青蓮院門跡では、毎年春と秋に、夜の特別拝観、ライトアップを開催しております。既に恒例となっておりますが、一体何故青蓮院で夜の特別拝観を
実施するのでしょうか。(青蓮院ホームページより)
ご本尊の熾盛光如来は、光そのものであり、その化身の不動明王(国宝青不動明王を祀る)も炎の光を背負っておられ、当院は光との関係が大変深
くなっております。
長屋門 拝観入口の手前右手に建つ門で、明正天皇の中和門院の旧殿の門を移築したものです。門前には名木「楠」が五本あり、親鸞聖人御手植と
伝えられております。京都市の登録天然記念物指定他として多数の指定を受けております。
大小三百の照明器具による芸術的なレベルの高い景観照明で演出なされております。青蓮院は、江戸時代に仮御所となった事から、粟田御所とも
呼ばれており、その貴品と格調高い池泉廻遊式庭園や、境内全域をあますところなくライトアップいたしております。諸堂の内部を拝観され、その後、
ライトアップされた庭園を直接散策出来るようになっております。
闇に浮かんでは消える木々や花々の幽玄な世界、光の中で雄大な力を感じる天然記念物の大クスノキ5本、青く光る静清な竹林、一面の苔庭の海
に浮かぶ光の星。皆様お1人お1人の光がご本尊の功力によって、夜空に光のたばとなって駆け上がり世の中を明るく照らしていただきたいとの願い
を込めております。
本院での開催に加えて、当院飛び地境内である東山山頂の将軍塚大日堂の庭園も、夜間一般公開いたしております。
夜間拝観は、お昼の拝観順路と異なり、まず大玄関から宸殿に向かいます。
宸殿前の庭園では、数十秒ごとにLEDが点滅を繰り返し幻想的な景色を醸し出しております。
宸殿から小御所に架かる廊下にある一文字手水鉢は、太閤秀吉の寄進したものと書かれております。
小御所から華頂殿に移動しますと、おなじみの蓮の襖絵が鮮やかに目に飛び込んでまいります。 夜間拝観中は、華頂殿は有料のお茶席になってお
ります。
応仁の乱の際、兵火を免れず、徳川氏には豊臣氏滅亡後今の知恩院の全域を取り上げられましたが、相阿弥の作と伝えられる龍心池を中心とする
室町時代以来の庭園から粟田山将軍塚にわたる境内は今日まで保有され、徳川幕府も殿舎の造営には力を致して東福門院の旧殿を移して宸殿を
造りました。
華頂殿から靴を履き相阿弥の作と伝えられる龍心池の前に出ます。 こちらの庭園のライトアップも10秒程度で点滅を繰り返します。 暗闇から浮かび
上がる紅葉や竹林が幻想的に演出されております。
龍心池 花崗岩の切石二枚で作られた、半円形の反りの美しい石橋を跨龍橋と呼び、滝
を洗心滝と云います。龍心池の中央には二千貫に近い大石があり、あたかも沐浴する龍の
背のようにみえます。
華頂殿の東側庭園も小堀遠州作で霧島の庭と名付けられております。 好文亭裏側山裾斜面から一面に霧島つつじが植えてあり、五月の連休の頃、
一面を真っ赤に染めることから、霧島の庭とも云います。
霧島の庭に佇む好文亭 後桜町上皇が当院を仮御所として御使用の際、お使いになったご学問所であり、明治以降茶室として活用しておりましたが
放火により平成五年に焼失しいたしました。現在の建物は平成七年秋に復旧落慶したものです。本院所蔵の創建当初の平面図「御学問所」を基に木
材等の材質も全く同じ、工法も同じで、完全復元された本格的数寄屋造となっており、障壁画十三画は上村淳之画伯の御奉納による花鳥図です。
竹林前から見る小御所 平安時代末は門主の居間でありましたが、後櫻町上皇が当院を仮御所としてお使いの際上皇もご使用になった建物です。
但し明治に焼失した為、江戸中期の建物を移築しております。
本堂 境内奥(南側)宸殿庭園の東側に建つ御堂で、堂内の厨子にはご本尊「熾盛光如来」の曼荼羅を安置(秘仏)。本堂の東裏には国宝の青不動
画像(複製写真)を安置されております。その他、不動明王木像、薬師如来及び日光月光菩薩・十二神将像、歓喜天像、毘沙門天像、愛染明王像な
どがお祀りされております。
庭園を一周してまいり、宸殿前の庭園に出ます。
写真は、一昨年のもので庭園に梵字が浮かび上がっておりましたが、今年はありませんでした。
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