吉田神社の節分祭に向かうのに周辺に、交通規制が入っており駐車場が確保しにくいので、東側の真如堂の駐車場に停めて宗忠神社を抜けてお参
りしてまいりました。
通り抜けするだけでは、申し訳がないのできちんとお参りもさせていただきました。
宗忠神社とは、吉田山の南に位置し、真如堂の西側正面にあります。黒住宗忠は1850年に歿し、1856年に朝廷から「宗忠大明神」の神号が与えら
れ、1862年、宗忠の門人の赤木忠春らが、吉田神社より社地の一部を譲り受けて宗忠を祀る神社を創建いたしました。1865年には朝廷の勅願所とさ
れ、皇室や公家から篤い崇敬を受けたと伝わります。 なお、岡山にある宗忠神社と区別をするため、鎮座地名から「神楽岡宗忠神社」とも呼ばれるよ
うになりました。
黒住 宗忠 (くろずみ むねただ、1780年12月21日ー1850年4月7日 は、神道系の新
宗教のさきがけとなる黒住教を開いた幕末の神道家です。
1812年8月、宗忠の実母・黒住つたが腹痛のため寝込んでしまい、次いで実父・黒住宗繁も同じような腹痛となり、宗忠は懸命に看病を行なうが、次
々と両親を失う結果となり、極度の絶望状態に陥り、やせ衰えて行く中で翌年の11月頃には自身も肺結核と思われる病となって寝込んでしまいます。
しかし、1814年11月11日、最早最期と覚悟した宗忠は冬至の朝の太陽を浴びる中で天照太神と同魂同体となるという「天命直授」と言われる霊的体
験により天命を悟るとともに、病気も消えうせ、宗教的活動を開始したと言われており、以後、様々な託宣や病者の救済を行いながら、37年にわたって
各地で布教活動を続けたと伝わっております。
流造の本殿は明治45年(1912年)に改築されたものであり、本殿の北には、二条家より遷された天照大神を祀る神明宮があります。他に、白山比
大神を祀る白山社、赤木忠春(赤木忠春神)を祀る忠春社があります。
宗忠神社を北に抜けたところの稲荷神社を左手に坂を下りますと吉田神社の南側の参道に入ります。
吉田神社の境内および参道には、節分祭の間800軒もの屋台が立ち並びます。
御祭神に天神地祇八百萬神(あまつかみくにつかみ やおよろづのかみ)を祀ります大元宮は、吉田神社の南側に位置し、毎年節分には特殊神事が
行われ厄除祈願の参拝者群集し一般の崇敬極めて篤い社と云われております。
山陰神社は、藤原山蔭卿(ふじわらやまかげきょう)と恵比須神を祀り、料理の神として崇められております。 山蔭卿は清和天皇貞観元年(西暦845
年)奈良春日の大神を勧請し平安京鎮護の神として吉田神社を創建され、又吾が国に於いてあらゆる食物を始めて調理調味づけた始祖であり古来包
丁の神、料理・飲食の祖神として崇敬厚き神であるそうです。
菓祖神社は、お菓子の神とされておりますが、先に本殿にお参りし帰りに寄ることにいたします。
参道を抜け、境内に入ります。
吉田神社では、節分祭の期間いろんな行事が執り行われますが、その一つ3日の夜11時から行われる火炉祭の準備です。当日午後11時より行う本
社の三ノ鳥居前に直径5m高さ5mもの巨大な八角柱型の火炉を舗設し、節分祭中参拝者が持参した旧い神札が積み上げられており、浄火を点じて
焼上げる行事です。 参拝者には、その炎が無病息災をもたらし新春の幸運を授けると言われております。
こちらの賞品は、抽選券付きの福豆を購入いたしますと、4日に抽選がありこちらの賞品が当たります。 賞品は企業や個人の方が奉賛なされたもの
です。 当選番号は後日、8日に京都新聞朝刊で発表されるそうです。福豆一袋200円です。
左手が、平安京鎮護の神の本宮の拝殿になります。
清和天皇貞観元年4月(859年)中納言藤原山蔭卿(ふじはらやまかげきょう)が春日の四神を勧請(かんじょう)し平安京の鎮守神として吉田山に創
建されました。987年一条天皇の行幸を始め991年大社の一に列せられ、1107年四度官幣に預る等、皇室の崇敬極めて厚く、殊に神職吉田兼倶
が吉田神道を創設し、1484年斎場所(さいじょうしょ)大元宮(だいげんぐう)を造営してより益々隆盛加はり神道界の絶大なる権威を保持いたしました。
旧社領は、590石あったと云われております。
境内東側の斜面に建つ若宮社
若宮社の階段の右手に鎮座する、さざれ石。
お参りも済ませ、福豆も買いましたので、帰路につきます。
京都菓子業界の総意により菓祖神社創建奉賛会を結成し、昭和32年11月11日兵庫県中島神社、和歌山県橘本神社、奈良県林神社の祭神を鎮
祭いたしました。節分祭の期間は、お茶とお菓子が振舞われておりました。
大元宮まで戻ってまいり、もう一度宗忠神社を通り車に戻ります。
鳥居の向こうに真如堂が見えます。
こちらの真如堂でも節分の行事をなされておりましたが、1時からの毘沙門堂の法要があるので、そちらに向かいました。
関汽交通社社員さんへ
いじめ行為、嫌がらせ行為やめてください。
プライバシー等の人格権侵害行為もやめてください。
裁判所は、結論として、申立人らに対する面談強要の禁止、
申立人らの自宅前の道路の立入禁止、申立人らの監視の
禁止、申立人らのつきまといの禁止を命じた。
その理由についてであるが、被申立人らの追尾行為、
それらが申立人らの生活の平穏、プライバシー等の
人格権侵害に該当することが明白であると述べ、
したがって、申立人らは、面談禁止、監視、付きまとい等
の禁止を求めることができるとした。
安心して、働きたいが労働者の要求です。
全国で有名になるまでがんばるぞ!
関西汽船南港乗船券販売所・関汽交通社
2004年に自殺した熊本県警巡査・山田真徳さん(当時22歳)の両親が、自殺は県警でのいじめが原因として県に約6960万円の損害賠償を求めた訴訟で、県は28日、いじめ行為を認定し200万円の支払いを被告側に命じた1審判決を支持した福岡高裁判決について、上告を断念した。
高裁判決によると、山田さんは02年1月に県警の剣道特練部の部員となり、04年5月に機動隊の寮で自殺した。県側は「いじめはなかった」と主張したが、判決は「山田さんを長期間孤立させていたことは、部関係者らの証言で明らか」などとして、いじめを認定した。
さんふらわ南港乗船券販売所・関汽交通社