遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『越前宰相 秀康』 梓澤 要  文藝春秋

2018-03-05 10:28:25 | レビュー
 徳川家康の次男として生まれながら、豊臣秀吉の養子にされ、秀吉から秀康という名を授けられる。その後更に結城家の養子という境遇に投げ込まれる。そして最後は越前の国主となるが、諸大名と同様に家康の命令の下、城普請などの作事課題に忙殺される憂き目に遭う。母は違うが二代将軍となる弟の徳川秀忠とは対照的で数奇な人生を歩むことになった結城秀康という武将の生涯を扱った歴史小説である。

 梓澤要の作品を順次読み継いで行きたいと思っている。
 2017年11月に高野山日帰りツアーに参加し、奧の院への参道を歩む途中で、「結城秀康(家康の次男)石廟 重要文化財」という標識が出ている極めて印象的な石廟(霊屋)を眺めることになり、「秀康」という名前が記憶に残っていた。そのためか『秀康』という標題に惹かれて読み進める作品の優先順位が上がったという次第。

 序章の見出しは「高野の石廟」である。正にこの石廟に関わる外観の描写だけでなく、一歩踏み込み廟内の描写をするところから始まる。このスタートが、私には一層惹きつけるトリガーになった。この序章は布石となり、ストーリーの展開とも密接に結びついていく。そして、巻末は再び石廟にストーリーの記述に帰着する。

余談から始めたい。
 

これがその時に撮った石廟の全景である。一の橋から御廟までの参道の両側には様々な人々の苔蒸した墓や供養塔が驚嘆すべき数の林立となっている。その姿に私はまず圧倒された。著者は導入部で「中でも、ひときわ目を引く石造りの霊廟がある。御廟の橋の百メートルほど、手前、参道から一段高く石段を積んだ上。山内、唯一の石廟で、二棟が寄り添うように並んでいる」(p7)という記述からこれらの石廟の細部に目を向けていく。





向かって右側の石廟が秀康の石廟(霊屋)である。前面の石鳥居には「浄光院」と刻された石製扁額が掛かっている。この浄光院殿という院号については、この小説の最後に触れられている。そこには秀康の人生最後の経緯が語られている。高野山でこの写真を撮った時は、全く知識が無かった。




左側に見える石廟がこちら。石鳥居には「長勝院」と刻され苔蒸した扁額が掛かっている。こちらは、秀康の生母お万の石廟。お万は小督の局とも呼ばれた徳川家康の側室である。この小説は、秀康と併せて、秀康を見守った母・お万の人生をも描き込んで行く。
 秀康は慶長12年閏4月8日、34歳で病没する。秀康が亡くなると母お万は落髪し泰清院と号し、秀康の死から13年後、元和5年12月6日に没する。法名が長勝院。享年73とも72とも言われている。
 秀康の石廟は、秀康の嫡男・松平忠直が秀康の一周忌を前にして、お万の勧めにより霊廟を建立したものという。一方、左側の石廟には、「逆修塔」の建立という言葉が使われ、「慶長9年冬、秀康が母のために建てていたものである」(p375)と記す。序章では刻銘文が記されている。その建前の裏には、もう一つの意図が重ねられている。

 高野山ツアーでは、これら石廟の外観を参道から拝見しただけである。この小説では序章の末尾に、長勝院の石廟の中に三基の石塔が安置されていると一歩踏み込んだ描写がある。三基の内、中央は長勝院、左側の法篋印塔が俗名氷見太郎兵衛だという。そして、廟内に、自身の位牌とともに、本多作左衛門重次、永見右衛門貞武、家康の正室築山殿という三基の位牌を納めたと記す。

 俗名永見太郎兵衛について、著者は「お万が生んだもう一人の息子。秀康の双子の弟である。こちらの石廟は、実は、彼のために造られた廟なのだ」(p8)と序章に述べる。著者は秀康の人生を描いて行く上で、双子説を前提にストーリーを展開していく。

 お万が家康と関わりを持つのは、家康の母であり、お万には叔母にあたるお大の方に請われて、築山殿の許に仕えるということが始まりとなる。そこには、お大の方のもくろみがあった。お万がその意図にどう対応したかに、お万の生き様の片鱗が見え始める。
 お万という名称を記してきたが、この時点では元の名前は菊と称した。岡崎城に上がるとき、女房名を故満と付けられたのだが、幼少の竹千代(のちの信康)に初めて対面したときに「おこちゃ」と聞き間違えられて、竹千代の宣言した「おこちゃ」が通称になる
 お故満は19歳の折、智鯉鮒の実家に戻り、伊勢の村田家の清太郎の許に嫁ぐ。だが菊は身ごもった子を死産にし、労咳となった夫も菊22歳の晩秋に没する。義父は神職を辞し、清太郎の弟作次郎を連れて大坂に移転していく。菊は離縁される形をとるが、その後村田家との関わりは、幾度かの重要な転機を迎える折に深まっていく。この緊密な縁の関わりは、一つの読ませどころでもある。
 菊は一旦智鯉鮒の実家に戻る。失意と病気を克服後に、26歳で再び家康の許に仕える身となる。この時、菊を迎えに来るのが本多作左衛門である。彼は竹千代の宣言したおこちゃという名を好んで使う。菊は西遠江の引馬の城に出仕するが、このときからお万と呼ばれることになる。
 お万が築山殿の位牌を石廟に納めた意図は、お万が家康の側室となった以降にお万が頼まれて築山殿に認めた書状が悪用されたという経緯にあるとする。お万が知らされることなく導引を作った行為への尽きせぬ悔恨が関わっている。そこには、お万の正室築山殿に対する深い思いが横たわっている。

 当時、双子の妊娠は畜生腹と呼ばれ、忌み嫌われ、災いをもたらすと信じられていたという。家康の側室となったお万が身ごもった後、腹の子が双子だと実感した段階で、双子を無事出産し己の手で育てるという選択をする。そして、大胆にも引馬の城を出奔する挙に出る。出奔後に本多作左衛門はそれを助ける役割を担っていくことになる。
 生まれた双子の内一人は元気な男子、もう一人も無事産まれるがひ弱でかつ足に障害を持つ子だった。双子の内、一人は死産と本多作左衞門が家康に報告する。ここから双子の運命が岐路に立って行く。作左右衞門は元気に生まれた子の方の傅役という立場で関わりを深めていく。
 本書の表紙上部には、鯰を小さくしたようなギギという魚が描かれている。これは、城に戻っていた元気な赤子を信康が見に立ち寄ったときに、赤子の顔を見てギギに似ていると言い、於義伊という仮の名前を与えたのだ。それを踏まえたカバーデザインなのだろう。家康は赤子の名前すら付けようとはしなかったらしい。こんなところから、後の秀康の人生がスタートする。
 一方、ひ弱な弟の方は、お万の兄、氷見貞親が密かに引き取り、育てると約束する。武士を捨て、智鯉鮒神社の神職に専念して神社の再興に邁進する兄の許で、ゆくゆくは神職の道を歩ませるつもりという。
 この双子のそれぞれの人生がどう別れ、一方どういう関わり方が生まれていくか、そこがこのストーリーの一つのテーマにもなっている。
 二人の別れと出会い。そして、出会いの後に来る別れと双子としての存在より生まれる相互感応の世界。兄と弟がその立場が生の瞬間に入れ替わっていたら・・・という思い。
 
 勢力関係という政治の道具、駒として動かされる半生の中で、秀康が己の存在の意義を問いかける。父家康が秀康という存在をどう思っているのか、その父と子の関係性に煩悶する秀康の姿が、逆に家康の政治的駆け引きや存在を浮彫にしていく。秀康を描く反面には家康の思考と生き様が現出する。著者は秀康を通して、家康という存在をも描いている。勿論、秀吉の一面を描き出す事にもなっている。さらには、秀康が転変と動かされ、投げ込まれていく境遇が、その戦国の世の動きとどう関わっていたかが見えて来る。戦国の世の戦の動きが必然的な背景としてダイナミックに織り込まれていく。戦国通史を語ることになっている側面も興味深い。

 一方で、この秀康の生き様を母・お万が如何に見守り、支えていったかという視点が重要なテーマとして織り込まれている。この秀康の生涯を語るストーリーは、母お万の人生を語るストーリーでもある。今川の傘下にあり、智鯉鮒城城主永見貞英を父として生まれ、代々智鯉鮒神社の神主でもあった家系の女が、信長軍の攻撃による落城。永見一族の落魄によって辿った運命の変転が何を生み出したのか。その中で、お万はどう生きようとしたのか。それが秀康・お万という、もう一つのコインの両面関係として描き込まれていく。お万の生き様の強さと苦悩がテーマの一つとなっているように思う。

 読み応えのある歴史小説になっている。歴史にもし・・・・は意味がない。しかし、もし家康が秀忠ではなく次男の秀康を二代将軍に指名していたら、どうなっていただろうか? そんなロマンを想像したくなる。秀康、享年34歳だったという。惜しい武将の早逝である。
 
 ご一読ありがとうございます。


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本書を読み、関連事項をいくつか検索してみた。一覧にしておきたい。
結城秀康  :「コトバンク」
結城秀康  :ウィキペディア
結城秀康とは~文武両道の福井城主も若すぎる死を遂げる :「戦国武将列伝Ω」
官位相当表  :「集会室」
官位一覧表
宰相  :「コトバンク」

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著者の作品で以下の読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『光の王国 秀衡と西行』  文藝春秋
『正倉院の秘宝』  廣済堂出版
『捨ててこそ空也』 新潮社
『荒仏師 運慶』 新潮社
『百枚の定家』 新人物往来社



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