高桐院は、江戸時代初期の武将で、茶人としても利休七哲の一人として有名な細川忠興(三斎)が叔父(父の弟)の玉甫紹(ぎょくほじょうそう)を開
祖として慶長6年(1601)に父藤孝(幽斎)の菩提所として建立した寺院です。
高桐院山門
新緑や紅葉の時期に何度か訪れておりますが、雪景色も趣があり何より人が少ないことが良かったです。
参道正面の勅使門
勅使門を右に折れますと中門があります。
拝観受付の玄関
玄関を入りますと中庭があり左手に本殿と右手が書院とお茶室になっております。
書院「意北軒」は千利休の邸宅(利休の聚楽屋敷の広間)を移築したものといわれる建物で、さらに奥には、書院に隣接した茶室「松向軒」があります。
書院「意北軒」の一部屋
茶室「松向軒」
細川忠興自身が手掛けた茶室で、寛永5年(1628)に造られたといわれております。忠興は、茶人としても有名で、千利休の七哲の一人とされ、高桐院
には千利休ゆかりの品も多くあり、「松向軒」は秀吉が(1587年)北野神社で開いた大茶会で使われた茶室と伝えられます。 「茶室に珍しい黒壁は、
瞑想の場の感があって、簡素な中にも幽玄の雅味をたたえた名席である」と高く評価されています。
「松向軒」南側の庭園
本堂南庭園
本堂(客殿)南の庭は竹林を背景にした楓と石灯籠、緑苔で構成された簡素な庭園で、雪化粧の中赤い毛氈が引き立っておりました。
通常は、本堂西側に広がる庭園に下りることが出来るのですが、この雪では無理なようでした。
庭園奥には、細川忠興(三斎)とその夫人ガラシャの墓とされる石灯籠があり、この石灯籠は千利休が愛用した灯籠でありましたが、秀吉が欲しがっ
たため、灯籠の一角を壊して召し上げられるのを逃れたとつたえられております。なお、利休が切腹の前に遺品として三斎に贈ったものであるとも伝え
られております。またその横には、細川幽斎をはじめ歴代の墓もあり境内墓地には、他に歌舞伎踊りの名古屋山三郎や出雲の阿国の墓などもあります。
墓所の入口に有る三斎井戸
忠興公の墓の北側にある細川家代々のお墓です。
本堂東側
本堂南庭は江戸時代の初期に造園されたものです。
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