正法山妙心寺は臨済宗妙心寺派の本山です。
インドの達磨大師さまから中国の臨済禅師さまを経て、妙心寺開山無相大師さまへと受け嗣がれてきた一流の禅を
宗旨・教義としています。
1337年、95代の花園法皇さまの勅願によって創建された妙心寺の開山、無相大師さまの法流は四派に分かれ、全国
3400ヶ寺に広がっています。
しょっちゅう前は通っておりましたが、こんなに沢山の塔頭が有るとは思いませんでした。
花園会館の隣の駐車場から山内を散策しながら地図の左手手前に位置する退蔵院まで行きました。
駐車場を北に上がったところの蓮池
蓮池を西に曲がったところに、通年公開されている大心院に通じる参道があります。 右側奥が大心院ですが今回は
パスしました。
外壁の白の五本線は、格式の高い門跡寺院の印です。
法堂(はっとう)
法堂 江戸時代の建立で、今日でいう多目的ホールです。仏像は安置されず、住持による法座や坐禅が行われます。
三門 慶長4年の建立で、境内唯一の朱塗りの建物です。三門には
空・無相・無作という、禅の境地による解脱の意味が託されています。
退蔵院は、今から600余年前、応永11年、波多野出雲守
重通が妙心寺第三世無因宗因禅師に帰依して建立された
寺です。
現在山内寺院40余寺中、屈指の古刹です。
入ってすぐに招き猫の歓迎を受けます。 眼がちょっと怖いですが。
つくばいには、ちゃんと椿の華が一輪活けられておりました。
昔はどこに置いてあったのでしょうか?『電線話機』
花? 花の様でした。
重文 袴腰の大玄関 方丈の入り口です。
方丈庭園 枯山水 元信の庭 多くの枯山水庭園は主として、著名な禅僧または造園家が作者になっていますが、
この庭園は我が国でも珍しい狩野派の画聖が作庭しております。
上間の部屋より鑑賞しますと「生きた襖絵」になる様にと画聖らしい工夫が施されております。
水が滝より大海に流れ込むまでの様子を白砂によって表してあります。
上間の部屋には入ることが出来ないので、残念ながら「生きた襖絵」には見えませんでした。
国宝 瓢鮎図(ひょうねんず) この絵は山水画の始祖といわれている如拙の作で、足利義持の命により心血をそそいで
描き、現存せる彼の作品中唯一の傑作とされております。
なお如拙の門流には周文、雪舟等が輩出し、元信など狩野派に大きな影響を与えております。
木魚は「けやき」や「ほう」の木で作られています。人を集めるためにたたいて知らせたのが始まりのようですが、のちの
時代になって、お経や念仏を唱えるときにリズムを取るのに使われたり、お寺での食事などの時間を知らせるために使
われたりするようになりました。
なぜ魚の形かというと、「魚は昼も夜も目を閉じることがない」ということから、「いつでも目を開いて、なまけることなく勉
強しましょう」という意味がこめられていると言われています。
方丈を後にし、庭園に向かう石畳
余香苑 庭園入り口の門の鴨居にも鯰が彫られておりました。
門をくぐると、正面に枝垂れ桜があり向かって左手が陽の庭、右手が陰の庭と書いてありました。
陰の庭 陽の白砂、陰の黒砂の他に時間によって日差しの当り方が陰陽を分けておりました。
手水鉢手前の石のあたりから、澄んだ音色が聞こえてまいります。
鶯神楽(うぐいすかぐら) 春、淡紅色の漏斗(ろうと)状の花を下垂する。液果は初夏紅色に熟し食べられるそうです。
水琴窟の左手に有りましたが、横の木瓜の花を見てると小さくて控え目なので見過ごしてしまいます。
紅花常盤満作(べにばなときわまんさく)
余香苑 深山幽谷を思わす森木立の遠景と、平安王朝の趣きの有る池面に映える藤の花の紫、余香苑の庭は巡るに
したがって、四季折々に変化します。 藤棚下より竜王滝を望んでいます。
藤の花も咲き始めたところでした。
余香苑を後にし右手の墓地の入り口にあります。 本当に寄り添いたい人と一緒に入れたら幸せでしょうね。
退蔵院の門を入ったところ左手のつくばい。 招き猫に眼を奪われ見逃してしまいました。
入り口白壁の鬼瓦と三門
この後、山内塔頭で特別公開中の大宝院に向かいます。