遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『方丈の孤月 鴨長明伝』 梓澤 要  新潮社

2019-07-08 12:43:37 | レビュー
 鎌倉時代前期に書かれた随筆『方丈記』の著者、鴨長明の伝記小説である。
   「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず、
    よどみに浮かぶ泡沫は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。
    世の中にある、人と栖と、またかくのごとし。」
という冒頭の一節を学校の授業で暗唱した。書名、作者名、書かれた時代、中世的無常観を基に著者の見聞を書きとどめ、己の人生について語った随筆である。それ位は、試験にも関係する必須知識だった。とは言いながら、教科書に出て来た箇所を学ぶだけで、その全体の内容についてはスルーしてしまうというのが平均的学生ではないか。私もその一人。心の隅に関心をとどめながら、そこから踏み込むことはなかなかしないで済ませてきた。いつか読もうと購入した文庫本『方丈記』は書架に眠りつづけてきた。
 上記の冒頭文から始まり、それに続き、
   「その、主と栖と、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。
    或は露落ちて花残れり、残るといへども、朝日に枯れぬ。
    或は花しぼみて露なほ消えず。消はずといへども、夕を待つことなし。」
までの原文がこの鴨長明伝の末尾に引用されて終わる。

 では、この伝記小説の始まりはどうか。「序章 終の栖」は、鴨長明が洛北の大原から、山科・醍醐を経てその南に位置する日野の里に移り住むために、荷物・資材とともに移動する場面から書き始められる。この里は、日野一族の菩提寺、法界寺がある。法界寺の境内の東側になだらかな山の稜線が続いている。その山中に場所を定めて方丈の庵を建て、そこに住み始めるまでのプロセスが描かれる。外山と称される地である。ここが長明の終の栖となる。
 この序章で興味深いのは、この方丈の建物・間取りなどの細部が描写されている点である。長明は組み立て式の方丈サイズの庵を大原から、日野に運んできて、予め想定してもらっていた候補地を巡り、適地を選んで、そこに庵を結んだようである。
 余談だが、長明が方丈の庵を結んでいたという伝承のある場所をかなり以前に探訪したことがある。日野の現地には、長明の方丈跡地に行くための要所に道標が立っていて、その場所付近にも表示が出ていたと記憶する。序章を読んでいくプロセスでその場所に到る山道の記憶を重ねながら私は読み始めることになり、一層興味を惹かれた。
 また、下鴨神社の境内で南端寄りに河合神社があるが、河合神社の境内地に「鴨長明の方丈」が復元展示されている。これもまた、下鴨神社を訪ねたときに目にしている。こんなちいさな庵を結んでいたのかと印象深かった。
 さらに高校生用の学習参考書には、方丈の庵復元図のイラストが載っているものもある。手許にある一書を例示しておこう。『クリアカラー 国語便覧』(監修:青木五郎・武久堅・坪内稔典・浜本純逸、数研出版、第4版、2013年)。今回、方丈記の項を繙いてみて、その図を再認識した。

 元に戻る。この序章の後、5章構成で長明が己の人生を回顧していくという形でストーリーが語られていく。
 「第一章 散るを惜しみし」は次の文から始まる。
「わが名は鴨長明。下鴨社の名門神官家の御曹司として、この世に生まれた。
 生まれ育ったのは深い森の中だ。」
その後に、父の事、少年の頃の長明の行動癖など、長明のプロフールの大凡が回顧され、描かれていくことになる。

 父長継は長明が生まれた年に、17歳で下鴨社正禰宜惣官の座に附き、24社家とそれに所属する100人以上を束ねる立場だった。つまり、長明はまさに名門神官家の御曹司である。長明は次男。長男長守は庶子だったので、長明が嫡男として扱われる。長明3歳のとき、母が亡くなる。長明が13歳になると、父に伴われて歌人の集まりに出入りするようになる。父は長明に歌才があることを見抜いたようだ。それは、将来、長明に神職を継承させるための人間関係づくりの準備も兼ねていたのだろう。だが、長明16歳の折、長継は寝込むことが多くなる結果、職を辞して引退する決意した。その際将来長明を跡継ぎにする約束で、長継は又従兄にあたる権禰宜の鴨祐季を猶子にしたうえ、正禰宜惣官の地位を委譲した。しかし、このことが、長明にとり神職の道に暗雲が漂う方向に結びついていく。どの世界も同じだろう。実権を手にした者は、己の力を強化する方策を謀っていく。父長継の死とともに、いずれ父の立場を継承できるという望みを抱いていた長明の思いは裏切られて行くことになる。勿論、そこには父の死後に長明の置かれた状況や長明自身の個人的性癖が大きく関わっている。

 この伝記小説には、5つの筋が関わり合ながら織り上げられ展開されているように思う。
 第1の筋は、長明が神職として、父長継の地位をいずれ己が継承できるという望みが潰えていくプロセスを描き出す。この筋の流れのなかで、鴨長明の親族との確執が描かれていく。下鴨神社においては、当時河合社の禰宜を経て下鴨社正禰宜になるという順が栄進の道だった。長明は鴨祐季にその道を阻まれていく。父の命で、長明が下鴨社社家一族の本家である菊宮家に入り、一人娘の修子(ながこ)の婿となる。これは長明の将来への布石でもあった。だが、その婿入りは長明の性癖も災いしたのだろうが、不幸な結婚という結末になっていく。なぜ、長明が神職の道を閉ざされる経緯になったかが、かなり克明に回顧されていく。神官という仕事をなおざりにしていく長明の姿という一面もみられる。
 
 第2の筋は、長明の才に関わる。上記のとおり父に伴い13歳で歌人の集まりに出席している。長明が歌の世界、絃楽器を奏する世界に己の才を見出し、その世界に没入していくとともに、その道では才能を発揮していく姿を描き出していく。私は不勉強によりこの伝記小説で初めて、鴨長明の詠んだ歌を知ることになった。要所要所で長明の歌が引用されその歌に絡まるストーリーが展開されていく。長明が私家集を世に出したのは養和2年。養和の大飢饉の頃であり、未だ神官の道を目指していた時代である。
 長明は後鳥羽院にその歌才を見出されて、勅撰和歌集編纂のために再興された和歌所の寄人となる。この和歌所がどんな組織でどんな状況だったかが描かれていて興味深い。藤原定家の歌流との関わりも描かれていておもしろい。
 一方で、絃楽器を奏でるという楽才の領域で長明は琵琶の演奏に秀でていたそうだ。長明が当代きっての琵琶の名手といわれた楽人・中原有安との出会いから、有安を師と仰ぎ琵琶の道に精進していく。長明は有安から三曲の秘曲の伝授を受けるレベルに到る。「楊真操」、「石上流線」を終え、最後に天人の楽と称される「啄木」の伝授を受ける。一通りの演奏はできるが、相伝される一歩手前で有安が筑前守として赴任することになる。最後の一歩が断たれることに。この「啄木」の曲がまた、長明の人生に大きく関わって行く。

 第3の筋は長明の好奇心。自分の目で事実を確かめずにはおれないという性癖である。自分自身でやってみなければ気が済まないという性癖だ。
 その一局面は、楽才の領域に関わるが、自分自身で琵琶を製作するという懲りように発展していく。この経緯もかなり具体的に描かれていて興味深い。
 もう一つは、長明の青年期以降に発生した自然災害や社会変動の渦中で、長明が観察者としてとった行動である。自分の目と耳で確かめずにはおられないという性癖の発露が描かれて行く。これは、『方丈記』の前半で流麗な和漢混淆文で記述された五大事件の描写にリンクしていく側面である。安元の大火・治承の辻風・福原遷都・養和の飢饉・元暦の大地震を、長明の眼に映じた事実として回顧され、描写されていく。その根底に通奏するのが無常観である。

 第4の筋は長明の思い染めた女性との出会いとそのプロセスである。
 神官としての道において、菊宮家に婿入りし、修子と結婚する。そして一男をなした後、長明は菊宮家を実質的に追い出される境遇になる。幼馴染みであった修子との関係は完全に冷え切ったものとなっていく。
 一方、少年の頃、糺の森で偶然垣間見た女性に、その後長明は再び偶然に出会うこととなり、そこから長明の本当の恋の思いと行動が展開していく。哀しい結末にはなるが、その経緯が具体的に描かれて行く。もう一つの興味を惹かれる側面である。長明にとっては悲劇に終わるが、この伝記小説の読者にとっては、ある意味で興味津々、長明の人間味を感じる側面でもある。

 第5の筋は長明の出家とその後の経緯ということになる。そこには後鳥羽院が長明を河合社の禰宜職欠員に対し、長明を任じようと思われた。それに対して下鴨社惣官の鴨祐兼が難癖をつけたことに端を発したという。その結果、50歳の区切りの年に長明は出家の決断をする。第5の筋は、第1の筋を人生の前半とすれば、人生の後半を描くことになる。第4の筋として取り出したものは、人生の前半部分に含まれていく。第1の筋とパラレルに進行している。第2と第3の筋は長明の人生全体に関わっていく。
 長明は出家し法名は蓮胤と称したそうだ。この小説を読み初めて彼の法名を意識した。出家して長明は大原に隠棲する。大原での出家隠棲の生活の中で、再び長明の人生に大きな影響を及ぼした事象を著者は綴っていく。一つは琵琶の演奏において長明が引き起こした禁忌事件の顛末。もう一つが、日野に移って4年目、建暦元年秋、飛鳥井雅経からの連絡を受け、鎌倉へ下向し、源実朝に対面する機会を得た顛末である。この2つ、長明の生き様を考える上でも、興味深い事象だと思う。

 この伝記小説では、長明が鎌倉に下向した回顧のところから、「終章 余算の山の端」として描かれている。そして、鎌倉から帰京し、日野の方丈での生活の中で、最晩年に長明は『方丈記』(1212年)を著し、『無名抄』、『発心集』をも著述することに専念していくプロセスが描かれて行く。
 健保4年6月10日、鴨長明、蓮胤入道死去。享年62という。

 鴨長明という人物像がこの伝記小説でイメージしやすくなった。非凡で一つのことに没入していく性癖の長明は、神官の道という日常の儀礼行事の継続、形式重視の世界においては所謂はみ出し者の類いだったのかもしれない。人には一長一短ありというところか。
 本書を読了した勢いで、『方丈記』を通読した。方丈記の文がすんなりと眼に入ってくる。本書のストーリー展開の各所を思い浮かべつつ通読できた。『方丈記』を読む上でも、この伝記小説はバックグラウンド情報として有益である。『方丈記』に記された五大事件の記述は、本書の中で、長明があたふたと現場に駆け、己の眼に映じた状況を回顧して語っていく描写の中に肉づけされ、広がり、展開されている。

 機会を見つけて、改めて河合神社に復元されている「方丈の庵」を再見に、また日野の長明・方丈の庵跡を再訪してみたいと思っている。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
下鴨神社 ホームページ
  境内マップ
鴨長明  :「コトバンク」
鴨長明方丈の庵跡(方丈石)(京都市伏見区) :「京都風光」
方丈庵を解体してみる  :「もうDIYでいいよ」
日野・方丈石  Nakamuraさんのレポート
法界寺  :「京都観光オフィシャルサイト」
法界寺  :「わかさ生活」
方丈記 鴨長明 :「青空文庫」
鴨長明「方丈記」現代語訳と朗読  :「无型 -文学とその朗読」
無名抄  :ウィキペディア
発心集  :「ジャパンナレッジ」
梅沢本『無名抄』:鴨長明  :「やたがらすナビ」
慶安四年版本『発心集』:鴨長明 :「やたがらすナビ」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『越前宰相 秀康』 文藝春秋
『光の王国 秀衡と西行』  文藝春秋
『正倉院の秘宝』  廣済堂出版
『捨ててこそ空也』 新潮社
『荒仏師 運慶』 新潮社
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