遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『花喰鳥 京都祇王寺庵主自伝』 上・下  髙岡智照尼  かまくら春秋社

2022-09-16 18:32:29 | レビュー
今月3日に窪美澄著『朱(アカ)より赤く 髙岡智照尼の生涯』(小学館)の読後印象を書き込んでいる。その本の奥書から本書を知った。『朱より赤く』は伝記風小説で一応フィクションとして描かれている。調べて見ると地元の市立図書館に蔵書としてあったので早速借り出して読んだ。
 本書は智照尼本人による自伝。だが、智照尼が己のこれまでの人生遍歴を地の文で書き綴った本ではない。智照尼の視点から己の人生について事実をベースにした自伝小説という形式を取っている。つまり、登場人物は実名で出てくるが、その人々との関係においてリアルな会話が織り混ぜられて、場面・状況が再現されていく。著者(智照尼)が12歳からつけていた日記がこの自伝をまとめる上で役に立ったと記されているので、それらの会話は事実を思い出して、己の視点から会話の形でその過去の状景を再現描写したということだろう。敢えて小説という語彙をここでは付け加えた。逆に、それ故に読者にとってはこの「京都祇王寺庵主自伝」がまさに小説の如く読みやすくなっている。

 本書は昭和59年(1984)4月22日に単行本として刊行された。市図書館の蔵書は同年7月の第7刷である。当時はかなり注目されたのではないかと思う。
 著者が80歳を超えたとき、「『愚かな女の一生』の全てを隠しだてすることなく赤裸々に告白して死んでいきたい。」「とにかく過去のけがれた行状を身につけて死んでいくのは良心の呵責に耐えられない・・・・。」そんな感慨にとらわれたことが契機で、この自伝を書いたと、本書「はしがき」(p6-8)に記されている。
 80歳を超えるまで、自伝執筆を躊躇した一つの理由は「他人様との関わりをなしに語れない」(p7)という側面にあったという。自伝であるからには、関わった人々の実名が現れざるを得ない。色街の水につかった著者故に、様々な政財界の著名人の名前にも触れざるを得なくなる。それなくして具体的な告白はできないということになる。
 読者にとっては、明治末期、大正、昭和前期という時代が、どのような時代だったか並びに当時の人々の価値観がどのようなものだったかの一端をうかがうことができる。そこに現代との価値観ギャップを読み取ることにもなる。

 本書の奥書に記された著者プロフィールを引用しておこう。著者の略歴が簡潔に記されているので、自伝の大筋を知ることにもなる。ここでは年表風に引用文を記して、さらに括弧書きで、本書からの情報を補足した。その補足の意味合いは、本書でご確認いただきたい。
 明治29年4月22日、大阪に生まれる。
    (難波新地近くで私生児として出生。奈良の伯母の許で養育される)
 明治41年、大阪宗右衛門町の『加賀屋』から八千代の妹分、千代葉の名で舞妓となる。
    (父により売られる。初恋の人・市川松嶌との出会い。小指を切り落とす。)
 明治44年、東京新橋の『新叶家』から照葉と改名して半玉となる。
 大正4年、妓籍を去る。
    (政財界等の著名人たちが顧客に。長島隆二さんの支援で一本立ちし芸妓に。
     大正2年、鉱山師江藤さんの妾に。大正8年妾生活[18~23歳の時期]精算。)
 大正8年、大阪北浜仲買人小田末造と結婚。 (大阪に舞い戻り、再度店出しの直後)
 大正9年、夫とともに渡米、約1年間ニューヨークに滞在。
    (現地での勝手な夫の行動。寄宿舎での勉学。同性愛。)
 大正14年、離婚。(不毛の日々。囚われの身。映画への出演。自殺の試みの果てに)
    (離婚後年下の萩原さんとの同棲。気儘な困窮。神戸で芸妓になる予定が破綻
     大阪で小堀さんの支援で「テルハ酒場」開店)
 昭和4年、奈良に隠棲、ホトトギス門下に入る。(萩原さんから逃避。原稿書き生活)
 昭和9年9月、奈良県高市畝傍町の久米寺にて出家、得度亮弘坊智照と改名。
 昭和11年7月、京都大覚寺塔頭祇王寺に入庵。

 調べてみると、智照尼は、平成6年(1994)10月22日、98歳で没した。

 著者(智照尼)が父に騙されて色街に身を売られたことから始まる人生の有為転変、波乱万丈が浮かび上がってくる。大阪で舞妓、東京で半玉・芸妓という色街での生活が赤裸々に描かれている。愛欲への嫌悪と一方で身のゆだね、酒への溺れ、舞い上がりの一方で荒んだ傲慢な生活・・・など、様々な側面が現れる。妾生活と結婚生活はともに破綻。年下の男との同棲生活。何たる人生流転を経験していることか・・・・。

 本書の上下巻それぞれに、著者の写真が載っている。舞妓・千代葉15歳、半玉・照葉16歳、渡米中24歳、渡欧途中の船中25歳、それぞれ若い時代の写真と、智照・祇王寺庵主としての晩年の写真の併載。著者は美人だった! プロマイドが売れたというのも納得できる。色街でトップクラスとしてもてはやされることもある意味で頷ける。それが逆に、著者の苦の種にもなって行ったのだろう。渡米にあたり描いていた夢が滞在中に空しく破られていく状況が、別の展開をみせていく。そこに著者には自立への意志が働いていく。

 一方で、著者には、彼女の泥沼のような流転人生を支えてくれ、頼れる人々がいた。支援者に恵まれていた。この人を援助しようとさせる何かが著者自身の生き様に見られたのではないか。単に物好きの支援ではないと思う。
 最終的に著者が出家するのは、愛別離苦からの超越にやはり必然の道だったのだろう。

 出家後の智照尼に対し、祇王寺での庵主生活を又従姉弟の髙島清一が陰で支えたいたことを本書で知った。彼は久米寺での得度式に立会い、密門快範大僧正から「いつまでも尼の後見として面倒をみるように」とじきじきに言われたという。彼は祇王寺の寺男として、智照尼を支え、祇王寺の復興にも貢献しつつ、己の半生を過ごしたそうだ。
 智照尼はその生涯において様々な支援者に恵まれた。その幸いが実に大きい、
 人生は、根っ子に本人の生きる意志があり、その上に幸と不幸が織りなされる総体ということになるのだろうか。意志あるところに道ありか。

 この自伝『花喰鳥』と窪美澄著『朱より赤く』は、自伝と伝記風フィクションという対応関係ではあるが、相互補完するところがある。また、本書を読むことで、『朱より赤く』が、事実を踏まえたフィクションとしてどのあたりに重点を置き、どの事実を割愛して智照尼の半生を描きあげているかを知ることもできる。
 少なくとも両書を併読することは、智照尼の人生を思ううえで有益である。そこに、さらに瀬戸内晴美(寂聽)著『女徳』を加えればどうなるだろうか。こちらは未読なので、今は言及できない。

 最後に、余談なのだが、2点触れておきたい。
 一つは、祇王寺のご紹介。私は2019年に嵯峨野西北部(化野)を探訪した折にその一環として、祇王寺を訪れた。智照尼のことをそのほんの少し知り、記憶には残った。ブログ記事に当時知り得たことに触れている。だが、そのことどまりだった。そして、先日、窪美澄著『朱より赤く』を出会うことに。その出会いから本書『花喰鳥』に導かれた。
 祇王寺のご紹介は、もう一つの拙ブログ(楽天ブログ)でご紹介している。「探訪 京都・右京区 嵯峨野西北部(化野)を歩く -4 祇王寺」をご覧いただけると嬉しい。
 もう一つは、「花喰鳥」という語彙である。その起源はササン朝ペルシャの染織図様に出てくるという。葡萄や草花の小枝や花唐草をくわえた瑞鳥を形どった吉祥文様だそうだ。中国・唐時代の史書にその文様が伝わったということなので、中国を経由して、日本に伝搬されたのだろう。
 愛別離苦の半生を経て、出家という形で、そこから離脱した著者の自伝には相応しいタイトルとしての語彙かもしれない。本書にはこの語彙自体は出て来なかった。それを示唆する表現もなかったかと思う。

 この自伝も一気に読み通してしまった。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、ネット検索で得た情報を一覧にまとめておきたいと思う。一部は上記『朱より赤く』と重複するがご寛恕いただきたい。
髙岡智照  :ウィキペディア
高岡智照  :「コトバンク」
TERUHA :「flickr」 ⇒ 照葉のポストカードコレクション
花喰鳥  :「コトバンク」
花喰鳥とは  :「きもの用語大全」
東大寺ミュージアムの花喰鳥 :「奈良の宿 料理旅館大正楼」
祇王寺  ホームページ
祇王寺 :ウィキペディア
久米寺 :「かしはら探訪ナビ」
南都春日山 不空院  ホームページ
岩船寺  ホームページ

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『朱(アカ)より赤く 髙岡智照尼の生涯』  窪美澄   小学館


『écriture 新人作家・杉浦李奈の推論Ⅴ 信頼できない語り手』 松岡圭祐 角川文庫

2022-09-14 22:35:52 | レビュー
 たまたま目に止まったのが新人作家・杉浦李奈シリーズの第5弾。シリーズなら第1作から読むべきか・・・ちょっと思ったが、まあこれもありかと読むことにした。結論として、本書の推論プロセスはおもしろかった。次はこのシリーズのバックナンバーをまず読み進めることにしょう・・・・。読了後に、既に第6作が先日出版されていたことを知った。
 本書「信頼できない語り手」は、今年(2022年)6月に書き下ろしの文庫本として刊行されている。

 本書を読んで面白いと思ったのは、このシリーズの主人公である杉浦李奈の他に、杉浦李奈をサポートする形で、あの「万能鑑定士Q」として活躍した莉子が登場することだ。文脈から判断すると、この第5作で初登場と推測できる。それも、莉子は結婚し小笠原莉子として二児の母になっての登場である。勿論、万能鑑定士Qの冴えがここでも発揮される。だが、そこはあくまで李奈を強力にサポートする役割に撤している。
 「万能鑑定士Q」の愛読者にとり、楽しくなるのは請け合うことができる。私自身、莉子の登場により一層ストーリーを楽しめたのだから。

 冒頭は、大規模火災発生、死亡者218人の大参事という事件の記述から始まる。時は春先。場所は茅場町のリロゼッテ東京ホテルの宴会ホール。日本小説家協会懇親会の最中に宴会ホール内部で不審火が発生した。大型書店の文芸書コーナーで名を連ねる作家の三分の一超がこの火災で落命した。生存者は2人。68歳のベテラン作家藤森智明と27歳のホテル従業員伊藤有希恵。藤森は往年の人気作家で、下肢障害1級で車椅子を使用。有希恵は藤森の車椅子の介助をし、二人は防災カーテンをかぶり、必死に灼熱地獄に耐えて救助された。この事件の後、藤森と有希恵は生存者どうしとして養子縁組を結んだ。
 大火災の実態解明は容易でなく、生存者2名を含め懇親会参加者はまずこの事件の容疑者から外された。火災発生時、宴会ホールの扉は外側から施錠された状態になっていたのだ。犠牲となった作家がいなくなり、得をするのは誰か、などというとんでもないサイトが生まれたりしている。

 売れない新人作家・杉浦李奈もまた刑事の訪問を受け、聞き取り捜査に応じる羽目になる。その時、刑事からベストセラー作家である櫻木沙友理が李奈に会いたいと言っているという伝言を受けた。櫻木沙友理の自宅を李奈が訪ね、沙友理の用件を聞くことから、李奈はこの事件に関わっていくことになる。
 沙友理は日本小説家協会懇親会に参加する返信を出していたが当日キャンセルしたことで、大火災に巻き込まれずに済んだ。沙友理もまた事件後に非難中傷の手紙を山ほど受け取っていた。その状況に耐えられないので、放火事件の真相究明をしたい。李奈に協力して欲しいという願いだった。
 李奈はKADOKAWAの出版社員菊地を仲介にして、3人で生存者の藤森が入院する病院を訪れる。面談して当日の状況について情報収集することから始めていく。藤森(本名は西田崇)の傍には有希恵が付き添っていた。
 
 事件当日の現場での証言者は藤森と有希恵だけである。彼等は信頼できる証言者なのか、信頼をおけない証言者なのか。大火災現場の物的証拠は多くはない。宴会ホールの扉が外から施錠されていた事実は揺るがない。そのホールに客が出入りする扉は外からロックされると内側からは開くことができない仕組みだった。普通に考えれば犯人は懇親会場から出て、扉をロックし立ち去ったという判断になる。
 李奈たちが病室を訪れると、藤森は当日黒磯康太郎著のハードカバーの176ページにサインをもらったと言い、その本を見せ、経緯を説明した。その本のことは警察にはまだ話していないという。藤森は警察の捜査にすべてを開示した訳ではなかった。だがその場に刑事が現れ、その本を検査対象物としてその場で預かるという行動に出た。
 だがその後、藤森はもう一つ警察に話していない事があると言って、懇親会場にもう一人部外者がいたという。年齢は30歳以上と思える緒林桔平という男が、自分の原稿を持ってうろうろしていた。出席者の中には彼を見慣れている人もいたという。この話を語る時、藤森は唯一の生き残りなので、この状況はまるで”信頼できない語り手”だなと自嘲的に言った。本書のタイトルは、ここに由来するようだ。
 なぜ、藤森がこの話を警察に告げなかったのか、その理由を有希恵が順を追って語り出す。

 李奈たち3人が病院のエントランスを出た時点で、日本月虹社の編集者2人がエントランスに向かってくるのに出会う。不審に思った李奈の質問に対して、藤森の26年前の小説『火樹銀花』が韓国で映画化が内定しそうだという話が飛び出してきた。著作権、出版契約など業界絡みの背景状況が話材になってくる。この話がどう関連していくのか・・・・・。

 李奈は、藤森と有希恵の話、日本月虹社編集者の話などを糸口に、ネット検索で周辺情報を収集していく。この小説の副次的なおもしろさは、李奈と莉子がどういう風にインターネットから情報を手繰り寄せるかというそのアプローチにある。さらに、インターネットをアリバイ立証の情報根拠に役立てられるという視点が織り込まれているところにもある。中央署で大御所ミステリ作家田中昂然のアリバイ証明に李奈が助言する場面は、ストーリーの枝葉ではあるが、実際的でおもしろい。なるほどと思う。

 藤森が李奈に見せたサイン本が中央署に来ていた李奈に嶋仲刑事からの指示だとして、女性警察官から返却される。藤森の代理人にみなされたのだ。ところが、その返却本の176ページが破り取られていた。サイン本が刑事の手に渡った時、李奈は病院の現場で立ち合っていた。李奈は破られていた事実により警察不信に陥る。さらに、奇妙なことに、その破り取られていたページは、沙友理の自宅のキッチンの食器棚の奥、皿の下にあったのを沙友理が見つけたという。留守電専用の固定電話に入っていた清掃業者からのメッセージで、普段触ることがない食器棚を開けてみて、発見したというのだ。ここに新たな疑惑が生まれる。沙友理の自宅は厳重なセキュリティ体制が設けられているのに、何者かがその体制をかいくぐって内部に侵入していたということになる。その事実をそのページの発見が証拠立てている。
 オープンテラスのカフェで李奈と沙友理が話し合う場に、小笠原莉子が二児を伴い現れる。莉子は沙友理の友人として登場してきた。ここから、莉子がこの事件の謎解きに参画する形になる。「万能鑑定士Q」ファンにはワクワク感が付け加わる。莉子がどういう局面でどのような関わりをするのかという楽しみが加わる。また今、小笠原は何をしているのかという別の興味も派生的に生まれる。

 懇親会でのターゲットは沙友理だったのか。沙友理は今も狙われているのか。
 沙友理宅のセキュリティ体制が破られた原因は何か。それが事件にどう関わるのか?
 藤森と有希恵が間一髪で救助されたのは本当に偶然なのか。
 藤森の過去の小説が韓国で映画化されるという話は、放火事件とどう関わるのか。
 藤森と有希恵が語った緒林桔平という男は実在するのか。実在するなら今どこに?
 懇親会場のホールを、誰が何時ロックしたのか。鍵をどのように何時入手したのか?
 李奈が目の前で見たサイン本、その破られたページ、発見された場所、その関係は?
 李奈が感じ始めた警察への不信感。それはやはり事実につながるのか?
 
 問題事象は一見ばらばらな状態で次々に発生する。拡散的な状況での個別対応。だが、徐々に李奈の頭脳の内で、脈絡のないように見える諸事実に繋がりが見え始めて行く。一方でその気づき、仮説に対して李奈は憂鬱感を抱き始める。

 莉子は己の経験を踏まえて李奈に「杉浦さん。憂鬱なのは真相を伝えることよりも、自信がないからじゃなくて? 責任の重さを考えると、気持ちが沈まざるを得ないとか」(p244)「・・・ たぶん、答えはひとつ。事実をみいだしたとたん、人は孤独になるから」(p245)「”わたしは行動する人間を疑いなく賞賛する”」(p251、チャンドラーの言葉)と助言する。
 背中を押された李奈は、真相解明への最後のチャレンジに挑んでいく。

 莉子が李奈に助言をしている途中で、莉子が李奈に投げかけた3つの問題がある。このストーリーは、その場で即答できなかった李奈が、その謎解きをする会話場面で終わる。この問題、私は解けなかった。最後の会話場面を読み、ナルホドとすっきりした。おもしろい。

 各所での伏線の敷き方はやはり上手いなと思う。実にさりげない形で謎解きの糸口が織り込まれている。読了後に、ああ、あそこに糸口が・・・・という具合。読書プロセスにおける己の不明さが嫌になる。
 
 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『シャーロック・ホームズ対伊藤博文』   講談社文庫
『クラシックシリーズ6 千里眼 マジシャンの少女 完全版』   角川文庫
『クラシックシリーズ5 千里眼の瞳 完全版』   角川文庫
『クラシックシリーズ4 千里眼の復讐』  角川文庫
『後催眠 完全版』   角川文庫
『催眠 完全版』   角川文庫
『クラシックシリーズ3 千里眼 運命の暗示 完全版』   角川文庫
『クラシックシリーズ2 千里眼 ミドリの猿 完全版』  角川文庫
『クラシックシリーズ1 千里眼 完全版』  角川文庫
『探偵の鑑定』Ⅰ・Ⅱ  講談社文庫
『探偵の探偵』、同 Ⅱ~Ⅳ  講談社文庫
松岡圭祐 読後印象記掲載リスト ver.2 2021.6.11時点 総計32冊 

『星落ちて、なお』   澤田瞳子  文藝春秋

2022-09-13 14:53:45 | レビュー
 読み継いでいる作家の一人。読了後に少し関連情報をネット検索していて、遅ればせながら、この作品が2021年上期の直木賞受賞作だったということを知った。奥書を読むと、別冊文藝春秋(2019年7月号~2021年1月号)に連載後、2021年5月に単行本が出版されている。

 本書は、河鍋暁斎と3番目の妻妻ちかとの間に生まれた長女とよ、画号河鍋暁翠の人生を、とよの視点から描き出している。師匠に「画鬼」の仇名を付けられ、自らも「画鬼」と称した河鍋暁斎。その父暁斎から5歳の時に「実を付けた柿の枝に、くりくりと丸い目の鳩が止まった小さな絵」(下絵)を与えられて、とよは絵を描き始めた。とよが絵師暁翠として生涯を方向付けられた瞬間である。
 一言で言えば、「暁斎の桎梏・呪縛との葛藤」が本書のテーマになっている。とよは絵師として生涯に渡って父暁斎の画技・力量と闘い続けた。その苦しみが延々と描き込まれていく。それが一方で、とよ(暁翠)が絵師として己の画技を磨く礎になっていくのも事実である。
 とよには腹違いの兄周三郎(暁雲)がいた。兄の周三郎ととよとの間には、父暁斎の作品を介して、絵師の技量について確執が存在した。だが、一方で周三郎ととよは共に「暁斎の桎梏・呪縛」に呻吟しているということも感じていた。その状況がこの小説の中心にある。
 「ただ自分と父が、そして兄が、血縁以上に画技によって結ばれ、だからこそ暁斎の死後もなお互いを憎み、妬まずにはいられぬのは、まぎれもない事実だ」(p145)
 「風狂だったあの父は、死んでもなお己の絵で以て自分たちを縛り付ける。周三郎は暁斎そっくりの絵を描きながら、こんな苦悩のただなかにあったのか。冷ややかな笑みを口元に絶えず浮かべながら、あまりにも偉大過ぎる父を愛し、憎み、足掻いていたのか、そう思えば暁斎と同じ病に倒れた周三郎の死は、長きにわたる父親との葛藤に敗れたかのようだ。」(p185)
 「もともと暁斎は生写(写生)を尊ぶ狩野派の技術に桁外れの想像力を混ぜ合わせ、更にやまと絵や浮世絵の技法すら貪欲に取り入れて、己の画風を築いた。ただ逆説的に言えば、脳裏に浮かんだ事物をそのまま紙上に現すには、徹底的に写生を繰り返し、万物を己の筆で捕らえておかねばならない。つまり暁斎の絵の根幹には、徹頭徹尾、狩野派の手法があったわけだ。
 周三郎はそんな父に少しでも近づこうと足掻き続けて亡くなった。画鬼とまで呼ばれた暁斎は、それを知れば少しは倅を哀れと思うだろうか。」(p195)
 「河鍋の家の者が暁斎に抗弁しなかったのは、彼を思いやってではない。とよが生まれる以前から、あの家では絵が描ける者だけが偉かった。・・・・暁斎そっくりの絵を描く周三郎は、大根畑の家での気ままな暮らしを許された。自分たちは赤い血ではなく、黒い墨で結び合わされた一家だったのだ。」(p220-221)
 「家族を憎み続けた周三郎の孤独も、暁斎にその生前も没後も振り回され続けたとよの葛藤も。」(p221)
という風に、著者はとよの人生の節々でその桎梏・呪縛について語らせている。

 読後に調べてみると、河鍋とよ(暁翠)は慶応3年12月10日〈1868年1月4日>生まれ、で昭和10年(1935)5月7日に死去。明治時代から昭和時代初期の日本画家、浮世絵師である。本書は、河鍋家と彼女の人生について、河鍋暁斎の弟子たちと暁斎と関わった様々な人々について、とよの視点から語られていく。とよの人生の節々に焦点を当てながら描写されていく。とよの人生の節として捉えられたフェーズに沿って簡略にご紹介していこう。

<蛙鳴く 明治22年、春>
 長男周三郎には大根畑の家が与えられる。一方、河鍋家は明治20年に根岸金杉村に転居するが、明治22年暁斎がそこで死ぬ。暁斎の葬式前後の状況が描かれる。とよが河鍋家の中心的立場に置かれてしまう。そんなとよの状況と心理が描かれる。
 「自分さえ胸をさすって堪えていれば、兄弟姉妹の平穏は保たれる。そして血によって結ばれた間柄とは、残念ながら互いがこの世に在る限り、否が応でもつながり続けねばならぬのだ。」(p33)とよには、青春時代に既に一種の諦念が生まれていく・・・・。

<かざみ草 明治29年、冬>
 暁斎の死後、父の弟子で江戸屈指の豪商・鹿島屋清兵衛の勧めで、とよは鹿島屋が隠居所として建てた深川佐賀町の家に転居する。清兵衛の支援を受けつつ絵師としてとよが独り立ちしている状況、暁斎没後の弟子たちの去就、清兵衛が送り届けてきた梅の木の鉢植えに絡む顛末譚、清兵衛が芸妓を落籍し一方で写真館を開いた状況などが描かれる。清兵衛の行動が後々問題を引き起こす因となる。

<老龍 明治39年、初夏>
 明治37年にとよは機械商・高田商会で働く高平常吉と結婚した。上野池之端七軒町の新居に移る。明治39年には子を身ごもっていた。夫の常吉はとよが絵を描くことに干渉はしなかった。とよは週に二度、女子美術学校で絵を教える立場になっていた。
 本格的な狩野派・土佐派の絵は古臭いと見なされるように時代は大きく変化していた。周三郎が開いた百画会と橋本雅邦を筆頭とする日本美術院が対比的に描かれる。
 とよは女子を出産する。「わが子までを、絵の道に巻き込んではならない。あんな画鬼の棲家の住人となるのは、自分一人で十分だ」(p145)と決意することになる。
 周三郎は血を吐き、病臥する。婿養子だった鹿島屋清兵衛は離縁される状況に転落する。とよは女子美での教授を辞める。とよの周辺で有為転変がみられることに・・・・・。絵の世界における時代の変遷が描き込まれていく。
 「夫は優しい。さりながらいつぞや周三郎が罵った通り、優しいとはそれだけとよをちゃんと見ていない事実の裏返しだ。・・・・泥濘にまみれてもなお描き続けなければならぬ自分たちの宿業を、彼は決して理解してはくれぬだろう。」(p175)
とよは常吉との間に心理的隔たりを感じ始める。

<砧 大正2年、春>
 暁斎の二十五回忌法要。浅草伝法院の新書院で「河鍋暁斎遺墨展覧会」も催される。
 とよは、我が子よしを引き取り、高平常吉とは別居してはや6年ほどになっていた。再び根岸の家で暮らしていた。絵師として生きるとよの生活環境が変化していく。
 この展覧会に鹿島清兵衛が訪れる。今は梅若流の能で笛師を生業にしていた。秋に行われる梅若舞台で「砧」を吹くという。とよに観能してほしいと告げにきたのだ。
 この展覧会に出席した弟子筋の人々の思い・思惑がとよの心を傷つけることになる。
 「河鍋派なぞ、とよはご免だ。そんなものを自称しては、自分は終生、暁斎の軛から逃れられない。だいたいそれでは、周三郎があまりに気の毒ではないか。」(p197)
 さらに、展覧会に訪れた栗原玉葉の事、真野八五郎の息子・松司の頼み事、「砧」の観能などのエピソードが織り込まれて行く。この観能はとよにとり、清兵衛とぽん太という夫婦の姿を通して夫婦の在り方を考えさせられる機会となる。
 
<赤い月 大正12年、初秋>
 神田の道具屋の廣田がとよに掛幅の鑑定を頼みにくる。河鍋暁斎筆かどうか。とよはそれを見て、兄周三郎の絵だと判定する。それが契機で、その売主が音信の絶えていた兄嫁だと推測し、所在を確かめるのに廣田の助けを借りることに。だが、そこに関東大震災が襲ってくる。この大震災下でのとよの行動及び大震災の状況が描き出されていく。
 この過程で、とよは思う。「人にとって家族とは、己の血肉同様に大切に思い、守ろうとする相手。だとすれば暁斎が真実、家族と考えていたのはとよや周三郎ではなく、自らの筆で生み出す絵だけだったのだろう。やはり自分たちは親子ではなく、ただの師弟だったのだ。」(p274)
 とよは己とわが娘よしとの関係性の在り方に立ち戻って行く。「絆」とは何か。それはどのように築かれていくものなのか。深い問いかけがここにある。
 大震災当時の根岸の地域の被害は比較的に少なかった、その状況も描かれる。

<画鬼の家 大正13年、冬>
 真野松司の同行で正行院を訪れたとよは、その後浅草寺に足をのばす。そして偶然、ぽん太に出会う。清兵衛の消息を知るとともに、彼が今は三樹如月と名乗っていることを知る。ともは鎌倉に住む清兵衛宅を訪れる。父暁斎についての話を聞く為である。この時はじめて、ぽん太がゑつという名前であることを清兵衛から聞かされる。
 ともは村松梢風から河鍋暁斎の評伝を取り上げたいので話を聞きたいと懇願されていたのだった。
 それまで、話をするのを拒否していたとよは、村松の求めに応じて父暁斎の話をすることになる。その場面がこのストーリーのエンディングとなる。

 清兵衛がとよに語ったことがとよを動かしたのだろう。
「わたしが、どんな目に遭ってもゑつと別れられなかったように、とよさんもまたその年まで絵を続けているのは、そこに少しなりとも喜びがあったためではないですか。暁斎先生や周三郎さんへの引け目のせいで、ご自身の中にある喜びに顔を背けちゃいませんか」(p315)
 このあと地の文として「人は喜び、楽しんでいいのだ。生きる苦しみ哀しみと、それは決して矛盾はしない。いや、むしろ人の世が苦悩に満ちていればこそ、たった一瞬の輝きは生涯を照らす灯火となる」(p316)とつづく。

 本書のタイトル「星落ちて、なお」は、その語句そのものは出て来なかったと思う。だが、この象徴的な語句の後には、本書末尾の少し前に記述されている「彼らの生きた事実はいまだ空の高みに輝き続けている。そしてそれらを指し示す者がいなければ、どれだけ眩しかった輝きもいずれは忘れ去られてしまうのだ」(p320)がつながるのではないかと、私は読後印象として受けとめた。
 その一方で、「星落ちて、なお」という語句は、河鍋暁斎という巨星が落ち(=死亡して)、なお、その先でとよと兄周三郎が如何に苦闘しつづけたかというその桎梏・呪縛の存在という意味を重層化していると思う。
 己の経験を経て辿りついた境地からの清兵衛の発言を契機に、とよの意識が転換していく。とよがその言葉を受容できるに至るまでの前段階の経緯が本書のストーリーである。つまり、とよにとって絵を描くという苦闘・苦悶のプロセスと様々な人生経験のプロセスそのものがあってこそ、とよが暁斎を語るという選択肢を受け入れた。拒否から受諾への心理の転換、それを読者の立場で味わうのが、このストーリーの醍醐味なのだろうと思う。

 とよ、つまり河鍋暁翠の伝記風小説であるとともに、本書は併せて河鍋暁雲(周三郎)の小伝的側面を持っている。さらに、とよの父暁斎に対する思いの記述及び、とよと周三郎との確執の記述を媒体として、河鍋暁斎という絵師の存在を間接的に浮かび上がらせ語ることになっている。
 いずれにしても、河鍋ファミリーについて、思いを馳せるには、読みやすくわかりやすい一書である。

 ご一読ありがとうございます。
 
本書に関連してネット検索してみた、一覧にしておきたい。
河鍋暁翠  :ウィキペディア
河鍋暁斎  :ウィキペディア
河鍋暁斎記念美術館  ホームページ
河鍋暁斎記念美術館  :「Art Agenda」
河鍋暁斎とは  ゴールドマン・コレクション これぞ暁斎!:「Bunkamura」
河鍋暁雲  :ウィキペディア
綾部暁月  :ウィキペディア
石川光明  :ウィキペディア
橋本雅邦  :ウィキペディア
西郷孤月  :ウィキペディア
北村四海  :ウィキペディア
河鍋暁斎記念美術館 企画展「暁翠生誕150年記念 暁翠のお手本・画稿」展 同時開催 特別展「立原位貫 復刻版画」  YouTube
河鍋暁斎記念美術館 企画展「暁翠作品展―花鳥風月、そして美人―」展 同時開催 特別展「暁翠の弟子 小熊忠一氏寄贈作品展」 YouTube
父・暁斎から娘・暁翠に引き継がれた伝承とは? 暁斎の多彩な画業の本質に触れる「暁斎・暁翠伝」が開催中  :「美術手帖」

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徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『輝山』  徳間書店
『与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記』  光文社
『駆け入りの寺』  文藝春秋
『日輪の賦』  幻冬舎
『月人壮士 つきひとおとこ』  中央公論新社
『秋萩の散る』  徳間書店
『関越えの夜 東海道浮世がたり』  徳間文庫
『師走の扶持 京都鷹ヶ峰御薬園日録』  徳間書店
『ふたり女房 京都鷹ヶ峰御薬園日録』  徳間書店
『夢も定かに』  中公文庫
『能楽ものがたり 稚児桜』  淡交社
『名残の花』  新潮社
『落花』   中央公論新社
『龍華記』  KADOKAWA
『火定』  PHP
『泣くな道真 -太宰府の詩-』  集英社文庫
『腐れ梅』  集英社
『若冲』  文藝春秋
『弧鷹の天』  徳間書店
『満つる月の如し 仏師・定朝』  徳間書店

『Curious George's First Day of School』 Houghton Mifflin Harcourt

2022-09-12 12:09:40 | レビュー
 本書の正式なタイトルは、冒頭のタイトルの前に、”MARGRET & H.A.REY'S”を冠している。著者は、”Illustrated in the style of H.A.REY by Anna Grossnickle Huncs " と記されている。英語絵本・電子書籍版を読んだ。ナレーション付きである。
『Curious George Learns the Alphabet』のご紹介で説明したが、 H.A.REY の死後、 "New Adventures" として出版されたシリーズの1冊と思う。2005年に出版されている。

 先に読んだ『Disney PETER PAN』と比較すると、この絵本が直接対象とする子供の年齢層は少し下がると思う。本書の本文は現在形、過去形、過去完了形、未来形の文と疑問文で記されている。文章はわかりやすく単語も身近なものが大半である。それでも、見たことがあるけれど・・・私が辞書を引き直した単語はあった。私の語彙力がわかってしまいそうだが、参考例として列挙してみよう。
barely(かろうじて)、recess(休憩時間)、make a mess(散らかす)、janitor(用務員)、tip(ひっくりかえる)、frown(しかめっつらをする、まゆをひそめる)くらいだった。それと、絵を見ていて意味はすぐに推測できる単語で splosh! と大きく記されている擬声語が出てくる。辞書を引くと、splash と同じと表記されている。(ピシャッとはねかえる)という意味。splash はどこかで見た記憶があるが、splosh は初見だと思う。もう一つ、closet という単語が出てくる。クローゼットのことなので、日頃の使い方で、クローゼットと聞くと、歩いて入れる洋服などやバック類などを収納する空間を連想してしまう。この絵本では、ジョージが学校で失敗をやらかし、自らバケツやモップを探しに行く場面が出て来て、清掃用具などの物入れの場所に closet という単語を使っている。手許の英和辞典の一つは、「クローゼット」という説明で、他の辞書には「押し入れ、戸だな」という説明が紀されている。この絵本を通じて、closet という単語の使われ方の広がりを再認識した次第。絵本を介して学ぶことがいろいろあっておもしろい。

 実質22ページの物語。ジョージは special helper として小学校に招待される。黄色帽子の男(友達)に連れられて初めて小学校を訪れる。学校でアップル先生に紹介され、助手としてお手伝いをすることに。いろんな授業の続きに絵画の時間が来る。その際絵の具の色を混ぜることを手伝うのだが、最後にとんでもない失敗をする。その後始末をしようと、ジョージはバケツとモップを探しに行き、見つけて戻ってくるのだが、それがさらに大きな問題を引き起こすことに・・・・・。めちゃめちゃに散らかり汚れた教室の床!
 困りしょげるジョージを子供たちが手助け、足助けして、後始末に協力する。子供たち皆の力で教室が再び綺麗になりハッピーエンドでめでたしめでたし、というお話。

 ここで2つのことがテーマになっていると感じた。絵の具のどの色とどの色を混ぜるとどんな色になるかという色の混合の知識。ジョージはAとBを混ぜてCを作った。赤と青を混ぜて紫。赤と黄色でオレンジ色・・・・。George mixed A and B to make C. という文型の復習になった。子供たちは、絵本から色の混合という知識とこの文型を自然に学ぶのだなぁ・・・・。
 もう一つは「協力」の大切さ。助け合えば、困った状況も克服できるということを例示しているお話と言える。 So the children all lent a hand (and some feet.) という表現がおもしろい。なぜ、(and some feet) なのかは、この絵本のイラストをご覧いただきたい。

 絵の具を混ぜる作業に没頭するジョージが、活き活きと描かれている。
 絵本は大人にとっても楽しく英語を学ぶ材料になる。 
 
 ご一読ありがとうございます。
 
 こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『Curious George Goes to the Hospital 』 MARGRET & H.A.REY Houghton mifflin Harcourt
『Curious George Learns the Alphabet』 H.A.REY Houghton Mifflin Harcourt
『Curious George and the Birthday Surprise』 MARGRET & H.A.REY Houghton Mifflin Company
『Curious George Goes to a Movie』 MARGRET & H.A.REY Houghton Mifflin Company

『Disney PETER PAN』 Adapted by Addison Leigh Disney PRESS


『Disney PETER PAN』 Adapted by Addison Leigh Disney PRESS

2022-09-10 00:04:32 | レビュー
 気分転換に絵本『ピーター・パン』の電子書籍版を読んでみた。ディズニーの系列会社から出版されている。著作権の記述を見ると、2015年の出版。「Disney Read-Along e Books」であり、ナレーションが付いている。実質36ページの絵本。手頃なボリュームである。
 先に読んだ同じ出版社の『THE LION KING』と比較すると、本文の英文はこちらの方が読者対象とする年齢が少し上になるようだ。文章のボリュームが増え、文章にif文、仮定法が出てきたりする。

 「ピーター・パン」の名前やその童話があることを知ってはいた。しかし、シンデレラやピノキオの話を見聞しているほどには、私はピーター・パンについて知らなかった。この絵本を読み、併せて少し調べて初めて具体的なことがわかり、多少全体的なイメージができた。絵本を糸口にして学べることが多い。
 本書は、著者について Adapted by Addison Leigh と記されているとおり、ピーター・パンの原作の翻案絵本である。それでは、原作者は誰か。
 原作者はイギリス・スコットランドの作家ジェームス・ナシュー・バリーだという。1904年に戯曲『ピーター・パン:大人にならない少年』を発表し、1911年に小説『ピーターとウエンディ』を生み出した。少年ピーターパンは空を飛ぶことができ、ネバーランドと呼ばれる国で冒険するという物語が生み出されたのだ。
 その後に、様々な作家達がピーターを主人公に再話を繰り返してきている。
 
 序でに触れておこう。シンデレラの物語は作者としてグリム兄弟とシャルル・ペローが有名である。だが、さらに溯りそのルーツとなるはジャンバッティスタ・バジーレの『ペンタメローネ(五日物語)』に採録されたチェネレントラであるという。一方、ピノキオは『ピノッキオの冒険』がオリジナルでイタリアの作家カルロ・コッローディによる児童文学作品だそうである。

 さて、本書は、澄み切った星空の夜に、ウェンディ・ダーリングが、二人の弟ジョーンとマイケルにピーターパンの冒険を語って聞かせる。場所はロンドンにあるダーリング家の子供部屋。そういうシーンから始まる。ウェンディは弟たちにピーター・パンの冒険物語を幾度も話してきていた。その話をピーター・パン自身が聞きにやってきていた。ウェンディは自分の語る事は単なるお話じゃないときづいた。彼女はピーター・パンの影を見つけた。そしてそれを子供部屋に閉じ込めたからだ。
 この前、話をそっと聞きに来ていた時、ピーターパンは影を忘れたことに気づき、小妖精のティンカー・ベルと共に、子供部屋に戻ってくる。その時、ウェンディが明日からは大人なのとピーター・パンに話す。それはウェンディが子供部屋を出ることを意味し、もうピーター・パンはウェンディの話を聞けなくなることに・・・・。
 ピーター・パンはウエンディに影を縫いつけてもらった後、ネバーランドにおいでよ、そうすりゃ大人にならなくていいんだからと、ウェンディを誘う。
 ウェンディ、ジョーン、マイケルはピーター・パンに連れられて、夜空を飛び、ネバーランドに行く事になる。そこからネバーランドでの冒険が始まって行く。
 
 この絵本でも、意外と初めて目にする単語や知っていてもこの絵本の文脈で使われている意味など知らなかった単語がけっこうあった。
 たとえば、starry 。冒頭に出てくる。On a clear and starry night in London・・・・と。star から意味は推測できる。辞書を引くと、「星の多い、星明かりの」と説明されている。だけど、こんな単語、初めて目にした。絵本では最初に知る単語の一つに過ぎないのに・・・・。
 ウェンディがジョーンとマイケルに物語を聞かせる部屋は、in the Darling nursery と記されている。文脈から子供部屋とわかる。辞書を引くと、最初に「(米)(家の)赤ちゃん用の寝室;(病院の)保育室、授乳室」と説明されていて、その後に「(やや古)子供部屋」(『ジーニアス英和辞典』大修館書店)とある。nurse という単語はよく見知っていても、nursery という単語は意識しなかった。古い使い方らしいが、子供部屋の意味があるなど、この絵本から知った次第。
 おもしろいのはウェンディがピーターパンに告げる言葉である。上記に関係するところ。
 As Wendy sewed, she explained that it was her last night in the nursery.
"I have to grow up tomorrow," she told him. Peter quickly realized that if Wendy left the nursery, he wouldn't be able to hear her stories anymore.
grow up という言葉をこんな風にも使うとは思ってもいなかった。

 子供の絵本、されど絵本である。知らなかった、或いは殆ど目にしたことがない単語をこの絵本で学ぶことになった。英語圏では子供時代に絵本を通じて、自然に覚える単語なのに・・・・。私の場合、今頃になって次の単語群をこの絵本から学ぶことに。
pixie(妖精)、hide-out(隠れ場所)、lair(ねぐら、隠れ家)、gobble(がつがつ食べる)、sneak up on (<人の後から>こっそりとしのび寄る)、culprit(犯人)、infuriate(激怒させる)、plank(厚板)、lunge(突きを入れる、突進する)、draw his dagger(短剣を抜く)、cast off(舫い綱を解く、出航する)と言ったところ。

 英語圏の子供たちは絵本を通じ自然にこれらの単語を身近なものにしていくのだろう。英語の授業と受験勉強を通じて学んだ単語とはちょっと違う次元の単語に触れるおもしろさを絵本で楽しめる。

 ネバーランドでは、キャプテン・フック、海賊船のジョリー・ロジャー号、フックの部下スミー、キャプテン・フックの片手と時計を呑み込んだワニ、人魚の池(Mermaid Lagoon)、迷子たち(the Lost Boys)、インディアンの酋長とその娘タイガー・リリーなどが登場する。ピーター・パンとティンカー・ベルと一緒に、ウェンディ達の冒険と闘いが始まる。
 読者となる子供たちはネバーランドに自分も入り込み、一緒になって行動するという想像を広げて行くことだろう。そんな楽しい世界になるのだろう。
 最後は、ピーター・パンに伴われて、ウェンディ達は海賊船に乗って、ネバーランドを出航してロンドンへの帰途につく。

 ピーター・パンって楽しい冒険物語だったのだ。

 ご一読ありがとうございます。

本書から関心の波紋を広げてネット検索してみた。一覧にしておきたい。
ピーター・パン  :ウィキペディア
Peter Pan    From Wikipedia, the free encyclopedia
Peter and Wendy      From Wikipedia, the free encyclopedia
PETER AND WENDY J.M.BARRIE STANDARD EBOOKS
Neverland    From Wikipedia, the free encyclopedia
Lost Boys (Peter Pan)     From Wikipedia, the free encyclopedia
【ディズニー映画】『ピーターパン』の名言10選!心に刺さる言葉を日本語と英語でご紹介!  :「CASTEL」
『ピーター・パン』で流れる英語の歌・全曲まとめ  :「洋楽の部屋」
ウォルト・ディズニー(Walt Disney) - ピーター・パン(Peter Pan) Part1  YouTube
ウォルト・ディズニー(Walt Disney) - ピーター・パン(Peter Pan) Part2  YouTube
シンデレラ     :ウィキペディア
ピノッキオの冒険  :ウィキペディア

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
THE LION KING Adapted by Kathryn Collins Disney PRESS

「Cinderella」 Retold by Casey Malarcher illustrated by Necder Yilmaz Compass Publishing



『百人一首解剖図鑑』  谷 知子  X-Knowledge

2022-09-08 22:26:45 | レビュー
 本書はエクスナレッジの解剖図鑑シリーズの1冊として2020年12月に刊行されている。裏表紙の折り込み部分に、4冊の解剖図鑑の広告が載っているので、本書が第5弾なのかもしれない。
 新聞広告で最初に目に止まった『源氏物語解剖図鑑』を私は先に通読した。その時はシリーズの何冊目かは意識していなかった。

 本書もまた解剖図鑑シリーズの一環として、本文・説明とイラストがうまくコラボした図鑑である。「百人一首」への入門書として読みやすいのではないかと思う。何と言っても、イラストや図がふんだんに使われているので、それがワンクッションとなり読み手にとって百人一首の世界に入って行きやすいと思われる。
 一方で、本文並びに説明は、教養書の水準として遜色はないと思う。百人一首の歌の語義を含め解釈・訳を主体にした百人一首本が文庫本として数多く出ている。例えば、学者による解説本だけで、少なくとも、島津忠夫・久保田正文・安東次男・有吉保・鈴木日出男・吉海直人、各先生の著書が各社から出版されている。手許の書棚にある文庫本を出版年次順で列挙してみた。それらと対比すると、本書は歌の解釈を掘り下げて説明するという方向性とはスタンスが明らかに異なっていておもしろい。

 そこで、通読した感想を含めて本書の構成とそのまとめ方をご紹介したい。
 序章では、百人一首の背景情報として基礎的なポイントを簡潔に解説しているので、入門書として入り込みやすいと思う。たとえば、「定家は恋と秋がお好き」という見出しで歌のテーマと詠んだ場所をそれぞれ分類して円グラフ表示にしている。「日本全国が舞台」と、地図で当時の国名を示し、地域別円グラフが示してある。
 「和歌のツボは4つの表現手法」だとして、「枕詞・序詞・掛詞・縁語」という表現方法があることや、見立てと本歌取りということにも触れている。
 尚、第97番目の定家の歌の見開きページでは、「本歌取りのルール」があったことと、具体的なルール内容を箇条書きで説明している(p177)。本歌取りの意味は知っていたが、ルールがあることやその内容までは知らなかったので、私には大いに参考になった。
 なぜ、百人一首が生まれたかの経緯もまずふれてある。百人一首と『百人秀歌』の違いにも言及している。百人一首に関わる氏族と詠者の身分の大枠もまず説明されている。百人一首は歌枕を詠んでいるものが多意という点も序章で触れている。
 序章の最後に、「本書の見方」を説明し、ページの構成について説明している。

 「和歌は本来上の句と下の句とを分けて理解するものではない」と「はじめに」で述べる一方で、漫画『ちはやふる』世代や、かるたが上の句と下の句を分けていて、それに親しんでいる点も考慮している。1ページの下半分に『百人一首』の歌の上の句と下の句それぞれの意味をイラストで表現し、その傍に、一首の歌を解釈した訳文が添えてある。絵のイメージと訳文の相乗効果を生んでいる。読みやすくなっている。ページの一番下に、主要語の語釈も記載されている。だが文字が小さいのが難点。若者には支障がないだろうが、高年齢者にはちょっときつなぁ・・・・と感じる。
 ページの上半分には、当然ながら歌番号・作者・和歌がまず右上に記されている。その続きに、その歌がどういうテーマを扱ったものかについて、詠者の意図とその背景が簡潔に解説されていく。歌の解釈とその文意の現代語訳に相当するものが最初にくるのではないという構成がおもしろい。その部分はページの下半分なのだ。
 また、この下半分には、詠者の家系図も簡略に図解されている。
 
 一首を見開きの2ページでまとめているものと1ページだけでまとめているものがある。見開き2ページを使用する箇所では、各歌の時代背景、逸話、歴史などの関連事項が、またその時代の社会的背景、政治体制、関連する文学的知識などが図解され説明されている。家系図や人間関係を図解し、詠者間の関係性がイメージしやすいように工夫されている。
 例えば、第1番天智天皇だと、「理想の天皇像」「平安王朝のルーツ」「Topics 権力の変遷①律令」「ファッションも質素?」という見出しで図解・説明されている。第4番山辺赤人だと「富士山は煙をあげる活火山」「長歌と反歌」。第21番素性法師だと、「有明の月と月の満ち欠け」「貴人が僧になる理由」「皇族・摂関家出身の高僧」。第35番紀貫之だと、「土佐日記の作者」「貫之と『古今集』」。第56番和泉式部だと、「華麗なる和泉式部の恋の遍歴」「女房の名前のルーツ」。第57番紫式部だと、「百人一首の影響を与えた『源氏物語』」「親子で活躍、娘も女房」。第77番崇徳院だと、「保元の乱の勃発」「百人一首の天皇たち」「Topics 権力の変遷③院政」・・・・という具合である。イラスト+説明なので、とっつきやすいと言える。
 
 百人一首を第1番から第100番まで順次取り上げている点は同じだが、撰者の藤原定家が撰歌を基本的には時代順に並べている点を踏まえて、年代区分を加えた編集をしている。
 <1章 飛鳥・奈良時代>(1~7)、<2章 平安時代前期(律令期)>(8~25)、<3章 平安時代中期(摂関期)>(26~64)、<4章 平安時代後期(院政期)>(65~92)、<5章 鎌倉時代>(93~100)という具合である。こういう時代の区切りでの解説書は初めて目にした。(括弧内の番号は百人一首の歌番号)
 
 各章末尾には、1ページのイラスト入り解説コラムがある。章順に見出しをご紹介しておこう。「和歌のはじまり」「六歌仙と三十六歌仙」「出典となった勅撰集」「百人一首と歌かるた」「日本独自の平安装束」が取り上げられている。

 巻末には「百人一首歌人年表」と「百人一首歌人の系図」が掲載されている。

 百人一首の各歌とその歌が生み出された社会的政治的文化的な時代背景を総合的に浅く広く知って、次に百人一首の世界に一歩深く入っていく上で、便利で役立つ図鑑だと思う。
 
 ご一読ありがとうございます。

本書からの波紋として、百人一首について得られるネット情報を少し検索してみた。一覧にしておきたい。
ちょっと差がつく『百人一首講座』  :「小倉山荘」
小倉百人一首一覧   :「近江神宮」
百人一首  :ウィキペディア
百人一首 おはなしのくにクラシックス :「NHK for School」
百人一首全首一覧と意味、解説。小倉百人一首人気和歌ランキングベスト20も!:「四季の美」
藤原定家  :ウィキペディア
藤原定家  :「コトバンク」
「小倉百人一首」のプロデューサー【藤原定家の生涯】(前編)   YouTube
「小倉百人一首」のプロデューサー【藤原定家の生涯】(後編)  YouTube
令和和歌所  ホームページ
  百人一首の物語
  和歌の入門教室(修辞法)「掛詞」
  和歌の入門教室(修辞法)「縁語」
和歌入門附録 古典的修辞法 枕詞  :「やまとうた」
序詞とは  :「短歌のこと」
歌枕    :ウィキペディア
歌枕の一覧 :ウィキペディア
[古典] 小倉百人一首ゲーム!! Ver 2.27 ⇒小倉百人一首が無料で遊べるゲーム
「ちはやふる -上の句・下の句-」予告   YouTube
「ちはやふる -結び-」予告 YouTube
ちはやふる展  公式サイト

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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『源氏物語解剖図鑑』 文 佐藤晃子 イラスト 伊藤ハムスター X-Knowledge



『布武の果て』  上田秀人   集英社

2022-09-07 15:48:16 | レビュー
 「布武」という言葉は即「天下布武」を連想させ、その先に「織田信長」を想起する。本書は、正に信長が天下を掌中にせんとした経緯を描く。「小説すばる」(2020年3月号~2021年1月号、3月号)に連載された後、加筆・修正を経て、2022年5月に単行本が出版された。

 この小説はその構想がおもしろい。織田信長が天下布武のために合戦の場そのものに身を投じるという姿を描かない。天下布武のために信長がどのように考え、どのような戦略で合戦を積み重ねたかについて描かれる。だが、そのプロセスは、いわば兵站の視点、ロジスティクスという視点から描かれることになる。天下布武を描くのにこういう視座があったか、と読者に思わせることは間違いない。

 主人公であるはずの織田信長が凖主人公となり、堺の3商人が主人公となって前面に現れる。逆にそれは戦国時代において信長の突出した戦略眼と先見性が堺に楔を打ち込む様を示すことになる。信長が戦国時代を制する重要な要因となったのは鉄砲であり、鉄砲がその能力を発揮するには、硝石を潤沢に確保できることが大前提になる。硝石は国内では産出せず、明(中国)や南蛮との交易でしか入手出来なかった。鉄砲の出現により、戦い方が急転換した。鉄砲と硝石が戦いにおける勝因のボトルネックとなっていく。ここにこのストーリーの根っ子がある。

 堺の3商人とは誰か。今井彦八郎、魚屋與四郎、天王寺屋助五郎である。今井彦八郎がそのリーダーである。彼等は堺という自治交易都市を運営する納屋衆10人の中枢的存在になっている。この3人の名前だけで、ある連想が即座に働けば、あなたは戦国期の茶湯の世界に親しみと関心を抱いていることだろう。今井彦八郎=今井宗久、魚屋與四郎=千宗易、天王寺屋助五郎=津田宗及である。

 このストーリーは、今井彦八郎宅の茶室で彦八郎が魚屋與四郎と茶を飲みながら語り合う場面から始まる。堺の港への唐船の入港話から始まり、興福寺の塔頭一乗院の門跡から還俗した足利義昭が、織田上総介(=信長)に奉じられて京に上洛した経緯話が展開していく。大商人たちにとり茶会は便利な場であった。茶室という周囲から孤絶した環境で密談・情報交換を行うには最適の空間だった。多分、その効用が茶の文化を進展させる一因にもなったのだろう。
 信長が上洛を果たし、天下布武を鮮明にする時期からストーリーが始まる。だが、それは、今井彦八郎と魚屋與四郎の2人が茶室でそれぞれが情報を持ち寄り、天下の情勢を分析し、予測するという形で描かれる。彼等の会話を介して読者には戦の進展がわかるという構造になっている。
 この小説では、信長の天下布武への過程で行われた史上有名な合戦が生々しい戦闘描写を交えて描かれることは全くない。合戦の状況は入手された情報の経緯分析として描き出される。今井彦八郎と魚屋與四郎は、常に、堺並びに自分たちがどのように動けば、堺の存在を守り、己の身も安全であり、商売の儲けにつながるかという視点から語る。ストーリーの途中から天王寺屋助五郎も茶室での密談に加わるようになる。
 というのは、堺の納屋衆のトップクラスで、名の知られた茶人である彼等3人は、信長の命で茶堂衆に組み込まれたのだ。情報交換を密にする必要に迫られる。彼等が判断と行動を誤れば、その命は信長の意次第なのだから。

 堺は信長に屈して、2万貫の矢銭上納と堺に信長の代官を受け入れることになる。代官の常駐は堺が実質的に信長の領地とみなされるとともに、堺で生産される鉄砲、輸入される鉄砲と硝石が信長の管理・統制下に入ることを意味する。信長の最大の強みは、信長が堺商人に対し、商品としての鉄砲、硝石等に対価を支払ったことである。召し上げるという手段を取らなかったことである。商人達は商売として対応できた。因みに、当時鉄砲一丁はおよそ30貫が相場だったという。

 このストーリー、いわば大きな合戦がどのような状況・勢力関係の中で展開されているか、また勝敗を決した因はどこにあったかなどが、今井彦八郎、魚屋與四郎、天王寺屋助五郎の間での茶室会話という形で描き出される。今井彦八郎は直接に信長の面前に伺候して彼の要求を聞き、情報を聞き、対応を迫られる。読者はいわば、裏話と情報分析とこれからの戦の予想を聴く立場に置かれる。勿論、交換される情報は、3人がそれぞれの伝手を使って収集した情報だけでなく、3人が信長に認められた茶道衆、茶匠という立場で、諸大名と茶会の場を通じて自ら収集した情報が含まれる。彼等はそれをもとに談義する。そこでの判断は、彼等の堺商人としての生死に直結していく。
 もちろん、3商人と主要な武将との茶会での交わりは、信長には独自の経路・手段でその事実が伝えられる。それ故、信長の茶堂衆として、彼等は茶会での話を速やかに信長に伝えざるをえない。いわば、3人は反面で信長にとってのスパイの役割を担わされていることになる。時には、信長の思いの代弁者、メッセンジャーにもなる。この辺の絶妙な関係が興味深い。

 次の下りが書き込まれている。(p319)
 当初茶の湯に傾倒していた織田信長だったが、そこに新たな使い道を見いだしてから、あまり今井彦八郎たち茶堂衆を招かないようになっていた。
「茶室を密談の場としてつかうくらいは、別段ええねんけどなあ。茶室は別の世界や。世間での名声や力とは関わりなく、大名と商人が一つところで静かなときを過ごす。狭い茶室だからこそ、他人を受け入れ、受け入れられるという喜びが味わえる。本来、お茶というのに決まりはない。そのとき一緒だった人と、静かで豊かな思いを共にすればええ、ただそれだけのもんやのに・・・・茶会を開くにも織田はんの許しが要るなんぞ」
「それに最近は、手柄を立てた部将への褒美として、知行地ではなく、茶器をお与えになられているとも聞きますし。そんなことをされては、茶道具の値が狂います」
「国一つの茶碗とか、首一つの花挿しとか、勘弁して欲しいですわ」

 信長の「御茶湯御政道」についての一端の会話になっているが、一方で、信長自身の立場からなぜこの政策が採り入れられたかの必要性を裏話風に言及していておもしろかった。

 鉄砲と硝石をコントロールできるということが、どういう重要性を意味するか。そのことがよく分かる。今まで信長ものの小説を読み継いできた範囲では、正面切ってこの点に着目されることはあまりなかったように記憶する。戦闘描写で鉄砲の扱いが描かれてはいても・・・。

天正2年(1574)正月、越前で騒動が起こり、一向一揆勢が越前を支配するようになる。この頃から、堺に本多弥八郎が鉄砲を求めて、しばしば訪れるようになる。この本多に今井彦八郎たちは対応を迫られる。彼は徳川家康の許を辞し、一向一揆の側に入ったと云う。勿論、今井彦八郎たちは相手にしない。だが、その本多弥八郎が家康の許に戻ったという噂の後に、再び堺に来たり、今井彦八郎たちにある事を告げる。
 著者は、独自の仮説をこのストーリーに織り込んでいく。そこにフィクションのおもしろさが生まれて行く。本多弥八郎は、このストーリーの後半で重要な役割を担う立場になっていく。後半での本多弥八郎の出現が、一種の隠し球となっていて興味深い。その内容は、本書を開いてお読みいただく必要がある。

 本書のタイトルは、「布武の果て」。「果て」という語句が示す通り、このストーリーは、本能寺で信長が水色桔梗の旗印を背にした一軍に襲われ最後を遂げたという記述で終わる。それは、信長の命令を事前に受けていた今井彦八郎たちが、安土城の後に京を経由し堺に遊山として訪れた徳川家康を接待している頃であった。
 家康が堺を訪れていた事実について、著者独自の解釈を加えているところでこのストーリーは信長の死をもって終焉する。それは、史実の空隙部分について読者の想像力に託すエンディングとなっている。

 堺商人の立場から信長の天下布武を描くという発想とストーリーの展開が新鮮であり、読ませどころである。併せて後半で著者が一つの仮説を持ち込んだところが、このフィクションの醍醐味となっている。
 もう一つ、天下統一ということに関連して、「権に囚われる」「権に魅了される」という心理的側面にも触れられている。還俗して足利将軍になった足利義昭が権に囚われる愚かさが無益な戦を次々に引き起こす点に触れる。ストーリーの最終段階では、信長自身が権に囚われ始めたものとして描き込まれる。
 
 信長の天下布武について、その読み解き方として実におもしろい。ユニークな視座からストーリーづくりがなされている。本書はロジスティクスの観点から眺めた天下布武の進展状況が主体になる。戦と兵站の関係性がクローズアップされている。堺の大商人達がマクロの情勢分析を鉄砲・硝石・武具・米などの物量面から眺め、戦略論レベルで語り合う。そこには、机上の空論はなく常に金儲けに直結した実務的な裏打ちがあり実におもしろい。
 
 ご一読ありがとうございます。

本書に関連してちょっとネット検索した事項を一覧にまとめておきたい。
第50話 織田信長(1534~1582年) :「関西・大阪21世紀協会」
     :ウィキペディア
会合衆   :ウィキペディア
4.会合衆の会所・書院跡  :「堺市」
今井宗久  :「コトバンク」
今井宗久  :ウィキペディア
津田宗及  :「コトバンク」
第51話 津田宗及(生年不詳~1591年) :「関西・大阪21世紀協会」
第57話 千利休(1522~1591年)     :「関西・大阪21世紀協会」
茶道とは。何モノか。その4 世界の港湾都市大坂堺 :「Kyoto Love.Kyoto」
御茶湯御政道  :ウィキペディア
御茶湯御政道 by 岡崎匡史 June 13th, 2020 :「PRIDE and HISTORY」
南宗寺   :「堺観光ガイド」
堺歴史散歩「三好一族と堺幕府ゆかりの地」1名から催行 :「堺観光ガイド」
三好長慶  :ウィキペディア
三好三人衆 :ウィキペディア

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『すゞしろ日記』  山口 晃  羽鳥書店

2022-09-06 09:49:36 | レビュー
 著者は画家である。『日本建築集中講義』(中公文庫)という共著本(藤森照信・山口晃)を読んだ時にこの画家を知った。それ以来、著者の作品を読み継いでいる。本書は2009年7月に出版されている。手許の本は、2013年5月の第5刷である。

 まず、「すゞしろ」から始めよう。表紙をご覧いただくとわかるが、「すずしろ」は春の七草の一つで「大根」の古名だそうだ。本書を手にすることで、「すずしろ」という言葉が大根であることを遅ればせながら知った。

 『すゞしろ日記』は絵日記。日常の何気ない事柄を題材にしたエッセー漫画である。
 著者が「端書き」で簡潔に記している。「そもそもすゞしろ日記は、『国内編』『洋行編』を展覧会用に製作したのが始まりだ。鼻持ちならない贅沢な絵描きの生活と、それを受けてのオチを日記風に描いたもの。大根と云う野暮ったい響きをすゞしろと美しげに言いかえる様に、味気ない日常を賑やかしく妄想する侘しさを題に託したのだ。」と。
 これが契機となり、「すゞしろ日記」がいくつかの媒体を介して、描き継がれて行く。それをまとめて一冊にしたのが本書である。

 本書は三部構成になっている。各部のポイントと感想などをご紹介しよう。

<Ⅰ 元祖すゞしろ日記>
 まず冒頭に、展覧会用に製作された『すゞしろ日記』が元祖として掲載されている。「国内編」と「洋行編」がセピア系のモノクロ画で、それぞれ二つ折のページになっている。この二作を拡げると、4ページ分の見開きとなる。両日記編の裏にあたるページに「斗米菴双六 ザッツマイウェー」という双六として使える漫画が載っている。出だしから楽しませる。斗米菴とは伊藤若冲のこと。
 この元祖すゞしろ日記のおもしろさは、それぞれに著者による解説ページが付いていること。そして、「国内編」と「洋行編」の各左下隅には、小さくオチの絵と吹き出しが描この部分、見落としてしまいそう。それがもう一つのユーモアにつながる。作品を見る人がオチ部分に気づかず、思い込み、誤解をする可能性・・・・・その含みがおもしろい。
 その後に、「白州探訪乃記」(サントリーの蒸溜所見学日記)、「当世絵かき気質」(画家の生き方をツリー型選択肢形式で絵解きする)、「アトリエ探訪」(理想と現実のコントラストをおもしろく・・・・)、「美術手帖版すゞしろ日記」(本阿弥光悦とは何者かを絵日記風に)、さらに、「仏像の歴史」「慶派台頭」「私的ラジオ生活」「プリンツ21版すゞしろ日記」がつづく。こちらの作品群はカラー版漫画である。

<Ⅱ UP版すゞしろ日記>
 東京大学出版会PR誌『UP』に2005年4月号から「すゞしろ日記」の連載がスタートしたという。なんとこれが2009年5月号までで50回の連載となった。
 第1回のコマ漫画がまず連載主旨(?)の一端をオープンにしている。
 編集の方から内容については「何でもいいから、気楽にどうぞ」と言われるところから始まったと書き込み、「なるべくどうでもよい事を書こうと決めて再度筆をとる」と舞台裏をのっけから明らかにしていて楽しい。第1回は風呂に入ることの功罪をとりあげている。「風呂は入るほど汚れる」なんて体験を論じていて、併せて洗顔と化粧を引き合いに出し、第1回から奥さんを登場させている。この日記、奥さんをネタにして、あるいは奥さんに託して書いている部分が話材として結構おもしろい。だが、それが奥さんにとっては周囲に誤解を生む原因になって、腹を立てるところまで行ったようだ。腹を立てられた経緯がまた、すゞしろ日記の話材に転換させられていくのだから、一層おもしろい。
 どうでもよい事を書いていくと宣言しながら、たしかにどうでもよいような話材もあるのだが、その中に、画家である著者の視点が、キラリと光るメッセージが織り込まれていたりする。さすが・・・・とうなずける。
 いくつか抽出してみよう。
*ケッキョクは徒らになげくのもむやみと面白がるのも同じこと。軸足をずらす事で其の時々に見えたものを、ただ見る事から始まる。  第2回、p37
*実感と云うのは「虚」ではあるのだが、それなしでは「実」を認識できない。 第3回、p39
*日暮里の高台にのぼると、・・・・・道路沿いに連なるマンションが収容所のカベの如く街区をとりかこんでいる・・・・・。  第5回、p43
*技巧と云うのは雑味を消すためにある。用うべき技巧をこらした絵は人為が消へ、絵のむう側がみへる。  第14回、p61
*静けさと、最低限必要な時間をとるのが、美術品と向きあう第一歩だ。 第16回、p63
*リアリティが像を結ぶ地点と云うものを考えると、むしろ虚像や形式の方が有効であったりする。「そのもの」で無い故に依りしろたりうるのである。  第37回、p107
*鏡のように写しとって、何をするかと云えば--嘘をつくのである。・・・・技術に長けるほど、大きな嘘がつけるのだ。  第38回、 p109
*生きている人間はそれこそ生臭い。生きているとは、そう云う事で、おうおうにして、何を成したかよりも、その「生臭さ」がその人となる。  第40回、p113
*スケッチはバカみたいに描き写すのだが、「バカ」と「いい加減」は違う。バカは誠実である。  第43回、p119

<Ⅲ すゞしろ日記大山崎編プラス>
 2008年12月から3ヵ月間、京都府のアサヒビール大山崎山荘美術館で著者が個展「さて、大山崎展」を行った。この個展開催準備に伴う顛末を日記にしたものである。「OH!ヤマザキ版」、「さて、大山崎」を「すゞしろ日記」に冠した絵日記が収録されている。
 併せて、カラー版で、「大相撲観戦の記」と「簫白エピソード集」という特集のための原画が収録されている。これも漫画の一種になるのだろう。なかなか味わいのある絵である。
 本書の末尾には、「芸術カフェー乃圖」と「モーニング25周年表紙原画」が収録されている。本書をピシッと締める秀逸な絵になっている。

 最後に少しネット検索をしてみて気づいたことにふれておきたい。
  東大出版会のホームページで、PR誌『UP』の2022年9月号に関するページ、「UP 2022-9」を見ると、主要目次の最下行に「すゞしろ日記 第209回 山口 晃」の一行がある。現在もこの日記が連載されている! 
 そこでさらに一歩踏み込んで調べたら、『すゞしろ日記 弐』(2013年)、『すゞしろ日記 参』(2018年)が出版されていた!
 今後の読書目標に加えることにした。

 ご一読ありがとうございます。


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『親鸞 全挿画集』  山口晃  青幻舍
『ヘンな日本美術史』  山口晃  祥伝社

『日本建築集中講義』  藤森照信 山口晃   中公文庫

『Curious George Goes to the Hospital 』 MARGRET & H.A.REY Houghton mifflin Harcourt

2022-09-05 09:50:11 | レビュー
 「Curious George」シリーズの1冊。1966年の著作権表示があるので、この年に出版されたのだろう。この本も英語絵本の電子書籍版で読んだ。シリーズの第7作で、H.A.REY の生前における最後の作品である。「Read-Aloud ebook」として、ナレーションが入っている。

 タイトルにある通り、ジョージが病院に入院する羽目になり、病院では彼の好奇心が災いして、大きな騒動を引き起こすというお話。だが、その騒動で、今まで笑わなかった入院患者の女の子が大きな声で笑うというプラスの効果があった。その笑いが騒動の場の人々に伝搬していき、大きな笑いの幸せが生まれジョージは情状酌量というハッピーエンドに。最後に、もう一つのオチがある。

 ジョージの友達、黄色帽子の男の机の上に、大きな箱が置かれていた。好奇心旺盛なジョージは、箱の蓋を開けて中身を見る。様々な色と形の小片が入っていた。キャンディーのように見えたので、ジョージはその小片の一つをつかみ呑み込んでしまった。
 家に戻って来た黄色帽子の男は、その大きな箱の中身はジグソーパズルだよ、と言ってジグソーパズルに取りかかる。ほぼ完成まで行くが、一片が足りない。
 探しても見つからない。探しあぐねて黄色帽子の男が言ったのが。”It can't be helped." である。辞書を引くと、そのまま成句として載っている。「仕方がないよ。どうしょうもないよ」という意味と説明が付いている。
 子供時代に絵本を通じて、自然にこんな表現を身につけるんだなとまず思った。この文を読んだとき、意味合いは想像できたが、辞書に載る説明文がすぐには思い浮かばない。つまり、この成句を身近な表現として知らなかったのだ。

 絵本に記されている文は比較的やさしい構文なので、読み進めるのにさほど抵抗がない。だが、やさしい文であっても、知らない/使ったことがない単語が散見される。子供達が絵本から学ぶ単語を、今まで知らずに来たということ。子供読む絵本だからといって、非英語圏の人間には絵本をバカにできないと思う。子供達がどんな単語を自然に学んで行くかがわかる。非英語圏の大人にとっても役立つ教材になる。
 余談だが、私が初めて知った単語を列挙してみよう。tummy(おなか)、stethoscope(聴診器)、ward(病棟、病室)、transfusion(輸血)。この単語は、blood transfusion として文に出て来て、絵にも描かれているので、意味は察したが単語を知らなかった。tuck(<人を>を[毛布などで]包み込む)、ramp(傾斜路、スロープ)。また、corridor という言葉を辞書で学んで知っているものの、逆に日常で使われている単語 hallway(廊下)を学ぶことになった。

 病院の話なので、admitting office という語句が当たり前のように出てくる。admit とい動詞の一側面の意味を理解していても、この語句のような使い方には無知だった。アメリカで生活していれば自然に知る言葉なのだろうけど。
 この絵本では、黄色帽子の男が、痛みを訴えるジョージをまずかかりつけの医者に連れていく。診断をしても原因不明ということで、病院に行きX線の診断を受けるように助言される。医者は病院に連絡を入れてくれた。その結果、ジョージは病院でバリウムを呑まされて検査を受ける。異物が発見された。黄色帽子の男は画像を見て、ジグソーパズルの小片と気づく。ジョージは手術を受けるために入院することに。そこでまず行くように指示されたのが、admitting office である。入院手続き受け付け窓口である。admit を入院させるという意味で使うなんて、意識したことがなかった。
 
 ジョージは、病院の児童病棟に入院する。手術を受ける事前プロセスとして看護婦さんによる血圧測定、体温測定など病院での一連の手続きが描写される。
 One nurse was taking his temperature; one was taking his blood temperature; one was giving him a pill ("To make you sleepy, George," she said), and one was getting ready to give him a shot.
なんと、実に簡単な単語で表現できるんだろう。そんなことに気づくしまつ・・・・。
 
 手術後に好奇心旺盛なジョージがいろんなことをしでかす場面が続く。それらがおもしろおかしく描かれて行く。
 ギブスをはめた子が車椅子に乗っている。その子がギブスを外して歩行を試みることになる。空になった車椅子にジョージは乗ってみたくなる。それが騒動を引き起こす。
 この車椅子、なんと go-cart という言葉で表されている。ああ、こんな風にも使えるんだ!
 
 ジョージが退院する最後の場面で、病院の窓から子供たちがジョージに手を振って別れの挨拶を送ってくれる。 waving goodbye と記されている。wave ⇒名詞:波、動詞:揺れる、波動する、なんて覚えていた私には、頭にガツン。「手を振って合図する、あいさつする」という意味があったんだ・・・・と。

 ますます、絵本の効用を知ることに・・・・。
 大人にとっても、絵本はおもしろい。英語学習、英語リハビリ学習の友にもなる。

 ご一読ありがとうございます。


 こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『Curious George Learns the Alphabet』 H.A.REY Houghton Mifflin Harcourt
『Curious George and the Birthday Surprise』 MARGRET & H.A.REY Houghton Mifflin Company
『Curious George Goes to a Movie』 MARGRET & H.A.REY Houghton Mifflin Company
「Cinderella」 Retold by Casey Malarcher illustrated by Necder Yilmaz Compass Publishing
THE LION KING Adapted by Kathryn Collins Disney PRESS


『脱北航路』  月村了衛   幻冬舎

2022-09-04 11:31:07 | レビュー
 新聞で出版広告を見て関心を抱いた。かなり前に『土漠の花』を読んでいた作家の作品ということでの関心もあった。一番の関心は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)からの脱出(脱北)をテーマとしている点にあった。どのようにフィクションとして扱うのだろうかという関心だ。本書の奥書を読むと、「小説幻冬」(2021年6月号~2022年1月号)に連載の後、加筆、修正し、2022年4月に単行本が刊行されている。

 テーマは脱北と日本人拉致問題。着想はシンプルである。北朝鮮からの集団脱出を扱う。何処へ向かうか。それは日本。
 このテーマと着想をどのように扱うか、そこから著者の構想が広がりを見せて構築されていったのだろう。シンプルな着想に緻密な肉づけがなされ、納得度のある諸事象の動きが組み込まれて行く。

 集団脱走のルートは? 陸路ではなく、海路が選ばれる。
 海路での集団脱北がそう簡単にできるのか。何を使うのか。潜水艦による脱出とは・・・・。度肝を抜く手段と言える。
 何処へ脱出するか。日本へ。なぜ、日本なのか?

 潜水艦という手段では、潜水艦自体の性能、操艦態勢を左右する脱出に加わる人数とその能力、武器並びに関連物資等を総合すると、亡命先までの距離にまず物理的限界がある。さらに、潜水艦が日本の領海を侵犯する時点で、亡命だと日本国に認められることが必須になる。そうでなければ、国際問題、ひいては戦争を誘発する原因になりかねない。
 亡命であることを鮮明に印象づけるには? そこで拉致被害者の存在が浮かびあがる。それも拉致被害者として日本国内で周知されている人物であることが、速やかな亡命交渉の条件になる。

 ストーリーは、総政治局敵工部所属辛吉夏上佐が、新浦港から内陸部8kmほどの地点にある第48特別招待所に<1号命令>を携えて訪れる場面から始まる。吉夏は、この特別招待所から、兒170号と称される初老の婦人を連れ出すために来た。彼は金正恩直々に発せられる最高機密命令書を偽造して大胆な行動をとる。
 この時、共和国(北朝鮮)は陸海空軍による大規模な合同演習を計画していた。それが間もなく開始となる刻限が迫っていた。各部署では演習準備が完了し、開始までのカウントダウンが始まっていた。
 新浦港に停留する潜水艦11号は0300にこの合同演習に参加し出港するための準備と待機中だった。艦長は桂東月(ケ・ドンウォル)大佐。副艦長は洪昌守(ホン・チャンス)上佐。機関長は白仲模(ペク・ジュンモ)上佐。航海長は弓勇基(クン・ヨンギ)少佐。通信長は呉鶴林(オ・ハクリム)大尉などである。彼らは桂東月艦長が全幅の信頼を置く部下である。
 直前には、演習用航海図に訂正を加えることが周知されていた。

 辛吉夏上佐は、本来の[中隊政治指導員]という身分証明書を示し、新浦港のゲートを通り抜け、潜水艦11号に政治指導員として乗り込んだ。その際に、金正恩同志のご発案による極秘訓練だと称して、円筒形バッグに収納された状態のゴムボート6艇と大きくて重そうなトランクを潜水艦に搬入させた。

 潜水艦11号は、西側でロメオ級と呼ばれる旧式の033型攻撃型潜水艦である。全長76m、乗組員数54。8発の魚4型魚雷と10発の機雷を装備する朝鮮人民軍の主力潜水艦であるが船体は老朽化している。
 
 つまり、この潜水艦11号が桂東月艦長の指揮の下に、この合同演習から離脱して脱北する。艦長が全幅の信頼を置く乗組員幹部は事前に脱北に合意していた。桂東月には脱北を決意する重大な原因があった。辛吉夏にも彼個人の脱北理由があった。政治指導員の立場を利用し、彼は桂東月の怒りの原因を知っていて、桂東月に千載一遇の機会を利用することを持ちかけたのだ。
 潜水艦11号の乗組員には、合同演習への参加としか知らされていない者が大半である。その問題をどう処理するかについては、桂東月艦長と辛吉夏の脱北計画に組み込まれていた。

 本書は、<第1章 新浦港-出港の夜>、<第2章 新浦東240km-死闘の昼>、<第3章 隠岐島西北60km-絶望の朝>という3章構成になっている。

 このストーリー、ボリュームの大半は、潜水艦11号と共和国軍との戦闘描写となる。なぜなら、辛吉夏上佐が兒170号即ち日本人拉致被害者を連れだし、潜水艦11号に乗り込んだことは少しのタイムラグで発覚する。また潜水艦11号が合同演習の予定航路と異なる動きをとっていることも、合同演習計画の本部ではキャッチできるからだ。
 合同演習計画参加の陸海空軍のどこまでの範囲が直接関与するかは不詳だが、演習はただちに潜水艦11号の拿捕あるいは撃沈という実戦に切り替えられる。つまり、潜水艦11号は追われる立場となる。ある時点から戦闘が必然化していく。
 潜水艦の戦闘シーンがこのストーリーの幾度かの山場として描写されていく。

 潜水艦11号が隠岐の島西北60kmに達した時点では、命令を受けた羅済剛(ラ・ジェガン)大佐が指揮する潜水艦9号が、潜水艦11号を撃沈すべく日本のEEZ(排他的経済水域)を侵犯して追跡し、戦闘に及んでくる。潜水艦9号の方が優れた装備を有していた。日本の領海内で北朝鮮の潜水艦同士が戦闘状態に入っていく。
 潜水艦11号が隠岐の島西北60kmに位置した時点で、桂東月艦長は潜水艦11号の亡命希望を表明し、拉致被害者であった広野珠代さんにも救出の発信を併せてさせた。広野珠代さん本人と証明できるような内容での救出要望の発信だった。
 この事態に日本の政府、並びに海上自衛隊はどう対応するのか。
 海上保安庁の巡視船いわみはこの発信を受信し、現場海域に向かう。

 このストーリーのクライマックスは、涙なくしては読めないと思う。それほど感情移入してしまう場面構成と迫真の描写になっている。
 このストーリー、読んでいただきたいと思う。仮想状況の設定事例とは言い切れない。

 前半でストーリーの背景として、専ら北朝鮮の政治体制とその中に見られる腐敗体質、社会体制の問題事象が描き込まれる。
 一方、第3章は、日本のEEZという領海内に亡命希望の潜水艦が出現し、さらに領海侵犯をして撃沈行動に及ぶ潜水艦の出現と、潜水艦同士の死闘が描かれる。そこには、明らかに拉致被害者の一人が片方の潜水艦に乗船している特殊事情が加わっている。この状況に日本はどう対応するのか。著者が想定する一つの仮説を背景に、日本側の対応にリアリティを感じさせる形で描き込まれていく。そこにはあなたはどう思うか・・・・読者への問いかけすら含んでいる気がする。
 
 著者がこの状況設定に関連して、記述している視点を長くなるが引用しておこう。それはこの海域現場に行った海上保安官の思いとして記されている。
「国際VHFを受信した誰かがSNSで発信したのだろうか。
 本来それは違法行為に該当するおそれがあるのだが、何もかも承知の上で実行した人たちがいたとしてもおかしくはない。今の時代、一度ネットに流れた情報は瞬く間に拡散する。・・・・・・・
 こうなると誤報であったと否定するのも困難だ。世の中を見ようともしない政治家達は一昔以上も前の感覚で、簡単に揉み消せると本気で考えていたのだろうか。いや、むしろ一昔前なら大きな社会問題となったはずの事件も、今や政府与党にとってはなんの脅威でもなくなってしまった。政治家は自分達の不正を堂々と隠蔽し、恥じることもなく虚偽答弁を繰り返した。まるで私物の日記であるかのように公文書を無造作に改竄し、法律どころか憲法まで無視して政権を維持してきた。司法さえまともに機能せず、権力者による明らかな犯罪が裁かれることすらない。国民もマスコミもそのことに慣れきって追及しようともしない。正常な感覚が麻痺したまま常態化したのだ。だからこそ今回も、政治家は自分達に都合よく事を運べると甘く考えていたに違いない。
 いずれにしても、そこには拉致被害者に対する共感どころか一片の関心も見出せない。最初からなかったのだ。与野党を問わず、日本の政治家には。・・・・・・・・・」(p299-300)
 
 ここには、読者がこの小説を離れたとしても、日本の現状を考えるための視座が含まれていると思う。この引用部分を納得して読めるところが哀しいこととともに、日本の将来に対する警鐘でもあると感じてしまう。

 もう一点、触れておかねばならない一筋の底流がこのストーリーに流れている。それが最終局面で大きな影響力を及ぼしていくことになる。
 それは、元島根県警の巡査部長で今は交番指導員となっている岡崎誠市、島根県波子港の老漁師である山本甚太郎、今はある財団法人の理事を務めているが、45年前には海保第八管区の巡視船みうらの主任航海士だった五月女武夫の3人に共通する。彼等3人はそれぞれ違う立場に居ながら、45年前の拉致問題に対して、それぞれが痛恨の思いを胸に抱き続けて生きてきたのだった。言い知れない重みを彼らの人生にひきずってきたのだ。その痛恨がこのストーリーの底流に流れている。

 ご一読ありがとうございます。

本書からの関心の波紋でネット検索してみた。一覧にしておきたい。
ロメオ型潜水艦  :ウィキペディア
【第68回】ロメオ級  <潜水艦> :「ホビコム」
潜水艦      :ウィキペディア
北朝鮮による拉致問題とは:「北朝鮮による日本人拉致問題」(政府拉致問題対策本部)
北朝鮮による日本人拉致問題  :「外務省」
拉致問題は現在進行形の私たちの問題です  :「大阪市」
特定失踪者問題調査会  ホームページ
横田めぐみさん拉致事件から42年  :「新潟新報」
北朝鮮による日本人拉致問題啓発アニメ「めぐみ」:「政府インターネットテレビ」
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会  :ウィキペディア
救う会 全国協議会 「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」ホームページ

序でに目にとまった情報:
金委員長の視察写真から分析、北朝鮮「新型」潜水艦の危険度  :「BUSINESS INSIDER」
想像より狭くなかった! 海上自衛隊「おやしお」型潜水艦「まきしお」の内部
Living Underwater: How Submarines Work   YouTube
【ミサイル原子力潜水艦の内部】最高機密・オハイオ級の艦内構造はどうなっているのか?  YouTube
【機密の塊 3,000億円の原子力潜水艦】その内部を特別大公開!! 艦内での日々の暮らしとは?  YouTube
How does a Submarine work? / Typhoon-class submarine // The worlds largest submarine ever built.   YouTube

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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『土漠の花』  幻冬舎