僕らが学生のころ、朝日新聞には最高に優秀な学生が就職して行った。大学入試より少し難しい入社試験だったが、たっぷり4年間遊んで錆びついた頭にはいい刺激剤だった。
僕は役人になったが、その試験より難しかったようだ。ところが、今年は受験する大学生に異変が起きている。出身大学の傾向がまったく変わっている。これじゃあフリーペーパーかタウン誌の記事でも書いてりゃいいな。アメリカにNY Timesがあるように日本には朝日があったのに。
日本語がよく読めない、または、節を含む文章は分からない。こういうゴロツキはゴロツキ新聞の漢字の少ない文章なら読めるだろう。それはそれでよし。
ところが朝日の産経化あるいは、読売化が起きている。
SとVだけの誰がどうしたこうしたの記事を、なぜ吐き気なしに読めるのだろう。
僕は、この国の新聞では朝日と日経の文化欄にかろうじて清涼感を感じている。それは申し訳ないが読者の教養に支えられている。感動には能力が要る。そういわれて、ふてくされて易につく人には永劫に無縁なものだが、日本には世界に冠たる日本文化というものがある。
ここがポイントだ。やたら日本日本とか言う奴に限ってポン介で議論も出来ないばかりか、下手に騒ぎ外交交渉を困難にする。
朝日よ。功をあせって珊瑚毀損事件を起こしたとか対馬イタイイタイ事件をでっち上げたとかいうのは現場のせいにしてしまえる。問題は、社として取り組んだ事件が捏造だった場合、どんなに弁明の余地があろうとも弁明してはならない、ということだ。ひたすら謝れ。
吉田清治の虚言によってどれほど多くの不毛な対立が生じたか。吉田の虚言をいいことに慰安婦問題を捏造した。一人でもいいから日本軍に強制連行されたという売春婦の存在を証明してみろ。
取材の王道に徹すればもっと早く訂正できたはずだ。裏を取る、という記者としての基本の手順を踏んでいればそもそも問題すら生じていない。
2014年8月4日5日(昨日と今日)、朝日は言い訳がましくではあったが誤りを認めた。他のマスコミは朝日コンプレックスを晴らすように勝ち誇っている。朝日は、間違えたうえにウソをつき覆い隠そうとしたのだからそこらのゴロツキ新聞にも及ばない。
謝罪の言葉が一言もなかった。言い訳はタラタラ続く。女々しい。悪いことをしたら謝れ。
スピード違反で捕まったら、潔く切符を切られろ。急いでました、女房が産気づいて、子供が死にそうなんです。そんなことで見逃す警官はいない。
今国民は、警官になって朝日を見ている。