
『孤狼の血』に引き続く続編という位置づけか、日岡秀一という広島市に生まれ、広島大学を卒業して警察官になった男のシリーズ作の始まりなのか。いずれにしろ、『孤狼の血』の続編を心待ちにしていた。それがこの作品で実現したと言える。『孤狼の血』での捜査探検を土台にして、暴力団に立ち向かう日岡秀一という警察官がこの作品で特異な警察官像を確立することになる。是非次作の構想につなげて欲しい。
さて、『孤狼の血』で日岡は交番勤務を経て捜査二課暴力団係に配属された。その配属は、県警のトップ層経由の意向として、直属上司になる大上章吾巡査部長の行動を監視するという密命を当初は帯びたものだった。
配属後に従事した事件の捜査の渦中で上司の大上が死ぬ結果になる。それまでの1ヵ月余の期間に、日岡は大上の相棒として付き従って事件捜査に取り組んだ。大上の捜査方法に身近に接し、大上の事件捜査法と暴力団との関わり方を濃密に体験しつつ、そのやり方を客観視する。法とは何か。捜査の合法性は何か。法の規定の限界は何か。捜査のあり方は? 等々、戸惑い、思い悩みながらも、日岡は大上の手足となって事件捜査に関与していった。
そして、大上を直属上司とする濃密な2ヵ月にも満たない捜査期間が、日岡の警察官としての生き様を方向づけることになる。
この続編(シリーズ第2作?)は、1年前の4月に呉原東署捜査二課から、比場郡城山町の中津郷駐在所に、階級は巡査のままで異動させられた日岡秀一の境遇から始まる。大上を直属上司として携わった事件が一応の決着をみたところで、日岡がある事件の証人となる件に絡んで、体良く左遷されたのである。だが、結果的にその日岡が勤める駐在所の所轄地域に、広域の暴力団抗争の展開において重要な要因となる火だねを抱えていくことになる。日岡はその案件に半ば意図的に関わりを持っていく。それは、日岡自身が左遷された駐在所勤務から県警本体に返り咲く活路を見出す手段になると判断した結果でもある。勿論、日岡にとって大きな賭ともいえる。
一体、どういう展開になるのかと興味津々で惹きつけるという巧みさなストーリー展開となっていく。
事の発端は、四代目の座をめぐる明石組の分裂である。分裂当初は組を割った心和会側の勢力が優位だった。3ヵ月後に明石組が心和会に義絶状を出す。それを境に、半年後に勢力は逆転した。追い詰められた心和会側が、ヒットマンを送り、大阪府吹太市のマンションの地下駐車場で明石組トップを襲撃した。それにより、四代目明石組組長の武田と他2名が死亡する。その2名の中にナンバーツーの明石組若頭も含まれていた。
史上最悪の暴力団抗争、明心戦争の幕開きである。
暗殺部隊のリーダーは、心和会の本流、浅生組若頭・富士見と目され、その背後には心和会の常任理事で、北柴組傘下の義誠連合会会長・国光寛郎と考えられていた。警察は勿論、明石組もまた血眼になってこの2人の行方を追っている。併せて、明石組による報復戦が始まった。
広域暴力団のトップ層が殺生されたら、何が起こるかのシミュレーション・ストーリーという要素ももつ展開となる。そこには利害・思惑が色濃くまとわりついていく。一方、暴力団組織内における人間関係の紐帯は何かを問いかけている側面も併せ持つストーリーとなっている。
広島の叔父が亡くなり葬儀に出た日岡は、「小料理や 志乃」に女将の晶子への挨拶と食事に立ち寄った。食事を済ませたら中津郷に戻ると告げる。晶子は2階の客のことを日岡に話さなかったのだが、2階からの聞き覚えのある声を耳にし、日岡は晶子に尋ねた。晶子は仕方なく、尾谷組の二代目組長・一之瀬守孝が瀧井組組長・瀧井銀次とともに客を伴い来ていると告げる。その時、その客がトイレを使うために下りてきた。日岡はその男に見覚えがあると感じた。そこで、客が所用を済ませる間に2階に上り一之瀬に挨拶に行く。そして、トイレから戻って来た一之瀬らの客を改めて見つめる。その客が全国に指名手配されている国光寛郎だと気づく。その一瞬、手柄を立てれば、所轄へ戻れる、と日岡は思う。店を出て、バイクで去ろうとする日岡に、その客が自ら国光と名乗った。そして、国光はまだやることが残っているので、少し時間をほしいと日岡に言う。「じゃが、目処がついたら、必ずあんたに手錠を嵌めてもらう。約束するわい」と。これが日岡と国光の関わる契機となる。その国光の言を踏まえて、日岡はしばらく状況を静観する立場をとる。日岡は中津郷駐在事務所での日常業務に戻っていく。
駐在所の巡回区域の一つである横手地区で、頓挫していたゴルフ場建設工事が再開される。ゴルフ場は、錦秋湖を取り囲む四天山の裾野を利用している。工事にはかなりの時間がかかりそうである。その工事現場に工事責任者として泊まり込むと国光が偽名で駐在事務所の日岡の前に、現れたのである。
建設現場を隠れ蓑として身を潜め、国光は残していることをやるつもりなのだ。
日岡は、日常の駐在事務所の業務をしながら、国光らの動勢を監視していくことになる。それは日岡と国光の関わりが少しずつ深まる始まりだった。
二人の関係はどう進展するのか? 国光がやり残したこととは何なのか? 国光が日岡に手錠を嵌めさせるという約束は、本当に実現するのか? どのような形で?
地域密着型の駐在事務所の警察官・日岡の日常生活を絡めながら、一方で、別世界の如くに暴力団の抗争・明心戦争が進展していく。
この小説の構想が興味深い。
プロローグは、真冬の北海道のとある刑務所で、受刑者と面会に行った男とが交わす会話場面から始まる。受刑者が兄、面会者が弟という関わりで、互いに「兄弟」と呼び合う間柄である。二人の話は、いくら墓の掃除をしても、鳥が糞をかけていく。その鳥はどこからきたのか、というもの。弟はその鳥がどこから来ているかを突き止めたと、その場所を伝える。これは何のことなのか・・・・、読者には判じ物めいている。しかし、そこには重要な意味が隠されていた。それが、一つのクライマックスに対する伏線となっていく。そういう話だったのかと、気づかされる。
そして、6章仕立てのストーリーが始まって行く。各章の冒頭には、「週刊芸能」平成2年5月17日号記事からスタートする緊急連載「ジャーナリスト山岸晃が読み解く史上最悪の暴力団抗争 明心戦争の行方」の内容がまず引用される。各章の冒頭でそれが回を重ねていく。読者は、その記事内容を通して、明心戦争がどのような状況、経緯にあるかを知ることができる。時間軸で見た抗争の進展経緯の整理要約を知ることができる。
一方、各章での本文は、中津郷駐在所での日岡の日常が描き出されつつ、日岡と国光の関係が進展していき、日岡の日常と国光との関係が交差する接点が重なって行く。
国光ですら想定していなかった事態の展開に発展する。国光の居場所について警察への通報が入ったのだ。だが、国光はその展開を逆に利用するようになる。そこに日岡が必然的に巻き込まれていく。
しかし、その通報者について意外な事実が判明する。著者はそこにおもわぬ視点を加えていて興味深い。神心戦争という暴力団の抗争という文脈とは無関係の次元からの通報なのだから、おもしろい。
駐在所生活の日岡は、「週刊芸能」の連載記事を情報源とし、暴力団の抗争という事態の進展経緯を自分なりに理解し、分析しているという状況がある意味でおもしろい。警察組織の駐在事務所は、県警本部の捜査四課が情報収集し把握している暴力団組織の状況認識とは無縁の存在なのだ。縦割り組織において、情報は流れてこない。一般読者と同じ週刊誌報道が、暴力団の実態情報からは無援の駐在所に投げ込まれた日岡にとっての情報源となっているという皮肉な実態がそこにある。
この続編の興味深いところは、大上章吾の信念・立場とは違った観点から、大上の立ち位置とは異なる次元に日岡が踏み込んで行く結果となるプロセスが描かれるところにある。それは日岡が大上の精神を継承する決断をより鮮明にしたということでもある。それがどのような立ち位置なのかは、本書をお読みいただきたい。
これが警察小説というフィクションの中だけで成立する事態なのか。実際の警察組織においてもあり得ることなのか、ということを考える材料としてもおもしろい。
結果的に国光に手錠を嵌める立場になった日岡は、その後県警捜査四課に異動となる。そして、捜査四課の刑事として、国光が刑務所送りとなった後の暴力団組織の実態に挑んでいく。このストーリーでは、明心戦争のその後に日岡が刑事として関わる姿が描かれる。国光が敬愛した北柴組組長・北柴兼敏が服毒死するという事件が発生したことに関連する。服毒死の謎の解明である。それは警察における刑事の捜査の限界とも絡む状況を扱ってもいておもしろい。
このストーリーは、平成2年という次期の設定に、一つの大きな意味があるように思う。それは平成4年3月に暴力団対策法が施行されたことに関係する。暴力団の世界が大きく変貌しようとする時代の前夜を描くということ、そして新法の施行が新たな問題を生み出していくということ、これらをマクロの視点でとらえるということが、著者の設定したサブ・テーマではないかという気がする。
エピローグは、ふたたび北海道の旭川刑務所に戻る。所内の作業場で殺生事件が起こる。エピローグの末尾は次の一文で終わる。
「親の仇を討った男を見やる眼が、にやり--と、笑うように歪んだ。」
最後にこの続編のタイトルに触れておきたい。
刑事に戻った日岡は、覚せい剤取締法違反の容疑で現行犯逮捕した男から、「頬に斬り傷か。外道らしい面しやがって」と捨てぜりふを投げられる。その言葉に対して、「刑事という名の極道だ。国光同様、目的のためなら外道にでもなる”凶犬”だ」と日岡が自己分析するシーンが描かれている。本書のタイトルは、ここに由来すると思う。
この続編は、”凶犬”と己を位置づける日岡シリーズの出発点になるのだろう。いずれ第3作が発表されることを期待したい。
ご一読ありがとうございます。
徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『合理的にあり得ない 上水流涼子の解明』 講談社
『蟻の菜園 -アント・ガーデン-』 宝島社
『朽ちないサクラ』 徳間書店
『孤狼の血』 角川書店
『あしたの君へ』 文藝春秋
『パレートの誤算』 祥伝社
『慈雨』 集英社
『ウツボカズラの甘い息』 幻冬舎
『検事の死命』 宝島社
『検事の本懐』 宝島社
さて、『孤狼の血』で日岡は交番勤務を経て捜査二課暴力団係に配属された。その配属は、県警のトップ層経由の意向として、直属上司になる大上章吾巡査部長の行動を監視するという密命を当初は帯びたものだった。
配属後に従事した事件の捜査の渦中で上司の大上が死ぬ結果になる。それまでの1ヵ月余の期間に、日岡は大上の相棒として付き従って事件捜査に取り組んだ。大上の捜査方法に身近に接し、大上の事件捜査法と暴力団との関わり方を濃密に体験しつつ、そのやり方を客観視する。法とは何か。捜査の合法性は何か。法の規定の限界は何か。捜査のあり方は? 等々、戸惑い、思い悩みながらも、日岡は大上の手足となって事件捜査に関与していった。
そして、大上を直属上司とする濃密な2ヵ月にも満たない捜査期間が、日岡の警察官としての生き様を方向づけることになる。
この続編(シリーズ第2作?)は、1年前の4月に呉原東署捜査二課から、比場郡城山町の中津郷駐在所に、階級は巡査のままで異動させられた日岡秀一の境遇から始まる。大上を直属上司として携わった事件が一応の決着をみたところで、日岡がある事件の証人となる件に絡んで、体良く左遷されたのである。だが、結果的にその日岡が勤める駐在所の所轄地域に、広域の暴力団抗争の展開において重要な要因となる火だねを抱えていくことになる。日岡はその案件に半ば意図的に関わりを持っていく。それは、日岡自身が左遷された駐在所勤務から県警本体に返り咲く活路を見出す手段になると判断した結果でもある。勿論、日岡にとって大きな賭ともいえる。
一体、どういう展開になるのかと興味津々で惹きつけるという巧みさなストーリー展開となっていく。
事の発端は、四代目の座をめぐる明石組の分裂である。分裂当初は組を割った心和会側の勢力が優位だった。3ヵ月後に明石組が心和会に義絶状を出す。それを境に、半年後に勢力は逆転した。追い詰められた心和会側が、ヒットマンを送り、大阪府吹太市のマンションの地下駐車場で明石組トップを襲撃した。それにより、四代目明石組組長の武田と他2名が死亡する。その2名の中にナンバーツーの明石組若頭も含まれていた。
史上最悪の暴力団抗争、明心戦争の幕開きである。
暗殺部隊のリーダーは、心和会の本流、浅生組若頭・富士見と目され、その背後には心和会の常任理事で、北柴組傘下の義誠連合会会長・国光寛郎と考えられていた。警察は勿論、明石組もまた血眼になってこの2人の行方を追っている。併せて、明石組による報復戦が始まった。
広域暴力団のトップ層が殺生されたら、何が起こるかのシミュレーション・ストーリーという要素ももつ展開となる。そこには利害・思惑が色濃くまとわりついていく。一方、暴力団組織内における人間関係の紐帯は何かを問いかけている側面も併せ持つストーリーとなっている。
広島の叔父が亡くなり葬儀に出た日岡は、「小料理や 志乃」に女将の晶子への挨拶と食事に立ち寄った。食事を済ませたら中津郷に戻ると告げる。晶子は2階の客のことを日岡に話さなかったのだが、2階からの聞き覚えのある声を耳にし、日岡は晶子に尋ねた。晶子は仕方なく、尾谷組の二代目組長・一之瀬守孝が瀧井組組長・瀧井銀次とともに客を伴い来ていると告げる。その時、その客がトイレを使うために下りてきた。日岡はその男に見覚えがあると感じた。そこで、客が所用を済ませる間に2階に上り一之瀬に挨拶に行く。そして、トイレから戻って来た一之瀬らの客を改めて見つめる。その客が全国に指名手配されている国光寛郎だと気づく。その一瞬、手柄を立てれば、所轄へ戻れる、と日岡は思う。店を出て、バイクで去ろうとする日岡に、その客が自ら国光と名乗った。そして、国光はまだやることが残っているので、少し時間をほしいと日岡に言う。「じゃが、目処がついたら、必ずあんたに手錠を嵌めてもらう。約束するわい」と。これが日岡と国光の関わる契機となる。その国光の言を踏まえて、日岡はしばらく状況を静観する立場をとる。日岡は中津郷駐在事務所での日常業務に戻っていく。
駐在所の巡回区域の一つである横手地区で、頓挫していたゴルフ場建設工事が再開される。ゴルフ場は、錦秋湖を取り囲む四天山の裾野を利用している。工事にはかなりの時間がかかりそうである。その工事現場に工事責任者として泊まり込むと国光が偽名で駐在事務所の日岡の前に、現れたのである。
建設現場を隠れ蓑として身を潜め、国光は残していることをやるつもりなのだ。
日岡は、日常の駐在事務所の業務をしながら、国光らの動勢を監視していくことになる。それは日岡と国光の関わりが少しずつ深まる始まりだった。
二人の関係はどう進展するのか? 国光がやり残したこととは何なのか? 国光が日岡に手錠を嵌めさせるという約束は、本当に実現するのか? どのような形で?
地域密着型の駐在事務所の警察官・日岡の日常生活を絡めながら、一方で、別世界の如くに暴力団の抗争・明心戦争が進展していく。
この小説の構想が興味深い。
プロローグは、真冬の北海道のとある刑務所で、受刑者と面会に行った男とが交わす会話場面から始まる。受刑者が兄、面会者が弟という関わりで、互いに「兄弟」と呼び合う間柄である。二人の話は、いくら墓の掃除をしても、鳥が糞をかけていく。その鳥はどこからきたのか、というもの。弟はその鳥がどこから来ているかを突き止めたと、その場所を伝える。これは何のことなのか・・・・、読者には判じ物めいている。しかし、そこには重要な意味が隠されていた。それが、一つのクライマックスに対する伏線となっていく。そういう話だったのかと、気づかされる。
そして、6章仕立てのストーリーが始まって行く。各章の冒頭には、「週刊芸能」平成2年5月17日号記事からスタートする緊急連載「ジャーナリスト山岸晃が読み解く史上最悪の暴力団抗争 明心戦争の行方」の内容がまず引用される。各章の冒頭でそれが回を重ねていく。読者は、その記事内容を通して、明心戦争がどのような状況、経緯にあるかを知ることができる。時間軸で見た抗争の進展経緯の整理要約を知ることができる。
一方、各章での本文は、中津郷駐在所での日岡の日常が描き出されつつ、日岡と国光の関係が進展していき、日岡の日常と国光との関係が交差する接点が重なって行く。
国光ですら想定していなかった事態の展開に発展する。国光の居場所について警察への通報が入ったのだ。だが、国光はその展開を逆に利用するようになる。そこに日岡が必然的に巻き込まれていく。
しかし、その通報者について意外な事実が判明する。著者はそこにおもわぬ視点を加えていて興味深い。神心戦争という暴力団の抗争という文脈とは無関係の次元からの通報なのだから、おもしろい。
駐在所生活の日岡は、「週刊芸能」の連載記事を情報源とし、暴力団の抗争という事態の進展経緯を自分なりに理解し、分析しているという状況がある意味でおもしろい。警察組織の駐在事務所は、県警本部の捜査四課が情報収集し把握している暴力団組織の状況認識とは無縁の存在なのだ。縦割り組織において、情報は流れてこない。一般読者と同じ週刊誌報道が、暴力団の実態情報からは無援の駐在所に投げ込まれた日岡にとっての情報源となっているという皮肉な実態がそこにある。
この続編の興味深いところは、大上章吾の信念・立場とは違った観点から、大上の立ち位置とは異なる次元に日岡が踏み込んで行く結果となるプロセスが描かれるところにある。それは日岡が大上の精神を継承する決断をより鮮明にしたということでもある。それがどのような立ち位置なのかは、本書をお読みいただきたい。
これが警察小説というフィクションの中だけで成立する事態なのか。実際の警察組織においてもあり得ることなのか、ということを考える材料としてもおもしろい。
結果的に国光に手錠を嵌める立場になった日岡は、その後県警捜査四課に異動となる。そして、捜査四課の刑事として、国光が刑務所送りとなった後の暴力団組織の実態に挑んでいく。このストーリーでは、明心戦争のその後に日岡が刑事として関わる姿が描かれる。国光が敬愛した北柴組組長・北柴兼敏が服毒死するという事件が発生したことに関連する。服毒死の謎の解明である。それは警察における刑事の捜査の限界とも絡む状況を扱ってもいておもしろい。
このストーリーは、平成2年という次期の設定に、一つの大きな意味があるように思う。それは平成4年3月に暴力団対策法が施行されたことに関係する。暴力団の世界が大きく変貌しようとする時代の前夜を描くということ、そして新法の施行が新たな問題を生み出していくということ、これらをマクロの視点でとらえるということが、著者の設定したサブ・テーマではないかという気がする。
エピローグは、ふたたび北海道の旭川刑務所に戻る。所内の作業場で殺生事件が起こる。エピローグの末尾は次の一文で終わる。
「親の仇を討った男を見やる眼が、にやり--と、笑うように歪んだ。」
最後にこの続編のタイトルに触れておきたい。
刑事に戻った日岡は、覚せい剤取締法違反の容疑で現行犯逮捕した男から、「頬に斬り傷か。外道らしい面しやがって」と捨てぜりふを投げられる。その言葉に対して、「刑事という名の極道だ。国光同様、目的のためなら外道にでもなる”凶犬”だ」と日岡が自己分析するシーンが描かれている。本書のタイトルは、ここに由来すると思う。
この続編は、”凶犬”と己を位置づける日岡シリーズの出発点になるのだろう。いずれ第3作が発表されることを期待したい。
ご一読ありがとうございます。
徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『合理的にあり得ない 上水流涼子の解明』 講談社
『蟻の菜園 -アント・ガーデン-』 宝島社
『朽ちないサクラ』 徳間書店
『孤狼の血』 角川書店
『あしたの君へ』 文藝春秋
『パレートの誤算』 祥伝社
『慈雨』 集英社
『ウツボカズラの甘い息』 幻冬舎
『検事の死命』 宝島社
『検事の本懐』 宝島社
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