クリスマスの時期になると僕の下手なバイオリンでもパーティーに呼ばれることが多い。ま、タダ酒飲んで帰れるわけだからちょっとはバイオリンの効用もあるようだが15年も頑張ってその程度だ。
バイオリンの練習は4/1サイズのバイオリンから始める。おもちゃみたいな20センチ程度の本体でも値段はけっこうする。しかも僕は福岡まで習いに行くのがとても怖かった。不良たちが待ち構えているからだ。その不良たち。その子もきちんと不良になっているが、そこそこカネはためている。
僕の仲間にバイオリンの天才がいた。僕も彼ができることができないわけではない。しかし、時間が違う。一週間に一度閃く僕に比して彼は連続的にひらめきがある。彼は江藤なんかの偏屈バイオリニストをしのいでいた。彼と合わせると彼の音色にうっとりして僕はよく間違えた。
その彼だが、自分が上手なことなど全く意に介せず僕の数学の素晴らしさをしきりにほめていた。僕レベルの数学はただの暗記で漢字の練習みたいなもんなのにな。
5,6年遠ざかっていたら彼が死んだ。自殺した。死なせたらいけない人だった。下品な演歌をカラオケで近所迷惑も顧みず絶叫する糞ジジイが生きている一方でなぜ彼は死んだんだ。良い音というものがいかなるものかということを、低級公務員はもちろん高級官僚にも分かる人はめっきり減った。
息苦しい国から脱出して何が悪い。ケンブリッジには出勤簿がない、勤務時間がない、隣の人の研究にまったく関心を示さない、要求しただけの金をくれる、それは恐ろしいほどだ。天才が必死になった時、世にも恐ろしいことが起こる。そこそこ頭のいい奴の研究の数百年分の業績を一カ月で上げる。
今朝の朝日新聞にあったように、井底の蛙どもは本物の大学院を知らないか低能かその両方であるかだ。だから島がどうしたアカヒがどうしたと百年の大計を知らずにわめいている。優れたバイオリニストがウィーンに行くように天才はケンブリッジに行け。
科挙試験みたいな丸暗記の試験で多くの天才がつぶれた。極度にやさしい韓国語の試験はテレビを見ながら100点をとった。なのに英語と同列に評価される。こんな能天気と混じったらバカになる。
保母や薬剤師や小学校教員の養成所ならどこでもいい。外国に行く必要はない。
低能偏狭右翼が頭脳流出を嘆くが、流出した頭脳に帰国の枷をなぜはめるのか。Internathonalに交流、論議、論争、協力をしなければその人の能力は死ぬ。人間はいつまでも天才であるはずない。人生のほんの一瞬輝くのだ。それをきちんととらえる組織をUniversityという。
ひるがえって、鉛筆一本まで支給を受けたら報告書を書けと言う文科省の書類万能主義、形式主義は人の能力を殺す。こんな国では優れた画期的発明は生まれない。ただ役人のその場しのぎのための学校が十年一日のごとく意味もなくただの作業をしているだけだ。