遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『検事の本懐』  柚月裕子  宝島社

2014-06-17 11:37:36 | レビュー
 私のよくやってしまうことだが、『検事の死命』読んで、それより先に『検事の本懐』が出版されているということを知った次第。そこで早速読んで見た。
 本書は5つの短編小説から構成されている。収録された第5話「本懐を知る」が、『検事の死命』に収録の「業をおろす」に連動していく。後者が完結編の位置づけとなっている。やはり、「本懐を知る」を読んでから「業をおろす」を読むのが素直な流れであることに納得する。だが、である。逆読みもまた、ああ・・・そういう繋がりになっていたのかと一歩奥に入る思いとなり、それなりにおもしろく読めたと感じている。

 さて、収録作品名を最初に列挙しておこう。「第1話 樹を見る」「第2話 罪を押す」「第3話 恩を返す」「第4話 拳を握る」「第5話 本懐を知る」である。
 どの作品にも検事左方貞人が登場するが、この作品集のおもしろいところは、登場の仕方、ストーリーの展開への関わり方にかなりバラエティがあることだ。検事としてストーリーの中心人物となり活躍する作品ばかりとは限らない。事件と深く関わっていく、あるいは何らかの関わりがあるという設定である。勿論、検事左方貞人が事件の真相を究明し、検察の正義を目指すという信条と行動はそこかしこにあらわれていく。少し変化球的な扱いのあるところが興味深いといえる。

 それでは収録作品の簡単な紹介と読後印象をまとめてみたい。
《 第1話 樹を見る 》
 本作品のタイトルは、「木を見て森を見ず」という格言の逆を行くという発想がキーになっている。
 作品の直接の中心人物は左方検事ではない。米崎東警察署長の南場照久が中心人物。そこに、警察学校の同期で同じ警視正だが、今や県警本部の刑事部長・佐野茂が絡んでゆく。話は県警本部での県内警察署長および本部所属長以上の幹部が集まった会議の場面から始まる。米崎東署管内で放火事件が継続的に発生し、遂に17件目が発生したのだ。
 人が住居として使用していない非現住建造物や公共の危険が発生する建造物以外への放火だったものが、13件目は住居に灯油をまかれた形跡のある放火であり、夫婦・乳児の3人が遺体で発見された。その時点で、県警本部と所轄の合同捜査本部が立つ。佐野が捜査本部長、副本部長に南場、実際に捜査現場を取り仕切るのが県警捜査1課長の須藤だった。指揮権は佐野にあり、須藤は佐野の手足。佐野が指揮をしながら17件目が発生した。
 佐野は捜査本部が機能しなかったのは、副本部長南場が須藤に捜査を混乱させるような意見をしたと決めつける。犯人逮捕より、自分の手柄を重視する佐野のやり方に南場は憤りを感じている。佐野は犯人が検挙できなかったのを南場のせいにしようとする。
 県警上層部にすり寄り出世街道を上る佐野は、同期である南場を目の敵にしている。警察学校時代は、南場の方が優秀だったことにもよる。連続の放火事件を解決できずに苦悩している南場。犯人検挙よりも、南場のひきずり落としを画策する佐野。そこには男の嫉妬心が渦巻いている。その矢先に、さらに18件目が発生する。
 南場はそれまでの捜査活動の累積からマークしている人物を別件逮捕して勝負に出る行動を取る。微罪で別件逮捕された新井は米崎地検に送致される。家宅捜索令状をとるのが主目的である。南場は地検の刑事部副本部長筒井義雄と面談して、放火魔との関わりを事情説明する。新井の件は左方検事に配点され、左方が担当することになる。
 ガサ入れが可能となったことから事件の解決は急進展する。だがそこには真相を歪めかねない盲点があった。森を見て突っ走った南場を、森の中の樹を見た左方検事が救うことになる。左方は1件の独自捜査をして懸念事項を解決するが、その件も警察が解決したことにして欲しいと筒井を介して南場に委ねるのだ。
 筒井が南場に言う。「あいつは条件やデータだけでは事件を見ません。事件を起こす人間を見るんです」(p64)と。
 県警上層部における事件とは別次元での男の確執。筒井と左方は検察の正義の視点から南場をサポートする結果になる。出世欲絡みの確執を切り崩し、事件の真相究明に軌道修正をかける。後味の良い短編である。

《 第2話 罪を押す 》
 被疑者の自供の裏にある真実は何か? 自供調書を認知し罪状を判断することが、事件と罪を誤った方向に押し進めることにならないかというテーマ設定が興味深い。繰り返される犯罪者の行為に接し、被疑者をよく知る検事に思わぬ先入観の入り込む怖さを扱っている。
 検事任官2年目の左方貞人が昨年4月に東京地検から米崎地検に転勤となる。そして刑事部副部長の下に配属された新米検事としての時期に取り扱った事件の話である。
 被疑者はハエタツと通称される小野辰二郎。なぜそう呼ばれるのかがおもしろい。3年前に54歳の小野は住居侵入罪及び窃盗罪で警察から送致され、筒井が起訴した男である。小野は微罪の常習犯で、娑婆と刑務所を往復している累犯者。刑期を終え出所したその日に、繁華街のディスカウントショップでショーケースから出させていた時計を、店員が他の客に声をかけられ対応している隙に盗んで逃げたという。店員に追いかけられ近くの路上でつかまる。警察の取り調べに対し、小野は全面的に犯行を認めた。盗品の腕時計からも小野の指紋が検出された。小野本人は動機を換金目的だったと自供している。
 しかし、犯行当時の小野は受刑中に貯めた作業報奨金2万8000円余りと一通の手紙を持っていたという。手紙は身内からの絶縁を告げるものだと書類には記されていた。
 筒井は、換金目的なんて嘘、刑務所に戻りたかっただけだとろうとつぶやく。そして、今回の窃盗事件を筒井は左方検事に配点する。
 「検事という職の重みを、筒井は知っている。自分の判断が、ひとりの人間の人生を大きく変える。だから筒井は、明らかに被害者の犯行と思われる事件でも、できる限り現場まで足を運び、被害者や目撃者の証言を取った。この目で確かめ、耳で聞いて起訴を決めてきた」(p75)。そんな筒井でも「俺はそこまで、しなかったかもしれない」と上司・森脇のつぶやきと同じ思いを共有する事案だったのだ。
 左方検事は小野の供述書に記載された手紙のことに、一歩踏み込んだのだ。その内容を知るために。左方が出した小野の処分は、不起訴、釈放である。
 左方が小野に言う言葉が良い。「やり直すためには、罪がまっとうに裁かれなければいけない。嘘の果てには嘘しかないように、罪の先には罪しかない。彼のこれからを本当に思うなら、いま、彼をまっとうに裁かなければいけない」と。(p117)
 他人の内面を鋭く読み取る検事左方貞人の深い人間性の発揮を描いた小品である。


《 第3話 恩を返す 》
 左方検事は高校時代を広島で過ごした。その時の同級生天根弥生から米崎地検で執務する左方に電話が入る。話をするのは十数年ぶりだった。「左方くん。あんときの言葉、覚えとる?」左方の脳裏には、12年前、弥生と別れた呉原駅のホームでのやりとりが瞬時に甦る。「忘れるわけがない」天根弥生の苦悩を救う行動に左方が踏み出すことになる。それが弥生に対して「恩を返す」行為となっていく。
 2日後、弥生は米崎市にやってきて、左方に苦境を訴えて相談に乗ってほしいと頼む。弥生には誰にも言えない過去の思い出したくない出来事があった。結婚を間近に控えた弥生はその過去の出来事をネタに、ある警官から強請られているのだと打ち明ける。左方はこの問題解決を請け負ってやる。それが左方にとっては恩返しにもなることだった。
 広島地検に居る同期の木浦に連絡をとり、勝野正平という刑事について調査を依頼する。「勝野ってやつは、アンタッチャブルだな」という切り出しで、木浦は左方に調べた結果を伝えてくれる。情報を総合し、左方は強請の事件解決のために、弥生に指示を出す。そして、広島に出向いていくことになる。
 左方がどんな生き方をしてきたのか。左方の高校時代の風景が、この作品で明らかになっていく。左方が弥生に対して、何に恩を感じていたのかが。これはこのストーリーの裏テーマとして語られていく。ストーリーのメインは、強請事件の解決プロセスの展開にある。
 左方が呉原駅近くの喫茶店で勝野と対峙する場面、その最後の緊迫した状況の会話が実に快感である。167ページの二人のやりとり。抽出したいがネタバレは興味半減。止めておこう。この小品をどうぞ一読願いたい。左方検事、左方という人間をより深く知るためにも・・・・・。

《 第4話 拳を握る 》
 「左方が部屋を出ていく。ドアが閉まる瞬間、左方の手が強く握られているのが見えた。」(p274)加東検察事務官が見つめるシーンである。「拳を握る」というタイトルはここに由来すると判断する。検察の正義を信条とする検事・左方貞人の内奥からあふれ出す憤怒が握りしめる拳に象徴されているのである。これは左方検事が己の考えを輪泉副部長進言して、捜査から外され米崎地検に戻るシーンなのだ。
 この作品は、財団法人「中小企業経営者福祉事業団」贈収賄事件について特捜体制が編成され、事件の捜査と解決に至るプロセスを扱っている。中経事業団と二人の与党議員の贈収賄容疑である。厚生労働大臣・新河惣一郎と、新河の元秘書で、参議院議員の田中十三夫が容疑者なのだ。特捜はこの事件に2年の歳月をかけ立件に動き出したのだ。
 各地検に検事と検察事務官、それぞれ10名ずつ応援要請が出される。米崎地検からは左方検事と増田事務官が応援に出される。山口地検からは先崎検事と加東事務官が応援に選ばれた。増田事務官が体調を崩したことから、左方検事を加東事務官が補佐することになる。このストーリーは主に加東事務官の視点を通して、左方検事との関わりの深まり、捜査の進め方、捜査の問題点の浮彫化、捜査のために成すべきことなどがストーリーとして展開していくことになる。
 検察の威信を賭けて取り組まれる特捜の状況を描くということが作品のモチーフであろう。特捜部長・近田慶彦、副部長・輪泉琢也の指揮の下に捜査が始まる。最初の会議において、輪泉副部長が筋読みの説明をする。「筋読みとは内偵捜査の段階で集めた資料や証拠を検討し、適用法令に照らし合わせながら事実関係を推測し、それに応じた捜査の見込みを立てたものだ」(p208)。
 この作品のテーマについての鍵は特捜部幹部の発言の中に秘められていると思う。
 「この捜査には、検察の威信がかかっている。首をかける気持ちで、捜査に臨んでほしい」輪泉副部長 (p211)
 「苛め方がぬるいんだ。いいか、人間ってのはな、最後に頼るのは身内か女と相場は決まっているんだ。責めればぜったいなにか吐く。左方検事にも、そう伝えろ」竹居特捜主任検事 (p230)
 「社会が抱いている、特捜部イコール正義、という強い信頼を失うわけにはいかない。・・・・情に流されるような生ぬるい捜査をしていては立件できない」竹居主任検事(p235)
 「事実はどうだったかなんてことは、この際、問題じゃないんだよ!葛巻が素直にサインさえすれば、本人は起訴猶予で済ませてもいいんだ。それなのにお前は、青臭い正義感を振りかざしやがって!身勝手な行動をして、巨悪を取り逃がしてしまうかもしれない窮地に、特捜を追い込んだんだぞ!」輪泉副部長 (p272)
 「一介の検事であるお前に、指揮権はない。(左方検事がある捜査を進言していたことに対し)・・・今回の事件とは関係ない。・・・・」輪泉副部長 (p273)
 つまり、「事件を起訴する権限を持っているのは、独任制官庁である検事個人です」「私は事件を、まっとうに捜査するだけです」(p268)という左方検事の「検察の正義」が貫かれた捜査により結果がだされるのかどうか、そこにテーマがあると思う。このコインの裏面は検事の「人間性」である。ここに正道としての検事の本懐があるのだろう。
 左方検事は、捜査対象について一つの進言をし、また加東事務官と一緒に独自の推論と信念で調べた裏取りの捜査報告書を提出した。しかしその直後、左方検事は特捜体制から外される。冒頭に記載のシーンである。
 皮肉にもというか、当然の帰結というか、事件は左方が進言していた捜査対象の線を調べることで解決へと向かう。
 著者は加東事務官の内心の思いを記す。「捜査は成功した。事件は立件にこぎつけた。だが、自分たちが行った捜査のやり方は正しかったのだろうか。筋読みありきで見立て捜査に走り、事実を捩じ曲げようとしたのではないか」
 タイトルの「拳を握る」は立件後の加東事務官の思いの表象でもある。「どこに向けていいかわからない拳を、テーブルの下できつく握りしめた」で作品は締めくくられる。

《 第5話 本懐を知る 》
 本作品に検事・左方貞人は特定場面だけに登場する。それも「黙秘」という形での登場である。主な登場人物は幾人か居る。見かけの中心人物は週刊誌「ピックアップ」の専属ライターの兼崎守。彼は別のライターと交互に「闇の事件簿」という見開き2ページの連載を担当している。その兼崎が政治専門のジャーナリストのちょっとした発言にヒントを得て、かつて広島で新聞記者をしていた頃の事件を思い出す。それがこの連載の格好のネタにならないか・・・・と、調査に入るのだ。
 その事件は、広島の弁護士佐方陽世が顧問弁護士を務めていた小田嶋建設の創業者会長小田嶋隆一郎の死後、小田嶋家の財産、遺産管理を任されていたことに関わる。左方弁護士が遺産管理のうち、5000万円相当の債権を現金化し横領したという事件である。逮捕当時は47歳だった。左方陽世は容疑事実を認めるが完全黙秘を貫き、懲役2年の実刑判決を受けた。だが判決が決定後に、横領したとされる金額は私財を処分し小田嶋家に返済しているのだ。
 兼崎は弁護士が弁解も抵抗もせず実刑を甘受した理由に関心を抱き、広島に調査に赴く。広島の弁護士会を皮切りに左方陽世の知人や地縁関係に聞き取り調査を進めて行く。
 兼崎は左方と司法修習生時代の同期だったという篠原弁護士から、左方陽世が実刑を受け入所中に膵臓癌が発見され、出所目前に大阪の医療刑務所で死亡したこと、冤罪事件を進んで請け負い、まっとうに事件を裁かせることに熱心だった弁護士だったと聞く。横領を認めて金をすぐに返済していれば、弁護士なので執行猶予がつくところだがそれもなかった。陽世の息子、つまり貞人が検事になっているということも知る。
 聞き取り調査から様々な背景が明らかになっていく。兼崎は米崎地検の左方検事を訪ねるが、何の情報も得られない。左方陽世について、悪徳弁護士と評する人は小田嶋隆一郎の息子、現小田嶋建設社長関係者以外は皆無なのだ。その小田嶋社長から先代の墓に定期的に参りにくるかつての女性従業員の話を聞くことになる。その女性は、同じ墓地にある左方陽世の墓にも参っているという。兼崎はこの何気ない社長の発言にヒントを得て、この女性捜しに着手する。
 そして、最後に兼崎が行き着いたところは、「我欲に走らず、ひたすら恩を返そうとする人間がいた」という事実だった。誰もが真実を語らず、墓場に持って行った、あるいは持っていこうとしているということだった。
 兼崎が聞き込み調査から確実と感じる仮設を立てるが、証拠が得られないため記事にできずに終わる。
 だが、『検事の死命』に収録された「業をおろす」では、左方陽世の幼馴染みの親友だった僧侶が、ふとした偶然から、語られなかった真実を発見する形で話が展開していく。左方陽世が黙秘により実刑を受けた背景が一層明瞭になっていくことで、話が完結する。それぞれの話は独立した作品として読める。しかし、両者を重ねて読むと、正に「業をおろす」がこの「本懐を知る」と照応し相乗効果を発揮し共鳴していくことが分かる。
 この作品では、「語らないこと」がそれぞれの「本懐を知る」ことに連なっていくという連環なのだ。実に興味深い設定である。だが、そこには「わからなさ」という業が残る。それが「業をおろす」で、明らかになるのである。「わからなさ」にとどめられた業が消滅するのだ。ぜひ、『検事の死命』も読まれることをお薦めする。
 「恩を返す」という行為がそれぞれの行為者の思いにより様々に異なる色彩を帯びたものとして描かれている。この局面も読ませどころと言える。


 ご一読ありがとうございます。


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本作品からいくつか連想する事項をネット検索してみた。覚書として一覧にしておきたい。

特別捜査部  :ウィキペディア
逮捕された人はどうなるのですか :特捜部事件の場合
     :「庶民の弁護士伊東良徳のサイト」
東京地方検察庁特捜部は、正念場 三井 環(市民連帯の会代表・元大阪高検公安部長)
東京地検特捜部の犯罪  :「秦野エイト会」
犯罪捜査(4)特捜部と可視化 「最強」復活への活路 :「msn 産経ニュース」
     2014.5.24

八田隆氏が国家賠償請求訴訟で挑む「検察への『倍返し』」 :「BLOGOS」
   記事 郷原信郎 2014年05月16日

横領 :「刑事弁護専門サイト」
業務上横領 Q&A :「刑事弁護専門サイト」


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徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『検事の死命』 宝島社




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