眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

幽霊階段

2020-10-03 08:00:00 | ナノノベル
 階段の下で幽霊は腰を下ろしていた。一年かけて入念なメイクを重ねてきたのに、一度も出ない間に夏は終わってしまったという。昨年の夏、出た瞬間に笑われてしまったことがよほど堪えたらしい。現れるに足りないとみられた自分には価値がなく、まずは第一印象からの再考を迫られたのだと言う。「結局、トラウマに打ち勝てなかった」意気込みすぎて出るべきところで出られなかったと言う。夏の終わりは、自分が一番よくわかっている。そう言って幽霊は長く伸ばした髪を地面に垂らした。

 階段の上から母と子が向き合ってじゃんけんをしながらゆっくりと下りてきた。下りたと思えば、少し後戻りする。出るべきところで出られなかったのは、自分の力不足だと幽霊は語った。誰かが背中を押してくれれば、出られたという場面もあったが、他者の助けを借りて出るような出方では所詮こけおどしにすぎず、それは自分の理想とは程遠いものだと言う。幽霊のすぐ傍まで、男の子は下りてきた。けれども、激しいじゃんけんの応酬の後で、夏に押し戻されるように階段を駆け上がっていった。

 幽霊はもう一度あの夏のことを振り返った。「テレビで」と蚊のように鳴いた。みんなに笑われた時、偶然そこで見てしまったのだと言う。自分たちを真似て作られたはずの作り物が画面の中から飛び出してきた時、幽霊は思わず身を引いてしまったのだと言う。「あれは本当に怖かった」虚構の方が現実の霊を超えてしまったのではないか。そうした疑念を打ち払うために多くの夜が必要だったと言う。

「モダンメイクの研究に多くの時間を費やした」

 幽霊の時間は、私たちの考える時間とは少し違うものであるらしい。逃した一夏など、本当はたいしたものではないのかもしれない。
「夏の最初からやり直せるとしたら……」それは愚問かもしれなかった。
 でき始めた夜に貼り付いた作り物のような月を見つめ、幽霊は言葉を呑んでいた。夏色の浴衣をなびかせながら男の子は階段を下りてきた。勝利のチョキを崩さないままで。

「いい加減にしなさい!」
幽霊が一喝すると親子は瞬時に消え去った。
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納得未食(マイ・クッキング)

2020-10-02 17:57:00 | 幻日記
 シンプルに料理をするのが好きだ。
 お椀に納豆を入れ、タレ、からしを入れる。少し葱を入れたらあとは混ぜるだけ。ただ混ぜるだけなのだが、なかなか奥が深い。しっかりとお椀を持ち、もう片方の手に箸を持つ。箸を小刻みに回転させながら全体にタレやからしがよく絡むようにする。絡んだから終わりというわけでもない。混ぜるほどに粘り気が増して行く。それは旨みと言い換えることができる。簡単な料理だからと脇見をしながらでもできるが、手は抜きたくないものだ。万一途中で手が滑ってお椀をひっくり返しでもしたら、とんでもない事態になる。床に落ちた納豆を完全に元に戻すことはできない。できれば生きている間に、そんな酷い経験はしない方がいい。料理に当たる時は、しっかりと手元だけに集中すべきだ。

(混ぜるほど旨くなる)
 そんなシンプルな料理が好きだ。
 混ぜる、混ぜる、混ぜる……。

「お前はいつまで混ぜるのだ?」
 料理は根気。そして、自分自身への問いかけだ。

(混ぜれば混ぜただけ旨くなる)

 世の中は頑張れば上手く行くとは限らない。
 小説は書くほどに面白くなるとは限らない。
 それに比べてなんて報われる世界だろう!
 この小さなお椀の中、尽くすほどに旨くなるのだ!
 止める理由/機会が見当たらないほどだ。
 混ぜて、混ぜて、混ぜて。いつまでも、混ぜている。

(この時間が何よりも好きだ)

「食えなくたって、とことん楽しい!」

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若者の復活

2020-10-02 04:01:00 | ナノノベル
「地球に帰れない?」
 事情ははっきりとは説明しにくいようだった。アナウンスは次の目的地へと私たちの意識を向けようと努めた。
 火星は常にウェルカムな星だ。そして、いずれは私たちが向かうべき場所ということはわかっていた。それでも私が地球ですごしてきた時間のことを思えば、少なくとも自分は無関係なのではと思っていた。帰らないという現実を簡単に割り切ることは難しい。置いてきた友、約束、絆があまりに多く感じられたからである。多くを歩き、学び、愛し、生きた。地球のことならば、どんなことでもわかるだろう。時の流れでさえ、コットンシャツのように肌で感じ取ることができる。今になってそれらを完全に手放すには、私は年を取りすぎたのではないか。

(まもなく火星に到着します)

 火星に来て1ヶ月が経つが、右も左もわからない。地球上で経験したどんな引っ越しとも異なる。何もかもが新しい。概念がまるで違うのだ。ここに来て私は生まれ変わったような気分だった。
「背筋が伸びましたね」
 気候のためか重力のためか、姿勢がよくなったのは本当だった。このところの私は毎日仕事探しに忙しく動き回っている。新しくやってきた者には労働の義務があるというのだ。

「150ですか……。僕がここに来たのもちょうどそれくらいだったかな」
 明日からでも来てほしいと店長は言った。
「よろしくお願いします!」
 火星では私くらいはまだまだ若手ということだ。
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帰省飛行デモンストレーション

2020-10-01 06:02:02 | 夢追い
「帰るのか? 雨が降るぞ」
 父が言った。
 ラジオのチャンネルを研究している内に夕方になってしまった。支度をして家を出る。家には誰もいないはずだった。父の声はラジオだったのか。玄関を出たところで明かりを1つ消し忘れていることに気がついた。靴を片方履いたまま中に戻った。
 鍵をかけると玄関に友達が立っていた。

「帰るの?」
 自分は帰るのをやめたと友達は言った。
「安全第一だから」
 
 タクシーに乗ると相乗りだった。運転手はいない。しばらく行くと運転席もなくなっていた。女性はお腹が大きかった。少し動いたところで車は止まった。
「大丈夫ですか?」
「背中をさすってください」
 女は少し苦しげだった。
「誰か呼びましょうか」
 救急車は呼ばないでいいから、ジュンちゃんを呼んでほしいと言う。
「あれがジュンちゃんだから」
 カフェの中からジュンちゃんが出てきた。

 車をあきらめて僕は自立飛行に切り替えることにした。座っている姿勢が抜け切れずそのまま浮遊した。低空飛行だ。前方に気になる車が見えた。すぐ上をかすめるように飛んでいくことになるだろう。パトカー?
 少しでも高度を上げるようにして近づく内に、中から子供が降りてきた。タクシーだ。
 昔は1つの町くらい一望できるほど高く飛べたと思う。高度を上げてから降下して行けば早かったのだ。今ではそれも簡単ではなくなった。
 駅はどっちだ? 飛びながら風に耳を傾けた。
「北の方だよ」
 昔からみんなそう言ってるよ。

 学校を越えたくらいで少し感覚を取り戻した。大丈夫。雨は大丈夫だった。新旧がミックスされた感覚では、自身をリモートコントロールしているかのような自由度が得られた。

(ボーナスステージのように行こう!)

 高度を下げるとゲームに格闘の要素が加わった。悪党どもを蹴散らして、多少の風景を破壊すると、惰性で駅へと滑り込ませる。
「いってらっしゃい」
 僕を母へと見送った。

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