さて、それではお話を最後まで続けましょう~。
まだ下の記事(「
メキシコ人の安請け合いには理由がある?」)を
読んでくださってないかたは、そちらを先にご覧くださいね~。
ウィンスロップ氏がインディオに出した難題、
千個の籠を売るとしたら、単価はいくらにすべきか?
皆さんはいくらくらいにすべきだと思いますか?
翌日ウィンスロット氏がインディオを訪ねていくと、
またいつもどおり小屋の前に座って籠を編んでいた。
「千個の計算は済んだかね?」
こんにちはを言う間も惜しんでウィンスロット氏は訊ねた。
「はい、親方。どうか親方にもお恵みの日でありますように。
お値段ですが、計算してみました。
信じてください、とっても大変だったんです。
親方を騙すことになってはいけないし、
かと言って親方の公正な儲けを損させてしまってもいけないし……」
「御託はいいから、アミーゴ、いくらだね? 値段はいくらになるんだね?」
ウィンスロップ氏は神経質に訊ねた。
インディオは答えた。
「よく考えて間違いのないように計算した末のお値段は、次のとおりです。
千個の籠を作るとしたら、一個当たり4ペソになります。
五千個作るとしたら、一個当たり9ペソで、
一万個作るとしたら、一個は最低でも15ペソということで。
もう一度申し上げますが、この計算は間違っておりません」
ウィンスロップ氏は、スペイン語がよくわからなくて、理解できなかったのだと思った。
「一万個買うと、一個15ペソって、そう言ったかね?」
「そのとおりでございます、親方。間違いございません」とインディオは穏やかに答えた。
「しかし、100個買えばひとつ65センターボだと言ったじゃないか」
「はい、親方。もし私が百個、籠を持っていたとしたら、ひとつ65センターボでお譲りしますよ」
「そうだろう、そうだろう」ウィンスロップ氏は頭がおかしくなりそうだった。
「それじゃあどうして一万個を同じ値段で売ってくれないのかね?
値引きしろとはもう言うまい、しかしなんでまた、そんなにおっそろしく値上がりしなきゃいけないのだ?」
「親方、単純なことですよ、どうしてお分かりになりませんかね?
千個の籠を作るには、一ダース作るのの百倍の時間がかかります。
一万個作ろうと思ったら、一世紀かかっても終わりゃしません。
良識があって
正直な人間なら
誰にでもわかることです。
(だんだん嫌味が効いてまいりました!)
千個の籠を作るには、百個の籠より多くの藁が必要となるだけじゃありません、
色染めのための植物、根っこ、種、虫もみんなそれだけ必要になります。
たとえば紫に染めるための虫を見つけるには、ジャングルを三日か四日歩き回らないといけないんです。
藁を加工するのにどれだけ時間がかかるかも、ご存じないかもしれませんね」
インディオはさらに続ける。
「そして、それよりももっと重大な問題があります。
私が籠を作るのにかかりっきりになったら、誰がトウモロコシや山羊の世話をしますかね?
日曜日のご馳走のためにウサギを捕まえに行きますかね?
トウモロコシを収穫しなければ、トルティーヤすら作れません。
そうなったら、何を食べればいいんでしょうか?」
「籠にいっぱいいっぱい金を払うと言ってるんだ、
その金でトルティーヤも豆も、好きなだけ、何でも好きなだけ買えばいいじゃないか」
とウィンスロップ氏は反論。
「親方はそう思いなさるでしょう。けど、見てください。
私が蒔いたトウモロコシからは収穫できることは間違いないです。
しかし、買おうと思ったら保証はない。
それに、考えても見てください、もしもこの辺りのインディオが全員、籠を作ることになったら?
誰がトウモロコシや豆を作るんですか?
わしら、みんな飢え死にしてしまいます」
「この辺に親戚はいないのかね?」
2万ドルの夢が消えそうになって絶望的なウィンスロップ氏は訊ねた。
「この村のほとんどの住人は、私の親戚です、親方」とインディオ。
「それじゃ、その親戚がトウモロコシや何か、手伝いに来てくれないのかね?」
「来てくれるでしょうが、親方、そうなったら誰が彼らのトウモロコシの世話をしますかね?
同じことですよ、親方。誰もトウモロコシを作らなくなって、
そうしたらどれだけお金があっても買えないほどにトウモロコシの値段は上がって、
みんな飢え死にします。
そう考えると、籠をひとつ65センターボじゃ売れないってわかるでしょう?
15ペソより安くはできないんですよ」
それでもウィンスロップ氏は諦めようとしないで、
手帳を取り出して数字に数字を連ねて、どれだけの儲けになるかインディオにわからせようとした。
「契約してくれれば、7800の
輝くばかりの銀のペソを支払おう。
仕事が終わったらおまけに1200ペソをプレゼントする。
合計で9000ペソの儲けだぞ」
インディオはウィンスロップ氏の掲示する金額にではなく、
彼の手帳に稲妻のようにすばやく書きつけられる計算に感動していた。
「で、どうだね、アミーゴ? いい話だろう?
受けてくれればこの場で500ペソ渡そう」
「前にも言ったように、値段は一個当たり15ペソです」
ウィンスロップ氏、錯乱状態。
インディオはそれに戸惑うこともなくのんびりと答えた。
「いいですか、親方。値段は変わりません。
それに、まだご存じないことがあるんです。
私は、籠を、私のやり方で作ります。
私の魂のかけらとメロディを込めて作るんです。
もしおっしゃるように何千個も作るとなると、ひとつひとつに私の魂のかけらを入れることはできなくなります。
そうなると、籠はどれも同じになって、そのことで私の心臓は食われてだんだんなくなってしまいます。
ひとつひとつには、違うものをこめなきゃいけないんです。
夜明けに聞く唯一無二の小鳥の歌だとか、
私の籠に止まりに来る蝶の羽の美しさだとか、
そういったものが私にインスピレーションを与えてくれます。
そして蝶や鳥たちも私の籠の美しさに惹かれて寄ってくるんです。
さて、親方、大変楽しいお話をありがとうございました。
あなたのような教養ある偉い方とお話できるのは身に余る光栄でした。
けどごめんなさい、あさってはご存知のように市が立つ日で、
それまでにこの籠を仕上げて売りにいけるようにしないといけないんです。
いらしてくださって、ありがとうございました。さようなら」
ウィンスロップ氏がどんな顔でニューヨークへ帰っていったか、
その後どんな反応をしたかについてはトラーベンは短く書いていますが、
私は省略しておきます。
ところで、このお話を読み返していて、以前ネットでも似たような笑い話を見かけたな、
それもメキシコ舞台だった、と思って探してみたら、ありました。
こちら。
まあ要するに、言いたいことはおんなじですかね。
それから今日のことなんですが、必要があってステンドグラスの制作について調べてましたら、
あるステンドグラスの職人さんが、
大量生産に関してのコラムを。
偶然とは言え、まるで同じことを書いておられるのにびっくりしました。
私も、心しなくては。
物を作ることばかりじゃなく、何につけてもこういう心構えは大切になることがあるのだろうと思います。