遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『écriture 新人作家・杉浦李奈の推論』  松岡圭祐  角川文庫

2022-09-20 23:32:00 | レビュー
 角川文庫でライトミステリを3冊出版している新人作家、23歳になる杉浦李奈が主人公となる新シリーズ! なぜシリーズとのっけから言えるかというと、たまたま第5作になる作品を最初に読んだから。第5作で、ラノベ作家杉浦李奈という表現が突然にでてきて、何を意味するのか最初理解できなかった。ラノベがライト・ノベルの略だと、本書の冒頭文でライトミステリと記されているのを読み理解できた。第5作には、「岩崎翔吾事件」という語句が出て来た。その時は杉浦李奈が過去に関与した事件の一つというだけの抽象的理解で第5作を一旦読了していた。第5作の理解にはそれで支障がなかった。
 この第1作に戻ってみて「岩崎翔吾事件」が具体的に理解できた。これが新人作家杉浦李奈にとって、まず最初に捲き込まれて推論を積み重ねる事件なのだ。
 本書は、書き下ろし作品として、令和3年(2021)10月に初版が刊行された。
 2022年6月に第5作が刊行されているので、2ヵ月に1冊のペースでシリーズ化されていることになる。

 「岩崎翔吾事件」とは何か? 最初に結論的なことを言うなら、作家による盗作問題に杉浦李奈が捲き込まれ、その盗作の真実を推論するというストーリー。「盗作とは何か」がテーマになっている。

 東京メトロ護国寺駅の傍に在る講談社の社屋内、江戸川乱歩賞の贈呈式が行われる部屋で、杉浦李奈が岩崎翔吾と対談をする場面から始まる。李奈はライトノベル3冊の出版実績を持つだけの新人ラノベ作家。一方、岩崎は駿望大学文学部の講師で、日本文学研究の第一人者。彼が4年前に著した『黎明に至りし暁闇』は芥川賞と直木賞の同時候補作になった。受賞は逸したがこの小説は250万部超のベストセラーに。いまや時代の寵児となっていた。ライターの秋山颯人が進行役という形で、この二人が芥川と太宰について対談する場面が描かれて行く。これは李奈が岩崎という研究者兼作家の人物印象を己にインプットする機会となる。

 この小説の興味深いところは、文芸についての論議が頻出してくることである。本著者がストーリーに、このようなジャンルの話材や視点を盛り込むのは初めてではないかと思う。それが「盗作」というテーマに重ね合わせられる側面が出てくる。太宰治と芥川龍之介についての作家論やエピソードが話材として交わされる。宮沢賢治の作品についても触れられる。この内容自体が興味深い知的副産物。いわば裏話的側面も出てきておもしろい。

 李奈は『トウモロコシの粒は偶数』というミステリ作品を出版する運びとなる。このとき、KADOKAWAの編集者菊池が、岩崎に出版本の帯に載せる推薦文を依頼しようというアイデアを提案した。それが実現して本屋の店頭に新刊書として並ぶ段階まで進んだ。だが直前で中止になる。なぜか? 岩崎が文芸新社から刊行した小説第2作目『エレメンタリー・ドクトリン』に盗作疑惑が突如出現したのだ。
 先週発売された『陽射しは明日を紡ぐ』(嶋貫克樹著、雲雀社刊)の盗作ではないかという指摘が、読者から相次いだ。
 そういう疑惑が出た最中に岩崎による帯の推薦文を付けるのは悪影響こそあれ、プラスはないと菊池は判断した。帯無しでの新刊が店頭に並ぶことに・・・・。李奈は愕然とする。
 嶋貫と雲雀社側は、この盗作された立場という点で十分な証拠を準備しているという。
 その渦中で岩崎が失踪した。刑事が李奈のところに聞き取り捜査に現れたのだ。
 編集者の菊池は、李奈にこの盗作問題について、ノンフィクション本を書けと持ちかけた。KADOKAWAには報道系の雑誌がないので、ノンフィクション本を出したいと言う。「ノンフィクションが売れれば、これまでの杉浦李奈の小説も動く。次の新刊にも弾みがつくよ」(p61)李奈は「次の作品のプロットを読んでもらえるなら・・・・」(p62)を条件に、突然、ルポライターに転じた仕事をやる羽目になる。

 岩崎翔吾の自宅すら知らない李奈が、ルポラーターとして試行錯誤を経ながら、盗作問題の事実に肉迫していくことになる。そのプロセスがこのストーリー。
 盗作問題となった2つの作品の対比分析。そこに太宰や芥川の影響があることにも気づく。岩崎の教え子たちとコンタクトし情報収集。岩崎の自宅情報の入手と岩崎の妻への接触。雲雀社の編集者と面談し情報収集。・・・・・李奈は少しずつ、行動範囲を拡げていく。嶋貫克樹という作家を知る為に、彼の本当の処女作を読んでみる。
 岩崎の妻の許可を得て、岩崎の自宅に残されたパソコンのロック解除や削除ファイルの復元等をプロに行ってもらう。そして、予定表の一部に岩崎の行先と推定できる場所を発見する。勿論、李奈はその場所に出向いていく。
 なかなかおもしろい筋立てで岩崎探しと盗作問題が進展していく。
 失踪届が提出された程度では、警察はそれほど活発に動かない、あるいは動けない。そんな狭間で、李奈が実質的な捜査まがいのアクションを次々に打っていくという展開がこのストーリーのおもしろさになる。警察が本格的に動くのは李奈が第一発見者となった岩崎翔吾の死、その時点からである。

 この新シリーズの第1作にみられる特徴をいくつか挙げておこう。
1.ラノベ作家杉浦李奈が一所懸命に創作し、本として世に出すことに苦労をしている側面が描かれつつも、それは副次的な部分になる。まき込まれた事象・事件について、李奈が推論して解決に導いていく、そのための行動がメイン・ストーリーになる。この設定がおもしろい。
 出版業界という今までに無い領域にシフトさせたミステリーとして、新鮮な感覚で楽しめる。

2.「盗作」とは何を言うのか。どういう状態であることが問題になるのか。著作権法上の解釈をベースに、盗作が問題となる作品を媒介として、ストーリーが展開していく。
 「盗作」という問題についてストーリーを読みつつ、考えることができる。
 例えば、「・・・・(芥川の)初期の『羅生門』『芋粥』は、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』の説話を原型にしている。ただしそれらはいわば本歌取りにすぎない。盗作とは明確に異なる。・・・・」(p18)という箇所が出てくる。
 このストーリーには、盗作について、読者の思い込みの盲点をつくようなトラップが仕組まれている。この発想の部分が一番の読ませどころとなる。

3.主人公が新人作家という設定である故か、文芸論的な要素が色濃く出ている。李奈並びに登場人物に、文芸領域でのコメントを様々に語らせている。
 上記のとおり、ここには芥川龍之介、太宰治、宮沢賢治についての作品論や作風、作家に関わる裏話・エピソードなどが話材として盛り込まれている。
 例えば、「元になった作品の魂を理解したうえで書くのは、模倣ではない。芥川自身がそのように発言していますが・・・・」(p18)、「『闇中問答』は? 彼自身が剽窃を認めてる」(p19)、「たとえば宮沢賢治について、世間の人々は・・・・」「作品のイメージから、ふんわりとナイーヴな人物像を思い描きがちですけど・・・・」「実像は異なる。技巧派のストーリーテラーだったと思います。」(p20)、「夏目漱石はいった。芸術は自己の表現に始まって自己の表現に終わるものである。」(p127)、「夏目漱石の『こころ』には、著者の分裂気質がありありと感じられる。三島由紀夫も分裂気質とみられる。」(p167)、「(夏目漱石、三島由紀夫)いずれも生い立ちに難があり、母親とのあいだに愛着問題を抱えていた。」(p167)などと。
 実在した作家たちの表には見えにくい一面が垣間見えて興味深い。
 
 また、様々な作家名が要所要所で出てくる。井伏鱒二、西鶴、石川啄木、田山花袋、横溝正史、有島武郎、松田解子、吉村昭、瀧井孝作、辻邦生など。文脈の中にある種のニュアンスや雰囲気を漂わせる。作家の広がりがおもしろい。そこには著者自身の読書背景や考えが反映しているのだろう。

4.新人作家が主人公となる故にだろうか、出版業界の仕組み、舞台裏がストーリーの中に織り込まれて行く。実在する出版社名とフィクションの出版社名が混在する形で描き出される。そこには業界内の常識や慣例・習慣など、特有の内輪話、裏話的な側面が出てくる。フィクションの中でだけれど、かなり一般的な事実が取り込まれているのではないかと想像する。おもしろい。たとえば:
*出版契約書を交わすのは、本が発売されたあとなんです。 p56
*だが一方で、印刷所への入稿など、まだ仮の締め切りにすぎないと居直る作家もいる。   p114
*(出版記念パーティについて)たいていは文化人や芸能人、富豪の社長なんかが、赤字を承知でやったりする。本の出版を誇りたいがために見栄を張るの。 p146
*誰でもやることだよ。本筋から外れた部分は、とりあえず抜かしておいて、あとで書けばいい。ある程度書き進んだのち、※印を検索すれば、抜かしておいた章の位置もみつけやすい。  p270

 出版業界の裏話は、たぶんこのシリーズでいろんな形で盛り込まれていくのではないか。副次的な面白味があると思う。よくいわれることだが、業界の常識は世間の非常識という側面も含めて・・・・。
 
 さて、このシリーズも随時読み継いでいこうと思う。
 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
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