昨日の記事の「テオティワカン」に強烈なラブコールをいただいてしまったので、
それなら、と思ったんですが、
テオティワカンは以前にもざっとですけど紹介してます(こちら)。
まあ今回もそれなりに写真とか撮ってますので、
いずれまたお見せしようと思ってますが、
今日は別の遺跡、昨日のサボテン林立するトルテカ族の遺跡にします。
トゥーラ Tula はメキシコシティから
北のほうへ90kmほど行ったところにあります。
NANAOさんもちょうど同じころにトゥーラにいらしていて、
しかしNANAOさんのほうが、お天気がよくて綺麗な写真が撮れてますので、
そちらと組み合わせて見てください。
私たちが行ったときは、観客が少ないのはよかったんですが、
どんより……
しょうがないから、こんな構図でごまかしてみる……。
テオティワカンなどあちこちで、黒曜石だの何だので作った
石像を売りつけに来る人が多いんですが、
「あれって何なんですか?」と
こないだS子ちゃん(義妹)に訊かれました。
うーむ、考えたこともなかったぞ?
でも、思いつくのはやはり、このトゥーラの戦士像ですね。
て、実はぜんぜん違ったりして……(汗。
これですね、有名な戦士像、またはアトランテス Atlantes。
この戦士たちが立つ神殿の名前は……
Tlahuizcalpantecuhtli。
トラウィスカルパンテクトリ、です。
一発で間違えずに発音できた人には、拍手~~!
人類学博物館にも一本立ってるのを見ましたが、
やはり戦士は堂々と空の下に立っているのがいいですね。
顔のアップ。
お尻のアップ。
え、えへへへ、だって、何だかとてつもなくかわいかったんですよ!
このほのかな膨らみ具合がなんとも……。
NANAOさんも、同じことを考えてるし~!(笑
町を見下ろす戦士。
む……、
後ろから見ると、妙に短足に見えますが……
気にしない、気にしない。
なんかね、遺跡と街がほど近くて、こんなふうに、
一緒くたに融合して見えるのも、ここの楽しいところでした。
周り一面ジャングル、とかいうのも遺跡っぽくていいんですけどね。
◆
さて、この神殿の西側にあるのは「焼けた宮殿」
Palacio quemado です。
ここは一部が火事で焼けた跡が残っているのでそう呼ばれるらしいですが、
やたらと円柱や角柱が並ぶところ。
これも、NANAOさんの綺麗な写真がありますので、
上記のリンクから行って見てください。
この辺にはいろいろと、チャクモール像とか、
綺麗に残ったレリーフとかあるんですが、
それも全部NANAOさんの記事で見ていただくとして。
キャー! 石投げないで!
◆
そして戦士たちの背後、北側に、長い壁があります。
Coatepantli、簡単ですね、コアテパントリ。
「蛇の壁」という意味だそうで、そのまんま。
これはあからさまに修復された新品部分ですけど、
やっぱりこの方がはっきり見えるもんな~。
かように、蛇の口からドクロが顔を出して手招きしているデザイン。
なかなか奇抜。
実は骸骨じゃなくて、生け贄の人間がもがいてるところらしいですが。
どう見ても、すでにドクロになってますって!
壁は真ん中で分かれていて、左右対称になってます。
こちらは、上にもなんだかくねくねが残ってるし。
これは巻貝を切った形で、ここの王であったケツァルコアトル
(詳しくはNANAOさんの解説を~)
のシンボルである金星を表わしている、と横の説明板に書いてありました。
意味は不明ですが。
この蛇の壁の向かい側には、チチェンイッツァなどでも見られる、
心臓を食べるジャガーとか、ワシのレリーフ、
それにケツァルコアトルのレリーフなんかも見られますが、
それもNANAOさんの(以下略、リンクは上参照)。
◆
そして、戦士の神殿(すでに名前忘れてます)の東側は、
未だに修復中でした、ケツァルコアトルの神殿だそうです。
そちらは大したものはなかったんですが、
これがちょっと面白かった。
神殿を作る石のひとつひとつに番号が振ってあります。
こんなふうにして修復していくんだなあ。と感心。
◆
入り口には博物館があり、そこでざっと歴史を読んだところでは、
トルテカ族というのは、あとからやってきたアステカに征服されちゃったんですが、
それまでにチチメカ族など、メキシコのかなり広範囲に影響を及ぼしていたとか。
マヤとも交流があり、チチェンイッツァとの交流は12世紀ころに盛んだったようです。
あの心臓食べてるワシの図柄とか、一緒だもんなあ。
アステカに都を追われたトルテカ族は、
今のチャプルテペック(動物園のあるところ!)に移住し、
オアハカのミトラや
プエブラのチョルーラなどとも文化交流が続いたらしい。
車や飛行機が発達した現代でさえ、
チョルーラやなんか、行きたいと言いつつなかなか行けないでいるのに、
当時の人たちはどうやって交流していたのでしょうか。
いやあ、メキシコの広大さや歴史の深さを感じてしまった博物館でした。
他の遺跡ももっと真面目に勉強すれば、
いろいろなつながりが見えて面白いんだろうなあ。
今日はすっかり長くなってしまいました~。
NANAOさんの記事で手抜きしてもこれですからね~。
NANAOさん、ありがとう!!
それなら、と思ったんですが、
テオティワカンは以前にもざっとですけど紹介してます(こちら)。
まあ今回もそれなりに写真とか撮ってますので、
いずれまたお見せしようと思ってますが、
今日は別の遺跡、昨日のサボテン林立するトルテカ族の遺跡にします。
トゥーラ Tula はメキシコシティから
北のほうへ90kmほど行ったところにあります。
NANAOさんもちょうど同じころにトゥーラにいらしていて、
しかしNANAOさんのほうが、お天気がよくて綺麗な写真が撮れてますので、
そちらと組み合わせて見てください。
私たちが行ったときは、観客が少ないのはよかったんですが、
どんより……
しょうがないから、こんな構図でごまかしてみる……。
テオティワカンなどあちこちで、黒曜石だの何だので作った
石像を売りつけに来る人が多いんですが、
「あれって何なんですか?」と
こないだS子ちゃん(義妹)に訊かれました。
うーむ、考えたこともなかったぞ?
でも、思いつくのはやはり、このトゥーラの戦士像ですね。
て、実はぜんぜん違ったりして……(汗。
これですね、有名な戦士像、またはアトランテス Atlantes。
この戦士たちが立つ神殿の名前は……
Tlahuizcalpantecuhtli。
トラウィスカルパンテクトリ、です。
一発で間違えずに発音できた人には、拍手~~!
人類学博物館にも一本立ってるのを見ましたが、
やはり戦士は堂々と空の下に立っているのがいいですね。
顔のアップ。
お尻のアップ。
え、えへへへ、だって、何だかとてつもなくかわいかったんですよ!
このほのかな膨らみ具合がなんとも……。
NANAOさんも、同じことを考えてるし~!(笑
町を見下ろす戦士。
む……、
後ろから見ると、妙に短足に見えますが……
気にしない、気にしない。
なんかね、遺跡と街がほど近くて、こんなふうに、
一緒くたに融合して見えるのも、ここの楽しいところでした。
周り一面ジャングル、とかいうのも遺跡っぽくていいんですけどね。
◆
さて、この神殿の西側にあるのは「焼けた宮殿」
Palacio quemado です。
ここは一部が火事で焼けた跡が残っているのでそう呼ばれるらしいですが、
やたらと円柱や角柱が並ぶところ。
これも、NANAOさんの綺麗な写真がありますので、
上記のリンクから行って見てください。
この辺にはいろいろと、チャクモール像とか、
綺麗に残ったレリーフとかあるんですが、
それも全部NANAOさんの記事で見ていただくとして。
キャー! 石投げないで!
◆
そして戦士たちの背後、北側に、長い壁があります。
Coatepantli、簡単ですね、コアテパントリ。
「蛇の壁」という意味だそうで、そのまんま。
これはあからさまに修復された新品部分ですけど、
やっぱりこの方がはっきり見えるもんな~。
かように、蛇の口からドクロが顔を出して手招きしているデザイン。
なかなか奇抜。
実は骸骨じゃなくて、生け贄の人間がもがいてるところらしいですが。
どう見ても、すでにドクロになってますって!
壁は真ん中で分かれていて、左右対称になってます。
こちらは、上にもなんだかくねくねが残ってるし。
これは巻貝を切った形で、ここの王であったケツァルコアトル
(詳しくはNANAOさんの解説を~)
のシンボルである金星を表わしている、と横の説明板に書いてありました。
意味は不明ですが。
この蛇の壁の向かい側には、チチェンイッツァなどでも見られる、
心臓を食べるジャガーとか、ワシのレリーフ、
それにケツァルコアトルのレリーフなんかも見られますが、
それもNANAOさんの(以下略、リンクは上参照)。
◆
そして、戦士の神殿(すでに名前忘れてます)の東側は、
未だに修復中でした、ケツァルコアトルの神殿だそうです。
そちらは大したものはなかったんですが、
これがちょっと面白かった。
神殿を作る石のひとつひとつに番号が振ってあります。
こんなふうにして修復していくんだなあ。と感心。
◆
入り口には博物館があり、そこでざっと歴史を読んだところでは、
トルテカ族というのは、あとからやってきたアステカに征服されちゃったんですが、
それまでにチチメカ族など、メキシコのかなり広範囲に影響を及ぼしていたとか。
マヤとも交流があり、チチェンイッツァとの交流は12世紀ころに盛んだったようです。
あの心臓食べてるワシの図柄とか、一緒だもんなあ。
アステカに都を追われたトルテカ族は、
今のチャプルテペック(動物園のあるところ!)に移住し、
オアハカのミトラや
プエブラのチョルーラなどとも文化交流が続いたらしい。
車や飛行機が発達した現代でさえ、
チョルーラやなんか、行きたいと言いつつなかなか行けないでいるのに、
当時の人たちはどうやって交流していたのでしょうか。
いやあ、メキシコの広大さや歴史の深さを感じてしまった博物館でした。
他の遺跡ももっと真面目に勉強すれば、
いろいろなつながりが見えて面白いんだろうなあ。
今日はすっかり長くなってしまいました~。
NANAOさんの記事で手抜きしてもこれですからね~。
NANAOさん、ありがとう!!
(ぬかった…)も~今度、今度ばかりですが、今度は絶対に行こうっと。
私、最初の写真好きです!素適~☆それとお尻ムフフです。実は立像や壷でもなんでも、後ろを回ってチェック。中が覗けたら、チラって見ちゃいます。
トゥーラの記事は、私のブログの宣伝をしまくっても貰ってかえってすみません。ありがとうございます
戦士のおしり、可愛らしいですよね町を見下ろす戦士の後姿の写真、とっても気に入りました
戦士なのに!!笑”
写真だけ見ると短足...
見てない見てナィ♪
「蛇の口からドクロが顔を出して手招きしているデザイン。」
あらあら。なんてこった。
「なかなか奇抜。」
いやいや奇抜って!?
「実は骸骨じゃなくて、生け贄の人間がもがいてるところらしいですが。」
もっと駄目だぁぁ
・・・・・と、一行ずつ突っ込みを入れるのは
大阪の人間だから!?
まだ本調子ではありませんが、
だいぶ良くなりましたょ、風邪。
心配して下さってありがとうございます。
亀さんも風邪には気をつけて下さいねw
トゥーラって私も戦士像くらいしかないと思ってました~。
でもけっこう見応えあるでしょ?
おまけに未だにどんどん修復工事してますから、
ますます立派になっていくんじゃないかな?
今度はぜひ!
後ろチェックの習慣、mieさんもですか~(笑。
月の裏側を見たい心理と通じるところが……?
ないか(笑。
>NANAOさん
いえいえ、本当に私のほうが、いろいろ説明サボれて(あわわわ)
助かりました、ありがとうございます!
サボテンの花、確かに少なかったですね~。
でも他にもいくつかは発見したので、また載せていきますね!
お尻はいいですよね~(ヤバい発言?)。
人類学博物館で見たときはそんなところ目に入らなかったのに……。
不思議なもんです(笑。
>怪しい(笑)やまこさん
ふふふふ~、メキシコに来たらぜひどうぞっ!
写真を撮るだけでなく、撫で回し愛撫しチューでも……
いやいや、それはあまりお薦めしませんが、人目がありますからねっ!
私? 私だってとーぜんそんなことはしてませんよ!!
どんなに人影がなかろうとも、そんな怪しいことは決して
……て、ちょっとワルノリしすぎですか?
いや、マジでやってませんてば、そんなこと……
>高校生kさん
季節の変わり目ですからね~(日本は)。
良くなってきたならいいですが、無理はなさいませんよう~。
でもお尻かわいい、とか言えるくらいなら元気ですかね?(笑
そうそう、足の短さは見ない振りしてあげてください。
ところで高校生kさんも大阪の人なんや~!
私も大阪生まれ、京都と奈良育ちのバリバリ関西人ですねん!
高校は大阪でしたよ~。
いやもう突っ込み大歓迎!ですんで、どんどん突っ込んでくださいね!
仏像は反対側から撮れないのでその習慣が身に着いていたのか
形に嵌らず自由にやる週間を持たなければと反省
ぜーんぶNHKの特集であってたの、見ましたぁ☆永久保存版ですばいっ☆
そして、今日の記事も「永久保存版」ですばーーいっ♪
ところで、1枚目の写真、とってもいいですねー♪こういう撮り方、大好きです^^
いやあ、期待されるとまたワルノリしちゃいますよッ!?
いや、そういうのはミクシのほうだけに抑えるつもりなんですけども……
>忍者さん
そうですよね、仏像は後ろから眺める仕様にはなってませんよね~。
普通はそういうの、「失礼」に当たるからでしょうか?
仏像のお尻アップ写真なんか撮ってたら……
うぷ、この辺で退散しておきます(笑。
>あやたろうさん
ほほ~、NHKもメキシコに関する特集いっぱいやってるんですねえ。
むしろあやたろうさんのほうが、私よりいろいろご存知でも不思議ないですね
知って見るのと知らないで漫然と眺めるのとでは違いますもんね~。
私ももっと勉強していかないと、と思うんですが、
思うだけ~
一枚目、いいですか~?
いやあ、これで紺碧の空だったらもっとよかったんですけどね。
シロートんくせに、変に気取った撮り方なんかたまにすると、ちょい恥ずかしいです(照れ隠し。