メキシコの隅っこ

メキシコの遺跡や動物、植物、人や風景などを写真で紹介してます

メキシコの寿司屋さん

2006-04-30 05:37:49 | メキシカン和食
なんですかコリャ、てな写真ですみません。
一月にシティへ行ったとき食べたお寿司です。

いや~、NANAOさんとこにもおもろい中華レストランの紹介がありましたけど、
日本食レストランもマジメなところから、かなりぶっ飛んだところまでいろいろ。
一度ぜひ、「Karukay」なる自称日本食レストランも紹介したいですが、
今日はこっちで。

Sushi tai というチェーン寿司屋です。
シティの何ヶ所かにあるらしいですが、
私が行ったのはコヨアカンのメトロの駅前、Palacio de Hierroの中にある
プラザ、なんていうんですかね、食べ物屋がぐるっとあって、
真ん中にテーブルとかあって、セルフサービスで食べるところ。
タコス屋もあれば、マクドナルドとかケンタッキーもあったりします。

で、この寿司屋さん、けっこう繁盛してる。
列ができてたりします。
メニューもちゃんともらってきたので、ばっちり。

まず前菜。
って書いてあるんですが、よく見たらえーと、他のものがありません
全部前菜なんですか? 別にいいけど。

Yakitoris
Kushiagues
Arroz(米)
Sopa(スープ)
Ensaladas(サラダ)
Makis
Conos(手巻き)
Sashimi
Nigiri Sushi
とか項目が並んでます。

焼き鳥ズと串揚げズはまあいいとして。
米、の項目には YakimeshiGohan があって、
ご飯ってのはふりかけご飯ですね。
サーモンふりかけご飯ですと、29ペソもします!
ふりかけ、高いけどさ。コリャ高すぎ。

スープのところにあるのは、ですね。
Misoshiro です。ミソシロ? 19ペソ。
しかし Sumashi de Mariscos ってのはなんと、32ペソもします。
ま~、海の幸は高いですかね、シティでは?

サラダの項目には、まあ普通のサラダに混じって、
Sonomono があります。「そのもの」……
何でしょうかね? 酢の物って言いたかったんでしょうかね。

あ~、ばらしちゃいますが、というかけっこうあちこちですでに書いてますが、
Karukayってレストランのサラダはもっとすごいです。
Ebi sarada(サラダ、って本当にこう表記してあるんです)
Kani sarada
Dani sarada

ですからね。

さて、「すしたい」に戻って。
メインはもちろん寿司ですが、写真の私が食べた代物は、
Maki のサーモン。カリフォルニア巻です。
たったこれだけで、39ペソ!!!ですぜ。
39ペソもタコス食べようと思ったらお腹がはちきれるでしょうに。

でもまあ、小食なわたくし、日本人でございますから、
これでもけっこうお腹は満足するんですがね。

巻き寿司に関しては、また別のお店がすごいんでございます。
隣町なので、もう長いこと行ってませんが、まだあるといいなあ。
一時期友人の掲示板で、ほぼ毎週末だったか、食べに行ってはレポしておりました。
でも写真なしで。
今度はちゃんと写真付きでお見せできるといいなと思います。
何しろ、カリフォルニア巻にならって、タバスコ巻とかいうのはいいとして、
大統領巻とか仏陀巻神さま巻まであるんですよ。
何が巻かれているのか、怖いもの見たさでしょ?

メキシコの寿司屋、醤油がちゃんとついてくるのはいいんですけどね、
この醤油、ライム入りです。
最初はぎょっとして、普通の醤油ください~~、と気弱に申し出たんですが、
「普通の」が出てくるまでに時間がかかるんです。
そんなに難しい注文ですかね?
というわけで最近はすっかり順応しちゃって、ライム入りでもオッケーです。

あと、こういうところで食べると、割り箸は必ず持って帰ります。
けっこう重宝します。



本当は今日は、メキシコでもできる、亀でもできる、
超簡単和風料理、手間要らずの15分、ってのを紹介しようかと思ってたんですが、
まだこんなネタがありましたね。

メヒコのうどん? ポソレ

2006-04-29 06:47:52 | 食べ物・飲み物
こないだ途中になりました、ポソレ Pozole です。

うどん、と言っちゃうと、麺じゃないから違和感ある人も多いんじゃないかと思いますが。
割とどこでも食べられて、安くて、栄養たっぷり庶民の味方、
という位置づけから言うと、うどんかラーメンみたいなもんじゃないかな~、と。

ポソレ専門の Pozolería っつーのもありますしね~。
よく行く隣町への途中の村にあるポソレ屋さんは、その名も Voluntad de Dios
「神の意志」といいますので、もし食べてみてまずくてもしょうがないということ……?

一口にポソレと言っても、地方色もあり、家庭ごとのレシピもあるでしょうが、
基本的には煮込んだ豚肉と、特別な大粒トウモロコシを使ったスープです。



まあこんな感じで、スープが出てきて、
それに千切りキャベツとみじん切りラディッシュを好きなだけ、
玉ねぎとシラントロのみじん切りも入れてもいいです。
オレガノをたっぷり掛け、チレの粉も好きなだけかけて、
ライムをたっぷり搾ってぐっちゃぐっちゃとかき混ぜて食べる。
どんぶりの大きさも、うどんと同じくらい?



かけるものをかけて、ちょっとだけ混ぜちゃったところですが。
出てきたところではスープしか見えてなかったけど、
その下に具がたっぷりなのが、これでわかるでしょうか?

見えなかった肉とトウモロコシは、



すいません、ピントが甘くなりました。

このトウモロコシはポソレ専用で、
この前どうしても名前が出てこなくて呻吟しましたが、
カカウアシントレ Cacahuacintle といいます。
スーパーにも1kgの袋入りで売ってます。
ポソレに使うくらいしかないからでしょうか、
precocido、すでにちょっと火を通した状態で真空パックになってます。
そのまま鍋に入れて肉と一緒に煮込めばいいだけ。
豚肉は、もも肉とばら肉、それに豚足も入れるそうです。
あと、ローレルと玉ねぎも放り込んで、
全部まとめてぐつぐつ、二時間以上。

いや~、家で作ろうとは、怠け者の私は思いませんが、
外でちょっと食べるにはいいです。
野菜たっぷりなところがメヒコ料理には珍しい?

この写真はこないだのパストールを紹介したお店のものですが、
ここで45ペソ、450円くらい。
もっと安いところもあれば、高いところもあります。
お味もいろいろ。
付け合せもいろいろ。
でもこの店はキャベツがたっぷりなのでお気に入りです。

そう言えば弟がメキシコに来たときポソレがおいしいと言って、
帰ってからトウモロコシを送ってくれと言われました。
(弟は、姉に似ず料理に手を掛けるほうみたいです。遺伝って不思議だなあ)
そのとき初めてスーパーでカカウアシントレを買いました。
その後、税関の規則が変わって、ビニールに入った食料品は送れなくなってしまいましたが。

私は、うどんが食べたくなったらポソレを食べることにしています……。
それってちょっと悲しいかね?

バシリカその昔……

2006-04-28 06:43:24 | 観光
昨日のグアダルーペ寺院の記事をごらんになった
忍者さんから、貴重な写真を見せていただきました。
公開の許可をいただきましたので、
皆さんにもぜひお見せしたいと思います。



1977年撮影だそうです。

どわ~~~~、沈んでる!!!
沈没船のように傾いて、地面にめり込んでるよ~~!

向かって右側、つっかえ棒がしてあるんですけど、
あの、それ、効果あるんですか??

この写真と、昨日の同じ教会の写真とを見比べてください。
どうやったんだか知りませんが、だいぶしっかりと、まっすぐになってます。
いやしかし、こんなスペクタクルな風景、ちょっとこの目で見てみたかったかも。

写真の古さも風情があってステキですね~。
空の辺りに修正を施されたようですが、それがまたゴッホの油絵のようです



もう一枚送っていただいたのは、この写真。



最新バシリカの内部ですが、
建築されたばかりのころ、とのことですので、
ええと、1976年ということでしょうか。

向かって右側のパイプオルガンがまだ見えない他は、
今とほとんど変わりがありませんね。

私が撮ったのとじっくり見比べていて思い出した、
というか気がついたんですが、
ベルトコンベアは祭壇の真下を通る感じに走っていて、
だから、ちゃんと礼拝堂内部から祭壇を見上げると、
さほど高くないところにグアダルーペのマリアの絵が見えています。

この忍者さんの写真で言うと、
真ん中の茶色い柱、下のほうのちょうど光っている部分がそれです。



ついでなのでもう少し関連ある話をしておきますと、
アステカ族には地母神信仰もあって、
トナンツィンと呼ばれる女神がそれに相当します。
グアダルーペのマリアは褐色の肌に黒髪、ということで、
そのトナンツィンと同一視されるらしいです。

日本でもマリア像を観音菩薩に見せかけて拝んだりしたのと
ちょっと似てるでしょうか。

バチカンから公式に「奇蹟」と認定されているグアダルーペのマリアですが、
フアン・ディエゴのマントは400年以上前のものとはとても思えない、
非常によい保存状態で、
絵は当然、浮き出たものではなく誰かの手によって描かれたものではあるのですが、
その材料や画法にはいまだ謎が残っているとか。

バシリカの公式サイト見つけました……
スペイン語しかないようですが、興味ある人はどうぞ。
Estudios のところなど見ると、
マリアの羽織っているマントの星が星座の形に並んでるとか、
いろいろあって面白いですね~。
Peticionesのところでは、グアダルーペの聖母に向けてメッセージを送れるようです。
いやいや、すごいですな~。



忍者さん、本当に貴重な写真を、どうもありがとうございました!!

グアダルーペ寺院

2006-04-27 06:51:05 | 観光
こないだの三文化広場の続きで立ち寄った、
グアダルーペのマリアの寺院、Basílica de Guadalupe です。

ここの聖母出現は、カトリック三大奇蹟のひとつらしいです。
他のふたつは何か?
うーん、興味ある人は調べてみてください。
(調べました。ルルドとファティマだそうで。なるほど~)

ともかくもここでは、
アステカ王国が滅亡して10年後の1531年、
インディオのフアン・ディエゴがテペヤックの丘を歩いていると、
聖母が出現して、ここに寺院を建てさせるようにと告げたと言われています。
フアンは教会へ行ってそのお告げを伝えましたが、司教が信じなかったので、
もう一度聖母のところへ戻りますと、
彼のマントにあふれるばかりのバラの花が与えられたとか。
時は12月、ありえない花に、司教も奇蹟を信じる羽目になったそうで。
そのときのマントに、グアダルーペのマリアの姿が浮き出して、
今でもそのマントは寺院のご聖体として崇められてます。

ああ、大事なことを書き忘れてましたが。
出現したマリアは褐色の肌で、そのことによって
白人に虐げられていたインディオたちにも親しまれる聖母となりました。



そのときに建てられたのが、丘のてっぺんにある小さな教会。
以前、ダンナとふたりで来たときにはちゃんとそこまで登りました。
途中に巨大な真っ黒のマリア像と、その前にひざまずくアステカ族の戦士たちの像があって、
それがすごく印象的だったので、もう一度見に行きたいと思ったんですが、
ツアーだとそこまで行ってくれません。ケチッ。
バシリカの中はもう見なくていいからそっちに走って行ってくる、と言ったんですが、
団体行動を乱すな、って、メヒコ人に言われたくないなあ(笑。
しかしもっともな言い分ではあり、自分がやっちゃうと今後文句が言えなくなると思って諦めました。

写真では、手前のふたつの教会のちょうどあいだから見えている、
緑に囲まれて、四角っぽい教会です。
わかるでしょうか。
これが、16世紀に建てられた分。



それから、この写真左手にある黄色い屋根の教会が17世紀に建てられましたが、
地盤沈下で傾いてきて危険なので、その隣の赤い屋根の教会が建てられたのが18世紀、
さらにそれも傾いてきたので、19世紀に建ったのが



この右手奥にある白い屋根の教会で、
しかしこれは傾いたためなのか、それとも小さすぎるということか、
20世紀になって、というより1976年になって作られた実に現代的寺院が、こちら。



いやいきなりモダン過ぎやしませんかね?

しかしメキシコ人の信仰は薄れることなく、
いつ行っても、遥か遠くから巡礼にやってきたらしい人たちが、捧げものを手に、
両膝で地面をすり歩きながら寺院へと入っていく姿が見られます。

また、19世紀の教会だったと思いますが、
そこで私は初めて、金で作った足や手やの身体部分のメダルを見ました。
これはメキシコの教会のどこでも見られますが、
体の悪い部分を治してくださいとお参りして捧げるものだそうです。
たいてい、赤いビロードなどを張った板が立てられ、そこにピンでひとつひとつ留めてあります。

さて、最新の寺院に入っていくと、



なかなかオシャレです。
12月12日のグアダルーペのマリアの祝日にはここで盛大なミサが開かれ、
入りきらない人たちが前の広場にあふれます。
その様子はテレビでも実況中継されます。

この祭壇の裏っ側の通路に入っていくと、
え~、ベルトコンベアがありまして、観光客もとい礼拝者を運んで行きます。
右から左へ、そして左から右へ。
ありがたい聖母様の前を二度横切って拝むことができるわけですが、
立ち止まることは叶いません



これが、奇蹟に出会ったフアン・ディエゴのマントだそうです。



去年辺りでしたか、
アメリカのどこやらで地下トンネルの壁にこのグアダルーペのマリア像が出現したと
ニュースになってましたね。
確かにそれっぽく見えてましたけど、
結局湿気によって生えたカビだということで塗りつぶされてしまったとか。

まあ……信仰心を持って見れば何でも聖母やキリストに見えるんでしょう。
トーストの焦げとか、植木鉢の汚れとか、
よくありますよね、そんな話。



実は、本当に面白いのはこのグアダルーペ寺院そのものより、
そこへ行くまでの道に並ぶお店だと思ってます。

それを見たのはもう10年くらい前で、写真がないのが残念ですが、
つまりいろいろな宗教的ガラクタ、失礼、宗教的商品を並べています。
聖書はもちろん、ロザリオとか十字架とかイエス像とか。
すごいのは等身大、もしくはそれ以上の豪華イエス像・マリア像でして、
後光が電気でピカピカ光るのとかは序の口。
両の目玉自体が電球でできていたり、
ペンキで描きいれた睫毛の驚くばかりの長さに笑ってしまったり……。

一度はこっそり撮影したいと思ってるんですが、
いつのことになるやら……。

メキシコの鉄道についてなど

2006-04-26 07:34:45 | 交通
ブックマークに、ちびちびとではありますが、
メキシコやラテンアメリカ関連のサイト・ブログなどが増えてきて、
嬉しい限りです。
もしまだチェックなさってないかた、いらっしゃいましたら、
ぜひともあちこち覗いてみてください。
素晴しいところばかりです。

メキシコって、本当に広くて奥が深くて、
人ひとりの一生ではとうてい見尽くせないですね~。
こうしていろんなサイトを見せていただくと、
一人一人が違ったメキシコを見ているんだな、ということをしみじみ感じます。
私が見たことは、大海からすくったコップ一杯の水ほどの、
「一部のメキシコ」でしかないと、
メキシコの広さに気が遠くなります。



ま、それはさて置き(立ち直りは光速並み)。

ダンナがシティに行くと、いつも泊まるホテルがあります。
シティの中心部から程近く、しかし近すぎず、
そこそこ安全(拳銃持った背広のおじさんを目撃した以外)。
場所も行き方もわかっているから、というのもダンナの場合大きな理由のようです。

そのホテル、革命記念塔のすぐ近くなんですが、
その記念塔の前に、機関車が置かれてるんですね。

無骨な機械が訳もなく好きな私ですので、
いつも通りがかりながら見上げてたんですが、
去年訪ねたとき、写真を撮りました。

好きとは言っても、名前や歴史など何も知らないで、
ただ眺めるのが好きなだけなので、
これがどういう機関車なのか、いつごろ現役だったのか、
などはさっぱりわかりませんが。

横腹に、67トンとあります。



いや、それだけ。



それだけなんですが。
実はリンクの許可をいただいた山田俊彦さんの写真展第5回
「鉄道特集」なんですね。

いやもう、どのページを見ても、ハンパじゃない数の素晴しい写真ですが。
この「鉄道特集」を見ていて、うっすらと思い出した記憶が。

私も一度だけメキシコで鉄道に乗ったことがあったのでした。

こうして山田氏の写真を見、説明を読んでいると、
非常に珍しい体験だったらしい、とようやくわかってきて、
写真を一枚も撮らなかったどころか、
まるで記録も残していないのが、悔しい~~。

しかし、ダンナはちゃんと覚えてました。
私がこっちへやってきて間もないころですから、1995年か96年です。
そのころものすごく貧乏だった私たちは、
ダンナの実家のある北部へ行くために、同僚が安いと薦めてくれた鉄道を利用したのでした。

メキシコシティから、義姉の住んでいたサルティーヨまで。
あ~~、そうだよそうだよ、そうだったねえ。
お姉さんのところに大きな毛の長い犬がいたねえ(動物のことしかマジメに覚えてない奴)。
鉄道料金は、ダンナもさすがに覚えていないそうです。

私が覚えているのは、
客車の片側に通路があって、もう一方にコンパートメントが並ぶ寝台車だったこと。
ドイツと同じ感じだったので、細部は特に印象に残らなかったようです。
恐ろしく薄汚なく、古かったことは覚えてます。
ふたり部屋で、洗面台があり、
椅子を引っ張ってベッドにして寝るようになってるんですが、
設置の仕方が悪かったのか、壊れていたのか、
真ん中ががくっと落ち込んで、くの字になってしまって、
恐ろしく寝辛かった……。

それに、あまりに時間がかかるというので、
モンテレイまで行く予定を取りやめて、サルティーヨまでにしたと、ダンナは言います。
そうだっけねえ~?
よれよれになってサルティーヨに辿り着いたことは覚えてます。

確かに、メキシコの長距離移動はバスか飛行機で充分まかなえています。
しかし、時間さえあれば、のんびり鉄道の旅だってメキシコらしくていいと思うんですが……。
その当時はそんな余裕もなくて、鉄道を楽しんだ記憶がありません。
返す返すも悔しい……。

山田氏の鉄道特集に、
「90年代初期まで寝台列車が活躍していました」
という説明がありますから、
私が乗ったのは、本当~~~に最後の鉄道だったのかも。

後悔先に立たず
と10年も経って思い知ったことでありました……

タコスの定番パストール

2006-04-25 06:42:45 | 食べ物・飲み物
昨日の夕方、昼食とも夕食ともつかない時間に行った、
タコス屋さんを紹介します。

いや、ちょいちょい行くところなんですが、
今まではこんなふつ~の食べ物紹介してもなあ、と写真に撮ろうともしませんでした。
ネタに詰まってくると、こんなのも使えるかも、ってことで、
こっそり撮影。

お店はこんなんです。



ここは、メニューと一緒に紙とボールペンを渡されます。
紙にはメニューの一覧が載っていて、
ほしいものに印をつけるわけです。
割と、律儀なお店。

キッチンカウンターの右にぶらさがってる板には、
ジュースにしてくれる果物のリスト。
「おいしいポソレあります、毎日」と書いた札も。
ポソレ、前は週末だけだったと思うんですが、いつごろからか毎日になりましたね~。

メキシコのうどんかラーメンのような位置にある
安くてお腹いっぱいになるポソレはまた後日紹介(ネタの出し惜しみ?)。

で、昨日はタコスのパストール tacos de pastor を食べました。



トウモロコシのトルティーヤに、
香辛料たっぷりの豚の焼肉と、玉ねぎとパイナップル。
これに、お好みでさらに玉ねぎのみじん切りとシラントロの刻んだのをかけ、
メキシカンソースを好きなだけかけて食べます。
そんだけ。
3個セットで21ペソ、約210円。



以前、シティの道端ですごくいい匂いがしてて、
ちょっと食べておきたいな、という程度に空いていたので、
立ち止まりました。
5個で15ペソだったかな。数年前ですが。
立ち食いのところは激安。
その分、危なかったりもしますが。
しかし見ると、トルティーヤ二枚重ねなんですよね。
つまり、10枚。
それはちょっと多い。食べ切れん。

それで、おじさんに、
3個だけもらっていい? と訊ねました。
もちろん、値切ろうと思ったわけじゃないです。
3個でだって充分安いし。
しかしおじさんは、「数減らしたって値段は変わらんよ」と。
いや、わかってるけど、お腹そんなに入らないんだよね、
食べ残して捨てるのもったいないからさ~。
と言ったんですが、渡されたお皿にはしっかり5個。
げふ~。
しょうがないから、ポンポコリンに食べましたとも。

どうも、タコス屋のおじさんには、同じお金を払って少なくてもいい、
という発想が理解できなかった様子です。
ま、しょうがないか。



メキシコ人は、これ、ホントに5個でも10個でも食べるんですよね~。
2年以上前になりますが、
ダンナと初めて日本を訪問して、帰ってきたメキシコのバスターミナルで、
ダンナ、タコスを5個とコーラを一本注文しました。
食べ終わってから、ちょっと思案して私を見て、
照れ笑いしながら「もう一回食べる」と申しまして、
さらにタコス5個とコーラ一本。

おいおいおい、日本でそんなに餓えてましたか?
かあいそうに(笑。



で、このパストールですが、
店の外側も写真撮りました。



こんなふうに、通りに面したカウンター席もあり、
通りすがりにちょっと食べる人もいます。

これの、ここ。



トルコのケバブと似てますかね?
味付けした豚肉を、グリル棒に巻きつけて、じゅうじゅうと焼きます。
ときどき、炎がぶわぁぁぁん!と飛び出してきます。
マチェテ(山刀)で削り落としながら皿に受けて、
そのままパストール。
これはもう、メキシコ中どこ行ってもそこらで目にする光景かと。
タコス屋で一番安くてオーソドックスなのが、このパストールです。


すいません、ちゃんと近くから、兄ちゃんに断ってしっかりした写真撮ればよかったんですが、
小心者なので、こっそり車の中からパッチリと。



三文化広場

2006-04-24 08:51:18 | 観光
これまたオーソドックスな観光地ですかね~。

メキシコシティにある、三文化広場です。

1.アステカ時代の神殿と居住地の廃墟と、
2.それを壊した石で作ったキリスト教会と、
3.現代建築・高層ビル

の三つが面しているというので、
三文化広場。

それを言うなら、ベルリンでも
「ここは三文化広場だ」と友人に言われたところを見ました。

1.中世の教会と
2.東ドイツ時代の安アパート高層と
3.西ドイツの立派な高層ビル(大会社だったような)

の三つが一堂に会しているというところ。
写真がなくてすみませんが。

まあそんなの、日本にだってありそうですよね?

1.神道系の神社と
2.仏教系の寺と
3.現代建築高層ビル

の三つがそろってるところ、とか?



メキシコの三文化広場はトラテロルコと呼ばれる地区にあり、
ここではアステカ軍とスペイン軍の最後の戦闘があったそうです。

また、1968年に学生デモと警官隊の衝突から
多数の死者を出した悲劇の場所でもあり、
1986年の大地震でも、ここはもともと湖を埋め立てて作った部分で
地盤が緩いために多くの建物が倒壊して大勢が亡くなった地域でもあります。

この辺りは一度ゆっくりと見て回りたいと思いながらも、
なかなか足を向けることができないでいます。
またそのうち、もっと詳しい紹介ができるといいのですが……。

口(使用言語)には要注意

2006-04-23 12:17:58 | 出来事
昨日のテオティワカンで書こうと思っていて忘れた話がありました。

ケツァルコアトルの神殿ですが、
実は見事な複製が、メキシコシティの人類学博物館にあります。
そちらはレプリカですから、完全形に仕上げ、色まで塗ってあるという手の込みよう。

私がちょうどその部屋を見ていたとき、入ってきたのがドイツ人女性でした。
その複製を見た彼女、連れに
「ええ~、これって昨日見たテオティワカンの、あの神殿!?
こっちのほうがずっと綺麗でステキじゃない~。
最初からこっちを見に来ればよかったわ~~」
ですと

いや~、ドイツ婦人よ、そりゃあいくらなんでも本末転倒では?
と口には出しませんでしたがね。
まあでも確かに、考えたら一般人には考古学的価値のある本物より、
わかりやすいレプリカのほうが値打ちがあるのかも。

しかしやっぱりね、遺跡ってのはその場所で、本物の石でないと、
何となく魔力といおうか呪いといおうか、
なくなるような気がしませんかね?

レプリカでいいんなら、写真を見てたっていいわけで、
何もわざわざメキシコまで来なくたっていいしさ~。



まあそのときのドイツ婦人、まさか周囲にドイツ語がわかるヤツがいるとは思わなかったんでしょう。

外国にいるから、母国語なら周りにわからないだろうと思うのはよくわかります。
私もやります、というか、ドイツではよくやってました。
ま、若さゆえの傲慢と申しましょうか、言いたいこと言いたいんですよね~。

まあでも見てくれで何となくどこの人かわかるとはいうものの、絶対ではないし、
メキシコにいるアジア人がドイツ語を解したりすることもあるわけです。
気をつけるに越したことはないです。

以前にシティの大きなスーパーの駐車場を歩いていたら、
恰幅のいいおじさんが、停まっていたオンボロ車を見て、ひとりごと。
「うっわ~、すげえボロい車。動くんかいな~?」
ドイツ語でした。

そのくらいの車、メキシコじゃ序の口ですけどね。
そりゃ動くでしょ~、とドイツ語で言ってあげようかと思いましたが、
小心者なのでやめて、あははは、と笑ってあげるだけにしました。
おじさん、ちょっと変な顔で私を見ながら通り過ぎていきました。



でも、最近はオンボロ車、だいぶん減ってしまったような気がしますが、
それとも私の感覚が鈍くなっただけかしらん?
メキシコの車は本当に動かなくなるまで使い切るのが基本。

錆び錆びで真ッ茶色のとか、
ドアが一枚ないのとか、
座席が足りないのとか(タクシーの助手席外してあるのは別ですよ?)、
ブス~~ンバスバス!とすごい音立てながら黒煙噴き上げるのとか、
いろいろ楽しいのがありましたけどね~。
シティだとまだいっぱいありますかね?

そう言えば、14年ぶりで日本へ帰って、
実家の近所を散歩していたら、何やら車が積み上げてあって、
あれ何? と訊ねたら、親父が「んなもん、廃車や。ゴミや」と。
えええ~~! 私にはどれも立派な新車に見えたんですけど??

日本って贅沢だからな~。
メヒコじゃ、


  このくらいにならないと廃車とは呼んでもらえません。

でも、こんなになると、風格ありますよね。
右端のなんか、メヒコによくあるドクロにそっくりです。
白く艶やかに骨だけになったドクロの、下顎がないやつ。
ニヤリ、と笑ってます。
左上のも、すごいです。よくここまで働いたな~、ご苦労さま、と言いたくなります。
その下でへしゃげてるヤツだってかわいいです。
潰れても平気で、「おめ~、ちょいと邪魔だな」とぼやいている太っ腹のおっさんみたいです。

なんか、話がずれてしまいましたが、この辺で~。

たまにはメジャーな……テオティワカン

2006-04-22 06:48:02 | 遺跡
いや~、マイナーというよりマニアックな話題が続いてますが。
ふと気がついたら、
あれ?? 私、テオティワカンをまだ載せてませんか?

まあメジャーすぎる遺跡だし、ネットでも懇切丁寧な紹介はたくさん載ってるし、
でもやっぱりせっかくだから載せておくか。
ネタが少なくなってきたからじゃありませんよ、ええ、決して!

テオティワカンへは、何回くらい行きましたっけねえ、
というくらいメジャーな遺跡です。
メキシコに来て割とすぐにダンナと行き、
弟が来て一緒に行き、
知り合いの知り合いが行くというので一緒に行き、
また誰やらが行くというので一緒に行き、
てな感じで、そして去年またダンナが行きたがるので行ってきました。

広々としているし、綺麗だし、気持ちのいい遺跡です。



まずはケツァルコアトルの神殿辺りから臨んだ月と太陽のピラミッド。

去年の写真をお見せしますが、何しろもう何度目かも忘れてしまってるので、
オーソドックスなピラミッドの写真は期待しないでくださいね~。
そういうのは、もっとすばらしい写真がたくさんネット上にも出てると思いますし。


ケツァルコアトルというのは、チチェンイッツァなどでも出てくるククルカンとごっちゃの
羽毛に覆われたヘビの格好をした神さまです。
何の神さまなのかは、時代によりけりで、かなりの変遷を経ている様子。

ここでは、段上ピラミッドに羽の生えたヘビの頭が。



え~、あまり追求しないでください。
このときは修復中だったのか、階段に黒いビニールシートがかかっていたり、
以前はもっと近くから見られた通路が閉まっていて、上から覗くしかなかったり、
だったんで、適当な写真しかなくてすみません。

なんかそれよりも、ピラミッドにしがみついて花を咲かせているタンポポに
心惹かれてしまう私。



空は青いし~雲は白いし~、太陽は照ってるし~
ピラミッドの石は熱いけど、
風にそよそよ、いい人生だね、タンポポって。

いや、この日はマジで、雲がすごかったです。
ピラミッドより迫力ありました。



一応太陽のピラミッドも写ってますが。

そんな感じで、道を歩きながらも、そこらの花や虫や空ばかり見てるが一匹。

あ!
サボテンに実がいっぱい生ってます!



しかし、雲行きがやや怪しい。
雨は降らないと思うけどな~。

他にも、赤い実をびっしりと房にして垂らした木などもあり、
あんぐり口を開けて見上げていると、通りすがりのメキシコ人が名前を教えてくれたり、
そんなのが、私にはけっこう至福のひと時。

あ、このインディオのおじさん?お兄さん?も至福のひと時?



いやいや、いつもです、とか言われるかも。

そう言えばいつだったか、知り合いとここへ来たとき、
ピラミッドの階段に座って笛を奏でるインディオのおじさんがいました。

ここは観光客目当ての土産物を持ち歩いて売りつけるお仕事の人がたくさんいて、
安っぽい陶器や骨の笛を売る人もいます。
そういう人たちがアピールのためにピーヒョロピーヒョロと鳴らすようなのは、
メロディも何もあったもんではなく、インドのコブラものた打ち回ってこんぐらがりそう、
てな演奏ですが、
このときのおじさんはそんなんじゃなく、本当にちゃんと吹いてました。
ピラミッドに上り下りする観光客にも目もくれず、
ひたすら一心に。
その笛の音はピラミッドの石に反響して、死者の道を渡り、
空へと舞い昇って、うっとり。
ああ、これで周囲にわいわいぎゃあぎゃあと賑やかな団体観光客さえいなければなあ、
と観光客の一人である私は溜め息ついたもんです。


ところで、テオティワカンの建築技術はよその遺跡とは少し違います。
作ったのがそもそもマヤやアステカ人じゃないから、当然といえば当然ですか。



ミシン目模様が特徴。



こんなに小さな石でも、ちゃんと小石で取り囲んで作ってます。
割とオシャレでしょ。

そしてこれが死者の道。



テオティワカンをまっすぐに貫く大通りで、
正面に月のピラミッドが、右手に太陽のピラミッドがあります。

この時間にはいよいよ雲行きが怪しく、
暑くないのはいいんですけど、写真が冴えなくてすみません。

死者たちが歩いた道?を、観光客が歩いてます。

そして一番奥、正面の月のピラミッドは
もうお怒りになっているとしか見えない~という迫力。



登るのは、月も太陽もそれぞれ何度かやってますので、
このときは省略しました。
ピラミッドのてっぺんからの景色はもちろん素晴しいですが。

というわけで、テオティワカンの隅っこを紹介してみました~。

いろいろ想像を巡らせてしまうもの

2006-04-21 07:53:01 | 日系移民関連
カテゴリを何にしようか迷いました。
人の写真ではないですが、
それでもやっぱり「人」にしておきます。
(追記:日系移民というカテゴリを作ったのでそこへ移動しました)

メキシコシティの大学で語学コースに通っていたころの話です。
同じクラスの仲の良かった友人とある日、トロツキー博物館へ出かけました。

トロツキーはご存知かと思いますが、
メキシコに亡命して、ディエゴ・リベラやフリーダ・カーロとも交流を持ち、
そして最後にはコヨアカンの隠れ家で暗殺されました。
その隠れ家だったところが、今は博物館になっています。
去年だったか、トロツキーを殺した斧が公開されたとニュースになっていました。
血糊のDNAを調べればそれが本物かどうかわかるそうです。
その後、どうなったのかな。

で、トロツキー博物館はどうでもいいんですが、
そのすぐ隣だったかどこだったかに、
小さな本屋がありました。
私も友人も、本屋と見るとフラフラと入っていって、
隅から隅まで見ないと何時間かかろうと出られないたちです。
ふたりで本屋で過ごした時間は、100時間くらい?
で、そこへもごく当然、入っていきました。

個人経営の小さい本屋でしたが、
その店の一番奥に、思いがけないものを発見して、私たち二人、座り込んでしまいました。

床に平積みで、高さは40~50cmくらい、幅は2~3m、もしかしたらもっとかも。
文藝春秋が積んであったんです。

そのころの私たち、日本語を目にすることなど、
大福餅を食べることより珍しかったもんですから、
もう磁石に惹きつけられるように、その宝物の山の前に本当に座り込んでしまいました。

しかし、この量は尋常ではないです。
見れば、昭和二十年代などという恐ろしく古いものも混じっている。
『相撲』という雑誌も少しですが、ありました。

今の私なら、厚かましく店のお兄さんに、
「これどうしたんですか、どういう事情でこんなにたくさん買い取ったんですか」と
質問攻めしていたことでしょうが、当時の語学力では……。
値段を訊くのが精一杯。
当時は日記もつけてなかったので、細かい値段は忘れましたが、
一冊10ペソ、三冊で25ペソ、とかそんな感じに言われたと思います。
いや、もっと安かったかも。
でも、貧乏学生の私たちには大量に買える値段ではない。

うんうん悩みつつ、
しかも下のほうを掘り起こすとページ分解しそうな古いのもあるので、
適当に、どうにか目につき、かつ興味を惹かれるのを数冊。

たとえばこんなのです。



これではわからないでしょうが、
左の戦争特集八月号は昭和45年のもの、
右の日本の遺族特集は昭和43年のものです。
そして、もっと最近(当時)のものまでありました。

さらにお宝の山から見つけたのは、こんなのです。



「サイタ サイタ サクラガ サイタ」の小學國語讀本ですよ。
写真では隠れてしまいましたが、
右隅には「尋常科用」と書いてあります。
これが、「巻一」から「巻四」までそろってました。

古い小説などで話には聞いたことがありましたが、
実物を見るのは初めて。
それが、メキシコのちっぽけな本屋の隅に

こんなところに埋もれさせておくのは許せない、と
胸に抱き締めて、買い取ってしまいました。
いや、買ったからって世に出るわけではないんですが。

他にも見つけたものがあるんですが、
書いていたら長くなったので、ちょっとカットします。

ともかく、昭和20年代からずっとメキシコに住んでおられた日本人が、
たぶん亡くなったのではないかと思います。
ご家族が、処分ということでまとめて本屋へ持ってこられたのではないかと。

そう言えば、シティでお世話になるところで、
『暮らしの手帖』創刊号を含む、
これまた古い雑誌のコレクションを見せてもらったことがありますが、
それもどこからともなく流れてバザーに出ていたとか。

服とか置物とかより、
自分が本好き(本の虫ともいう)だからでしょうか、
こんな古い雑誌を大事に取って、日本をしのんでおられたかたが、と思うと、
なんとも感無量なのでした。

シティに行くたびに、あの本屋にまだ残っているだろうかと
気になりながらも結局その近辺へ足を向けることはなく、
もう10年になるから、いくらなんでも、もうなくなってるでしょうね~。
買ってどうするものでもないですが、
廃棄処分になったかも、と思うとちょっと悲しいです。

トルトリータ

2006-04-20 07:20:33 | 文学
新しい国に来て、まだ言葉がろくにわからないころって、
入ってくる情報量が限られるせいでしょうか、
それとも緊張して精神を研ぎ澄ませているからでしょうか、
その時期に聞いたり読んだりしたことはすごく印象に残りますよね。

メキシコに来てしばらくは、適当なスペイン語の先生も見つからなくて、
家で、ようやく買った食卓兼勉強机で、独学でチマチマとやるしかなかったんですが、
そのころ使っていた教科書に、
ある文学作品からのエピソードが載っていました。

そこだけ切り取られても訳がわからん、というのが正直なところ。
でも何だか妙に心に残る逸話だったので、
教科書に載っていた作者名と書名をメモして、シティの本屋で買い求めました。

Ermilo Abreu Gómez という人の『Canek』という本です。
リンクは英語アマゾンへ飛びます。私が持ってるのとは別バージョンですが。

ぱらぱらと見たところ、空行が多いし、ページ数も少ないし、
これなら何とか読めるかな、と思ったんですが、
当時は見事に挫折しました。
インディオや農場関係の特殊な単語がゴロゴロ出てくるんで。

日本語訳も過去に出ていたようですが、絶版みたいですね。
残念です。
興味あるかたは古本でぜひ探してみてください。

去年ようやく読了しました。
95年4月6日にメキシコシティにて購入、
05年4月7日に読了、と後ろにメモが。
10年と1日かかったわけですな~。

カネックというのは、マヤの英雄だそうで、
この本の前半は、カネックがアシエンダ(大農園)に暮らして関わる人間模様を描いています。
中でも、ちょっと頭が足りないと思われているグイという少年と仲がいい。
農園を取り仕切っているチャロおばさんなどは、グイの言うことをまともに聞きませんが、
何時間も野原に寝転がって雲を眺めたりしているグイに、カネックだけは付き合います。

そういうことを知らずに読んだら「はぁ?」だった教科書のエピソードも、
全体を通して読むと、ちゃんとそれなりの味わいがありました。

    

 遠くのランチョ(農場)に住んでいるラモン叔父さんがアシエンダを訪ねてきた。
 グイに、一羽のトルトリータをプレゼントとして持ってきた。
 トルトリータはとてもかわいく、従順で、掌から餌をついばみ、何でも言うことをよく聞いた。
 グイはすっかりかわいがって、自分の部屋で一緒に眠らせるほどだった。
 けれどもトルトリータはある日、誰も理由がわからないままに病気になり、
 ぐったりとして、餌を食べなくなり、翼を垂らし、頭を傾げて、そして死んでしまった。
 グイは彼女のために泣いた。

 ラモン叔父さんがそのことを知ったとき、もう一羽のトルトリータを持って、
 またアシエンダを訪ねてきた。
 グイは鳥を見て、キスをし、おじさんに返しながら言った。

「おじさん、お願いがあるんだけど」

「言ってごらん」

「きっと嫌だって言うよ」

「言ってごらん」

「この鳥を今日は持って帰って、明日また持ってきて。
 そして、以前に連れてきたのと同じトルトリータだと言ってほしいんだ。
 死んだっていうのは間違いだって、言ってほしいんだ」

 チャロおばさんはラモンおじさんに言った。

「このバカが言うことをそのまんまやるなら、あんたはもっとバカだよ」

 カネックが口を添えた。

「やってください、ドン・ラモン」

    

これだけじゃ、やっぱり「はぁ?」ですかね~

いや、今日の話題は、このトルトリータ tortolita ってなんだってことなんです。
前置きが長すぎ?

当時、辞書を引いても載ってないし、鳥だということはどうにかわかった、
というか、ダンナに訊いたら、鳥だと言ったわけです。

で、ある日道端を指して、トルトリータだ、と言われたのが、これ。



ドイツにも小型のトルコバト(和名シラコバト)というのがいましたが、
これはさらに小さい。スズメより少し大きいかな、というくらいです。

割とどこにでもいます。特に街中。
翼の波模様がステキです。
群れていることもありますが、夫婦らしく二羽で寄り添っていることも多いです。

本当にグイ少年に懐いたように飼える鳥なのかどうかは知りませんが、
街中でこの鳥に出会うたびに、このエピソードを思い出して、
ほんわかとあったかいような切ないような気持ちになります。

カネックの物語は、後半で急展開、
それまで平穏な生活を送っていたアシエンダで、インディオたちへのひどい支配が始まり、
耐えかねたインディオたちはカネックを先頭に反乱を起こします。

短い文章に深い意味を込めた、今もメキシコ人が好んで読む作品のひとつのようです。

リベラの壁画:スペインの征服

2006-04-19 06:58:13 | 芸術・民芸品
え~、引きずりますが、今日で最後です、国立宮殿の壁画。

ほんのわずかな隙間にも、壁画。
執念ですな、もう。
こちらも意地になって、執念で端から写しました。

    

左端は、ゴムの木。
幹に傷をつけ、流れ出る樹液=ゴムを下で溜めています。

このゴムの木、私もドイツの学生寮に住んでいたころ、鉢植えで持ってました。
でも高さ1mくらい、ひょろっとまっすぐに伸びたもので、
てっぺんから艶やかな葉っぱが出てきては広がっていくのが、かわいかったです。
アナログ写真ならあるんですが、またそのうち。

ところが、メキシコに来て、大学図書館の前に生えているゴムの木を見て
いやもうびっくり!!
幹は3人が手をつないでようやく一周できるほど、
広がる樹冠はたったひとつで図書館前の広場を覆いつくし、
絡まった蔦がジャングルのように垂れ下がって、
枝の藪の中ではオウムやその他の鳥たちが賑やかに行き来している、というもの。

うーん、ゴムの木ってこんなにでかくなるものだったのね……。
小さな鉢植えで窮屈な思いをさせて申し訳なかった、と
メキシコに来るとき友人に譲り渡してきたゴムの木に今さらながら謝ったのでした。


真ん中の絵は、トウモロコシですね。
一番手前では metate と呼ばれる石のすり板でトウモロコシをつぶしています。
これが、あのおいしいトルティーヤの原料。
隣でそのトルティーヤを作ってますね。

その後ろに立っている賑やかな服装の人は……うーん、誰でしょう?
トウモロコシの神さまかなあ?
さらにその後ろに広がる水田のようなものは……。
ええと、一番奥にポポが見えてるのだけはわかります


そして一番左の、廊下の角にあるのはカカオの木の絵。
何だかノルウェーから来ました、という風情のお兄ちゃんがいたく感激したらしく、
いつまでもいつまでも動かないので、仕方なく一緒に写しました。

カカオの実はでっかいですね。
椰子の実くらいでっかいですね。
それを棒で落として、使うんですね。
モレ Mole とか、熱いチョコレートとか、おいしいですもんね。
板チョコはメヒコじゃあまり作らなくて、逆輸入するので高いですが。


という植物シリーズを通り過ぎて、



あ、すいません、まだ植物シリーズでした!
廊下の梁をものともせずに描いたこの絵は、
左の上にリュウゼツランと、そこからメスカルを作っている人たち。
そして、右のほうは、すみません、たぶんですが、
何かの木の皮をはがし、それをまとめて水にさらし、
犬に食わせ……ているわけではなく、左下の女性たちがやっているように
広げて乾かして布か紙にしているんではないかと推測。

うーん、やっぱりガイドを頼むべきだったか……(ちょっと後悔。

そして最後に、



スペイン人の征服です。
もしかしたら階段の歴史絵巻を除くと、この絵が一番有名かも?
インディオたちが、左下の隅では焼きゴテを押し付けられ、
いたるところで牛馬のように重労働を強いられています。
牛馬たちも重労働させられてます。
子豚はぐるぐる巻きで焼きあがるのを待つばかり?だし、
右下ではスペイン人が連れてきたらしい犬が、無毛のアステカ犬に向かって牙を剥き出してます。
そして、一番奥の木には、縛り首になったインディオたちが……

しかし、リベラの壁画はここで終わりです。
まあ階段部分に全体的な歴史を総括してるとはいえ、
どこで読んだか忘れましたが、リベラとスポンサーのあいだで意見の食い違いがあって、
壁画は本当は歴史をずっと描いて、メキシコの未来まで行くはずだったのに、
途中になったままなのだということです。

メキシコの未来図って、どんなんだったのでしょうか。
ディエゴ・リベラの思い描く未来、見てみたかったです。

リベラの壁画:アステカ王国

2006-04-18 08:04:49 | 芸術・民芸品
さて、昨日の続きで、国立宮殿の階段の踊り場を見てから上がって行きます。
中庭に面する二階廊下に出ると、左手に絵が続きます。

最初の絵は大きすぎて、カメラじゃ一枚に収まりませんでした。

  

左右、つなげて見てください。

アステカ王国時代の首都、テノチティトランです。
場所は現在のメキシコシティがあるところですが、
全体は湖に浮かんだ半島のような形でした。
特に右の絵のバックに、湖が見えています。
さらにその向こうにふたつ並んで雪をかぶって見えるのは、
イスタシワトルとポポカテペトルです。

絵の中央、薄緑の椅子に座っているのが、たぶんアステカの王かな?
その左後方で大きな絨毯のようなものを巻いているのが何なのか、ちょっとわかりません。

手前ではアステカ人たちの市場が開かれてます。
カラー、もしくはアルカトラズと呼ばれる白い花を売る女や、
サトウキビと思われる束を額にかけた紐で担ぐ少年、
野菜や果物を売り買いする人たち、
黒トウモロコシやさまざまな種類のトウモロコシをザルに積んで売っている人もいます。
なんか、こういう雑然とした生活の様子は、見るだけでワクワクします。

左側に立つ白い服の女性ですが、マリンチェかなあ?
コルテスの通訳として裏切り者の象徴になってる女性ですが、
まあ最近はいろいろと違う説も出ているようで。
それより気になるのが、この女性の横に立っている青い羽飾りの男が持ってるもの。
どう見ても、肩から切り落とした人の腕なんですが。
骨まで見えてるし~。
よくわからん。知ってる人、教えてください(昨日に引き続きスミマセン)。

さて、廊下を進むと、ドアとドアのあいだの壁に次々と絵が現われます。



これはたぶん、糸を紡いで、染めて、干して、布に仕上げているところでしょう。
鮮やかな色合いが綺麗で、平和で、いい絵ですな~~。

上部を切り取って拡大すると、こんなの。



左では綿摘みしてるんだと思います。
右の丘では、たぶん炭焼き。
そして奥のポポカテペトルが煙を噴き上げてます。
湖では漁をしているらしい船の群。

次の絵も、アステカの生活の様子を描いてます。



こちらは王族が使う羽飾りや金細工を作っているところでしょうか。
左奥をよく見ると、



川ではおそらく砂金を採っている人たち。
その手前では王族らしい人が立ち、衣装合わせをしています。
大きな羽飾りの冠は Penacho と言います。
サッカーの応援団も、よくこんなアステカ風の格好した人がいますよね~。

同じ絵の右半分をよく見ると、


砂金を溶解して、型に流し込んで冷やし、表面に細工をし、という一連の作業が見て取れます。
その左側では羽を綴ってペナチョを作っている人たちがいます。

カラーの絵の下に、いくつかに分かれた白黒の絵がありますが、
これも作業手順などをわかりやすく描いたもののようです。

その次の絵もなかなかすごいです。



今までさんざん見てきたあちこちの遺跡ピラミッドですが、
現役であればこんな感じなのかぁ~、なんか中国風だなぁ、なんて思ったり。

しかしやはりこの細密画のような細かさは美しいですね。
手前の変な格好をした人たちは……、うーん、戦士か何かでしょうか。
目立つマントの人の足元に黒っぽい犬がいますが、
これは、前にもここで話題に上がったアステカ犬だろうと思います。
他の絵にも、よく見るとこの犬たちはあちこちに紛れ込んでます。

しかし私が目を惹かれるのはやはりバックのほうで、
よく見ると



この一番左端、赤と黒の三角模様になっているのは、
これまた遺跡で何度も見ている球戯場ですね。
実際に球戯をやっているところで、球戯場の上にはびっしりと見学者が集まってます。

そしてその右側では、ボラドーレスたちが。
ボラドーレス Voladores というのは、今でも観光地などでやってますが、
高いポールのてっぺんから、足首に縄をくくって頭を下にした四人のボラドーレス(飛ぶ人たち)が、
ゆっくりと回りながら伸びていく縄によって地上まで降りてくる、という儀式です。
この絵のボラドーレスたちは、ワシのような格好をしてますね。
これは本物のワシを捕まえてこんなことをさせてるのではなく、人間だと思います。
その下でもまた、集まって踊る人たち。

そしてやはり、じっくり見れば見るほど中国だかタイだか、
なんとも不思議な懐かしさを感じさせるピラミッドとその背後の住宅も、
テオティワカンやその他の遺跡と重ねて思い返せば、感無量。

まだもう少しあるんですが、それは明日にします。

ところでヨーロッパの教会について少し勉強したんですが、
ステンドグラスというのは当時、字が読めない信者たちのために、
聖書の物語を絵にして解説したものだそうですね。
このリベラの壁画も、メキシコの歴史を文盲の人たちにも学んでもらえるように描いたものなんでしょう。
そう言えば、私が帰るころに、小学校から来たらしい子供の群が一クラス分ほど上がって行ってました。
先生について、たくさん勉強できたことでしょう。
私もついていけばよかったかな、と今になってちょっと後悔してます。

リベラの壁画:メキシコの歴史

2006-04-17 11:26:20 | 芸術・民芸品
さて、国立宮殿の壁画ですが。

入って中庭に抜け、左手に大きな階段があります。
その下にはガイドを申し出るおじさんたちが待ち構えてました。
私はいかにもお金を持ってないように見えたのか、
声もかけられなかったし、かけられても払う気にはなれなかったです(笑。

ので、さっさと上がってみました。
いくらかくらい、参考に訊いてみればよかったですね。
ご存知のかた、教えてください。

階段の踊場に、まずこのメキシコの歴史を描いた壁画があります。
正面は五つのアーチが隣接した続き絵で、
左右にまたそれぞれひとつずつ、大きいのが。
描かれたのは1929年から1945年にかけてだそうです。

まずは、正面の中央の絵を見てください。



ど真ん中に、メキシコの象徴である、
「サボテンにとまってヘビを食うワシ」がいます。
アステカ族が北から南下してきたとき、どこに都を作ろうかと悩んだら、
神のお告げで、「サボテンにとまってヘビを食べているワシのいるところにせよ」と言われたとか。
それで、メキシコの国旗にも硬貨やお札にも、すべてこのワシの絵がついてます。
ここでは、ヘビがあんまりヘビに見えませんが、気にしないでください。

そしてそのワシを取り囲んで、歴史上のさまざまな人物が
有名無名取り混ぜて描かれてます。

と言っても、ガイドさんを頼まず、私の歴史に関する知識も断片的で乏しいので、
すごく適当です。
間違ってても怒らないでください。
正解を知っている人は教えてください。

まずはてっぺん近くに知った顔が見えます。



てっぺんの、帽子と口ひげのおじさんは、エミリアーノ・サパタですね。
チアパス地方でインディオ解放運動を起こして革命の一端を担った人です。
スローガンの「土地と自由を」という赤旗を持ってます。
一緒にいるおじさんたちも、たぶん革命の同志たちかなんかでしょう。

この下のほうにいる、真ん中ハゲの白髪のおじいさんがイダルゴです。
革命の父、だったっけな? 違います、独立の父です。
ドローレスという中部の小さな町で、革命、じゃなくて独立戦争の発端となった叫びを上げた人。
イダルゴという名前の通りは、サパタや後述するモレーロス、ベニト・フアレスらと並んで、
どんな小さな町にもあるんじゃないかと思います。

イダルゴの左隣にいる白いターバンの西郷どんみたいなのが、モレーロスです。
モレリア生まれで、独立において重要な役割を果たした、はずなんですが、
詳しくは訊かないでください、もしくは教えてください……。

私が以前住んでいたカンクーンの近くの村は、プエルト・モレーロスと言いました。
村の中心部は例に漏れず小さい広場になってるんですが、
そこにモレーロスの頭部像があるんですね。
ある日、研究所のみんなとそこを通りがかったとき、研究員のひとりが
「ありゃあ、だれだ?」というわけですよ。
誰だ?って、メキシコで頭にハンカチ巻いたおじさんはモレーロスに決まってます。
「でもなんで、こんな村の真ん中にモレーロスだよ?」とその研究員はなおも不思議がるんですね~。
だって、プエルト・モレーロスだもんさ~

とまあ、中心部にあることは珍しいかもしれませんが、
この人もたいてい、小さな町でもどこかに広場があって、偶像が建てられてます。
特徴的な人なので、すぐにわかります。

その周辺にいる軍人さんたちも、たぶんいろいろ独立戦争や革命期に活躍した人たちだろうと思います。
まあ、またいつか(この言葉が曲者)調べてみます。



下の右隅辺りで、インディオたちとトウモロコシの質について議論しているっぽい
この神父さまは、たぶんインディオの惨状を訴える
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』を書いたバルトロメー・デ・ラス・カサス神父じゃないかと思いますが、
すごい当てずっぽうでスイマセン。全然違うかもしれません。
知ってる人教えてk(以下略。

さらに、シンボルのワシの下にあるこんな絵は



これはたぶん(たぶんばっかりですみません)クアウテモックだな~。
「落ちるワシ」という意味の名前なので、それを描いた旗印なんでしょう。
その下一面は、スペイン人とアステカ族の戦いを描いたものかと。


はぁ~、こんな感じに細かく見てると、一日あっても足りません。
そこでちゃっちゃと行きましょう~。

この正面中央の絵の右側にはこんなのが。


ここには、メキシコの父ベニト・フアレスもいますね。
暇な人は探してみてください。

真ん中辺りには、でっぷり太ってインディオを搾取してるっぽい教会関係者とか、
その下では一応マジメにインディオたちに洗礼を捧げている宣教師(たぶんバスコ・デ・キロガ?)とか、
さらに右のほうではインディオを鞭打って働かせている兵隊とかいます。

正面左側では、


下のほうで異教徒の処刑をしてたり、
偉いさんたちがわらわらと集まって何やら政治をしていたり、
しますかね、もしかして?
有名な独裁者ポルフィリオ・ディアスとかもいますね。

そして、階段の両脇の壁、左には


これは労働者たちの戦いを描いたものでしょうか。
ストライキの文字も見えます。

右には



ケツァルコアトルの伝説が描かれています。
羽の生えた白いヘビに乗って、白い肌の神が戻ってくる、と言われたケツァルコアトル、
上のほうに飛んでます。

そしてその下では、たぶんコルテスでしょう、
ケツァルコアトルだとアステカ人たちに信じられてもてなしを受けてるところ。

ちょっと、どの写真も手ぶれだったりして不鮮明でごめんなさい。
人もけっこう多かったので、その合間を縫って急いで撮った部分もあって。
実際にじっくり見てみたい人はぜひ現物を、ってことで。

明日からは、ようやく廊下のほうの絵をお見せします。
アステカ族の暮らしの様子など、圧巻です。

国立宮殿参り と 物騒な話

2006-04-16 11:52:22 | 観光
一月にシティに行ったとき、オーソドックスな観光もやってみました。
11年メキシコにいて、シティに住んでたこともあって、
入ったことなかったんですね、国立宮殿。
実はその隣にあるテンプロ・マヨールには未だに行ってません。
次のときの楽しみに取ってあります!?

国立宮殿、Palacio Nacional は、大統領がいるところです。
ええと、外観の写真撮るの、忘れました。
テレビでしょっちゅう出てくるし、てな問題じゃないですね。ごめんなさい。

要するに、カテドラルの斜向かいに建ってる細長いだけの建物です。
元は、植民地時代の副王の居城だったとか。
副王、というのはスペインの王に対しての称号で、当時のメキシコの実質支配者です。
しつこくてスミマセンが、支倉常長もメキシコに来て副王に謁見してます。
たぶん、この国立宮殿に来たんでしょうね~。

副王が陣取る前は、アステカ族の王の宮殿が建っていたらしく、
ここはずっと昔から支配者の君臨する場所だったわけです。


現在ではまず、入り口には警備兵が立ってます。
そういうの見ただけで、入る気が減退する繊細な亀なんですが、
いやせっかく入ろうと思ったんだから、と自分を奮い立たせて、
警備の兄ちゃんにできるだけにっこりと微笑みかけ、「入ってもいいですか?」と訊ねました。
もちろん、スペイン語ですよ?
それなのに、なんでヘタクソな英語で「パスポート見せてください」、なんですか?
第一、パスポートなんかいちいち持ち歩いてないし。
「メキシコに住んでるんで持ち歩いてません。身分証明書でもいい?」とお伺いして、
ダンナの会社のIDカードを見せたらば、またヘタクソな英語で「どこから来た?」
もううんざりして、露骨に「はぁ~?」って訊き返したら、
向こうもうんざりしたのか、「いいです、入ってください」
最初からそう言えばいいんだよ、そう言えば!(偉そう

さて、ここが観光地として有名なのは、国民的壁画画家、ディエゴ・リベラによる
メキシコの壮大な歴史を描いた壁画があるからなんですね。
それを明日から順番に(たくさんあるので三日くらいかかるかも)お見せしたいと思います。

今日は、それとは別に見学できた国立宮殿内の、

会議室。



これもテレビでよく見る部屋ですね~。
覗いて、おお~! そっくり! と驚いたので写真撮ってしまいました。
この中央に大統領が立って演説してるニュースとかよくありますよね。

四角い中庭を取り囲む回廊があるところは、修道院などと作りが似てるんですが、
見て回れるのは半分だけです。
途中まで行くと、鉄兜をかぶった兵隊が立ってて、手を振って観光客を追い払います。
気分減退するから、やめれっての。



話が飛びますが、日本は平和ですよね。
機関銃を持った兵隊が街中うろついてたりしません。
ドイツにも正式な軍隊がありますが、街中を機関銃持って歩く兵隊は少ないです。
メキシコに来て初めのころは、けっこう違和感ありました。
ちなみに、メキシコの一般人の銃所持率は低いと思います。アメリカよりは断然?

一度カンクーンの町で銀行の自動引き出し機からお金を引き出そうとしていたら、
ドアが開いて人が入ってきました。
日本はどうなってるか知りませんが、メキシコでは中に入るのは一度にひとり、
あとの人は外に並んで待つのが普通です。
え、誰ッ!? と振り返ったら……
機関銃抱えた兵隊が二人、押しいってくる!!んですよ~。
うぎゃ~~! と内心で叫びましたが、表面上はカチンコチンに硬直してました。
そしたら、兄ちゃんたち二人、おしゃべりに夢中で中に私がいたことに気付かなかったらしく、
私を見て、おしゃべりしながらそのまま出て行きました……。

心臓止まったら、ど~してくれんだよ~~!
と憤慨した出来事。

でも、軍服なり警官服なりの制服を着た人が銃を持っているのには、だいぶ慣れました。
それだって安心できるわけじゃないですが。

しかし、心底ぞっとしたのは、普通の背広着たおじさんが拳銃持ってるのを目撃したときですね~。
場所はシティの革命記念塔の近く、時刻は夕暮れで街灯がちらほら灯りはじめるころ。
ダンナがいつも利用するホテルがその近くにあり、私もそこへ行くつもりで、
ちょっと遅くなったなと早足に歩いてました。
あの界隈、ひどく危険ではありませんが、またすごく治安がいいところでもないです。
薄汚ない道をせっせと歩いてましたら、角から現われた背広のおじさんが、
拳銃をズボンの後ろに突っ込んでジャケットの裾をそこへ被せながら、私の前を……。

うわあああ、これから銀行強盗ですか!?

と叫びたくなるのを必死で押さえて、さりげな~~くヒタヒタヒタと素知らぬ顔で通りすぎましたが、
いやはや、おしっこちびるかと思いました(失礼)。

あとでダンナに話したら、
「ああ、あの角の建物、麻薬警察署だから、その関係の人だろ」と言われて、ちょっと安堵。
いや、売人のほうではなくて。たぶん。

それで思い出しましたが、
「普通のおじさん」が拳銃を持ってるのを目撃したこと、もう一回あります。
でもそんなに怖くなかったのは、状況が違ったからでしょう。

シティではなく、この町で、昼間街中を車で走っていて(ダンナが運転)、
前の車が二台、軽く接触しました。
すぐに両者とも車を道の端に寄せて止まり、
そして前の車から降りてきたおじさんが、拳銃をズボンの前に差し込んだんですね。
「てめ~、グダグダ言いやがったらぶっ放すぞ!」という明確な意思表示と言えましょう。

以前読んだメキシコ関連の本に、
「拳銃を持つときは相手に見えるところに! 隠し持っていて急に出すと、
必ず銃撃戦になって危ないから」
という話があったのを思い出し、ああ、メキシコ人はさすが、実践してるな、と感心。

で、このときは拳銃を持ち出す理由が明確、
昼間で、私は一人でも歩きでもなく、
ダンナに「うわ~~、早く通り過ぎて~」と言うだけですんだ、
などの状況の違いでしょうか、上に書いたときのような恐怖はありませんでした。

でも考えてみたら、一番の理由は拳銃の持ち場所の違いでしょうか。
接触事故のおじさんは明らかに「見える」ところに差し込んでました。
まあ……接触事故を示談にしようと持ちかけるメキシコ人を無視して
強引に保険会社を呼んだために射殺された日本人の知り合いもおりますが……。

麻薬警察署の近くで見た人は、反対に、拳銃を隠し持とうとしてました。
私は後ろからそれを見てしまったので、
おじさんが振り向いて、
「見たな? かわいそうだが生かしちゃおけねえとか言ってズドン、
となりそうな恐怖、だったのかも。

ますます話がエスカレートしますが、
うちのダンナ、麻薬警察が売人を撃ち殺す現場に居合わせたことあります。
隣町に出張中、レストランでお昼ご飯を食べて出て来たら、目の前でバンバンバン。
白昼堂々、二人重傷、二人死亡。
まあ四人とも札付きの麻薬売買人だったらしいですが……。
ダンナは10mくらいのところ。ぼうっと突っ立って見ていたそうです。
走って逃げろ、ッつうの!!!
でもヘタに逃げたりしたら、仲間かと疑われて後ろから撃たれたりして……(涙。



物騒な話はこれくらいにして。
国立宮殿でしたね~~。

ええと、そういう物騒な国で、比較的物騒でない兵隊さんにダメと言われて
戻るしかない廊下です。
向かいの廊下の上には、国旗が翻ってます。



いやいや、平和な光景です。