遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『沈黙のパレード』  東野圭吾  文春文庫

2022-09-19 23:39:36 | レビュー
 ガリレオ・シリーズの第9弾、2018年10月に単行本が刊行され、2021年9月に文庫化された。手許の文庫本は同年10月の第5刷。現在、映画の全国ロードショーが始まっている。

 東京都菊野市内にある『なみきや』食堂の長女、並木佐織は、歌の才能を見込まれ、地元では有名な資産家で若い頃にミュージシャンを目指していた新倉の許で、高校2年の時からレッスンを受けるようになった。佐織が19歳になった頃、新倉は、知り合いのプロデューサーに佐織を紹介する話を父親の祐太郎に告げた。だが、その2週間後に佐織が失踪。それから3年が経過していた。佐織の失踪の打撃からやっと立ち直り始めた両親が経営する『なみきや』食堂の場面からこのストーリーは始まる。だが、そこに、静岡県警から電話が入る。
 静岡県内の小さな町の有名なゴミ屋敷で火災が起きた。現場から白骨化していた遺体が発見される。焼け残っていたアクセサリーとDNA鑑定から、並木佐織と判断された。静岡県警と警視庁との合同捜査本部が菊野警察署に立つことになる。多々良理事官から草薙は間宮管理官とともに、この事件の捜査を指示される。ゴミ屋敷に住んでいた婆さんには一人息子が居た。蓮沼寛一。その蓮沼は、草薙が19年前に捜査に関わっていた優奈ちゃん事件の被告だった。だが、裁判で被告人は無罪となった。草薙らには痛恨の思いが残る。並木佐織の失踪は正確には3年2か月前。死体遺棄の時効は成立してしまっていた。

 菊野市では、キクノ・ストリート・パレードが今や有名になっていた。全国からコスプレをしたい人たちを集めて歩いてもらい、物語の名場面を再現するチーム戦の形式でコスプレ日本一を決めるという催しである。実施時期は10月。
 新しい研究施設が菊野市に作られたことで、昨年、アメリカから帰国した帝都大学の物理学者湯川学は菊野市に通っていて、施設内に泊まり込むこともある生活を送っていた。

 草薙は内海と共に『なみきや』に事情聴取に出かける。捜査の一環として彼等は並木夫妻に写真を見せた。夫妻はその写真の人物が、佐織に酌をさせようとしたことで出入禁止を告げた。それは3年と少し前の12月だったという。並木夫妻には捜査秘として人物名を知らせなかった。それは蓮沼寛一の写真だった。また、妹の夏美の証言で、佐織はお店に来る客の一人、高垣とつき合っていたという。両親は佐織の失踪後に夏美からそのことを聞かされていた。高垣智也や新倉直紀は佐織の関係者として、聞き込み捜査の対象になる。
 すこしずつ、佐織の周辺状況が明らかになっていく。一方、状況証拠の累積から蓮沼の部屋の家宅捜査と任意での事情聴取も行われる。

 菊野駅の近くのコーヒーショップで、草薙は湯川に4年ぶりに再会した。草薙は捜査が座礁していると言うと、湯川は愚痴を聞こうという。草薙は今回の被疑者は黙り込む男だと言い手短に概要を話す。それが湯川に興味を抱かせる契機になる。
 湯川は、草薙から聞いた『なみきや』を客として訪れることに・・・・・。

 10月のパレードに向けて、地元の菊野商店街でもパレードの準備および商店街としてのパレード参加の演し物の準備が進展していく。大型書店の跡継ぎ娘・宮沢摩耶がパレードの実行委員長を務めていて、この町の演し物についてもリーダーシップを発揮していた。祐太郎、祐太郎の友人戸島、新倉、高垣などもこのパレードに関わって行く。
 
 草薙たちの事件の捜査とパレードの準備・実施がパラレルに進展していく。読者には、当初ここにはどういう繋がりがあるのか、謎のままにストーリーは進む。パレードの準備過程が、商店街の人々の人間関係とその関係性の密度などを明らかにしていく。
 その渦中で「娘を殺された恨みを晴らしたい」という思いが、特定の人々の間で密かに話し合われるようになっていく・・・・・。
 パレード当日、蓮沼は以前働いていた会社の元同僚の部屋で死んでいるのを発見される。
 菊野警察署は蓮沼の死因の究明から着手する。草薙たちも現場に向かう。初動捜査のあと、事件は思わぬ方向に展開していく。
 当然のことながら、草薙達の捜査は、祐太郎夫妻や夏美、高垣、新倉などへの事情聴取を始めていく。それらの人々は、すべてキクノ・ストリート・パレードと何等かの関わりを持っていた。つまり、当日のパレードのプロセスでの関わりが各人のアリバイと深く関係してくる。パレードの状況が克明に再現されていく。
 その一方で、蓮沼の死因と発見現場の状況等関連事項が明らかになっていく。

このミステリーのおもしろくかつ興味深いところとして、少なくとも次の諸点が含まれていると思う。
1.恨みを晴らしたいという殺人計画が最初に表に出てくる。大凡の関係者が想定されている。普通なら善良な市民として日常生活を過ごす人々が殺人計画に関与していくことになる。このストーリーはキクノ・ストリート・パレードと絡んだ殺人者あるいは殺人者たちのアリバイ崩しが一つのテーマになっている。犯人は誰か?

2.何事も、計画通りに物事は進まない。殺人計画にも思わぬ齟齬が生まれてしまう。
 だが、その齟齬を乗り越えて、殺人計画の目標は達成された。なぜ、どのようにして達成されたのか。別の謎が生まれる。一筋縄では済まないおもしろさ!

3.ガリレオ先生、こと湯川先生が『なみきや』に自ら食事に行き、夏美の案内でパレードも見学するという形で、独自に事件との関わりを深めていく。かつて無い珍しい行動をとる。この行動が事件の解明にどのように関わって行くのか。今までとは少し違ったアプローチが加わり、読者として興味津々となる。
 勿論、今回も湯川先生は、殺人方法について、再現実験を実施する。やはりこのトリックくずしが興味深い。科学的論理的なのだから。いわゆる、密室殺人の謎解きが行われることになる・・・・。
 今回の湯川先生の活躍はそれだけにはとどまらなかった。そこが事件解明に大きな弾みとなっていく。ガリレオ先生、ますますおもしろさを増す。

4.状況証拠だけで起訴して、裁判に持ち込んでも「疑わしきは罰せず」という原則論が儼然としてある。
 「逮捕後の蓮沼は、19年前と全く同じだった。勾留期間中、完全黙秘を続けたのだ。検察での聴取でも同様だった。」(p78)
 佐織の遺体が見つかった後、勾留期間が切れる直前で検察は処分保留と判断した。彼は釈放された。
 実際のところ完全黙秘が成り立つということはあり得るのだろうか。小説の中でのみ成り立つことなのだろうか。いずれにしても、両刃の剣という局面をうまく採り入れているところが、おもしろい。
 著者はこんな一文を最終段階で湯川先生に結果報告をする内海薫の思いとして記している。
「本当に複雑な事件だった。蓮沼という、卑劣で凶悪な人物の犯罪を司法が裁ききれなかったことに、すべての原因があるのは明らかだった。」(p420)

5.アリバイ崩しだけでは解決できない側面が潜んでいた。最終ステージでその点が明らかになる。私と同様に、読者は、最後まで著者に翻弄されることになることだろう。
 「本当に複雑な」ストーリー構成になっている。翻弄される分、楽しめること請け合いである。

 一歩、距離を置いてストーリーを眺めると、全体は実に絵になる構成だと言える。映画化されやすいストーリーでもあるだろう。未だ映画は見ていないので、想像で少し、イメージを書いておこう。映画を見る機会を作ったときのために・・・・。
 回想場面と事件捜査のリアルな進展。その最中にパラレルに、キクノ・ストリート・パレードというコスチュームの華やかなパレードを潤色して映像化し盛り上げて行ける。回想としての優奈事件は容疑者の取り調べ状況などをシリアスに描き込める。燃え上がるゴミ屋敷、発見された白骨と初動捜査、草薙の取り調べでリアルさを表出し、インパクトを与えることもできる。シナリオ次第で、パレードの状況描写に併せ殺人計画と絡んだ準備を含む裏方行動を点描風に織り込んでいくこと、あるいはフラッシュバックさせることとアリバイ崩しを点描的に織り込める。殺人計画への関与について取り調べと絡ませた回想シーンあるいは告白シーンとすることもできる。脚本の妙味と様々な映像手法の駆使が可能だろう。そんな気がする。

 とにかく、読み応えのあるストーリー展開になっている。
 ご一読ありがとうございます。

ふと手に取った作品から私の読書領域の対象、愛読作家の一人に加わりました。
次の本を読み継いできています。こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ある閉ざされた雪の山荘で』  講談社文庫
『鳥人計画』  角川文庫
『マスカレード・ナイト』  集英社文庫
『仮面山荘殺人事件』  講談社文庫
『白馬山荘殺人事件』  光文社文庫
『放課後』   講談社文庫
『分身』   集英社文庫
『天空の蜂』   講談社文庫

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