京都市北区紫野、大徳寺の北西に建つ 今宮神社(いまみやじんじゃ)は、別名「玉の輿(たまのこし)神社」とも言われ京都市北区・上京区において
西陣を中心に大きな氏子区域を持つ神社です。
今宮神社の起源は、1001年(長保3年)5月9日。この地で疫病が流行したことから疫神を船岡山から現在地に奉遷、新たに神殿3宇と瑞垣、神輿
を造らせ、大己貴命、事代主命、奇稲田姫命を祀りそれまでにあった疫社(えやみしゃ)とともに「今宮社」と名づけたのがはじまりといわれていま
す。 社名の「今宮」は、「新たに設ける宮」という意味だそうです。
正面の楼門から東側に回りますと駐車場があります。
今宮神社の東門の横には、向かい合わせで二軒のあぶり餅の茶店があります。
あぶり餅(あぶりもち)は、きな粉をまぶした親指大の餅を竹串に刺し、炭火であぶったあと白味噌のタレをぬった餅菓子のことで、今宮神社の店
は、平安時代の頃からある日本最古の和菓子屋とされております。 東門に向かって右手の「一文字屋」の方が元祖と云われております。
左手の「かざりや」
今宮神社参道で応仁の乱や飢饉のとき庶民に振舞ったと云ういわれがあり、またあぶり餅で使われる竹串は今宮神社に奉納された斎串(いぐし)
で、今宮神社で毎年4月の第2日曜に行われる「やすらい祭」の鬼の持つ花傘の下に入ると御利益があるのをたとえとし、食べることで病気・厄除け
の御利益があるとされ親しまれております。
炭火で焼かれた香ばしい香りに食欲がそそられます。 以前は、15本で500円だったと思いますが、4月の消費税アップに伴い料金据え置きで
2,3本少なくなったと仰っておられました。
店の前を通ると二軒から呼び込まれるので、申し訳ないので友人夫婦を「かざりや」私は、「一文字屋」で食べ二軒を食べ比べましたが、白味噌のタ
レの味に大きな差はありませんでしたが、一文字屋の餅の焼き方の方が香ばしく私の好みはこちらでしたが、焼く人が違ったりすると好みの差が決
め手になると思います。 香ばしいのが好きな方は、注文の時にそう言えば、しっかり焼き目を付けてくれると思います。
少し、あぶり方が薄かった「かざりや」のあぶり餅。 あくまで私の好みの範囲内で、どちらも美味しかったです。
かざりやの苔玉
東門
今宮神社は、「縁結び」の神様と云われておりますが、 「玉の輿」の神様とも云われます。 その由来は、徳川5代将軍綱吉の生母・桂昌院にあり
ます。 伝えによりますと、桂昌院は京都西陣の八百屋の娘として生まれながら、3代将軍・家光の側室となり、綱吉を産み後に綱吉が将軍となっ
たことから、生母として大奥で権勢をふるい、従一位の位にまで昇りつめました。
桂昌院は、高い身分を手に入れた後も故郷・西陣のことを心にかけ、 毎年「今宮祭」の日には大奥で将軍とともに祭事を行ったと伝えられ、戦国の
世以降、今宮神社が荒廃していることを 伝え聞くと、1694年(元禄7年)奉行に命じて社殿造営や牛車・鉾の寄進をしたり、中断していた「やすらい
祭」を復興するなどして復興に努められたと伝わります。
月読社 石畳の坂のつきあたり高台の上に月読社(つきよみしゃ)があります。伊勢神宮の別宮月読宮(つきよみのみや)の御祭神、月読尊(つきよ
みのみこと)を祀っております。
若宮社 境内の西側には加茂斎院、若宮を祀る若宮社があります。 天皇の代理として一代毎に一人、未婚の内親王又は皇族の女性を斎王(さい
おう・いつきのみこ)と定められ、各所で祀り事を行っておりました。当時は奉斎の館を紫野斎院と言い、この境内の近くに在ったといわれており、若
宮とは、霊が激しい祟りをなすとき、その祟りを弱めるため、より強い神格の下に祀った状態を総称してそのように呼んだといわれております。
境内の少し小高い石垣の上に稲荷社と織田稲荷社が建ちます。 「稲荷社」の御祭神は伏見稲荷大社と同じく宇迦御魂命(うがのみたまのみこと)
を祀ります。 織田信長公を祀る「織田稲荷社」は、墓所阿弥陀寺の移転跡地、西陣元伊佐町に鎮座しておりましたが、これを昭和六十二年に当社
境内に遷し祀られました。
拝殿
織姫社 御祭神、栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと) 七夕伝説の織女に機織をお教えになられたとも言われ、織物の祖神とされておりま
す。
御祭神 中御座 大己貴命(おおなむちのみこと) 東御座 事代主命(ことしろぬしのみこと) 西御座 奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)
拝殿
また、本殿東側に有る社務所では、 「桂昌院のように玉の輿にのれますように 」という願いがかなう(?)開運「玉の輿お守り」が授与されておりま
す。 参拝いたしましたのが、7月5日でしたので、七夕の笹が奉納されておりました。
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