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眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

【コラム・エッセイ】マタギの美学

2022-11-11 05:06:00 | フェイク・コラム
 よく晴れた風のよい日には、公園に行ってボールを蹴りたくなる。しかし、どんな公園でもボールを蹴らせてもらえるとは限らない。禁止、禁止禁止、禁止! 今はあれも禁止、これも禁止という公園も多いらしい。もしも自分がいっぱいいたら、一人の自分は毎日のようにキャプテン翼スタジアムに通わせたい。しかし、現代の常識では、人間は同時に複数のスペースに身を置くことができないとされている。そのことを僕は時々とても残念に思うが、だからこそかけがえのない存在としての個を愛することができたり、決断を巡るドラマが生まれることも事実だろう。


 サッカーのプレーにはパスとドリブルとがある。パスは仲間がいなければできないが、ドリブルは自分とボールだけでできる。それはドリブルの魅力ではないだろうか。ゲームの中でドリブルをすれば、敵はドリブルを阻止するために立ちふさがる。それでもなお敵をかわしてドリブルしようとする時に、フェイントは有効な手段となる。


 シザーズはサッカーのドリブルにおけるフェイントの1つである。ドリブルをしながら右左と交互にボールを跨ぐシンプルなフェイントだ。まず、このフェイントを繰り出すための条件としては、第一に自分がボールを持っていることである。ボールを持っていない状況でのシザーズ(エアー・シザーズ)はほとんど無意味と言ってよい。第二に敵が前に立っている、またはボールに関与しようとしている状況であることである。(周りに誰もいない状況でのフェイントはほとんど意味を持たない)2つの条件が揃った時(自分がボールを持ちドリブルをしている状態で、なおかつ敵が前に迫った状況)、いよいよシザーズの出番である。


 シザーズの効果は様々だ。敵を揺さぶる、幻惑する、驚かす、疑心暗鬼に陥らせる、尻餅をつかせる、眠気を催させる等、実に多彩な効果を上げることができる。跨ぎの動作に入っている間、右・左・右・左・右……というどの瞬間に右または左のどちらかに持ち出されることへの警戒を怠ることができず、敵は一瞬も気を休めることができない。かと言って跨ぎ動作の間にボールを奪おうと足を出せば跨ぎの足を蹴ってしまい、たちまちファールになってしまう。


 シザーズは決して難しいテクニックではない。しかし、少し使うだけで上手げに見せることができる。料理においては実際の味付け以外に、皿の選択や盛りつけ等が非常に重要だ。(例えばコーヒーを灰皿で飲んでみればよくわかる)見栄えによっても舌はだまされる。旨げであることは、旨味の一部になり得るということだ。サッカーにおいても上手いかどうかは置いといて、上手げに見せることで精神的に優位に立つことはできる。そうなれば敵は抜かれることを恐れ無闇に飛び込むことを避けようとする。ちょっとトラップをミスしたとしても、「高度なフェイントかも」と勝手に想像して、距離を詰めにくくなるのである。


 シザーズは決して難しいフェイントではない。言ってみればボールをただ跨ぐだけのことだ。そんなものは全く必要ないと言う人もいるかもしれない。効率やシンプルなプレーを重視する指導者の下では、パス→ドリブル→シザーズ(フェイント)の方向に進むに従って、無駄、遊び、(勝つために不要なもの)として非難され、そうしたプレーを好む選手は悪く目立ってしまうという現実も存在するのだ。効率やわかりやすさばかりを追求することが正しいのだろうか。勝つことばかりにとらわれて楽しさの原点・本質を否定することは、世界を狭め、可能性に蓋をすることかもしれない。


 ドリブルは理屈抜きに楽しいものであり、爽快なドリブルは見ている者を幸福な気分にすることができる。つながっていくパスは美しいものだが、ドリブラーにはそれとは違う魅力がある。一人で狭いところに突っ込んで行って、複数の敵に囲まれても怯むことなくすり抜けて前進していく。その勇姿は時代劇に登場するサムライのようだ。数の力に負けないプレーには夢があり、見ている者は磨き込まれた個の力に魅了され応援したくなるものだ。


 シザーズは何も難しいアクションではない。
 技術以前にするかどうかというところがある。言ってみれば意識の問題だ。「やればできるのに」やらないということは、世の中に腐るほどあふれている。もしも、あなたがシザーズをしたいなら、今すぐにそれをやってみることだ。何だって最初の一歩は勇気がいる。けれども、進み出したら案外楽だったということも多い。やっぱり無理だ。何か違う。自分はマルセイユ・ルーレットがいい。そう気づけたとしても、そのチャレンジには意味があったと言えるだろう。意識の中にずっとシザーズがあるのならば、一度はトライしてみる価値はある。


 シザーズの弱点は、ボールを跨ぐだけで実際には何も起きていないということだ。人間的に敵を揺さぶられるから効果的なのであり、すべてを見切れるAIや、未来を見通すことができる占い師のような存在に対しては全く通用しない。そうした並の人間を超えた存在にはそもそもフェイクは無効であり、これはシザーズに限ったことではない。ドリブル/フェイントとは、人間同士の駆け引きなのである。もう1つは疲労である。ただ跨ぐだけといっても、これは地味に体力を消耗する仕草だ。2度3度、繰り返し跨ぐほどに無駄に体力をすり減らしてしまう可能性がある。そうしたことを踏まえ、1つ1つの跨ぎに余分な力が加わらないナチュラルな動作になるよう練習しておくことが望ましい。また、ここぞという時のために切り札として取っておく姿勢も必要となる。


 ゴールに届けるならそこにパスを出すべきだ。シュートを打つべきだ。しかし、生粋のドリブラーはゴールなんて見てはいない。立ちふさがるものを抜き、前へ前へと進むことだけが重要だ。敵も味方も関係ない。ただ魂の赴くままに、止められても、雨が降っても、夜が明けても、自分だけのシザーズに磨きをかけながら、どこまでも行く。ボールと風があればそれでいい。どこまでもどこまでも、自分が消えていくほどに、自分に近づくことができるのだから。

 着地点を見ずに書き出すことがとても不安なことがある。恐ろしくて、noteを閉じて、毛布の中で、ずっと震えている。テーマはどうした? 読者はどこにいる?

 書くことはドリブルの一種だ。
 先の風景なんて見通せてなくてもいい。
 時にはボール1つを置いて、書き出してみよう。
 わからなくても、面白いことはきっとある。


「仕掛けなければ始まらない」


眠れない夜のビート

2022-11-11 03:32:00 | 忘れものがかり
眠れない夜は

無数のビートに追われていく


秋が冬に近づく感じ

コーヒーが通り抜ける感じ

椅子が雨を吸って傾く感じ

即興が明日を追い越す感じ

ガチャが詰まってあり得ぬ感じ

空き地に広く迷える感じ

境界線に忍んだ感じ


生きてる
生きてる


眠れない夜に支配されて

だんだん研ぎ澄まされて行く感じ


誰かにそっと生かされている感じ

信号がいつまでも変わらない感じ

空に羊が流れる感じ

犬が並んで競う感じ

ポメラが秋に恋する感じ

プリンに猫がダイブする感じ

主審がコインを投げ出す感じ

スキにハートがしびれる感じ

路面に雨がキスする感じ

ハンカチに星が落ちる感じ

詩的に冬が集まる感じ

陽気に落ち葉が触れ合う感じ

波間に竜が輝く感じ

ドアノブに夜がこぼれる感じ


真理が行間をさまよう感じ

指がためらい震える感じ

コルクが飛んで転げる感じ

皆が前列を避けて行く感じ

冷たい視線に燃える感じ


ああ 今も生きてるんだな

決してあなたに伝わらない感じ


裏地に縫えば煌めく感じ

詩から宇宙がはじまる感じ

賢者が石を集める感じ

明かりが漏れていつかの感じ

渦巻く罪に怯える感じ

大河を月が横切る感じ

リフにごはんが止まらない感じ


風が木の葉をばらまく感じ

唇離れまたねの感じ

鏡にはねるはてなの感じ

募れば肘を抱える感じ

一行のみを愛せる感じ

涙に虹がかかる感じ


どこから訪れ
どこへ向かうのか

きっとあなたに伝わる感じ