昨日の続きですが、某所で一度書いた話と重なるので、もう読んだ人はごめんなさい。
ただ、今回は写真付きです~。
昨日紹介した、あんまり知られていない遺跡、エル・ティグレですが。
ここには全部で16のピラミッドがあるんだそうで、かなり大きく広い都市だったようです。
でも実際に発掘されているのは4つだったかな?
とてもじゃないが全部に手が回らないそうです。誰か資金出してあげてください~。
で、話は突然飛びますが。
コルテスの一行がメキシコシティを征服したとき、
アステカ最後の皇帝はクアウテモックでした。
そのクアウテモックの骨がこの遺跡のどこかに埋まってる、というんですね~。
ええ~、そんなん、どうしていっしょけんめ~探さないの? と訊いてみましたが、
広すぎて探し尽くすの無理、とのこと。誰か資金(以下略。
でもですね、そもそも今のメキシコシティの位置にある
アステカ王国の首都テノチティトランで捕まったはずのクアウテモックが、
なんでこんなカンペチェくんだりで?
それでちょっと調べてみたら、こういうことらしい。
クアウテモックがテノチティトラン陥落で捕らえられたのは1521年。
そのときクアウテモックは、コルテスに殺せと迫ったらしいが、
コルテスは彼を生かしてグアテマラ遠征にまで連れて行った。
その遠征の途中で滞在した村で、クアウテモックが反乱を企てていると情報が入り、
コルテスはクアウテモックを絞首刑に(1525年)。
ふーん、捕まってからずいぶん長いこと奴隷扱いだったわけか~。
いや、コルテスのほうはクアウテモックを丁重に扱ったつもりかもしれないが。
でもさ、有名な話でクアウテモックの足裏を焼いて拷問したとか。
アステカの膨大な黄金の宝のあり場所を吐け~~!って。
メキシコシティに、その場面を描いたレリーフがあります。
クアウテモックの銅像は、ほとんどどの町にもある。
こんなん。
大きな羽根飾りのpenachoペナチョをかぶり、槍を水平に構えてるのはどこでもクアウテモックです。
で、これはシティに行ったときはるばる(嘘。ホテルのすぐ近くだった)
レフォルマという大きな目抜き通りの交差点まで行って撮ってきた写真です。
この偶像の足下に、レリーフがあります。
手前がクアウテモック、奥でもだえてるのは部下です。
が、黄金のありかは吐かなかった、というかそもそもそんなもんなかったという説も。
で、この辺(エル・ティグレ)でクアウテモックは殺されて、
適当に埋められちゃったらしい。
もっとも、それはもっと北のほう、私が住んでいる辺りだという話もあるとか。
へえ~、その辺掘ってみようかな、とちょっと思いました。
でもネット検索してみると、日本人学者が「クアウの遺骨発見!」とか言って本まで出しているようで、
でもそれが実際に学界でどのくらい認められているのか、そこらへんはわかりません。
いずれにしてもクアウテモックはアステカの最後の英雄ということで、
(その前のモクテスマはスペイン人にやられっぱなしのちょっと情けない王さまだった)
きっといつまでもいろいろな伝説が語り継がれていく人物なんでしょう~。
ただ、今回は写真付きです~。
昨日紹介した、あんまり知られていない遺跡、エル・ティグレですが。
ここには全部で16のピラミッドがあるんだそうで、かなり大きく広い都市だったようです。
でも実際に発掘されているのは4つだったかな?
とてもじゃないが全部に手が回らないそうです。誰か資金出してあげてください~。
で、話は突然飛びますが。
コルテスの一行がメキシコシティを征服したとき、
アステカ最後の皇帝はクアウテモックでした。
そのクアウテモックの骨がこの遺跡のどこかに埋まってる、というんですね~。
ええ~、そんなん、どうしていっしょけんめ~探さないの? と訊いてみましたが、
広すぎて探し尽くすの無理、とのこと。誰か資金(以下略。
でもですね、そもそも今のメキシコシティの位置にある
アステカ王国の首都テノチティトランで捕まったはずのクアウテモックが、
なんでこんなカンペチェくんだりで?
それでちょっと調べてみたら、こういうことらしい。
クアウテモックがテノチティトラン陥落で捕らえられたのは1521年。
そのときクアウテモックは、コルテスに殺せと迫ったらしいが、
コルテスは彼を生かしてグアテマラ遠征にまで連れて行った。
その遠征の途中で滞在した村で、クアウテモックが反乱を企てていると情報が入り、
コルテスはクアウテモックを絞首刑に(1525年)。
ふーん、捕まってからずいぶん長いこと奴隷扱いだったわけか~。
いや、コルテスのほうはクアウテモックを丁重に扱ったつもりかもしれないが。
でもさ、有名な話でクアウテモックの足裏を焼いて拷問したとか。
アステカの膨大な黄金の宝のあり場所を吐け~~!って。
メキシコシティに、その場面を描いたレリーフがあります。
クアウテモックの銅像は、ほとんどどの町にもある。
こんなん。
大きな羽根飾りのpenachoペナチョをかぶり、槍を水平に構えてるのはどこでもクアウテモックです。
で、これはシティに行ったときはるばる(嘘。ホテルのすぐ近くだった)
レフォルマという大きな目抜き通りの交差点まで行って撮ってきた写真です。
この偶像の足下に、レリーフがあります。
手前がクアウテモック、奥でもだえてるのは部下です。
が、黄金のありかは吐かなかった、というかそもそもそんなもんなかったという説も。
で、この辺(エル・ティグレ)でクアウテモックは殺されて、
適当に埋められちゃったらしい。
もっとも、それはもっと北のほう、私が住んでいる辺りだという話もあるとか。
へえ~、その辺掘ってみようかな、とちょっと思いました。
でもネット検索してみると、日本人学者が「クアウの遺骨発見!」とか言って本まで出しているようで、
でもそれが実際に学界でどのくらい認められているのか、そこらへんはわかりません。
いずれにしてもクアウテモックはアステカの最後の英雄ということで、
(その前のモクテスマはスペイン人にやられっぱなしのちょっと情けない王さまだった)
きっといつまでもいろいろな伝説が語り継がれていく人物なんでしょう~。
あのときからクアウテモックにあこがれています。
今回写真入のお話が出てきてまたうっとりしました!
シティにあるこの人の銅像が引越しだと言うことでしたが、その後引っ越し先はわかりました?
この人の伝説をもっと知りたいです~
そうそう、引っ越したって話だったんだけどね。
行ってみたらちゃんとレフォルマにありました~。
あの記事は何だったのかね。なにかのイベントか工事のために一時的な移動だったのかも。
アステカ征服のころの記録とか小説ならいろいろあるから、またあとで調べておくね、日本語も出ているのかどうか。
クアウテモックのペナチョ(真偽不明)と称される見事なケツアルの羽で出来た大きな物がウイーンの民俗学博物館に有ります
最近メキシコに返還されると噂を聞きましたが何方か情報をお持ちですか
故国に戻って人類学博物館で見られる様になる事を祈ってます
ケツァルの羽は集めるだけでも大変な、貴重なものだったと聞きますから、
クアウテモックもしくはアステカの王の誰かのものだったのは
ほぼ間違いないでしょうね。
メキシコに返還されるという話は寡聞にして聞いてませんが、
どこかで情報入りましたらお知らせしますね!
ホント、それはメキシコの人類学博物館にこそふさわしいものだと思います。