Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

労働は自由を作る(オシフィエンチム)

2012-04-24 19:23:39 | ポーランド
今日は春らしいよいお天気だった。
八重桜は満開!通勤経路をちょっとかえて、花見気分で出勤のkおばちゃんです。

それにしても・・最近ポカミスが多いのよね。困ってしまう。これ以上ボケたら使い物になりません。

昨日はこの前手にいてた細身電話を開放して、海外の使用も自由にできるようにしてきたけど・・なんで最初からそうしないのか。。やっぱり電話会社と機械メーカーが切っても切れない状態なんでしょうね。


○8月7日(日)

クラクフの町をあとにして・・70キロ・・・ナビさまのご託宣では1時間ちょっとだったと思ういますが鈍臭いkおばちゃんにはもう少し時間が掛かったような気もしました。

たどりついたのは・・オシフィエンチムOświęcimという町です。この町の名前でピンと来る人は・・そうとうな人だと思います。
一般的にはこのオシフィエンチムという名前よりは、ドイツ語の名前の方が知られています。
ドイツ語では、ここはAuschwitz。そうあのアウシュビッツです。

kおばちゃん。実はポーランドに行こうと思った時に・・とっても複雑な思い出ここに来ようか如何しようか悩みました。
中学生の頃この存在と、こういう出来事を知って・・その時は『人間てなんて残酷なんだ!』と怒り狂ってました。こんな悲劇を2度とおこさない為にも実際に見てみないと!!
という気持ちだったのですよね。若い頃は・・

お年を段々とって来ると・・イロイロな考えが浮かんできました。
たしかにあのヒトラーに煽動されたナチズムは、考えられないような人間として卑劣な行為をおこないました。しかし、『戦争』という行為そのもと如何違うのか??
武器をもっている人間同志なら殺害しあってもかまわないが、丸腰の人間を殺してはいけない・・という理屈が理解できなくなってきたのです。

そもそもナチズムにくっついていったのも人間。時代がそうさせた・・という一言で済ませてしまうには余りにも残酷なことだったのは判ります。
でも、kおばちゃんがあの時代のドイツ側にいたら・・はたしてそれを『よくないことだ!!』と声を上げて言えるだろうか・・

昨今の日本の状況にしても、不平不満を言ってばかりいますが、そういう状態にしてしまったのも私達だ・・という認識がたかまると・・果たして『悲惨な行為の行われた場所』ということだけて訪れてもよいのかどうか・・かなり葛藤があり、昨日の晩まで悩んでいたのでたのでした。

でも、考えて見たら次に『訪問する機会』はやってこない気もしましたし、ここまで来て訪問しないのは『逃げている』ことにも思えてきて・・やっぱり立ち寄る事にしたのでした。

目指したのは他でもありません。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau
ヒュンダイ君と私がまず目指したのは・・駐車場でした。どこにあるのか・・良くわかっていなかったのです。

建物の近くに来ると、学生のバイト?と思しき若者が駐車場はこっち・こっち・・と交通整理です。
現在、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所は博物館として開放されていますが、その博物館と道を隔てたところにある駐車場に案内されました。

やっと辿り着いた博物館ですが、本来だったらガイドツアーで回ればより理解できるのですが、残念ながらガイドツアーは4時でおしまい。kおばちゃんが到着した時は4時を少し回ってしまっていました。
5時までは見学できるはずですから、入り口で日本語のガイドパンフレットを入手して見学する琴にしました。

インフォメーションの建物を出て・・しばらく歩くと右側に見えてきたのがこのゲートです。


このゲートから向こう側がいわゆる収容所と呼ばれる建物が並んでいる地区です。
ゲートの上に掲げられている言葉が『ARBEIT MACHT FREI』です。
直訳すれば『労働は自由を作る』といったところでしょうが、意味としては『働けば自由になる』と言うことだと思います。
なんともはや皮肉な歓迎の言葉です。もともとは小説のタイトルだったようですが、ナチスの強制収容所のスローガンとして利用されたようです。

そして、その皮肉の意味があるのか・・それとも警告か・・この『ARBEIT』の『B』文字が転地逆になっていて・・頭でっかちになってますね。



このゲートを一体何人の人がくぐって行ったのでしょう。そして何人の人が出てくることができたのでしょう。

この第一収容所の他に、2箇所この地区には収容所があったようですが、ここで命を断たれた人間は125万人とも150万人とも言われているそうです。

以前やっていた番組でこの収容所のまさのこのゲートのところで『歓迎』の演奏をしていた女性のドキュメンタリーを見ました。
彼女ももちろん収容者の一人で、母親と一緒に収容されていたとか。彼女自身は生き残ったけれども・・彼女の母親は処分されてしまったそうです。
彼女の心の傷は『何故、母を助ける事が出来なかったか』というもので、それは『何が何でもとSSに取り入ってまでも、自分の母を助けたメンバーがーいらから・・なんで自分もそうしなかったのか』という後悔の念だったのだと思いました。

そんな彼女達が演奏していた楽譜は、修復された収容棟のなかに展示してありました。


ここにも『ARBEIT』の文字がありますね。


彼女達はどのような気持ちで毎日演奏していたんでしょうね。


おそらく、日常化し過ぎて・・・神経が麻痺していたのだと思います。
人間、極限まで行くと防衛本能で脳みそが思考停止するときいていますから。

人間の非情さ・・見ていて辛くなりました。でも、一歩間違えれば加害者の側にたってしまうかもしれない恐ろしさ・・

ここアウシュビッツは最大規模の収容所と言われ、ドイツ国内からはもちろんヨーロッパ全土からあつめられた人達が収容されていたようです。


※その後2011年8月10日その通過地点の一つであるグルーネヴァルトGrunewaldの17番ホームを訪問して見ました。
コメント (2)
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