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花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

《グリッフォーニ祭壇画》。

2023-08-04 23:29:06 | 西洋絵画

ロベルト・ロンギ「フェッラーラ工房」でも言及されている、フランチェスコ・デル・コッサとエルコレ・デ・ロベルティによる《グリッフォーニ祭壇画(Il Polittico Griffoni)》(1472-73年頃)は、ボローニャのサン・ペトロニオ大聖堂内のグリッフォーニ礼拝堂の祭壇画だったが、後に分割され、現在は世界各地の美術館に分かれて所蔵されている。

※ご参考:https://it.wikipedia.org/wiki/Polittico_Griffoni

この分割された《グリッフォーニ祭壇画》をボローニャの地に結集・再構成を試みる展覧会が、2020年-2021年にかけて、ボローニャのパラッツォ・ファーバで開催された。(私は当然観ていません

「La Riscoperta di un Capolavoro: a Bologna la mostra dedicata al Polittico Griffoni 」( Palazzo Fava)

「La Riscoperta di un Capolavoro(傑作の再発見)」は、イタリア・ルネサンスの最も重要で独創的な作品の1つであるフランチェスコ・デル・コッサとエルコレ・デ・ロベルティによる《グリッフォニ祭壇画》をボローニャの街に持ち帰るための、特別な展示会であり、完全に例外的なイベントです。」

※展覧会動画:https://www.youtube.com/watch?v=6LRBUrJdL4s&t=2s

※展覧会紹介記事:http://www.arte.it/calendario-arte/bologna/mostra-la-riscoperta-di-un-capolavoro-il-polittico-griffoni-64129

フェッラーラのスキファノイア宮で一緒に仕事をしたコッサとロベルティが、再びボローニャでタッグを組んだ祭壇画であり、私的に断片のいくつかを各地の美術館で観ていたものの、この展覧会を観逃したのはとても残念である


サザーランド《チャーチルの肖像》。

2022-12-25 23:24:31 | 西洋絵画

Netflixで「クラウン」の第2シーズンを見ていたら、グレアム・サザーランド(Graham Vivian Sutherland,1903 -1980)が登場した。彼がチャーチルの肖像画を描き、秘書が(妻も承認する)その絵を燃やすという、実にドラマチックなシーンが印象的だった。

https://en.wikipedia.org/wiki/Portrait_of_Winston_Churchill_(Sutherland)

この失われた《チャーチルの肖像》を見ていると、ほぼ同じ頃(1953年頃)ベーコン(Francis Bacon,1909 -1992)も《インケンティウス10世》シリーズを手掛けており、何やら権力者への眼差しが重なるような気もしてくる

更に興味深いのは、ベーコンとルシアン・フロイト(Lucian Freud, 1922 - 2011)も親しかったことである。

https://www.afpbb.com/articles/fp/2530388

2007年キンベル美術館で「The Mirror and The Mask(鏡と仮面:ピカソの時代の肖像画)」展を観た時、現代美術苦手の私にもベーコンからフロイトへの流れが違和感なく了解できた理由がわかったような気がした。

https://kimbellart.org/exhibition/mirror-and-mask

ということで、思いがけず、この時代の英国の現代美術の方向性を改めて思いめぐらすことのできた《チャーチルの肖像》であった。(って、現代美術苦手が何を言う?なのだけどスミマセン)


フランチェスコ・デル・コッサ(2)

2022-12-03 22:25:12 | 西洋絵画

ドレスデンのアルテマイスターにあるフランチェスコ・デル・コッサ《受胎告知》を勉強したのだが、なかなかに興味深い作品である。でも、ドレスデンで観た記憶が残っていないのが残念ではある

フランチェスコ・デル・コッサ《受胎告知》(1470-72年)ドレスデン・アルテマイスター

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Francesco_del_Cossa_-_The_Annunciation_-_Google_Art_Project.jpg

私的には全体的にマンテーニャやヴェネツィア派の影響を感じたのだが、M先生は大天使ガブリエルの向きのねじれ具合(斜に後ろ向き)がフェッラーラ派らしいとおっしゃっていた。確かにであり、コッサの後ろ向き加減のガブリエルはかなり珍しいと言える。

で、私的にふと想起したのがオヴェターリ礼拝堂で観たマンテーニャ《聖ヤコブの殉教》場面であり、プラドの《聖母の死》をも想起してしまったのだ。

(窓からマントヴァ風景が見える)

アンドレア・マンテーニャ《聖母の死》(1461年頃)プラド美術館

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Andrea_Mantegna_047.jpg

(ピンボケ写真すみません(^^;)

アンドレア・マンテーニャ《聖ヤコブの殉教》(1457年)エレミターニ教会

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Padova_GS,_Cappella_Ovetari.JPG

もしかして(私的妄想だが)、コッサがオヴェターリ礼拝堂で見て、このモニュメンタルな斜め後ろ向きのポーズに触発された可能性もあるのではないかなぁとも思ってしてしまった

で、また、大天使ガブリエルの造形でとても面白いのが、そのネジで止められているようなニンブス(光輪・aureola)である。先生も、サンバイザーのように頭部に被せられているように見える、とおっしゃっていた。

先生によると...

・天使は実は本物の天使ではなく、受胎告知の劇を上演している役者としての天使ではないだろうか?

・聖なる場面の演劇を描いている、とは言っても、演劇を通して芸術(絵画)というものの本質を表しているのではないか。

とのことだった。

それと、興味深いのがプレデッラとの境を這うカタツムリである。ダニエル・アラスによれば、中世イタリアではカタツムリは露で受精すると考えられ、マリアの処女受胎の象徴とされたらしい。しかし、やはりペトルス・クリストゥスの蠅を想起してしまうし、Met展でも来日していたクリヴェッリ《聖母子》の蠅もだが、画家の写実力誇示的側面も大いにあり得るんじゃないかと思う。

ということで、「私的蛇足」として...1470年代ニンブスの描き方について

ピエロ・デッラ・フランチェスカ《ペルージャ祭壇画》(1470年頃)ウンブリア国立絵画館

1470年代当時、ニンブスって円盤状で描かれている例が多いのよね。このピエロ作品では鏡面仕上げの(!)ニンブスに聖人の頭頂は映り込んでいるのが面白い。ちなみに、先に挙げたマンテーニャ《聖母の死》の聖人ニンブスも一部映り込みが見えるし。でも、コッサのネジで装着されたニンブスってやはり特異なケースだと思うし、その不思議さに故に強く惹かれるのだ。


フランチェスコ・デル・コッサ(1)

2022-11-20 18:38:44 | 西洋絵画

フランチェスコ・デル・コッサ(Francesco del Cossa, 1430頃 - 1477年頃)は、イタリア初期ルネサンス、フェッラーラ派の画家であり、スキファノイア宮(Palazzo Schifanoia)のフレスコ画制作にコスメ・トゥーラと共に参加している。

フランチェスコ・デル・コッサ「スキファノイア宮壁画」《4月の寓意:ヴィーナスの勝利》(1470年頃)

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Francesco_del_Cossa_003.jpg

Wikipedia によれば…

「『4月の寓意』には、3人の美の女神が描かれていて、女神たちが裸で寄り添って踊るその描写は、ポスト=古典描写の最も初期のものの一つである。ちなみに、サンドロ・ボッティチェッリの『プリマヴェーラ』の日付は1482年から始まっているし、ラファエロ・サンティの『3人の美の女神』の制作も1501年からで、コッサの没年が正しければ、コッサが死んだ後のことになる。」

《4月の寓意:ヴィーナス(金星)の勝利》の一部拡大

2013年にフェッラーラに行った折、スキファノイア宮でこのフレスコ画を観てはいたが、美術ド素人の勉強不足で、装飾プログラムや細部まで良く観察していなかった(汗)。確かに《三美神》が描かれているのだよね

ニッコロ・スピネッリのメダル裏面《三美神(le Tre Grazie)》も1486年頃だから、デル・コッサのものは本当に最も初期のものの一つだと思う。するとコッサのイメージ 着想源は、やはりピッコローミニ枢機卿が所有していた群像彫刻あたりに求められるのだろうか? また、ラファエッロはフェッラーラのフレスコ画を観たのだろうか? という素朴な疑問も生じてくる。

それとは別に、しみじみ画面を見ていると、奇岩の造形や樹木の枝先のとんがりっぺ具合とか、なにやらヒエロニムス・ボスの描く風景に似ているように思えるのが面白い。コスメ・トゥーラもだが、フェッラーラ派の奇想と言うべきなのだろうか。次回、フェッラーラに行ける機会があったら、ぜひスキファノイア宮を再訪したいなぁと思っている。

で、実は土曜日、ドレスデン・アルテマイスターのデル・コッサ《受胎告知》についてお勉強し、ついでにコッサを調べて「三美神」に気が付いた訳だが、《受胎告知》も実に興味深い作品なのである。

ということで、次回は《受胎告知》について書きたい

こそっと情報...幸福輝氏がファン・エイク本を執筆中だそうで、何年か後には中央公論美術出版から出るようだ。


シャルル・ル・テメレール登場♪

2022-11-12 21:41:54 | 西洋絵画

日本経済新聞(仙台:全日版)で土曜連載されている「王の綽名」をいつも楽しみに読んでいる。佐藤賢一氏の著書はフランス史を主題とした小説や「ヴァロア朝」や「英仏百年戦争」などの歴史書を私的にもいくつか読んでいる。この新聞連載も欧州の中世初期から時代を下りながら、王の綽名にまつわる話が興味深い。

で、ブルゴーニュ公国の大公たちの綽名は私的に親しんでいるが、「王」では無いので多分無理だろうなぁと思っていたら、何と!本日(11/12付)、シャルル・ル・テメレールが登場

新聞を捲りながらイラストを見て「シャルルに似ているなぁ」と思ったら、 だった(笑)。それも、ルーベンス描く「シャルル・ル・テメレールの肖像」を参照したのがすぐわかる似せ方だったし

ピーテル・パウル・ルーベンス《シャル・ル・テメレールの肖像》(1618年頃)ウィーン美術史美術館

それにしても、本当に「王国を夢見て猪突猛進」だったル・テメレールであったなぁ


「LA COPIA, IL FALSO E IL FINTO」

2022-11-02 19:47:15 | 西洋絵画

NHK-BS番組「贋作の誘惑」を見ながら

https://www.nhk.jp/p/ts/6QJPZ5QL6M/

5月にボローニャのFさんから送っていただいたカラヴァッジョ作品を中心にした或る論考を想起してしまった。番組の方は「贋作」であったが、こちらは「コピー」に関する論考なのだが...。

RODOLFO PAPALA RIPRODUZIONE DELLE OPERE D'ALTE(美術作品の模造)」

カラヴァッジョ《聖マタイと天使》の最初のヴァージョンは第二次世界大戦末期のベルリン砲火で焼失し、現在では残されたモノクロ写真でそのイメージを知るしかない。ところが、フィンランドの画家 Antero Kahila が果敢にも《聖マタイと天使》の再現(模造)に挑んだ。

https://www.stiftung-stmatthaeus.de/programm/veranstaltung/vernissage/

(上記↑URLサイトの写真をクリックすると拡大できる)

ちなみに、論考のテーマ「LA COPIA, IL FALSO E IL FINTO」の訳語であるが、Fさんの見解では

・La copia=模写作品 または模倣 ・Il falso=贋作 ・Il finto=偽物

ということだった。(深謝です!!>Fさん)

さて、論考の内容だが(拙略訳なので誤訳等があったらすみません

「作品保護のため、或いは、失われた作品を交換する必要性と、視覚的および環境的な観点から効果的な選択を行う必要性により、模写画家によるコピーと、写真製版またはデジタル複製手段の使用との間のジレンマが生じている。 これは、贋作(Il falso)と偽物(Il finto)のどちらが優れているかという問題にもつながる。」

例えば、ローマのキエーザ・ヌォーヴァ(サンタ・マリア・デッラ・ヴァリチェッラ)にあったカラヴァッジョ《キリストの埋葬》であるが、作品保護のため、現在はヴァチカン絵画館に所蔵されており、キエーザ・ヌォーヴァには代替として Michael Koch による模写作品が元の礼拝堂に設置されている。

カラヴァッジョ《キリストの埋葬》(1602-04年)ヴァチカン絵画館

Michael Koch 《キリストの埋葬》(19世紀初頭)キエザ・ヌォーヴァ

「しかし、美術作品には、その「イメージ」に還元できない深みがある。」

私的にも、この代替模写作品は当時の礼拝堂の様子を偲ぶことができても、やはりヴァチカンのオリジナルの素晴らしさには及ばない寂しさを感じるのだ。

一方、パレルモのサン・フランチェスコ・ダッシジ教会のサン・ロレンツォ祈祷堂から盗まれた《パレルモの生誕》は、現在写真コピーが元の礼拝堂に設置されている(らしい)。私的には残念ながら実見できなかったが、もしかして、写真の持つ味気無さを見ずに済んだのは幸いかもしれない。

「芸術作品には、技術的、職人的、文化的、実存的、政治的な重層的深みがあり、その「イメージ」という用語の最も表面的な意味に還元することはできない。この厚み(深み)はオリジナルの抑えきれない個性を構成している。イメージとしては写真撮影、コピーさまざまな複製に適してはいるが、芸術作品としては、多かれ少なかれ、それに近しい他の作品の源泉となりうる。見えるもの、見えないもの、すべての次元(ディメンション)を含めて再起動するのだ。

コピーは、それ自体が偽造であることが明らかにされた場合、贋作ではない。贋作は、悪意、署名の消去、作成者の誤解を前提としている。コピー(模写)は、それぞれの傑作が引き起こす影響の歴史の中で、最初にして最も近い効果(結果)である。

作品が元のコレクションで利用できない場合、忠実なコピーがその存在を再解釈することは正当であり、これは芸術作品でもあるコピーを通じてのみ行うことができる。」

ということで、酷い略訳スミマセンだが、要するに、 Antero Kahila の《聖マタイと天使》の再構築(模造)は正当である、ということなのだろうと読んだ。もしかして、誤読、理解不足かもしれないので、その場合はご容赦くださいませ


カラヴァッジョ?《キリストの捕縛》(サンニーニ版)

2022-10-11 22:08:31 | 西洋絵画

危惧していたが、幸いなことにコロナ感染せずに済んだようだ。家での自粛中に、読みかけのまま中断していた石鍋真澄先生の『カラヴァッジョ』を読み進めたのだが、Netflixの韓ドラ「シスターズ」と「ロースクール」が面白すぎて、再び中断してしまった(現在:P358)。

感想は読了してから書こうと思っているが、私的に、そーだったんだ!、と気付いたことがあり、とりあえず触れておこうと思う。

それは、カラヴァッジョ《キリストの捕縛》サンニーニ版についてである(P274)。

ダブリンのアイルランド国立美術館《キリストの捕縛》は研究者も真作と認める傑作である。その発見経緯はドラマチックで、私も2002年の春にダブリンで観た後、サイトの方でベネデッティ本を簡単に拙訳紹介したことがある。詳細な内容についてはジョナサン・ハー『消えたカラヴァッジョ』(岩波書店:2007年)に詳しい。

さて、サンニーニ版《キリストの捕縛》は多くのコピー作品の中のひとつとされ、フィレンツェのサンニーニ家が所蔵していた。それが2003年に売りに出され、ローマのマリオ・ビゲッティが購入した。その後の科学調査で多くのペンティメントが見つかり、更にサイズもダブリン作品より大きく、少なくない専門家(マーンやグレゴーリも含む)がオリジナルと見立てたようだ。

では、ダブリン作品はコピーなのか?? 当時、カラヴァッジョの真作発見?!とニュースになり、ダブリンの美術館長が当惑のコメントを出したのを覚えている。質も高く来歴のはっきりしているダブリン作品は真作ですとも

石鍋先生の本によれば、2008年デュッセルドルフの展覧会では、サンニーニ版は専門家によりオリジナル(ドッピオ作品)と見なされ展示された。しかし、展覧会以降、様々なトラブルのためスイスの某所に保管されたままになっているそうだ。

石鍋先生はこの作品の実物はご覧になってないそうだが、なんと私は2006年のデュッセルドルフ「CARAVAGGIO ―Auf den Spuren eines Genies 」展で実物を見ている。なので、多分、2008年➡2006年だと思うのだが、どうなのだろう??

ご参考:https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/81aae4cc18103fa9b365a27d750b80ac

デュッセルドルフ「CARAVAGGIO」展の図録。問題の作品はカタログNo.13だと思う。

ブログにも書いたが、この展覧会ではカラヴァッジョ作品の模写作品が多く展示され、カラヴァッジョ時代の流行人気のほどが了解された。

カラヴァッジョ《キリストの捕縛》真作はダブリンで既に観ていたので、このサンニーニ版作品を見ても、えーっ、コピーでしょ?と思ってしまった。なにしろダブリン作品が本当に素晴らしかったのだから!! それに、この展覧会にはオデッサ作品も展示されていたしね。実のところ、ドイツ語は全然わからないので、美術ど素人の私はニュースになった「真作発見?!作品」とは思いもよらなかったのだ。すなわち、石鍋先生の本でようやく気が付いたというわけである

ちなみに、このサンニーニ版の図録写真はモノクロであり、他のコピー作品はカラーであるのに、なんだか、個人蔵なので出し惜しみ?と思ってしまった。現在は「スイスの某所に保管されたまま」らしいけど、カラー写真を目にする機会が無いのもなんだか不思議な(怪しい)気がする。

で、『消えたカラヴァッジョ』によると...イタリア警察がサンニーニ版を押収し、化学分析の専門家マウリッツィオ・セラチーニに調査を依頼、その報告書では、作品の絵具からアンチモンが検出されたことで...「カラヴァッジョの作にあらず。問題の絵はカラヴァッジョが世を去20年以上経った1630年以降のある時期に描かれたもの」とあるそうだ。

美術ド素人目ではあるが、質的にダブリン作品に及ばないサンニーニ版は、石鍋先生の表記通り「カラヴァッジョ?《キリストの捕縛》」が至極妥当な気がしたのだった


ダ・ファーノ《建設中のテンピオ・マラテスティアーノの光景》

2022-09-10 16:36:34 | 西洋絵画

最近、ちょっと集中して調べている事があるのだが、その最中に、たまたま見つけたのがジョヴァンニ・ベッティーニ・ダ・ファーノ(Giovanni di Bartolo Bettini da Fano)《建設中のテンピオ・マラテスティアーノの光景》(1457-1468年)である。ボードリアン図書館所蔵と知り、すぐに調べることができた(^^)v。

https://digital.bodleian.ox.ac.uk/objects/e38211bd-5854-4514-818d-ee9fba5ea15a/surfaces/a464586f-1015-4642-be5e-0899b530da01/

レオン・バッティスタ・アルベルティ設計《テンピオ・マラテスティアーノ》(1450-68年)

《テンピオ・マラテスティアーノ》北側面

ダ・ファーノの写本挿絵を見ていると、当時の工事の様子が生き生きと伝わってきて、ああ、こういう風にして造られたのだなぁ、と感慨深い。

ちなみに、このダ・ファーノの装飾写本(オリジナルは消失)は、バジニオ・ダ・パルマ(Basinio da Parma)の長編詩『ヘスペリ(Hesperis)』に基づくものであり、彼はこの中でシジスモンド・マラテスタの偉業を称えている。


中世写本の余白装飾。

2022-08-30 22:32:25 | 西洋絵画

尾崎彰宏・著『静物画のスペクタクル』(三元社刊)を読みながら、北方(オランダ)における静物画の成立過程について興味深く勉強してしまった。

http://www.sangensha.co.jp/allbooks/index/528.htm

以前にも静物画の起源について書いたことがあり、その中でネーデルラントの静物画起源の例としてハンス・メムリンク《花瓶の花》についても触れたが、キリストと聖母を象徴する宗教的を意味含んでいる。

https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/fcbaeb845d6ba6cb31b5944709c1adfc

ハンス・メムリンク《花瓶の花》(1485年頃)ティッセン=ボルネミッサ美術館

https://www.museothyssen.org/en/collection/artists/memling-hans/flowers-jug-verso

しかし、メムリンク作品に先行し、ネーデルラントの静物画の成立過程で、中世写本における余白装飾に新たな展開があったのだよ!!

普通の写本は聖書場面を描いた余白に装飾模様を描いているのだが、例えば『トリノ=ミラノ時祷書』では...聖書場面を絵が描いた枠外の余白装飾として、彩色された蔦模様と天使たちが描かれている。

《トリノ=ミラノ時祷書》(1425年頃)トリノ市立美術館

《ブルゴーニュのマリーの時祷書(独語: Stundenbuch der Maria von Burgund)》は、1477~82年頃にフランドルで完成し、おそらく、ブルゴーニュ公家継承者のマリーとマクシミリアン1世との結婚を祝し、継母マーガレット・オブ・ヨークが作らせたと考えられている。

ブルゴーニュのマリーの画家《十字架に釘で打ちつけられたキリスト》(1477~82年頃)オーストリア国立図書館(ウィーン)

「それまでミニチュアールでは欄外にあったモチーフが絵画空間のなかに入り込んでいる。明らかに宗教場面と対立する静物画モチーフが絵画空間に迫りだしてきたのである。このことによって静物を仲立ちとして、宗教画空間と世俗空間とが連続するようになった。」(P44)

この作品を見ていると、後のピーテル・アールツェン(1508頃-1575)からベラスケス《マルタとマリアの家のキリスト》への流れが容易に想像できるのが面白い

ちなみに、ヴィクトル・ストイッキッツァは「オランダで自立した静物画の記念碑的一歩をしるした作品として」ジャック・デ・ヘイン2世(1565–1629)の静物画を挙げているそうだ。

ジャック・デ・ヘイン2世《 ヴァニタスをあらわす静物画》(1603年)メトロポリタン美術館

https://www.metmuseum.org/art/collection/search/436485

イタリアではカラヴァッジョが、オランダではデ・ヘインが、ほぼ同じ頃に「自立した静物画」を描いていることが興味深い。カラヴァッジョ《果物籠》が同じヴァニタスの意を含みながら、作風の違いが面白くもある


ニコラウス・クザーヌス『神を観ることについて』拾い読み(^^;

2022-08-09 02:18:15 | 西洋絵画

ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの絵画でもっとも有名な作品は、ブリュッセル市庁舎「黄金の間」に描かれ、17世紀まで現存していた「トラヤヌス帝の裁き」と「エルケンバルドの裁き」を描いた大きな4点の板絵である(1439-1450年)。4点とも1695年のフランス軍によるブリュッセル侵攻の際に失われてしまっているが、多くの記録や部分的に模写されたタペストリー、ドローイング、絵画などが現存している。

ご参考:部分的な模写タペストリー

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:After_Rogier_van_der_Weyden_-_The_Justice_of_Trajan_and_Herkinbald.jpg

ピウス2世(エネア・シルヴィオ・ピッコローミニ)の友人でもあるニコラウス・クザーヌス枢機卿(Nicolaus Cusanus, 1401 - 1464年)は、1452年にブリュッセルでこの作品を見ている。彼は特に、ファン・デル・ウェイデンが2番目の板絵に組み込んだ自画像に感銘を受け、目はどこでも観者を追いかけているように見えたと伝えている。

ということで、ニコラウス・クザーヌス『神を観ることについて』(岩波文庫)を図書館から借り、拾い読みしてみた。ロヒール作品に触れているところだけなのだが(汗)。

「・・・「万物を観ている人物像」・・・その顔は巧みな画法で描かれていて、あたかも万物を見渡しているような状態にあるからである。このような顏のなかでも、特に見事に描かれたものが、例えばニュールンベルクの広場にある射手の絵であり、またブリュッセルの大画家ロージャによって描かれて、そこの市庁舎のなかの極めて貴重な絵のなかにもある。」(P13)

ちなみに、翻訳者の八巻和彦さんの解説を読みながら、「愚直なクザーヌス」に目がウルウルしてしまった。ああ、ピウス2世の「I Commentarii」をぜひ読みたいっ!! 研究者の皆様、日本語訳をどうぞ出版してくださいませ!!

で、もちろん、デューラーの『ネーデルラント旅日記』(岩波文庫)にも「私はブリュッセルの市庁舎の黄金の間で、大画家ロヒール [ファン・デル・ウェイデン] が描いた四枚の物語絵(歴史画)を見た。」(P77)とあるのは有名だよね