か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

春光先到吉人家

2019年11月12日 | 韓国生活の一部
「春の光とはだれでも待ち望んでいるのだが、良い人の家にまずおとずれるものだ」

いい言葉だ。 朝鮮の地方に住む有力者の家の柱には、何個もこういった格言が飾られている。ときにそれは箴言であり、体制批判でもあった。
(僕は一週間いた 今は旅館)

この看板はときどき入れかえられ、客人はその漢文の教養を試された。 朝鮮語にも漢字は必要である。 

日本語を全部ひらがなにしたら不便でしょうがない。 朝鮮語は、いまやハングルだけになっているが、いわば平仮名だけの日本語状態なのだ。 漢字なしでは無理がある。(同音異義語による混乱)

日本でも朝鮮でも漢字交じりの文章だと、急ぐときは漢字をピックアップして読んでいけばだいたい間違いはない。 便利だ。

「話せばわかる」ということばは、暴力を否定するときによく用いられるが、「同じ言語の中においては」という条件が抜けている。

日本語と朝鮮語の間にどうやって話が成立するか。 ばかだな。 朝鮮語を知らない日本人が日本語を知らない朝鮮人と話し合えるものか。 ましてや、分かり合えるはずない。

そこで登場するのが漢字だ。 漢字は東洋における「ラテン語」である。 ヨーロッパにおいてはラテン語がインターナショナルな共通語の役割を果たした。 

北京語と広東語も、たがいに全く異なる発音と異なる漢字の用い方をするが書けばかろうじて意味は通じる。

目先の人気取りのため、バカに迎合する政治が日本でも韓国でも横行する。 学校で漢字のテストがなくなれば、一番喜ぶのはバカたちだ。

日本も韓国も、せっかく漢字を持ちながらどんどん使う漢字が少なくなっている。 

国が違えば、「話せばわかる」なんて能天気なことはあり得ない。

しかし、両国とも「書けばわかる」ものを持っているじゃないか。 

漢字が消えている速度は日本のほうが速い。(韓国語の特質にかかわることなので詳しい説明は長くなるので省略します)

漱石が書いた当時の「草枕」を読むと分からない漢字が多くある。 

韓国でも自分の名前を漢字で書けない人は多い。

両者とも本人の責任ではない。 学校がなんちゃって高校ばかりになれば、バカは増殖する。(日本)

前大統領を否定して新しい大統領が誕生する国では、大統領が変わるごとに漢字は要る、要らないが繰り返された。

朝鮮のcountry gentlemanは、大統領の愚行を嘆いている。 

しかし、短期的な視点で文在寅の愚行を嘆いても仕方ない。長い目で見ると、まともな競争がある国の教育はけっして将来が暗くはないといえる。

ぼくが悲観的になるのは、日本で学校の先生の中に一定数、競争を悪しき差別と言い張るバカがいることだ。

脳天気量産集会場を出たところで何の役に立とうものか。


春光は一体どちらの家に届くのだろう。

日本人が行かない店はなぜかハズレがない。