今日も・・まだ暑い。
ただし、朝は風があったのでまだまし。
台風が接近中とはいえ、居座りの高気圧のおかげで随分日本海よりのルートのようですね。
今日のニュースで報道していた尖閣諸島沖での海上保安庁の船と中国の漁船の接触事故。
報道では、中国の漁船は違法操業中といっていたのと、逃げ回っているにもかかわらず、わが国の国交大臣の間の抜た回答。いったいあなたはどこの国の大臣?
『自由航行権うんぬんかんぬん・・』。現状では日本の国防は海保がになってるようなもんでしょ?
自衛とは名ばかりの自衛隊は日本本国に攻撃でも受けない限りは出動できないんだから。
その体を張って守ってくれている(利権も含めて)に対してあの言い方はないんじゃないか、。少なくとも自国の公務員を信じなくて国家が運営できると思ってるの!!
と、民間人であるkおばちゃんでさえ腹が立つ。
脱官僚と叫ぶ前に、モット勉強して官僚をあごで使えるような議員になりなさい!!
とテレビの前で吼えてるkおばちゃんです。
○6月28日(月)
ヒンターブリュールのゼーグロッテなる地底湖の見学はいよいよハイライトです。
そうですよね。いままでは『世界最大の地底湖』といいながら・・その本他は出て着てません。
その世界最大の地底湖はkおばちゃん達が今まで見学していた階?の下にありました。
そこに降りてい行く階段の途中に・・たしかあったと思います。このパネル。
そう、ガイドさんの話に寄るとここSeegrotteではウォルト・ディズニー・ピクチャーズ製作の1993年の映画『三銃士drei Musketiere 』の撮影がおこなわれたとか。
『三銃士』ってヂュマAlexandre Dumasの「皆は一人の為に、一人は皆の為にTous pour un, un pour tous.」っていうせりふが有名な物語ですよね。
階段を降りて下の階につくと・・とこはボート乗り場!
kおばちゃんたちのグループは人数が多かったらしくて、半分ずつボートに乗船することになりました。
先発隊は・・さよーーなら!です。kおばちゃんはどん尻ですから。
この列に並んでいるときに、kおばちゃんと同じカメラを持っている人を発見。彼はその他に一眼レフも持っていて・・まあお金持ち!!
このドラゴンボートが三銃士の撮影に使われたようです。
いよいよkおばちゃん達の番です。暗い上に・・ストロボを使わなかったのでぶれてます。
この地底湖は実は自然に出来たもの・・ではないようです。1912年の掘削中の爆破で大量の水が出てきて・・・湖になっちゃった・・ということらしいです。
なーーんだ。kおばちゃんは自然の造形物だと思ってました。
このボート動力は何か知りませんが静かに進みます。
もう、お次のお客さんがボートに乗ってますね。
そうそう、kおばちゃん達のツアーガイドをしてくれた彼はばりばりの東洋人の顔立ちです。
気になったので出身を尋ねて見ました。で、彼はブータン出身だということがわかりました。
さらにkおばちゃんと同じカメラを持ってたおじさまは、何処だか忘れてしまったけどアラブ諸国のご出身だとか、でイスラム教徒だといって降りましたが、ブータン出身の彼も昔、アラブ諸国のホテルで働いていたことだあると言ってました。元ホテルマンだそうです。
で、ガイド君によると、オーストリアの気候はアラブの大金持ちにたいそう気にいられて、ある場所(名前を聞くのを忘れ)にはアラブの金持ちの別荘村になっているんだとか。
そういえば、今朝までkおばちゃんが滞在していたお宿も一時期サウジの王室の所有だったんですもんね。なんとなく納得です。
そんな地底湖と全然関係無いお話をしながら・・船の観光は終りました。
なんとなく・・・21年間も??期待していたわりには・・・の船旅でした。
そうそう、アラブのおっちゃんが彼に『ドイツ語でチップの言はなんていうんだい』なんて聞いていたので、やっぱり下船の時には渡さなきゃね・・ということで小銭を用意したら、どん尻で乗ったkおばちゃんが最初に下船するは目に・・で、彼に『ほら、チップTrinkgeld!!』というと彼はあわてて帽子を差し出しました。
さ、これで地底湖ツアーはおしまいだそうです。
ガイド君とはここでお別れ、kおばちゃん立ちは階段を上ってまっすぐ左に折れて450メータの坑道をまた帰ります。
涼しかったというか寒いくらいの地底湖観光はこれでおしまいですね。
そうそう、このブログを書こうと思って調べたら・・意外な事実も知りました。それは、さっきの大戦中の飛行機製造にかんするものでは、その労働力はマウトハウゼン強制収用所KZ Mauthausenから2000人も送られてきたということ。(このことは、多聞kおばちゃんが聞き逃した)
つまり大ドイツ帝国の中にオーストリアも組み込まれていたということを思い出させてくれました。
そして、至近では2004年にさっきの地底湖で大きな事故、ボート転覆があったということも知りました。これはガイド君はふれていなかったと思います。
2004年5月31日にボートが転覆し、ボートの真下になってしまった4人のドイツ人とベルギー人女性1名がなくなったそうです。
25人乗りのボートに28人乗船してしまったこととが主な原因のようで、船頭さんの有罪が2007年に確定しているようです。
そういえば、2004年の5月に事故は起こってますが、その2ヵ月後にはもう運転が再開されていたとか。まあ、たくましいですね。
さあ、そろそろ現実世界に戻りましょう。
ただし、朝は風があったのでまだまし。
台風が接近中とはいえ、居座りの高気圧のおかげで随分日本海よりのルートのようですね。
今日のニュースで報道していた尖閣諸島沖での海上保安庁の船と中国の漁船の接触事故。
報道では、中国の漁船は違法操業中といっていたのと、逃げ回っているにもかかわらず、わが国の国交大臣の間の抜た回答。いったいあなたはどこの国の大臣?
『自由航行権うんぬんかんぬん・・』。現状では日本の国防は海保がになってるようなもんでしょ?
自衛とは名ばかりの自衛隊は日本本国に攻撃でも受けない限りは出動できないんだから。
その体を張って守ってくれている(利権も含めて)に対してあの言い方はないんじゃないか、。少なくとも自国の公務員を信じなくて国家が運営できると思ってるの!!
と、民間人であるkおばちゃんでさえ腹が立つ。
脱官僚と叫ぶ前に、モット勉強して官僚をあごで使えるような議員になりなさい!!
とテレビの前で吼えてるkおばちゃんです。
○6月28日(月)
ヒンターブリュールのゼーグロッテなる地底湖の見学はいよいよハイライトです。
そうですよね。いままでは『世界最大の地底湖』といいながら・・その本他は出て着てません。
その世界最大の地底湖はkおばちゃん達が今まで見学していた階?の下にありました。
そこに降りてい行く階段の途中に・・たしかあったと思います。このパネル。
そう、ガイドさんの話に寄るとここSeegrotteではウォルト・ディズニー・ピクチャーズ製作の1993年の映画『三銃士drei Musketiere 』の撮影がおこなわれたとか。
『三銃士』ってヂュマAlexandre Dumasの「皆は一人の為に、一人は皆の為にTous pour un, un pour tous.」っていうせりふが有名な物語ですよね。
階段を降りて下の階につくと・・とこはボート乗り場!
kおばちゃんたちのグループは人数が多かったらしくて、半分ずつボートに乗船することになりました。
先発隊は・・さよーーなら!です。kおばちゃんはどん尻ですから。
この列に並んでいるときに、kおばちゃんと同じカメラを持っている人を発見。彼はその他に一眼レフも持っていて・・まあお金持ち!!
このドラゴンボートが三銃士の撮影に使われたようです。
いよいよkおばちゃん達の番です。暗い上に・・ストロボを使わなかったのでぶれてます。
この地底湖は実は自然に出来たもの・・ではないようです。1912年の掘削中の爆破で大量の水が出てきて・・・湖になっちゃった・・ということらしいです。
なーーんだ。kおばちゃんは自然の造形物だと思ってました。
このボート動力は何か知りませんが静かに進みます。
もう、お次のお客さんがボートに乗ってますね。
そうそう、kおばちゃん達のツアーガイドをしてくれた彼はばりばりの東洋人の顔立ちです。
気になったので出身を尋ねて見ました。で、彼はブータン出身だということがわかりました。
さらにkおばちゃんと同じカメラを持ってたおじさまは、何処だか忘れてしまったけどアラブ諸国のご出身だとか、でイスラム教徒だといって降りましたが、ブータン出身の彼も昔、アラブ諸国のホテルで働いていたことだあると言ってました。元ホテルマンだそうです。
で、ガイド君によると、オーストリアの気候はアラブの大金持ちにたいそう気にいられて、ある場所(名前を聞くのを忘れ)にはアラブの金持ちの別荘村になっているんだとか。
そういえば、今朝までkおばちゃんが滞在していたお宿も一時期サウジの王室の所有だったんですもんね。なんとなく納得です。
そんな地底湖と全然関係無いお話をしながら・・船の観光は終りました。
なんとなく・・・21年間も??期待していたわりには・・・の船旅でした。
そうそう、アラブのおっちゃんが彼に『ドイツ語でチップの言はなんていうんだい』なんて聞いていたので、やっぱり下船の時には渡さなきゃね・・ということで小銭を用意したら、どん尻で乗ったkおばちゃんが最初に下船するは目に・・で、彼に『ほら、チップTrinkgeld!!』というと彼はあわてて帽子を差し出しました。
さ、これで地底湖ツアーはおしまいだそうです。
ガイド君とはここでお別れ、kおばちゃん立ちは階段を上ってまっすぐ左に折れて450メータの坑道をまた帰ります。
涼しかったというか寒いくらいの地底湖観光はこれでおしまいですね。
そうそう、このブログを書こうと思って調べたら・・意外な事実も知りました。それは、さっきの大戦中の飛行機製造にかんするものでは、その労働力はマウトハウゼン強制収用所KZ Mauthausenから2000人も送られてきたということ。(このことは、多聞kおばちゃんが聞き逃した)
つまり大ドイツ帝国の中にオーストリアも組み込まれていたということを思い出させてくれました。
そして、至近では2004年にさっきの地底湖で大きな事故、ボート転覆があったということも知りました。これはガイド君はふれていなかったと思います。
2004年5月31日にボートが転覆し、ボートの真下になってしまった4人のドイツ人とベルギー人女性1名がなくなったそうです。
25人乗りのボートに28人乗船してしまったこととが主な原因のようで、船頭さんの有罪が2007年に確定しているようです。
そういえば、2004年の5月に事故は起こってますが、その2ヵ月後にはもう運転が再開されていたとか。まあ、たくましいですね。
さあ、そろそろ現実世界に戻りましょう。
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