遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『QED ~flumen~ 月夜見』  高田崇史  講談社NOVELS

2019-07-22 13:24:12 | レビュー
 QEDシリーズは『伊勢の曙光』で終了したと思い込んでいて、『伊勢の曙光』を読了後、QEDを意識しなかった。ところが、前回『ホームズの真実』で書いたように、その後にもQEDシリーズが出版されていた。2016年11月に本書が出版されている。
 高田崇史ONLINEサイトでは、インタビューに答えて著者自身がQED本編は『伊勢の曙光』で完結したと述べている。その一方で、3年2ヵ月ぶりの『QED ~flumen~』上梓と述べられているので、QEDを復活させたという意識ではなさそうだ。QEDを冠するシリーズは「時の流れのままに」書き継がれていくということのようである。

 タイトルは『月夜見』だが、「つくよみ」とルビが振られている。この小説では、京都の洛西にある松尾大社から南に400mほど行った場所に位置する「月読(つきよみ)神社」が舞台となっていく。月読神社の祭神は「月読命」である。月読命の別名は、月弓尊(つきゆみのみこと)、月夜見尊である。

 ストーリーに入る前に、まず、目次に着目しておこう。プロローグとエピローグの間に、「月の○」とネーミングされた4つの章がある。○の部分には、「罪(つみ)」「隅(くま)」「妖(よう)」「澪(みお)」の一語が順番に付されている。これらの読みの頭字をよんでいくと「つくよみ」となる。今回も章のネーミングに知的遊び心が隠されている。

 本書の内表紙の次に、「今は入らせたまひぬ。月見るは忌みはべるものを」というフレーズが記され、『源氏物語』紫式部、と出典が記されている。調べてみると、第49帖「宿木」の「幼きほどより、心細くあはれなる身どもに・・・・」という書き出しから始まる「中の君の身の上を省み嘆く女房ら同情する」という段に出てくる。年寄の女房たちなどが中の君を諫める言葉である。
 著者はインタビューの中で、”『源氏物語』を読んでいた際に、突然ふと一つの疑問が湧き上がったのです。何故、平安貴族たちは「月は不吉」「忌むべきもの」などと、誰もが書き残しているのだろうか?”と述べている。この疑問が、記紀に登場する「月読命」に結びついて行ったという。その着想が、本書において、桑原崇の謎解きという形に結実したのである。
 月を見るのを忌む発想は、『白氏文集』などに現れ、中国伝来の思想のようだ。(新編日本古典文学全集『源氏物語 5』小学館)そういう見方も踏まえてさらに時の流れを溯り「月」に関連する事象を渉猟し考察することに繋がって行ったのだろう。

 『日本書紀』の神代・上には、伊弉諾尊が黄泉の国から逃げ帰り、筑紫の日向の川にて禊祓をしたとき、左の眼を洗うと天照大神、右の眼を洗うと月読命、鼻を洗うと素戔嗚尊という三柱の神が生まれたと記されている。そして、素戔嗚尊は、天照大神が高天原、月読命が青海原の潮流、素戔嗚尊が天下を治めるように言ったと記されている。この後、素戔嗚尊についての記述されていくが、月読命は陰に潜み出てこない。
 著者は桑原崇を介して、月読命の真の姿を推理させていく。

 さて、このストーリーのご紹介に移ろう。
 「プロローグ」は、「私」が「月」についての思索を独白するところから始まる。ここに勿論月読命についても触れられている。その「私」が小さな神社で一人の男をナイフで殺す。月尽くしと神社境内での殺人を犯すという行為からストーリーが始まる。

 「月の罪」は、ストーリーの状況設定から入って行く。
 棚旗奈々は勤め先のホワイト薬局の外嶋一郎薬局長の提案により、丸々1週間の休みをもらえることになる。そこで、奈々は崇とこの期間中に1泊2日で京都旅行に行く予定にしていた。この京都旅行もまた、二人が殺人事件の解明に巻き込まれ、旅行のスケジュールを大きく変更する羽目になっていく。奈々と崇の二人の旅行が、途中から奈々の一人旅のような展開になるのだから、ちょっと切ない。なぜそうなったのか? そこがまた読ませどころにつながるのだ。
 フリーのイラストレーターで「月」好きの馬関桃子が、夜に月読神社を参拝する。本殿を参拝し、帰路に地面に倒れている女性に気づく。その女性は桃子の高校時代の友人望月桂だった。警察に連絡するために、月読神社を飛び出し裏手の路地から急な階段を駆け下ろうとしたときに、ドンと背中を押されたような気がして、桃子自身が転落し被害者になる。
 月読神社での遺体発見の一報を受け、京都府警捜査一課警部・村田雄吉と部下の中新井田務巡査部長が事件現場に急行する。死因は絞殺、所持品の携帯電話から望月桂と判明。現場には柄の部分に兎の模様入りの小ぶりなつげの櫛が残されていた。
 そんな矢先に新たな殺人事件の通報が入る。松尾大社の神職が境内奥の磐座口で若い男性の首吊り遺体を発見したという。
 京都でこんな事件が発生していることを知る由もなく、8月19日土曜日の早朝に、新横浜駅で崇と待ち合わせ、二人は京都に向かう。勿論、新幹線の車中では、例の如く崇は資料を取り出し、奈々に日吉大社について語り始める。読者もまた記紀の神々の世界に誘われていく。

 「月の隅」では、登場人物たちの行動が同時進行していく状況描写となる。それはこのストーリーの状況展開の累積となる。村田・中新井田の捜査活動の進展状況、救急病院に搬入された馬関桃子の状況認識とその後の行動選択、新幹線車中の奈々と崇の状況が描かれて行く。

 「月の妖」は、ストーリーの四部構成を起承転結で捕らえると「転」になる。つまり、状況に転換要素が加わってくる。救急病院に搬入された馬関桃子は、彼女の友人である矢野聡子の父親の経営する病院に転院する。村田は事件関係者の疑念を踏まえ、転院をあっさり認める。所在地が明かなので泳がせてみるという作戦に出た。松尾大社から飛び出してきた若い女性の目撃者が出現する。その目撃者は「月夜見」という手鞠唄のことを思い出す。さらに、桂川東岸に位置する松尾大社の末社・衣手神社、別名三宮神社で若い女性の絞殺事件が発生する。それに加えて、櫟谷宗像神社でも殺人事件が発生した。
 ここに小松崎が登場する。月読神社で起こった事件の取材活動を始めていたのだ。小松崎が奈々に連絡をとり、崇を取材活動に巻き込み、事件解明の成果をものにしようと考える。京都に到着し、これからの行動予定を話し合っている二人に、小松崎から奈々に電話連絡が入る。奈々と崇が小松崎を無視できないのは自然の流れである。そのことで京都旅行での予定が一部重なりながらも、大きく変更されていく。その余波を奈々が受けることにもなる。

 そして「結」に結びついていく。「月の澪」である。
 小松崎に頼まれたことにより、崇と奈々は松尾大社、月読神社に行き先を変える。そこで、崇は秦氏について奈々に話し出すという展開が加わる。この章では、事件の解明に崇がどのような推理を展開するかが読ませどころになる。なぜなら、連続する殺人事件の進展の中で、犯人側の行動自体が描き込まれていくからである。だが、なぜ今回の事件が起こったかの謎解きには、崇がその推理を行い、なぞを解き明かすことになる。「月」が大きく関与していることが明らかにされていく。そこには、天皇を含め大氏族間の確執・争闘が背景に潜んでいた。桑原崇の推理プロセスをお楽しみあれ。
 小松崎に頼まれて崇が事件の解明に深く関わる一方、奈々はせっかくの京都旅行だからと、洛西の嵯峨野、広隆寺や嵐山見物というちょっと哀しい一人旅を余儀なくされる。その挙げ句、渡月橋では、今回の事件に巻き込まれることに・・・・。連続した殺人事件の謎解きは解明できたが、崇と奈々の京都旅行の二人の夜は実に侘しいことになる。その顛末は本書を開いていただきたい。

 この小説に、月を詠み込んだ歌が要所々々に組み込まれているのが興味深い。
まず、4つの章のそれぞれの冒頭に和歌が一首引用されている。
  めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月かな  紫式部
  夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ    清原深養父
  心にもあらでうき世を長らへば悲しかるべき夜半の月かな      三条院
  有明のつれなく見えし別れよりあかつきばかりうきものはなし   壬生忠岑
ストーリー中には次の歌を崇が援用している。
  月月に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月
  大方は月をもめでじこれぞこのつもれば人の老いとなるとも  在原業平
カバー表紙の内側には夜空の月の写真ととともに、
  月見てはたれも心ぞなぐさまぬ姥捨山のふもとならねど  藤原範永朝臣
が記されている。月を詠む和歌の世界がストーリーの背景に奥行きを加えている。

 QEDシリーズには他のシリーズと同様に、観光ガイド的要素が含まれている。この『月夜見』も同様である。今回は京都・洛西と滋賀に跨がっている。本書で描写されている観光名所の名称を列挙しておこう。
  京都・洛西: 松尾大社、月読神社、衣手神社、櫟谷宗像神社、野宮神社、
         広隆寺、蚕ノ社、大酒神社、蛇塚古墳
  滋賀   : 日吉大社、竹生島(都久夫須麻神社)

 3つめに興味深いのは、連続する殺人事件に絡むものとして「月夜見手鞠唄」が黒子役的に登場する点である。こんな唄聞いたことがないな・・・と思いつつ読み終えた。表裏になんとこの唄は著者の創作によると記されていた。著者創作のこの唄が、ストーリーで重要な脇役をになっている。また、史実と記録の裏付けを踏まえる崇の謎解き推理にリンクされていく箇所が出てくる。このあたりがフィクションのおもしろさにもなっている。

 松尾大社や月読神社の辺りは歴史探訪で訪れたことがある。月読神社はその正面で解説を聞くだけにとどまり、通過ポイントになったが、その探訪前にこの小説を読んでいれば、また一味異なる感興をいだいたかもしれないな・・・・と思ったりしている。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
松尾大社 ホームページ
 摂社月読神社
松尾大社 :「京都府観光ガイド」
ツクヨミノミコト(月読命)  :「神仏ネット」
ツクヨミ :ウィキペディア
衣手神社(三宮神社)・衣手の森(京都市右京区) :「京都風光」
櫟谷宗像神社  :「玄松子の記憶」
櫟谷宗像神社(京都市西京区) :「京都風光」
大酒神社  :ウィキペディア
山王総本宮 日吉大社 ホームページ
竹生島  :ウィキペディア
竹生島  :「滋賀・びわ湖 観光情報」
竹生島クルーズ  :「琵琶湖汽船」
竹生島神社 ホームページ
竹生島宝厳寺 ホームページ

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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もう一つの拙ブログで、以下の名所地を探訪した記録をまとめて掲載しています。
ご覧いただければうれしいです。
探訪 [再録] 京都・洛西 松尾大社とその周辺 -1 松尾大社(1):楼門、本殿、神輿庫、南末社ほか
   4回のシリーズでご紹介しています。
探訪 嵯峨野の神社・寺・古墳を巡る -1 木嶋神社(蚕の社)
   3回のシリーズで太秦広隆寺、蛇塚古墳ほかをご紹介しています。
探訪 京都・右京区 嵯峨野西北部(化野)を歩く -9 野宮神社


徒然に読んできた作品のうち、このブログを書き始めた以降に印象記をまとめたものです。
こちらもお読みいただけるとうれしいかぎりです。(シリーズ作品の特定の巻だけの印象記も含みます。)
『QED ~flumen~ ホームズの真実』  講談社NOVELS
『古事記異聞 オロチの郷、奥出雲』  講談社NOVELS
『古事記異聞 鬼棲む国、出雲』  講談社NOVELS
『卑弥呼の葬祭 天照暗殺』 新潮社
『神の時空 京の天命』  講談社NOVELS
『鬼門の将軍』   新潮社
『軍神の血脈 楠木正成秘伝』  講談社
『神の時空-かみのとき- 五色不動の猛火』  講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 伏見稻荷の轟雷』  講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 嚴島の烈風』 講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 三輪の山祇』 講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 貴船の沢鬼』 講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 倭の水霊』  講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 鎌倉の地龍』 講談社NOVELS
『七夕の雨闇 -毒草師-』  新潮社
『毒草師 パンドラの鳥籠』 朝日新聞出版
『鬼神伝 [龍の巻] 』 講談社NOVELS
『鬼神伝』 講談社NOVELS
『鬼神伝 鬼の巻』 講談社
『カンナ 出雲の顕在』 講談社NOVELS
『QED 伊勢の曙光』 講談社NOVELS