遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『孤鷹の天』  澤田瞳子   徳間書店

2014-07-01 10:32:10 | レビュー
 聖武天皇から皇位を継いだ孝謙天皇(在位749~748)の時代、光明皇太后の権威と結びついた藤原仲麻呂は天平宝宇3年(759)に太師(太政大臣)の地位に昇りつめる。「恵美押勝」の美称を賜り、55歳にして人臣として最高位の官職に就く。
 その少し前、757年に仲麻呂の専権に対立する政敵は「橘奈良麻呂の乱」にて敗れ、一掃されている。758年に、仲麻呂の亡き長男の嫁を今は妻とする大炊王が、仲麻呂に擁立されて即位する。淳仁天皇(在位758~764)である。孝謙天皇は孝謙太上天皇となる。
 本作品はこの頃から書き出される。平城京を都とする時代は、まず聖武天皇が仏教のもつ鎮護国家の思想により国家の平和と安定を計ろうとし、一方政治的には律令国家体制を形成する時期だった。優秀な官僚群を大学寮で養成し、国家運営の礎を築きつつあった時期である。だが、そこに孝謙太上天皇(以下、阿倍上皇/阿倍帝という)が道鏡を寵愛しはじめ、仏教政治色を介入させていく。それは、恵美押勝・大炊帝と対立する動きである。そして阿倍上皇と大炊帝が政事を二分するという前代未聞の状況に至る。光明皇太后の崩御は押勝の孤立化に繋がり、彼の政治的立場が弱くなる。それが恵美押勝の乱に進展し押勝の敗死、没落となっていく。大炊帝は皇位を廃され淡路島配流の憂き目に遭う。孝謙太上天皇が再び即位し称徳天皇(在位764~770)つまり阿倍帝に返り咲き、ますます道鏡一辺倒になる。彼女が崩御する少し前までをこの作品は描いていく。
 こんな時代背景のもとに、上掲の人達を含め、その周辺に様々な人物が登場し、関わり合っていく。それら登場人物が二分される政治的確執の中で、個人の欲望あるいは国家の行く末を思い描き、それぞれに己の生き様を選び取っていくことになる。本書は、その一群の人々の生き様を時代の奔流に巻き込みあるいはそれを助長させる過程の中で描き込み、織りなして行った作品である。

 手許にある『検定不合格 日本史』(家永三郎著・三一書房)は、この時代を以下のように簡略に記す。
「そ(=藤原不比等)の娘光明子は聖武天皇の皇后となった。孝謙天皇・淳仁天皇の時には、不比等の孫仲麻呂(恵美押勝の名を賜っている)が権勢をふるった。称徳天皇(孝徳天皇が再び位についた)の時、僧道鏡が天皇の寵愛を受けて勢いをほしいいままにし、太政大臣から法王の位に上り、ついに皇位につこうとまでしたが、藤原百川らは和気清麻呂を助けて、この企てを失敗させた」(p36)。また「仲麻呂は、道鏡と対立し、764年(天平宝宇8年)兵をあげて敗れ、殺された」と脚注に記す。
 この短文に凝縮された時代が、実はどのようなものだったのか。人々はそれぞれの地位・立場で何を思い、何をなしたのか。その行動がその時代にどうかかわることになったのか。著者はこの時代へのイメージ・想像力を駆使し、リアル感のある作品を創作している。この作品は、阿倍上皇の意志が全面に出て主導し、極端にいえば己の気儘な思いを政治に反映させて行こうとした視点で描かれている。道鏡を寵愛し、道鏡に良かれと独走した女性として描かれている。
 この一節がその視点であろう。「もともと彼女が道鏡を必要以上に寵愛したのは、自分を一顧だにしない押勝へのあてつけの意味が強かった。四十を超えようが、女は女である。それで彼が反省し、再び自分に忠誠を誓うなら、これまでの不埒は水に流してやらぬでもないとの女心が、たまたま手近にいた道鏡を引き入れさせたのである」と。(p138)
 僧道鏡はどちらかというと阿倍上皇の意に沿う形で付き従った人物であり、寵愛を受けたことで「勢いをほしいままにした」という権勢欲望旺盛な怪僧というイメージではない。そこに著者の阿倍上皇・道鏡観が出ていると思う。また本作品は道鏡が太政大臣の地位を得、阿倍帝が道鏡に法王位を授けたい思いを抱く段階までで区切りを付けている。家永氏との対比で言えば、著者は阿倍上皇その人と押勝の対立として描いている。このあたりが、ちょっと新鮮でもあり興味深い。というのは道鏡=権勢欲のたぎった人物=女たらし、というステレオタイプなイメージを抱いたままで、この作品を読んだせいでもある。

 この作品の読後印象は、一言で言えば諸人物の多面体構成による時代空間の創造ということができる気がする。様々な登場人物が時代と関わり、己の抱く「義」や「信条・思い」で行動していく。このストーリーのプロセスでそれぞれの人物が行動する局面が克明に描かれる中で、その局面での主人公となる。角度を少しずつ変えながら、次の局面が順次描き込まれていく。その局面の累積が他の局面と照応しながら繋がり、総体としての多面体を徐々に構成して行く。それら一群の人々が接点を共有し、相互に関わり合いを深め、強度を増した構造空間を浮かび上がらせていく。そこに登場人物のそれぞれの生き様が織りなされ、時代空間と時代の潮流が浮かび上がってくる。
 部厚い歴史教科書の中の何となく読み過ごしそうなひからびた歴史記述の数行が、この作品ではこだわりのあるリアルな人間物語に膨らんでいく。

 鷹師に調教された鷹が足革と太緒を外されて、疾く去れと鷹師から言われる。鷹はすぐには鷹師の軛(くびき)を離れて自由に飛翔することができない。鷹師は鷹に石を投げつけて去れと言う。死を覚悟する鷹師は鷹が戦の渦中に巻き込まれないように苦渋の思いを抱きながら、鷹を手放すのである。遂に鷹は己の空に飛び去っていく。鷹は天空へ、孤に戻って行く。そんなシーンが最終段階で描き込まれている。
 この作品、主な登場人物のそれぞれが、結果的に「孤鷹」なのである。それぞれの思い、信条、義に立ち、生き様を選び行動していく。己が時代と関わるために、孤鷹としての道を歩むしかないのである。時代(天)がテーマとなる作品として受け止めた。その中でどんな生き様を選択する立場(孤)をとるか。どの立場も「孤鷹」となる選択である。いずこに飛翔するにしても、それが己の道なのだ。
 あなたなら、どうします? そんな問いかけが残る作品だ。あらためて、8世紀、奈良時代に関心が湧いてきた。

時代空間としての多面体を構成する主な登場人物に簡単に触れておきたい。

恵美押勝 太師(太政大臣)として権勢をふるう人。大学寮の支援者だが意図は不純。
  阿倍上皇と対立し、光明皇太后の崩御の後、孤立化し反乱の道に踏み込んで行く。
阿倍上皇 道鏡を寵愛して、道鏡よかれと彼の地位向上に尽くす。仏教政治色に向かう
  皇位を譲った大炊帝と押勝の政治に対立する。気儘な発想での政治介入を続ける。
  律令体制の形成を掻き乱していく張本人。阿倍帝に復帰して一層問題が増強する。
  大学寮の廃止を主張。仏教の普及を図り、儒学を廃そうという考えの持ち主。
大炊王  淳仁天皇。皇位に就いたことに対し、押勝に恩義を感じる人。
  大学寮には暖かい目を向けている。阿倍上皇と押勝の板挟みで苦慮する。
  阿倍上皇により、淡路島に配流される境遇に落ちる。
  押勝亡き後、押勝派残党に担がれて行く立場となる。その道を自ら選択して行く。
道鏡 本書では寵愛に甘んじるだけの気弱な僧として描かれているように思う。
  主体性はなく、阿倍上皇の意に沿う人。眷属の人々が流れを作っていくようだ。
高向斐麻呂 藤原広子の召使い。大学寮の学生としての道を歩み始める。
  主目的は遣唐使の随員に選ばれ、広子の父・藤原清河を唐に迎えに行くこと。
  時代の奔流の中で、大学寮存続問題、大学寮での友人との繋がりなどで苦闘する。
  ある事件が契機に、出奔する羽目に。そして波乱万丈の転変を経ることに。
  斐麻呂が多面体の各局面をリンクさせる中心になっているのは間違いがない。
藤原広子 難破と唐の政治情勢で帰国できない遣唐大使の父・清河の帰国を待つ。
  宮廷に出仕する選択をし、反恵美派と見られながら、独自路線を選択して行く。
  斐麻呂のサポーター的な役割を担い、時代の変転を独自の目でとらえていく女性。
赤土(紀益麻呂)良民身分から手違いで紀寺のに登録されてに落とされる。
  文字を密かに学ぶべく大学寮に忍び込んだが、斐麻呂に発見されて関わりをもつ。
  斐麻呂とその仲間から文字を教わる過程で、かれらとの人間関係が深まっていく。
  良民だとの主張が、阿倍上皇派の耳にとまり、政策的に利用され、良民に復帰。
  阿倍上皇の側で官吏として役割を担うが、独自の価値観で様々な行動を展開する。
  古代、日本にも奴隷が存在したという事実とその有り様を再認識した。
桑原雄依 大学寮・明経科のトップクラスの学生。斐麻呂の指導者となる。6歳年長。
  大学寮先輩に見込まれて、その人の下で官吏となり活躍する。
  しかし、先輩高比良麻呂の生き様に裏切りを感じ、己の義に殉じて行く。
  斐麻呂に重要な影響を与えて行く人物。時代転換のキーパーソンの一人にもなる。
佐伯上信 斐麻呂の大先輩の学生。桑原雄依の親友。斐麻呂より5歳年長。
  明経科の儒学理念のエッセンスだけ体得する熱血漢的存在。恵美押勝派に加担。
  弓は優秀だが落第生的存在。ある時点で官から出奔。押勝の敗死後大炊王の下に。
李光庭 斐麻呂と同室になる算生。算師(計算の専門家)となるべく学ぶ学生。
  算科出身者として、技術職で生きていく。大学寮問題とは一線を画す。
  時代の政治的立場を回避することで、逆に斐麻呂などの生き方に負い目を感じる。
  斐麻呂や赤土などには、常に協力者であろうとする。己を日和見主義者と卑下する
巨勢嶋村 大学寮の直講。明経科(儒学科)の最下位教官。学生関係の雑務を担当。
  大学寮のあり方、存続に熱意を持ち、国家のための大学寮を真摯に考える教官。
  悩みつつ、学生それぞれの判断と行動を尊重する。彼にとり学生は子の如きもの。
  大学寮の廃止に伴い、儒学に関わる独自の生き方を選択していく。
張弓 大学寮所属の官の束ね。の立場から斐麻呂達を眺め、協力していく。
  の立場を前提に、己の信念と判断で学生たちとの関わりを深める。
高丘比良麻呂 大学寮出身の超エリート。大外記の職にあり、政策を立案・運営する。
  押勝のブレーンとして采配を揮う高級官僚であるが、押勝の反乱を察するや豹変。
  阿倍上皇側に寝返る形になる。太政官史生の桑原雄依は激怒し、決断するに至る。
  雄依は、比良麻呂の論文を読み敬服私淑し、比良麻呂の引きで彼の下で官吏となる
  比良麻呂の視点・価値観と信念は権力者の派閥を超えた国政運営の理念にあった。
磯部王 大学寮の万年学生の立場に甘んじ、女たらしで日々を過ごす貴族。
  長屋王の変で、父に殉じて自害した次男・桑田王の子であり、長屋王の孫にあたる
  彼は現政権から見れば、一種の要警戒人物。それを踏まえた独特の処世術なのだ。
  時折、本心を覗かせ、時代の読みを斐麻呂に教え、陰で彼を助ける人となる。
益女 赤土の妹。赤土が良民に戻る前に、あることから一足早く良民になる。
  赤土とある事件を契機に深い溝ができ対立する形になった斐麻呂は益女を訪ねる。
  度重なる内に、益女と斐麻呂の間に男女の関係が生じていく。
  このことが、思わぬ結末へとつながっていく。

 「そうとしか生きようのない人生がある」という歌詞をふと思い出した。ほかにも、藤原永手、吉備真備、白壁王、山部王、山於皇女、甘南備野、弓削浄人、三上牟呂緒、賀陽豊年などがそれぞれ、ところどころで己の定めた役割を担っていく。これらの人々にもその立場立場の設定に関心をそそられる側面がある。これらの人々を含めて、己の信念と意志でそれぞれが、その時代状況の中で、そうとしか生きようのない己の人生に突き進んでいく。
 史実の空隙に数多くの人物が創造され、その人々が実在の人物と深く関わり合っていく。歴史の闇に光があてられ、さもリアルな様相を帯びていくところが、歴史物語創作の醍醐味なのだろう。勿論そこには様々な歴史上の実在人物の一面を投影し、仮託・内包させてもいるのだろうが・・・・。
 この状況に投げ込まれていたら、あなたはどの生き方ですか? なぜですか? という問いが潜められている思いがする。
 時代背景、その制約の中で、人はそれぞれの人生を歩む。天空において人はそれぞれ孤鷹なのだろう。


 ご一読ありがとうございます。


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本作品の時代背景と関連事項を少し検索してみた。一覧にしておきたい。

系図 天皇家・橘氏・藤原氏  :「やまとうた」
  サイト・ページの一番下の系図
孝謙天皇  :ウィキペディア
淳仁天皇  :ウィキペディア
淳仁天皇陵 淡路陵  :「天皇陵」
【第47代淳仁天皇(じゅんにん)天皇】 :「邪馬台国大研究」
藤原仲麻呂 :ウィキペディア
橘奈良麻呂の乱 :ウィキペディア
恵美押勝の乱 → 藤原仲麻呂の乱 :ウィキペディア

道鏡 :ウィキペディア
道鏡 :「やまとうた」
弓削道鏡の汚名を晴らす  :「石井行政書士事務所」
  前半
  後半
弓削道鏡  :「八尾市立図書館」
道鏡 坂口安吾 :「青空文庫」

藤原清河 :ウィキペディア
藤原永手 :ウィキペディア
吉備真備 :ウィキペディア
弓削浄人 :ウィキペディア

日本の官制 :ウィキペディア
二官八省  世界大百科事典 第2版の解説 :「コトバンク」
大学寮  :ウィキペディア

保良宮 :ウィキペディア
光明宗法華寺 ホームページ
称徳天皇行宮跡   :「貴志の里<歴史散策>」


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