花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

小林古径展

2005-07-17 03:44:30 | 展覧会
先日、用事で郵便局に行った折、花の絵柄に目が惹かれ記念切手を購入した。白と紅の芥子の花に緑の茎葉の立ち並ぶ様が印象的で、出光の展覧会での芥子壷と屏風を想い出した。ちょうど1シートしかなかったこともあり、これは神さまが買えと言っているのに違いない..と勝手に思い込んだ(笑)。購入してから気がついたのだが、切手の絵の作者は小林古径だった。

東京国立近代美術館で「小林古径展」を観た。もちろん、あの『芥子』もあった。まろやかな清明さの際立つ古径作品のなかで、この『芥子』は特に写生力が漲り、芥子の持つ豊穣な生命力が他を圧して私を魅了した。古径は茎も葉も地から立ち上がり繁茂しようとしているこの緑色世界を緻密な線描と色彩で描き出している。その緑色の補色である芥子の花の紅、そして清冽な白。傍らに咲く淡色の蛍草の可憐な姿にも植物の生命への賛歌を感じた。

なるほど古径は新潟から上京して入門した半古塾でみっちり写生や模写の修行を行っていたらしい。その作品群を見ても、古径の傑出した才能の一端を垣間見ることができる。平治物語絵詞の模写の線など緊張感を孕んで、線描だけでも十分に見応えのあるものになっている。古径は同じ日本画の早水御舟の細密描写にも傾倒したと言う。更に興味深かったのは古径がレオナルド・ダ・ヴィンチに惹かれていたことだ。そう言われれば、『芥子』の葉の線描などレオナルドのうねりを感じる精細な植物素描を髣髴するものがある。

ところで、ルーヴル美術館「ダ・ヴィンチ展」を観た時に感じたのだが、レオナルドは猫が嫌いなのではないだろうか?冷静な眼差しによる生態観察といった感じで、猫の愛らしさなど描かれていないのだ。しかし、古径の描く鳥や小動物に対する眼差しには暖かさがあふれ、自然と笑みが湧くのだ。展示されていた『子犬』や『狗犬』の愛らしさ!なんだかラ・トゥールの『子犬を連れたヴィエル弾き』の子犬とも似ているような気がした。『紅蜀葵と猫』も鮮やかな花弁の赤と白黒の猫の対比だけでなくニ毛猫の微笑ましいポーズが実に良い。今回惹かれた『夜鴨』も鴨は夜空を飛びながら眼下の水面に映る月を見ている。上空の月ではなくこの鴨が主人公の構図、水面に映る楕円の月…古径には参ったと思った(笑)

『芥子』を描いた翌年の1923年、古径は前田青屯とともに欧州留学へと出かける。欧州絵画やエジプト美術などに触れながら、新しい境地を切り開いて行ったようだ。古径の尊敬する先輩格の速水御舟も文章でマチスについて触れていたが、後年になって行くほど古径の作品にマチス的なものを感じた。写生からどんどん無駄なものを削ぎ落とし、フォルムも単純化され自然な軽やかさに変化して行く。代表作『髪』も女性の上半身よりも梳る髪の流れと櫛に引かれる髪の緊張感に集約されているような気がした。

ところで、私は小林古径の作品をまとめて観たのは今回が初めてである。独自の清明な線と色にたどり着くまでの画家の歴史は興味深いものがあった。そのなかで、何故か心に残っている作品がある。おかっぱ頭に肩上げした赤い着物の少女の『琴』だ。少女の琴に向かう気構えが伝わって来そうで、初心ということの大切さを改めて教えてもらったような気がする。実に気持ちの良い絵を見せてもらったと思った。