著者は画家である。『日本建築集中講義』(中公文庫)という共著本(藤森照信・山口晃)を読んだ時にこの画家を知った。それ以来、著者の作品を読み継いでいる。本書は2009年7月に出版されている。手許の本は、2013年5月の第5刷である。
まず、「すゞしろ」から始めよう。表紙をご覧いただくとわかるが、「すずしろ」は春の七草の一つで「大根」の古名だそうだ。本書を手にすることで、「すずしろ」という言葉が大根であることを遅ればせながら知った。
『すゞしろ日記』は絵日記。日常の何気ない事柄を題材にしたエッセー漫画である。
著者が「端書き」で簡潔に記している。「そもそもすゞしろ日記は、『国内編』『洋行編』を展覧会用に製作したのが始まりだ。鼻持ちならない贅沢な絵描きの生活と、それを受けてのオチを日記風に描いたもの。大根と云う野暮ったい響きをすゞしろと美しげに言いかえる様に、味気ない日常を賑やかしく妄想する侘しさを題に託したのだ。」と。
これが契機となり、「すゞしろ日記」がいくつかの媒体を介して、描き継がれて行く。それをまとめて一冊にしたのが本書である。
本書は三部構成になっている。各部のポイントと感想などをご紹介しよう。
<Ⅰ 元祖すゞしろ日記>
まず冒頭に、展覧会用に製作された『すゞしろ日記』が元祖として掲載されている。「国内編」と「洋行編」がセピア系のモノクロ画で、それぞれ二つ折のページになっている。この二作を拡げると、4ページ分の見開きとなる。両日記編の裏にあたるページに「斗米菴双六 ザッツマイウェー」という双六として使える漫画が載っている。出だしから楽しませる。斗米菴とは伊藤若冲のこと。
この元祖すゞしろ日記のおもしろさは、それぞれに著者による解説ページが付いていること。そして、「国内編」と「洋行編」の各左下隅には、小さくオチの絵と吹き出しが描この部分、見落としてしまいそう。それがもう一つのユーモアにつながる。作品を見る人がオチ部分に気づかず、思い込み、誤解をする可能性・・・・・その含みがおもしろい。
その後に、「白州探訪乃記」(サントリーの蒸溜所見学日記)、「当世絵かき気質」(画家の生き方をツリー型選択肢形式で絵解きする)、「アトリエ探訪」(理想と現実のコントラストをおもしろく・・・・)、「美術手帖版すゞしろ日記」(本阿弥光悦とは何者かを絵日記風に)、さらに、「仏像の歴史」「慶派台頭」「私的ラジオ生活」「プリンツ21版すゞしろ日記」がつづく。こちらの作品群はカラー版漫画である。
<Ⅱ UP版すゞしろ日記>
東京大学出版会PR誌『UP』に2005年4月号から「すゞしろ日記」の連載がスタートしたという。なんとこれが2009年5月号までで50回の連載となった。
第1回のコマ漫画がまず連載主旨(?)の一端をオープンにしている。
編集の方から内容については「何でもいいから、気楽にどうぞ」と言われるところから始まったと書き込み、「なるべくどうでもよい事を書こうと決めて再度筆をとる」と舞台裏をのっけから明らかにしていて楽しい。第1回は風呂に入ることの功罪をとりあげている。「風呂は入るほど汚れる」なんて体験を論じていて、併せて洗顔と化粧を引き合いに出し、第1回から奥さんを登場させている。この日記、奥さんをネタにして、あるいは奥さんに託して書いている部分が話材として結構おもしろい。だが、それが奥さんにとっては周囲に誤解を生む原因になって、腹を立てるところまで行ったようだ。腹を立てられた経緯がまた、すゞしろ日記の話材に転換させられていくのだから、一層おもしろい。
どうでもよい事を書いていくと宣言しながら、たしかにどうでもよいような話材もあるのだが、その中に、画家である著者の視点が、キラリと光るメッセージが織り込まれていたりする。さすが・・・・とうなずける。
いくつか抽出してみよう。
*ケッキョクは徒らになげくのもむやみと面白がるのも同じこと。軸足をずらす事で其の時々に見えたものを、ただ見る事から始まる。 第2回、p37
*実感と云うのは「虚」ではあるのだが、それなしでは「実」を認識できない。 第3回、p39
*日暮里の高台にのぼると、・・・・・道路沿いに連なるマンションが収容所のカベの如く街区をとりかこんでいる・・・・・。 第5回、p43
*技巧と云うのは雑味を消すためにある。用うべき技巧をこらした絵は人為が消へ、絵のむう側がみへる。 第14回、p61
*静けさと、最低限必要な時間をとるのが、美術品と向きあう第一歩だ。 第16回、p63
*リアリティが像を結ぶ地点と云うものを考えると、むしろ虚像や形式の方が有効であったりする。「そのもの」で無い故に依りしろたりうるのである。 第37回、p107
*鏡のように写しとって、何をするかと云えば--嘘をつくのである。・・・・技術に長けるほど、大きな嘘がつけるのだ。 第38回、 p109
*生きている人間はそれこそ生臭い。生きているとは、そう云う事で、おうおうにして、何を成したかよりも、その「生臭さ」がその人となる。 第40回、p113
*スケッチはバカみたいに描き写すのだが、「バカ」と「いい加減」は違う。バカは誠実である。 第43回、p119
<Ⅲ すゞしろ日記大山崎編プラス>
2008年12月から3ヵ月間、京都府のアサヒビール大山崎山荘美術館で著者が個展「さて、大山崎展」を行った。この個展開催準備に伴う顛末を日記にしたものである。「OH!ヤマザキ版」、「さて、大山崎」を「すゞしろ日記」に冠した絵日記が収録されている。
併せて、カラー版で、「大相撲観戦の記」と「簫白エピソード集」という特集のための原画が収録されている。これも漫画の一種になるのだろう。なかなか味わいのある絵である。
本書の末尾には、「芸術カフェー乃圖」と「モーニング25周年表紙原画」が収録されている。本書をピシッと締める秀逸な絵になっている。
最後に少しネット検索をしてみて気づいたことにふれておきたい。
東大出版会のホームページで、PR誌『UP』の2022年9月号に関するページ、「UP 2022-9」を見ると、主要目次の最下行に「すゞしろ日記 第209回 山口 晃」の一行がある。現在もこの日記が連載されている!
そこでさらに一歩踏み込んで調べたら、『すゞしろ日記 弐』(2013年)、『すゞしろ日記 参』(2018年)が出版されていた!
今後の読書目標に加えることにした。
ご一読ありがとうございます。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『親鸞 全挿画集』 山口晃 青幻舍
『ヘンな日本美術史』 山口晃 祥伝社
『日本建築集中講義』 藤森照信 山口晃 中公文庫
まず、「すゞしろ」から始めよう。表紙をご覧いただくとわかるが、「すずしろ」は春の七草の一つで「大根」の古名だそうだ。本書を手にすることで、「すずしろ」という言葉が大根であることを遅ればせながら知った。
『すゞしろ日記』は絵日記。日常の何気ない事柄を題材にしたエッセー漫画である。
著者が「端書き」で簡潔に記している。「そもそもすゞしろ日記は、『国内編』『洋行編』を展覧会用に製作したのが始まりだ。鼻持ちならない贅沢な絵描きの生活と、それを受けてのオチを日記風に描いたもの。大根と云う野暮ったい響きをすゞしろと美しげに言いかえる様に、味気ない日常を賑やかしく妄想する侘しさを題に託したのだ。」と。
これが契機となり、「すゞしろ日記」がいくつかの媒体を介して、描き継がれて行く。それをまとめて一冊にしたのが本書である。
本書は三部構成になっている。各部のポイントと感想などをご紹介しよう。
<Ⅰ 元祖すゞしろ日記>
まず冒頭に、展覧会用に製作された『すゞしろ日記』が元祖として掲載されている。「国内編」と「洋行編」がセピア系のモノクロ画で、それぞれ二つ折のページになっている。この二作を拡げると、4ページ分の見開きとなる。両日記編の裏にあたるページに「斗米菴双六 ザッツマイウェー」という双六として使える漫画が載っている。出だしから楽しませる。斗米菴とは伊藤若冲のこと。
この元祖すゞしろ日記のおもしろさは、それぞれに著者による解説ページが付いていること。そして、「国内編」と「洋行編」の各左下隅には、小さくオチの絵と吹き出しが描この部分、見落としてしまいそう。それがもう一つのユーモアにつながる。作品を見る人がオチ部分に気づかず、思い込み、誤解をする可能性・・・・・その含みがおもしろい。
その後に、「白州探訪乃記」(サントリーの蒸溜所見学日記)、「当世絵かき気質」(画家の生き方をツリー型選択肢形式で絵解きする)、「アトリエ探訪」(理想と現実のコントラストをおもしろく・・・・)、「美術手帖版すゞしろ日記」(本阿弥光悦とは何者かを絵日記風に)、さらに、「仏像の歴史」「慶派台頭」「私的ラジオ生活」「プリンツ21版すゞしろ日記」がつづく。こちらの作品群はカラー版漫画である。
<Ⅱ UP版すゞしろ日記>
東京大学出版会PR誌『UP』に2005年4月号から「すゞしろ日記」の連載がスタートしたという。なんとこれが2009年5月号までで50回の連載となった。
第1回のコマ漫画がまず連載主旨(?)の一端をオープンにしている。
編集の方から内容については「何でもいいから、気楽にどうぞ」と言われるところから始まったと書き込み、「なるべくどうでもよい事を書こうと決めて再度筆をとる」と舞台裏をのっけから明らかにしていて楽しい。第1回は風呂に入ることの功罪をとりあげている。「風呂は入るほど汚れる」なんて体験を論じていて、併せて洗顔と化粧を引き合いに出し、第1回から奥さんを登場させている。この日記、奥さんをネタにして、あるいは奥さんに託して書いている部分が話材として結構おもしろい。だが、それが奥さんにとっては周囲に誤解を生む原因になって、腹を立てるところまで行ったようだ。腹を立てられた経緯がまた、すゞしろ日記の話材に転換させられていくのだから、一層おもしろい。
どうでもよい事を書いていくと宣言しながら、たしかにどうでもよいような話材もあるのだが、その中に、画家である著者の視点が、キラリと光るメッセージが織り込まれていたりする。さすが・・・・とうなずける。
いくつか抽出してみよう。
*ケッキョクは徒らになげくのもむやみと面白がるのも同じこと。軸足をずらす事で其の時々に見えたものを、ただ見る事から始まる。 第2回、p37
*実感と云うのは「虚」ではあるのだが、それなしでは「実」を認識できない。 第3回、p39
*日暮里の高台にのぼると、・・・・・道路沿いに連なるマンションが収容所のカベの如く街区をとりかこんでいる・・・・・。 第5回、p43
*技巧と云うのは雑味を消すためにある。用うべき技巧をこらした絵は人為が消へ、絵のむう側がみへる。 第14回、p61
*静けさと、最低限必要な時間をとるのが、美術品と向きあう第一歩だ。 第16回、p63
*リアリティが像を結ぶ地点と云うものを考えると、むしろ虚像や形式の方が有効であったりする。「そのもの」で無い故に依りしろたりうるのである。 第37回、p107
*鏡のように写しとって、何をするかと云えば--嘘をつくのである。・・・・技術に長けるほど、大きな嘘がつけるのだ。 第38回、 p109
*生きている人間はそれこそ生臭い。生きているとは、そう云う事で、おうおうにして、何を成したかよりも、その「生臭さ」がその人となる。 第40回、p113
*スケッチはバカみたいに描き写すのだが、「バカ」と「いい加減」は違う。バカは誠実である。 第43回、p119
<Ⅲ すゞしろ日記大山崎編プラス>
2008年12月から3ヵ月間、京都府のアサヒビール大山崎山荘美術館で著者が個展「さて、大山崎展」を行った。この個展開催準備に伴う顛末を日記にしたものである。「OH!ヤマザキ版」、「さて、大山崎」を「すゞしろ日記」に冠した絵日記が収録されている。
併せて、カラー版で、「大相撲観戦の記」と「簫白エピソード集」という特集のための原画が収録されている。これも漫画の一種になるのだろう。なかなか味わいのある絵である。
本書の末尾には、「芸術カフェー乃圖」と「モーニング25周年表紙原画」が収録されている。本書をピシッと締める秀逸な絵になっている。
最後に少しネット検索をしてみて気づいたことにふれておきたい。
東大出版会のホームページで、PR誌『UP』の2022年9月号に関するページ、「UP 2022-9」を見ると、主要目次の最下行に「すゞしろ日記 第209回 山口 晃」の一行がある。現在もこの日記が連載されている!
そこでさらに一歩踏み込んで調べたら、『すゞしろ日記 弐』(2013年)、『すゞしろ日記 参』(2018年)が出版されていた!
今後の読書目標に加えることにした。
ご一読ありがとうございます。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『親鸞 全挿画集』 山口晃 青幻舍
『ヘンな日本美術史』 山口晃 祥伝社
『日本建築集中講義』 藤森照信 山口晃 中公文庫