い。おまえは問題になってない。
クルマ好きのみなさん。クルマ以外のことはあまり考えないでしょう。そこでクルマのこと。公用車のナンバーは「た」で始まるのです。それじゃあ困ります。料亭の前に着けにくい。ばれちゃう。昼間からお姉ちゃんとやりにくい。山崎拓でもあるまいし。こんなことが100も1000もある。そこで「た」以外のひらがなに変えた。
官僚の秘密を守る秘密保護法にこれでも賛成できますか。
(山崎拓。妻がいるのに、3P、放尿、親子どんぶり、女子大生を好んだ元自民党幹事長、元副総裁。夕刊フジ 2002.4 当然これも国家秘密です。口外したら懲役10年です。)
自民党の石破茂幹事長は11月29日付の自身のブログで、特定秘密保護法案に反対する市民のデモについて「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と指摘した。 朝日新聞
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つまり、庭の池の鯉のくせに水面で跳ねたりするな、鯉はおとなしく水面下にいろ、という意味のことを、彼はブログで言った。たしかに絶叫戦術は低脳のやることで街宣車などがその例だ。
ルールから逸脱した表現の自由はありえない、ことを述べたわけだ。ここまでで思考停止するのがいる。
無理かも知らんが頑張って考えろ。国が国民を保護して表現の自由を与えているのか。人がここに住む前に日本は存在していたのか。なら、縄文人は渡来したとき転入届を出したんだな。
少なくとも明治以降の国民は、一方でナショナリズムの熱狂に酔い餓死の危機に目をつむり大陸に目を向けた。ところが一方で労基法の改正は進み、現在の労働者に対してすら守られていないほど充実したものになった。このとき、空から労基法が降ってきたのか。そこには弾圧に負けず戦った国民がいたからできたことだ。
その戦いの根拠は言論の自由にあった。自由な言論は情報となり人々に伝搬した。なんとあの戦前のファシズム国家の下ですらそれは可能であった。
デモがテロだという言い方は、飼いならされたよい子は柵の中でおとなしくしてね、という考えに基づくこ。彼、石破は「アホへの子守歌」を歌ってやったつもりになっている。
たとえば、公害対策基準法。大正時代、この法律は、世界最高水準のクリーンさを要求するものだった。
おつむが足りないと、こう言う。公害対策を厳しくすると経済が発展しない。ところが同じバカが、日本の公害対策技術が褒められ欧州の公害が深刻化すると、どうだ日本は先見の明があるだろう、と臆面もなく言う。
あまり長くなる理屈は考えられないんだな。例示はここまで。
さて僕の言いたいことは何だろう。法律が表現の自由を守っているような形態をとりつつも、本当は表現の自由が権利の具体化を進め法律に明記させているんだ。ここにデモの多少の音量はこらえなければならない根拠がある。石破には、理解は無理だろう。
あの戦前ですら、西欧列強と比較すれば極貧で餓死する絶望の平均寿命40才の国民が、ここまで労働三権を、環境権を、普通選挙権を、教育を受ける権利を、曲がりなりにも確保できたのは、隠す国に対して国民が戦ったからだ。
それがまさに表現の自由じゃないか。あの自民党ですら騒音防止を条例にとどめ、法制化を見送っている。まだこの政党には理性のカケラがある。
石破、街宣車の音量も絞ってもらおうな。
(ソウル発緊急電となっていますが、このブログは福岡で書きました。ただこのタイトルで秘密保護法について続けてきたのでこのままいきます。次回は、戦場カメラマンの渡辺陽一さんとお話しする機会がありましたので、彼のこの法律に関する考え方とぼくの考えを述べます。いろんな有名人(芸能人ではありません)に会っていきます。)(鯉の写真は佐賀県、清音の滝の鯉料理店のものです。絶品。)
前回述べた官僚の常とう手段。アホにも分かる危機感をあおってバカを盲従させる。肝心なところは、必要以上に、無駄に、複雑にして国民を思考から遠ざける。そして自らの利権の確保拡大を図る。財務官僚は頑張るんだとかデマを流し、頭のいい人の言うとおりにしようと思わせ、国民をひれ伏させる。
昔、それはときとして「石油の一滴血の一滴」とインドネシアによだれを垂らした。この時、政治は大政翼賛会となり機能していなかったが、政府と官僚は陸海軍の顔色をうかがいつつ商社を派遣した。当時の技術で掘削、生成、運搬、貯蔵、コンビナートの形成による各種製品の製造とは、夢であり質の悪いプラスチック、オクタン価の低いボロガソリンがこぼれ出ただけだった。
官僚はそんなこと百も承知だ。アホが浮かれて南国に猪突猛進するおかげで、天下りしておいしい地位に付けるのだ。石油が出ようとどんな石油だろうとモノになろうとどうでもいいのだ。天下りは明治からの伝統だ。しかも誰ひとり責任をとってない。
頼むから浮かれてくれよ。アホ。「石油の一滴血の一滴」ダヨ。と官僚は棚のぼた餅を待つ。この姿を秘密にするのが秘密保全法だ。まさに官僚のために作ったのに、アホはスパイ防止法だと喜ぶ。踏まれて喜ぶゴミ虫だな。
ああ、「バスに乗り遅れるな」ともいった。大陸に進出し満州平原を開拓しよう。中国大陸を蚕食する欧米列強から東洋を守ろう。東洋解放の戦いだ。ばか。誰と戦ったか。これも同じく、政商や商社のコバンザメとなって天下りの席を作ってもらおう、百万や二百万の無学な田舎の農民が死のうとどうでもいい、と考える政府・官僚の秘密の垣根は高かった。
今も昔も、政府提出の法案は課長クラスがじっくり練りあげるので齟齬が全くない。政治家用にわざと間違いを入れたりする。それを見つけて喜ぶ政治家に仕事を作ってあげるのだ。こんな芸当、官僚にできるはずない。だが、トンビ官僚は課長からあぶらげをさらって、あぶらげは政府に回り法制局に行く。セレモニーだ。その夜トンビは銀座で腹を抱え乳を抱えて笑う。
今回の法律の中で野党との兼ね合いもあり、僕は、消されると思っていた条文がある。いつも法律案は過激に、拙速に、あえて勇み足をして作る。野党も委員会審議でそこを修正できれば、なんか勝った気になるからだ。だが、野党が無能なので、何だかこのまま通りそうな勢いだ。
特定秘密は、同盟国間では共有できるものであり、提供することもできるという条文。
これ恐ろしいものでないかい。アメリカの暗号を使い日本の空をアメリカに遠慮して広い空域を与えている自衛隊なら別にアメリカに与える秘密もなかろうが。政府は国家機密をアメリカには筒抜けにしてもいいですよと法に明記し、その機密は場合によっては、永遠に国民に知らせませんというわけだ。
その秘密を国民が無理に知ったら懲役十年。アメリカには贈呈します。
ソウルは軍事機密を漏らしたら軍法会議(1審のみ)で即銃殺だが、その機密をアメリカに贈呈しても無罪だという条文はない。
大使がパーティの最中に僕のところに来てしきりに嘆いた。そのころ僕は官僚をやめ日本で学校の先生をしていた。再び公費留学生試験に通ってまた外国の日本公館に出入りするようになっていた。
総合職試験(上級職)や外務公務員(外交官)、要するにキャリア組は合格のあと研修がある。しかし、これは、難しい試験のために一生懸命勉強してごくろうさん、という意味が強くほとんど遊びだ。
そこでテーブルマナーや儀典のときの立ち位置の指導を受ける。ほんの20年前、キャリアの卵たちには何も教える必要はなかった。誰でも楽器の一つは弾けたし秀でたスポーツ能力があった。なんと言っても体が大きかった。
先ほどの大使が言うには、下品なガリ勉が増えたというのだ。中、低級の公務員独特の権力への怯え、前例主義、怒鳴られると何でもする、事務能力には優れているが、企画力はゼロ。こんな類の人間がキャリアになっている。
20代で県の教育長や前橋駅程度の駅長になり、半年で人の一生分の昇進をしていく。別に悪くはない。そうしないと国の上層部は空っぽになる。
ただ、おまいらのダンスはエロいのだ。大使公邸にふさわしくない。キャリアの給与は気絶するほど高い。外交官の妻には旦那の給与の半額が自動的に出る。100万以下ではないぞ。国は何のためにおまいらを優遇していると思うか。ガチャガチャ音を立てて食うな、むしゃむしゃ食うのもいかん。
その下品さは何につながるか。なめられ切るのだ。アメちゃん外交官が、皿の前5センチに顔を近づけて食うまぐれ合格キャリアをバカにして言った。やっぱりサルだな。
僕がある時酔っ払ってホテルに帰ると、売春婦が待っていた。僕がカネを払うのではないのでこう言うハニートラップは歓迎だ。トリンドルちゃんクラスが10人ぐらい入れ替わり立ち替わり来て、いいのを選んでくださいと言われるとスケベ官僚はすぐ引っかかる。僕も引っかかる。
惚れっちまうのが出ると国家機密は滝のように流れ出る。心配するのはこっちじゃないかい。何も知らない国民の発言を責め立てて頭は大丈夫ですか。
僕?僕は日本の公務員として清廉潔白を通しました。まさか。
池上彰と話をする機会を得た。あのジャーナリストの旗手池上ですら怯えきっていた。僕が訊いたのに答えなかった。秘密保護法。この法律は、国家機密を扱うに際し、機密の漏えいを防ごうとしたものだ。ところが、
官僚は言われたことは何でもする。意見を挟む余地があってもあえて言わない。その代わり、世の中がどう転ぼうと、彼らはフェニックスのようによみがえり責任をとることはない。言い逃れはいつもこうだ。「私は言われたことをしただけだ。」
官僚は法案の中に種を仕込む。その種は経験と頭の両方がないと発見できない。官僚支配はより貫徹されて行く。種は仕掛けたように芽を吹いていく。ただ言われたことをしているように見せかけて。僕らはこの種を「仕込み」とよんでいた。多くの仕込みがあるのがこの秘密保護法だ。
池上は、その巨大で、無責任で、現場を信用しないで、かつ一部の人間が事実上国を動かす構造を憂いていた。
アフガニスタンはジャーナリストの墓場だが、日本はジャーナリズムの墓場になる。池上は、確固たる現状認識に立ちつつも、ジャーナリストとしてのあるべきスタンスを表明することを恐れた。彼は先頭に立つ者として旗色鮮明にしなければならないことがある。だが、所詮こどもニュースのお父さんだった。
弱虫だ。
池上をはなれて、まず、日本はスパイ天国か。
これだけ言って分からん人は無理に分かろうとするな。あきらめて寝ろ。懲役が10年になったからと言ってスパイをやめようという中共の工作員がいるか。随分ヘタレの工作員だな。そこらの低級公務員に接近しても情報は断片すぎて使用価値がない。官僚や国会議員に接近した場合、脅し、ハニートラップ等をかけても懲役10年はブレーキにならない。工作員がいるなら言うだろう、「殺すぞ」。なかなか効く言葉だ。
何が言いたいかというと、国の秘密の囲いを高めたことは、漫画ごっこのスパイなるものを防ぐのではなく、官僚の利権を国民の目から見えなくしたのだ。バカはスパイと言えばすぐ飛びつく。釣りをしていると、ダボハゼがかかるがこれに似ている奴らだ。
さらにもう一つだけ。
こうして国民が目をふさがれるというのは、右翼チンピラにとってこそ由々しき事態だ。僕はなぜ右翼がこぞって秘密保護法に反対しないか不思議だった。国がリークしたり、あるいはさせたりすることで、オマエらの嫌いなチャンコロやチョンの情報を得てきたではないか。
外交交渉に、相手国の秘密情報を手にして臨むことは100%ない。我々が手にしているのは、既存メディアの情報をとことん分析し要点を抽出し、いくつもの文脈で再構成したものだ。
007はいらない。
高円宮様のスピーチ(英語、フランス語)にはまいった。クリテレ何とか言う弁舌屋上がりの下品なフランスを汚すスピーチとは大違いだ。
あのジェスチャーは単なるタコ踊りだ。身振りは肝心な時のみ大きくするものだ。合掌はやめろ。欧米の先入観にこびたものだ。寺社に参る時しかしない。
ステレオタイプの日本を売り込みかっさいを浴びようと媚を売った。なあ、クリテレ何とか。
それにひきかえ宮様の上品さは大いに日本文化を世界に知らしめた。バカは宮内庁の役人がおぜん立てをするのだというが、そんなことはない。見てから言え。
宮様は上手ではないが4,5ヶ国語は読み聞き話す。フランス語を話すとフランス語ができるとか言うがとんでもない。バカがよく陥る誤謬だ。まず読め。話したり書いたりはどうでもいい。読むことでその国の文化の神髄が分かる。
その言語手段で読みに読んでしか得られないモノを身につけるのだ。モンゴメリーでカナダを理解するのだ。ロレンスでイギリスを、フマニストがフランスを教えてくれるのだ。そうしてそれらが土台となって「話す」のだ。
宮様は出しゃばらない。しかし知っている。言いにくいことを聞かれてもさとらせずに話をそらす。
一方、私は、右翼は日本の文化の邪魔だという考えには変わりはない。品のない威圧的暴力的な言動。下品で無知無能な大脳。書きなれない下手な文字。大声しか出さなかった人生を表すしゃがれた声。
僕は一度宮様に対し、まさか車の話題ならついてこられないだろうと思ってある外車の話題を振った、イノチェンティミニ。顔色一つ変えずそのクルマのメーターパネルについて振り返された。
何も僕が特別だったわけではない。官僚の卵は運がよければだれでもその機会はある。宮様と写真を撮り合おうということになってカメラを構えたらSPが飛んできて新しいフイルムをくれた。外国ではフイルムの中に細工をしてテロをする奴がいたらしい。ややこしい時代になった。現像はカメラのキタムラでいいですねと言うとまた怒られた。警視庁に送ったが返送されてこなかった。
そこで御料車の車検だ。じつは皇居内に工場がある。行ったことはないがそこに転勤できないかなあとずっと思っていた。
錦の御旗を立てて走る御料車
20年ぐらい前、写真館のおやじが死んだ。人口流出の激しいこの町では子どもが後を継ぐことはない。1964年、立派な写真館の前を誇らしげに聖火が通った。僕はそれを一番前でみた。年寄りは紋付き袴で地べたに座りそれを見た。
いまは写真館は、駐車場になり一家がどこに行ったか誰も知らない。
パルテノン神殿みたいな柱のあるその写真館の前に出ておやじは、聖火をどんな思いで見ただろう。聖火は風のように過ぎ感傷のゆとりを与えない。
professionalでnationalismでpoliticalな全世界的紅白歌合戦は、TOKIOに決まったそうだ。もともと教養と縁遠い単純なひがみだけで生きてる人間にとっては、こんな楽しい白痴のための祭典はない。
違うという奴がいたらよく考えろ。モスクワとロサンゼルスは政治的に動かなかったか。ベルリンはナチスの祭典だろ。参加することに意義があった祭典がどこにある。4位と銅は天地の開きだろ。
いまでは下品な野郎が参加するようになってずいぶん汚れたが、それでもまだ品位を保っているのがテニスだ。デ杯。
戦前もはるか戦前、旧大名が気まぐれにローンテニスのコートを一面作った。客席は藤棚がこしらえてあり周囲は家のように大きいつつじの植栽があった。そのコートに行くまではいくつもの石橋を渡りバラ園を横切った。
あるアメリカ人コーチがそのコートに現れた。彼はおとぎの国のようなそのコートには目もくれず、車中で見かけた少年に心を奪われている。その少年こそまさに幻のデ杯候補と言われたタカモクだ。田舎の写真館のおやじにはもったいなかった。世界が待っていたのに。
「彼を連れてこい。」
デビスカップ杯優勝コーチは無料でその少年の指導を申し出る。もちろんその少年は、テニスなど見たことも聞いたこともあろうはずがない。少年は草刈りの毎日だった。学校もいかず草刈りの日々だ。ただプロの目は少年の手首を見逃さない。残念なことに草刈り鎌とラケットは持ち方が180度反対なのだ。
アメリカの優れたところはここだ。「そのままやりやすいようにやれ。」こうして草を刈るようにボールを打つ選手が誕生した。これは草刈りの過酷さを表していると見るべきだ。
東洋チャンピオンになる直前、アメリカ人コーチは渡日ができなくなり、デ杯は中止になる。戦争だ。
日本はいまだデ杯で勝ったことがない。米国は32回も勝っている。上品なスポーツで勝てない国は上品な国ではない。幻のデ杯選手。土人のように日に焼けたタカモクは、誰に聞いても優勝したはずの人だという。タカモクは日の目を見ることはなかった。だが野にあってもタカモクは、決して卑ではない。寡黙だ。
悔み事を言わないだけでも十分に上品だ。