か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

University of Cambridge for Genius not for Loonies

2013年02月22日 | 音楽

クリスマスの時期になると僕の下手なバイオリンでもパーティーに呼ばれることが多い。ま、タダ酒飲んで帰れるわけだからちょっとはバイオリンの効用もあるようだが15年も頑張ってその程度だ。

バイオリンの練習は4/1サイズのバイオリンから始める。おもちゃみたいな20センチ程度の本体でも値段はけっこうする。しかも僕は福岡まで習いに行くのがとても怖かった。不良たちが待ち構えているからだ。その不良たち。その子もきちんと不良になっているが、そこそこカネはためている。

僕の仲間にバイオリンの天才がいた。僕も彼ができることができないわけではない。しかし、時間が違う。一週間に一度閃く僕に比して彼は連続的にひらめきがある。彼は江藤なんかの偏屈バイオリニストをしのいでいた。彼と合わせると彼の音色にうっとりして僕はよく間違えた。

その彼だが、自分が上手なことなど全く意に介せず僕の数学の素晴らしさをしきりにほめていた。僕レベルの数学はただの暗記で漢字の練習みたいなもんなのにな。

5,6年遠ざかっていたら彼が死んだ。自殺した。死なせたらいけない人だった。下品な演歌をカラオケで近所迷惑も顧みず絶叫する糞ジジイが生きている一方でなぜ彼は死んだんだ。良い音というものがいかなるものかということを、低級公務員はもちろん高級官僚にも分かる人はめっきり減った。

息苦しい国から脱出して何が悪い。ケンブリッジには出勤簿がない、勤務時間がない、隣の人の研究にまったく関心を示さない、要求しただけの金をくれる、それは恐ろしいほどだ。天才が必死になった時、世にも恐ろしいことが起こる。そこそこ頭のいい奴の研究の数百年分の業績を一カ月で上げる。

今朝の朝日新聞にあったように、井底の蛙どもは本物の大学院を知らないか低能かその両方であるかだ。だから島がどうしたアカヒがどうしたと百年の大計を知らずにわめいている。優れたバイオリニストがウィーンに行くように天才はケンブリッジに行け。

科挙試験みたいな丸暗記の試験で多くの天才がつぶれた。極度にやさしい韓国語の試験はテレビを見ながら100点をとった。なのに英語と同列に評価される。こんな能天気と混じったらバカになる。

保母や薬剤師や小学校教員の養成所ならどこでもいい。外国に行く必要はない。

低能偏狭右翼が頭脳流出を嘆くが、流出した頭脳に帰国の枷をなぜはめるのか。Internathonalに交流、論議、論争、協力をしなければその人の能力は死ぬ。人間はいつまでも天才であるはずない。人生のほんの一瞬輝くのだ。それをきちんととらえる組織をUniversityという。

ひるがえって、鉛筆一本まで支給を受けたら報告書を書けと言う文科省の書類万能主義、形式主義は人の能力を殺す。こんな国では優れた画期的発明は生まれない。ただ役人のその場しのぎのための学校が十年一日のごとく意味もなくただの作業をしているだけだ。

Posted at 2013/02/06

A Letter from Korea

2013年02月22日 | 韓国

きょうは、朝から雨で出かけたくなかったのだが、コペンのドアのゴムブッシュがとれているのを発見した。やむなくダイハツに行って部品を注文しようとしたところ定休日だった。無駄足を踏むと責任を他になすりつけたくなる。

なぜ一言、「定休日かどうか確認したら?」と言わなかったんだとか責任転嫁をする。確認しなかったのは私であり私が悪い。しかし、人間はそう上等にはできていない。いろいろ当たり散らし買い物しまくり寿司食いまくり少し落ち着いた。

で、家に着くと午前の便で手紙が来ていた。僕は人の知能を奪うメールというものが嫌いだ。漢字を忘れる。時候の挨拶を忘れる。語彙が貧困になる。もともと貧困な言語能力の人には影響なしか。

いや違う。貧困だから苦労して辞書を引き文を練り能力を高めて子孫に豊かな日本語を伝えねばならない。なんとかポッドとかいう魔法瓶みたいな名前とかタブレットとか言う奴は、まるで原始人が石板に楔形文字を掘るようだ。

こうしてキーボードをたたくのもあまりよろしくないと思う。しかし、その分きちんとした文章、手紙、日記をペンを持って書いていれば言語能力は必ず向上し豊かな日本語があふれ出すようになる。

僕は外国生活が長く日本語は忘れていた。ほとんど英語と現地語の生活だった。というと、「すごいな」という反応が返る。韓国ですよ、と言うと訊く人の表情になあんだという影が差す。ま、低脳の心配はやめて僕の日本語だが、なんか変になっていた。「、」をどこで打っていいか分からず規則性もなく、主語述語もきちんと呼応していたとはいえない。

ピーターフランクルさんは十ヶ国語を話し書き読むのだが日本語習得にその時間のほとんどを割いたと言っていた。僕の日本語はほぼ一年かかって大体の水準まで回復した。それを変なリカちゃん電話ごっこで堕落させたくない。不潔だ。ひとが指を滑らしたところをまたなぞるなんてどんな育ちなんだろう。

つまり、豊かな言語文化を親指相撲に堕落させてはいけない。

手紙は韓国からだった。娘をどこか大学の講師にでも押し込めないかと言う不正な頼みだった。僕にそんな力があるはずない。僕はただの失業者だ。ただその娘の親は大学教授であるためその手紙たるや目の覚める韓国語だった。

せつせつと子を思う親の心情をとき僕を褒めあげ韓国での職をちらつかせ、且つ嫌味を隠し韻を踏む文章は日本語ではお目にかかったことがない。これはプラスチック板をこすって上達できるものではない。
 
ペンを持ちきれいな字で日本語にしろ韓国語にしろ優れた文が書けるようになりたい。

その手紙に対する僕の返事はこうだ。

「様々の方々の導きにより先生とは多くの接点を持つことができました。今後は我々の人生においてただの一回も接点のないことを願います。」

                                    (写真は延世大学大学院)

Posted at 2013/02/05

Peter Frankl

2013年02月22日 | 学問

 

数学者ピーターフランクルの講演を聞きに行った。入り口をうろうろしていたら期待通り本人に会った。握手の手は大きく一般の欧米人がそうであるように痛いほどしっかり僕の手を握りしめた。

講演は30分も超過して行われた。ほとんどの人は彼のジャグリングを見に来ていたのだが、それはそれでいいと思う。枯れ葉マークどものうるささもなんとか耐えた。

彼は低脳用にジャグリングでごまかしつつ、できるなと思ったやつには数学の問題を出した。僕は、俺の他に誰ができるものかとタカをくくってゆっくり解いていた。ピーターフランクルは入り口で僕と5分ぐらい話したので僕を覚えていた。そろそろ解くころだと僕の方ばかり見る。

これは圧力になった。しかも一番のポイントは僕は分からなかったということだ。

一番じゃないといけない。このことを曲解して、日本が一番になればよく、われらはそれを蚊帳の外から応援していればいいのだという無責任で逃げに徹した思考停止の大多数がいることが問題だ。

日本が一番になるためには自分が一番になるのだという気概を一人一人が持たねばならぬ。そのためには解けるまでは悔しくないとだめだ。僕は講演の帰り道、悔しくて悔しくてたまらなかった。

日本に敵対しているのはロシアや北朝鮮や中国ではない。現にそれらの国の優秀な頭脳たちは日本にも来、相互に留学し力量を高めている。日本に来ているそれら諸国の天才たちはかならずや日本に貢献する。バカがない頭で高校時代は野球の応援で卒業したくせに一様に日本の将来を心配するが大きなお世話だ。日本の邪魔は天才中国人ではなくサバの目をして口を開けてパチンコをして酔っ払って寝るしか知らない者たちのことだ。

俺の整備は日本一だ。おれの修理は日本一だ。おれの溶接は日本一だ。それらが集まって世界一をつくる。僕らはこんなに働いているじゃないか。世界で二番なんてありえないぞ。

==
以下は数学の問題ですのであまり得意でない方は飛ばしてください。

今年の2013という数字を1,2,3,4,5,6と四則乗除を使ってあらわせ。
ヒント、昨年の例 4*512-36=2012(左辺に1,2,3,4,5,6、が揃っています。)  さらにヒント、2013は11の倍数でありかつ3の倍数です。

解は今のところ3通りあるようです。それ以上はよく分かりません。T-kazuさん頑張って。T-kazuさんは本物の天才です。どなたもチャレンジしてください。

Posted at 2013/02/03
 
 
 
 
 

百鬼昼行、奇々怪々、脂粉の香りにむせかえる魔都、上海  その7

2013年02月22日 | 東洋歴史

ずっと僕の心の中に留まって僕に話しかけ続けているような、心に尾を引く事件が起こった。約束の時間に合わせてトロリーで僕は目当ての病院に向かった。

残念なことにその病院の漢字が読めなかった。毛沢東はとんでもないことをした。漢字の漢字たる根本を破壊してしまった。表意を表音にしたらその文化は別物になる。ばか。上海南東部にひときは高くそびえるガン病棟。

僕はそこで「気」を感じた。とても優しく、お母さんの腕の中で眠ったらきっとこうだろうと思わせる「気」がその病院には充満していた。

患者さんは血色のいい人ばかりでとてもガン患者に見えない。僕も癌になったらここに来ようと決心した。

十人ぐらいが先生の講義をうけた。もっとも理解していなかったのは僕だ。ことばは会話で鍛えても学術用語には太刀打ちできない。それでもよかった。たゆとう「気」に包まれて示されるパワーポイントを見ていた。

するとその病院の先生は受講者の間を回り気功を施し始めた。ある人は腰をさしだしまたある人は前かがみになって肩を出した。残念なことに僕の前は素通りしたがそれもそのはず。僕には痛いところはなかった。

磁石に触れずに磁石の針を回転させたり刀を頭で受け止めたりした。

きっとこりゃ、あとでなんか買うことになるなと思っていると、突然僕が名指しされた。別室に呼ばれた。僕はその先生が福岡に来たときのアルバムを紹介された。そして彼は言った。

「君は気功に興味があり気功師の友達がいるはずだ。しかし、君は全面的には信じてないね。君の知る気功師は本物だから多くを吸収しなさい。」

ハイという以外なんと言えよう。

建物や部屋など一定の空間に入る時とても幸せ感に包まれる時がある。絶対いいことが起こる予感がし、かならず起こる。そしてその逆もある。

あまり多くの期待はできないが、僕らはいろんな「気」の中で生きていると思う。なんとなく「気」が合いそうな予感のする人は実際気が合うし、嫌な人はずっと嫌な人であり続けるし、その六感に逆らうのはよくないんじゃないかな。

先生が僕に、「悪い心をやめなさい。あなたはホントはいい人ですよ。」と言ってくれた。

それは僕の心にずっととどまっている。嬉しかった。

上海ありがとう、さようなら。

Posted at 2013/02/02

百鬼昼行、奇々怪々、脂粉の香りにむせかえる魔都、上海  その6

2013年02月22日 | 東洋歴史

豫園に行った。18世紀明代の製造だからあまり古くない。今は規模も小さくなり当時の半分のようだ。太平天国の乱のとき、いくらか洪秀全の分派が拠点にしたことがある程度のようだ。

今はその面影もない。碑か解説の立て札がほしかった。「小刀会」、なかなか怖い名前だ。手りゅう弾もはやりだが室内では短刀にまさるものはない。小型武器としてほぼ完成形に近いと言える。威力、スピード。証拠を残さず必ず殺す。且つどこに隠しているか分からない。黒社会の必需品だ。「小刀」、純化した美しい形をしている。単純だから美しく完成形に近いのだ。

タコはこの逆説が分からない。複雑でごてごて飾り付け、何でもチョロチョロついているコンビニ弁当が完成形と思う低能だ。

そうではない。スナッポンだ、KTCだと凝るまえにモノはなんのためにあるかを考えよ。例えばドライバーはねじをまわすためにある。持ち手にひだがついて滑りにくいだと。バカ。ついてなくとも滑らないモノをつくれ。持ち手に穴があいて他のドライバーを入れて回せるだと。バカ。そうしなくても力の入る持ち手を工夫しろ。

「小刀」に鍔(つば)はない。刃で自分の指を切る可能性がありそうだ。ところが鍔があるとゴロゴロして体に隠しにくく体の動きも悪くなる。だから独特の工夫をして取り出しやすく自らは傷つかない技が生まれる。刃はさやの中にあるときは刃先の一点でさやに接している。さやは刃のみねがある部分は広くなっている。すべて命がけの試行錯誤の結果純化されて理想に近付いたものだ。

そこらのオカマ車の配線だらけの醜態とは正反対を行くものだ。

「小刀」一つで理想郷(太平天国)を夢見た洪秀全一派。近接戦では最高の武装をしていた。洪秀全はけっして無謀な戦いを挑んだわけではない。列強が中立を決め込んだとき最もあわてたのは清朝政府だった。単独では勝てないからだ。恥ずかしくも列強が介入を決めたとき最も安心したのは清朝政府だった。清は自国を蚕食されて喜んだ。

しかし、そのことを豫園を訪れる日本人のだれが知ろう。豫園に千人行こうと、やかましく鳴る日本の懐メロにフラフラとシュウマイを買いに行くのがオチだ。それじゃあ島はとられるぞ。

豫園の回廊を回ってコーラ(本物)を飲んで歩いていたらひょっこり外に出た。トロリーバスがいるではないか。僕は絵本でしか見たことはない。運転手がトロリーを下して木陰で休んでいた。バスの中を見せてくれというと実に愛想良く見せてくれた。

仕組みはよく分からなかったが、「小刀」を思い出した。モーターしかない。少なくとも40年は経っているだろう。ハンドルのある電車だ。テントウムシの二本の触覚のような可愛く伸びた天井のひげが運転手とともに休憩をしていた。回生ブレーキとか小賢しいことはしない。終点での方向転換はどうするのか聞いた。転車台みたいなものがあるかと思ったら、ただそこらを架線と一緒にぐるーっとまわるそうだ。

こりゃあいい。故障するところがない。架線が外れたら紐でトロリーを動かす。なんでも複雑なのが機能が多くていいというバカヤローが、バス停に電極を置いて乗客の乗降時に充電をしようとか考えたらしい。次のバス停まではバッテリーで走ろうというわけだ。

モノはあれを足しこれを足し完成するのではない。

モノはあれをひきこれをひき単純になって完成する。
                                             (写真は豫園)
Posted at 2013/02/02


百鬼昼行、奇々怪々、脂粉の香りにむせかえる魔都、上海  その5

2013年02月22日 | 東洋歴史

僕に現金を払わせて、Discountしたことにして差額をくすねたいらしい。VISAはダメだと言った。これは中国に限ったことではない。済州島でもそうだった。

バカたれ、そうは行くか。黒社会に怯えるとでも思ったか。僕は、日本人を呼べと言って譲らなかった。するとできなかったはずのVISAが可能だという。それでも日本語のできるのを呼べと言った。

ちょっともみ合いになったがマネージャー格の人が出てきて謝った。不愉快だったのでここで食事するのはやめてタクシーで街に出た。

夜も遅かったしクルマも少ない。霧は出ていたがちょっとぐらいいいだろうと思い運転を交代した。もちろん国際ライセンスはある。わざと蛇行運転をして運転手が心配するのを楽しんだ。この程度で心配なら日本車を買うんだな。ずいぶん余分な料金をとったが心配料も入っているとしよう。

翌朝は早くにジムに行った。ちょっと離れたところにあって、田舎の温泉旅館みたいに廊下をくねくねして到達した。係の男が一人いた。狭いプールもあったがジムがとてきつくくたばってしまった。ちょっと横になっていると僕に日本史の質問をした。

彼の年齢からして彼の質問が基礎的だったので、もっと体系的な学習が必要だと言った。この時どの中国人もそうだ。一部の方が熱愛する台湾人もそうだ。けっして人の指図に対して素直じゃない。歴史は暗記じゃない。近代、ましてや昨日今日の尖閣など本質的歴史認識にとってはどうでもいいことだ。歴史観なしには現代に熱くなる資格はない。と言った。

これは聞く耳持たない日本人にも言えることだ。聞く耳がないのだから反論もしてはならない。ジムの受付程度の中国人は反論した。それは一瞬僕を黙らせる力を持っていた。

「中国史は東洋史ですから。」「日本は東洋の一部でしょう。」

まるで、歴史観なんて東夷の国が大きなことをほざくなと言わんばかりだった。彼はただジムの客のレベルを試しただけだった。

どうもすっきりしなかったが、おいしいおかゆを食べて街に出た。(写真はホテル日航上海の部屋)

Posted at 2013/01/30

百鬼昼行、奇々怪々、脂粉の香りにむせかえる魔都、上海  その4

2013年02月22日 | 東洋歴史

蘇州から上海へ向かうバスの中で僕は泥酔していた。何やら蘇州、上海間はトイレがないそうだ。そこで日本の小金をためたにわか成金の便所虫たちが、ちょうど中点に便所をつくった。自分らも使うし住民も利用でき日中友好に資するものだ。

バカ。これほど中国人をバカにした行為はない。「あなた達は便所も作れない人たちだから、便所を恵んであげますよ。」中国人の中に僕がいたら、上から目線のジジイ達を便所に蹴落としただろう。何だと思っているんだ。自国の文字もなかった国がわずか千年すると便所をプレゼントするだと。イラッとくるのが分からんのか。

なあライオンズクラブ、ロータリークラブ。ままごと仲良しお茶濁しクラブのやることはたとえ報道されなくても僕は知っている。

でもなあ、目が覚めるとトイレ行きたいもんなあ。これが僕の無節操なところ。でも人生は無節操になったとき、かならずのようにアバンチュールのチャンスが来る。

ちょうどいいことにバスがスピード違反をした。なんだか時間がかかりそうだったのでこれ幸いにそこらの草むらで用を足した。ところがアホ警官。僕が外に出てるのを知りながら発車の合図をした。どうしてどの国も警官というのは融通か効かんのか。

旅行は荷物を持ってはいけない。るるぶバカ女は家出する荷物を抱えている。それはよかったが、しばらくすると雨まで降りだした。5,6メートル登った所に商店が3,4件あった。とにかく休もう。

コーラまがいのモノを飲んでいると向かい側に高校生ぐらいの女の子が座った。筆談した。彼女らは筆談に慣れている。あたりまえか、文字の国だ。いやいや僕が韓国語で発音すればたいてい通じるんだと言っても、ケラケラ笑ってそんなことはないという。数学も見た。日本よりちょっと深い。問題を出したが解こうとしない。それもそうだな。雨にぬれた怪しいのが小道を登って来て問題を解けと言ってもいやだろう。

なにを言っても笑ってくれる。楽しい時を過ごした。雨は霧になった。土手の上の道に彼女らは消えた。自転車がスリップしても彼女らは笑っていた。

ぼくはNIKKOホテルに行こうと思い、エンジン付きリアカーに乗った、と言っては失礼か。昔日本にあったオート三輪だ。

Posted at 2013/01/29

百鬼昼行、奇々怪々、脂粉の香りにむせかえる魔都、上海  その3

2013年02月22日 | 東洋歴史

帝国海軍は戦国大名同士のような統率のとれない烏合の衆だった。戦がすめば政商と呼ばれる掃除屋が庶民がため込んだ水冷チェコ機関銃を挑発した。ときとして強奪し気が向くとカネを払った。今でいえばさしづめレアメタルというところか。タングステン、ラディウム、コバルト、ニッケルこれらを独占的に買い上げ海軍航空隊に納入したのが政商児玉誉士夫である。タイトルにある「脂粉の香りにむせかえる魔都、上海」とは児玉の言葉である。

つまり、陸軍も程度の差こそあれ同じ穴のむじなであったが、麻薬をばらまきアヘン中毒を増やし戦力を低下させ、薬中に薬をちらつかせ貴金属を集めた。

つまり帝国の軍資金は朝鮮銀行のむやみな銀行券の発行と、アヘンを餌に富を吸い上げる100年前のアヘン戦争の再現で中支戦線を乗り切ろうとした。

これは児玉誉士夫が一人で考えついたモノではない。戦後競争ボート会を私物化し、札束で自民党の首をしめ上げ黙らせた佐々川良一の入れ知恵である。児玉はA級戦犯に問われるがさっと旗を持ち変え星条旗に忠誠をつくすため、トルーマンの覚えめでたく戦犯の件はうやむやになる。

うやむやにならなかったのは大陸からかっさらったダイヤモンド貴金属の類である。一説によるとトラックで運んだというダイヤ類は戦後の自民党をつくった。

こう書くと戦後の児玉の暴力団稲川会との一体性、ロッキード事件と政界との癒着、戦前の腐敗した政商が戦後国会議員になったこと。戦友を裏切って絞首台に送り自分は丸紅の社長に収まった瀬島。・・・限りないが今回は話を戦前に限る。

児玉誉士夫が上海大厦の上方階をフロアーで借り切ったとき川島芳子は最上階で田中隆吉との逢瀬にふけっていた。

上海大厦のエレベーターの門は刑務所の門のようにガシャンと締まる。周りの大理石の壁がだんだん早くなる。丸見えだ。今は上方階には行けなくなっているが川島も小佐野も児玉も山本もこうしてこのエレベーターを使ったのだなと思うと日本史に暗躍した政商たちに乗り合わせるような気がしてくる。

ボタンがいいじゃないか。行き先を押すと1センチは引っ込む。きょうびの軽薄なビルはなんだ。押しても明かりがつくだけだ。これじゃあやる気がなくなる。時計の針のような行き先表示もいい。デジタルでこっそり表示だけ変わるのは乗り手に失礼だ。

地下はジャズをやっている。とても下手だ。往時をしのぶことはできない。調度品が何とか雰囲気を出している。大声を出す日本のガラの悪いのが帰るとそこは中国になる。最上階から軍服を着て降りて来る麗人がいる。男装の麗人は田中少佐との逢瀬に飽きるとここで酒を飲んだ。自分のことを「ボク」と呼び日本人、また帝国軍人になりきった川島は、男装はしたがけっして麗人ではなく、何よりもあと数年の命であることに最後まで気がつかなかった。

とても軍人とはいえない細い体格が哀れである。祭り上げた日本人も残酷だ。

満人の彼女は軍法会議で死刑になる。養子先の川島浪速も田中隆吉少佐も戦後は他人事のようにしていた。彼女の戸籍を送ってくれという要求は届かなかった。あたりまえだ。

Posted at 2013/01/28

百鬼昼行、奇々怪々、脂粉の香りにむせかえる魔都、上海  その2

2013年02月22日 | 東洋歴史

前回は、魔都上海とタイトルするよりノスタルジック上海残照であった。ところがのんびり懐かしむ現実は、その当時、どこにもなかった。当時、瀟洒な西洋館の住民たちは使用人すら信用できない戦々恐々の日々を過ごすのであった。それだけに刹那なその時を楽しんだのかもしれない。

使用人は目を離したら家具を盗む、カネを盗む、掃除をさぼる、買い物をさぼり、古い野菜を使う。租界の支配人達もいざとなれば本国に戦時交換船で帰られるというやけくそな気持ちで博打に興じた。家庭には電気冷蔵庫、ガス冷蔵庫、食洗器、洗濯機、乾燥機、プール、ピアノ、シャンデリア。今日本にあるものはすべて完備していた。

国民党軍も日本軍もフランス租界、共同租界の安全を保証することについては了承済みだ。これは日本軍にとってずいぶん分がいい話だ。お隣の家の座敷に座布団を広げお互いこの座布団の内部ではケンカをやめようというわけだから。

そんな約束で平和が保たれるはずがない。平和だったら何でもいいという考えが今の日本には多いが、中国人にとっては屈辱の平和などいらないものだった。殺人、誘拐、強盗、窃盗というテロは、たいていその家の使用人がグルだった。愛国無罪の始まりだ。歯を矯正した子供は真っ先に誘拐の対象になった。商品価値の高いモノをとるべきだから。

上海市郊外の虹口にある通称日本人租界には3万の日本人が住みわが世の春を謳歌していた。昼間であればショウファーの運転する車で、キャセイホテルでおいしいランチを食べることもできた。食事の後、Teaを飲みながら行きかう人を眺めているとサービスでCakeが出た。腕にクロスをかけた中国人の給仕はポマードをなでつけた髪でこう言った。「日本にもこのようなCakeがありますか。」ない。ここの日本人たちは50年100年先の暮らしを先取りしていた。

ただし、死の確率と引き換えに。

この3万日本人を侵略の尖兵と見るのは誤りだ。コロニアルとはそういうものだ。それがいやなら毛沢東と共に戦え。どの家庭も5~6人の下男下女を抱えていた。勝った者は何をしてもいいのに、それにしては日本人は控えめだった。

子供が寝ると夫婦連れだって上海大厦(シャンハイダーシャ)にクルマをまわした。半地下のステージ兼ホールは毎夜趣向を凝らしたショウをした。ときどきご婦人がたが眉をしかめる出し物もあったが、長い幕間に流れ続けるジャズは超一流だった。

ところがあるとき帝国海軍がこの上海大厦を接収した。現在でも大厦は最高のホテルである。外灘(ワイタン)を眺める最高の位置にある。ここの最上階に泊まって思わなければならぬことがある。ここに児玉誉士夫がいたのか。山本五十六は大厦の接収に欣喜雀躍して喜んだ。

キャセイホテルも国民党軍の盲爆で破壊された。

東洋の小島の山猿のうち、上海一旗組たちが抱いた夢は思ったほど長続きはしなかった。

Posted at 2013/01/26

百鬼昼行、奇々怪々、脂粉の香りにむせかえる魔都、上海

2013年02月22日 | 東洋歴史

「犬と中国人入るべからず」。フランス租界(租界とは、欧米列強および日本が獲得した中国内の治外法権地域)の公園(現黄浦江沿いにある公園)に実際に在った立札だ。租界自体は戦時中、中国の勝利を見越して列強はいっせいに手放した。

領事館周辺を起点に拡大を続けてきた各国の租界は、それぞれおよそ50年の歴史を持つ。

租界だったところを歩いていると、とても素敵な西洋館に出くわす。最近ひと儲けをたくらんで昔風にコンクリートバラックを建て観光客を狙っているところもある。そういう「まがいモノ」が好きな「るるぶ」日本人は簡単に釣り上げることができる。

すぐにヤらせるのが言葉もできないのにカネをしょってやって来る。ただ残念なことにこの鴨は頭がパーだ。どっちがサービスしているか分からなくなる。ま、とにかく舞い上がってのぼせてしまっている人はありがたい。

並木の立派な租界に行くと何十件も西洋館が立ち並ぶ。遠目にはヨーロッパのようだ。しかし、近づくと大勢の中国人がその洋館をしきって住んでいた。ひと部屋にひと家族二家族。一つの洋館で10家族。

一部保存の動きがあるときくがもう遅い。モノの使い方のしつけを受けてないから建物は壊れる寸前だ。

とくにここ、フランス租界は麻薬の取引で財をなしたものが多い。日本の成金は決まって下品だ。意味のない掛け軸。庭にはコンクリート製の鶴がいて水を池に噴き出している。汚い。やたらケバい服を着たがる。泥のついた靴で他人の玄関を汚す。・・・に比べれば一旗揚げようとやってきた南フランスの貧乏人は上品だ。

シャンデリアやピアノや蓄音機や家具調度品は、とっくの昔に盗まれたか薪になってしまっているが、庭の木々の配置、凝った階段を見ながら空想すると楽しい。ああ、ここがリビング、ここは子供部屋、寝室、・・・。今やそれぞれに寄生虫みたいに中国人が住みついている。

「中を見せてもらってもいいですか。」という僕に鋭い敵意を見せたのは寄生虫たちだ。金持ちは奪われることに鷹揚だ。貧乏人は、奪われることにヒステリーをおこす。こんなによってたかってモノをとり合い大事にしないからかえってモノの寿命を縮める。

中国人を虐げようと「犬と中国人入るべからず」といったのではない。お前らが訳も分からず公園をうろつくと公園がダメになるのだ。現に被害にあった公園管理者の怒りを感じる。

しかし、中国人がこの公園を汚す理由はほとんどなかっただろうが、フランスがここに公園をつくっていい理由は全くなかった。

Posted at 2013/01/25

工藤会「特定抗争指定暴力団」、頑張れ その2

2013年02月22日 | 社会・経済

工藤会の弁護団は「特定抗争指定暴力団」や「特定危険指定暴力団」に指定されたという行為自体について憲法違反の疑いがあるとして指定を取り消すよう提訴した。

まず直罰規定(中止命令を出さず即座に逮捕できる)は、被疑者の抗弁権を奪うもので到底納得できない。この時よくあるのは「そんならヤクザをやめたらいい」という意見だ。

いやならヤクザをやめろという乱暴な意見は一般市民が企業、学校から不当な扱いを受けたとき聞こえてくる意見だ。つまり、お前いやなら学校やめろよ、残業いやなら会社辞めろ、と同じ理屈だ。「法の下の平等」はいわゆるよい子ぶる一般市民だけのモノではない。

具体的に言うと、敵対暴力団の事務所付近をうろついた、これで逮捕の構成要件となる。この判断は極めてあいまいな基準であり別件逮捕を容易にするだけだ。あるいは不当な要求をした場合直ちに逮捕できる。

日本はなぜまどろっこしい令状主義をとっているか。戦前の強大な警察権力がいかに多くの冤罪を生んできたかということへの反省のもとにある。僕が怖いと思うのは用心棒代を要求したというのがその直罰規定に含まれていることだ。

何故工藤会はいけなくてSECOMはいいのか。一体何人工藤会が殺したというのか。

国家権力がその道を誤ったとき300万人が殺された。指をペンチで潰されるのとガソリンのシャワーで生焼けにされバタ狂って死ぬのと何の違いがあるか。

確かに九州ヤクザは荒い。暴力団追放運動の関係者宅や一般企業に銃撃し、平然と手榴弾を投げ込む。しかし、だから何だ。暴力団追放運動をするということは工藤会に敵対するということだ。容易に激昂し闘争の貫徹のみに価値を置く、そうでないヤクザは死んだやくざだ。九州ヤクザは情けをかける必要のないところにはかけない。

一般企業を襲っただと。九電はヤクザとともに大きくなったじゃないか。総会はヤクザのうっ憤晴らしの場だった。高額な業界誌なるものを購入してないか。第一、配当を0にしておいて役員報酬が3000万円/人となれば僕も手榴弾を投げ込むのに躊躇ない。

警察は、法の手続きもふまず、令状主義も踏みにじり、市民の人気とりができると思って勝手なことをするな。アルソックとSECOMと用心棒の違いは何か。背中に唐獅子牡丹があるかないかだけだ。入れ墨をした人間が用心棒をして何が悪い。「市民」もかってだ。都合のいい時は今まで工藤会に泣きついてきたくせにみかじめ料が惜しくなり今度は「良い市民」になろうというわけか。

そういう奴らが九州ヤクザは一番嫌いだ。

Posted at 2013/01/23

工藤会「特定抗争指定暴力団」、頑張れ

2013年02月22日 | 社会・経済

痴呆は口を開けば、住民に被害があってはと思うと心配です、子供たちの通学路になっているのでたちのいてほしい。

じゃあやくざを辞めようか。本当に辞めていいんだな。低能無能のコネ採用のアホ警察はチンピラを統治する能力はない。

ガンを取り去るとそこら中の大人しくしていた細胞ががん化して収拾がつかなくなる。それをおさえる力は警察には全くない。僕は頬に傷があるのでサウナに行くと必ずチンピラがよってくる。「兄ちゃん、いい傷もっとうのお。」このチンピラが便所の蛆虫のように湧いてきて、ホッブスの言う「万人の万人に対する戦い」状態になる。

ある組の前事務所に行って来た。これぞ男の建てる家だと思った。腑抜けナヨナヨのタコどもにはこの素晴らしさが分からんだろう。そこらの腐れた郊外の狭い一戸建てなんか広間に3軒は入ってしまう。

だけど一般市民に迷惑をかけて、とバカが言う。言っとくけどね。ヤクザが市民を何人殺した?

市民に関して無差別の攻撃を仕掛けるやくざはいない。人間だから間違えることはある。その時はちゃんと損害賠償を払っている。全国で数人だ。車は何千人も殺している。

公共工事に因縁をつけて介入するだと。は公然とその工事を私物化しているじゃないか。朝鮮は芸能界を私物化し公共の電波を私物化した。チンピラ芸能プロは鮮人を使って稼ぎまくり笑いが止まらんだろ。ヤクザが興行に関与していくら稼いだというんだ。

儲からなくともやることはやっている。そこが工藤会だ。中国領事館を攻撃。パチンコ店を連続銃撃。九州電力会長宅爆破(失敗)。・・・

これを小学生の言う、あるいは小学校の先生の言う「暴力はいけません」という眠たくなる言葉で言い返したつもりになってはいけない。一回も私人を目標にしたことはない。

無実の人をつかまえて無理な自白で有罪に持ち込むのは私人に対する拷問じゃないか。なあ警察。特定の業者だけに何十年も工事を振り分けるのは賄賂があるからだろ。なあ、福岡市を始めその周辺都市。国土交通省のダム利権だってでたらめじゃないか。

お前らだってやくざと同じ手口で人を脅し税金や選挙などの弱みに付け込み、職員採用、職員人事、職員服務、備品購入(これがきわめておいしい)、土木河川改修に介入したじゃないか。果てはチンピラ職員まで天下りをしている。天神(福岡)であったとき僕の顔をちゃんと見ろよ。

博徒は不正に怒るもんだ。

Posted at 2013/01/21

揚州、鎮江、金山寺。 2

2013年02月22日 | 旅行

そのお坊さんに案内されて屋根のないテーブルとイスだけの部屋に案内された。かなりの高僧らしく通る人がみんなそのお坊さんにあいさつしていった。最初は僕にあいさつしていると思ったが、そんなはずあるわけない。

細い木が生えていて中庭に椅子を持ち出したようで外界を遮断して気持ちいい。

僕はこの数年後ダライ=ラマと会うことになるが同じ緊張感だった。大抵だれにあっても緊張することもなく、たいしたことない奴だな、と思うことが多い。ところが学者と宗教家の本物に会うと自分の器の小ささに歯がゆくなる。

僕は聞いた。「社会との断絶の中で生きて修行して、それはよいとしても、社会に還元しないことには意味がないと思うがどうか。」

高僧は言った。「社会との交流は発想の一助になることは確かで断絶して生きているのではない。本質に到達していないのに何を還元するのか。」

僕。「本質の内容はさまざまであろうが、そもそも本質のありかをどこと考えるか。」

僧。「実体にはないと説くことが私の仕事と考える。」

僕。「実体にはなくてどこにあるのか。西欧ではやっと20世紀になって真理はモノにあるのではないということで哲学は決着した。」

僧。「それは私たちの考えと同一だ。」

大体の会話は以上のように進み、たがいにうち解けて写真に写った。ただ銀塩写真だったので僕のアルバムの中から出ることはない。

アホな本質主義はサルトルの「実存は本質に先立つ」ことの証明により粉砕される。だが仏教はすでに本質を「実体」という表現で強く排除していた。我執であり煩悩の原因である。サルトルに先立つこと2000年だ。

偉そうに例を出して恥ずかしいが。例えば、あなたは何か、の問いかけに即座に答えるのは困難だ。場合によっては日揮の社員であり家庭においてはパパである。また組合においては分会長かもしれぬし親から見ればあなたは息子だ。

つまりあなたの本質はあなたの中にはない。会社との関係によって社員という位置づけがなされる。家庭という関係においてパパという位置づけがなされる。つまり本質はあなたの中にはない。あなたが他との関係を持った時本質は生まれるのだから、本質はそのものの中にはなく関係の中にあると言えるのだ。

あなたはアプリオリに本質よりも先に存在している。本質はあとから関係とともにやってくる。

日本のニセ坊主たちの不勉強と集金主義により意味もなく分裂した「何枚だあ教」はカネを数える能力しかなくしている。

僧は僕を見送るとさっと自分の生活に帰った。振り返るとそこに姿はなかった。

Posted at 2013/01/21

揚州、鎮江、金山寺。

2013年02月22日 | 旅行

 

揚州の対岸にある鎮江。同様に物資の集積地、交通の要衝だったところだ。しかし、ここは揚州よりもはるかに多くの日本資本が進出している。

シェラトンだなんだとバカでかいホテルが多いがおしなべて下品だ。ま、商売人の出張に使うものだな。味も素っ気も品位も歴史も何にもない。会議室が広いぐらいで僕には関係ない。飯がうまくない。油の温度が低い。この頃できた安普請のホテルに五つ星がついている。だったら僕の自宅は七つ星だ。

七つ星なんてそんなはずないけど。揚州の隣のこの町は揚州飯店(ホテル)から日帰りでちょうどいい。泊まったり食ったりで楽しむ街ではない。僕にとって鎮江のポイントは金山寺だった。

ただ「お酢」が有名で味がまろやからしい。やず屋の黒酢のCMが撮られたそうでCM会社はいい場所をよく知っているなと思った。「西津渡古街」がその場所で小さく懐かしい夢で見たような場所だ。

金山寺はその近くにある。だが、どうせ黒酢や金山寺味噌狙いの人も多いだろうが、言っとくけどおいしくないし、「西津渡古街」に行っても黒酢はないし金山寺に行っても味噌はない。上海の免税店で日本製を買った方がうまい。

阿倍仲麻呂の歌碑もあったが最近建てたまやかしだ。行く必要はない。

あまり面白くない一日をすごし夕方金山寺の塔に登った。さすがにここはよかった。広くひらけた展望に、目を輝かして先進文物に触れ学習した遣唐使たちの姿を想像した。現実に見えたのは侵食する資本主義的生産様式、すなはち無計画な工場群だったが。

まあよしとしよう。資本主義はどんなに大きくなっても自転車だ。止まったら倒れる。

坂道を下って帰っていると下からお坊さんが上ってきた。僕はせめて記念にでもなればと思って、写真をとってもいいですか、と申し出た。お坊さんはどの観光客もそういうのだろう。ちょっとうんざりした表情を浮かべた。まずかったのだ。でも僕の心は、どうか分かって下さい、と願っていた。僕は写真を集めて喜ぶバカではありません、という気持ちでいっぱいだった。

お坊さんは言った。「写真は何にしますか。」僕は、「お話をしたいのでその記念にしたいのです。」と言った。すると「照片(写真)? 不行(ダメ).来(来なさい).」と簡単に言うとどこの者とも知れぬ僕を金山寺の奥につれていった。僕はそこで、金山寺味噌を食うよりはるかに貴重な経験をすることになる。

Posted at 2013/01/20
 
 
 
 
 
 

「物理学はいかに創られたか」

2013年02月22日 | 学問

このタイトルを見てあっと思った人はなかなかやりますね。そう、アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein)。で、といえば相対性理論。

ところがこの本には相対論が書かれているわけではない。数式もせいぜい分数しか出てこない。しかも、日本では1939年の初版だ。今日まで40刷をかさねている。

ネットでこうして自分の考えを書きとめていくことができるのは確かにいいことだ。ただし検索機能の浅はかさを実感する時がある。これをあたかも辞書をひいているつもりで活用していると、その人は確実にバカになる。

最初に書いた相対論だがネットで「検索」をかけると、まず通販の広告がこれでもかと出てくる。そのつぎにボチボチでるのが相対論について一部を掘り下げた学生か三流大学の教授の論文だ。つまり、いつまでたっても「そのもの」が出て来ない。

もちろん本屋を絶賛するわけではない。店頭に並ぶノウハウ本と同列の科学雑誌に「ニュートン」があるがこの本は人を最高にバカにした本だ。腕時計の写真をならべて雑誌と称している類で、女の食道楽ブログだ。

「ニュートン」は結果の説明をもっともらしく絵入りでならべている。いかに相対論はつくられているのかという考察がない。E=MC?がどういうことかなんて言わない方がいい。どうやってその式が出たかを言うべきだ。もちろん本格的な検証は一般人にはできないが、そのつもりがあるとないとでは大違いだ。バカ雑誌は子供を低脳にする。

知っていることと分かることとは天地の開きがある。バカは知識をほしがる。賢いのは理解をほしがる。

なんか難しいわけ分からんことを書いていると思っているあなたはバカです。でもバカは恥ではありません。恥はバカであり続け、何の努力もしないことです。

GPSは原子時計を利用しているが、相互に異なる方向から衛星が飛んでくるので運動する物体に時間の遅れが生じる。その時相対性理論で修正を加える。現に行われていることだ。

ままごとゴッコで野球の応援でもして高校を卒業した人には何の話か分からんだろうが、知ろうとする努力はサルになりたくなかったらけっして怠ってはならない。

今日の朝日に東大の准教授の浅井祥仁(あさいしょうじ)が書いていた。東大准教授とは世界最高の頭脳だ。血を吐く努力をしている。本物は威張らない。本物は何でも人の言うことをよく聞く。本物は臆せず分からないことを尋ねる。本物は出しゃばらない。本物は穏やかである。

Our intention was rather to sketch in broad outline the attempts of the human mind to find a connection between the world of ideas and the world of phenomena. (この本を書こうとする意図は、世界の理念と現象のつながりを見出すために、人はどのような試みをしてきたかを概略描こうとしていることだ。)と、アインシュタインは書いている。

東大の浅井やノーベル賞の小林先生も同じことを言っている。考えろ。考えて考えて考えつくせ。
小林先生なんかは相対性理論は重要だから高校の教科書に入れろと言っている。

さあ困った、不潔でくさい女子高校生。

Posted at 2013/01/19